Wエース
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Wエース(ダブルエース)は、かつて存在した東京漫才のコンビ。昭和40年代末から平成にかけて活動していた。
略歴
[編集]1965年、初代となるWエース結成。当時のメンバーは望谷けんじと九々八十一。この初代が解散後の1967年、後に丘エースとなる青空国松とコンビ結成、この時のコンビ名は「青空七松・国松」(望谷が「青空七松」と改名)、間も無くして二人とも丘エース、谷エースと改名、コンビ名も2代目となる「Wエース」となった。勝手に改名した為、丘の師匠のコロムビア・トップは漫才コンクール優勝まで破門扱いにしていた。
1972年にはNHK新人漫才コンクール優勝。漫才コンクール受賞時は「ぼやき電話」等のぼやきネタだったが、その後丘が蘊蓄を谷に喋るが、谷の方が質問するにつれ、丘の付け焼刃がばれる「逆転漫才」を得意とした。
1980年の真打ち昇進時に「幸せぼくろ/お前一人にするものか」の両方A面のレコードを発売した。
2003年11月12日に丘エースが60歳で、その約3か月後の2004年2月26日に谷エースが61歳で、相次いで胃がんで亡くなった。
2023年1月13日のNHKラジオ第一「ナイツ プレゼンツ 真打ち競演 名演集」で、過去に真打ち競演に出演した時の音源が流れた。
メンバー
[編集]- 谷エース(たに - 、本名:田村典文、1943年2月24日 - 2004年2月26日) ツッコミ担当。大阪府出身。
弟子
[編集]参考文献
[編集]- 「東京漫才列伝」(東京新聞出版局、2002年)
脚注
[編集]- ^ 『ザ・漫才協会ファンブック』主婦の友社、2023年。
- ^ “nikkansports.com > 芸能TOP > 芸能ニュース”. web.archive.org (2004年2月28日). 2021年1月19日閲覧。
- ^ “立ち飲み処 ひととなり”. Instagram. 2024年7月29日閲覧。
- ^ “〜ホッピー浅草ナイト その1(2)〜”. 看板娘ホッピーミーナの Hoppy Happy Bar. ニッポン放送. 2024年7月29日閲覧。 “『立ち飲み処 ひととなり』ねづっちさんの師匠であるWエース・谷エースさんの息子さんがやっているお店だそうです。”