Category‐ノート:日本統治時代の南樺太の学校
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樺太の位置づけ
[編集]すでにご存知かと思われますが、樺太は共通法では内地とされており、また後に名実ともに完全な内地となっております。樺太庁の位置づけも北海道庁など都庁府県に準じたもので、外地(台湾総督府や南洋庁など)とは異なります。(以上の書き込みは 2007年10月10日 (水) 05:05 121.113.159.18さんによるものです)--Straysheep 2007年11月19日 (月) 17:35 (UTC)
- 確かに1942年以降樺太は完全に「内地化」されており、その点では当時(1945年時点)の都庁府県に準じた位置づけであった点については同意します。しかし、樺太も(狭義の)「外地」として取り扱われた時期(1920 - 42年)を持っており、かつ現在一般的には日本の旧植民地として理解され、「外地=植民地」というより広義の用法(法的な意味の「外地」とは違いますが)に従えば、その関連記事は外地関連のカテゴリに包括されてしかるべきではないでしょうか。上記のように「内地」関連カテゴリに従属させることに十分な正当性があることは認めますが、外地関連のカテゴリから完全に外してしまうと無用の混乱や誤解が生じるように思います。したがって本カテゴリをCategory:日本の旧外地の学校の直下に戻す(もちろん、都道府県カテゴリからのリンクは残します)ことを提案します。--Straysheep 2007年11月19日 (月) 17:35 (UTC)
- 特に異論がなさそうなのでCategory:日本の旧外地の学校へのリンクを復活させます。なお混乱を避けるため上記カテゴリおよびCategory:日本の旧制教育機関 (都道府県別)には「1942年以降、内地として扱われた日本帝国領南樺太を含む」旨、但し書きを追加しておきます。--Straysheep 2007年12月6日 (木) 18:04 (UTC)
- 樺太については1942年以前についても共通法では内地とされ、朝鮮総督や台湾総督、南洋庁長官などと異なり、樺太庁長官には立法権が無く、樺太庁警察やその他の行政組織なども北海道や本州などに準じた位置づけとなっております。そもそも、1920 - 42年の期間樺太以外の内地との法的な差は、大正9年勅令第124号(樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件)の規定のみであり、教育機関についても当然内地の制度に準じるものであります。最終的に、大正9年勅令第124号も廃止され名実ともに内地であった樺太の学校を外地とするのは無理があると思われます。 121.115.234.100 2007年12月12日 (木) 12:20 (UTC)