G1 Grouper
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
G1 Grouper(ジーワングルーパー)は、1995年3月1日から1997年9月30日まで、TOKYO FMをキーステーションにJFN系列向けに放送された深夜放送のラジオ番組。放送時間は、毎週月曜日から木曜日の25:00 - 27:00(JST、火曜日~金曜日未明の1:00 - 3:00)。
概要
[編集]- 正式タイトルでは、「○○○○のG1 Grouper」としていた(いわゆる冠番組で、○○○○の中に、メインパーソナリティーの名前が入る)。「G1 Grouper」のGrouperは造語である。
新聞のラ・テ欄では、「○○○○のG1G」と書かれていた(スペースの関係上、G1 Grouperの字が入らないための措置)。番組スタート時、見えるラジオのスタート期と重なったため、サブタイトルに「見えるオールナイターズ」(1996年10月からは「エレキテルラジオ」)が付いていた。 - 歴代レギュラーパーソナリティは、河相我聞、永作博美、国分太一、グレートチキンパワーズ、武内由紀子、hitomi、明石家さんま、伊達杏子 DK-96・平野友康、真矢、椎名へきるであった(詳細は後述)。
- FM長野アナウンサー田中利彦は、当番組のアルバイトであった。
ネット局
[編集]- 1995年3月:当時のJFN加盟33局のうち30局ネットでスタート
- 1995年4月:『合点!太巻天狗』終了後のFM AICHIでネット開始、31局ネットに。
- 1995年10月:開局したふくしまFMでネット開始、32局ネットに。FM岩手、FM徳島が木曜もフルネットに。
- 1996年4月:AIR-G'が月~木26時台のみのネット開始、33局ネットに。FM福岡が27:00~29:00の遅れネット放送に。
- 1996年10月:fm osakaが27:00 - 29:00の遅れネットながら放送開始。当時のJFN加盟34局全局ネットに。FM仙台も27:00 - 29:00の枠で月~木フルネット化。FM福井も月~水がフルネットに。
- 1996年12月:開局したe-radioでネット開始、35局ネットに。
パーソナリティ
[編集]期間 | 月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | |
---|---|---|---|---|---|
1995.03 | 1995.09 | 河相我聞 | 永作博美 | 国分太一 | グレートチキンパワーズ |
1995.10 | 1996.03 | 武内由紀子 | |||
1996.04 | 1996.09 | hitomi | |||
1996.10 | 1997.04 | 明石家さんま | 伊達杏子 DK-96 平野友康 | ||
1997.04 | 1997.09 | 真矢 (LUNA SEA) |
椎名へきる |
- 月曜日
- 河相我聞(1995年3月 - 1995年9月) - この番組の中で河相の友人でもあるつるの剛士が「つるちゃんのしあわせデリバリー!」なるワンコーナーを持っていた。のちにつるのはG1Gより深い時間帯で『BPR5000』を担当。
- 武内由紀子(1995年10月 - 1996年9月)
- 明石家さんま(1996年10月 - 1997年9月)
火曜日
水曜日
木曜日
- グレートチキンパワーズ(1995年3月 - 1996年9月)
- 伊達杏子 DK-96・平野友康(1996年10月 - 1997年4月)
- 椎名へきる(1997年4月 - 1997年9月 →次番組「KADOKAWA電波マガジン」「DEEPER STREET」にて続行)
明石家さんまのG1 Grouper
[編集]明石家さんまは、1996年10月7日から1997年9月29日までの1年間、月曜日を担当した。当初のアシスタントはさとう珠緒。加藤貴子に交代。
明石家さんま、松尾伴内、加藤貴子の3人のコンビネーション及び、「はがき職人」と呼ばれた素人投稿者のネタも好調で、FM放送にあっては異色の番組だった。(ニッポン放送のラジオ番組「のってけテリー!渚の青春花吹雪」で、週の帯番組のアシスタントの座を獲得したものの、すぐに金曜日のみになったという)加藤のエピソードによる「金曜日だけになったんです~」のほか、「サムライ高校生」、「工場長(さんまのこと)」などの言葉は、この番組で生まれた。
また、さんまファミリーのスタッフに関する話題も多く、特にレギュラーで登場するフジテレビの編成とディレクター、さんまのマネージャーの三角関係の話題は、年明けから番組が終了までひっぱり続けた。
1997年8月25日に公開放送を行い、30名のリスナーが集合した。さとう珠緒vs加藤貴子の歌合戦はリスナーの記憶に残る名場面のひとつだった。しかし明石家さんまは、当時、『明石家出版』(日本テレビ)と放送時間が重なっていたらしく、局側の事情を理由にして番組終了となった。
なお、1997年8月期の聴取率調査にて、福山雅治のオールナイトニッポンを抜いて、G1 Grouperが最初で最後の聴取率No1。
永作博美のG1 Grouper
[編集]通称、「永作姉さん」。G1特製商品(G1リスナーによる提案のお菓子)のリリースを予定する等、リスナー参加型を強く打ち出していた。当時はリスナーから、永作姉さんと呼ばれることが常だった。
hitomiのG1 Grouper
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
グレチキのG1 Grouper
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
国分太一のG1 Grouper
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
この番組が発展し、『国分太一 Radio Box』が誕生した。
LUNA SEA 真矢のG1 Grouper
[編集]制作スタッフ
[編集]外部リンク
[編集]- G1 Grouper - ウェイバックマシン(1997年1月30日アーカイブ分)
TOKYO FM / JFN系 月曜 - 木曜 25:00 - 27:00枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
ラジ王
(1994年4月 - 1995年2月) |
G1 Grouper
(1995年3月 - 1997年9月) |
AVEX HEADLINE
(1997年10月 - 1999年3月) ※25:00~25:10 KADOKAWA電波マガジン (1997年10月 - 1999年3月) ※25:10~26:00 DEEPER STREET (1997年10月 - 1999年3月) ※26:00~29:00 |