ミルトン・フリードマン
シカゴ学派 | |
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Friedman in 2004 | |
生誕 |
1912年7月31日 ニューヨーク州ブルックリン |
死没 |
2006年11月16日(94歳没) カリフォルニア州サンフランシスコ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
研究機関 |
フーバー研究所 (1977–2006) 全米経済研究所 (1937–40) |
研究分野 | 経済学 |
母校 |
コロンビア大学(Ph.D.), 1946 シカゴ大学(M.A.), 1933 ラトガーズ大学 (B.A.), (1932) |
影響を 受けた人物 | |
論敵 | |
影響を 与えた人物 | |
実績 | 価格理論, マネタリズム, 応用マクロ経済学, 変動相場制, ヴォランティア・ミリタリー, 恒常所得仮説, フリードマン・テスト |
受賞 |
ジョン・ベイツ・クラーク賞 (1951) ノーベル経済学賞 (1976) 大統領自由勲章 (1988) アメリカ国家科学賞 (1988) |
署名 | |
情報 - IDEAS/RePEc |
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シカゴ学派 |
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Portal:経済学 |
ミルトン・フリードマン(英: Milton Friedman、1912年7月31日 - 2006年11月16日)は、アメリカ合衆国の経済学者。古典派経済学とマネタリズム、政府の失敗と市場経済の優位性を主張しケインズ的総需要管理政策を批判した。ケインズ経済学からの転向者。共和党支持者。1976年、ノーベル経済学賞受賞。
20世紀後半におけるマネタリスト、新自由主義を代表する学者として位置づけられている[1]。戦後、貨幣数量説を蘇らせマネタリストを旗揚げ、裁量的総需要管理政策に反対しルールに基づいた政策を主張した。
1970年代までは先進国の各国政府は、「スタグフレーション」に悩んでいた。フリードマンは、スタグフレーションのうちインフレーションの要素に対しての姿勢や政策を重視した。経済に与える貨幣供給量の役割を重視し、それが短期の景気変動および長期のインフレーションに決定的な影響を与えるとし、金利はマネーサプライ変動の結果であり金利操作は意味がなく、中央銀行の役割はマネーサプライを安定させる事であり、当時のアメリカのインフレーションや日本の狂乱物価はマネーサプライの過大な伸びによると説いた。貨幣供給量の変動は、長期的には物価にだけ影響して実物経済には影響は与えないとする見方であり、(貨幣の中立性[1])、インフレーション抑制が求められる中で支持された。
1976年、これらの主張により、ノーベル経済学賞を受賞した[1]。
経歴
[編集]ハンガリー東部(現在はウクライナの一部となっているザカルパッチャ州Berehove)からのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれる。父親は仲買人、労働者で、定職はなく、仲買人としては、工場から商品を仕入れ、小売業社に転売していた。家は非常に貧しく、今の水準で言えば完全な貧困層だったが、福祉国家が成立する以前の遠い昔、移民たちは、親戚や民間の慈善団体以外、誰にも頼らず自分の力だけで生きて来た、と回想する[2]。1歳のときにニュージャージー州のローウェーに引っ越す。アンドリュー・カーネギーが建てた図書館に通い、本を読みあさった。12歳までは熱狂的なユダヤ教徒だったが、13歳の頃には完全な不可知論者になっていた。 15歳の時に父が心臓発作で死亡、15歳で高校を卒業し、州の奨学金を得、ラトガーズ大学に進学、ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」を読み、リバタリアニズムの思想に触れる。数学を専攻するつもりだったが、シカゴ大出で、後にセントルイス連銀時代にアメリカの経済政策に絶大な影響を及ぼすホーマー・ジョーンズ、後にNEBR調査部長、FRB議長となるアーサー・バーンズという有力な経済学者がおり、強い影響を受けた。世界恐慌の惨状を目にしたこともあり、ジョーンズの推薦で、シカゴ大学院で経済を専攻し、1年で修士を取得した。シカゴではロイド・ミンツから貨幣数量説を教えられ、研究課題としてケインズの「貨幣改革論」(1923)の貨幣数量説に影響を受ける。さらに、コロンビア大学に移り、ホテリングに師事したほか、制度主義や実証主義などシカゴとは異なる方法を学ぶ。シカゴでの1年間の助手を経て1935年、連邦政府の国家資源委員会に就職。過去最大規模の個人所得、消費の全国調査の立案と実行を担当。1937年、バーンズの推薦で全米経済研究所(NBER)に勤務、サイモン・クズネッツの助手として働く。また、1938年、アーロン・ディレクターの妹であるローズ・ディレクターと結婚し、一男(デイヴィッド・フリードマン)一女をもうけた。1941年、財務省に勤務し、モーゲンソー長官の側近として原稿執筆、議会での証言、源泉徴収税制度の導入などに関わる。1943年、コロンビア大学構内にあった政府の諮問機関、統計調査グループ(SRG)に移り、応用数学者、統計学者として、対空砲や原爆の起爆装置の設計に関与する。また、逐次解析の開発に大きな功績を残す。1946年、クズネッツと共同執筆した「独立的専門職からの所得」によりコロンビア大学から博士号取得。同年、シカゴ大教授。同年、オスカー・ランゲの論文を「実際に起こりえる事実で反証できない理論は、予測の役に立たない」と批判、現実の予測よりも数理モデルの精緻さを重視する「コールズ委員会」と学内で主導権を争い、1953年、「実証的経済学の方法論」を執筆。同年、「変動為替相場擁護論」を発表。当時はほとんど誰も実現可能とは考えなかったが、シカゴ大にいて後にニクソン政権の財務長官となるジョージ・シュルツにかなりの影響を与えた。1955年、コールズ委員会はイエールに移転[2]。
後に反ケインズ的裁量政策の筆頭と目されるようになったが、大学卒業後の就職難の最中で得た連邦政府の職は、ニューディール政策が生み出したものであった(国家資源委員会における大規模な家計調査研究は、クズネッツの助手として全米経済研究所で行った研究と併せて、後の『消費の経済理論』と恒常所得仮説につながった[3])。後に振り返って、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは、緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとし[3]、大恐慌の要因を中央銀行による金融引締に求める研究を残している。ただし、第二次世界大戦が終わって、連邦政府の職を離れるまでは、自身の経済学上の立場は、一貫してケインジアンであった。
1969年、リチャード・ニクソン政権の大統領経済諮問委員会で、変動相場制を提案[4]した(後にニクソンとは決裂している)。また、1975年のチリ訪問や1980年から中国を訪問するなど世界各国で政策助言を行ったことでも知られ、特に「資本主義をみたければ香港に行くべき」と香港を称えており[5]、香港の積極的不介入を自由経済の最適なモデルと評価した[6]。日本では、1982年から1986年まで日本銀行の顧問も務めていた[7]。
シカゴ学派のリーダーとして、ノーベル経済学賞受賞者を含め多くの経済学者を育てた。マネタリストの代表者と見なされ、政府の裁量的な財政政策に反対した。政府の財政政策によってではなく、貨幣供給量と利子率によって、景気循環が決定されると考えた。また、1955年には、教育バウチャー(利用券)制度を提唱したことでも知られる。これは公立学校に市場原理を導入することで競争を促し、公教育の質の向上を図ろうとするものであり、各国における公立学校選択制の導入に大きな影響を与えている。主著は『A Monetary History of the United States, 1867-1960』、『資本主義と自由』。
1951年ジョン・ベーツ・クラーク賞、1967年米経済学会会長、1976年にノーベル経済学賞を受賞。1986年に保守派の中曽根康弘内閣から「勳一等瑞宝章」、1988年にはフリードマンが支持した右派のロナルド・レーガンからアメリカ国家科学賞と大統領自由勲章を授与される。
2006年11月16日 、心臓疾患のため自宅のあるサンフランシスコにて死去。94歳。
思想・主張
[編集]シリーズからの派生 |
アメリカ合衆国の 保守主義 |
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政治ポータル |
自由主義 |
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リバタリアニズム |
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フリードマンはリチャード・ニクソンとロナルド・レーガンを熱烈に支持した[8]。ニクソン、レーガンともに、50年代にジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」に全面協力した人物である。この段階で、フリードマンの思想が「新」自由主義であるかどうかに疑問符がつく。ただし、フリードマンが政権の顧問を一時務めていたニクソンについては、「我々はもうみんなケインジアンだ」(もともとはフリードマンに由来し、実際のニクソンの言葉は「私はもう経済学で言うケインジアンだ」とされる[9])と有名な発言をしてケインズ政策を行ったため、フリードマンは激怒し、「史上最も社会主義的な大統領」であると猛烈に批判することとなった。また、軍事独裁政権アウグスト・ピノチェトが大統領時代のチリを支持し、訪問もした。ピノチェトの独裁で数千人の死者と、それを上回る行方不明者が出た。フリードマンの弟子の「シカゴ・ボーイズ」はチリに入り、ピノチェトの経済政策についてアドバイスをした。しかし、経済が低迷しのちにはピノチェトですら、彼らの意見に耳を傾けなくなった。フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済の設計である。フリードマンは、あらゆる市場への制度上の規制は排除されるべきと考えた。そのため、公正な民主主義を支持する人々は、フリードマンを新自由主義(Neo Liberalism)、反ケインズ主義(アンチ・ケインジアン)の筆頭格として批判した。フリードマンは元ケインズ主義からの転向者であり、後述のようにその貨幣数量説はケインズの影響によるものであり、理念の一部はケインズと共通点もあった[10]。
フリードマンは、基本的には、市場に任せられるところはすべて任せるが、いくつか例外があり、自由主義者は無政府主義者ではないとして[11]、政府が市場の失敗を是正することを認める[12]。また、中央銀行の仕事だけは市場に任せるわけにはいかないという考えであり、中央銀行を廃止して、貨幣発行を自由化する、金本位制のように外部から枠をはめるような制度を作るといった代案を提示している[11]。フリードマンは、景気循環に対応した、景気の安定のためには財政政策も裁量的な金融政策も頼りにならず、長期的な目的のために金融政策を形成すべきであって[13]、連邦準備銀行がマネーサプライを一定の割合で機械的に増やせば、インフレなしで安定的な経済成長が見込めると述べており(Kパーセントルール)[14]、コンピュータに任せてもよいとした[15][16]。なお、フリードマンはジョン・スチュアート・ミルの思想を継承した個人主義者であり、市場はメカニズムに過ぎず、我々の信念や価値を最も効果的にかつ、他人に対する介入を最小限度にして表現できるメカニズムであるが、目的ではなく手段であり、目的を決め、善悪を行うのはあくまでも個人であり、邪悪な人々が市場を利用すればその市場が悪い結果を生み出すのを避けることが出来ないとする。市場メカニズムを自己目的化した市場原理主義者ではない[17]。
財政政策批判
[編集]政府によって実施される財政政策は、財政支出による一時的な所得の増加と乗数効果によって景気を調整しようとするものである。しかし、フリードマンによって提唱された恒常所得仮説[18] によると、一時的な変動所得が消費の増加に回らないため、ケインジアンの主張する乗数効果は、その有効性が大きく損なわれる。そのため、恒常所得仮説は、中央銀行によって実施される金融政策の復権を求めたマネタリストの重要な論拠の一つになった。また、経済状況に対する政府中銀の認知ラグや政策が実際に行われるまでのラグ、および効果が実際に波及するまでのラグといったラグの存在のために、裁量的に政策を行ってもそれは適切に機能せず、かえって不要の景気変動を生み出してしまうことからも、裁量的な財政政策を批判した。
また、増税しないで赤字国債を中央銀行に引き受けさせ、通貨の供給量を増大させることによって赤字分をまかなうのであれば、それは金融政策であって財政政策ではなく、名目所得こそ増やすがやがてインフレを促進するとしている[19]。これは恐慌時の金融政策の手段としての国債の中央銀行引受けによる財政政策の有効性を認めたとも言える。
マネーサプライとGDPの関係は実証的には示されるが、その経路の説明は流動性選好を一定とすれば、企業や消費者は余分の通貨を投資、消費しようと努力するに違いないとのことに過ぎず[20]、ケインズの指摘を待つまでもなく、恐慌などデフレ期待により流動性選好が著しく高まった状況では、マネーサプライを増やすには政府が新規貨幣を創造し、かつ直接支出するしかない。自らも貨幣数量説はケインズの「貨幣改革論」の影響によるものであり、ケインズとの違いは流動制の罠があるかどうか、それだけだとしている[21]。
フリードマンは、ケインズ政策はスタグフレーションに繋がるとし、ケインズ政策の実行→景気拡大→失業率の低下→インフレ期待の上昇→賃金の上昇→物価の上昇→実質GDP成長率の低下→失業率の再上昇というメカニズムで、結果的に物価だけが上昇すると主張している[22]。
大恐慌
[編集]フリードマンは、金本位制が問題であったと理解しており[23]、著書『A Monetary History of the United States, 1867-1960』の中で、大恐慌はこれまでの通説(市場の失敗)ではなく、不適切な金融引き締めという裁量的政策の失敗が原因だと主張した。従来、この時期には金利は低く抑えられており、金融引き締めはなかったと理解されていたが、マネーサプライは大幅に縮小していた。金融政策の失敗を世界恐慌の真因としたフリードマンの説は、現在も有力な説とされており[1]、その後の数多くの研究者が発表した学術論文によって、客観的に裏付けされている[24]。ベン・バーナンキFRB理事(当時)は、2002年のフリードマンの誕生日に「あなた方は正しい。大恐慌はFRBが引き起こした。あなた方のおかげで、我々は二度と同じ過ちを繰り返さないだろう」とこの主張を認めている[25]。ただし当時のようにデフレ期待が浸透してしまい民間事業者が投資意欲を失った状況でマネーサプライを増加させるには、国債を中央銀行に直接引き受けさせるなどして新規貨幣を創造しかつ、政府が直接支出するしかないと考えられる。実際、石橋湛山はそう提唱し、1932年蔵相高橋是清は日銀の深井英五の協力を得て国債の中央銀行引き受け、政府による時局救匡事業を実施、世界で最初に大恐慌から脱出した[26]。また、J.L.コモンズは不況期には利潤マージンが消失し、銀行家が新規貨幣を創造することに協力して借り入れる事業者などいないため、政府が新規貨幣を創造し公共事業などにより直接失業者や企業に支払わなければならないとしているのも、実質的に同じ事を示している[27]。
これらは前述のようにフリードマンによれば財政政策を手段とした金融政策とも言うべきものであり、一定の有効性を認めている。
麻薬合法化
[編集]麻薬政策について、フリードマンは、麻薬禁止法の非倫理性を説いている。1972年からアメリカで始まったドラッグ戦争(麻薬の取り締り)には「ドラッグ戦争の結果として腐臭政治、暴力、法の尊厳の喪失、他国との軋轢などが起こると指摘したが、懸念した通りになった」と語り大麻の合法化を訴えていた[28]。また、別の主張では、大麻にかぎらずヘロインなども含めた麻薬全般の合法化を主張した[29]。
主張した具体的政策
[編集]義務教育、国立病院、郵便サービスなどは、公共財として位置づけるのではなく、市場を通じた競争原理を導入したほうが効率的であると主張していた[30]。1962年、フリードマンは、著書『資本主義と自由』において、政府が行うべきではない政策、もし現在政府が行っているなら『廃止すべき14の政策』を主張した。下記を参照[31]。
- 農産物の買い取り保障価格制度。
- 輸入関税または輸出制限。
- 商品やサービスの産出規制(生産調整・減反政策など)。
- 物価や賃金に対する規制・統制。
- 法定の最低賃金や上限価格の設定。
- 産業や銀行に対する詳細な規制。
- 通信や放送に関する規制。
- 現行の社会保障制度や福祉(公的年金機関からの購入の強制)。
- 事業・職業に対する免許制度。
- 公営住宅および住宅建設の補助金制度。
- 平時の徴兵制。
- 国立公園。
- 営利目的の郵便事業の禁止。
- 国や自治体が保有・経営する有料道路。
提案・支持したアイディア
[編集]日本のバブルについての見解
[編集]日本のバブル景気について、1980年代に日銀の顧問も務めたフリードマンは「日本は、円通貨の供給を増やしてドルを買い支えた結果、通貨供給量の急増を招いた。私はこの通貨供給量の急激な伸びが『バブル経済』を引き起こしたと見ている。日本銀行は長期間にわたってこのような金融緩和路線をとり続け、納税者に莫大な損害を与えた。最後には日銀もブレーキをかけたが、今度は急ブレーキをかけすぎた。金利を引き上げ、通貨供給量の伸びを急激に抑え、深刻な景気後退を引き起こしてしまった。これはどんなによい意図から出たものであれ、不適切な金融政策は悲惨な結果をもたらし得るという最たる例だ。日銀は誤りを正すのが遅くて、そのためにリセッションを長引かせ、深刻なものにしてしまったように思われる」と指摘している[35]。
日本への提言
[編集]フリードマンは日本の「平成大停滞」でも、積極的な金融緩和政策の適用をかなり早い段階から提唱していた[36]。日本銀行政策委員会審議委員としてゼロ金利や量的緩和を考案するなどフリードマンの信奉者であったベン・バーナンキから唯一日銀幹部で「ジャンク」ではないとされた中原伸之とも連絡をとりあっていた[37]。
1998年9月11日の読売新聞でのインタビューで日本について「(景気を拡大させるために)減税と歳出削減を通じて小さな政府にする。また、日本銀行が通貨供給量を急速に増やすことが欠かせない」「日銀がもっとお札を刷り、通貨供給量の平均伸び率を5-7%程度まで引き上げることが景気回復の決め手となる。1990年から今日までの日本の状況は、1929年から1933年まで通貨供給を約三分の一減らして大恐慌となったアメリカと似ている」「財政政策で景気のテコ入れを図るケインズ主義的な手法は誤り」と述べている[38]。
ノーベル経済学賞受賞
[編集]経済学者のマーク・ブローグは「ミルトン・フリードマンが執筆した論説・書物は、あらゆる真面目な経済学研究者に研究されている。彼は、技術的な経済学への多くの貢献によって、ノーベル経済学賞を受賞している」と述べている[39]。
フリードマンは、ノーベル賞受賞を知らされたとき「これは私のキャリアの頂点ではない」「7人の委員会は、私が科学的な研究の評価を委ねる陪審員としてふさわしくない」と述べている[40]。その後、フリードマンは、考えを改め、賞金を受け取った後は喜んだとされている[40]。しかし、フリードマンは、「私は、ノーベル賞がよいことであるのかどうかについて、大きな疑問を抱いている。ただし、そのようなノーベル経済学賞についての疑問は、ノーベル物理学賞についても同じく当てはまる」と述べている[41]。
ノーベル医学賞を受賞したジョージ・ワルドは、化学賞・平和賞を受賞したライナス・ポーリングと連名で、フリードマンの受賞に反対する投書を送った[42]。フリードマンが、チリの軍事政権と密接な関係にあったことを問題視したからである[42]。医学賞受賞者のデヴィッド・ボルティモア、サルバドール・エドワード・ルリアもフリードマンの受賞に反対した[42]。
フリードマンの受賞に抗議して、スウェーデンでは、数千人規模のデモ行進が行われ、事態制圧に300人の警察官が動員された[43]。
フリードマンは反対派を弾圧し、殺害・行方不明多数のピノチェト政権のチリを訪問。1976年のノーベル経済学賞受賞時には、彼がピノチェト政権のアドバイザーと見た大衆から受賞抗議デモを受けることとなった。ピノチェトのアドバイザーは、フリードマンの弟子の「シカゴ・ボーイズ」である。フリードマンも、もちろんピノチェトを全面的に支持していた[44]。フリードマンは、チリ政府の顧問を務めたことはないとしており、1975年にチリに6日間訪れたのを最後に「一切接触を断った」と述べた[43]。フリードマンは、授賞式の日に行われたストックホルムでの抗議デモに対して、「ごろつき」だと非難し、「ナチズムの匂いが漂っており、鼻が腐りそうだ。言論の自由において、都合の悪い発言を抑え込むようなやり方は許されない」と述べた[45]。
評価
[編集]竹森俊平は、「マクロ経済学についてのフリードマンとケインズの考え方の差は意外に僅かであり、二人はともに状況を見て理論を説く。ハイエクは、それはしてはならないという立場であり、二人と大きく異なる」と評している[46]。
著作
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
単著
[編集]- Milton Friedman (1953). Essays in Positive Economics. University of Chicago Press
- 佐藤隆三・長谷川啓之 訳『実証的経済学の方法と展開』富士書房、1977年。ASIN B000J8Y2AC。
- Milton Friedman (1957). A theory of the consumption function. Princeton University Press
- 今井賢一・宮川公男 訳『消費の経済理論』巌松堂、1961年。ASIN B000JANEVI。
- Milton Friedman (1959). A Program for Monetary Stability. Fordham University Press
- 三宅武雄 訳『貨幣の安定をめざして』ダイヤモンド社、1963年。ASIN B000JAIRO2。
- Milton Friedman (1962). Capitalism and Freedom. University of Chicago Press
- 熊谷尚夫・西山千明・白井孝昌 訳『資本主義と自由』マグロウヒル好学社、1975年。ISBN 4895010848。
- 村井章子 訳『資本主義と自由』日経BPクラシックス、2008年。ISBN 4822246418。
- Milton Friedman (1963). Inflation: Causes and consequences. Asia Pub. House
- Milton Friedman (1969). The Optimum Quantity of Money and Other Essays. Macmillan
- ミルトン・フリードマン 著、新開陽一 訳『インフレーションとドル危機』日本経済新聞社、1970年。ASIN B000J9TPSU。
- Milton Friedman (1970). The counter-revolution in monetary theory. Institute of Economic Affairs
- ミルトン・フリードマン 著、内田忠夫・西部邁・深谷昌弘 訳『価格理論』好学社、1972年。ASIN B000J9TON6。
- Milton Friedman (1974). Monetary Correction: A proposal for escalation clauses to reduce the cost of ending inflation. Institute of Economic Affairs
- ミルトン・フリードマン 著、保坂直達 訳『インフレーションと失業』マグロウヒル好学社、1978年。ASIN B000J8QFZM。
- ミルトン・フリードマン 著、土屋政雄 訳『政府からの自由』中央公論社、1984年。ISBN 4120012719。新版・中公文庫、1991年
- Milton Friedman (1992). Money mischief: episodes in monetary history. Harcourt Brace Jovanovich
- 斎藤精一郎 訳『貨幣の悪戯』三田出版会、1993年。ISBN 489583123X。
共著
[編集]- Milton Friedman; Anna Schwartz (1963). A Monetary History of the United States, 1867-1960. Princeton University Press
- 抄訳久保恵美子 訳『大収縮1929-1933「米国金融史」第7章』日経BPクラシックス、2009年。ISBN 482224766X。
- Milton Friedman; Walter W. Heller (1969). Monetary vs Fiscal Policy. W. W. Norton & Company
- ウォルター・ヘラー共 著、海老沢道・小林桂吉 訳『インフレなき繁栄--フリードマンとヘラーの対話』日本経済新聞社、1970年。ASIN B000J9SSLK。
- Milton Friedman; Anna Schwartz (1970). Monetary Statistics of the United States: Sources. National Bureau of Economic Research
- ニコラス・カルドア、ロバート・ソロー共著 著、新飯田宏 訳『インフレーションと金融政策』1972年。
- Milton Friedman; Rose Friedman (1980). Free to Choose: A personal statement. Penguin Books
- ローズ・フリードマン 著、西山千明 訳『選択の自由―自立社会への挑戦』日本経済新聞社、1980年。講談社文庫(上下)、1983年。日経ビジネス人文庫、2002年
- ポール・サミュエルソン 著、西崎哲郎・石川博友 訳『フリードマンとサミュエルソンの英文経済コラムを読みとる』グロビュー社、1981年。
- Milton Friedman; Anna Schwartz (1982). Monetary Trends in the United States and the United Kingdom: Their relations to income, prices and interest rates, 1876-1975. University of Chicago Press
- Milton Friedman; Rose Friedman (1984). The Tyranny of the Status Quo. Harcourt Brace Jovanovich. ISBN 9780151923793
- Milton Friedman; Rose D. Friedman (1998). Two Lucky People: Memoirs. University of Chicago Press. ISBN 0226264157
- ジェームズ・M・ブキャナン共著 著、佐野晋一・白石典義・田谷禎三 訳『国際化時代の自由秩序--モンペルラン・ソサエティの提言』春秋社、1991年。
学術論文/動画
[編集]以下は動画
- The Power of Choice (2007) Free to Choose Media.
- Free to Choose (1980) (1990) Free to Choose.
- Free to Choose (1980) (1990) ideachannel.tv
- PRC Forum: Milton Friedman (1987) The Idea Channel.
- Milton Friedman interviewed (1991) about America's drug war.
- Monetary Revolutions (1992) The Idea Channel.
- Money (1992) The Idea Channel.
- Efforts in Eastern Europe to Localize Government (1993) The Idea Channel.
- Privatization Trends in Eastern Europe (1993) The Idea Channel.
- Health Care Reform (1992) The Idea Channel.
- Economically Speaking -- Why Economists Disagree (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 01, "What is America?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 02, "Myths That Conceal Reality" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 03, "Is Capitalism Humane?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 04, "The Role of Government in a Free Society" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 05, "What Is Wrong with the Welfare State?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 06, "Money and Inflation" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 07, "Is Tax Reform Possible?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 08, "Free Trade: Producer vs. Consumer" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 09, "The Energy Crisis: A Humane Solution" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 10, "The Economics of Medical Care" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 11, "Putting Learning Back in the Classroom" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 12, "Who Protects the Consumer?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
- Milton Friedman Speaks: Lecture 13, "Who Protects the Worker?" and Q & A (1978) The Idea Channel.
評伝
[編集]- 西山千明編「フリードマンの思想」東京新聞出版局、1979年
- ローズ・フリードマン「ミルトン・フリードマン わが友、わが夫」鶴岡厚生訳、東洋経済新報社、1981年
- ラニー・エーベンシュタイン「最強の経済学者ミルトン・フリードマン」大野一訳、日経BP社、2008年
脚注
[編集]- ^ a b c d 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、89頁。
- ^ a b 「最強の経済学者 ミルトン・フリードマン」ラニー・エーベンシユタイン
- ^ a b The Boston Globe "Nobel laureate economist Milton Friedman dies at 94" 2006-11-16
- ^ 影の主役はフリードマン 2つのニクソン・ショック ジャーナリスト 岡部直明 2014/8/12 日本経済新聞電子版]
- ^ Waldemar Ingdahl (March 22, 2007). “Real Virtuality”. The American. 2018年6月24日閲覧。
- ^ Milton Friedman and Rose Friedman (1990). Free to Choose: A Personal Statement. Harvest Books. p. 34. ISBN 0-15-633460-7
- ^ 過去の海外顧問:日本銀行金融研究所
- ^ http://www.legacy.com/ns/milton-friedman-obituary/19938148
- ^ The New York Times, January 4, 1971
- ^ 「ケインズの目的は、私と同じで、社会の幸福に貢献することだった。私は、ケインズを心から尊敬している」経済学者フリードマン(ラニー・エーベンシュタイン、大野一翻訳、日経BP社2008.1.17)P.140
- ^ a b 浜田宏一・若田部昌澄・ 勝間和代 『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』 東洋経済新報社、2010年、150頁。
- ^ 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、98頁。
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- ^ 「市場というのは、あくまでもひとつのメカニズムでしかなく、それ自体としてはどんな目的も持っておらず、市場はそれ自体として目的そのものではありません。いろいろな目的を決定するの人間だけであり、市場のいろいろな目的を決定するのはこれに参加する人間たちです。市場が全てを決定するものではないことは申し上げるまでもありません。」フリードマンの日本診断」フリードマン、西山千明ほか、講談社、1982
- ^ 消費は、現在の所得の関数ではなく、将来に亘って恒常的に得られると期待される所得(恒常所得)の関数である、とする説である。
- ^ 西山千明、フリードマン編著『フリードマンの思想』 東京新聞出版局、1979年、インタヴュー52頁。
- ^ 西山千明、フリードマン編著『フリードマンの思想』 東京新聞出版局、1979年、242頁。原著"Money and Economic Development".New York:Praeger Publishers,1973
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- ^ 竹中平蔵 『経済古典は役に立つ』 光文社〈光文社新書〉、2010年、200-201頁。
- ^ 浜田宏一・若田部昌澄・ 勝間和代 『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』 東洋経済新報社、2010年、151頁。
- ^ 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、93頁。
- ^ 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、94頁。
- ^ 深井英五『回顧七十年』 〉岩波書店、1941年、269頁。
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- ^ 江頭進『はじめての人のための経済学史』新世社、2015年、150頁。
- ^ トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、59-60頁。
- ^ 日本経済新聞社編 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、87頁。
参考文献
[編集]- 他の文化人・経済学者による著書
- 「ショック・ドクトリン」、ナオミ・クライン、岩波書店(上・下)
- 「国富論」、アダム・スミス、岩波書店ほか
- 「雇用・利子および貨幣の一般理論」、ジョン・メイナード・ケインズ、岩波書店ほか
- 「資本論」、カール・マルクス、岩波書店ほか
- 「クルーグマン教授の経済入門」、ポール・クルーグマン、筑摩書房
- 「21世紀の資本」、トマ・ピケティ、みすず書房
- 「グローバリズムが世界を滅ぼす」、エマニュエル・トッド、ハジュン・チャンほか、文春新書
- 「経済ジェノサイド フリードマンと世界経済の半世紀」。中山智香子:平凡社新書
関連項目
[編集]- グローバリズム - グローバル資本主義
- ショック・ドクトリン
- アウグスト・ピノチェト
- ジェームズ・トービン - 経済学者。フリードマンとは絶えずいろいろな場で論戦した。
- 右派
- 極右
- マネタリスト
- 新自由主義
- 反共主義
- 市場主義経済
- レッセフェール(自由放任主義)
- フリードリヒ・ハイエク
- 全体主義
- デイヴィッド・フリードマン (経済学者) - 息子。
外部リンク
[編集]- ミルトン・フリードマン 「世界の機会拡大について語ろう」 〜「グローバルビジネス」1994年1月1日号掲載 - ダイヤモンド・オンライン
- ミルトン・フリードマン Milton Friedman
- PBS フリードマン
- 若田部昌澄「ミルトン・フリードマンを論じる」経済学史学会
- 若田部昌澄「歴史としてのミルトン・フリードマン」経済学史学会
- 吉野正和「フリードマンの市場経済批判について」徳山大学
- 斉藤泰雄「M・フリードマンの 「教育バウチャー論」 再考」国立教育政策研究所
- 松尾匡「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの--フリードマンとルーカスと「予想」」SYNODOS -シノドス- 2014年1月23日
- 『フリードマン(Milton Friedman)』 - コトバンク
- ミルトン・フリードマン
- 20世紀アメリカ合衆国の経済学者
- 21世紀アメリカ合衆国の経済学者
- イリノイ州の経済学者
- アメリカ合衆国のノーベル賞受賞者
- ノーベル経済学賞受賞者
- アメリカ国家科学賞受賞者
- 大統領自由勲章受章者
- アメリカ経済学会会長
- 米国科学アカデミー会員
- シカゴ学派
- シカゴ大学の教員
- コロンビア大学の教員
- Econometric Societyのフェロー
- アメリカ統計学会フェロー
- アッカデーミア・デイ・リンチェイ会員
- 全米経済研究所の人物
- フーヴァー戦争・革命・平和研究所の人物
- マネタリスト
- アメリカ合衆国の不可知論者
- ユダヤ人の不可知論者
- 薬物政策改革活動家
- ラトガース大学出身の人物
- コロンビア大学出身の人物
- シカゴ大学出身の人物
- 東欧ユダヤ系アメリカ人
- ブルックリン出身の人物
- 1912年生
- 2006年没