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Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/過去ログ3

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「ウィキペディアは未成年者を保護するための検閲をしていません」について

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この表現では、検閲しなくてよいというふうにも捉えられかねませんので、「ウィキペディアは未成年者を保護するための検閲をしていません(ただし、保護しなくていいといっているわけではありません!)」に変更した方がいいと思いますがどうでしょうか?それと、あちこちに性風俗情報等、未成年にとっても、公序良俗上も、また法律の観点からも好ましくない情報がはびこっていますが、削除するべきではないでしょうか? --Kwsk 2007年6月13日 (水) 08:28 (UTC)

Kwskさんの文言によるとWikipedia側の義務が過剰に強調されているようですが、検閲のための専門組織があるわけでなく、またWikipediaが著作権やプライバシー等々ではなく、未成年を保護するという観点での積極的な検閲を要求される筋合いはないのでは?Wikipediaに18禁ルールなど無いはずだが。--58.95.142.253 2007年6月13日 (水) 08:40 (UTC)
著作権に関する法律があるなら、わいざつ物陳列に関する法律もあるわけで、あくまで法律の範囲内で記述あるいは利用すべきだと思います。Wikipediaは当然相互検閲ですよ、専門組織があるわけないじゃないですか。18禁ルール?というのは58.95.142.253さんが考えた言葉ですか?--Kwsk 2007年6月13日 (水) 09:15 (UTC)
ワタクシが考えた言葉です。法的に問題がある記事や画像なら、問題なく削除すべきだと考えます(そのについては詳しくありませんが)。一方「検閲」となれば、これは意味が違います。GooのWeb辞書によると「基準や規程にあっているかどうかを調べあらためること(三省堂提供「大辞林 第二版」より)」Wikipediaの記事では⇒検閲。基準を決めなければ検閲できません。Wikipediaに未成年保護のための検閲基準があったかどうか・・・(見たことが無い・・)。ワタクシの理解するところでは、法的に問題がある、とまで言えないグロやポルノは各記事のノートで議論して、必要に応じて削除する方針でよいのでは?百科事典として、性行為SM (性風俗)などの記事を積極的に除去すべきかどうか、ちょっと分かりません。むしろ「Wikipediaは未成年の閲覧に適さない内容を掲載すべきではない」というのは過去に議論のない、新規の提案かと考えます。アダルト情報関連の告知テンプレートは存在します--58.95.142.253 2007年6月13日 (水) 09:42 (UTC)
お返事ありがとうございます。とりあえず、節題を上記のように変更したい(「ただし保護しなくていいといっているわけではありません」)のですが、これだと検閲という言葉が入っていませんのでよろしいでしょうか?記述内容の制限(検閲じゃなくて)については今後の課題だと思いますが、少なくとも法律に沿うべきでしょう。「百科事典として、性行為SM (性風俗)などの記事を積極的に除去すべき」だとは申し上げておりませんが、現在、問題のある記事内容が存在しているのは確かだと思います(たとえば、性風俗店で受けられるサービス内容や、過去に存在した少女ポルノモデルの名前など・・)。--Kwsk 2007年6月13日 (水) 10:07 (UTC)


ふむふむ。Kwskさんが本文で投稿された内容が即座にリバートされた理由は、投稿された内容が「Kwskさんの見解の表明」に見えたからではないでしょうか。
  • 『ウィキペディアは未成年者を保護するための検閲をしていません』(事実の説明)
  • 『保護しなくていいといっているわけではありません!』(見解の表明)
問題は「誰が」その見解の表明者であるか、でしょう。Wikipediaのコミュニティとして意見を表明するには合意が必要です。提案は提案としてノートに記載しておいて、他の方の議論を待つのが手でしょうか?項目を改めて正式に提案するのも手だと考えます。Wikipedia:井戸端などのコミュニティもあるようです。--58.95.142.253 2007年6月13日 (水) 11:35 (UTC)
ワタクシは個人的には現行の表現で必要十分だと考えます。Wikipediaでは(法に反しない限りにおいて)未成年を保護する必要はないというのがワタクシの意見です。一方、グロ画像やエロ画像に関する「投稿倫理規定」のようなものは必要かな、と前々から感じているのですが、そのあたりの議論は起こすのが面倒で・・・(;´Д`)誰カタノム・・・--58.95.142.253 2007年6月13日 (水) 11:35 (UTC)
いや、私が言いたいのは今の表現では、(保護する必要がない)→(倫理上問題のあることでもどんどん記述できる)、という方向に進まないか危惧しているということです。実際、一部でそのような傾向も見られますし・・。反対がなければ、そのように記述したいのですが、どうでしょう?--Kwsk 2007年6月14日 (木) 03:34 (UTC)

反対です。

例えばKwskさんの挙げてらっしゃる「性風俗店で受けられるサービス内容」は私には問題のある記事だとは思えません。 すくなくとも、Kwskさんのいう「倫理上問題のある記事」では無いはずです。 場合によっては、民俗学的にも興味のある内容でしょう。 風俗店の宣伝になっているなら問題ですが。

「倫理上問題のあることでもどんどん記述できる」のは、皆で編集するという性質上仕方がないでしょう。 法律に反する内容は別ですが。

219.35.139.100 2007年6月30日 (土) 14:59 (UTC)

このあたりは専門家の方の参加なり意見なりが欲しい所ですね。我々素人が安直に想定するより、より厳格に法令なり条例なりの規制にかかる可能性がありそうな「倫理的にグレー」な投稿はありそうです。倫理的な判断をwikipediaに求められるのは、wikipediaの組織体制(匿名・有志)として困難でしょうから、厳格に出典の明示をもとめるなり、著作権やプライバシー(画像などの場合)を求めるなどの対処を要求するスタンスで臨むのが良いのではなかろうか、と。--125.205.9.64 2007年6月30日 (土) 16:10 (UTC)

「倫理上にグレー」な記事と、「法律的にグレー」な記事は別物だと思います。 「法律的にグレー」な記事を書くべきではないのには同意ですが、 「倫理上にグレー」な記事を取り締まるルールを作るのは反対です。

219.35.139.100 2007年6月30日 (土) 16:24 (UTC)

もうめんどくさいからWikipedia名前空間は全部半保護にしちまえとか思った。--Nekosuki600 2007年6月30日 (土) 17:22 (UTC)

コメント有難うございます。私も書き急いでしまったせいでマズイ表現になり、おっしゃるようなご指摘を受けるのももっともだと思います。私の申し上げたいことは要するに、「未成年の保護をするための検閲をしていません」などと書くと、悪い方に解釈されるんじゃないかと懸念しているということでして、その悪い方への解釈を防ぐためにちょっとした一文があってもいいんじゃないかと思います。そこで、219.35.139.100 さんが書かれた文章を利用して、「法律的にグレーで判断がつかないような内容な記述については、注意する必要があります。」という一文を添えたいのですが、どう思われますか?
ついでに、風俗店のサービス内容で問題だと思ったのは、たとえば「本番行為がある」などいう記述で、これは売春防止法上どうなのかなぁと思った次第です。--Kwsk 2007年7月2日 (月) 13:42 (UTC)
表現の禁止(処罰)と行為のソレとは違いますよ。日本では、表現の上ではヒトは殺し放題です。--125.205.9.64 2007年7月2日 (月) 15:12 (UTC)
いえ、そうではないでしょう。危ない書き方をする人間は、それに応じたリスクがあることを覚悟しないといけませんよ。よく週刊誌の記事などで表現の自由を確保するために確信犯的に法を犯した書き方をすることがありますが、出版社がたびたび法廷の場に呼び出されるのはご存知のとおりです。--Kwsk 2007年7月3日 (火) 12:52 (UTC)

返事が遅れてすみません。

>たとえば「本番行為がある」などいう記述で、これは売春防止法上どうなのかなぁ

売春防止法の項目を見る限り、たぶん問題なしです。

>「法律的にグレーで判断がつかないような内容な記述については、注意する必要があります。」という一文を添えたいのですが、どう思われますか?

私はとくに異論は無いです。

219.35.139.100 2007年7月10日 (火) 12:03 (UTC)

あ、お返事ありがとうございます。実は、最初は編集する気マンマンだったのですが、まわりをいろいろ見回してみるとWikipediaというものが(管理者も含めて)いかに法的リスクに無頓着かということを痛感しまして、正直愛想をつかしてしまいました。なので、私はもう関わらないことにします。ついでに売春防止法の件ですが、数年前、吉原のソープランドを紹介していたホームページが摘発されたというニュースがあったものですから、ちょっと気になっただけです。--Kwsk 2007年7月10日 (火) 15:12 (UTC)
法律を気になさるなら、ここよりも「Category:ウィキペディアと法律」近辺で議論を持ちかけてみるとよいかも知れません。
wikipediaを去られるのは残念です。まぁ、私も何度と無くwikipediaを去ろうと思ってもいつの間にかこうして関わってしまっているのですが。
219.35.139.100 2007年7月10日 (火) 15:38 (UTC)

「TVやラジオで見聞きしたことを書く場ではありません」

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Wikipedia:検証可能性の観点から、百科事典編纂プロジェクトであるところのウィキペディアが「何でないか」、ということを明確にするため、標題の一文を追記したい。--Album 2007年8月7日 (火) 15:06 (UTC)

Wikipedia:検証可能性は、検証可能であるべきであると書いてあるだけで、検証可能でなければならないとは書いてません。必要なら{{要出典}}をつけるなり、ノートで議論して記述を消すなりすればよいので、wikipediaのルールとして「TVやラジオで…」とまで書く必要はないと思います。219.35.139.100 2007年8月14日 (火) 16:00 (UTC)
少なくとも、検証不能なものを積極的に記述させることを許すものではないでしょう。--meekcharat 2007年8月14日 (火) 16:59 (UTC)

要出典を貼れば良い、というのは恐ろしい思い込み、です。下記はウィキペディアのプロジェクトリーダーの言葉であり、英語版では公式な方針です。

これはいくら強調しても足りないことだが、一部の編集者の間には、「どこかで聞いた」などといった推測の域を出ない擬似情報の類には「要出典」タグを貼ればよいといった恐ろしい思い込みが見られる。ちがう、ちがう。ソースが出せない擬似情報は積極的に(aggressively)取り除くべきものなのだ。

--Album 2007年8月16日 (木) 13:03 (UTC)


これは突っこみすぎの命題ではなかろうか。Wikipediaは『TVやラジオで見聞きしたことを』信頼できる文献を調査しながら記述しても良い。『TVやラジオで見聞きしたことのみで』なら分かるが、やや不整合か。--125.202.236.250 2007年8月16日 (木) 22:38 (UTC)

紙の媒体でないTVやラジオなどを「検証可能」な出典、または「信頼できる情報源」とみなしてよいかどうかについては、ウィキペディアの公式方針においては明確にはされておらず、方針の解釈をめぐり、「Wikipedia‐ノート:検証可能性#「テレビ番組の検証可能性」の追加提案。」などでも議論になっています。TVやラジオなどの情報源を出典とするかしないかはウィキペディアの執筆に大変大きな影響を及ぼすものなので、方針の適用についてコミュテイの合意が得られていない現時点で、公式方針であるここに「TVやラジオで見聞きしたことを書く場ではありません」という文を追加するのは控えるべきだと思います。--モトカル 2007年8月16日 (木) 23:46 (UTC)

「ウィキペディアは政府広報ではありません」の追加について

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「ウィキペディアは政府広報ではありません」について、2007年6月8日に突如追加されたように思われますが、どこかに議論した形跡はありますか? [1] 公式な方針のページを議論無く追加するのは問題ではないんですか?「大きな変更を加える場合は、先にノートページで提案してください」とも書いてあるし。 また「ウィキペディアは演説をする場所ではありません」の小項目「いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありません」と内容がさほど変わらないような気がするのですが、わざわざ書く必要があるんですか?ご説明ください。Uma 2007年8月14日 (火) 23:00 (UTC)

どなたもご説明いただけないようなので、来週一杯をもって削除したいと思います。Uma 2007年9月2日 (日) 06:36 (UTC)
以上、反対意見が提示されませんでしたので、削除いたします。Uma 2007年9月16日 (日) 00:50 (UTC)

復帰すべき内容。役人を特別視し役人の言うことやることに盲信する人がいる為いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありませんだけでは無理。--ULTRA-MUSIC-POWER 2007年11月8日 (木) 07:04 (UTC)

復帰の必要はないと考えます。1.1.7「ウィキペディアはいかなる団体の公式サイトでもありません」で十分でしょう。政府を妄信する人がいたとしても、Wikipediaがその読者を擁護しなければならない義務はありません。重要なのは中立性・検証可能性・独自研究の排除です。--125.205.188.24 2007年11月8日 (木) 07:22 (UTC)

「ウィキペディアは辞書ではありません」

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「辞書」を「字引」に変えてみました。 一つはWikipedia:ウィキペディアは字引ではないと言葉を統一する為。いまひとつは「百科辞典」の事を「辞書」と言ってしまう場合もある為「辞書」という言葉だと文意が不正確になる為です。

あと、「~の場ではない」と「~の場所ではない」が混在していたので、「~の場所ではない」に統一しました。

とくに大きな変更ではないと思われるので、とりあえず変更しましたが、何かありましたら、どうぞ。219.35.139.100 2007年8月15日 (水) 14:52 (UTC)

広辞苑によれば、下記のとおりです。
  1. 「字引」とは、①「漢字を集め、系統的に分類し~ 」、②辞書に同じ。
  2. 「辞書」とは、①「ことばや漢字を集め、一定の順序に~ 」
あなたに言いたいのですが、言葉を自分のフィーリングでとらえないで、調査して、出典を伴って提案して欲しい。思いつきで「公式な方針」を書き換えないで欲しい。そういうことです。自分の意見ではなく、出典に語らせて下さい。--Album 2007年8月15日 (水) 14:58 (UTC)
言葉に無知なIPが戻したようですが、明日戻すことにします。私は。(IPの編集は「大きな変更」というより、「誤認識による改悪」です。単なる「草案」に「公式な方針」の言葉を合わせる馬鹿がどこにいるのか)--Album 2007年8月15日 (水) 15:01 (UTC)

あなたこそrevertせず、ノートに明記すればよかったのでは? こちらは「差戻しは批判があってからでもよい」→批判があれば差し戻してもよいと考えていたわけですから。 理由を明示せずにrevertされたので再revertしたまでです。

無知だの馬鹿だと煽ってみたり、あなたの行動はこちらを苛立たせる事を目的としているとしか思えません。 冷静な行動を心がけてください。

  1. Albumさんの言いたい事がよく分からないのですが、広辞苑の例だと「字引」、「辞書」の双方に「漢字」が入っています。「漢字」を強調された理由が分かりません。「ことば」が入ってない事を主張したいのですか?
  2. もとは英語の「dictionary」の翻訳です。そして「dictionary」の翻訳には「辞書」、「字引」の両方がでています。(ジーニアス大英和)。「辞書」が正しい訳だとする根拠を教えてください。

私の主張は、『「辞書」は「辞典」、「事典」、「字引」に分類される』(大辞泉)とあり、百科「辞典」も「辞書」に入ってしまうので、「ウィキペディア百科辞典は辞書でない」は自己矛盾になってしまうのが嫌なわけです。

まぁ「字引」の方も多義で「字典」、「辞典」、「辞書」の意味があります(大辞泉)が、「字引学問」や「字引と首っ引き」のような慣用句からして、暗に「短い解説からなる」の意味が含意されてるように思います。

よって正しい翻訳は「字引」ではないでしょうか。

219.35.139.100 2007年8月15日 (水) 15:08 (UTC)

よくお調べになっていますね。敬意を表します。昨夜の非礼はお許し下さい。ところで、「ウィキペディア百科辞典」とお書きになっていますが、正しくは「ウィキペディア百科事典」です。ディクショナリーではなく、エンサイクロピーディアです。
さまざまな市販の辞書で様々な定義が示されていることは認めます。ただし、ここはウィキペディア百科事典ですから、ウィキペディア上の「百科事典」、「辞書」、などの定義や説明をご確認下さい。ウィキペディア内で、矛盾なく字義を合わせたい、という意図は素晴らしいものと思います。また明日参ります。--Album 2007年8月16日 (木) 12:54 (UTC)

すでにわたし自身の意見・根拠は書きつくしたつもりです。 あとはAlbumさんの意見はどうかだけです。

賛成であれば、めでたく終わり。 賛成でないならばAlbumさん自身ははどのような意見であるか、 私の意見のどこが間違っていると思うか、 そしてそれはどのような理由・根拠によるのかを具体的に明示してくださると幸いです。 (前回、今回とも、Albumさんの意見がいまいちよく分からないので)。

私の意見をまとめ直しますが、 英語版の「Wikipedia is not a dictionary」というのは、 「ウィキペディア・エンサイクロピーディアはディクショナリーではない」の意味でしょう。 エンサイクロピーディア=百科事典は問題ないとして、 ディクショナリーのほうは、どうやら「短い解説からなる」の意味が含意されているらしい「字引」が適切だと思われます。 よってこれを「ウィキペディア(百科事典)は字引ではない」と訳すのが適切だと思います。

219.35.139.100 2007年8月16日 (木) 14:31 (UTC)

このように有意義な検討をさせていただいて感謝しています。しかし、ご提案には賛成出来ません。『書』と『典』は違うものだからです。
理由として、大きく四つあります。お読みいただけますでしょうか?--Album 2007年8月17日 (金) 12:59 (UTC)
  1. 大辞林にあるように[2]典と典は違うものだからです。「ことてん」⇔「ことばてん」。
  2. ウィキペディア百科事典(×辞典×)の「百科事典」の項目、および「辞書」の項目が、上記の説を採用して明確に区別して説明しているからです(統一性)。(「ことてん」⇔「ことばてん」。)
  3. 「短い解説からなる」ことも区別の一つの要素ではありますが、「辞書」の解説は短いとは限りません。用例のみ連ねていけば充分に長くなりますし、事実そのような辞書も多くあります。学習用英和辞書などは良い例でしょう。辞書には例文が多く載っている項目がありますが、ウィキペディア百科事典はそのような例文(あるいは対義語・シソーラス)を書き連ねる場ではない、ということです。
  4. 「辞書」と「字引」は同じと解説する出典を複数挙げられます。そうであれば、わざわざ記載を変える意味も失われます。


1.2ですが、私が最初に「百科事典」を「百科辞典」と間違った事と関係してるっぽいですね。 なので、「事典」を調べた上で論旨を直します。(結論は同じ)。

  • A. 『「辞書」は「辞典」、「事典」、「字引」に分類される』(大辞泉)
  • B. 「事典」は「百科事典」や「専門語辞典」などの…(大辞泉)

Aより「事典は辞書の一種」なので「百科事典は辞書でない」は矛盾。
Bより「事典」には「字引」の意味は無いっぽいので 、「百科事典は字引でない」は矛盾しない。

よって「ウィキペディア(百科事典)は辞書でない」より「ウィキペディア(百科事典)は字引でない」の方がよい。

3.ですが、私の言い方が言葉たらずでした。

  • 字引学問:一つ一つの文字や言葉を知っているだけで、活用する事を知らない学問。深くは無い表面的知識。(大辞泉)
  • 字引と首っ引き:一語一語字引を引きながら努力して読んだり調べたりするさま。(大辞泉)

というわけで字引で得られるのは、「深くは無い表面的知識」で「本を読むとき一語一語調べるのに適しているような知識」である分けです。 なので字引は解説が短かったり、浅かったり、あるいは単なる例文集に過ぎなかったり、そういうものなのでしょう。 よって「ウィキペディア(百科事典)はdictionaryでない」は「ウィキペディア(百科事典)は字引でない」の意味だと思われます。

4.ですが、Albumさんにとって「どちらでも同じ」なら、なぜ変える事に反対なのですか? 同じなら変えてもいいはずですが。(揚げ足をとりたいのではなく、単純に理解できないので)。 少なくとも私(と大辞泉)にとっては両者は違うので変えたいわけです。

219.35.139.100 2007年8月17日 (金) 16:16 (UTC)

しばらく眺めておりました。

えーと、「事典」「辞書」「辞典」あたりの区別は、それなりのインテリの間では常識なのでしょうけれども、無知蒙昧なやつらにとっては自明のことではありません。で、インテリの間でのみ対話をするのなら「Wikipediaは辞書ではありません」でも十分に通用すると思うのですが、無知蒙昧なやつらに通用するかどうかというと、きわめて疑問です。なので、おれは「字引」に一票。なんてのかな、無知蒙昧連中は、おそらく「字引」という言葉を知らないと思うのですよ。知らなければ、少なくとも混同を引き起こすことはないと思うのです。

そいから、えーとかなり余計なお世話なんだけれども。Wikipediaの方針をめぐっての議論をするのならば、IPで参加するのではなく、できればアカウント取ってからやってほしい。「誰と対話をするのか」ってけっこう重要だし、IPよりはアカウントの方がそこのところの把握がしやすいからです。219.35.139.100さん、よろしく、強く前向きにご検討ください。--Nekosuki600 2007年8月17日 (金) 17:22 (UTC)

今日は、このためだけに図書館に行ってきました(苦笑)。で、ひとつひとつ行きますが、今日は疲れて飲んじゃったので、特によく読まないと理解出来ないかもしれません(飲酒編集、平にご容赦)。
  1. まず、1について。「日本国語大百科」(全13巻+索引)で調べると、「辞書」と「事典」は完全に別項目で峻別されています。そもそも成り立ちから違うのです。その他、「大辞林」やその他ぶ厚い辞書の数々を繰っても、「辞書」と「事典」は別項目で重なり合うことがありません。唯一、大辞泉だけが事典・字引などを束ねる概念として「辞書」を挙げていますが、その文章はご存知のとおり否定形で帰結しています。辞書としては珍しくその文章で「独自の観察」を披露していることはご存知のことと思います。ともかくこの件に関して大辞泉は、唯一といって良いほど、他の辞書群と違っています。もちろんウィキペディア百科事典とも相違しています。
  2. それから2について。ウィキペディア内の「百科事典」の項目などとの整合性についてはご回答いただいていないと思います。
  3. それから3について、です。字引って見たことがありますか?今は「字引」とつく書籍はほとんど無いはずです。「字引」はですね、基本的に「漢字にふりがなを振ったもの」です[3]。実際のところ、です。辞書で意味を読むとまた違うかもしれませんが、私は字引を使ってきた世代なので(笑)。。アマゾンで「字引」を検索してもなかなか出ないけれど、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで「字引」を検索すると、山ほど「漢字にふりがなだけふったもの」が出てきます。意味を調べるというより、字引は文字通り「読みから漢字を探り当てるもの」が基本です。
  4. なぜ反対するのか、は3もからんできますが、このように「字引」は今の人にはなじみにくいでしょう。「字引ではない」といわれても、いまや「字引」は暮らしの中に無いのですから。
ざっと挙げた以上の理由から、「辞書ではない」を支持します。それから、「辞書ではない」を「字引ではない」に変える事は、基準を「ゆるく」するようにも感じています。「字引ではない」だけでは、用例や発音、シソーラス、「まつわることわざ」や「ブラックユーモア」の流入を防ぎきれないと思います。大げさかもしれませんが、いまでもゆるいのに、より「ゆるく」なることに賛成出来ません。--Album 2007年8月18日 (土) 14:34 (UTC)
字引って、「書籍のカテゴリ」というよりは「ある種のデータの使い方」を意味する言葉なんじゃないでしょうか。んで、「字引、というタイトルの書籍」は確かにないかもしれませんが、「字引として使われる場合があるもの」は山ほどあるような気がする(極端なこと言っちゃえば、パソコンの漢字変換辞書だって字引として使われたりする)。
そして、「Wikipediaは、字引ではない」という言いかたは、「字引程度にしか役に立たないような痩せた項目をWikipediaに立てるんじゃねーぞ」という意味あいを含むように思う。
あと、タイトルで「禁止範囲」が決まるわけじゃなくて、その後の説明で決まるわけでしょう。「基準をゆるくする」というのは、大げさというか、考えすぎじゃないかと思います。--Nekosuki600 2007年8月18日 (土) 14:49 (UTC)
字引って、「書籍のカテゴリ」というよりは「ある種のデータの使い方」を意味する言葉なんじゃないでしょうか。』ってあたりを、感覚で「こうではないか?」と疑問形で言うのでなしに、そこを図書館で調べて確定して欲しいんです。そうでないと議論も出来ないし、「字引」の認識が利用者の中でそろわないと、わざわざ変えてまで使える見込みが出て来ないです。お時間を差し上げますので、そのあたりを図書館で調べてみて下さい。--Album 2007年8月19日 (日) 09:26 (UTC)
字義的な位置づけにこだわって、ひとり「わたしは納得しないぞ」とAlbumさんがおっしゃってるだけのように見えるんですよね。まあ、この議論はおれを含めて3人しか参加していないような気がするわけだけれども。そして、「辞書でなければならない」という主張にとって、図書館にいっていろいろ辞典字書類を調べてきてその定義を並べるというのは説得材料にならないんじゃないかと思い、堂々巡りを打破するために介入してみたわけですが、結局ダメなようだなあ(ためいき)。
この議論をおれはひととおり読んだけれども、おれは「字引ではない」という表現の方が問題行動を引き起こしがちな方には伝わると考えたし、なぜ「辞書ではない」でなければならないのかについての説明を読んだ記憶もないのです。そういう観点から、あらためて説得方法を考え直してみてはくれませんか。--Nekosuki600 2007年8月19日 (日) 09:49 (UTC)

実際に初心者子供な私としては字引~の方が分かり易いのですが? 後「お時間を差し上げますので」だと読んでいて見下している感じがするので辞めた方が良いのではないですか?-- 2007年8月19日 (日) 11:58 (UTC)

1.について:疑うわけではないですが、「唯一」というなら、調べた文章を全て載せてください。
で、言われて調べてみたんですが、「唯一」というわりに、うちの「マイペディア」には、「辞書=辞典」で「辞典」は「事典」の一種として解説されています。
まぁ、家にあるやつ確認しただけなんで、知りませんけど。
2.について:Albumさんは『単なる「草案」に「公式な方針」の言葉を合わせる馬鹿がどこにいるのか』と人を馬鹿よばわりなさっていたはずですが…。そんな方が、ルールの草稿どころか一般記事にすぎない「百科事典」との統一にどうして拘っているのか分かりません。「百科事典」との統一も重要ですが、それ以上にルールであるこのページをどうするかのほうが重要でしょう。
3.について:『基本的に「漢字にふりがなを振ったもの」です』という証拠をお願いします。あと、「字引と首っ引き」、「字引学問」についても触れてください。
4.について:最近使われない言葉だからこそ変な思い込みによる誤解が無くてよいと思います。
あと、「辞書」だとブラックユーモアが防げて「字引」だと防げないというのも、いまいち意味不明ですし、それこそ根拠となる文献が欲しいところです。Albumさんは「字引」を使ってたそうですが、Albumさんの使ってた「字引」はブラックユーモア集ではないのでは?

>そいから、えーとかなり余計なお世話なんだけれども。Wikipediaの方針をめぐっての議論をするのならば、IPで参加するのではなく、できればアカウント取ってからやってほしい。

了解です。ただ、今回の議論に関しては、今から変えると逆に混乱しそうなので、今回だけは御了承のほどを。219.35.139.100 2007年8月19日 (日) 15:44 (UTC)

…と思いましたが、とりあえず取るだけ取りました。219.35.139.100 = Giant2007 2007年8月19日 (日) 17:02 (UTC)

ひとつ残念なお知らせがあります。昨晩、私がさんのノートに「ようこそ!」の挨拶をしたところ、別のID「」さんから「ご挨拶ありがとう」との返事がありました。挨拶をしたのはに対してだけでしたので、変だな、と思ってさんのノートを見ますと、この方はPeachLoverさんから、「のっけからこんなことを申して申し訳ないのですが、wikipediaは「百科事典」であり、「辞典」「辞書」ではありません。ですから、総動員のように言葉の意味だけを記すようなことは、望まれていません。ガイドブックなどをよくお読みの上、楽しくご参加下さい」と注意を受けています。どうもこの議論は、この「」から発せられているように思います。申し訳ないのですが、「」さん、「」さん、「219.35.139.100」さんが同一IPでないか、UCの依頼をしたいと思うのですが、同意いただけるでしょうか?--Album 2007年8月20日 (月) 13:36 (UTC)

多重投票や議論撹乱をやらない限り、複数のアカウントを持つことや使い分けることは禁じられていませんよ(おれはその方針に同意するものではないが)。CUをして責任追及をすべきなのは、同一人物が複数のアカウントを多重投票・議論撹乱に使った場合です。今回、どこに多重投票・議論撹乱があったのでしょうか(あったのならば、CUに賛成するにやぶさかではありませんが、必ずしも賛成すると確約するものではありません)。--Nekosuki600 2007年8月20日 (月) 16:03 (UTC)

それから内容について。219.35.139.100さんは上で、『「マイペディア」には、「辞書=辞典」で「辞典」は「事典」の一種として解説されています』とおっしゃっていますが、「辞書」を引くと矢印で「辞典」に導かれるのはそのとおりとしても、その「辞典=(辞書)」の実際の記載はこうです。

じてん【辞典】

辞書、字引とも。単語を配列し、その発音,、語形,語義,用法等を解説したもの。専門的内容の事柄を説明する事典,文字(表意文字)の語義,音を記述する字典とはふつう区別される。

このとおり、「事典」と、「辞書,辞典」はふつう区別されます。「事典」⇔「辞書,辞典,字引」。したがって「ウィキペディアは辞書ではありません」は真、です。--Album 2007年8月20日 (月) 14:25 (UTC)

無い腹を探られても痛くないので、同一性のチェックは必要なら、どうぞ。(「私≠茜さん」と「私≠社さん」のチェック。「茜さん≠社さん」のチェックに関しては当人達の確認を取ってください)。

『マイペディア』の件は申し訳ありません。「区別される」の部分を見落とした為、誤読してました。これに関しては完全に当方のミスです。

あと、2~4への反論に対する再反論もお願いします。

加えてこちらからの再反論ですが、Albumさんの議論は論点がずれてませんか?
Albumさんが証明しようと試みているのは
『「事典」⇔「辞書,辞典,字引」。だから「ウィキペディアは辞書ではありません」でもよい』ですよね?
という事は、まったく同じ論法によって
『「事典」⇔「辞書,辞典,字引」。だから「ウィキペディアは字引ではありません」でもよい』も言えると思うのですが。

てなわけで、Albumさんの論法は「辞書でも字引でもOK」って事を示しただけで、
「辞書と字引のどちらがベターか」という議論とは、たいして関係がないと思うのですが。

「辞書」の方がよい積極的理由、もしくは「字引」ではダメな積極的理由を挙げてください。
(私の方はすでに「字引」のほうがよさそうな積極的理由として「字引学問」云々を挙げているので)。

219.35.139.100 2007年8月20日 (月) 15:59 (UTC)

どうも。
もしあなたがIPとアカウント・複数のアカウントの使い分けをして議論誘導をしていたりしたらおれは墓穴を掘ることになるのだが、今の段階でそういう心象はないんで(いや、可能性が皆無だとは思っていないのだが。おれとAlbum氏の分断を狙いそうなやつがいなくもないんで(=^_^;=))。いちいち挑発に乗らないでほしいんだな~。粛々と本論を進めればそんでいいと思うんだ。よろしくどうぞ。--Nekosuki600 2007年8月20日 (月) 16:07 (UTC)
たしかに。申し訳ないです。指摘を受けて、文章を穏当なものにかえました。219.35.139.100 2007年8月20日 (月) 16:09 (UTC)

私も謝ります。いろいろと申し訳ありません。そして、「誰が正しいか」ではなく「何が正しいか」という路線で話をさせてください。--Album 2007年8月21日 (火) 14:20 (UTC)

今日調べたことを書きます。辞書に詳しい方なら「新明解国語辞典」のことはご存知かと思います。この辞書には『字引』の定義、説明がこのように記述されています。

【字引】

「字書、辞書」の意の通俗的(昔風)な表現

この「昔風」というのは実態とも合っていて、現在、アマゾンなどの通販サイトで「字引」をキーワードにして出てくる書はほとんど無いに等しいと思います。それに対して、国立国会図書館のHPの「近代デジタルライブラリー[4]」において『字引』のキーワードで検索すると、明治時代以降、大正時代までのものが、なんと1000冊以上出てきます(内容も確認することが出来ます)。ご覧いただけますでしょうか?(ご質問のあった「字引と首っ引き」等に関しても別の出典を用意して、回答の準備を済ませてはありますが、今日は疲労が激しく、明日にさせてください)。--Album 2007年8月21日 (火) 14:20 (UTC)


一応上に私の事が出たようなので書きますが、PeachLover氏の所にも書きましたが、始めたばかりで記事が上手く書けないだけですので(書式もわからないけど...)、それに関してPeachLover氏より注意されただけですから、それを見て「どうもこの議論は、この「」から発せられているように思います。」と言うのは議論のすり替えなので止めた方が良いのでは?後、多重投票・議論撹乱もした記憶も無いので(主観ですが)UCは拒否したいと思います。

ちなみに私の考えは、言葉の意味よりも語感の方が効果が有るのではないか?です。(実際にそこを勘違いしてPeachLover氏より注意を頂きましたが....)-- 2007年8月22日 (水) 04:58 (UTC)

どうも。今は「誰がどうした」ではなく「何が事実か」に焦点を当てたいので、深追いは今はしません。少なくとも「茜」さん=「社」さん、ということで良いですよね?それから、「分からないからUCがある」ということなので、もちろん確信などは無いですよ。ただ貴殿の投稿履歴を2007年8月7日の(最古)から拝見して、いろいろ思うところがある、というだけでです。・・・しかし、「人」のことは今は忘れて、「調べたこと」に、以下焦点を当てます。--Album 2007年8月22日 (水) 13:49 (UTC)
個人的意見ですが、「誰がどうした」ではないのは当然として、重要なのは「何が事実か」ですらなく、「どうしたらwikipediaの運営に取って最適か」という合理的判断だと思います。まぁ、字義を軽視してはしょうがない事には同意ですが。219.35.139.100 2007年8月22日 (水) 18:27 (UTC)

『字引』という昔風(新明解国語辞典)の表現が適正かどうかという議論の中で、『字引と首っ引き』という表現が紹介されました。この『字引』という用語は、いわゆる一冊物の辞書では類語の「辞書」の項目に誘導されたりすることが多いです。で、もっとしっかりした国語辞典として『日本国語大辞典 第二版』という国語辞書の親玉みたいな全13巻+索引一冊の辞典があるのですが、ここでは、もちろん『字引』は独立項目として詳述されています。

【字引】 ①(字引)漢字を集めて、あらかじめきめられた一定の順序に並べ、その発音・意味などを説明した書物。字書。字典。

これだけでなく、この語の初出が1789年であることも記載されています。 それから、『字引と首っ引き』も初出を含めて詳述されており、二葉亭四迷の用法で次のようなものが紹介されています。

【字引と首っ引き】 「父は教育といっても、昔の寺子屋教育ぎりで、新聞も漢字字引と首引(クビッピキ)で漸く読み覚えたという人だから」(1907年)

このように、『字引』は昔風(新明解国語辞典)であり、また日本語で字引といえばまず「漢字を集めたもの」であるため、「ウィキペディアは字引ではありません」は、広い世代には受け入れがたい、ということをご理解いただければ、ありがたいのですが。。。このほか、もちろん『字引学問』も独立項目として紹介されていますが、紹介すると長くなるばかりです。静観しているであろう管理者の意見も、そろそろお伺いしたいところです。(長く続けるのも、もちろん歓迎ですが・・・このノートの消費はこれ以上・・)。--Album 2007年8月22日 (水) 14:18 (UTC)

念のために言っておきたいのだが、Wikipediaの管理者というのは「判断する者」でも「裁定する者」でもなく、「管理権限が必要な作業をやる者」なのであって、こういったケースで管理者の判断や裁定を求めるのは間違っています。管理者裁定を求めるくらいなら、まだ多数決をやってみるとかの方がプロトコルの選択として正しい。
で、字義的な情報を積み重ねてもそれはあなたの説への賛同者を増やすことにはならないのではないか、とおれは前に述べたと思います。現状、「なにがなんでも辞書でなければならぬ、字引と書くのは間違いだ」という考えに基づいて主張をしているのはAlbumさんだけのように思う。「説得ができなかったときは、諦めて引く」「どうしても我慢がならないときは『Wikipediaなんか馬鹿ばっかし』と捨て台詞を残して撤退する」というあたりは、こういう合意形成型プロジェクトに参加するのだったら当然の選択肢だと思うのだが(当然なのだが、「自分は正しい、としてどこまでもがんばる」というのは、選択肢としてあり得ません。それじゃNetaと同じようなダークサイドに落ちることになっちゃいますよ)。--Nekosuki600 2007年8月22日 (水) 17:24 (UTC)
裁定を求めているのではなくて、活動経験を他の編集者から認められている人(管理者)の意見を聞きたい、ということのみです。参加者が少ないと思うので。それから、「NETAと同じようなダークサイドに落ちる」とは、私の解釈では「出典を調べるという行為をせず、ただ一つのネタ(香山リカ)を繰り返し書いて固執する」ということです。NETAは「自分で新しいものを調べる」「本当だろうか?」と確かめる、「本当のことを調べ続ける」ということが出来ない人でした。彼女には「意見」はありましたが「出典」がありませんでした。私の考える「NETAらしさ」とは、「出典ひとつの繰り返し」、です。--Album 2007年8月23日 (木) 12:20 (UTC)

昨日、今日と出張だったので、返信が遅れてすみません。 「字引は古風なので、あまり適していない」という意見にはある程度納得ですし、 「ある世代にとっては「字引」はかえって誤解を与える」という主張も納得です。

ただ、じゃぁ「辞書」が適切か、というと、それも疑問に感じます。 例によって大辞泉によると、事典という言葉はたしかに「語義の解説を主とする辞典と異な」るものですが、 それは「1931年に平凡社が「大百科事典」を出した時に一般的になった」ものだそうです。

逆に言うと、1931年までは事典の意味で辞典を使っていた事になります。 ですから、「ある世代にとっては「辞典」も誤解を与える」事になりますし、 現在でも(学者さんや知識人でない、wikipediaの平均的利用者が)事典と辞典をきっちり 使い分けているかどうかは疑問です。(いや、証拠を出せと言われると困りますが)。

なので、「wikipediaは事典であって辞典ではありません。事典と辞典の違いは…」とするのがよいのかも知れません。 こうすると、「事典」を「辞典」と区別したかった(らしい)平凡社の意図が反映されて、 しかも誤読される心配もありません。

落としどころとしては、この辺りが適当かと。

219.35.139.100 2007年8月22日 (水) 18:09 (UTC)

「字引」という単語が、古いものであり、世代によっては誤解を招く、という点はご理解いただいたようで、ありがたいことです。
新しい出典を付け加えます。ここの議論参加者に限らず、日本語入力に「Microsoft IME」をお使いの方も多いことと思います。この日本語変換ソフトは変換候補がドロップダウンで表示することが出来ます。この変換で「じしょ」を入力すると、候補に「辞書」が出ますが、何と書いてあるでしょうか?

【辞書】 (言葉)「英和辞書」

【字書】 (漢字)「漢字辞書」=辞書

それでは、「じてん」を変換すると何と出てくるでしょうか?

【事典】 (事物)「百科事典」

【辞典】 (言葉)「英和辞典」

このとおり、【「事典」(事物) ⇔ 「辞書」「辞典」(言葉)】という関係が保たれています。出来るだけ違う解釈は避けるべきと思います。インターネット百科事典上では。--Album 2007年8月23日 (木) 12:20 (UTC)
いまいち何を言いたいかよく分かりません。
私の提案は「wikipediaは辞書ではない」を「wikipediaは事典であって辞典ではありません」にするというものでしたが、
これに対して反対(?)っぽいのは分かるのですが、具体的にどのような理由で反対なのでしょう。
上の記述は反論になってない気がするのですが。
219.35.139.100 2007年8月23日 (木) 12:44 (UTC)

私の言葉足らずでしたか・・・。一日に二度は書きたくなかったのですが。上記の、【「事典」(事物) ⇔ 「辞書」「辞典」(言葉)】をご覧いただけますか?ほぼ同じ意味である「辞書」を「辞典」という言葉に変える意義とは何でしょうか?前述の『日本国語大辞典 第二版』という国語辞書の親玉みたいな全13巻+索引一冊の辞典によれば、「辞典」とは以下のようなものです。「辞典」とは辞書の呼び方の一種です。辞書=辞典。・・・また明日・・。--Album 2007年8月23日 (木) 13:08 (UTC)

【辞典】 (名)辞書①のやや新しい呼び方。明治以降、辞書名に用いられるようになった。

反対理由になっていません。 「辞書と辞典は意味が違うから変えるな」なら分かりますが、意味が同じだと思っているなら、なぜ変える事に反対なのでしょう。 前にも似たような事を書きましたが、Albumさんにとって「辞書」と「辞典」が同じであるなら、「辞書」を「辞典」に変えてもよいはずですが。

反対する為の反対みたいなのは困ります。 議論と言うのは皆の妥協点を見つける為にやるものであって、つまり相手を説得する為にある分けです。 ですので、それ相応の合理的反論をお願いします。

反対である積極的理由をお願いします。 つまり、「辞書」のままにする事で具体的にどのような利点があるか、 「辞典」に変える事でどのような具体的にどのような不利益があるかを提示してください。

219.35.139.100 2007年8月23日 (木) 14:50 (UTC)(私の提案の方の詳しい理由は長くなるので、また今度)

「辞典」は「辞書」の一部だからです。そして「辞書名」で利用される「名前」でしか無いからです。「字引」も同様です。上記の「辞書①のやや新しい呼び方。」だからです。辞書②が入らない。よく読んで下さい。「辞書①のやや新しい呼び方。」「辞書①のやや新しい呼び方。」
そして「辞書名」とはすなわち「商品名」です。一般的通念で言われる辞書が商品化されたとき、「辞典」の名で売られることがある、という意味です。--Album 2007年8月23日 (木) 15:03 (UTC)

【辞典】 (名)辞書①のやや新しい呼び方。明治以降、辞書名に用いられるようになった。

まず確認ですが、さきほどは「ほぼ同じ意味である「辞書」を「辞典」という言葉」と書いてあり「ほぼ同じ」説を取っていたと思うのですが、 これは言葉のあやで、本当は大きく違うと思っている、という事でよいですね?

  1. ①、②が具体的に何であるかを書いていただかないと、意味が取れないので、お書きくださると幸いです。
  2. その短い記述から「辞書名」=「商品名」だと断定するのは、根拠が薄すぎる気がするのですが。「辞典」を商品名でなく一般名詞として使っている例も簡単に見つけられますよ。例えば「国語辞典」や「英和辞典」は明らかに一般名詞であり、商品名ではないでしょう。
  3. なるべくなら論旨を明確にする為、「結論、理由、証拠」の3段構えでお願いします。「証拠」となる日本国語大辞典の記述だけを書いていただいても、どういう「結論」のどういう「理由」にたいする「証拠」なのかがこちらには分からないので、意味が取れないです。

219.35.139.100 2007年8月23日 (木) 15:10 (UTC)

「辞書」と「辞典」は、大きく違うわけではないですよ。まず、辞書という概念があり、その中に辞典があり字引も内包されている、ということです。ただ少し出典が多すぎて、論が不明確になったかもしれませんね。あらためてシンプルに組み立てなおしましょう。しかも貴殿がお持ちのマイペディアだけで論を立てましょう。月曜日まで待っていただけますか?ここまで毎日続けすぎましたから。--Album 2007年8月24日 (金) 10:37 (UTC)
>『辞書という概念があり、その中に辞典があり字引も内包されている』
前回の『「辞典」とは辞書の呼び方の一種です。辞書=辞典』とは御意見が変わっている気がしますが…。
いや、変わる事自身はかまわないのですが、意見が変わった場合は明示的に「変わった」と言っていただかないとこちらが議論について行けないので。
>『月曜日まで待っていただけますか?』
了解です。では月曜日に。「結論、理由、証拠」の3段構えにしていただけると幸いです。219.35.139.100 2007年8月24日 (金) 13:25 (UTC)


私の意見としては、辞書に内部リンクを付ける事を(不可能でないなら)提案したいと思います。-- 2007年8月22日 (水) 21:57 (UTC)

もうちょっと解説してみて下さい。意味がとれませんでした。--Album 2007年8月23日 (木) 12:20 (UTC)
私も意味が取れませんでした。「wikipediaは辞書ではない」とする、という意味でしょうか? 219.35.139.100 2007年8月23日 (木) 12:44 (UTC)

219.35.139.100氏の書いた「wikipediaは辞書ではない」にする事です。 理由としては、議論を読み直すと「辞書、辞典、字引」の定義が問題のようなので、リンク先はどこでもいいのですが、(解釈の仕方がいろいろなので)統一の意味も込めて「辞書または字引定義を何らかの方法でしめす。」という事です。-- 2007年8月25日 (土) 03:25 (UTC)

了解です。確かに、辞書・辞典・字引…のいずれになるにせよ、内部リンクがあった方がわかりやすそうですね。219.35.139.100 2007年8月27日 (月) 17:05 (UTC)


1.結論・2.理由・3.証拠

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今日はお約束どおり、219.35.139.100 さんが所持している「マイペディア」のみで論をシンプルに展開します。

1.結論 「ウィキペディアは辞書ではありません」という表現は適正であり、変える必要が無い。

2.理由 「マイペディア」にその根拠となる記述がある。

3.証拠 「マイペディア」に「平凡社の<大百科事典>以来<百科事典>が普及し言語辞書と区別。」との歴史をふまえた記載があるため。

明日は、「なぜ大辞泉の記述の抜書きがここでの議論に使えないか(8月28日予定)。」、明後日は「なぜ辞典ではダメなのか(8月29日予定)。」を、結論・理由・証拠を伴ってシンプルに記述します。--Album 2007年8月27日 (月) 13:46 (UTC)

いや、さっぱり分かりません。 2は単に3を略記しただけで1に対する理由になっていないし、1と3は繋がっていないし、第一私の提案に対する反論になっていないし…。

おそらくAlbumさんの言いたいのは、こうですね?

219.35.139.100の『辞書を辞典に変えるべき』という提案に対する反論は8/29まで置いとくとして、まずはその前に219.35.139.100の意見の根幹になっている『「百科事典」という言葉と「辞書」という言葉は混同されかねない』という意見に反論したい(前置き)。Albumは「百科事典」という言葉と「辞書」という言葉が混同される恐れは無いと考えており、よって「ウィキペディアは辞書ではありません」という表現を変える必要は無いと思っている(結論)。なぜ両者が混同されないかというと、「百科事典」という言葉と「辞書」という言葉は全く別の意味だからである(理由)。両者が別の意味である根拠はマイペディアの「平凡社の…」という記述にある歴史的理由である(証拠)。

で、Albumさんの意見に対する反論。いや、私も「百科事典」という言葉と「辞書」という言葉が違う意味なのは納得なのです。 私が気にしているのはそこじゃなく、「百科事典」と「辞書」の違いをwikipediaの平均的利用者が理解しているとは思えないという所です。 なので、両者の違いをよく分かっていない利用者にも誤解を与えないような表現に直したいのです。

まぁ、私の意見に対する直接的反論は8/29のようですので、詳細な議論はそのときにでも。219.35.139.100 2007年8月27日 (月) 17:05 (UTC)

ある程度ご納得いただいているようで何よりです。「百科事典」と「辞書」の違いをwikipediaの平均的利用者が理解しているとは思えない・・・に関しては、イエスとも言えるし、ノーとも言えますね。例えば、どの公式な方針であっても、平均的利用者が理解しているとは、私には思えません。私ですらどこまで理解が及んでいるのか自信がありません。だから利用者ページに公式な方針を貼り付けて、毎日どれかを読んでいるのです。また「百科事典」の項目を見る限り、事典と辞書の違いは利用者に納得されているともいえます。「辞書」の意味が分からなければ、「辞書」をウィキペディアで引けば良いだけですから。
さて、なぜ「大辞泉」がこの公式な方針の項目で使えないか、という点です。

1.結論 大辞泉の該当記述は、この「公式な方針」の出典としては受け入れられない。

2.理由 大辞泉は、辞書の分類を示すためにあの文章を示したのではなく、「明確に使い分けられているとはいえない」ということがあの文章の結論なわけです。その観察が真であり、仮に出典として採用するならば、字引であれ辞書であれ辞典であれ事典であれ、区別を記述して「~ではない」とすることは不可能になります。いわば、この方針自体がボツになってしまいます。車で40キロ制限の道路を50キロで走ることは普通にあることですが、その観察を基にして、「かならずしもルールが守られてるとは言えない」と記述した文章をもってして「交通法規」の記述に反映させるわけにはいきません。実態がどうであれ、ルールはルールなのです。本来の文章意図ではないものを文章から切り出してルールに反映させよう、というのは無茶です。

3.証拠(大辞泉:太字はAlbumによる)

じ‐しょ【辞書】 1 多数の語を集録し、一定の順序に配列して一つの集合体として、個々の語の意味・用法、またはその示す内容について記したもの。語のほかに接辞や連語・諺なども収める。また、語の表記単位である文字、特に漢字を登録したものも含めていう。辞書は辞典(ことばてん)・事典(ことてん)・字典(もじてん)に分類されるが、現実に刊行されている辞書の書名では、これらが明確に使い分けられているとはいえない。辞典。字書。字引(じびき)。

繰り返しになりますが、「明確に使い分けられているとはいえない」と結論づける文章を出典にしてルール(公式な方針)の文言を変える事には私は反対の立場です。--Album 2007年8月28日 (火) 14:15 (UTC)


>どの公式な方針であっても、平均的利用者が理解しているとは、私には思えません。

だからこそ可能なかぎり理解しやすい文章に書き換えたいわけです。 理解できない人が多いのに、理解できない状態のままほっといても何もいい事はありませんから。


で、今回の結論・理由・証拠ですが、本当に全く、何を言いたいのかさっぱりわかりません。 10分くらい考え込んだのですが、推測すらできませんでした。

最低限、Albumさんのいう(大辞泉の)「該当記述」とか(大辞泉の)「あの文章」というのがどの記述・文章の事なのかを明示してください。 もしかして「該当記述」=「「証拠」の所の記述」、「あの文章」=「「証拠」の所の記述中の太字部分」でしょうか?

仮にそうだとしても、「理由」の部分は意味不明なので、もっとわかりやすく書いてくださると幸いです。 (「詳細に」書いて欲しいわけではなく、「分かりやすく」書いて欲しい)。

「結論」の部分も結論になってない気がしますが、「理由」の方から推測しますので、 とりあえず「理由」を分かりやすく書き直していただけると幸いです。

219.35.139.100 2007年8月28日 (火) 18:13 (UTC)

貴殿以外にあと二人くらい「分からない」という方がいれば、書き直しましょう。「分からない」の連発は創価学会みたいで嫌になります。今夜は次の話に行きます。--Album 2007年8月28日 (火) 22:15 (UTC)
また煽るのですね…。大人気の無い行為は止めてください。再三言うようですが、議論に専念しましょう。
書き方が少し皮肉っぽくなってしまったのは申し訳有りませんでしたが、皮肉でなく、おっしゃりたい事が理解できませんでした。
「罵倒」でなく「議論」をしたいので、もう一度書き直していただけると幸いです。
219.35.139.100 2007年8月29日 (水) 11:19 (UTC)
書き直しません。「理解出来ない」というあなた一人の私的な苦情は、私のノートに書いて下さい。あなたは調べるための何の努力もせず、新たな情報を読者に提供することもなく、無駄にこのノートを消費しているだけです。一週間後にまた来ます。--Album 2007年8月29日 (水) 13:13 (UTC)
今度は説明拒否ですか。
あいかわらず大人気ないですねぇ…。自分で恥ずかしくならないですか?
議論している間あなたのなさった事と言えば、皆の再三の注意を無視して3度も煽ったり、無駄なrevertをしたり、ありもしない二重アカウント疑惑をなさったり。私とあなたのどちらがノートを無駄にしているかはいわずもがなだと思いますが。
議論をする気がないなら、なぜここに書き込んでいるのでしょう。それこそノートの無駄では?
第一、あなたの頭の中にしかないはずのあなたの御意見について聞いているのに、いったいそれをどこの辞書で調べろというのでしょう。
誰も理解できない自己満足的な文章を書きたいなら、wikipediaではなく自分のホームページかどこかにお願いします。219.35.139.100 2007年8月29日 (水) 15:35 (UTC)
一週間後にまた来ますと言って一週間以上書き込みが無いという事はこれで決着という事でしょうか?-- 2007年9月6日 (木) 12:33 (UTC)
これ以上紙幅をとって続けることに躊躇していますが、続けて欲しいなら、まだまだ言い足りないことは沢山あります。出典が豊富ですから。続けることにどのような意味がありますか?--Album 2007年9月6日 (木) 13:37 (UTC)
決着または停滞してるなら①フリー多機能辞典『ウィクショナリー(Wiktionary)』となっているのでもし、ウィキ辞書を執筆したいならの辞書を辞典に変えるのと、②辞書にリンクを追加するの作業を(異論が無ければ)したいのですがどうですか?(②は保留した方が良いですかね?)-- 2007年9月6日 (木) 13:52 (UTC)
  • 219.35.139.100氏の論旨は『平均的利用者が理解しているとは、私には思えません。・・・だからこそ可能なかぎり理解しやすい文章に書き換えたい』であるが、前提部分が憶測なので結論部は評価するに足りない、で宜しいのでは?なお、その評価とは別にWikipediaには辞典という記事が存在しますので、まずそちらで結論を得てから編集方針を確認するのはどうでしょうか?--125.202.232.37 2007年9月6日 (木) 17:00 (UTC)

Wikipediaはデータベースではありませんについて

[編集]

アニメや漫画やドラマの項目で、ただ話数とサブタイトルが並んでいるだけの、可読性を損ない、何の得にもならないただの文字の羅列を除去したい(視聴率とか、放送日とか、スタッフとか、あらすじとか、その話に関連した情報が一緒に付加されているのであれば、人それぞれですが、有益とも取れなくは無いが)のですが、方針に「統計資料や周辺の施設のみで構成される記事はウィキペディアには要りません。」とある事から節は対象ではないという意見が出ています。
俺は節も記事も一緒だろうと思うのですが、ただ項目がズラズラと並んでいるだけの節に対してもそれが有益な情報でないのであれば方針が適用できるように希望します。--パンチョ後藤 2007年8月30日 (木) 13:33 (UTC)

サブタイトルを削る事で具体的になんらかの得があるならともかく、得がないなら、別にサブタイトルがあっても誰も困らないのでは?あと、サブタイトルだけでは役立たないと思われるなら、より詳しい解説を付け加えてみるほうが、少なくとも削ってしまうよりは建設的だと思います。包摂主義的な編集が望ましいかと。(いや、包摂主義は別にwikipediaの方針ではないですが、個人的意見として)。Giant2007 2007年8月30日 (木) 18:27 (UTC)

(反対)サブタイトルの削除に反対します。本項の「データーベースではありません」をどう読んでみてみても、データーベースだけの記事が要らないと書いてあるだけであって、明らかに節は対象ではありません。Wikipediaには、おっしゃるようにアニメ、漫画、ドラマの項目の多くで話数とタイトルが並んでいるだけのサブタイトルリストが載っていますが、これまでパンチョ後藤さんがなさったほど大規模に削除がなされたことはありません。それは、とりもなおさず、これまでそうしたタイトルリストを無益と思った人がほとんどいなかったということではないでしょうか。むろん、内容が充実しているに越したことはないと思いますが、それはGiant2007さんがおっしゃるように、加筆すればよいことでしょう。以上、大変僭越ながら、ご意見申し上げます。--Rollin 2007年8月31日 (金) 15:08 (UTC)

きちんと出典に基づいているという点では、主観や独自研究の入り混じった「評価」節や登場人物解説よりは有益かと。少なくとも、そこまでこき下ろせるほど無益な情報ではないし、可読性を損なうのであれば書き方を考えればいい。(しまじろうのクラスまで行くと、対症療法ではどうしようもないでしょうけど……)--meekcharat 2007年9月2日 (日) 02:55 (UTC)
「Wikipediaはデータベースではない」というのはWikipediaの公式方針でも何でもない。単に過去の編集作業で得られた「編集上のノウハウ」でしょう?こんな文字列だけを根拠に有益・重要な情報がどんどん削除されるようでは堪らない。大量のデータが可読性を阻害しているなら折りたたみを活用するなり編集面で工夫するのが宜しかろう。--125.202.234.160 2007年9月2日 (日) 03:16 (UTC)折りたたみについてはTemplate:Hidden参照。--125.202.234.160 2007年9月2日 (日) 03:24 (UTC)
他にも追加したいことがありますがアニメ制作会社の項目やドラマの制作プロダクションの項目にもよく作品履歴や主なスタッフを書き込んでいる人がいますがそれらを追加すること自体百科事典的ではなく明らかにデータベース的に見えますし、特に主なスタッフに書かれている社員も正社員ではなくバイトで雇われているのかそれとも契約社員で雇われているか分かりませんので削除することを提案します。--124.100.48.199 2007年9月30日 (日) 16:42 (UTC)
前半部分は「百科事典として要請される内容かどうか」で議論し、後半部は検証可能性や出典情報の開示要求などで個別に対処してみてはどうでしょうか。どこまでが百科事典的で、どこからがデータベース的に見えるかは編集者の主観的要素が大きい(参考:砂山のパラドックス)ので、このあたりは個別記事のノートで、編集当事者で合意しながら編集してみてはどうでしょうか。--121.112.179.28 2007年10月15日 (月) 06:36 (UTC)

『また、議論をする場でもありません。』 のことで

[編集]

Help:ノートページの方では、記事のノートページの関係で、『・・礼儀を守った建設的な議論は、記事内容の改善・充実にも有益と考えられます。』のように書いたりもしてまして、こちらの「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」の「ウィキペディアは演説をする場所ではありません」のところにあった『ウィキペディアは演説をする場所ではありません。また、議論をする場でもありません。』だけでは困るものですから、とりあえず但し書きを追加させてもらいました。--Tossie 2007年9月6日 (木) 14:02 (UTC)

おなじ趣旨の表記がWikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかの最終パラグラフに存在しますので、その字句を引用する形に修正しました。--125.202.232.37 2007年9月6日 (木) 16:38 (UTC)
ありがとうございます。
Help:ノートページとの平仄については、修正いただいた形で問題ないと思います。--Tossie 2007年9月6日 (木) 17:48 (UTC)

「個人攻撃を禁止」を追加できないか?

[編集]

はじめまして。最近、希に特定の人物に対して批判、攻撃するような項目が見られます(例:玉木正之)。wikipediaを特定の人物を批判するためのメディアだと勘違いしている投稿者がしばしば見受けられます。そこで、「ウィキペディアは演説をする場所ではありません」に個人攻撃を禁止する項目を追加してみてはいかがでしょうか?--Beatclick-Nijiiro7 2007年11月17日 (土) 02:20 (UTC)

Wikipediaのユーザーに対してはWikipedia:個人攻撃はしないと言うのがありますが、人物記事向けの個人攻撃をする場ではないと言うのはまた整備されていないみたいですね。当方はその追加に賛成します。--目蒲東急之介 2007年11月24日 (土) 18:32 (UTC)一部修正しました。--目蒲東急之介 2007年11月24日 (土) 18:36 (UTC)
どっかになんかあったような気がするのだが、それはとにかく。
「個人攻撃」よりは「批判」にしといたのがいいんじゃないかなあと思う。「企業批判」「行政体批判」なんかのためにがんばっちゃうひともいるし。いやま、企業やら行政やらが批判されてもしょうがないようなことをしばしばやらかしているってことには同意するのだが、だからってせめぎあってる最中に一方当事者から書き込まれても、正直なところうざいだけなんだ。実社会で結論を出し、それをWikipediaに書けるように、とりあえずはまあ実社会の方でがんばってくれってことで(これはエールでもあるのだが、通じないんだろうなあ)。--Nekosuki600 2007年11月24日 (土) 18:40 (UTC)
Wikipedia:存命人物の伝記ですね。日本語版では草案の段階ですが(まだかよ!)対応としては、こちらを紹介したうえで、より無難に中立性・検証可能性を根拠に編集する方向でしょうね。英語版のen:Wikipedia:Biographies of living personsは公式な方針です。--60.47.105.84 2007年11月25日 (日) 00:34 (UTC)
元々禁止されているのだし一気に削除した後↓を貼ればいいのでは?--125.197.134.94 2008年2月19日 (火) 05:20 (UTC)