グロリア・エステファン
グロリア・エステファン Gloria Estefan | |
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2008年 | |
基本情報 | |
出生名 | グロリア・マリア・ファハルド・ガルシア (Gloria María Fajardo García) |
生誕 | 1957年9月1日(67歳) |
出身地 | キューバ ハバナ |
ジャンル | ポップ |
職業 | 歌手、ソングライター |
グロリア・エステファン(Gloria Estefan、出生名:グロリア・マリア・ファハルド・ガルシア、1957年9月1日 - )は、キューバ生まれのアメリカの歌手。グラミー賞では多くのノミネート実績を持ち、3部門で受賞も果たしている。
略歴
[編集]父親はかつての大統領であったフルヘンシオ・バティスタのボディガードを務めるなど、優秀なキューバ軍人として活躍していたが、革命後の1960年に家族と共にマイアミに移住した。亡命後、父親は米軍に入隊し母親は教師になった。グロリアは私立のカトリック系の高校を経て、奨学金を得てマイアミ大学に入学し、心理学とフランス語を専攻した。彼女は英語、スペイン語、フランス語に堪能であったため、大学在学中にCIAから語学担当スタッフとしてスカウトされたほど優秀な学生であった。
1975年に、のちの夫となるエミリオ・エステファンが率いるバンドのマイアミ・ラテン・ボーイズ (the Miami Latin Boys) に参加し、1978年9月2日にエミリオと結婚、1980年には息子ナジブを出産。
バンドは、マイアミ・サウンド・マシーン (Miami Sound Machine) と改名して1980年代に「ドクター・ビート」「コンガ」など数々のヒットを飛ばした。
1987年には「エニシング・フォー・ユー」が初の全米No.1を獲得。この頃から、グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーンと表記するようになり、1989年にグロリア・エステファン単独名義としては1枚目となるアルバム『カッツ・ボース・ウェイズ』を発表、以後はソロ活動となる。
順調にヒット曲を重ねたグロリアであったが、1990年3月、乗車中のバスにトラックが追突する交通事故に遭遇。脊髄に重傷を負うが、1年間のリハビリの末に復帰した。
1992年、第26回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演し「リヴ・フォー・ラヴィング・ユー」と「ゲット・オン・ユア・フィート」を披露した[1]。
1993年にはソロとしては初のスパニッシュ・アルバム『ミ・ティエラ〜遙かなる情熱』を発表、全米やスペインなどではそれぞれ100万枚を超える売り上げを記録。
1994年にはシルヴェスター・スタローン主演映画『スペシャリスト』の主題歌「ターン・ザ・ビート・アラウンド」を歌い、カバー曲のみで構成されたアルバム『ホールド・ミー、スリル・ミー、キス・ミー』を発表。同年12月には娘エミリーを出産。
1996年にアトランタで開催されたアトランタオリンピックの閉会式では公式テーマ曲でもある「リーチ」を大観衆の前で歌った。
1998年、全曲ダンスナンバーでクラブ向けのアルバム『グロリア!』を発表。
1999年には、ウェス・クレイヴン監督の実話を基にした音楽映画『ミュージック・オブ・ハート』に出演。これがグロリアの初出演映画であった。主題歌「ミュージック・オブ・マイ・ハート」もイン・シンクとともに担当。同年にはスティーヴィー・ワンダーとともに再び第33回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演。
2008年にはレコーディング芸術科学ラテン・アカデミー・パーソン・オブ・ザ・イヤーを受賞。ラテングラミー賞でもアルバム『90マイル』が自身にとってアルバムでは初の受賞となる最優秀トラディショナル・トロピカル・アルバム賞を受賞。
2011年、『Glee/グリー』のシーズン3にナヤ・リヴェラ演じるサンタナ・ロペスの母役として出演。
2015年、大統領自由勲章を受章[2]。同年にはグロリアとエミリオの半生を基にしたジュークボックス・ミュージカル『オン・ユア・フィート!』がスタート。脚本はアレクサンダー・ディネラリス、演出はジェリー・ミッチェル、振付はセルジオ・トルーヒヨが担当。2015年夏にシカゴでトライアウトを行った後、10月からブロードウェイのマーキス劇場にてプレビューを開始し、11月に開幕した[3]。
2022年には娘エミリーや孫と共演したクリスマス・アルバム『エステファン・ファミリー・クリスマス』を発表。
人物
[編集]夫婦共に親日家で新婚旅行は熱海温泉。1990年には松田聖子の全米進出アルバム『Seiko』にプロデューサーとソングライターとして参加。
NFLのマイアミ・ドルフィンズの少数株主でもある[4]。
レストランの運営も行っており、現在はオーランドのキシミーでエステファン・キッチンという名前の店を運営している。
ディスコグラフィ
[編集]オリジナル・アルバム
[編集]- Eyes of Innocence(1984年) (Miami Sound Machine)
- Primitive Love(1985年) (Miami Sound Machine)
- Let It Loose / Anything for You(1987年) (Gloria Estefan and Miami Sound Machine)
- Cuts Both Ways(1989年)
- Into the Light(1991年)
- Mi Tierra(1993年)
- Christmas Through Your Eyes(1993年)
- Hold Me, Thrill Me, Kiss Me(1994年)
- Abriendo Puertas(1995年)
- Destiny(1996年)
- Gloria!(1998年)
- Alma Caribeña(2000年)
- Unwrapped(2003年)
- 90 Millas(2007年)
- Miss Little Havana(2011年)
- The Standards(2013年)
- Brazil305(2020年)
- Estefan Family Christmas (2022年)
ベスト・アルバム
[編集]- Greatest Hits (1992年)
- Greatest Hits Vol.2 (2001年)
- The Very Best of Gloria Estefan (2006年)
- The Essential Gloria Estefan (2006年)
代表的なシングル
[編集]- コンガ (1985)
- リズムでゲット・ユー (1987)
- エニシング・フォー・ユー (1988)
- 1-2-3 (1988)
- ドント・ウォナ・ルーズ・ユー (1989)
- ゲット・オン・ユア・フィート (1990)
- カミング・アウト・オブ・ザ・ダーク (1991)
- ターン・ザ・ビート・アラウンド (1994)
- リーチ (1996)
- ユール・ビー・マイン (パーティー・タイム) (1997)
- オイエ (1998)
- ラップト (2003)
日本公演
[編集]脚注
[編集]- ^ Mendez, Chris (31 January 2020). “Gloria Estefan Performs at the Super Bowl in 1992”. PopSugar. 31 July 2024閲覧。
- ^ “スピルバーグ監督に文民最高位の「大統領自由勲章」”. 日刊スポーツ (2015年11月17日). 2015年11月17日閲覧。
- ^ 歌手グロリア・エステファンの半生を描いたミュージカルがブロードウェイで上演へ(シアターガイド、2014年8月19日)
- ^ “ジェニファー・ロペスの夫、NFLドルフィンズに出資”. ロイター (2009年7月23日). 2010年5月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- Gloria Estefan (@GloriaEstefan) - X(旧Twitter)
- Gloria Estefan (@gloriaestefan) - Instagram
- Gloria Estefan - YouTubeチャンネル
- エステファン・キッチン 公式サイト
- グロリア・エステファン 日本語公式ホームページ