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Wikipedia‐ノート:削除依頼/スシトレイン

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中立悩ましい案件です。迷いがあり、はっきりと存否を意思表示できません。コミュニティの合意形成に際してはノーカンでいいです。

(0)ほかへの影響を一切考慮に入れず、この記事のことだけ考えれば、<検証可能性がきちんと確保されていてカタチがちゃんとしている><10年も前に引退していて今後評価がブレる可能性が低そう><ひとまず記事として完成形に至っている>という条件が揃ったうえで、このレベルの実績の馬の記事ができるのなら、別にいいかな、というのが私個人の感想です。しかし、各種方針文書や、実際上のいろいろな状況を考慮に入れ、コミュニティの総意をとると、やっぱマズいかな、というところです。
(1)特筆性の根拠に疑いがある。従来のコミュニティの判断を踏襲すれば削除でもしかたがない。
  • WP:IINFO - 「たとえ検証可能であったとしても、百科事典に収録するのに相応しい内容であるとは限りません。
  • WP:NOT#NEWS - 「現在話題となっている事象について単体記事を立ち上げることに走りがちです。しかし全ての検証可能な事項についてウィキペディアに含めるのは適切ではありません。以下の記事などは相応しくありません。」「ウィキペディアでは人物や出来事の歴史的な特筆性が考慮されます。報道は百科事典の項目のための有用な資料となり得ますが、あらゆる出来事がそれ単独の百科事典記事を作成する正当性をもつわけではありません。公式発表、スポーツ、タブロイド報道のような日々繰り返されるニュースは、単独記事を作成するのに十分な土台とはなりません。仮にある出来事に特筆性があったとしても、そこに登場する個人には特筆性はないかもしれません。個人に関する報道が1つの出来事を越えた広がりを持つものでない限り、その個人に関する記述はその出来事に関する記事内に限定されるべきであり、主題全体における重要性に見合った分量の記載に限定されるべきです」(当然、今回は「人物」を「馬」に置き換えて読むべきでしょう。)
  • 一般に、競走馬が引退すると、全成績を網羅したり、評価が出揃ったり、時間をかけた取材が行われたりして、総括的な特集記事(歴史的な特筆性が考慮された記事)が出ることはあります。
  • しかし月刊誌「サラブレ」2003年3月号が発売(編集)の時点では、同馬は2戦か3戦しただけでした。まだ実際に行ってもいない遠征に関する、インタビュー記事は、現在話題となっている事象どまんなかでしょう。示されている出典はWP:NOT#NEWSWP:Nの「単発の出来事や話題に関する定常的なニュース報道」にひっかかるでしょう。これらが「対象と無関係な」「有意な言及」といえるか、WP:NRVEにある「信頼できる情報源における相当量の言及」に文句なしに適合するのか、私はNG側と思います。ただし(2)で言うように「完全にNGだ」と決めつけもできません。程度問題です。(私は「サラブレ」を直接確認していないので、断言もできません。)
  • IP氏が「特集記事」であり特筆性の最大の根拠だという「サラブレ」を筆頭に、示されている出典はすべて、<現役当時の><直近の動静を伝える報道>です。後になって「スシトレインっていう馬がいてさ」というような「歴史的な特筆性が考慮された」タイプの出典は示されていません。
  • この馬の場合、たまたま2戦目の条件戦で大勝ちしたので一部で取り沙汰されました。次に同コースで前走より0.1秒速く走ったにもかかわらず、ビリでした。その後も鳴かず飛ばず。黒竹賞で負かした14頭のうち、その後いちばん活躍したのは準オープンまでいったビッグコングで、ほかにJRAで条件特別を勝ったのは1000万特別を1つ勝ったサクラスターダムだけ。ほかは500万特別すら勝っていない。あとからみれば、黒竹賞はたまたまべらぼうに相手が弱かっただけです。だからこそ、それっきりこの馬を「特集」するようなものが現れなかったのでしょう。こういう程度の馬ですら、本記事で示されてるような「出典」をたくさん見つけられる、というのが競馬分野の特性です。こういう場合、<直近の動静を伝える報道>は「スポーツの試合結果」のようなもので「特筆性の根拠になりません」(Wikipedia:独立記事作成の目安#ニュース報道等)。競馬メディアは毎日・毎週・毎月、競馬のことを伝えるのが仕事なので、何百ページかの紙面を毎日毎週埋めるために、なにかしら書かなければいけないのです。もしもこの馬のことを「競馬の外のメディア」が「報道」したり、わざわざこの馬のことを伝えるための本が出たりすれば、違った判断になるでしょう。あるいは、競馬メディアのなかで、後になって、10年以上昔の同馬をわざわざ「特集」するようなものが出てくれば、それはまさしく特筆性の根拠(歴史的な特筆性が考慮された出典)にできるかもしれません。
  • WP:NTEMPは、「ある時点で十分に特筆性を得ていた」ならばその後忘れられていても特筆性は失われない、というものです。そもそも「スポーツ報道」なので過去の時点でも「十分な特筆性を得ていない」と判断するならば、WP:NTEMPを持ちだしてもダメです。
(2)特筆性の有無/大小と「独立記事」とは別に考えていいのでは。
  • (1)は削除よりの見解ですが、(2)は存続よりの意見です。ケースEの削除依頼なので、端的に「特筆性があるか・ないか」=「存続か・削除か」になってしまっていますが、私は「統合(存続だけど、単独項目ではなくなる)」という選択肢も考慮に入れるといいと思うのです。
  • 上では、あたかも特筆性を否定し、(従前のように)Bellcricketさんと真っ向から対立するような発言をしていますが、実際のところは、私は「ある程度の、小さめの特筆性はあるんだろうな」と思っています。「文句なしのじゅうぶんな特集記事」かどうかは怪しいけども、サラブレで個別に取り上げられている。スポーツ報道かも知れないが、ともかく報道記事はそれなりの数がある。Bellcricketさんが言うように「ある時点では、ある特定の集団によって、ある程度注目されていた」ということはそうだろう。
  • 基本的に、「有意か」「信頼できるか」「十分か」「特集か」というものは、YES・NOの2択ではなく、スペクトルのように閾値のあるものと考えます。青と黄では、明らかに(私が見ても、Bellcricketさんがみても)「青だろ」ということになるかもしれません。しかし黄緑か緑かになると、私は「これは黄緑だ」と言い、Bellcricketさんは「これは緑だ」、というように、人によって判断が分かれるでしょう。だから私は「これは有意だ・有意じゃない」でBellcricketさんと見解がわかれたとしても、別にBellcricketさんがおかしいとは思いません。共同作業ですから、より多くの見解が集まることで合意を形成するまでです。30人が「黄緑だ」といえば黄緑にすることになるし、300人が緑といえば緑とすることになります。
  • いずれにせよ、馬主かUAEダービーの記事あたりに統合して2行ぐらい記述を残す、というぐらいでもいいのではないか、というのが私の考えです。この記事、競馬記事に限らず、ケースEの削除依頼では削除ばかり取り沙汰されるのですが、「より包括的な記事に統合して記述をちょっと残す」選択肢がもっと検討されてもいいと思うのです。もちろん、「統合も検討したけどやっぱり1行すら残す価値もない」という判断もあるだろうとは思います。
(3)記事の来歴に対する不信感
  • 私はこの記事(ともしかすると削除依頼も?)にはどうも不自然な点があり、「わざと物議を醸すために作られた」という印象を持ちました。なにか気に入らないことがあって引っ掻き回したい人がいて、WP:DISRUPTPOINTの「悪い例」「もっと悪い例」をやっているように感じます。
  • 「関連項目」に、関連性が不明瞭な馬名が並んでおり、そのうち下の4つは「項目」にさえなっていません。古参の競馬執筆者であれば記憶にあるかもしれませんが、1頭はケースEで削除された馬です。私には、「わざと特筆性で揉めそうな馬ばかり列記した」ように見えます。
  • IP氏は削除依頼後に、まるであたかも「今はじめて気づいた」みたいに「ノート:ティルナノーグ (競走馬)などを見ると、競走馬の特筆性について様々な考え方があるようですね。」と言っています[1]。しかしそのティルナノーグ (競走馬)は初版から「関連項目」にあげられています。このティルナノーグとスシトレインの関連性ってなんでしょう?最初から「特筆性のことで一悶着ありそうな項目」とわかっていたように思えます。
  • 初版の時点ではウェブアーカイブとか、ブログとか、データベースとか、微妙な出典ばかり示されています。削除依頼に進展してから、立項者であるというIP氏は「この馬だけの特集記事」がある、といってサラブレ2003年3月号を持ちだしました。なぜ最初から示さなかったのでしょう。(WP:N -「独立記事を新たに作成する場合、特筆性の立証をできれば立頁の初期段階で行うことをお奨めします。」)
  • IP氏は「同じような実績の馬の記事」の「お掃除」を主張しています。削除依頼提出者もK-icznさんも「実績のみ」で判断しているのではなく、「それ以外の面」「出典の質」も考慮に入れた上での意見表明です。誰も言っていない「実績だけで判断」を強調して、「だったらこれも全部削除だよね?これも全部除去だよね?」と言って消して回るのはWP:DISRUPTPOINTの典型です。まるで「削除したくてしょうがない」感じです。はなから「お掃除」に持って行く目的で建てた記事、という印象を受けます。(なお、列挙されている記事は、「G1の2着馬」「分割で出来た記事」「OP勝ち&UAEダービー出走馬」などがあり、本記事と十把一絡げにするのは乱暴です。)
  • IPゆえに投稿履歴の確認ができませんが、初版を見る限り、IP氏はそこそこの投稿歴があるように思います。
  • そこそこの投稿歴がある人が、変動IPで、いかにも微妙なラインの記事を作成し、特筆性が問題になりそうとわかっていながら、特筆性の最大の根拠になる出典を最初から出さず、Bellcricketさんと私の名前にリンクを設けて見解がわかれた2者の「目に留まる」ようにし、WP:DISRUPTPOINTに抵触する言動をするのは、なにか「特殊な意図の存在」を感じます。
  • 削除依頼を提出した側のIPさんも、どうでしょう。投稿履歴で分かる範囲でいうと、6月6日に登場してすぐに削除依頼、あちこちに「特筆性」を貼って回るのと削除依頼を起こすのに終始しているようです。Wikipedia:説明責任の観点ではなにか秘めていそうに思います。そういえば、6月6日といえばこの案件の最中でしたね。
(4)最終的な判断は迷いがあってよくわからない。
  • 賛成・反対の立場を明確にしようとするとBellcricketさんと対立するような格好になってしまうのですが、Bellcricketさんのいうように、検証可能性が確保されているなら、このぐらいの主題をいくらでも収録したっていいじゃない、という考え方にも半分賛成なんです。すべての記事が最初から・立項者の責任で・この完成度で立項されるならば、すべての未勝利馬の記事があってもいいや。しかし、競走馬事典ではなく百科事典としてある程度の取捨が求められること、「スタブでもいいんだよ」ということで「完成形」じゃないものが立項することが技術的に可能なこと、このレベルの実績の競走馬の記事が検証可能性を満たさないスタブで多数立項された場合にほかの人間が記事を完成形へもっていくのが現実的に不可能なこと(実際に今でもそういうことが起き続けている[2])、ことなんかを考えると、歯止めがあることを示すのはしょうがない、というふうにも思います。たいていの分野では、コミュニティは、「下限」があって然るべきと考えているし、そうしなければ現実的に収集がつかなくなるというのも確かです。
  • WP:NRVEは分野別の判断基準を認めています。また、Pasternさんも指摘していますが、WP:GNG/Pでは「この目安を満たしていたとしても、編集者の間での合意形成により、作成、収録にふさわしくないとされる話題もあります。」とあります。仮に示された出典が一定の特筆性を裏付けるとしても、合意が形成されれば削除は妥当です。最初にWP:NOT#NEWSを引用したように、検証可能で、出典が示されていても、単独記事には相応しくないという判断もありうる、というのは方針文書に沿っています。
  • WP:Nの冒頭文「ある対象に特筆性が見つかった場合は、多くの場合ウィキペディアに記述できますが、ことごとく新規に独立記事を作成するだけが最良とは限りません。場合によっては既に記述されている、より包括的な項目内の情報として新たな節を設ける等、記事の強化に役立てる方が良い場合もあります。」
  • こうしたことから、純粋に本主題のことだけ考えると、小さいながらも特筆性を認め、どこかへ統合して小さな言及を残す、というのが、私が考える方策です。
  • しかし(3)を考えると、今度は「あのとき良いって言ったよね?」と言って、「条件級の馬の出典をみつけて片っ端から2行づつぐらいの記述をする」タイプの編集を行う利用者が登場するという危惧も感じるのです。存続にすれば片っ端から似たようなレベルの記事を作ってまわる、削除にすれば「同じぐらいの実績」のものを片っ端から削除依頼にかけて「お掃除」という。なんだかどっちに転んでもWP:DISRUPTPOINTに抵触する人に「口実」を与えることになるような気がするのです。--柒月例祭会話2015年8月11日 (火) 20:32 (UTC)[返信]
こっちでも。えと、記事作成の経緯は、以前権利侵害の疑いがある、同じ執筆者による多数の記事について、属人的に削除ということがありましたが、そういう経緯だけで一律に削除ということは合意があればアリだと思うけど、経緯が削除の基準に影響を及ぼすようなことはあってはいけないと思う。経緯のみで削除にならないなら、経緯のことは別に置く。
独立記事にするかどうかは、Yes/Noで決めなければいけなくて、そのための目安がWP:Nである、と。そのなかに出てくるいろんな言葉の解釈でスペクトルはあるだろうけれど。そこで、私は「これは黄緑だ」と言い、Bellcricketさんは「これは緑だ」、ということではなくて、サラブレで個別に取り上げられている。スポーツ報道かも知れないが、ともかく報道記事はそれなりの数があるという点で、黄緑だというのは共通しているのだけれど、緑じゃないと独立項目にできないというPJの扱いになってるからってのが削除の人たちの意見、これに対して黄色なら目安を満たさないけど黄緑なら独立項目だというのが目安になってるんだから存続って意見がある、て状況ではないだろか。もっとも、PJでも、Z.その他の特筆性「Wikipediaが方針文書で定める一般的な特筆性を満たすものであれば、それは特筆性を有するでしょう」とされています。
そこで、「編集者の間での合意形成により、作成、収録にふさわしくないとされる話題もあります」(WP:N)とされるけれど、これは「例えばウィキペディアは何ではないかに違反してるってのが例示されているように、特筆性とは別の理由による場合が想定されていると思います。
統合などについては、また別の話で、独立記事にできるけれどもプロジェクトの方針として上位記事の一部として書くことにしよう、というのは、独立記事の目安とは関係なく運用としてできるものだと思います。その場合は、特筆性を理由とした削除にはしない、削除依頼を出さない。そうすれば、削除の問題ではなく、記事と記述の間の構造の問題に留まります。個々のPJと全体としてのWP:Nの間の齟齬は気にしなくてもいい。独立させたいか、上位記事の一部にするかについて意見が対立したら、PJ内で考える。
PJや個別の目安と、WP:Nの間の関係については、いろいろ悩むところなのですが、それはWP:Nの目安を満たしていなくても、特筆性を満たすと推定できるという規定がPJで置かれた場合で、これは複数の第三者的情報源で優位な言及があると考えられるものを列挙するって場合(具体的な情報源が示されていないが、情報源があると推定して、特筆性も推定させる)、複数の第三者的情報源で優位な言及があることが明らかとは考えられないが網羅性や項目間の構造などの観点から独立した記事を認められるものを列挙するって場合(地名や自治体などや、音楽家のディスコグラフィなど)はいいとしても、複数の第三者的情報源で優位な言及があることが明らかではないが、他の条件によって特筆性があると推定させる(作品数とか出走数とか)ってのはアリかナシかってところだったりします。--Ks aka 98会話2015年8月13日 (木) 18:38 (UTC)[返信]
  • コメント私はスシトレインに関してだけ言うと、確かにそこそこの話題があって、検証可能性が満たされていて、記事の完成度もそこそこあって、まあこの記事がこのままであることで、それ単独ではそれほど別に害はない、いいんじゃない?というふうには感じでいます。
  • しかし「とにかく報道さえあれば特筆性クリア」というような判断を赦すことには反対なのです。
  • なぜ反対かというと、現在も乱立され続けている一行スタブ「ほにゃららは日本の競走馬である。以上。出典なし」みたいのが、削除もできず加筆もされず山積みになっていくからです。Bellcricketさんの主張ではそれでも困らない、ということですが、私はそうは思いません。
これは「まだ起きていない、ありもしない、将来の不安」ではなく、「既に起きている、実在する問題」です。(実例[3][4][5][6][7][8]。この6件はわずか30分で作成されています。)
PJ競馬に参加して議論に加わっているような、競馬分野の真面目な執筆者はみんな、「たとえ自分が作ったものでなくても、競馬分野に作られたスタブに対して、それをまともな記事へ成長させる、一定の責任や義務を分担している」というような責任感や義務感のようなものを持っているだろうと思います[9]。そもそもウィキプロジェクトというのはそういう集まりのはずです。だから、一行スタブみたいのが年に1000も乱造されて放置されたらマズイだろ、と考えて、一定の基準を設けようと何年もかけて議論しました。
各利用者の主観でブレることがないような基準を求めて行った結果、ひとまず「重賞勝ち」で収束しています。(総意ですから、過程では、G1勝ちじゃないとダメだという人もいれば、もっと緩くていいと主張した㭍月例祭のような少数派もいました。成績がどんなによくても、記事の中身が乏しかったり出典がないものはダメだ、という議論もありました。[10])これならば、最多でも年間150かそこらが数の上限になります。
  • Bellcricketさんがおっしゃるように、「とにかく報道さえあれば特筆性クリアだ」としましょう。
JRAだけで年間3500レースあります。レース前、レース後に、上位馬に関する報道が数多くのメディアでなされます。
  • (例)日刊スポーツの8月13日・12日の記事の見出しを見てみましょう。47個あります。
「関屋記念」だけに注目してみましょう。
1メディアの1レースを2日ぶんみるだけで、15、6頭の全出走馬のうち、10頭が「特筆性」を獲得しています。まだ実際のレースやっていないにも関わらずです。こういう重賞レースが日本だけで年間150ほどある。重賞だけじゃないですよ?
「阿蘇ステークス」は競馬分野では単独記事を立てないことになっている「オープン級」のレースです。
メディアは数十かそれ以上ありますよ。
オープン級だけじゃないですよ?
こんな調子です。競馬専門ではない1メディアだけでこれですよ。1レースに出走できるのは15頭ぐらいでも、登録するのは40-50頭ぐらいいたりしますから、実際には出走しなくても、その全てに何らかの報道が行なわれたりします。さいしょのほうの「アルバタックス」は重賞に勝ったことがない馬ですが、この名前でニュースを検索しても2-30はニュース記事が出てくる。これでいちいち単独記事にするだけの特筆性があると言い出したらきりがない、というのが競馬分野の執筆者の総意だったわけです。
たとえBellcricketさんの主張が通ったとしても、真面目な競馬執筆者は、だったらこれもいいんだろう!といって上のような出典を根拠に記事を乱造したりなんてしません。しかし、既にそれ以下のことをやっている利用者がずっと前から(5年やそこらじゃなく)いるわけです。
日本では毎年7000頭が新たに競走馬になります。まだ馬主が決まらないデビュー前の馬を専門に扱う定期刊行物すらあります。
7000/7000とまでいうと大げさになるでしょうけど、1000/7000とか、3500/7000とか、そのぐらいは、何らかの「言及」をみつけることは可能でしょう。ノート:オメガヴェンデッタでBellcricketさんは「数千頭いる競走馬の全てが、次走の予定を報道され、どういった点に注目すべきかの論評されているわけではありません。」と主張していますが、JRAの全競走馬について「どういった点に注目すべきかの論評」するような定期刊行物があるのです。数千頭にはならないかもしれないが、上で示した日刊スポーツのようなものをつかうだけで、毎週50頭ぐらいにはなるでしょう。50頭×50週は2500頭ですが、同じ馬が2勝したりするので、2500よりは少ない数で収まるはずです。
Bellcricketさんの主張では、メディアに取り上げられさえすれば、特筆性の根拠になります。「このような報道はありふれてるから、これぐらいでいちいち特筆性の根拠になんかできない」というのは「個人の主観だ」と切り捨てられています。
したがって、いまここで上の関屋記念に関連して、10件の「一行スタブ」を立て逃げされたとして、加筆するしか手立てはないのです。しかし、誰が?Bellcricketさんの言うとおりにすると、「ほにゃららは日本の競走馬である。以上。出典なし」というのが何百何千と放置されることになりかねません。既にそうなり始めています。競馬分野の記事を書かないBellcricketさんは「別に困らない」といいますが、競馬分野の真面目な執筆者は困っているんです。「特筆性があるというだけでサブスタブだろうが好きなだけ作成可能」という空気が醸成され、毎週のように同じことが繰り返されている現状に対して、コミュニティとして何の対処もできないのであれば、ウィキペディアは無法地帯というほかありません。」という指摘は、私はその通りだと思いました。(それでもルール上、渋々存続票を投じるほかなかった。)ブロック破りをして出典のない一行スタブを乱立させていくような捨てアカウントの人が、記事の中身だけは真面目に書いていると信用できますか?嘘や間違いが書かれているかもしれないスタブが山ほど放置されてから、競馬ジャンルの執筆者に「なんとかして」と言ったって知りませんよ。
ここまでハードルを下げると、もう絶対に加筆は追いつかなくなるでしょう。既にそうなっていますけども。加筆が追いつかず、削除もできないわけですから、帰結として、「○○は日本の競走馬。以上。出典なし」という記事が毎年100件増えようが、1000件増えようが、もはやPJ競馬の参加者もなにもしなくなるでしょう。1件の記事の出典を整備する間に20件増えるわけですから。仮に記事に嘘が書かれていても(実際に既にそうなっている。)、修正も追いつかないでしょう。もちろんその場合には、PJ競馬の参加者には何の責任も義務もないのは言うまでもありません。
もちろん1000とか2000は大げさで、実際にはそこまではいかないでしょう。1年で数百件か、数十件で済むかもしれません。
それでもPJ競馬の参加者は、そういう状況になるのは嫌だと考えているので、なんとか抑制策を考えてきました。それで決めた合意に基づいて削除をしようとして、それがルール違反だというのであれば、もう諦めるしかないでしょう。繰り返しますが、スシトレイン自体はそこまでひどくないと思うので削除票は投じませんが、出典さえ見つかれば全部存続だという意見はウィキペディアをごみの山にしてしまう、それでもいいのなら・・・それでもいいのかもしれません。
私はBellcricketさんをひどく非難しているように書いていますけども、「○○は2015年のダービー馬である[1]。以上。おしまい。」という単独記事が何千個もつくられるのも、確かにそれはそれでなんぼか調べ物の役に立つかもしれない、というふうにも思っています。たぶんPJ競馬に参加しているような競馬に詳しい執筆者は、それは百科事典の記事としていかがなものか、と思うだろうと思いますが、競馬になんてこれっぽっちも興味が無い利用者にとっては、それで十分なんでしょう。私がウィキペディアで競馬記事を書くのをもうやめようと思ったのは、そこらへんに思いが至ったからです。
私は、削除でもなければ、加筆待ちで永久放置でもない、スタブ乱立を抑制する第三の方法として、「統合」をもっと積極的に採用すればいいと、繰り返し提案してきました。しかし私の主張に耳を貸す人はおらず、採用されないでしょう。いつもいきなり削除依頼が出され、削除と存続で対立し、合意にならずに存続になり、記事そのものはそのまま放置されます。私はもう諦めています。--柒月例祭会話2015年8月14日 (金) 15:44 (UTC)[返信]
ええと、最後のあたり。
Wikipedia:編集方針は読んだことがありますでしょうか。リンクされてた先のHOPEさんの言葉を使わせてもらうけれど、「きちんと最後まで面倒を見て、十分な内容のある記事に育てなければならない」ということを、ウィキペディアは求めていない。だから、ブロックや削除と言う形での対処はできない。いち参加者として、PJとして対話をしていくといった対応はできる。そしてそれをウィキペディアは「無法地帯」とはしていない。少なくとも、「○○は2015年のダービー馬である[1]。以上。おしまい。」は、ごみと言っていいものではないです。「ほにゃららは日本の競走馬である。以上。出典なし」は、例示されているように多くの情報源がウェブ上にも存在しているのですから、PJ競馬の方々の手を煩わせることなく、誰でも出典をつけることができます。日本語版はそこが手薄だよなあ、とは思います。
競馬自体には興味がないけれどたまたま競馬と関係がある何かを通じて競馬についての情報が必要になった人や、ちょっとは競馬に興味がある人が、競馬の記事を読みます。百科事典の記事と言うのは、そういうもの。そういう人たちにとって役に立つかどうかが、「単に競馬に詳しい人」が百科事典の執筆者としてウィキペディアに参加するにあたって、意識しないといけないところだと思うんです。なんとかというカタカナの文字列がいつごろの競走馬の名前だと分かるだけでも、役には立ちます。単に競馬に詳しい人と、「競馬自体には興味がないけれどたまたま競馬と関係がある何かを通じて競馬についての情報が必要になった人や、ちょっとは競馬に興味がある人」は、感覚的に違うところがある。同じように、ある程度記事が書ける、書くスキルを身につけた人と、そうでない人の間にも、感覚的に違うところがある。
プロジェクトの方々が「たとえ自分が作ったものでなくても、競馬分野に作られたスタブに対して、それをまともな記事へ成長させる、一定の責任や義務を分担している」というのは、素晴らしいことだと思います。一方、記事を作ったり修正したりするのは、今プロジェクトにいる人たちだけではありませんし、実際にはウィキペディアでは責任や義務はありません。新しく参加してきた人たちに、彼らのモチベーションを落とすことなく、ウィキペディアの方針やガイドラインを伝え、新しい仲間として協力していくことも必要です。責任や義務は、自分のうちに向かうものとして持つのであって、新しい参加者に持たねばならないと強制するものではないし、今参加している執筆者によってまともな記事に成長させることが難しいからという理由で、新しい参加者に制約をかけるのはよくない。
特筆性に関しては、PJ競馬には、「あまりにも実績がなく、また知名度もない馬の記事を作らない(実績か知名度のどちらかがあれば構いません)。(Wikipedia:競走馬の特筆性判断の基準と独立記事作成についてのガイドライン(草案)も参考にしてみてください。)」とある。特別な文書がないなら、独立記事の目安が参照されるし、ガイドラインを参照しても、独立記事の目安を参照させる構造になっている。で、「Bellcricketさんの主張」は、WP:Nに書かれていることからかけはなれてるわけではないです。WP:NはWP:Nとして、できるだけそこから遠くないところで、PJ競馬は競馬分野の特性に合わせて一定の制限を作る、てふうに考える。そうしないと、他分野に影響を及ぼしてしまう。
新馬戦に出る馬のすべてが、「直接的かつ詳細に述べている」有意な言及を得られるわけではないですよね。「ウインミレーユ切れた4馬身差V/新馬戦[11]」では、ここで直接述べているのはウインミレーユのみですから、他の出走馬について、特筆性を担保する情報源にはなりません。そうやって絞り込まれる。そして、すべての新馬戦勝利馬が、『サラブレ』の特集として扱われたほどの情報源があるわけでもないですよね。もっと絞り込まれる。そこで線引きをすれば、スシトレインは存続、他のほとんどは記事化できない、ということにはなります。

たとえば、競馬の馬の記事に関しては、これらはあるレースに対して付随的に述べられているものであり、網羅的に報じられるものとして、「名簿やデータベース、マイナーな新聞記事などによる言及は、信頼できる情報源に該当したとしても、独立記事として作成、収録するだけの価値があることを示す証拠にはならない」として扱う、という判断もでなくはないと思います。結果や追い切り情報は除外してしまうとか。それで、書くべきとされる馬が満たすのかどうかはわかりませんし、スポーツ紙などで大きく取り上げられているのを見ると、かなり抵抗はありますが。

なお、統合と言う形での運用は、削除依頼の場では出てきますよ。削除せずリダイレクト化、必要なものはリダイレクト先に転記。ぼくも主張しますし、WP:Nは削除の前にその可能性を探ることを求めています。--Ks aka 98会話2015年8月15日 (土) 08:17 (UTC)[返信]


たびたびありがとうございます。この記事の削除に賛成しているわけでもなく、競走馬記事をもう書かないと言っている私が「競走馬の特筆性」で長文を繰り返すのはおかしいですよね。私自身も馬鹿げていると思うので、無視してくださってもいいです。どっちに転んでももう私には関係ないからどっちでもいいや、みたいにも思っているのです。
Wikipedia:編集方針はもちろん存じ上げています。その一段落めにこうあります。
  • ウィキペディアの方針とガイドラインに反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも歓迎される」
当方のロジックとしては、「方針文書(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)に反しているのだから、その場合には不完全な記事の投稿は歓迎されるとはいえない」になります。「何ではないか」に反しているのかどうか、が争点になります。
何ではないかでは「データベース、名鑑、無差別な収集」に抵触します。
  • WP:NOTPAPER「内容の総量に実質上の限界はありません。しかしながら、技術的に可能なことと理性的に行うべきことは異なります。」
  • WP:NOTDIRECTORY「伝記記事はなんらかの名声や業績を有するか、あるいは、悪名高い人々のものに限るべきです。」
  • WP:IINFO「たとえ検証可能であったとしても、百科事典に収録するのに相応しい内容であるとは限りません。」
これらはいずれも「ある程度厳選しろよ」と言っている、と私は考えてきました。
厳選するための手段がWP:Nです。もしも、7000頭の母集団をWP:Nでふるいにかけたら7000頭が通過したとしたら、どうでしょう。
WP:Nだけを神聖視してほかの方針類を顧みない立場では、WP:Nを通過したのだからいいのだ、と言うでしょう。
「厳選しろよ」の精神からすると、7000/7000ではまずい、理性を働かせろ、これでは名鑑だ、もうちょっと絞り込んだほうがいい、と考えるのはおかしいでしょうか。
7000/7000がダメで、5000/7000ならいいのか、3500なのか、1000なのか、100なのか、それは私にもわかりません。しかしまあ、毎年500増えるというのはいかがなものか、それは厳選しているといえないのでは?とは思います。
もしかして、7000頭のうち、メディアで言及されるものが500頭もいるわけがない、と思ってはいませんか?私は1000頭でもかなり過小評価だ、ひょっとして3500はある、と思っているのですけれど。
具体例を出してみましょう。最もポピュラーな競馬メディアの一つ月刊『優駿』の2014年5月号は、デビュー前の、名前も決まっていない馬を、152頭、フルカラーページ27ページを使って、1頭ずつ、写真と経歴いりで、個別のコメントが付いて(日刊スポーツのレース記事よりも文字数は多い)掲載しています。これPartIです。たとえばこの中で「Keyouraの12」は「素晴らしい馬っぷり」「抜群のスピード」「桁違いのパワー」「この世代のトップクラス」と言及されています。その馬は今4戦0勝で最高の着順が7着です[12]。こういうのが毎年7000頭いる。たった175ページしか無い月刊の総合競馬雑誌でこれだけ載ります。PartIだけで150頭、Partいくつまであるかわかりませんが、JRAの新馬戦は一年で220ほどしかありません。一年分の新馬戦の勝馬の数よりも多くの「名前すら無い馬」が1・2ヶ月のあいだに1メディアに取り上げられます。どうでしょう、この『優駿』というメディアで個別に、直接、詳細にとりあげられた152頭の、デビューの予定も決まっていない、名前のない馬にも、メディアに出たから単独記事に値すると認めていくんですか・・・?PJ競馬ではこれまで「NO」と考えてきたのですが・・・。
競馬ジャンルでは、「厳選しろよ」を守ろうと、WP:Nよりももっと厳しい基準が必要と考え、10年間ぐらいやってきました。「あまりにも無名・実績のない馬はダメよ」がそれです。それが間違いだったと言われてしまえば、しかたがありません。
いやまあ、実際にはですよ、500どころか、実際に記事化されているのはせいぜい100件/年ぐらいです。いちおう「重賞勝たないとダメ」という縛りがなんとなくあって、それを守らない利用者もいて、それでこのぐらいの数。だから、「メディアに出る馬なんて毎年3500頭いるんだから、毎年3500件記事できても知らないよ!」なんてのは杞憂もいいとこかもしれません。そこはわかりません。作り始める人が出るかもしれない。少なくとも過去にはこういうのが問題視されたけど(Wikipedia:削除依頼/テラミスの2004Wikipedia:削除依頼/エクススピーディWikipedia:削除依頼/エイシンキンダー・・・)今後は違う、と。
  • 一般メディアで扱われる人物、事物が、全体の母数からみれば稀有であるのと同じように、競馬専門メディアで扱われる競走馬の数も稀有だろう、と決めつけてかかっていませんか?
日本人1.3億のうち、0.01%は13000人です。毎年13000人ぐらいはメディアで名前が出て、直接かつ詳細に言及されるでしょうか。
1年に増える7000頭の競走馬の0.01%は0.7頭です。日刊スポーツのウェブ版は、関屋記念1レースだけで、もうその10倍以上を「単独で」記事にしています。まだレース前なのに。(あれを直接かつ詳細な有意な言及とみなすのかどうかですけどね。)。関屋記念のような重賞レースは年間150ぐらいあります。重賞じゃないもの(阿蘇Sや、新馬戦や、条件戦や、未勝利戦)はJRAだけで毎年3500レース。未勝利戦や条件戦もおんなじようにニュースになってますよ。
選ばれた数少ない質の高いものだけがメディアにとりあげられている、と決めてかかっていませんか?その逆です。
  • Ks aka 98さんは“新馬戦に出る馬のすべてが、「直接的かつ詳細に述べている」有意な言及を得られるわけではないですよね。”とおっしゃいました。
  • すべての新馬戦勝利馬が、『サラブレ』の特集として扱われたほどの情報源があるわけでもない”(だから絞り込まれる)ともおっしゃいました。
いいえまさか!正反対ですよ!
「新馬戦を勝った馬」は、「サラブレ」がやらなくても、確実に、どこかほかのメディアで、複数の、新聞、競馬専門週刊誌、競馬専門月刊誌、新馬戦勝馬特集増刊号で、競馬専門TVで、ネットで、個別に言及されます。「今週の新馬戦勝馬」で、1頭づつ紹介され、生産牧場のこと、血統のこと、デビュー前のエピソード、デビュー戦のこと、今後の予定、どんな期待ができるか、ということが言及される。新馬戦を勝った馬の特集なんて、競馬メディアの本流、メインコンテンツですよ!スシトレインの場合はそれがたまたまサラブレだった、というだけです。
新馬戦こそ、もっとも「すべての馬への詳細な言及」が求められるレースです。だって、それがないと、実績ゼロの馬ばかり15頭集めて、どうやって予想をしろというんですか!
競馬専門メディアは「質が低い馬」も積極的に取り上げます。「この馬は買う価値がない」というのも馬券の予想に重要な情報になります。「この馬には特に情報がありません」では馬券を買うときに困るでしょう?どんなに特別な情報がない馬でも、きちんと「直接かつ詳細に」情報を提供するメディアほど、ありがたい世界なんですよ。「一昨日は調教しましたが、霧で見えなかったのでわかりません。そのあとは厩舎に戻って草を食べました。馬主は忙しいので観戦しに来ません。調教師は“まあ勝てないと思うよ”と言っています」という情報は重要なのです。18頭が出走するレースであれば、18頭についてこういう言及がないと、馬券を買うときに困る、だからこういう情報が求められる世界です。馬券は毎年2兆5000億円売れるんですよ?どれだけ情報へのニーズがあると思いますか?
1頭数百万から数億円の競走馬を買おうという馬主のために、生まれて間もない仔馬をたくさん収録して詳述するような情報源さえあります。1冊20万円だったとしても、安い買い物です。
「数を絞り込む」という観点から言うと、もしかすると7000を3500ぐらいに絞ることはできるかもしれません。JRAだけで年3500レースですから。7000頭を3500頭に絞り込むのは、日本人を母集団に例えれば6000万人ぐらいまで絞り込むぐらいには役に立ちます。
「質を絞り込む」という観点から言うと、上に書いたとおり、無理です。誰もが価値が低いと思って無視するものをことさらとりあげて大げさに「レアな凄い秘密情報あるよ!」と大騒ぎして耳目を集めようというメディアもいっぱいあります。もしかするとググっただけでは出てこないかもしれないけども、紙媒体まで手を広げれば、いくらでもある。
「メディアに出た」=「価値がある」とみなすならば、「競走馬として生まれたというだけで、1頭残らず、既に百科事典に掲載するだけの高い注目度を持っている」ということに帰結するでしょう。それが「データベース・名鑑・無差別な情報収集」ではないというのなら、もしかするとそうかもしれない。
そして、仮に毎年3000件ずつ「ほにゃららは日本の競走馬である。以上。出典なし」が増えていって、誰も出典加筆しなくてもいいじゃない、といえば、それはそうかもね、と言うしかありません。それは「私が思っていた優れた百科事典」とはちょっと違うんですが、多くの人が「それでいいんだ」といえばしょうがない。
>例示されているように多くの情報源がウェブ上にも存在しているのですから、PJ競馬の方々の手を煩わせることなく、誰でも出典をつけることができます。
ここにはあんまり同意できません。7000頭の競走馬に対する言及の大半は、ウェブ上ではなく紙媒体で出回るからです。ググっても見つからなかったからといって、紙媒体での言及がないなんて、簡単には言えません。生まれたばかりで名前も馬主もまだ決まっていない、という幼馬ばかりを取り上げた定期刊行物が紙でありますから、3年前にそういうのに載っていなかったかどうか、紙媒体で調べないと出典がないなんて言い切れない。でも、そんなことを誰がするか?PJ競馬の参加者でさえ今でもやらないのに。
メディアに出たから注目されているのだろう、ではないのです。逆です。ある馬に注目して、それが取り上げられているメディアを探せば、たいていなにか見つかる世界なのです。いや、確かに、そもそもそういう世界ならば、成績が見るべきものがない馬でも、メディアに出たなら百科事典に掲載する程度の注目は受けているということだろう、と考えるなら、それはそうかもしれません。ただしその場合には、くどいようだけど、毎年3500頭づつ記事が増えるかもしれません(本当にそうする人はいないと思うけど。)。
「絞り込み方」にはまだまだ検討の余地はあるかもしれません。私は、Ks aka 98さんがやったように、いろいろな情報、情報源、成績、そういうものを総合的に考えて、毎回一生懸命、個別に検討して、それで判断して欲しいと思っています。情報源があるからはいオッケー、でもないし、重賞勝ってないからはいダメー、でもない。
競馬分野の削除依頼を出す方に対する個人的な、不平なんですが、「統合」はどうしてまったく検討しないの?と言いたい。「重賞勝ってない、削除ー」とやってるようにしかみえない。こういう機械的判断は、「メディアに出たというだけで特筆性がある」と判断するのと、ある意味一緒。もうちょっといろいろ個別によく考えようぜ、と言いたい。この記事を渡邊隆に統合することは考えなかったのか。「これこれで話題になった[1]スシトレインという馬の馬主だった[2]」と書き加えてリダイレクトにするのではダメだったのか。UAEダービーに「2003年には日本のスシトレインが招待されたが[1]、出走に至らなかった[2]」と書き加えてリダイレクトではダメだったのか。デピュティミニスターの産駒欄ではどうしてもダメなのか。(桜花賞馬のときに私もいきなり削除依頼出したから、偉そうに非難はできないけれど。)私には、粗雑な削除依頼を出すことが、かえって存続票の呼び水になって、自分の首を締めることになっているような気がします。
きっと私の長文を読む気もしないので、誰もなにも言わないのだろうけども、ほんとうに私はもう競走馬記事を書かないから、もう関わりません。今後、「○○は日本の競走馬である[1]。以上。おわり」という記事が毎週20本づつ増えていくことにお墨付きを与えることになっても、私は知りません。今後も競走馬記事に関わっていこうとする方々が意見を出して行ってください。私の長文がその邪魔をしているとしたら、本当にごめんなさい。--柒月例祭会話2015年8月15日 (土) 21:03 (UTC)[返信]

最初はBellcricketさんにもノートで意見してほしいと思っていましたが、柒月例祭さんの「ほんとうに私はもう競走馬記事を書かないから、もう関わりません。」とか言う態度もどうなのでしょう?--K-iczn会話2015年8月26日 (水) 05:44 (UTC)[返信]