コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

1964年の日本グランプリ (ロードレース)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の旗   1964年の日本グランプリ
レース詳細
1964年のロードレース世界選手権 全12戦中第12戦
決勝日 1964年11月1日
開催地 鈴鹿
開催コース 常設サーキット
5.821km


350 cc
ポールポジション ファステストラップ
不明の旗 イギリス領ローデシアの旗 ジム・レッドマン
表彰台
1. イギリス領ローデシアの旗 ジム・レッドマン
2. イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド 3. 日本の旗 粕谷勇
250 cc
ポールポジション ファステストラップ
不明の旗 イギリス領ローデシアの旗 ジム・レッドマン
表彰台
1. イギリス領ローデシアの旗 ジム・レッドマン
2. 日本の旗 粕谷勇 3. 日本の旗 長谷川弘
125 cc
ポールポジション ファステストラップ
不明の旗 ニュージーランドの旗 ヒュー・アンダーソン
表彰台
1. ドイツの旗 エルンスト・デグナー
2. スイスの旗 ルイジ・タベリ 3. 日本の旗 片山義美


1964年の日本グランプリは、ロードレース世界選手権1964年シーズン第12戦として、11月1日に三重県鈴鹿サーキットで開催された。

レースは50cc、125cc、250cc、350ccが予定されていたが、50cc(ラルフ・ブライアンズが優勝)は出走したライダーが5名のみで、世界選手権からは除外された。

350ccも50cc同様の理由で選手権から除外される危険があったが、最少出走者数6名を確保するため無名のインドネシア人ライダーが雇われ決勝を走行した。そのライダーは5周でリタイアした。レースはジム・レッドマンがMZのマイク・ヘイルウッドを抑えて優勝した。アラン・シェパードも本GPに参加予定であったが、GP前のテストでクラッシュ、頭蓋骨を骨折したため出走できず、彼はこの負傷が原因で選手生命を絶たれることとなった。

250ccではレッドマンが6気筒エンジンを搭載したホンダの新型マシンで優勝を飾った。

125ccでは、前年に転倒、負傷のためリタイアしたエルンスト・デグナーが雪辱して優勝を果たした。

350ccクラス決勝結果

[編集]
順位 ライダー 車両 タイム ポイント
1 イギリス領ローデシアの旗 ジム・レッドマン ホンダ 1h 04' 55" 3 8
2 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド MZ +30" 6
3 日本の旗 粕谷勇 ホンダ +1' 32" 2 4
4 日本の旗 山下護祐 ホンダ +2' 14" 3
5 日本の旗 永松邦臣 ホンダ +2' 21" 5 2

250ccクラス決勝結果

[編集]
順位 ライダー 車両 タイム ポイント
1 イギリス領ローデシアの旗 ジム・レッドマン ホンダ 1h 01' 33" 9 8
2 日本の旗 粕谷勇 ホンダ +40" 7 6
3 日本の旗 長谷川弘 ヤマハ +1' 20" 9 4
4 スイスの旗 ルイジ・タベリ ホンダ +1' 38" 3 3
5 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド MZ + 1 Lap 2

125ccクラス決勝結果

[編集]
順位 ライダー 車両 タイム ポイント
1 ドイツの旗 エルンスト・デグナー スズキ 32' 33" 5 8
2 スイスの旗 ルイジ・タベリ ホンダ +1" 2 6
3 日本の旗 片山義美 スズキ +11" 4 4
4 日本の旗 田中禎助 スズキ +52" 2 3
5 日本の旗 松島弘規 ヤマハ +1' 10" 6 2
6 日本の旗 本橋明泰 ヤマハ +1' 36" 1 1

参考文献

[編集]

参照

[編集]

外部リンク

[編集]


前戦
1964年のイタリアグランプリ
ロードレース世界選手権
1964年シーズン
次戦
1965年のアメリカグランプリ
前回開催
1963年の日本グランプリ
日本の旗 日本グランプリ 次回開催
1965年の日本グランプリ