Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/導入部/長さに関する修正
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「概要」節
[編集]- Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#概要文の
- >数行程度しかない「概要」節を作ると却って読みにくくなることもあります。
- これは(導入部が長すぎる場合と比較して)、果たして真実なのですかね。
- 議論提案までは至らないのですが、ちょっと気になったので…大変失礼いたしました。
- もちろん、小さい記事に対してセクション分けすぎるのは論外と思いますが、ある程度の分量がある記事についてでして。--Benzoyl(会話) 2012年4月9日 (月) 03:12 (UTC)
- 論理的に言って「数行程度しかない「概要」」と「導入部が長すぎる」は比較対象にならないでしょう。数行程度のものを導入部にまとめても「長すぎる導入部」にはなりませんし、「導入部が長すぎる」のであれば十分な量の「概要」節が作れますから。「導入部が短い場合でも「概要」節をつくったほうがよい場合もある」というようなことを言いたいのでしたら、具体例かなにかを示していただかないと議論にならないと思います。--頭痛(会話) 2012年4月9日 (月) 03:46 (UTC) なおこの文書の概要文に関する記述を行った利用者:Metronomeと私は同一人物です。と言っても私個人の考えを書いたわけではなく、議論に基づいてですが。--頭痛(会話) 2012年4月9日 (月) 03:58 (UTC)
- 頭痛さん、早速の丁重なごコメントを下さり誠に有難うございます。人物記事ですと「人物・来歴」が概要にあたるので良い(安易?)なのですが、『となりのトトロ』等のフィクション作品記事ですと「概要とはなんぞえ」という定義が難しいですね。
- 5W1Hのうち、Why(なぜ)How(どのように)的な部分は概要化した方がいいのではないかという気もいたします(具体的な記事が見当たらず済みません)。自分なりに勉強・検証してから改めてこちらに参る所存です。失礼いたします。--Benzoyl(会話) 2012年4月10日 (火) 01:39 (UTC)
- 記事全体の要点をまとめるというだけですから別に難しくはないと思います。なお人物記事の「人物」とか「来歴・人物」のような節も無意味に作られているものが多いです。気が付いたものは除去しています。--頭痛(会話) 2012年4月10日 (火) 02:05 (UTC)
- 御挨拶が遅れており、大変申し訳ございません。『難しくはない』との見解ですね、了解いたしました。
- 「SLAM DUNK」「幽☆遊☆白書」などでの、頭痛さんの編集で『概要ではない』との御判断があったので、気になった次第だっただけでした。また勉強してから参ります。--Benzoyl(会話) 2012年4月13日 (金) 01:16 (UTC)
- 記事全体の要点をまとめるというだけですから別に難しくはないと思います。なお人物記事の「人物」とか「来歴・人物」のような節も無意味に作られているものが多いです。気が付いたものは除去しています。--頭痛(会話) 2012年4月10日 (火) 02:05 (UTC)
- 論理的に言って「数行程度しかない「概要」」と「導入部が長すぎる」は比較対象にならないでしょう。数行程度のものを導入部にまとめても「長すぎる導入部」にはなりませんし、「導入部が長すぎる」のであれば十分な量の「概要」節が作れますから。「導入部が短い場合でも「概要」節をつくったほうがよい場合もある」というようなことを言いたいのでしたら、具体例かなにかを示していただかないと議論にならないと思います。--頭痛(会話) 2012年4月9日 (月) 03:46 (UTC) なおこの文書の概要文に関する記述を行った利用者:Metronomeと私は同一人物です。と言っても私個人の考えを書いたわけではなく、議論に基づいてですが。--頭痛(会話) 2012年4月9日 (月) 03:58 (UTC)
英語版の翻訳による修正 導入部の特に量の指針です
[編集]英語版の導入部は結構量が多かったりするんですけど、日本語版では大きな記事なのに定義だけになっているということも多々見受けられましたので導入部はどういったもので、どう書けばいいのかをこの記事の「導入部」でより詳しく説明し、記事の長さに相応した導入部の長さの目安といった説明を追加したいと思い、英語版から翻訳しました。以下に修正案sandboxを作りました。
2005年2月2日にスタイルマニュアルから分離、分離に伴う修正がおよそ9年と半年前です。2008年5月6日に概要節を許容する記述が追加されました。
他の追加は表記や例文が多いので、現在の記述は大まかには上の3回による説明です。修正案では、論理構造としてテンプレートはどういう順番にするとスクリーンリーダーにもその使用者にもいいのかといった部分からも補強できます。1週間待ち異論がなければ修正します。--タバコはマーダー(会話) 2014年7月24日 (木) 14:55 (UTC)
- コメント このノートには利用者:Metronomeのアカウントで過去に参加したことがあります。まず翻訳お疲れさまです。訳文についていくつか気になった点などもあるのですが、あまり余裕がないので少し後で書かせていただくことにして、取り急ぎ「長さ」についてだけコメントします。
- 「長さ」なのですが、段落数だけ目安を作ってもあまり意味がないのではないかと思います。例えば村上春樹の現在の版は5段落、不思議の国のアリスは2段落ですが、どちらも文章量はあまり変わりません(前者は切りすぎだと思っていますが)。1段落の文字数がどれくらいか、という共通了解が確認できていないと、長さの「目安」に合わせて既存の導入部の文章を複数の段落に切り分けたり、逆に統合したりするだけ、みたいな編集が横行しかねないと思います(英語版はひょっとしたら1段落の文字数はだいたいこれくらい、という共通了解が成立しているのかもしれません。よくわかりませんが)。
- 導入部の書き方は執筆者も結構気を使うところだと思いますし、「目安」を作るなら段落だけでなく文字数の目安もセットにしたうえでもうちょっと幅をもうけてもらったほうがいいかなという気がします。いまのところ具体的な文字数の案などは考えていませんが、一般的には1段落は200字~400字くらいになるでしょうか(?)
- あとバイト数ですが、本文はたいした量ではないがテンプレートや表、外部リンクなどで跳ね上がっている記事も多いので、そういった点の考慮も必要だと思います。--新続頭痛(会話) 2014年7月28日 (月) 20:16 (UTC)
- 段落数を目安として示していない日本語版は導入部がどんどん短くなっている印象を受けます。ちょちょっと頭で説明されている第二次世界大戦よりも、en:World War IIは5段落になってますけど、導入部では概説的に説明するという機能は果たされています。英語版では、Wikipedia紙版のために品質管理をしたことがあるので、導入部の品質が解離しているのはそのためかと思われます(en:Wikipedia:Summary style#Lead section、en:User:Jimbo_Wales/Pushing_To_1.0)
- これは日本語版では9年以上前にちょろっと翻訳された導入部のガイドラインを、6年前にテコ入れしただけで、それで日本語版の導入部が短い傾向にあるというなら今のガイドラインの結果かと思うんです。
- 英語では文字数となっていたものをバイト数としましたが、英語は1文字1バイト、1バイト文字のアルファベット以外の日本語で使われるひらがなカタカナ漢字は1文字2バイトなので、自分の翻訳が元とバイト数がそれほど変わらないということからバイト数にしました。英語では文字数=バイト数と単純ですが区別も書いておらず、「文章が何文字」とも書いてないです。日本語では文字数を算出する計算を説明したり、文字数とはなんであるかといった説明が必要となり分かりにくいので、バイト数にしました。
- 長さの節には、絶対的な規則ではないという前置きがあります。英語版ではざっと調べたところ文字数の規定はないです。en:Wikipedia_talk:Manual_of_Style/Lead_section/Archive_11#Length逆に文字数とか、段落の意味を示さない柔軟な方法をとっているみたいです。随所で4段落「程度」という語尾にして柔軟性を考慮しました。バイト数にしろ、長さの節に「提示される導入部の量は、それ以降の本文の量を反映しているという要点の説明であり、絶対的な規則ではありません」と入れるということもできますし、すでに、絶対的な規則ではないという前置きがあります。
- 定義だけにされがちな現状から、一定の長さが必要とされているということを今より示すのが目的です。長さの節は消してもいいですが、あったほうが分かりやすいかとは思います。
- --タバコはマーダー(会話) 2014年7月29日 (火) 07:42 (UTC)
- 意図はわかりますが、やはり過去の経験上、現在の草案の書き方だと前述のように目安ににあわせるためだけの意味のない編集みたいなものに対する懸念が払拭できず、もう少し慎重な書き方をしてほしいという気持ちがあります。「柔軟な方法」であるならそれが間違いなく伝わるような書き方を考えるべきかと。このあたりは他の方のご意見も伺っておきたいですね。--新続頭痛(会話) 2014年7月29日 (火) 09:17 (UTC)
- 段落の数が固定されているのではないかという指摘ですが、単純に4段落とは違うということを説明しました。定義以降の文章として、記事の概要を示すということの記述も多々ありますので、単純に適当に区切るだけというようにはとれないと思います。
- 慎重さが足りない部分、間違いなく伝わらないようになっている部分についてもう少し具体的にお願いいたします。--タバコはマーダー(会話) 2014年7月29日 (火) 10:26 (UTC)
- 現在の案の「慎重」を期しているというのは、冒頭の「理想的には4段落程度」というのと、「導入部の要素」節の「通常は4段落程度です」というのと、「長さ」の節で「常は導入部は4段落を超えるべきではありません」に対して「しかし絶対的な規則ではないが」という注記がある、くらいですよね。これだけでは「単純に4段落とは違う」というようなことは読み手には伝わらないと思います。目立つ表の部分だけ見てそのような段落の規則があると考える人も多いでしょう。--新続頭痛(会話) 2014年7月29日 (火) 10:34 (UTC)
- もし表しか見ず「4段落である」と解釈し4段落にしたというような単純な編集に対して、他で絶対性を回避するような記述となっているので、そのように単純なことではないと説明できるようになっています。現状では説明できないということはないです。
- 個人的には「絶対的な規則ではない」とすぐ手前で修飾しているのは、慎重な記述であるともとれます。--タバコはマーダー(会話) 2014年7月29日 (火) 11:34 (UTC)
- う~んと、どこかに書いてあるから、ということではなくて、いちいち「そのような単純なことではない」というような説明をしながら差し戻し編集などをしなくても済むようにしてほしい、ということなんです。とりあえず焦らずに他の方のご意見がないかもうしばらく見ることにしませんか。私も修正案などゆっくり検討したいので。--新続頭痛(会話) 2014年7月29日 (火) 11:53 (UTC)
- では頭痛さんの懸念を払しょくするためには、表の直後に「提示する導入部の量は、数値的な絶対性があるということではなく、それ以降の本文の量を反映していることの説明を大雑把に試みたものに過ぎません。」と入れるのはどうでしょうか?--タバコはマーダー(会話) 2014年7月29日 (火) 12:22 (UTC)
(インデント戻し)注意書きを入れるなら「以下の長さはあくまで執筆の際の目安であり、これに厳密にあわせるだけのために無理に段落を分けたり文章を加減する必要はありません。またバイト数はテンプレート、リストなどで付加される分は考慮していません。」とかでしょうか。文字数について触れましたが、例えば
記事の長さ | 導入部の長さ | 導入部の文字数 |
---|---|---|
15,000バイト以下 | 1から2段落 | 50字から500字 |
15,000–30,000バイト | 2から3段落 | 500字から1000字 |
30,000バイト以上 | 3から4段落 | 1000字から1600字 |
みたいな風に併記したらどうか、というようなことを考えていました。上の文字数はあまりよく検討したものではなく、1段落は200~400字くらいとみて適当に入れています。ただこのように注意書き等を入れるにしても、現状の良質な記事や秀逸な記事でも適合していないものがかなり出てくると思うので、「あくまで目安」とはいえ導入するならコメント依頼の呼びかけとかお知らせページへの記載などそれなりの周知と了解が必要ではないかと思います。
個人的な意見というか好みとしては、目次で全体の構成がわかるようになっていればリードは導入部にすっきりおさまる程度の分量があればいいのではと思っています。単に「本文に比例して導入部の量も増える」ということを言いたいだけなら具体的な分量を示す目安は必ずしも必要ないのではという気もします。--新続頭痛(会話) 2014年8月1日 (金) 10:07 (UTC)
- 段落数をさらに「4段落程度」と「程度」をつけたまま記載することは、計算が容易となり、主観的すぎて統一性がはかれないこともなく、客観的(具体的)すぎて計算もさらに複雑となり柔軟性に欠けることにもならないかと思われます。あまり具体的すぎると、例えば2段落800字に抑えるとか、1600字に抑えるような修正のほうが起こりやすいかと思われます。
- 「9年半」にわたり、導入部は第1文が定義でありさらに概要を説明するものとされ、昔は概要節は禁止でした。「直近6年」では、その長さは記事全体の長さに比例することが記載されています。そして、導入部を節に変えるのは例外的であり、通常は目次以前の部分に書くということが記載されています。適合していない場合には、現行のガイドラインに従っても修正されている必要があることです。今回の修正は、さらに補足説明しているだけです。ガイドラインとしては了解されているものと考えられますので、(文字数を具体的にするのでなければ)新たな広い了解は不要であると思います。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月1日 (金) 14:58 (UTC)
横から失礼いたします。以前「#複合的記事名(子記事)において暗黙的に多用されてきている「○○では」やトートロジー定義文」にて問題点を指摘していましたが、今回タバコはマーダーさんが翻訳による導入部の修正を提案したことに便乗して、導入部のスタイルのヴァリエーションに関するルールを英語版から導入したいと思い、翻訳文を拵えてきました。
- [1] - en:Wikipedia:Manual of Style/Lead section#Introductory textの訳
- [2] - en:Wikipedia:Superfluous bolding explainedの訳
これを導入することによって変更される点を概略しますと:
- 項目名がその主題を説明している場合、無理に記事名を冒頭文に登場させて不自然な文章にしてしまったり、太字にして目立たせる必要はないことを明示(記事名が太字で主語になっているコピュラ文を書く義務のない事を言及)。
- 定義文の同語反復は回避されるべき。
- 特筆性の理由(なぜウィキペディアに記事を持つに値するか)が示されなければならない。
- 冒頭文に定義文以外のパターンが加わる。
といったところです。もちろんこのまま採用する訳にはいきません。日本語版に合わせてローカライズも必要でしょう(主に読み仮名に関してや、例の選び方)。タバコはマーダーさんの草案を見ますと、段落の出だしに関しては手つかずであるので、この部分を私の翻訳してきた方針で補う形にするべきだと思います。
現在でも事実上、英語版から翻訳されてきた記事では定義文以外の導入部のバリエーションは用いられていますので、これは現状の追認といえます。日本語版の方針に記事名を強調した出だし以外の導入部の書き方が無いせいで、今も、説明的な記事名の翻訳において、もはや「原作レイプ」と言えるような奇妙な冒頭文(同語反復や、「では」を使った意味上の主語が筆者自身である定義文)を持った記事を書く利用者が多いです。このような問題文章を書いてしまっている方々に、方針の方を英語版に合わせることで、英語版の冒頭をそのまま訳すことは日本語版での方針違反ではないのだと安心させてあげたいと思うのですが、いかがでしょうか。--荒巻モロゾフ(会話) 2014年8月5日 (火) 12:01 (UTC)
- 便乗のご提案ですね。繰り返しや、循環定義や、太字化が分かりにくいとかですね。ぜひよろしくお願いします。一応ですが、Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安はガイドライン化にむけて議論中のようです。
- 私のほうではさらに手をつけるとしても、en:Wikipedia:Manual of Style/Lead section#Citationsとか、#Clutterあたりにしようと思っていましたので、別に定義部分が充実するかと思います。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月5日 (火) 14:58 (UTC)
- 議論まとめ
- 頭痛様が投稿ブロックされていますので、頭痛様によって異論を呈されていた4段落の表記部分以外は異論のないものとして一旦反映し、4段落の表記部分についてはガイドラインとかを踏まえて提案しなおします。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月5日 (火) 14:58 (UTC)
導入部の量として段落数による目安の追加
[編集]英語版からの翻訳による修正です。「導入部を4段落程度に」というのは簡単に数えられる目安です。長さの節はバイト数から段落数の目安を提案しますが、先の議論を踏まえて単純な編集を避けるようにしました。バイト数による段落数の目安の節は、自分の翻訳が英語版と似たようなバイト数になることから単にバイトとしました。以下が修正案です。
方針ウィキペディアは規則主義ではありませんがあり、その私論がWikipedia:指示の肥大化を避けるです。さらに、段落の文字数が何文字であるとしていけば、日本語の多くは1文字2バイトであり、テンプレートのバイト数を計算し差し引いてといった、複雑な指示となっていきます。そこまで定義しません。 [3]から「直近の6年」では、その長さは記事全体の長さに比例することが記載されています。概要の説明にある程度の長さを要求している点に変化はありません。1週間待ち異論がなければ修正いたします。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月5日 (火) 16:35 (UTC)
- 導入部をもう少ししっかり書いて欲しいということ自体は、私も良質な記事の選考などでしばしば指摘してきたことですし同感なのですが、導入部の理想的な分量を「4段落程度」と冒頭部でざっくり指定してしまうことが適切な指示であるか疑問です。日本語版には920,000以上の記事がありますが、特別:長いページを利用して調査した所、全体のおよそ1/9に当たる100,000番目に長い記事でもそのサイズは13,000バイト程度ですし、半分の450,000番目に長い記事では3,600バイトほどでしかありません。長さ節では、導入部の長さを3から4段落にするのは30,000バイト以上の記事であるとされていますが、そのような30,000バイト以上の分量のある記事は30,000記事程度しかなく、改定案の指示に従うなら導入部に4段落程度の導入を書けるような記事は日本語版ウィキペディアでは全体のわずか3.3%の記事のみです。そのような極一部の記事にしか適応できない分量を一般的な目安として冒頭部で「理想的には4段落程度」という提示をするのはあまり良くないと感じました。ガイドラインでは「短い記事以外は」とされていますが現実にはウィキペディアの記事の半数以上が5,000バイトにも満たない短い記事なのですから、このような指示はあまり現実にも即していないように思えます。
- また、日本語版では特に長い記事では概要節を作ることも認められていますが、英語版のen:Wikipedia:Manual of Style/Lead sectionでは概要節を作って記事の要約の解説をする方法は説明されていませんから、英語版のガイドライン文書を日本語版に移入する際にはその辺りの日本語版と英語版の運用の違いも考慮する必要があるかと思います。多くの場合、日本語版では4段落もの導入部が必要となるような分量の記事であれば導入部に概要を詰め込むのではなく概要節に切り分けて書かれることの方が多いように感じますし、そのような点も考慮した指示にする必要があると思います。バイト数と段落数の関係の具体的な数字にも疑問はありますが、まずはクリティカルな部分を押さえましょう。--重陽(会話) 2014年8月8日 (金) 16:13 (UTC)
- 数では大半がスタブに近いので、スタブを基準に説明すべきではないかということはないと思います。ほとんどのガイドラインでは、数ではスタブが多いからと言ってスタブを対象として書いていないかと思われます。短い記事は、現状でも記事の長さに応じた長さの導入部が必要とあり、どちらかというとWikipedia:スタブなどがあるかと思います。また今この節にて私が提案していることではないので、この部分について議論を行っても、本題の「4段落程度」という提案とは異なります。スタブが大半で長大な記事は稀なのは英語版でも同じです:en:Wikipedia:Version_1.0_Editorial_Team/Assessment#Statistics。
- (長大な記事は少ないので)一般的な目安として冒頭部で「理想的には4段落程度」という提示をするのはあまり良くない。「理想的」は「一般的」の同義ではないかと思われます。
- 「概要節」については、既に現行のガイドラインに書いてあるかと思います。英語版では私論のen:Wikipedia:Writing better articlesにて、"Overview"という節が作られることがあるとだけ書いてあり、絶対的にダメだということにもなっていないかと思います。ひとまず「4段落程度」という部分に焦点を当てていただきますようお願い致します。
- 重陽様と先の議論で頭痛様は「導入部をもう少しなんとか」というご意見をおもちなんですが、私もそうなんです。現状のガイドラインでは機能していないということだと思うのですが、これについて作戦は3つしかないと思うんです。
- 個人の主観に任せる。具体的な目安はなし。現状。どのように書けばいいのか分からないんだと思います。
- 大雑把な提案を行う。「4段落程度」など一見して分かり、指示が肥大化していない、大雑把なもの。
- もっと細かく指示する。段落とは何であり、文字数はどうであり、バイト数はこのように算出しなどとなっていきますが、ウィキペディアは規則主義ではありませんに反していき、その私論のWikipedia:指示の肥大化を避けるのようになっていきます。
- 現状ではよくない、大雑把な指示もよくないとなれば、3番になってくるのではないかと思います。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月8日 (金) 22:18 (UTC)
- 各々の記事を観察していますと、「概要」と名付けられた節は実際には「概要」ではなく、「雑多な内容(の箇条書きでないもの)」と言った方が適切であると感じます。「雑多な内容の箇条書き」が禁じられた代わりに体裁を変えて雑多な内容が復讐にやってきた、もしくは、執筆者が自分の執筆した記述の情報がどの種類のものであるかを分類する(内容を組織化する)ことを行わずに「概要」と言ってお茶を濁した結果の産物、それが概要になっていない「概要」節の存在なのでしょう。こういったものに対しては草取りの一環として積極的に適切な節名を付けて分類しなおすべきだと思います。(Wikipedia:完璧な記事には「(完璧なウィキペディア記事とは)構造と記事の各部分のどちらにもその必要性に関して、はっきりした説明、十分な説明があるようになっています。」とあります。)
- 方針において導入部がそれ自体でスタンドアローンに記事の要約版になることが要求されている以上、その仕事を別の節が奪ってはならないと思います。"Overview"に関しましても、冒頭から定義の役割を奪うような「概要」や、研究論文ごっこの「アブストラクト」とは性格が異なるもの、どちらかと言うと「諸元」や「あらすじ」もしくは「事のあらまし」といった目的であると考えた方がよさそうです。「概要」はできる限りやめさせるべきでしょう、それが定義や、冒頭部を記事全体のミニチュアとすることを邪魔する様であるのなら。そのようにしていけば文字数や段落数を気にしなくても自然とつり合いのとれたサイズになると思いますよ。--荒巻モロゾフ(会話) 2014年8月9日 (土) 10:35 (UTC)
- 概要節についてはすでに現行のガイドラインで書いてあるので、その概要節をどうするかについては優先順位は「低」として言及していません。下記に「その他:概要節についての脱線した話題」節を用意しました。そういった話題は大丈夫ですが、提案事項から逸れた話題です。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月9日 (土) 16:32 (UTC)
- コメント「スタブを基準に説明すべきではないか」ではなく、「全体の3.3%にしか当てはまらないものをスタンダードにすべきでない」です。そのような意図はなくともガイドライン冒頭部の解説は多くの記事に当てはめられるべき一般的事項の解説であると解釈される懸念が非常に大きいですし、ガイドライン冒頭部では多くの記事に当てはめるべき一般的事項の解説に留めるべきです。改定案後半の長さに関する具体的説明に従えばウィキペディアに含まれる記事の大多数は導入部を4段落にすべきでない記事なのですから、このような書き方では意図しない方向に流れかねないと思います。導入部の要素節での書き方も同様です。
- 検証可能性の遵守という意識がここ数年で時間をかけて徐々に浸透してきたように、導入部を何とかしようとするのであれば自身の編集で実際に導入部を何とかする編集を心がけ、記事選考などの人の目が集まる場所でしっかり冒頭部を書き込むことを指摘し浸透させていくといった不断の努力によって改善に向かわせるという方法が最善かつ唯一であると思っています。検証可能性の意識が変わってきたのは別に検証可能性に関わる方針やガイドラインに何か大きな変更が加えられたというわけではないですし、ルールをいじれば改善するというようなものではないですよ。既にこれまでも導入部は「それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。」と解説されているにもかかわらず現実としてそうはなっていないのですから、方針やガイドラインを変えることで意識を変えるという手法はウィキペディアでは成り立ちにくいと思います。--重陽(会話) 2014年8月10日 (日) 03:41 (UTC)
- 追加のご説明ありがとうございます。スタブに近い大多数の記事は4段落にすべきではないので、冒頭の記述には疑念があるということですね。「導入部の長さは記事の長さに応じ、長大な記事では4段落程度が望ましい」という注釈した形に訂正する方法もあります。
- 「ガイドラインの記述を見直すよりも、その他の手段によって浸透を図るべき」といったことは、ひとつのご意見ではありますが、このことは1人の人間が二者択一することではなく、詳しいガイドラインがあって、それを遵守しようという意識が浸透した場合とも捉えられます。ですが、脱線する議論は下部に「その他」を用意していますので、そちらでお願いしたいです。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月10日 (日) 04:36 (UTC)
- 長大な記事というのがどの程度の長さの記事を想定されているかは分かりませんが、記事が長大になればなるほど記事主題や記事内容によって適切な導入部の長さに大きな違いが生じますし、ガイドラインの導入部で具体的な数字を上げるのは、記載位置が脚注であってもやはり難しいかなと思います。具体的な数字を示すのであれば記載場所を冒頭部でなく導入文の説明の部分のみに絞り、内容も通常は4段落程度とピンポイントに数字を示すのではなく「導入部の適切な長さはその記事にもよりますが、記事の長さや内容に応じて1段落から5段落程度の分量が目安となります。」と幅を持たせ柔軟な対応が可能なようにしておく方がいいように思います。5段落としたのは、実際にこれまで数千バイトの小さな記事から10万バイトを超える長大な記事まで色々書いてきた実感として、どのような記事でもその記事内容の要約としての冒頭部は概ね5段落程度には収まるだろうという感覚的な部分によります。実際にWikipedia:秀逸な記事においてもほぼ全ての記事で導入部は5段落以内に収まっている(定義と概要が合わせて5段落を超えるような長さのものでは、大抵記事の要約となる部分が概要節に分離されている)ことからも、5段落程度を一定の目安とするのは妥当なラインであるように思います。430,000バイトを超える超長大な記事である三木武夫でも導入部は5段落ですね。自分のこれまでの記事執筆を振り返ってみても、半金属の140,000バイトほどで3段落(記事内容が各論の積み重ねであるため記事内容の要約としてはこれで十分であり、これ以上導入部の記述を増やしても冗長になるだけで理解に資さない。)、アン女王戦争(英語版からの訳)の57,000バイト程度で箇条書き部分を段落と見れば5段落(複数の局面がある戦争であるため各局面の概説が必要なためどうしても段落が多くなる。)など、大抵はその範囲内になっています。また、半金属のように記事の内容によって記事分量に対しては短めの導入部で十分であるようなケースもありますので、記事の長さだけでなく記事内容によっても適切な導入部の長さが変わることを明示するために「記事の長さに応じて」でなく「記事の長さや内容に応じて」とするのがいいと思います。それと、氷鷺さんがおっしゃるような害の部分を考えると、具体的数字を示せばその具体的数字に合わせるためだけに段落数を増やすという無意味な編集や、具体的数字に合わせるために無理に導入部を水増ししようとするような編集をして導入部が冗長になってしまったりすることも想定されます、具体的な数字を示した後に続けて「ただし導入部を分量の目安に合わせるために無理に段落を分けるだけの編集や、導入部の分量を水増しするために冗長な説明を付け足すような編集は行うべきではありません。」ぐらいの注意喚起もあわせて必要でしょう。--重陽(会話) 2014年8月12日 (火) 07:12 (UTC)
- 長大なとか、逆に小さい記事がなんであるのかといった「抽象的な表現」に対して、重陽様も主観的であるとして、バイト数という履歴ページから容易にわかる「簡単で具体的な表現」を使って具体化させています。「抽象的な表現では、主観が異なってくるため分かりにくい」という解釈と、それよりも好ましい表現「バイト数は記事の大きさを図る単純な大雑把な尺度」という価値観は共有されているものだと思います。
- 英語版を翻訳した5,7000バイトから日本の430,000バイトの記事では5段落程度が目安として妥当なラインであるというご意見から、何らかのバイト数を示して長大な記事に差し掛かってくる大雑把な境界線を示し、「4段落前後」という表現ではなく「3~5段落」として、さらに注釈していくというやり方もあるかと思いました。必要な注釈は「記事の長さや内容に応じて」とか、「続く内容をある程度説明するとこれくらいになるのではという目安であって、数にこだわるのではなく説明が達成されているということも考慮すべき」というものです。
- 個人的には4~5万バイトでは長大なほうに入ってくるかと思います。6万バイトですと長大だと思います。導入部の規定がある英語版から翻訳された記事の導入部が定義文だけにされ概要節が作られるという誤った編集もあると思います。そうならないようにするためには英語版の3万バイトに近い数値が必要かなと思います。
- 段落数合わせの編集ではなく、概要であるかということも考慮するための注意喚起は、導入部ではないですが、修正案の「長さの節」に入っています。
- 冒頭では「長大な記事で3~5段落というのが目安となるでしょうが、個別には記事の長さや内容に応じます」としたり、単に「記事の長さや内容に応じる」とし詳しくは長さの節で説明するという方法もあります。「長さの節」にてバイト数などを示しつつもっと規範的でない方向へ修正してはどうかなと思います。
- スタブに近いものについては、「スタブ節」を用意して、スタブに近いものはしっかりした導入部を作るための内容がない場合が多いということを説明してはどうでしょうか。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月13日 (水) 00:28 (UTC)(以降に練り直しました)--タバコはマーダー(会話) 2014年8月13日 (水) 04:07 (UTC)
- ここで重要なのは記事を執筆する方々に対して過不足ない量の導入部を書いていただけるように説明することなのですから、長大な記事に絞って「3~5段落」とするよりはもっとターゲットを広く取り「導入部の適切な長さはその記事にもよりますが、記事の長さや内容に応じて1段落から5段落程度の分量が目安となります。」として、段落数の細目は後の長さ節に譲る方がいいのではないかと思います。現状では多くの記事において導入部の分量が不足していることは確かですが、かといって導入部が必要以上に肥大化してしまうこともまたガイドラインの精神に反することですし、「長さや内容による」という説明を注釈に回して「3~5段落」と明記してしまうのは導入部の肥大化を招きかねずあまり良くないと感じます。ウィキペディアは誰でも気軽に編集できるその性質上、方針文書の全体をしっかり把握した上で編集作業が行われると言うことはむしろ稀で、文書の一部をかいつまんで読み導入部の段落数は3から5段落にすべきだという思い違いにより機械的な編集作業が行われると言うことも十分に起こり得ますし、そのような編集が行われるかどうかを常に監視し続けることは不可能ですので、方針作りの段階でしっかり想定しておくべきです。また、方針文書類における脚注の説明は見落とされがちですし、説明すべき事項は本文中でしっかり説明すべきだと思いますし、説明を本文と脚注とに分けてしまうのは混乱を招きあまり良くないようにも思います。
- 導入部における記事内容の要約が必要ないほど記事のサイズが小さいことと、その記事がスタブであるということは全くの別問題です。数千バイト程度の記事サイズであっても、記事主題に対して説明すべき事柄が十分に説明されているならばその記事はスタブではありません。英語版ではen:55 Cancri dのように10,000バイトに満たないサイズで導入部が記事の定義のみであっても、良質な記事に選出されているような記事もあります。逆に記事のサイズは大きくても記事主題に対して説明すべき事柄が十分に説明されていないならばその記事はスタブです。スタブかどうかを判断基準にするのはいまいちなように思います。
- 導入部の具体的な分量の数字に関しては、5段落程度というのは少なくとも私の個人的な感覚と秀逸な記事の記事群をみた印象ですので、もう少し実際に普段記事を書いている人たちの意見を集約してどの程度の分量を目安として示すのが適当かを探る必要があるかと思います。実際に記事を書いている方々そっちのけで英語版からの移入や机上の論議だけで具体的な数字を設定しても仕方ないのかなと思います。--重陽(会話) 2014年8月15日 (金) 13:05 (UTC)
- (インデントを左にします)追記を見落としておりました。
- スタブに近い記事は、導入部でしっかりした要約を作るほどの内容がないということです。重陽様による「半数以上が5,000バイトにも満たないという短い記事で、多いので、大多数の短い記事の導入部の肥大化を避けるために、それよりも数が少ない長大な記事をスタンダードにしないほうがいいのでは、そして長大な記事の表現は曖昧なのでバイト数に言い換えてきました」、以上の意見を踏まえて議論が進んできています。スタブに近い記事が多いからと言って、そのような記事をスタンダードにすれば今度は要約すべき内容がないので、削除されないという程度の記事かと思いますが、どのガイドラインでもそこをスタンダードにしてしまえば、もっと簡単な説明になってしまいますから。なので、定義と要約である導入部を作り上げるほどの内容がないということを、スタブ節を作って先に説明すればいいのではないかということです。
- Wikipedia:スタブは、まだ成長していない項目で、大半は1段落程度と明文化されています。短い記事というかと思います。1万バイトで良質な記事に選出されているような記事はスタブではないですし、記事のサイズが大きく主題に対して説明が不十分なものがスタブという解釈は、スタブの意図を脱している例外であって、スタンダードなスタブの説明ではないと思われます。
- 脚注は序文だからです。
- アベコベになっていますが、机上の議論はここでの議論「導入部をこう書くとこうなるのではという」のほうであって、実際の検証を経ているものは「日本語版の現在までのガイドラインと実際には足りないことが多いのではとする導入部、英語版の段落数の目安を示したガイドラインと実際に内容に相応した分量のある導入部」です。
- 「4段落前後」か「長大でも5段落程度という感覚的な目安」というのを含め「長大で3~5段落」なのか「小さいのも含めて1~5段落」とするのか、長大な記事で1段落というのは定義だけになりかねないとかを含めてもそこまで大きく変動もしていないかと思われます。特に段落数を押し付けようとしているのではないので、ウィキペディアは規則主義ではありませんがあり、その私論がWikipedia:指示の肥大化を避けるを考慮していくことを最初に明言しています。大雑把に示した後で、目安にすぎないという注釈によって、個々の記事に応じるように曖昧にするということです。異論があるなら合意を形成するというウィキペディアの手法は受け入れていますが、異論がないのに議論をすべきだとか、異論なく本文に反映され後に別の表現がいいと気付いた方が議論するというのではなくて反映される前に今議論を作り出すべきであるというのは、本来要求されている水準から肥大していると思います。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月20日 (水) 02:13 (UTC)
- 下の#4点目:導入部の出典節でKusunoseさんに紹介していただいた英語版ガイドラインのCitations節を見ていて気付いたのですが、英語版ガイドラインの原文は「no more than four well-composed paragraphs 」ですから、「4段落程度」ではなく「4段落以下」ではありませんか?上手く日本語に落とし込めませんが、この部分の文意は「理想的には導入部は4段落以下であるべき」「その段落は文章構成良く記述されているべき」という感じであるかと思います。英語版はガイドラインの導入部では「4段落以下」と短い記事から長大な記事まで広くフォローしておき段落数の細目は後のLength節に譲るという、正に先に私の述べた通りの構成になっているようですね。本提案自体がそもそも英語版からの翻訳による修正の提案ですし、翻訳元である英語版でも「4段落以下」となっているのですから、やはりガイドラインの導入部では「4段落前後」や「3~5段落」のように長大な記事に絞った説明をするよりは「1段落から5段落(5段落以下)」のようにターゲットを広く取った説明にする方がいいのではないでしょうか。もっと早く英語版と照らし合わせてみればよかったのですが申し訳ありません。
- 指示の肥大化に付いては考え方の相違でしょうが、私は指示の肥大化を恐れるあまり説明すべきことを脚注に追いやったり説明されなかったりすることで誤解や勘違いを誘引するのは本末転倒であり、方針・ガイドライン文書に変更を加える際にはそのようなことはむしろ避けるべきだと考えています。もちろん程度問題であり冗長な説明を長々と記述することもまた避けるべきではありますが、少なくとも本件に関しては「目安に過ぎない」と本文中に明記することは氷鷺さんのおっしゃるような容易に想像できる害を防ぐ有効な手立てでもありますし、肥大化と言うほど細かな指示でもありませんから、やはりわざわざ目に触れにくい脚注に持っていく必要はどこにもないように感じます。--重陽(会話) 2014年8月21日 (木) 17:00 (UTC)
- 「no more than」は、はじめは「以下」と思ったんですけど、goo辞書などいくつか辞書を見ましたが「以下」という訳は真っ先に出てこないですし、「長さ節」を見ると長さに応じてという意図があるので、小さいほうが良いというのは求められていないので、苦慮した部分ではあります。No more than 類の意味をperspectiveの違いから考える:4段落なんだけれど多くない、「わずか4段落です」が近いと思います。英語版は5段落の記事も普通にありますし、日本語版の事情として揺らぎがもっとあるようなので、これらを考慮し「4段落程度」(議論の途中で「程度」が「前後」になっていました)としました。
- また最初に「以下」としてしまうと、これまでの議論とは逆になるだけで短い導入部を作る恐れがあります。日本語版特有の短い導入部を問題にしていますから、「以下」という表現を冒頭に持ってくるのは避けたということです。冒頭で4段落以下という表現では、日本語版特有のように思える、10万バイトで冒頭は定義だけという記事に適切な要約をつけるというアクションは起こせないですから。
- 「以下」という表現よりは、「程度」「前後」「記事全体の長さに応じて」というほうがいいかと思います。
- 「文章構成よく」は最近追記されたもので、それ以前にはありませんでしたので、私が説明できることはあまりないです。
- 「脚注」という表現に行き違いががあると思います。「脚注節に入れる」のではなくて、文章に「注釈を加える」ということです。例えば「3~5段落」とした文章に、「これは規則ではない」という補助的な説明を加えるというだけです。この補助的な説明(注釈と表現しました)が長くなりすぎるなら、脚注節ではなくて、長さ節で説明します。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月22日 (金) 11:13 (UTC)
- no more thanに関するご提示いただいた文書を確認させていただきましたが、以下という感じではなさそうですね。勘違いを正していただきありがとうございます。
- タバコはマーダーさんのおっしゃるように長い記事において不十分で短い導入部しかないと言う状態は確かに不適切であり是正が必要ですが、同様に短い記事で不必要に長い導入部もまた不適切なのであって、ガイドラインの導入部においてはどちらにも偏らないバランスが最も必要だと思います。「4段落以下」と書いてしまうと長い記事において短い導入部が作られてしまう懸念があるということを想定されているのであれば、逆に「4段落程度」と書いてしまうと短い記事に置いて不必要に長く冗長な導入部が作られてしまう懸念が想定されるということもご理解いただけるはずです。そのようなことを考慮していくと、あちらを立てればこちらが立たずになってしまいますし、それであればやはり、導入部には具体的な数字を書かずに「導入部は記事全体の長さや内容に応じた適切な分量で記述してください(#長さ参照)」ぐらいに留めるしかなさそうに思います。
- 脚注については、本文中に注意書きを追記するという意図であると言うことで了解しました。--重陽(会話) 2014年8月23日 (土) 05:51 (UTC)
- 「4段落以下」と書いてしまえば、長い記事になのに定義だけとなっている記事を改善できないでしょう。このような記事は、既に起こってしまっている事態なので、避けなければなりません。
- 「4段落程度」と書くことについては、当初から「長さ節」を提示して長さ相応にすることを提案し、議論も既に「長大な記事で3~5段落」などの補足説明を付ける方向で進んできています。あらゆる記事で4段落を推奨するとは考えとして持っておりません。ですので、「補足説明を加えて4段落程度と書くことによって、補足説明をしてあるのに短い記事にて不必要に長い導入部が作られてしまう懸念」になってくるかと思います。もちろんこれは避けたほうがいいですが、そのように表記しても短い導入部が作られてしまう懸念のほうが個人的には大きいかと思います。なので「以下」という表記を避けることは優先しました。
- 当初の提案理由は、長い記事というのも増えてきたのに、古い記述のままではよくないので、しかるべき説明が新たに必要ではないかということでした。現在、それに対して、短い記事が多いという比率が変わるまで、5,000バイトのような短い記事をスタンダードに説明したほうがいいという主張にて膠着状態にあります。
- 冒頭は「長さに応じて1~5段落が目安」と表記することにしようかと思います。「長い記事の数のほうが多くなる(これはないでしょう)」あるいは「長い記事が数として増えているのに、非常に短い導入部が一向に減らないと感じる場合」といった理由が再び生じたり、誰かが後に再び冒頭では理想的な長さを示したほうがいいと考えた場合には、「長い記事でも3~5段落が読みやすいでしょう」のようにするという提案もできるでしょう。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月26日 (火) 06:21 (UTC)
- お返事が非常に遅くなってしまい申し訳ありません。「長さに応じて1~5段落が目安」ということであれば私からは異論ありません。あとは今後の影響を見ながら調整を行っていくということで、問題ないかと思います。ありがとうございました。--重陽(会話) 2014年9月2日 (火) 11:21 (UTC)
- 了承しました。合意が得られたとします。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月3日 (水) 15:38 (UTC)
- 長大な記事というのがどの程度の長さの記事を想定されているかは分かりませんが、記事が長大になればなるほど記事主題や記事内容によって適切な導入部の長さに大きな違いが生じますし、ガイドラインの導入部で具体的な数字を上げるのは、記載位置が脚注であってもやはり難しいかなと思います。具体的な数字を示すのであれば記載場所を冒頭部でなく導入文の説明の部分のみに絞り、内容も通常は4段落程度とピンポイントに数字を示すのではなく「導入部の適切な長さはその記事にもよりますが、記事の長さや内容に応じて1段落から5段落程度の分量が目安となります。」と幅を持たせ柔軟な対応が可能なようにしておく方がいいように思います。5段落としたのは、実際にこれまで数千バイトの小さな記事から10万バイトを超える長大な記事まで色々書いてきた実感として、どのような記事でもその記事内容の要約としての冒頭部は概ね5段落程度には収まるだろうという感覚的な部分によります。実際にWikipedia:秀逸な記事においてもほぼ全ての記事で導入部は5段落以内に収まっている(定義と概要が合わせて5段落を超えるような長さのものでは、大抵記事の要約となる部分が概要節に分離されている)ことからも、5段落程度を一定の目安とするのは妥当なラインであるように思います。430,000バイトを超える超長大な記事である三木武夫でも導入部は5段落ですね。自分のこれまでの記事執筆を振り返ってみても、半金属の140,000バイトほどで3段落(記事内容が各論の積み重ねであるため記事内容の要約としてはこれで十分であり、これ以上導入部の記述を増やしても冗長になるだけで理解に資さない。)、アン女王戦争(英語版からの訳)の57,000バイト程度で箇条書き部分を段落と見れば5段落(複数の局面がある戦争であるため各局面の概説が必要なためどうしても段落が多くなる。)など、大抵はその範囲内になっています。また、半金属のように記事の内容によって記事分量に対しては短めの導入部で十分であるようなケースもありますので、記事の長さだけでなく記事内容によっても適切な導入部の長さが変わることを明示するために「記事の長さに応じて」でなく「記事の長さや内容に応じて」とするのがいいと思います。それと、氷鷺さんがおっしゃるような害の部分を考えると、具体的数字を示せばその具体的数字に合わせるためだけに段落数を増やすという無意味な編集や、具体的数字に合わせるために無理に導入部を水増ししようとするような編集をして導入部が冗長になってしまったりすることも想定されます、具体的な数字を示した後に続けて「ただし導入部を分量の目安に合わせるために無理に段落を分けるだけの編集や、導入部の分量を水増しするために冗長な説明を付け足すような編集は行うべきではありません。」ぐらいの注意喚起もあわせて必要でしょう。--重陽(会話) 2014年8月12日 (火) 07:12 (UTC)
- 反対 量を規定することに意味はありませんし、こういった発想をする人間がいる以上、むしろ害のほうが容易に想像できます。現状に問題があるとして、改善に役立たないならまだしも悪化させるだけの話です。まず「段落」単位というのが論外。--氷鷺(会話) 2014年8月9日 (土) 16:59 (UTC)
- ご参加ありがとうございます。害、悪化、論外といった表現が実際にどのようなことなのか、本当に害なのか、それを対策するのにはどうしたらいいのかなどの評価可能な、判断につながる表現にしていただけると幸いです。
- 段落という単位は、過去のガイドラインにもあったものです。量については過去に何回か議論されています。Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (導入部)/導入部の長さと「概要」節。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月9日 (土) 21:53 (UTC)
- 利用者‐会話:氷鷺#導入部のノートページにてを含めて2か月近く議論を放棄されております。その間のログインも頻回です。量についての議論も、過去には段落数が用いられていたり、現在では「その長さは、一般に記事全体の長さに対応します」とされ、そのような合意があります。新たに形成された合意に関しても参加されておらず、会話ページにても議論の放棄ないし対話拒否が行われているため、全体としてこれまでの合意が覆されたとは解釈できません。Wikipedia:合意形成の沈黙を同意とみなす、を適用いたします。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月29日 (月) 04:24 (UTC)
その他:脱線した話題
[編集]2014-08-05T15:22:05 の英語版の翻訳による変更を戻す提案
[編集]#英語版の翻訳による修正 導入部の特に量の指針です節の合意に基いた変更ですが、かなりの問題が見られるためこの変更を戻すことを提案します。問題点を以下に箇条書きします。
- 導入部の冒頭、「ウィキペディアの記事の導入部(あるいは導入節、序)は、目次よりも前にある節であり、最初の見出しです。」と説明されていますが、通常日本語版では導入部を節や見出しとしては扱いません。節から内部リンクで誘導されているHelp:セクションの中のHelp:セクション#最初のセクションの前の部分の編集節でも記事の導入部は節とは別の物として説明されています。定義からしておかしいのはガイドライン文書として致命的でしょう。このように定義がおかしいこともあり、現在の説明ではこのガイドラインの取り扱う範囲が分かりにくいです。元の文にあった「本文の先頭から最初の見出しまでの範囲を扱います。」という説明の方が簡潔かつ明瞭でしょう。
- 元の文にあった「Wikipedia:スタイルマニュアルの一部ですので、全体として守らなければならないのはスタイルマニュアルと同様です。もし、スタイルを変えたい場合には、一貫性を維持するためにも全体への修正として提案してください。また、修正時にはすべてのスタイルマニュアルで矛盾がないようにしてください。」という重要な注意喚起が欠落しています。
- 冒頭に「そして理想的には、慎重に適切な出典を明らかにすることが推奨されます。」という文章が入っていますが、ガイドラインで説明されている通り導入部は記事本文の要約であるため、記事本文に適切な出典を付けて記載されている事項に関しては導入部でも重複して出典を明らかにする必要はなく、これまでもそのように運用されています。これは現状と矛盾しています。
- 「定義だけで記事の基本的な説明が十分なされるような場合や、スタブ記事のような短い記事の場合は、概要は必要ありません。」という、ウィキペディアの記事の半分以上を占める短い記事に対する解説が除去されています。現行では導入部の要素節の「短い記事以外は、導入文(導入部)から始めるべきです。」という説明がされていますが、どのような記事を短い記事とするかの説明が不十分であり改定時に除去されてしまった文の方が適切であると思います。また、短い記事であっても「○○は××である。」といった定義を示す導入文は必要なのですから、このぶぶんはかなり説明不足です。
- 「それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。」という、導入部とは何かを端的に示す最も重要な部分が除去されています。この部分はこれまでも記事の選考などで十分な導入部を作成すべきだと指摘するときにしばしば引用されてきた文であり、除去は不適当であると思います。「簡潔な概要として独立させることができるようにすべきです。」「その記事の簡潔版として単独にできるような方法で、その記事が取り扱う最も重要な点を簡潔に要約すべきです。」という文がそれに対応しているのかもしれませんが、導入部とは何かを端的に示すという観点からは先の文の方が優れているように思います。
- 導入部の構成節の上部に「導入部の適正な構造」が示されていますがこれが何を意味しているのか意味を取りにくいです。これはWikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)に誘導されていることからレイアウトとしてそのような順番でテンプレートを配置しましょうということかと思いますが、もう少しブラッシュアップして意味を取りやすくしないとガイドラインを参照する人に混乱を与えかねません。また、英語版では特殊文字テンプレートがinfoboxの下に置かれるのかもしれませんが日本語版では通常infoboxの上に置かれるべきものですから、現状と矛盾しています。
- 導入部の構成説の下部の解説文について、削除用テンプレートがただ列挙されているだけで説明がなくガイドラインとしての解説の体をなしていません。また、「このことは短いボックスの後では一般的です。」「記事本文の前に使用者に示されるべきです。」「スクリーンリーダーの使用者は、目次は導入文の次に来ると見込んでいる。」など意味がよくわからない説明が多く、文章にかなりのブラッシュアップが必要でありこのままガイドラインとして提示し続けるのは良くないように思います。
- 理解しやすい概要を提供する節、「主題に注目すべき価値を定め、そうでなくても少なくとも導入部にて紹介されるべきです。」という部分の意味がよくわかりません。
- 相対的な強調節、出版された情報源に限定するのはウィキペディアの運用に反します。また、「引用句、生年月日、分類学名、件数、タイトルのような特定の事実」のうち、確かに生年月日は人物記事に置いて導入部のみに示され記事本文には示されていないことは多々あるように思いますが、引用句、件数、タイトルが何を想定しているのかよく分かりません。
- 全体の構成として細則の説明が先に来てしまっているため初心者が理解しがたくなってしまっているように思います。今の文章はウィキペディアの編集に関する事項をよく理解している人が更なる理解を求めるような場合に適したガイドラインになっており、ガイドラインとしては好ましい状態ではありません。元の文の導入部の書き方節にあった「第一文には記事の主題の定義を記し、続いて記事の簡潔な概要を記します。主題の別名や、間違いやすい範囲外の内容なども、導入部に記してください。」というような、まず何を書くべきかと言うことを簡潔に示した説明がこまかな細則よりも先に必要でしょう。また、上で個々に指摘した部分もありますが、意味が分かりにくい文章が非常に多いです。
これらの問題を解決するには非常に時間がかかるでしょうから、一度改定前の文章に戻した上で精査していくのが適切であると思います。--重陽(会話) 2014年8月10日 (日) 05:12 (UTC)
- お戻しください。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月10日 (日) 06:07 (UTC)
- 変更後の文章の一部を自分で訳したものと見比べてみました。どうやら誤訳と受け取れる部分が多いみたいですね。しかし、少なくとも「導入文」節に関しては、私の翻訳したもの(前述の翻訳案から現行になじむ様に表現を少し変更)と差し替えれば、致命的に意味不明な部分はなくなると思います。現行の「理解しやすい概要を提供する」から「段落の出だし」(改訳案の「最初の段落」)まではタバコはマーダーさんの訳と同じ部分の翻訳です。「最初の文の形式」以降は第一文を定義文以外のものも認める内容であり、現行の「最初の文の形式」「定義」「第1段落の例」と差し替えて使用するものです(「第一文のフォーマット」「脚注」における例は日本語版向けにローカライズが必要と思います)。これでもまだ意味不明だったり、日本語として自然でなかったり、意訳しすぎて誤訳になっている箇所があるかもしれません。これに対しても、より洗練された文章にするためのダメ出しがあればお願いします。--荒巻モロゾフ(会話) 2014年8月11日 (月) 19:40 (UTC)
- 荒巻様、お疲れ様です。部分的な差し戻しではなく全体的な差し戻しが提案されていますので、一旦差し戻して、ブラッシュアップも兼ねて順に見ていってはどうかと思うんです。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月11日 (月) 23:14 (UTC)
- ちょうどWikipedia:独立記事作成の目安でも似たような作業をしている所なのですが、方針文書類の改定を英語版からの翻訳によって行うのであれば①訳の正確性のチェック②英語版と日本語版の運用の違いのすり合わせ③英語版の良くない部分の手直しや日本語版の現行文書の方が優れている部分の取り入れ、の3つの作業が必要だと思うのですね。荒巻モロゾフさんの訳は非常に分かりやすくはなっているとは思いますが、例えば記事名を第一文の主語としない具体例としてen:Electrical characteristics of dynamic loudspeakersが挙げられている部分はやはり日本語版に存在する記事で例示すべき部分でしょう。また、脚注5で良い例として「『オックスフォード英語辞典』 [...] は英語の最高の辞書である。」という書き方が挙げられていますがこれは「主観的な「美麗辞句」は使わないでください」に反するように思えますし、実際に現行のen:Oxford English Dictionaryでも第一文は「『オックスフォード英語辞典』 [...] はオックスフォード大学出版局が発行する英語辞典である。(en:Oxford English Dictionary08:40, 11 August 2014(UTC)より訳)」と「最高の」という美麗辞句を除去する形に改められています。この辺りの作業には時間がかかるでしょうし、やはり「一旦変更前に戻す→ノートで改定案の精査→改定案をガイドラインに反映」という手順を踏む方がいいように思えます。--重陽(会話) 2014年8月12日 (火) 06:07 (UTC)
- 「意味が分からない」というご意見は、工程として英語に近いため、全体に固い表現や、抽象的な表現、推敲が足りない部分が多く意味が取りにくい部分が多々あるので、もう少し噛み砕いたり、英語原文にはない部分で翻訳時に必要な説明を追加したり、主語や述語、副詞などの順序を見直したりといった工程が必要といったところだと思うのですが、やってみました。
- --タバコはマーダー(会話) 2014年8月15日 (金) 11:06 (UTC)
- 変更後の文章の一部を自分で訳したものと見比べてみました。どうやら誤訳と受け取れる部分が多いみたいですね。しかし、少なくとも「導入文」節に関しては、私の翻訳したもの(前述の翻訳案から現行になじむ様に表現を少し変更)と差し替えれば、致命的に意味不明な部分はなくなると思います。現行の「理解しやすい概要を提供する」から「段落の出だし」(改訳案の「最初の段落」)まではタバコはマーダーさんの訳と同じ部分の翻訳です。「最初の文の形式」以降は第一文を定義文以外のものも認める内容であり、現行の「最初の文の形式」「定義」「第1段落の例」と差し替えて使用するものです(「第一文のフォーマット」「脚注」における例は日本語版向けにローカライズが必要と思います)。これでもまだ意味不明だったり、日本語として自然でなかったり、意訳しすぎて誤訳になっている箇所があるかもしれません。これに対しても、より洗練された文章にするためのダメ出しがあればお願いします。--荒巻モロゾフ(会話) 2014年8月11日 (月) 19:40 (UTC)
- ありがとうございます。とりあえずできそうなところをローカライズ&改善してみましたので、ここからは別の節を設けて、差し戻しとは独立・平行してやっていこうと思います。--荒巻モロゾフ(会話) 2014年8月15日 (金) 13:16 (UTC)
- 改善作業は別途行っていくと言うことで、一旦英語版からの移入を元に戻しました。ありあとうございます。--重陽(会話) 2014年8月16日 (土) 06:00 (UTC)
- ありがとうございます。とりあえずできそうなところをローカライズ&改善してみましたので、ここからは別の節を設けて、差し戻しとは独立・平行してやっていこうと思います。--荒巻モロゾフ(会話) 2014年8月15日 (金) 13:16 (UTC)
「導入部の文章」ローカライズ・改善
[編集]導入部の文章に関する方針の英語版からの訳を、日本語版に適合した形にするためにここでブラッシュアップしていきたいと思います。
今のところ変更は3か所です。en:egg (food)は日本語版がないので、代わりに新宿 (桐生市)という、有名な地名の同綴異義語で日本語版の代表をさせてみました。 『オックスフォード英語辞典』の代わりに日本の国語辞典である『明解国語辞典』を引き合いに出して、よろしくない「最高の」の代わりに「日本で最初の現代語中心の小型国語辞典」という客観的に確認できる事項で代表させてみました。数学者というだけで特筆に値すると誤解されそうなエミー・ネーターの代わりにアマチュアであるものの昭和新山の記録を残したという功績によって特筆性が確保されている三松正夫を挙げてみました。他にもこれぞと思う改善案があればドシドシお願いします。現時点での問題を挙げますと:
- 関連項目として挙げられている「en:news style」がよく分からない。日本語のジャーナリズムにおいてニューススタイルとして確立された手法なのか詳しくないので、翻訳しようにも手が付けられない。
- en:List of environmental issuesの代替を何にしようか決まらない。
- 同様にen:Electrical characteristics of dynamic loudspeakersの代替も決まらない。
- en:Inaugural games of the Flavian Amphitheatreは翻訳すると優れた記事になりそうなのでどことなく勿体ない気がする。
- en:2011 Mississippi River floodsの類例はきっと日本語版では強引に定義文にして歪められているだろう事が予想され、代わりを挙げにくい。
- 「第一文に記事名がない場合、そこに『書かれている』関係語句を太字に」することはともかくとして、太字の範囲が飛び飛びになっている例を日本語版で見たことがない。
- en:Death of Azaria Chamberlainの様な例の記事を邦人では挙げにくい。日本語版は被害者であろうと積極的に名前を出していようと無条件に芸能人・セレブリティ以外の本名を隠蔽したがる様なので。
こちらでローカライズが困難と感じたのはこれくらいになります。あと、現行とのすり合わせなのですが、どうしても現行の方針から消滅せしめたい部分があります。それは「定義」節です。冒頭には定義以外の文章も現れうるという変更をするに際し、定義の大切さを箇条書きで延々と説いているのはどうも適合しません。なお「定義文は次のことに注意してください。」以下の二つの忠告の相当する内容は翻訳案の中に既に含まれています。--荒巻モロゾフ(会話) 2014年8月15日 (金) 14:07 (UTC)
- ニューススタイルというのは、ウィキペディアは百科事典なので、新聞みたいに文字を削りすぎなくてもよく、逆にもう少しそれぞれの用語の説明を充実させるというときに出てくる言葉ですね。「ウィキペディアは百科事典です」が先にあって、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」があるので。
- en:List of environmental issuesは自分が手を付けた時には、そもそもWikipedia:一覧記事のガイドラインも英語版のen:Wikipedia:Manual of Style/Listsのようになっていないのでそのまま持ってくるのは難しいと思いました。なので飛ばしました。
- 以降の具体的な例文については、自分の翻訳の対象(Opening paragraph節まで)としていませんでしたので、日本語版と比べてどうなのかはまったくわかりません。例の部分、First sentence節からは見ていません。
- なので、例の部分、First sentence節からは新たに追加しようとしていた文章ですし、私も詳しくないので分けて考えてもいいかもしれません。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月17日 (日) 00:53 (UTC)
文章修正以外の部分
[編集]文章の固さを和らげる、意図をとりやすくする、翻訳を改善するといった、すでに新たな文章が決まっていてそれを修正改善するだけならいいのですが、重陽様による「導入部は節ではない」「導入部には出典は不要」といったいくつかのご意見がありますので、記述してはならない事項があるとするようなことでは、文章改善のための意見交換ではない合意の形成が必要になると思います。
以下に挙げる以外の、見出しに関する議論は、後回しか無しでいいと思います:[見出しとは - コトバンク]のようなものを想定しましたが、必須ではない記述です。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)
1点目:冒頭の古い説明に関して
[編集]ガイドラインの冒頭(導入部)では「全体として守らなければならないという記述による重要な注意喚起が必要」という重陽様のご意見がありました。しかし冒頭部全体が守るべきであるとする記述になっているのは、2005年にページが作成された時に、まだガイドラインテンプレートが使われていなかったためです。そのままですので、ガイドラインテンプレートのある現在では、過剰な説明のようになります。
提案する文章に関して、重陽様によって「構成要素の説明が先に来るため初心者に優しくないので、最初のほうで別名や間違いやすい範囲に触れるべき」というご意見がありました。なるべく最初のほうで説明したほうがいいということであれば、提案していた文章のように、それも冒頭で説明すればいいと思います。そうすれば、他のスタイルマニュアルと同様に、レイアウト順に説明していくという、一貫性を保つことができます。
この2点、冒頭部はガイドラインがなんであるかというもはや古い説明だけで占めるのではなく、初心者に優しい記述を冒頭部に持ってくるということです。そのことでレイアウト順に説明しているというスタイルマニュアル間の一貫性が保てます。初心者向けの簡単な説明の節は先頭にあってもいいかもしれませんが、その前に冒頭に持ってくるということを決定できるということです。
いくつかの論点が合わさっていますので、また違う議論になるかもしれません。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)
- Wikipedia:合意形成における十分な告知と、沈黙による同意が得られたと判断し、冒頭に、導入部のガイドラインとしての記述を持ってくる方向に致します。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月3日 (水) 15:38 (UTC)
- 同意したと言うよりは単にここまで手が回らなかったというだけですが、ウィキペディアに多くの時間が割けない状態でいつまでもお待たせするわけにも行きませんので、ひとまずこれで進めていただいて構わないかと思います(下の節も同様)。必要があれば後から再修正提案をするということもできますしね。--重陽(会話) 2014年9月3日 (水) 22:29 (UTC)
2点目:導入部の節としての扱い
[編集]「導入部は節ではない」とご意見されています。しかし{{Edit-first-section}}、Help:Section editing demo (metawiki)、mediawikiなどによって節であるとされていると解釈できます。
重陽様のご意見の根拠であるHelp:セクション#最初のセクションの前の部分の編集ですが、英語版でも同様にen:Help:Section#Editing before the first sectionとあり同じです。日本語版では、内容ではsection=0を指定するとあり、Mediawikiの仕様を探すとsection0は1番目の節を意味します。また紹介される{{Edit-first-section}}テンプレートは、「1番目の節を編集する」テンプレートという意味になりますし、またm:Help:Section editing demoもご覧くださいとあり、このテンプレートを用いると書いてあります。このヘルプの文章は、導入部を編集するという点においては説明として妥当です。ですが、最初の節とは何かという説明としてであれば、内容を併せると結論は得られないかと思います。
そこまで既に書かれているのでHelp:セクションにてPOVを追加し、ウィキペディアの母体のウィキメディア財団が作る編集機能では導入部の部分を最初の段落として扱っていることを、補足として説明すればいいのではないかと思います。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)
- Wikipedia:合意形成における十分な告知と、沈黙による同意が得られたと判断し、3日後以降にHelp:セクションに説明を追加し、こちらのガイドラインにおいても導入部を節とも取れるようにする方向で行きたいと思います。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月3日 (水) 15:38 (UTC)
3点目:出版された情報源に限定
[編集]「(相対的な強調を)出版された情報源に限定するのはウィキペディアの運用に反します」というご意見は、理由がまだ説明されていませんので、詳しいご説明をお願いいたします。むしろWikipedia:信頼できる情報源に反するのではないかと思われます。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)
- コメント 横槍失礼します。これは「出版」という言葉の定義の問題のように思えます。「Wikipedia:信頼できる情報源」には、以下のように書かれています。
一般に「出版」という用語は、伝統的な印刷物もしくはオンライン上の活字資料を想起させます。しかし、音声、動画、マルチメディアといった素材も、評判の良い第三者によって記録され、放送、配布、もしくはアーカイブされたものであれば、信頼できる情報源として必要な基準を満たしているかもしれません。それら媒体の情報源も活字の情報源と同様に、信頼できる第三者によって著され、そして出典として適切に用いられなければなりません。 — Wikipedia:信頼できる情報源#概要
- もし、文案についての「出版された」という言葉が、「伝統的な印刷物」に限定する意図で用い、オンライン上の活字資料、音声、動画、マルチメディアなどの素材を排除することを狙って用いたものであるなら、そうした意図は上記引用箇所で定義されているウィキペディアの運用に反します。一方、「出版された」という言葉に、印刷物以外のマルチメディア素材も含まれていることを踏まえている者が「出版された情報源に限定すべきではない」という主張すれば、ウィキペディアのルールに反抗的な別のニュアンスが生じることは言うまでもありません。「出版」という単語の定義次第で、重陽さんの主張もタバコはマーダーさんの主張も、正しくもなり、誤りにもなります。
- ただ、「出版」という日本語は、伝統的な印刷物以外は含まないニュアンスが強いため、ウィキペディアの方針文書に精通した者の間だけで正しい意味が通じる内容にもなりかねず、訳語として不適切ではないかと強く懸念しています。私個人としても実際、「Wikipedia:信頼できる情報源」に上記文言が追加される以前、「ウィキペディアで認められている出典は、伝統的な印刷物に限る」という主張を頑なに譲らない方と長い長い不毛な議論になり、個人に対するコメント依頼を経てブロック依頼になるまでもつれたことがあるので、「出版」という訳語には苦い思いを抱いています。じゃあ他に適切な訳語があるのかと問われると悩ましいですが、「Wikipedia:検証可能性」の現在の版で用いられている表現に沿って「信頼できる情報源が公表・出版している内容」などとした方が、誤解が少なくて済むのではないでしょうか。--Kanohara(会話) 2014年8月17日 (日) 12:51 (UTC)
- 私の先のコメントは、通常「出版」と言えば成書や雑誌として印刷された物を指し示すものである一方、ウィキペディアの情報源として認められるものは出版物に限るわけではないため「ウィキペディアの運用に反します」と申しました。英語版と照らし合わせるとpublishedを出版されたと訳しているようですが、あまり適切な訳であるようには思えません。publishという語は日本語の出版という言葉よりももう少し広い概念を示す語であり、「出版された」とすると文書の意味合いが変わってしまいます。--重陽(会話) 2014年8月17日 (日) 13:51 (UTC)
- 方針等を参考に他の訳語や表現に変えればいいので、解決したものとします。せっかくKanohara様が「出版」という表現の苦い思い出を例示してくださいました。「出版」という訳語があまり適切でないというご意見については、WikipediaPOVの「出版」を定義しているWikipedia:信頼できる情報源などの関係方針にて行うべきだと思います。
- 私の先のコメントは、通常「出版」と言えば成書や雑誌として印刷された物を指し示すものである一方、ウィキペディアの情報源として認められるものは出版物に限るわけではないため「ウィキペディアの運用に反します」と申しました。英語版と照らし合わせるとpublishedを出版されたと訳しているようですが、あまり適切な訳であるようには思えません。publishという語は日本語の出版という言葉よりももう少し広い概念を示す語であり、「出版された」とすると文書の意味合いが変わってしまいます。--重陽(会話) 2014年8月17日 (日) 13:51 (UTC)
4点目:導入部の出典
[編集]「導入部は重複するため出典不要で、これまでそのように運用されている」というご指摘。いろんな分野のポータルで、新着やおすすめ系の記事を50記事くらい見たところ、出典があるものもありますし、不要とまで一概に言える状態にはなっていないと思います。またSTAP細胞のような議論の活発な記事では、出典は必要とされているでしょう。提案のように「理想的には出典を明らかに」という記述でいいのではないかと思います。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月17日 (日) 04:55 (UTC)
- 「新着やおすすめ系の記事を50記事くらい」のなかで導入部に出典があるものというのは、記事本文中には重複して同じ情報が出てこない導入部のみに単独に書かれている情報ではないでしょうか?そのような事項には当然出典は必要ですが、私が言っている「本文で出典を示して書かれている重複部分には出典は不要」というのとは別の話ですよね。STAP細胞の記事も見ましたが、これは導入部に独自の情報を導入部に独自の出典を用いて書かれている「記事主題の要約」であって、本ガイドラインが求めている「記事内容の要約」にはなっていませんね。論争が激しい記事主題であるためこのような形になってしまうのは仕方ないと思いますが、本ガイドラインが想定している「導入部」とは異なる例外中の例外でしょう。--重陽(会話) 2014年8月17日 (日) 14:12 (UTC)
- 「50記事くらいの例」によって導入部にも出典が示されているということが、「理想的には出典を明らかに」と記述する理由になるかと思いました。さらに説明していくとすれば。
- 導入部と記事本文の両方にて重複した記述に対して、両方で出典を明らかにすることもあります:STAP細胞も一部の記述がそうです。エナメル質、蜂蜜、小田急3000形電車 (初代)、京王6000系電車、桂正和などもあります。つまり様々な方が、導入部にも重複した出典を提示することがあります。
- その理由として方針やガイドラインでは、単にWikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にであって、他にWikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:出典を明記するにおいて、導入部は例外であるとか、重複する事項には出典が不要とは、方針やガイドラインにおいて明文化されていないです(少し違う場面でWikipedia:サマリースタイルが、各記事に出典を要求しています)。ですので、導入部にもどんどん出典がつくことがあるということです。
- 「導入部は重複するため出典不要で、これまでそのように運用されている」というのは、方針やガイドラインではなく、重陽様個人が独自的にそのように解釈していたということだと思うのですが、ご説明をお願いいたします。また、まだ伺っていなかったこととして、記述の改善策があればご説明ください。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月18日 (月) 09:48 (UTC)
- 私が執筆や選考に関わっていない秀逸な記事の中にも、熊野三山本願所やベンジャミン・ディズレーリ、中山トンネル (上越新幹線)、フィンセント・ファン・ゴッホなど記事の要約部分を出典をつけない形で書かれている記事は多くありますよ。「導入部は重複するため出典不要で、これまでそのように運用されている」からこそ、これらの記事の選考でも導入部に出典がないことが全く問題視されずに秀逸な記事に選出されたのであって、導入部の重複部分に出典を重複して付ける必要はないという考えは私個人の独自解釈でなく秀逸な記事レベルの記事を書き選考する方々の中にも共有されている考えと言えるでしょう。むしろ私はこれらの先例に倣って記事を書いて来たに過ぎません。「様々な方が、導入部にも重複した出典を提示することがある」からといって、「だから理想的には重複した部分にも出典を提示すべきだ」とまで言ってしまうのはちょっと飛躍があるように思います。
- 出典に関する方針文書に関しては、そもそも重複する事項をどうするかという問題には触れられてすらおらず「不要とも必要とも指示されていない」というだけでしょう。記事本文中の対応する記述に出典が提示されているのであれば、各方針が求める出典を示す責任は十分に果たされています。Wikipedia:編集方針#記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずにに書かれているように導入部以外の記事本文中においては同じ情報を繰り返すような冗長な記述は行うべきではありませんし、情報が重複するのは意図的な重複部分である導入部に固有の特殊な問題ですから、出典に関する方針類において重複部分をどうするかというトピックが取り上げられていないのは仕方ないことだと思います。不要だと明文化されてないから「導入部にもどんどん出典がつくことがある」ということは分かりますが、それはあくまでも「つくことがある」であって「理想的には付けられるべき」ということではないですよね?タバコはマーダーさんの説明からは、「理想的には重複した部分にも出典を提示すべきだ」と方針文書に書き加えるに足る論拠が不足しているように思えます。私は別に、「導入部は本文と重複する部分であるため出典は不要です」という文章をこのガイドラインに組み込むべきだと言っているわけではありませんし、実運用としてそうなっているケースもあるのだという事例を示しているだけなのですから、それをいくら否定しても「理想的には重複した部分にも出典を提示すべきだ」と方針文書に書き加える根拠にはなりませんよ。Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけにあるように、ウィキペディアのガイドラインは利用者間の合意や運用の積み重ねを明文化したベストプラクティスの集積であって、先にルールを決めて利用者を従わせるような性質のものではありませんから、実情に沿わない規定を組み込む事には賛成できません。--重陽(会話) 2014年8月18日 (月) 17:49 (UTC)
- まず新たにわかってきたことは「導入部は本文と重複する部分であるため出典は不要です」と、このガイドラインで明文化するということでもない、ということですね。
- 明文化と独自解釈の違いを挙げたのは、解釈のほうはまだ説明が必要であって、つまり現時点では当然こととはされていないからです。秀逸な記事にて出典なしの導入部があるということで、これを「重複部分に出典を重複して付ける必要はない」と解釈したり、また方針を「不要とも必要とも指示されていないだけ」と解読することもあるかと思うんですが、それはまだ当然なことにはなっていないということです。
- 「most、多くはこうしている、多くの実情」ではなく、「best、ベストプラクティス、どうあるべきか、理想的には」を方針等、また他の証拠に照らして、話し合うものかと思います。most即ちbestではないですから。
- 離れた場所で出典が提示されているというのは、Wikipedia:独自研究は載せないの方針の根幹部分は満たしているでしょう。しかし、出典を示す責任を「十分に」果たすには、参考文献に列挙するだけにはしないための{{参照方法}}は個々の文章に明記するということであって、その根拠としてWikipedia:出典を明記する#本文中に注釈を挿入する必要があります。Help:脚注#スタイルと用法にもある通りです。ここまでは、明文化されていることです。
一文に複数の脚注リンクを置く場合など、その説明対象の範囲が文というより節・句・単語などになることもあります。(中略)
段落全体など、比較的広い範囲の文章に対してひとつの脚注が対応することもあります。そのような場合でも本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かるよう、一文ごとに脚注リンクを挿入したり、本文や注釈文に注釈範囲を明示したりするなど配慮してください。 — Help:脚注#スタイルと用法
- これらを併せれば、「導入部は特に例外化されていないので、理想的には、導入部も同様に出典を示すのが望ましい」かと思われます。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月19日 (火) 03:57 (UTC)
- 導入部に関して必ずしもそのような方針・ガイドラインの解釈や運用がされているわけではないということは先に示した事例からも明らかでしょう。「秀逸な記事にて出典なしの導入部がある」というだけでなく、「選考過程において誰も出典なしの導入部を問題視していない」ということも考慮ください。記事選考において出典は非常に重要視される要素ですし、もしタバコはマーダーさんがおっしゃるような方針の解釈が広く共有されていて導入部の記事本文と重複する部分にも出典を示すことが理想であるという考えが一般的であるならば、導入部に出典が示されていないことは必ず問題視されますしそのような記事が選考を通ることはないでしょう。「それはまだ当然なことにはなっていないということです。」とのことですが、これまでの先例を見る限りむしろタバコはマーダーさんのような方針解釈こそ「まだ当然なことにはなっていない」ように思います。--重陽(会話) 2014年8月19日 (火) 16:02 (UTC)
- (インデントが多いので左に)了解しました。当然なことというのは、明文化されておらず説明されていないことを当然のことだとしないでいただきたいということを説明していますが、それは失敗しております。1解釈、2その説明、3合意の形成、4明文化という段階を経るわけですから1を間を抜かして4として扱わない、1と4を混同しないでいただきたいということです。
- どういう議論内容があったのか説明責任は果たしたと思いますので、「理想的には出典を明らかに」とも「出典は不要です」とも記述しないことにします。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月19日 (火) 23:31 (UTC)
- 英語版のen:WP:LEAD#Citationsでは、「複雑な主題、現在進行中の主題、あるいは論争の対象となるような主題であれば多くの出典が要求されるでしょうが、そうでない記事については、出典はほんのわずかか、あるいはなくても構わないでしょう。(Complex, current, or controversial subjects may require many citations; others, few or none.」という記述があります。参考まで。--Kusunose(会話) 2014年8月20日 (水) 01:33 (UTC)
- Kusunoseさんありがとうございます。ご紹介いただいた節を見て疑問に思い、「理想的には出典を明らかに」の部分を英語版の該当部と見比べてみたのですが、ここの「as appropriate」は「適切な」というよりは「必要に応じて」と訳すべき部分ではないかなと思いました。また「ideally」も手前の「four well-composed paragraphs」の方にかかっているだけで、and以降の「出典を提示する」という部分にはかかかっていないように思います。であれば、英語版文書の該当部の文意は、「出典の提示は必要に応じて慎重に」ということであって、このような意味であればen:WP:LEAD#Citationsとも、私が先に示した日本語版における事例ともほとんど食い違わないかと思います。タバコはマーダーさんに「記述しないことにします」とおっしゃっていただいた直後に混ぜっ返してしまうようで申し訳ないのですが、英語版の文意に沿って「出典の提示は必要に応じて慎重に行ってください」と記述するのであればガイドラインに加えることに同意できます。同時に、Kusunoseさんに紹介いただいたen:WP:LEAD#Citationsの部分も訳してガイドラインに組み込むことができれば、既存の方針・ガイドラインでは導入部における出典が不要とも必要とも指示されていないという状態も解消できそうですね。時間があるときに訳して文案を作ってみます。初めから英語版の文書と照らし合わせながら議論を進めればよかったのですが、回り道になってしまったようで申し訳ありません。このような方向性でいかがでしょうか?--重陽(会話) 2014年8月21日 (木) 15:39 (UTC)
- en:WP:LEAD#Citationsは、「導入部も検証可能性や他の方針に準拠し、本文中に挿入する(Inline citations)方法をとる」ことを明文化しています。なので「理想的には」がかかっていても、かかっていなくても、Wikipedia:出典を明記する#本文中に注釈を挿入する方法をベストな方法としてとってくださいということにはなっております。
- 英語版のen:WP:LEADの導入部の該当部分をはしょると「もったいぶるようにほのめかさないでください。その代わりに(Instead、接続詞なのでほのめかさない方法に言及していくことが予想され)、NPOVで明白に、理解しやすく書いて、(;等価文、言い換えると)そして、導入部は4段落前後とし、出典を明記してください」なので、さらに必要部分をはしょると「ほのめかすのでなく、NPOVで明白に、出典を明記する」となります。これを「必要に応じて」で修飾すると、「ほのめかすのではなく、明白に、必要に応じて出典を明記してください」と、骨抜きになってしまうようにも思えます。
- 「必要に応じて」よりは、en:WP:LEAD#Citationsを考慮すると論争の対象などの場合に出典が多くなるわけですから、Wikipedia:出典を明記するの本文中に示す形式によって「適切に」示すとか、Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源の「内容に応じて適切な、珍奇な主張には強固な出典」によって「適切な」出典を示すという、それもスタンダードには本文中に出典を明記する形を推奨していると思われます。この辺りの解釈は適合していますでしょうか?--タバコはマーダー(会話) 2014年8月22日 (金) 10:07 (UTC)
- それらのご意見に同意できる部分はあまりありませんが、強く推すわけではありませんので「出典の提示は必要に応じて慎重に行ってください」という記述を加えることに同意が得られないのであれば、「理想的には出典を明らかに」とも「出典は不要です」とも記述しないことにするという結論を維持すると言うことで構わないと思います。en:WP:LEAD#Citationsの翻訳による導入の方はいかがでしょうか?ざっと内容を読んだ範囲では、この節は導入部における出典提示の考え方を示す非常に重要な節だと思いますし日本語版に導入することは非常に有用だと思います。--重陽(会話) 2014年8月23日 (土) 04:43 (UTC)
- en:WP:LEAD#Citationsの内容を足せば現在議論になっていることのバランスをとる方法に言及していますので、ご提案ありがとうございます。これでいきたいです。
- 議論前は「そして理想的には、慎重に適切な出典を明らかにすることが推奨されます」となっていました。「適切」という部分が、やはり議論がある記事では大切だと思いますので。
- 「理想的には」は外し、「慎重に」は「適切な出典」となっていれば出典選別作業の慎重さの意味合いを含んできますので、「そして必要に応じて適切な出典を明らかにします」でいかかでしょうか。「明らかにします」は「明記します」でもいいですし、文末「します」は文体に過ぎないのでもしからしたら変わることもあるでしょう。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月23日 (土) 08:07 (UTC)
- 出典を示す必要がないケースも含意されている表現であればen:WP:LEAD#Citationsや日本語版ウィキペディアにおける実運用との矛盾もなくなりますし、「そして必要に応じて適切な出典を明らかにします」であれば構わないと思います。--重陽(会話) 2014年9月2日 (火) 11:35 (UTC)
- 了承しました。これにて大枠の同意が得られましたので、修正翻訳案に移行致します。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月3日 (水) 15:38 (UTC)
- 英語版のen:WP:LEAD#Citationsでは、「複雑な主題、現在進行中の主題、あるいは論争の対象となるような主題であれば多くの出典が要求されるでしょうが、そうでない記事については、出典はほんのわずかか、あるいはなくても構わないでしょう。(Complex, current, or controversial subjects may require many citations; others, few or none.」という記述があります。参考まで。--Kusunose(会話) 2014年8月20日 (水) 01:33 (UTC)
- これらを併せれば、「導入部は特に例外化されていないので、理想的には、導入部も同様に出典を示すのが望ましい」かと思われます。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月19日 (火) 03:57 (UTC)
en:WP:LEAD#Citationsの訳
[編集]en:WP:LEAD#Citationsの訳について、利用者:重陽/下書き4に文案を作りました。英語版に書かれている内容のうち、「検証可能性の方針は、疑いが持たれるもしくは持たれそうな記述や引用部は個別参照法によって記述の裏付けをするように助言しています。」という部分は、日本語版のWikipedia:検証可能性に個別参照法を薦めるような記述が含まれていないことおよび、ここを除去しても文章全体の文意に影響がないと思われることから除去しています。その他補足説明や文章の細かな調整を行っていますが、詳しくは英語版からの訳そのままの版との差分[4]をご確認ください。英語版の文書の文意を変えるような変更にはなっていないはずです。また、日本語版の現状としてもこの文案と同じ運用がなされていることから、この文案をガイドライン化しても現状を変えてしまうような変更にはならないはずです。これでよければ、英語版から翻訳による全体の改定にあわせてこちらもガイドラインに組み込みたいと思います。--重陽(会話) 2014年9月7日 (日) 16:10 (UTC)
- inline citationを個別参照法と誤訳し、特別な方針の例外への言及にてcitation requirementsを検証可能性と誤訳しているという、重大な誤訳によって英語版の文書の文意は変わっていると思います。この誤訳を元に「日本語版のWikipedia:検証可能性には個別参照法はない」との解釈が生じていますが、誤訳が原因の二次的な誤解かと思われます。「疑いが持たれそうな記述」など意味の分からない記述などは、「説明が求められそうな記述」など他の方針等と整合のある表現にしたほうがいいかと思います。重陽様が私に対してすでに指摘されている、元の文面を利用するという部分によって、例えば「閲覧者」ではなく「読者」としたほうがいいでしょう。わたしの方で翻訳することもできます。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月8日 (月) 07:58 (UTC)
- en:Wikipedia:inline citationに対応する日本語版の文書がWikipedia:出典を明記する/個別参照法であるように、日本語版ウィキペディアにおいてinline citationに対応する語として個別参照法が使われてきたと言う事情を反映しての訳語の選択ですので、inline citationを個別参照法と訳すことで英語版の文意が変わることはありませんよ。citation requirementsはそのまま訳せは「出典提示の要件」ですが、それの要件とは何かといえば結局はWikipedia:検証可能性であり、Wikipedia:出典を明記するですよね。であれば、ストレートに検証可能性と言ってしまったほうが文意はよりはっきりするでしょうし、こちらも英語版の文意が変わるようなことはないでしょう。どちらかと言えば日本語版の実情に合わせたカスタマイズの部類ですので、はじめにそう言っておけばよかったですね。それと、「日本語版のWikipedia:検証可能性には個別参照法はない」ではなく、「Wikipedia:検証可能性には、引用や(タバコはマーダーさんの表現をお借りすれば)説明が求められそうな記述に対しては個別参照法(inline citation)を使えと言った特別な助言がはっきり明記してあるわけではない」ということであり、端的にいえば英語版のen:WP:CHALLENGEがまだ日本語版には導入されていないというような意味合いで申しました。後のご指摘の部分はどのような表現を選択するかという訳語の好みの問題でしかないのでどちらでも構わないかと思います。--重陽(会話) 2014年9月8日 (月) 22:37 (UTC)
- 日本語版ウィキペディアにおいてinline citationに対応する語は、個別参照法ではなく、いわゆる「本文中の出典の注釈」です。Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方(ガイドライン)にある通り、「本文中に注釈を入れる方法(inline citation)」とか、英語版と併せてWikipedia:検証可能性#著作権と剽窃にある通り、「出典注釈や本文中での出典言及によって、情報源を適切に記載してください。(source use an inline citation, and in-text attribution where appropriate. ―en:Wikipedia:Verifiability#Copyright and plagiarism)」のように。
- en:Wikipedia:inline citationとは部分的にしか対応していないのがWikipedia:出典を明記する/個別参照法(手引書)ですね。Wikipedia:出典を明記する#個別参照法(ガイドライン)にある通り、ハーバード方式など同一文献の異なるページを参照したりといった個別参照法ですから、対応しておりません。Wikipedia:出典を明記する/個別参照法(手引書)には、合意された強い拘束力はないですし、合理的な理由もないので理解しかねます。誤訳に基づいた二次的な誤解です。
- 出典の要求(citation requirements)に関連するのが、検証可能性(verifiability)と独自研究は載せない(no original research)であり、出典の示し方を示しているのがWikipedia:出典を明記するです。これらは相互関係にあるかと思いますが、ストレートに言い換えが可能な言葉ではないので、ガイドラインの文書にて「出典の要求」を「検証可能性」と独自解釈で書き換えてしまうのはよくないかと。表現を別の事例で変えれば、「独自研究は載せない」を「検証可能性」に書き換えてしまうこともよくないでしょう。
- 「citation requirementsはそのまま訳せは「出典提示の要件」ですが」とそのまま訳しておられます。つまり、そのまま訳せば「導入部に出典提示の要件についての例外があるということではありません。」ということになります。
- それをなぜか、「そのままではなくて独自研究・独自解釈」をしたほうの、「結局はWikipedia:検証可能性であり、Wikipedia:出典を明記するですよね」を反映してしまっているので、重大な誤訳なのでよくないと思います。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月9日 (火) 11:34 (UTC)
- タバコはマーダーさんがそのように考えるということは了解しましたが、これまでウィキペディア上で記事の出典の書き方の話が言及されてきた際にはほとんどinline citation=個別参照法という文脈で語られて来ていましたし、少なくとも経験上タバコはマーダーさんのような認識はむしろ少数派なように感じます。とはいえ、方針・ガイドライン文書がそのような慣例的な部分を持つことはあまり詳しくない人に対する説明を考えればあまり良くないでしょうし、「本文中の出典の脚注」とする方がいいかもしれませんね。それに合わせて文案を書き換えようかと思います。「経験上こうだ」という部分に引きずられてしまうのもあまり良くないですね。ご指摘ありがとうございます。
- 後半に関しては、タバコはマーダーさんの説明を受けてもやはりその部分が変わったことで文意がどう変わるのか良くわかりませんが、どちらであっても文意が変わるものではないのであればタバコはマーダーさんのご意見を採用しても同じですから、それで合意できるのであれば「出典提示の要件」としましょう。--重陽(会話) 2014年9月10日 (水) 22:38 (UTC)
- 私の解釈が少数派であるという根拠は見つかりませんでした。以下に述べるように、異なりますからね。最近2月においても、Wikipedia‐ノート:出典を明記する#文章の小改訂提案の通り、Hman氏(2014年2月5日05:21UTC)が述べるには、「個別参照法(手引書)は、実質的に末尾に参考文献を挙げる(general reference)」ということであり、Ks aka 98氏(2014年2月5日15:54UTC)が述べるには「個別参照法は定着した訳語ではないので、混乱が生じうる」ということです。
- このWikipedia:出典を明記する/個別参照法(手引書)は、末尾の脚注・referencesタグを必要とします。一方、Wikipedia:出典を明記する#本文中に注釈を挿入する(ガイドライン)では、1番目の方法として末尾不要で文章の直後に『なになに』参照と書くだけで、3番目の方法でやっと脚注機能を使います。
- Wikipedia:出典を明記する#個別参照法(ガイドライン)とは、手順1で末尾に文献を記載し、手順2で本文中にどの文献かが特定できるように記載するということです。本文中に注釈を挿入する(inline citation)と、末尾に参考文献を挙げる(general reference)との複合方式です。
- 英語版のen:Wikipedia:Inline citationは、文中にて出典を挙げる「アリス・ジョーンズがその著書『太陽』で述べたのは」のような方法や、文末にアドレスを挿入する方法とかも例示されていますが、Wikipedia:出典を明記する/個別参照法(手引書)は、そのようなことは述べていないので、部分的な対応です。
- 論争のない記事では「議論のないような導入部の記載に出典の提示を求められることはあまりない」という内容に続き、そのまま訳せば「ただし、導入部に出典提示の要件についての例外があるということではありません」となります。前後の文章がつながって、出典の要求という行為が起こりうることに、導入部も例外ではないという文意になります。文の流れをぶった切って検証可能性に変えれば、但し書きの文意が変わります。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月11日 (木) 11:04 (UTC)
- Wikipedia‐ノート:出典を明記する#文章の小改訂提案でのやり取りは追いかけていませんので存じ上げませんが、私がよく関わっていた記事選考の場などでは出典が適切に付けられているか否かが俎上に上がることも多く、その場合の多くは個別参照法による出典提示を念頭に置いた指摘がされています。当然、インテキスト方式であれ的確に出典が提示されていればそれが問題視されることはまずないですが、多くの良質な記事、秀逸な記事に選出された記事群を見れば明確なように、個別参照法以外の方法は主流ではないことも確かです。そのような実際の記事執筆における実情を踏まえた上での「経験上」という話ですので、Wikipedia名前空間のノートのやり取りなどのログを見てもこの辺りの感覚はわかりにくいかもしれませんね。
- この節では説明が求められそうな記述に対しては読者が自分自身の手で確認できるようにインラインで出典を提示しましょうという文脈で解説がなされているのですから、その解説の中において出典の要求という行為がなぜ起こりうるのかと言えば、それはストレートに検証可能性を満たすためということでなければ文脈が繋がりませんよ。ここで重要なのはルールの精神、文書の文脈、文意なのですから、英語版の文書の文面を厳密に正確にトレースすることにはこだわっていません。
- ですが、この文書において最も重要な部分はKusunoseさんに紹介していただいた「複雑な主題、現在進行中の主題、あるいは論争の対象となるような主題であれば多くの出典の提示が要求されるでしょうが、そうでない記事については、出典の提示はほんのわずかか、あるいはなくても構わないでしょう。」という部分なのですから、この部分を日本語版に導入するのが最優先なのであって、前置きや補足の部分の表現に関しては同意できる形で同意できればそれでいいと思っています。というわけで、タバコはマーダーさんのご指摘を受けた形で利用者:重陽/下書き4を書き換えましたのでご確認ください。--重陽(会話) 2014年9月11日 (木) 15:31 (UTC)
- そこまで仰るならば、上で繰り返されてきた議論のように、この部分も検証可能な証拠よりも独自研究を当然のものであると重視して、当初の 「inline citation=個別参照法」、「citation requirements検証可能性」という訳にしましょう。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月11日 (木) 17:17 (UTC)
- inline citationに関しては上で申しました通り、ガイドライン文書を整備するのに「経験上こうだ」という感覚的な部分に引きずられてしまうのもあまり良くないとも思いますので、「inline citation=本文中の出典の脚注」の方がより良いかと思います。上記は「inline citation=本文中の出典の脚注」の方が「inline citation=個別参照法」よりも良い訳語選択だということを受け入れた上で、文案を作成した時点における訳語選択の理由を説明しただけです。citation requirementsに関しては先の意見の通りどちらの訳語を選択しても文意は同じことだと思いますので、タバコはマーダーさんが「検証可能性」でよいと言うのであればそれでいきましょう。我々はより良いガイドライン文書を作成するために議論しているのであって自分の意見を押し通すためのディベートをしているわけではないのですから、重大な誤訳だの独自研究だのと言われれてしまったら釈明の一つも行いますけれども、基本的には是々非々で考えてより良い意見を拾い上げていきたいと思っています。--重陽(会話) 2014年9月11日 (木) 23:26 (UTC)
- そうだったんですね。重陽様が、方針やガイドライン以外の何を重視されているのかよくわからないということで、当方も説明に困っているため、区別するための強調が強くなってすみません。
- 文意・要旨は「導入部は、(容易に検証可能であろう)一般性の高いレベルの事柄によって書かれるのですが、(出典が提示されていないため)出典が要求されることもあるかもしれません。」であって、「一般性が高い事柄なので、検証可能性を満たしているが、出典を挙げていないケース」とかに言及しているので、「出典の要求」に例外はないとの但し書きがあるということです。
- つまり、「検証可能性を満たしているとは、即ち、出典を提示しているかはまだ決定されていない」ため、このような文章であると思います。重陽様が「検証可能性を満たしているとは、即ち、出典を提示している」と昇格させているために文意が変わります。
- Wikipedia:検証可能性とは、「検証可能な事柄を書いていても」、「信頼できる情報源がなければ削除されるかもしれない」ということでもあります。Wikipedia:検証可能性とは、すなわち「出典提示の要件」という思い込みが変わりにくいというのであれば、もしかすると私のほうが誤解かもしれないので、潔く重陽方式でいきましょうということです。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月12日 (金) 07:27 (UTC)
- ご返答の間隔が大幅に開いてしまって申し訳ありません。ここの文意・要旨は「導入部は通常記事本文に書かれている情報の繰り返しである→だから同じ情報に対して記事本文と導入部で二重に重複して出典提示する必要は無い(だから導入部では出典の提示が省略できる)→だけど論争のある主題の記事などでは読者への利便性のためにinlineで出典を提示すべき」であると認識しています。2行目に「冗長さを回避するために記事本文と重複する出典の提示を避けようとすること」あるように、出典の提示を省けるのは記事本文で出典が提示されている重複部分に限られているという前提があります。タバコはマーダーさんのお話を伺うと、記事中のどこにもその情報に対する出典の提示がされていない記述に関して、その内容が一般的であるから出典を提示していないケースのお話をされているようで、そこの部分の認識にずれがあるのだと感じました。そこのずれが埋まれば話は早いような気もするのですがどうでしょう?
- 私の方は10月中ごろまではウィキペディアへの時間がほとんど取れない状態が続くことになりそうですので、申し訳ありませんが他の節の部分に関してはタバコはマーダーさんに話を進めていただければ有り難いです。--重陽(会話) 2014年9月23日 (火) 17:43 (UTC)修正、ins, del略--重陽(会話) 2014年9月23日 (火) 17:51 (UTC)
- 「多くの場合(usually)重複」とある文は、すべてが重複でもないですし、この文は違うことを説明しています。なので、一般的であるので出典を提示していないケースもありうると思います。
- 出典の提示が求められなさそうな文章についても出典が要求されるかもしれない、という文意がなくなっていると思いましたが。この部分に長々と固執するにもいかないので、重陽様の案にしましょう。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月25日 (木) 13:28 (UTC)
- 了解しました。ありがとうございます。文案の検証可能性の部分だけ戻しました。他になければ利用者:重陽/下書き4で行きましょう。--重陽(会話) 2014年9月28日 (日) 16:21 (UTC)
- そこまで仰るならば、上で繰り返されてきた議論のように、この部分も検証可能な証拠よりも独自研究を当然のものであると重視して、当初の 「inline citation=個別参照法」、「citation requirements検証可能性」という訳にしましょう。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月11日 (木) 17:17 (UTC)
- en:Wikipedia:inline citationに対応する日本語版の文書がWikipedia:出典を明記する/個別参照法であるように、日本語版ウィキペディアにおいてinline citationに対応する語として個別参照法が使われてきたと言う事情を反映しての訳語の選択ですので、inline citationを個別参照法と訳すことで英語版の文意が変わることはありませんよ。citation requirementsはそのまま訳せは「出典提示の要件」ですが、それの要件とは何かといえば結局はWikipedia:検証可能性であり、Wikipedia:出典を明記するですよね。であれば、ストレートに検証可能性と言ってしまったほうが文意はよりはっきりするでしょうし、こちらも英語版の文意が変わるようなことはないでしょう。どちらかと言えば日本語版の実情に合わせたカスタマイズの部類ですので、はじめにそう言っておけばよかったですね。それと、「日本語版のWikipedia:検証可能性には個別参照法はない」ではなく、「Wikipedia:検証可能性には、引用や(タバコはマーダーさんの表現をお借りすれば)説明が求められそうな記述に対しては個別参照法(inline citation)を使えと言った特別な助言がはっきり明記してあるわけではない」ということであり、端的にいえば英語版のen:WP:CHALLENGEがまだ日本語版には導入されていないというような意味合いで申しました。後のご指摘の部分はどのような表現を選択するかという訳語の好みの問題でしかないのでどちらでも構わないかと思います。--重陽(会話) 2014年9月8日 (月) 22:37 (UTC)
- 他に異論もないようですのでガイドラインに反映し、関連するショートカットを作成ました。--重陽(会話) 2014年10月11日 (土) 15:40 (UTC)
冒頭を現状に即し、また長さとして段落数による目安の追加
[編集]現在、冒頭は、ガイドラインがなんであるか、スタイルマニュアルがなんであるかの説明になっているのは、まだガイドラインというものが整備されていない2005年の名残です。
また当時は、3段落以内という量の規定がありましたが、スタブがあればいいというような当時ではそれでよかったでしょう。その後~現在において、記事全体の長さに対応と規定されていますが、ここをもう少しざっくり説明ができないかということですね。
既にガイドラインテンプレートが貼られてだいぶ時間も経っているので、導入部のガイドラインの冒頭にて、このガイドラインの要約を説明した具体例にもなる機能的なガイドラインにするということがまず1点。
- 修正案です。伴って長さの節も用意致します。
『「概要」節を作る場合』の節をネスト2つのレベル2の見出しにし、直前の「Wikipedia日本語版では」という文章をこちらに含めます。そして、「概要文」の節の次に、「長さ」の節を入れます。そのため、「概要文」の節の長さに関する文章、「概要は記事全体の簡略版であると考えられ」以降は、長さ節に移動となります。1週間後に異論がなければ反映いたします。--タバコはマーダー(会話) 2014年9月29日 (月) 08:37 (UTC)
- 反映いたしました。--タバコはマーダー(会話) 2014年10月6日 (月) 11:47 (UTC)