エバレット (哨戒フリゲート)
エバレット | |
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基本情報 | |
建造所 | カイザー・カーゴ社 |
艦歴 | |
進水 | 1943年9月29日 |
就役 |
1944年1月22日 1950年7月26日 |
退役 |
1945年8月16日 1953年3月10日 |
除籍 | 1961年12月1日 |
その後 | 海上自衛隊に貸与 |
要目 | |
基準排水量 | 1,430トン |
満載排水量 | 2,415トン |
全長 | 92.6m |
最大幅 | 11.4m |
吃水 | 4.1m |
機関 |
ボイラー3基 5,500軸馬力 タービン2基 2軸推進 |
最大速力 | 20ノット |
乗員 | 170名 |
兵装 |
50口径3インチ単装緩射砲×3基 56口径40mm連装機銃×2基 70口径20mm単装機銃×9基 ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基 片舷用爆雷投射機(K砲)×8基 Mk.9爆雷投下軌条×2条 |
レーダー |
SA 対空捜索用×1基 SL 対水上捜索用×1基 Mk.51 射撃指揮装置×2基 |
ソナー | QBFまたはQJA 探信儀×1基 |
エバレット (USS Everett, PF-8) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲート。タコマ級フリゲートの1隻。艦名はワシントン州エバレットに因む。
艦歴
[編集]エバレットはカリフォルニア州リッチモンドのカイザー・カーゴ社で起工する。1943年4月15日まではPG-116と呼ばれた。1943年9月29日にコーネリア・M・フィッチ夫人によって命名、進水し、1944年1月22日に艦長W・L・デイヴィス沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。
整調および訓練後、エバレットはアラスカ州のアダック島に向けて出航し、1944年4月22日に到着、アリューシャン列島の荒天下、哨戒および船団護衛任務に16ヶ月間従事した。1945年8月16日にアラスカ州コールド・ベイで退役し、レンドリース法の下ソ連海軍に貸与された。ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号が付与され、EK-15(ロシア語:ЭК-15エーカー・ピトナーッツァチ)と命名された。1945年8月26日には、警備艦として太平洋艦隊に配備された。
1949年11月15日、アメリカ海軍に返還されたエバレットは日本の横須賀で広範囲オーバーホールが行われ、1950年7月26日に再就役した。香港でステーション艦として任命され、国連軍の封鎖作戦および朝鮮半島沖での護衛任務に従事した。北朝鮮の元山を砲撃中の1951年7月3日、エバレットは沿岸砲台からの直撃を受け、1名が死亡し7名が負傷したが、船体への損害は軽微であった。
1953年3月10日、エバレットは横須賀で退役し、1953年8月29日、日米船舶貸与協定に基づき第7回貸与艦として警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、「きり (PF-11)」 として就役し、横須賀地方隊に編入された。1954年1月10日、大湊地方隊に編入。同年7月10日、再び横須賀地方隊に編入。1956年4月1日、第11護衛隊が新編され「くす」とともに編入された。1957年5月10日、第11護衛隊の廃止及び練習隊群の新編により第2練習隊に編入。同年9月1日、艦番号がPF-291に変更された。1958年には第2回遠洋練習航海に参加。1961年9月1日、第2掃海隊群新編により旗艦として編入。同年12月1日にアメリカ海軍から除籍。1970年3月31日、保管船(YAC20)に区分変更され呉教育隊の実習艦として使用された。1975年10月1日に除籍。1976年1月22日にアメリカ海軍に返還された。
エバレットは朝鮮戦争の戦功で4個の従軍星章を受章した。
外部リンク
[編集]- history.navy.mil: USS Everett - ウェイバックマシン(2004年3月14日アーカイブ分)
- navsource.org: USS Everett
- hazegray.org: USS Everett