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1981年成昆線列車転落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1981年成昆線列車転落事故
甘洛県・利子依達大橋の遺跡
甘洛県・利子依達大橋の遺跡
発生日 1981年7月9日
発生時刻 01:47 中国標準時
17:47 協定世界時
中華人民共和国
場所 四川省甘洛県の利子依達大橋
路線 成昆線
運行者 四川鉄路局
事故種類 橋梁崩壊
原因 土砂崩れ
統計
列車数 1
死者 360
負傷者 146
経路図
CONTg
宝成線 宝鶏駅方面
BHF
成都駅
LSTR
km
BHF
0 烏斯河駅 (現 漢源駅中国語版)
WASSER+l
WASSERq
1.6 大渡河, ↑雅安市/涼山イ族自治州
WASSER eKRWgl
事故後に開通した区間
WASSER STR extSTRa
利子依達トンネル (事故後に建設)
WABZg+l
extKRZW
2.5 利子依達大橋 (崩壊)
extSTRe
2.7 奶々包トンネル (廃棄)
eKRWg+l exKRWr
STR
↑422列車の進行方向
HST
6.5 尼日駅中国語版
LSTR
ABZgr+r
渡口線
LSTR LSTR
KHSTe LSTR
格里坪駅 (422列車の始発駅)
BHF
昆明駅
CONTf
滬昆線 貴陽駅方面
テンプレートを表示

成昆線列車転落事故は、1981年7月9日四川省甘洛県成昆線・利子依達大橋が土砂災害で崩落したことにより、橋梁手前の奶々包トンネルを出た442次列車が川に転落した鉄道事故である。この事故により200人以上が死亡・行方不明となり、146人が負傷した。中華人民共和国で起きた最大の鉄道事故である[1]

事故

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1981年7月9日午前1時30分ごろ、大渡河の支流・利子依達溝で大規模な土砂崩れが発生した。これにより、合流点付近にある高さ17メートル、長さ110メートルの利子依達大橋が崩落した[2]

午前1時41分、攀枝花市西区格里坪駅中国語版から成都駅へ向かう442列車は尼日駅中国語版で、成都駅から攀枝花駅へ向かう快速列車の221列車と交換した後、駅から出発した。1分後に442次列車が次の烏斯河駅に到着時間を伝えようとしたが、両駅の間の電話連絡が途絶えた。

午前1時45分に442次列車は40km/hの速度で奶々包トンネルに入ったが、トンネル内のカーブを通過した時、運転士はトンネル付近の構造物が崩れたことや、通常は見えるはずの利子依達大橋のレールからの反射光が見えないことに気付き、非常ブレーキをかけた。しかし、鉄橋までの線路は14‰の下り勾配であったため、破断した橋梁の手前で停止することができなかった。これにより、先頭のディーゼル機関車2両、13号車の荷物車、12号車の郵便車、11号車の旅客車が川に転落し、10号車と9号車の旅客車はトンネル外の崖から落し大破した。8号車はトンネル内で脱線し、出口のところで転覆したようになった。

事故の結果

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乗務員4名を含む360人が死亡した[1]

7月24日に仮橋が開通するまで路線は不通となった。1984年5月に新しい利子依達トンネルが開通し、その後仮橋は撤去され、奶々包トンネルは放棄された。

参考文献

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  1. ^ a b Distribution regularity of debris flow and its hazard in upper reaches of Yangtze River and other rivers of southwestern China, by Fangqiang Wei, Yuhong Jiang, Peng Cui and Mingtao Ding, published by Wuhan University Journal of Natural Sciences in 2007, Volume 12, Number 4, page 619-626
  2. ^ Sediment studies and management strategies in China by Zhao-Yin Wang and Bingnan Lin, published by International Journal of River Basin Management on March 2004, Volume 2, Issue 1, pages 39-50

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯29度12分19秒 東経102度53分08秒 / 北緯29.205143度 東経102.885504度 / 29.205143; 102.885504