VAZ-2101 (自動車)
VAZ-2101 | |
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フロント | |
リア | |
概要 | |
別名 | ラーダ・1200(輸出名) |
販売期間 | 1970年 - 1989年 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン | 直列4気筒ガソリン・OHVまたはDOHC |
最高出力 | 64 hp |
最大トルク | 8.9kgm |
変速機 | 4/5速MT・3速AT |
サスペンション | |
前 | 独立 ウィッシュボーン コイル |
後 | 固定 トレーリングアーム パナールロッド コイルマクファーソンストラット コイル |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,424 mm |
全長 | 4,073 mm |
全幅 | 1,611 mm |
全高 | 1,382 mm |
車両重量 | 955 kg |
その他 | |
最高速度 | 142km/h |
累計生産台数 | 約1500万台 |
系譜 | |
後継 | VAZ-2105 |
VAZ-2101(ヴァース-2101)は、旧ソビエト連邦の自動車メーカー、アフトヴァースによって1970年から1988年にかけて生産・販売されたフィアット・124のライセンス生産車である。アフトヴァース初の生産車種となる。
同社はVAZ-2101の発売により、ゴールデンマーキュリー賞を受賞した。2000年に自動車雑誌が実施した調査では、20世紀最高の国産車に選ばれた。
VAZ-2101は、1970年から1982年までほぼ変更が加えられる事なく製造され、小変更が加えられたVAZ-21013は1988年まで製造された。
本項では便宜上、ステーションワゴン仕様の「VAZ-2102」についても記述する。
概要
[編集]ソ連および東側諸国の道路事情に合わせ、後輪にアルミ製ドラムブレーキを採用し、フィアット製エンジンを廃止し、NAMI製エンジンを搭載するなど、多数の変更が加えられた。NAMI製エンジンは現代的なオーバーヘッドカムシャフトであったが、フィアットでは採用されなかった。サスペンションも悪路走行を想定し、高められた。
ボディシェルはより頑丈な鋼鉄で設計されたが、耐久試験中にひび割れが発見されたため、シャシが補強された。初期型はシベリアの寒冷地でのバッテリー上がりの対処としてスターティング・ハンドルが装備されていたが、後に廃止された。寒冷地での運転支援として、手動式の補助燃料ポンプが装備された。
アフトヴァースのエンジニアによって変更された部品の一部は、本家フィアット・124ベルリーナの最終型にも採用された。(例: シャーシ。フィアットでは、この変更が加えられたモデルが「124R」として販売された。「R」は「ロシア」の略。)
なお、比較的簡素な設計であったため「壊れやすくも修理しやすい」という評価が多かった[1]。
その後もアフトヴァースでは、1971年にフィアット・124ファミリアーレのライセンス生産車のVAZ-2102、1972年にフィアット・124スペシャルのライセンス生産車のVAZ-2103が登場。これらのモデルは「ジグリ」が正式名称で[1]、「VAZ-○○○○」は型式の様なものである。由来はトリヤッチ工場近くにあるジグリ山塊である[1]。
また、当時としては圧倒的に安価な価格設定であった事から「コペイカ」の愛称でも呼ばれた[1]。
歴史
[編集]1966年8月16日、イタリアの自動車メーカー、フィアットらとの協力で、ソ連に自動車工場を建設する計画が開始され、当時の共産党党首とフィアットの会長が仲が良かったため実現し[1]、フィアット・124ベルリーナのライセンス生産車としてVAZ-2101が発売された。開発当初は「ラーダ」の名で呼ばれた[1]。また、西側諸国にも広く輸出された。1979年に後継車のVAZ-2105、VAZ-2104、VAZ-2107が登場したが、1988年までは国内市場向けに継続生産された。
フィアットとのライセンス契約では、利益率の高いイタリアでの販売を禁じられており、それに加え、フィアット・124ベルリーナと競合する市場での販売も禁じられていた。しかし、フィアット・124ベルリーナが廃止され、後継車のフィアット・131ミラフィオーリが登場した1974年から西ヨーロッパへ輸出が開始された。1989年までラーダ・1200、ラーダ・1300、ラーダ・1200S、ラーダ・2101の名で輸出され、低価格の「飾り気のない車」として位置づけられた。イギリスでは1974年5月に979ポンドで発売され、1983年にリーヴァが登場するまで販売され、イギリスで販売された最初のラーダ車とあった。
初年度は22,000台が生産され、1973年までに生産能力は660,000台に達した。1973年12月21日には販売台数が100万台に達し、1974年には150万台に達した。
VAZ-2102
[編集]1971年にフィアット・124ファミリアーレのライセンス生産車としてVAZ-2102が登場[1]。
内部機関などの基本設計もVAZ-2101と共通[1]。ソ連ではVAZ-2101と同じく「ジグリ」の名で販売されたが、型式がVAZ-2102であることから「ドヴォイカ」の愛称で呼ばれた[1]。
輸出仕様は「コンビ」の名で販売された[1]。
VAZ-2101との相違点としては、テールランプの形状が異なる。積載量は250kg。後部座席はフラットにする事が可能で、貨物輸送も可能に設計された。
1971年から1986年にかけて、合計67万台が生産された[1]。
バリエーション
[編集]VAZ-2101
[編集]- VAZ-2101(1970年 - 1982年)
- VAZ-21011(1974年 - 1981年)
- VAZ-21012(時期不明)
- VAZ-21013(1977年 - 1988年)
- VAZ-21014(時期不明)
- VAZ-21016(1976年 - 1981年)
- VAZ-21018(1978年)
- VAZ-21019(1983年頃)
VAZ-2102
[編集]登場作品
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Soviet Conquest of Space(別館 ソ連ロータリーエンジン乗用車) - ウェイバックマシン(2012年1月21日アーカイブ分)
- アフトヴァース社公式サイト (ロシア語)