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Wikipedia‐ノート:削除依頼/伊藤哲也 (作家)

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著作が多いことのみで「特筆性」は立証されるのか?[編集]

パタゴニアさんが《歴史は門外漢なので「質」には言及しませんが、共著のみとは言え、数時間の調査でこれだけの著作を確認できたので、特筆性無しで削除は如何なものかと思います》と述べているのですが、非常に違和感があります。著作が多いことのみで「特筆性」は立証されるのでしょうか?もちろん常識とは桁違いの著作数がある場合、例えば年間300冊の本を書くとかそういうものであれば、そのことのみで「特筆性」があると言えるとは思います。しかしながら、普通にどこにでもいる程度の著作数であれば、そのことのみで「特筆性」を有するとは言えないはずです。もちろん、それだけ露出しているということは、「特筆性」がある可能性が高いとは言えるとは思いますが。--iwaim 2010年11月5日 (金) 02:47 (UTC)[返信]

  • 依頼者として記入します。まず、
  1. 現在伊藤哲也 (作家)で書かれているプロフィールを見る限りにおいても独自研究であり、確認不能な内容といえます。
  2. 次に彼に対する書評を確認したことがない。
  3. 「歴史春秋」なる場所に執筆しているということですが、これは会津史学会の会員だけで執筆するものと存じます。つまり会員であれば投稿した原稿が掲載されるといえるでしょう。
  4. 過去Wikipedia:投稿ブロック依頼/富岡志郎で述べたとおり、受賞についての記述をYahooで現在検索しても、会津若松市役所の蔵書検索以外はWikipediaからの反映とご自身のブログによるものしかUPされません。普通、幾度もそうした受賞者を輩出している権威ある賞ならば、もう少し出てきてもよいものなのですが、他者からの批評というものが存在しません。つまり、これも会員の範囲だけで行われる受賞であり、かなりマクロなものと捉えなければなりません。
  5. 商業誌についても90%以上が新人物往来社刊行物です。これはなにかしらのコネクションがあって記述したと採るのが妥当でしょう。
  6. そして、なによりこのページは自然発生したのではなく、伊藤哲也氏ご自身が作成したページだということです。ご本人以外に積極的に加筆した方は存在しません。

 このような状況から約半年、誰かしらから推移を見守って来ましたが、ご本人がIPユーザーとして「なりすまし」で加筆するという事態に至った訳です。そうした意味でも周知性も少ないといえましょう。--Suttokodokkoi 2010年11月5日 (金) 04:18 (UTC)[返信]

それは論点が違いますね。あえてノートで特定の点のみを問題提起していることを察していただけないでしょうか。--iwaim 2010年11月5日 (金) 05:57 (UTC)[返信]
共著のみというなら、私が大学にいたときの教授もいくつか出していますよ。本人が関与した比率が問題になってきます。--hyolee2/H.L.LEE 2010年11月5日 (金) 23:42 (UTC)[返信]
では、「単著が多い」というだけで「特筆性」を有するという見解もあるということでしょうか?--iwaim 2010年11月6日 (土) 03:11 (UTC)[返信]
大学教授ならば自身の講義に使用する書籍を多く出す人物も多いと思います。Wikipedia:削除依頼/森田健 (実業家)のようなケースでは単著が多いことは特筆性を十分持つと思います。--Tiyoringo 2010年11月6日 (土) 03:37 (UTC)[返信]
そのケースは「単著を多くだし、書店などのランキングである程度売れている場合」ということでしょうか?とすれば、単著の数だけではなく、売り上げが良いことが指標に入っているということですか?--iwaim 2010年11月6日 (土) 04:18 (UTC)[返信]
「単著が多い」というだけで「特筆性」を有するという見解はないですよ。新史実、新史料を公にして相当の注目を集めたか?フィクションのみ書いている方々の「特筆性」についても問題になってきますね。フィクションを書いて売り上げが良いとしても重要な新しい概念を生み出していない人がおおい。共著ですが、評論のテーマになっていますよ。--富岡志郎 2010年11月6日 (土) 15:09 (UTC)
ええと、私の問題提起の内容をちゃんと理解してください。別にこの項目自体の「特筆性」については言及していません。《「単著が多い」というだけで「特筆性」を有するという見解はないですよ》と仰っていますけれども、冒頭に書いたようにパタゴニアさんはそういう見解を持っていると私は判断しているのですから、そんなこと言われても困るというか……。--iwaim 2010年11月6日 (土) 15:14 (UTC)[返信]
逆に言えば、共著であっても特筆性を有するものなのです。単著だからと言って焼き直しばかりでは、特筆性は有しません。何故に削除の方に投票されたのか不思議です。現状を把握されておられなかったことが起因でしょうか?--富岡志郎 2010年11月7日 (日) 03:48 (UTC)
何度も書いているように、私がこのセクションで議題として挙げているのは『著作の量のみで「特筆性」があると言えるのか』ということです。《逆に言えば、共著であっても特筆性を有するものなのです。単著だからと言って焼き直しばかりでは、特筆性は有しません》というのは、私がこのセクションで聞いていることとは無関係です。邪魔しないでください。--iwaim 2010年11月8日 (月) 02:16 (UTC)[返信]

「会津史談会」について[編集]

「会津史談会」について調べてみました。会津史学会によれば、「会津史談会」は地元の歴史愛好家によって創立され、昭和初期には既に存在していたようです[1]。歴史ある会ですね。昭和6年の創立で、近年では400人を超える会員がいるようです[2]蒲生氏郷の歌碑を立てるような活動もしています[3]

さて、この団体ですが、歴史も古く、活発で有意義な活動をしているとは思いますが、ウェブ上では他に有意義な情報がでてきませんでした。まあ、ウェブにはあまり情報がでてこないような団体だとは思うのですが、同好の士が集まった会という印象は拭えません。それはそれでもちろん問題ないと思うのですけれども。--iwaim 2010年11月5日 (金) 06:25 (UTC)[返信]

「会津史談会」のみで一つの項目になるかと思います。会津若松市史を学んできた方、執筆してきた方と福島での戊辰戦争に取り組んでいる会です。現在の会員がおいそれと今までの方々を 差し置いてウェブ上で会の活動をしていないのではないのでしょうか。会津若松市長、松平家子孫、国会議員を始め色々な方からなりたっております。--富岡志郎 2010年11月6日 (土) 15:40 (UTC)

まず、Wikipedia:検証可能性というものがありますので、ウィキペディア日本語版で記事を作成するためには最低限、複数の「信頼できる情報源」が必要だとは思います。それで、次に「Wikipedia:特筆性」という観点から検討する必要がありますね。とりあえず、「会津史談会」に関して、信頼できる情報源から (「Wikipedia:特筆性」でいうところの)「有意な言及」がなされていれば、記事の作成は可能かもしれません。--iwaim 2010年11月6日 (土) 15:53 (UTC)[返信]
会津会や会津弔霊義会、会津士魂会、赤べこ会だと重要な記念碑をたてられました。会津史談会も各所に行かれて建てたものがすっ・・とは浮かばないのですが。共著と同じで建てるのに協力は

されているのです。史談会会員が建てたものや出版された単行本(共著ではありません)だと色々と頭に浮かぶのですが。--富岡志郎 2010年11月6日 (土) 17:49 (UTC)

「歴史春秋」を出している会津史学会も団体だけでなく歴史春秋社という出版社がついています。そのHPに掲載されていることからも信頼できる情報源となるでしょう。史学会自体がHPをもっておりますが。平成の市史編纂で市史編纂室でありますが、史学会なくして出来ませんでしたでしょう。現在の長が史学会の会長でもあられます。史学会だと維新以外のことで色々と新しい概念をうみだされてます。::両会ともにその分野の関係者から重要人物とされている人は、下記に書いたように会員です。両会とも「名声」「重要性」「人気」はあるのですから。会津会は、殿さまや子孫の方々から成り立ち恐れ多くて私は書くまでもないと思います。--富岡志郎 2010年11月6日 (土) 17:49 (UTC)
「会津史学会」も貴重な会で市史編纂の時に設立されて今に至ります。若松市街の会員でも会津の事を執筆している作家・中村彰彦、星亮一(両者は史談会の会員でもあり)、清水理恵氏がおりますし学者だと大庭紀元、坂詰智子、田崎公司氏(三人とも史談会の会員)がおられ。会津会の川島会長も会員です。福島県内の方の名は星亮一氏以外は除きました。「会津史談会」は葦名の殿さま、会津松平の殿さま、前述の行政関係以外でも作家・好川之範氏、書き手で堀田節夫氏、子孫だと会津会に多いですが飯沼一元氏も会員です。こちらの活動内容(「Wikipedia:特筆性」でいうところの)「有意な言及」が多いのですが、高齢の方が多くて掲載できないことも起因の一つでしょう。「会津史学会」は、HPがあるもののwikipediaでも項目作成の必要性ありと判断します。--富岡志郎 2010年11月6日 (土) 15:40 (UTC)
--iwaim さんは、「会津史談会」削除投票を取り消されました。伊藤哲也(作家)の削除票を取り消されないのは何故でしょう?--富岡志郎 2010年11月14日 (日) 13:00 (UTC)[返信]
何故と問われても困るのですが。削除票を投じた際に述べたように「検証可能性」を満たした状態で記事「伊藤哲也 (作家)」を作成することが現時点では難しいと判断しています。伊藤哲也氏へのインタビュー記事や番組など、伊藤哲也氏を特集したメディアの記事や番組などがあるのでしたら、教えてください。--iwaim 2010年11月14日 (日) 17:26 (UTC)[返信]
インタビュー記事や番組やメディアの記事などはありましたが、地方だとネットで出てこないのです。「会津史談会」で実感されたかと思います。首都圏の朝のニュースで少し出ただけで大騒ぎになったけれども私自身、NHKからは放送してよいか(画像権の関係だと思います)尋ねられております。前にwikipediaに取り上げられたNHKのでは、ありません。あれは、単に写っているのみだから。それを保存してアップするということは私だと出来ません。新聞の書評に共著本ですが、出たのもあります。何処にあるのやら、それのみの保存ということはしてきませんでした。今になってないと言われても。・・あちこちの記事に載ってはいるのです。ネットにのせられないから、ない ということになってしまうのでしょうか?--富岡志郎 2010年11月14日 (日) 18:40 (UTC)
いいえ。ウェブ上に存在する必要はありません。ただ、テレビの場合は「検証可能性」についていろいろ意見が別れるところではあります。書評については、「書評」があることが「書籍執筆者」の記事を作成するための情報源になるか否かというのはなかなか難しいところではあると思います。--iwaim 2010年11月14日 (日) 19:30 (UTC)[返信]
共著本ですが、書評はあります。しかし、その書評をどうすれば良いのかわからずにいます。何新聞で何月何日なのか探してみます。あとは、サークルの会報にそれが載っていたと思いますのでそちらも探します。見つかるまで時間がかかると思います。--富岡志郎 2010年11月16日 (火) 18:42 (UTC)
書評があることも情報源でない??2001年3月18日、21人の書き手からなるのが出版されてとかが朝日新聞、3月4日は日本経済新聞。これを探していくと膨大な量になるのです。講演が新聞にのったのもありますが、探しようがありません。いったい、何が求められているのか????です。--富岡志郎 2010年11月22日 (月) 12:42 (UTC)
共著書の書評は記事「伊藤哲也_(作家)」を作成するために寄与するだけの情報源となり得ないことが多いと思います。伊藤哲也氏による講演について、どこかの新聞社が伊藤氏に着目して記事を掲載したということであれば、それを情報源として記事を作成することができる可能性はありますね。
このノートだけではなく、ウィキペディア日本語版に富岡志郎さんが関わった全ての話を踏まえた上で《いったい、何が求められているのか????です》ということであれば、富岡志郎さんはウィキペディア日本語版がどのような百科事典であるのかを全然理解していないのではないかという懸念が私にはあります。「Wikipedia:検証可能性」をはじめ、各種方針文書やガイドラインなどをもう一度ちゃんと読んでみてください。--iwaim 2010年11月22日 (月) 18:28 (UTC)[返信]
伊藤哲也氏個人の記事もありますが、どこにあるのか不明なのです。講演してからしばらくしてから掲載となったことと距離が離れていることから入手できなかったのです。ただ、単行本の内容でも誤ったことの羅列、焼きまわしが目立っていて作家の場合は仕方ないでしょう。しかし、ノンフィクションものを書くとなると簡単には1冊には収めきれない。活字化した史料を使われる方も多いですしね。--富岡志郎 2010年11月23日 (火) 14:08 (UTC)
「あるんだかないんだかよく解らないけどきっとあると自分が思ってるから書きたいし、書いたから残しとけ」というご主張は、Wikipediaのルールに照らして、「じゃあ、それがきちんとあると確認されてから、そしてその資料が確実に事実であり貴重な資料であると多数の史家に確認されてから書いても遅くはない。現状では資料がないという事実を覆せていないのだから、削除する」という意見を覆せません。以前から似たようなことをお伝えして注意喚起を続けているように記憶しているのですが、「どのように言葉巧みに言い訳して逃れようとしても、検証可能性を満たせない文章をWikipedia上に残しておくことは絶対に出来ません」。--雑草くん(←敬称略推奨) 2010年11月27日 (土) 21:14 (UTC)[返信]