Portal:災害/特集
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[編集]アラスカ大地震 (Great Alaska Earthquake, またはアラスカ地震) は、1964年3月27日に発生したアメリカ観測史上最大の規模の地震。聖金曜日に発生したことから、聖金曜日地震 (Good Friday Earthquake) の別名でも呼ばれている。マグニチュード9.2の地震の震源はアラスカ州南西部のプリンス・ウィリアム湾であった。131人の死傷者を出した。同年発生した新潟地震と並び液状化による被害が大きく、これ以降土質力学の分野で液状化現象が活発に研究されるようになった。
福岡県西方沖地震は、2005年3月20日午前10時53分に福岡県北西沖の玄界灘で発生したMw 6.7、最大震度6弱の地震である。福岡市および志摩町・前原市と周辺市町村を中心に被害が発生し、震源に近い玄界島では住宅の半数が全壊した。死者1名、負傷者約1,200名、住家全壊約140棟。福岡市付近では有史以来最も大きな地震となった。
/3 天明の大飢饉とは、江戸時代中期の1782年から1788年の天明年間に発生した飢饉である。江戸四大飢饉の1つで、日本の近世では最大の飢饉とされる。岩木山や浅間山の噴火による火山灰が日射量を低下させ、冷害を招いた。東北地方の農村を中心に、全国で数万人が餓死したと伝えられている。打ちこわし等も発生し、寛政の改革の一因となった。
根府川駅列車転落事故は、1923年9月1日に発生した列車脱線事故である。神奈川県足柄下郡片浦村(現小田原市)で、東京発真鶴行普通列車が、熱海線(現在の東海道本線)根府川駅のホームに入線しかけたところで、関東地震(関東大震災)が原因の土石流に遭遇。駅舎やホームなどの構造物もろとも海側に脱線転覆して、最後部の客車2両を残して全てが海中に没した。112人が死亡し(行方不明を含む)、13人が負傷した。
東アフリカ大旱魃は2010年から2012年まで東アフリカを襲った大規模な旱魃。「過去60年間で最悪」とも言われており、ソマリア、エチオピア、ケニアと近隣諸国が影響を受け、食糧不足により1200万人以上が生活を脅かされた。旱魃がひどい地域と食糧危機が発生している地域は必ずしも重ならない。飢饉の被害は内戦が激しい南部ソマリアが特にひどく、住民の多くは隣国のケニアとエチオピアに逃れているが、人口密度の高さ、不衛生、栄養失調により、合わせて25万人超が死亡した。
アメリカン航空587便墜落事故は、2001年11月12日にアメリカン航空のエアバスA300-600型機がジョン・F・ケネディ国際空港を離陸直後に墜落した航空事故である。上昇中に前方を飛行するボーイング747の後方乱気流に遭遇した際に副操縦士が方向舵を過剰に操作したことで、垂直尾翼に設計時の想定を超える空気力荷重がかかり、胴体との接合部が破壊され尾翼が分離した。操縦不能に陥った事故機は住宅地に墜落し、爆発炎上した。搭乗者260人全員と、地上で巻き込まれた5人が死亡した。事故調査の結果、副操縦士の不要で過剰な操作が事故原因であり、それを引き起こした背景にはアメリカン航空が実施していた非現実的な訓練シナリオと、エアバスA300-600型機のペダルの軽い操作性があったことが明らかとなった。
東北地方太平洋沖地震は、2011年3月11日14時46分ごろに、日本の三陸沖の太平洋を震源として発生したMw9.0の地震である。震度7を記録し、9.3m以上の津波が観測されるなど、東日本一帯に甚大な被害をもたらした。死者・行方不明者は合わせて2万名以上。また地震と津波により福島第一原子力発電所事故も引き起こされ、それに伴う放射性物質漏れと土壌・海洋汚染、および長期の避難が問題となった。被害を総称して東日本大震災および3.11と称される。
重症急性呼吸器症候群(SARS〈サーズ〉)は、SARSコロナウイルス (SARS-CoV) によって引き起こされるウイルス性の呼吸器疾患である。2002年11月から2003年7月にかけて、中華人民共和国南部を中心に起きたアウトブレイクでは、広東省や香港を中心に8,096人が感染し、37ヶ国で774人が死亡した(致命率9.6%)。このアウトブレイク終息後は、封じ込め宣言後いくつかの散発例があったが、現在に至るまで、新規感染報告例は無い。なお、2019年末から2020年にかけて流行が見られる新型コロナウイルス感染症とは別の病気である。
感染症の歴史は生物の出現とその進化の歴史とともにあり、有史以前から近代までヒトの疾患の大きな部分を占めてきた。医学の歴史は感染症の歴史に始まったといっても過言ではない。感染症は、民族や文化の接触と交流、ヨーロッパ世界の拡大、世界の一体化などによって流行してきた。 病原体(病原微生物)について、それを人類が初めて見たのは、形態的には1684年のオランダのアントニ・ファン・レーウェンフックの光学顕微鏡による細菌の観察だといわれる。レーウェンフックの顕微鏡の改良により、細菌を肉眼で容易に観察できるようになった。