ティン・マシーン
ティン・マシーン | |
---|---|
ジャンル | ロック |
活動期間 | 1988年 - 1992年 |
レーベル |
EMI Victory Music |
メンバー |
デヴィッド・ボウイ リーヴス・ガブレルス トニー・セイルス ハント・セイルス |
ティン・マシーン (Tin Machine)は、イギリスのロック・バンド。ソロ・ミュージシャンとして活動していたデヴィッド・ボウイを中心に結成された。
略歴
[編集]1988年、デヴィッド・ボウイ(ボーカル、ギター)、リーヴス・ガブレルス(ギター)、トニー・セイルス(ベース)、ハント・セイルス(ボーカル、ドラムス)により結成。このバンドを結成した理由としては、『レッツ・ダンス』以降のビッグ・セールスとゴージャスなサウンドというイメージからの脱皮を図るためである。バンド結成にあたり、「もう過去の作品は歌わない」とボウイとしての音楽活動の封印を宣言した。
1989年5月、ファースト・アルバム『ティン・マシーン』をリリースし、賛否両論あったものの一定の評価を得る。同作に伴うツアーは、敢えて小規模の会場を選んで行われた。その後バンドは、ボウイがソロ名義でワールド・ツアーを行うため活動を一時中断する。
1991年9月、セカンド・アルバム『ティン・マシーンII』をリリース。同作は、セールスも評価も大きな成果は挙げられなかった。10月より大規模なワールド・ツアーを行うが、1992年2月17日の日本武道館公演が、バンドとして最後のライヴとなり[1]、ボウイは封印を解いて再びソロ活動に専念する。1992年7月、ライヴ・アルバム『ティン・マシーン・ライヴ oy vey,baby』発表。
3枚目のアルバム『ティン・マシーンIII』を製作する構想はあったものの実現はしていなく、正式な発表はないものの実質的には解散となった。この件に関しボウイは「メンバーの私的な問題で終わってしまったけど、これは僕が話すことではない」と黙秘しているが、1975年のボウイのスタジオアルバム、『ヤング・アメリカンズ』に参加し、その後長きに渡ってボウイのパートナーを務めたカルロス・アロマーによるとドラマーのハント・セイルスがドラッグ中毒でバンドが何度も苦境に陥り、そのことでボウイが激怒したというのが理由らしい[2]。
長いボウイのキャリアにおいて、再評価の兆しはなく、音楽的・商業的にも失敗と見られがちである。
作品
[編集]アルバム
[編集]- ティン・マシーン - Tin Machine(1989年)
- ティン・マシーンII - Tin Machine II(1991年)
- ティン・マシーン・ライヴ oy vey,baby - Tin Machine Live oy Vey, Baby(1992年)
シングル
[編集]- Under the God(1989年)
- Heaven's in Here(1989年)
- イギリスではシングル・カットされていない
- Tin Machine/Maggie's Farm (live)(1989年)
- 両A面シングル。「Maggie's Farm」はボブ・ディランのカヴァー
- Prisoner of Love(1989年)
- You Belong in Rock N' Roll(1991年)
- Baby Universal(1991年)
- One Shot(1991年)
- 日本やドイツでシングル・カットされた[1]
- Baby Universal (live)(1992年)