Wikipedia‐ノート:削除依頼/下位香代子
山田晴通さんへのお答え
[編集]記事の削除依頼自体からは少し議論が逸れてきたように思いますので、ノートに議論を移させていただきます。
研究者の特筆性の議論において「従来のウィキペディアの議論においては、そうした形式的条件の根拠を示して議論をすることが重ねられてきた」ことは事実だと思います。その「形式的条件」を設定するに当たっても、人文・社会系と自然科学系では大きく異なるのではないのか、というのが、当初に提起した疑問です。人文・社会系では(心理学等の実験系を除くと)個人の名前で研究発表するのが原則ですので、さしあたり単著の著書や論文の数で判断するということには、一応の根拠はあります。しかし、自然科学系では研究発表の形式として、共著での発表が原則ですので、単著の著書や論文の数のみで判断することは、そもそも妥当でないと言わざるを得ません。「それ以外に有効な尺度がなければそれを使うほかない」というご判断自体が誤りだと思います。私は削除依頼提出時点ではこの人物の特筆性を簡単に測る方法は持っていなかったので、「形式的条件の根拠」として山田晴通さんが提示した単著著書・論文数での計測についてのみ異議を唱え、コメントに留めました。現時点でも私は自然科学系の研究者の特筆性を測る「形式的条件の根拠」を持ち合わせておらず(研究業績の点数化も難点が多そうです)、受賞歴、学会活動、大型研究費の獲得、学内外での役職歴等を総合的に判断するほかないと考えています。
山田晴通さんが削除依頼を提出された時点では当該記事に特筆性を示す事項(受賞歴等)の記載がなかった、というのは、仰るとおりです。しかし、私がそのような状態の研究者記事に遭遇した場合には、まず特筆性・著名性を満たすような事項がないか簡単に調べた上で、(1)十分な出典が得られた場合には自ら加筆する、(2)微妙なライン上にあると判断される場合には(本件はこの場合に相当するように思います)、{{特筆性}}タグを貼って特筆性に関する記述の加筆を待つ、(3)特筆性タグの貼付後も十分な加筆が得られない場合や最初からどう見ても特筆性はないだろうと判断される場合には、相応の理由を付して削除依頼を提出する、という方針をとっています。特筆性を示す出典は立項者がまず提示すべきですが、それが示されていないからということでいきなり削除依頼に進むのはいささか乱暴であり、削除依頼提出前に加筆が可能なら加筆すべきだろうと考えます。「特筆性・著名性なし」として記事が削除されることは、その研究者の名誉にも関わってきます(これは研究者に限りませんが)ので、人物記事の削除依頼の提出は慎重の上にも慎重を期するべきだと考えます。ご検討をいただければ幸いに存じます。--むじんくん(会話) 2012年7月26日 (木) 06:30 (UTC)
- コメントありがとうございました。仰ることに大きなところでの異論はありません。しかし、以下の論点には留保を付けたいと思います。
- 話の行きがかり上、人文/自然系という単純な対立構造が持ち込まれていますが、「自然科学系では研究発表の形式として、共著での発表が原則」と言い切ってしまうと自然科学の中の分野による慣習の差異を塗りつぶすことにつながりかねないかと思います。
- 「「それ以外に有効な尺度がなければそれを使うほかない」というご判断自体が誤りだと思います。」という指摘はこのケースについてはその通りかと思います。このケースでは特筆性を担保する記述が何もないことを単純に述べるべきでした。ただし、例えば大学入試のように、何らかの尺度で受験生を選別しなければ行けない局面ではどんなに不完全で問題だらけの物差しであっても、それをあてがうことをして評価すべき状況が生じます。科学的姿勢としては、判断を下すべきでないといった場合です。しかし、大学入試や、記事の存否の議論のように、何らかの結論を出さなければ行けない状況においては、一般論として、「それ以外に有効な尺度がなければそれを使うほかない」状況が生じ得るものであると思います。
- その上で、いきなり削除依頼ではなく特筆性タグを付与すべきであったのではないか、というご意見は、今後に向けて参考にさせていただくべきものであると思います。ただし、少なくとも学会賞に関する記述がない時点でのこの記事に対する山田の判断では、「(3)最初からどう見ても特筆性はないだろうと判断」したということです。それ以上でも以下でもありません。--山田晴通(会話) 2012年7月26日 (木) 10:27 (UTC)
- コメントいただきありがとうございます。むろん私も全ての学問分野の作法を知っているわけではありませんので、「自然科学系では研究発表の形式として、共著での発表が原則」と言い切ってしまうと自然科学の中の分野による慣習の差異を塗りつぶすことにつながりかねないとのご指摘はその通りかと存じます。また、当該人物を(2)とみるか(3)とみるかについては、研究者の特筆性の判断基準の違い(私のほうが緩め)に起因するところですので、それ自体はこれ以上議論してもあまり意味はないと思います。
- 研究者の特筆性の判断はWikipedia:特筆性 (人物)#学者・教授の基準が一義的でないこともあり、これからも削除をめぐって議論は起こりうると思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。--むじんくん(会話) 2012年7月26日 (木) 14:13 (UTC)
- こちらこそ、冷静な議論をしていただき感謝しております。引き続きよろしくお願いいたします。--山田晴通(会話) 2012年7月27日 (金) 20:57 (UTC)
記事「山田晴通」をめぐる議論
[編集]コメント削除議論と直接関係しないと思われる記事「山田晴通」をめぐる議論をこちらに転記しました。--むじんくん(会話) 2012年8月1日 (水) 01:50 (UTC)
- コメント「ダブルスタンダード」ではないかと仰る意味がよく分からないのですが、「山田晴通」については、コミュニティの判断で記事の存否を判断していただくのが筋かと思いますので、「山田晴通」への削除依頼はそちらから提起していただけないでしょうか。また、山田は管理者権限をお預かりしております。その立場で恣意的な編集姿勢があるというご指摘は大変重要です。コメント依頼などの方法で、山田の編集姿勢への疑義を公的に表明していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。--山田晴通(会話) 2012年7月26日 (木) 05:25 (UTC)
- 質問 まさかとは思いますが、一応確認させてください。山田氏の本来の目的は、記事「山田晴通」を削除することにあるのでしょうか? ご自分の記事を削除したいが、自分で自身の記事の削除依頼を出すことは議論を呼びそうです。だから、単著のない研究者の記事に片っ端から削除依頼を依頼を提出することで、最終的にご自身の記事を削除するという流れに持ち込もうとしている、・・・ということなのでしょうか? うえのやりとりをみていると、山田氏は「コミュニティの判断で記事の存否を判断していただくのが筋かと思いますので、「山田晴通」への削除依頼はそちらから提起していただけないでしょうか」などと発言しており、どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが。--114.48.26.193 2012年7月26日 (木) 09:02 (UTC)
- 以前から様々な機会にも申し上げておりますが、山田がウィキペディアの存在を意識するようになった段階で、既に「山田晴通」が存在し、しかも、削除依頼を経て存続となっていました。特段プライバシーを侵しているわけではない記述ですので、自分としてはコミュニティの判断で削除されるのなら削除されるであろうし、そうでなければ存続するのだろうと最初から考えています。記録をご覧になればお分かりのように、記事に明白な誤りの記述があったときに1度だけ自分で編集していますが(これは「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」に照らしても認められていることです)、それ以外で記述について申し上げたいことがあっても、ノート:山田晴通にコメントすることにとどめてきました(これも「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」に照らしても認められていることです)。そのような山田の姿勢について、例えば小谷野敦氏は、「写真を提供した段階で、あなたが、自分の項目は存在意義があると考えたことに間違いはないですね。いや、自分の項目に存在意義がないとか、迷惑だから削除してくれとか、まあいろいろあるでしょうが、私はあなたが、自分の項目があることを妥当と見なしているととりました。」とおっしゃっています(こちらのページをご覧下さい)。人の行動の解釈は、受け手によって様々なものになります。114.48.26.193さんが、山田の意図をどう解釈されようともそれはご自由ですが、少なくとも小谷野敦氏はまったく異なる理解をされているようです。その上で、山田の「山田晴通」への姿勢は一貫しています。コミュニティがこの記事を削除すべきだとお考えであれば削除されるべきですし、存続させるべきであるとお考えであれば存続されるべきでしょう。当事者は極力関与すべきではないと考えます。記事「山田晴通」について、あなた自身のご判断で削除は必要とお考えなのであれば、削除依頼をお出しになればよいだけのことです。IP氏には投票権はありませんが、削除依頼の提起は自由にできます。--山田晴通(会話) 2012年7月27日 (金) 20:49 (UTC)
- コメント すみません、長々ご回答いただいていますが、肝心の部分に明確にご回答いただきたいのですが。山田氏は現在、この記事以外にも学者関係の記事削除依頼を大量に提出しています。その「目的は、記事「山田晴通」を削除することにあるのでしょうか?」yesかnoかでお答えください。--114.49.48.63 2012年7月28日 (土) 05:39 (UTC)
- コメント Noです。山田は自分から「記事「山田晴通」を削除すること」も、そうしないことも求めていません。記事の当事者としては、明らかな誤りの記述があったり、プライバシーの侵害などがない限り、記事に積極的に関わるべきではないと考えています。また、「学者関係の記事削除依頼を大量に提出しています。」とありますが、山田が提出している削除依頼は研究者関係だけではありません。結果的に、研究者関係が多くなっていますが、これは自分が研究者のはしくれであり、自分がよく知らない分野、例えばAV女優やライトノベル作品、ゲームのキャラクター、競走馬、等々の関係記事よりも、研究者関係記事の方が妥当性に疑問を見出しやすいという結果でしかありません。意図的に「学者関係の記事削除依頼を大量に提出してい」るわけではありません。--山田晴通(会話) 2012年7月28日 (土) 06:40 (UTC)
- コメント Noとのこと、了解です。--114.48.64.124 2012年7月30日 (月) 06:22 (UTC)
- コメント Noです。山田は自分から「記事「山田晴通」を削除すること」も、そうしないことも求めていません。記事の当事者としては、明らかな誤りの記述があったり、プライバシーの侵害などがない限り、記事に積極的に関わるべきではないと考えています。また、「学者関係の記事削除依頼を大量に提出しています。」とありますが、山田が提出している削除依頼は研究者関係だけではありません。結果的に、研究者関係が多くなっていますが、これは自分が研究者のはしくれであり、自分がよく知らない分野、例えばAV女優やライトノベル作品、ゲームのキャラクター、競走馬、等々の関係記事よりも、研究者関係記事の方が妥当性に疑問を見出しやすいという結果でしかありません。意図的に「学者関係の記事削除依頼を大量に提出してい」るわけではありません。--山田晴通(会話) 2012年7月28日 (土) 06:40 (UTC)
- コメント 山田氏のコメントの中で突然「山田の意図をどう解釈されようともそれはご自由ですが、少なくとも小谷野敦氏はまったく異なる理解をされているようです」との主張が展開されていますが、ここで小谷野敦氏の主張を持ち出される理由がわかりません。当該研究者、あるいは、山田氏がこれ以外にも大量に提出した学者記事への削除依頼と、小谷野氏とは、何か関係のある話でしょうか? また、山田氏はそのほかにも「少なくともリアルな山田は、体型も性格も「スマート」とはほど遠い」などと議論と全く関係のない主張を展開しております。ここでの議論と全く関係ない話題を持ち出す理由は何なのか、明確にご説明願います。「少なくともリアルな山田は、体型も性格も「スマート」とはほど遠い」ということと、この記事の人物との間に、何か関連性があるというのでしょうか。あるいは、山田氏が大量に提出している一連の学者記事との間に、何か関連性があるのでしょうか。--114.49.48.63 2012年7月28日 (土) 05:39 (UTC)
- コメント 小谷野氏は、IP氏(諸氏?)とは逆に、山田が記事「山田晴通」の存続を望んでいる、という思い込みをもたれておいででした。同じ人物の編集行動をご覧になっていてもいろいろな受け取られ方をされる可能性があることをお示しし、IP氏(諸氏?)が「どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが」などと、書き込まれていることに対して、それが思い込みに過ぎない=まったく逆に思い込んでいる方もいることを示しています。お分かりになりましたでしょうか?
- 「スマート」云々は、位置としてはこの下にあるむじんくんさんの2012年7月25日 (水) 21:41 (UTC)のコメントを踏まえたものです。議論をきちんと追った上でコメントしていただけますようお願いいたします。この記事の主題である下位香代子さんの研究者としての特筆性と無関係な議論で、このページの見通しが悪くなるのは好ましいことではありません。--山田晴通(会話) 2012年7月28日 (土) 06:40 (UTC)
- コメント 「「どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが」などと、書き込まれていることに対して、それが思い込みに過ぎない=まったく逆に思い込んでいる方もいることを示しています。お分かりになりましたでしょうか?」とのことですが、全くわかりません。小谷野氏の主張と私の主張が全く逆だというのはわかります。でも逆の主張をする人物が存在していることを証明したからといって、私の主張が思い込みに過ぎないとはいえないでしょう。イコールで結んでいるところがおかしくないですか? 「同じ人物の編集行動をご覧になっていてもいろいろな受け取られ方をされる可能性がある」という証明にはなりますが、私の主張が思い込みに過ぎないという証明には、なってないでしょう。ただ単に「小谷野氏の主張が誤りだが、私の主張は正しい」のかもしれませんよね。そんなこと考えればすぐわかると思うのですが。そうやって話をごまかさずに、最初から「Noです。山田は自分から「記事「山田晴通」を削除すること」も、そうしないことも求めていません」とはっきりいっていただければそれでよかったのです。--114.48.64.124 2012年7月30日 (月) 06:22 (UTC)
- コメントまず、少し落ち着いてください。また、「Wikipedia:礼儀を忘れない」「Wikipedia:善意にとる」などを再読してください。「そうやって話をごまかさずに」というのは山田が意図的に話をごまかそうとしていることが客観的に示されているのでない限り、ウィキペディアでの議論には馴染まない表現ではありませんか? 「ただ単に「小谷野氏の主張が誤りだが、私の主張は正しい」のかもしれませんよね。」という議論をなさるのであれば、ご自身の主張は正しくないのかもしれないという想像力もお持ちいただきたいところです。最初の質問へのお答えの2行目に「自分としてはコミュニティの判断で削除されるのなら削除されるであろうし、そうでなければ存続するのだろうと最初から考えています。」とはっきり記しております。これが「山田氏の本来の目的は、記事「山田晴通」を削除することにあるのでしょうか?」というご質問への明確な No であると読み取っていただけず、話をごまかしたかのように断じられるのだとすれば、山田としては大変残念なことであるとしか申し上げようがありません。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 13:35 (UTC)
- コメント 「「どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが」などと、書き込まれていることに対して、それが思い込みに過ぎない=まったく逆に思い込んでいる方もいることを示しています。お分かりになりましたでしょうか?」とのことですが、全くわかりません。小谷野氏の主張と私の主張が全く逆だというのはわかります。でも逆の主張をする人物が存在していることを証明したからといって、私の主張が思い込みに過ぎないとはいえないでしょう。イコールで結んでいるところがおかしくないですか? 「同じ人物の編集行動をご覧になっていてもいろいろな受け取られ方をされる可能性がある」という証明にはなりますが、私の主張が思い込みに過ぎないという証明には、なってないでしょう。ただ単に「小谷野氏の主張が誤りだが、私の主張は正しい」のかもしれませんよね。そんなこと考えればすぐわかると思うのですが。そうやって話をごまかさずに、最初から「Noです。山田は自分から「記事「山田晴通」を削除すること」も、そうしないことも求めていません」とはっきりいっていただければそれでよかったのです。--114.48.64.124 2012年7月30日 (月) 06:22 (UTC)
- コメント すみません、長々ご回答いただいていますが、肝心の部分に明確にご回答いただきたいのですが。山田氏は現在、この記事以外にも学者関係の記事削除依頼を大量に提出しています。その「目的は、記事「山田晴通」を削除することにあるのでしょうか?」yesかnoかでお答えください。--114.49.48.63 2012年7月28日 (土) 05:39 (UTC)
- 以前から様々な機会にも申し上げておりますが、山田がウィキペディアの存在を意識するようになった段階で、既に「山田晴通」が存在し、しかも、削除依頼を経て存続となっていました。特段プライバシーを侵しているわけではない記述ですので、自分としてはコミュニティの判断で削除されるのなら削除されるであろうし、そうでなければ存続するのだろうと最初から考えています。記録をご覧になればお分かりのように、記事に明白な誤りの記述があったときに1度だけ自分で編集していますが(これは「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」に照らしても認められていることです)、それ以外で記述について申し上げたいことがあっても、ノート:山田晴通にコメントすることにとどめてきました(これも「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」に照らしても認められていることです)。そのような山田の姿勢について、例えば小谷野敦氏は、「写真を提供した段階で、あなたが、自分の項目は存在意義があると考えたことに間違いはないですね。いや、自分の項目に存在意義がないとか、迷惑だから削除してくれとか、まあいろいろあるでしょうが、私はあなたが、自分の項目があることを妥当と見なしているととりました。」とおっしゃっています(こちらのページをご覧下さい)。人の行動の解釈は、受け手によって様々なものになります。114.48.26.193さんが、山田の意図をどう解釈されようともそれはご自由ですが、少なくとも小谷野敦氏はまったく異なる理解をされているようです。その上で、山田の「山田晴通」への姿勢は一貫しています。コミュニティがこの記事を削除すべきだとお考えであれば削除されるべきですし、存続させるべきであるとお考えであれば存続されるべきでしょう。当事者は極力関与すべきではないと考えます。記事「山田晴通」について、あなた自身のご判断で削除は必要とお考えなのであれば、削除依頼をお出しになればよいだけのことです。IP氏には投票権はありませんが、削除依頼の提起は自由にできます。--山田晴通(会話) 2012年7月27日 (金) 20:49 (UTC)
- 質問 まさかとは思いますが、一応確認させてください。山田氏の本来の目的は、記事「山田晴通」を削除することにあるのでしょうか? ご自分の記事を削除したいが、自分で自身の記事の削除依頼を出すことは議論を呼びそうです。だから、単著のない研究者の記事に片っ端から削除依頼を依頼を提出することで、最終的にご自身の記事を削除するという流れに持ち込もうとしている、・・・ということなのでしょうか? うえのやりとりをみていると、山田氏は「コミュニティの判断で記事の存否を判断していただくのが筋かと思いますので、「山田晴通」への削除依頼はそちらから提起していただけないでしょうか」などと発言しており、どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが。--114.48.26.193 2012年7月26日 (木) 09:02 (UTC)
- コメント「ダブルスタンダード」ではないかと仰る意味がよく分からないのですが、「山田晴通」については、コミュニティの判断で記事の存否を判断していただくのが筋かと思いますので、「山田晴通」への削除依頼はそちらから提起していただけないでしょうか。また、山田は管理者権限をお預かりしております。その立場で恣意的な編集姿勢があるというご指摘は大変重要です。コメント依頼などの方法で、山田の編集姿勢への疑義を公的に表明していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。--山田晴通(会話) 2012年7月26日 (木) 05:25 (UTC)
- もう一点。再度お伺いしますが「「どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが」などと、書き込まれていることに対して、それが思い込みに過ぎない=まったく逆に思い込んでいる方もいることを示しています。お分かりになりましたでしょうか?」との主張について。小谷野氏の主張を提示した理由について、山田氏は「それ(筆者注:「それ」というのは、私の「どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが」との指摘について指しています)が思い込みに過ぎない=まったく逆に思い込んでいる方もいることを示しています」と述べています。たしかに、山田氏は、小谷野氏のご意見を提示することで、「まったく逆に思い込んでいる方もいること」を明らかにしました。そこは問題ないでしょう。しかし、私と全く逆の意見を持つ方の存在を証明したとして、それがなぜ私の意見が思い込みに過ぎないという結論につながるのか、そのロジックについて図りかねています。小谷野氏の存在を提示することで、私の意見が思い込みに過ぎない可能性は指摘できるかと思います。が、小谷野氏の存在を提示しただけで、私の意見が思い込みに過ぎないとは断言できません。山田氏は、なぜ等号で結べると思っちゃったのでしょうか? 山田氏におかれては、「「どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが」などと、書き込まれていることに対して、それが思い込みに過ぎない=まったく逆に思い込んでいる方もいることを示しています。お分かりになりましたでしょうか?」との発言についてその意味を説明していただきたい。--114.48.58.249 2012年7月31日 (火) 08:10 (UTC)
- コメント すみません、この議論はもはや下位香代子の存否とは無関係なところへ突き進んでいるようにしか見えませんので、ノートなり会話ページなりの適宜な場所でお願いできますでしょうか。--Jkr2255 2012年7月31日 (火) 08:21 (UTC)
- もう一点。再度お伺いしますが「「どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが」などと、書き込まれていることに対して、それが思い込みに過ぎない=まったく逆に思い込んでいる方もいることを示しています。お分かりになりましたでしょうか?」との主張について。小谷野氏の主張を提示した理由について、山田氏は「それ(筆者注:「それ」というのは、私の「どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが」との指摘について指しています)が思い込みに過ぎない=まったく逆に思い込んでいる方もいることを示しています」と述べています。たしかに、山田氏は、小谷野氏のご意見を提示することで、「まったく逆に思い込んでいる方もいること」を明らかにしました。そこは問題ないでしょう。しかし、私と全く逆の意見を持つ方の存在を証明したとして、それがなぜ私の意見が思い込みに過ぎないという結論につながるのか、そのロジックについて図りかねています。小谷野氏の存在を提示することで、私の意見が思い込みに過ぎない可能性は指摘できるかと思います。が、小谷野氏の存在を提示しただけで、私の意見が思い込みに過ぎないとは断言できません。山田氏は、なぜ等号で結べると思っちゃったのでしょうか? 山田氏におかれては、「「どうもご自身の記事に削除依頼が出されることを望んでいるかのようなふしがありますが」などと、書き込まれていることに対して、それが思い込みに過ぎない=まったく逆に思い込んでいる方もいることを示しています。お分かりになりましたでしょうか?」との発言についてその意味を説明していただきたい。--114.48.58.249 2012年7月31日 (火) 08:10 (UTC)