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Wikipedia‐ノート:削除依頼/桜田門外の変

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Eiryaku殿のコメント

[編集]

Wikipedia:引用のガイドラインによれば、

日本の著作権法

日本の著作権法によれば、著作権の対象となっている著作物を、著作権者の承諾を得ることなく利用する行為は、原則として著作権侵害にあたります(21条ないし28条)。しかし、32条1項に従った引用であれば、著作権者の許諾を得ない利用が可能です。文化庁の見解(文化庁長官官房著作権課『著作権テキスト~初めて学ぶ人のために~』(平成24年度版)、71頁)によれば、適法な引用が成立するには以下1ないし7の要件をすべて満たす必要があるとされているため、本方針もその見解に従います。

  1. 既に公表されている著作物であること
  2. 「公正な慣行」に合致すること
  3. 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
  4. 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
  5. カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
  6. 引用を行う「必然性」があること
  7. 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)

以上の要件を満たすことによって著作権を侵害しない引用ができますが、著作者人格権を侵害しないことも加えて要求されます(最高裁判所第三小法廷判決 昭和55年3月28日(パロディ事件)は、「法18条3項の規定によれば、引用される側の著作物の著作者人格権を侵害するような態様でする引用は許されないことが明らかである。」と判示している。18条は旧著作権法における同一性保持権に関する規定であり、現行著作権法では20条に規定がある。本方針では、同一性保持権のみならず、公表権(18条)および氏名表示権(19条)の侵害も回避する)。そこで、著作者の意に反して公表された著作物は、前記第1要件の「既に公表されている著作物」から除外することとします(18条1項かっこ書)。また、前記第7要件(出所明示)に従って著作者名(著者名)を明示するときは、引用元の著作物に表示されているところに従って著者名を表示することとします (著者名が表示されていないときは、著者名を表示しない)(19条1項、2項)。さらに、同一性保持権侵害回避のために、以下の要件を満たすことを要求し ます。

8. 原則として引用部分を改変しないこと

--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 13:41 (UTC)[返信]

60名という事が証言された記事・文献を引用しただけだったのですが。部分的引用でも目的は同じなので、2013年3月23日 (土) 12:58の版は削除してもらってもいいとおもいます。その方がわかりやすいかとおもって全文を引用しただけですので。一応、著作権法上の

# 既に公表されている著作物であること
  1. 「公正な慣行」に合致すること
  2. 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
  3. 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
  4. カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
  5. 引用を行う「必然性」があること
  6. 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)
  7. 原則として引用部分を改変しないこと

はみたしてたとおもいましたが、なにかご不満でしたか。 --Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 13:49 (UTC)[返信]

執筆時間もありますから、はやめにご返事いただけると幸甚です。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 13:54 (UTC)[返信]

Wikipedia:引用のガイドラインもご確認を。「全文」を引用というのは、通常はありまえせん(正当な範囲内でないため)。まず、その一点だけでも大アウトです。すいませんが、あなたの著作権のご理解について不安がございます。--Los688会話2013年3月23日 (土) 14:00 (UTC)[返信]

なるほど、わかりました。全文ではなく部分でもかまわないとおもいます。貴重な証言のうち、60人前後という部分がわかればいいわけです。そもそも、直接引用をしなくともかまいません。わたしといたしましては、完全に「読む方がわざわざ苦労して図書館から読売新聞関西版をひっぱりだす」手間をはぶいてあげようと、ちょっとした親切心でおこないましたことにすぎませんで。以前の版とおなじく、単にリンクしてあるだけで妥協してもよろしいですよ。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 14:06 (UTC)[返信]

かさねがさねもうしわけありませんですが、記事とてらしあわせて、新聞記事がとてもみじかいものだったので、わたしといたしまして、これは貴重な記事で証言だからこの際、あえて全文引用した方が読む方々にとって歴史の理解が深まりやすいだろうと。このようにかんがえたてまつった次第。それ以外はかんがえておりませんでしたのです。Los688会話)様はなにやら著作権法に大変お詳しい方らしく、わたくしの軽率な理解などは到底不貞でありましょう。どうぞご教授ねがいたい。この際。一体どうすれば「正当な」ウィキペディア上の引用になりえるのでしょう。後学のためにお教えくださいまし。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 14:12 (UTC)[返信]

せっかちでまたわたくしごとで大変もうしわけありませんが、執筆時間の関係で結構みにせまるおもいをしておりました際にて、できたら「リンクのみ」の方針でご勘考おねがいもうしあげます。なにもわたくしは著作権法にふれる気など毛頭ありません。証言があれば歴史考証が厳密になる、とこう科学的事実をみておったのです。歴史研究のために有用で、必然的で、主従関係がはっきりするようかぎかっこでかこんでいた部分的引用である中略版の記事もいけなければ、単にリンクだけの記事でかまいませんでしょうか。「正当な」ウィキペディア引用方針を、できたらですが、ひとときのまにお教えくださいまし。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 14:20 (UTC)[返信]

削除依頼というテンプレートは、適切な版ができたら勝手に削除してしまってもよろしい、とWikipedia:削除の方針「著作権侵害案件の存続時対応」にかいてあったのですが。どうですか。一刻、お返事まちます。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 14:23 (UTC)[返信]

天下の読売新聞社は公表した記事を、それが大変に歴史学上に有益であるがため、研究のために(営利目的ではまったくない)、全文引用したからといって、決して権利侵害を訴えるほどやくざな新聞社ではない、とこうわたくしは感じて引用させていただいておりました。いかがでしょう。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 14:28 (UTC)[返信]

Los688会話)様、「全文」を引用というのは、通常はありまえせん(正当な範囲内でないため)。というのは、どこが出典でしょうか。わたくしはこれを初耳と今日しました。おそらく、上記

# 既に公表されている著作物であること
  1. 「公正な慣行」に合致すること
  2. 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
  3. 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
  4. カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
  5. 引用を行う「必然性」があること
  6. 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)
  7. 原則として引用部分を改変しないこと

をみたしていれば、つまり特に新聞の小記事の様な安価に公表されてすでにひろく流布されていたものは、たとえば「引用する事が公益的(私利ではない)」とき、全文引用でも学術上、みとめられえるものであるとおもっていますが。小記事は「新聞全体」の部分にすぎないので、全文ではないのではないですか。[1]のウェブページは、新聞記事からの抜粋ですよね。決してウェブページ本体の単独記事ではないです。いいかえれば、ウェブページリンクさえふませなければ、これは「(紙の新聞からの)部分引用」になる。こうしますね。これなら、だれも引用の正当な著作権法の権利行使上、否定しえないのですから。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 14:36 (UTC)[返信]

  • コメント Los688様が回答されるまでもない常識レベルの話は私が代わりに回答します。まず「著作権侵害案件の存続時対応」は「著作権侵害でなかった..と審議の結果が出た場合」のお話です。言うまでもなく現在は審議中です。次に「訴えられなければ法律に違反しても良い」とはなりません。さて、絶対に引用しなければならないのでしょうか?自分の言葉で置き換えれば済む話では?他にも「引用」した記事があれば全て明かして下さい!!なお、著作権侵害を繰り返し行った場合は投稿ブロックの対象となります、軽挙は慎むべきでしょう。-JapaneseA会話2013年3月23日 (土) 14:45 (UTC)[返信]

いえいえわたしへのスケープゴート、ぬれぎぬですよ。JapaneseA会話)さん。井伊直弼じゃないけども。わたしは上記の 日本の著作権法

# 既に公表されている著作物であること
  1. 「公正な慣行」に合致すること
  2. 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
  3. 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
  4. カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
  5. 引用を行う「必然性」があること
  6. 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)
  7. 原則として引用部分を改変しないこと

に、そしてWikipedia:引用のガイドラインに、すべてのウィキペディア上の記事をてらしてきました。これは引用がいけないと称したわたしへの言葉狩りですよ。ウィキペディア上でも、原則として自分のことばでおきかえていた人に、そのかぎりなくすくない(極小な)引用部分だけをみて全体のあげあしをとるのはおかしい。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 14:54 (UTC)[返信]

しかも、です。慎重に「著作権法」をまもっていたひと、なかんづくWikipedia:引用のガイドラインにおける日本の著作権法を厳格にまもろうとしていた第一人者に(わざわざ照らしてきた)、なぜかぬれぎぬをかけて、そのこころただしいひとをおとしいれようとするのは安政の大獄未満の悪業ですよ。こういってはなんだが。どうしたいのですか。わたしをウィキペディア執筆者からおいおとして、もっとあなたたちの自由になんでもだれでもぬれぎぬして、現実には上述のガイドラインを厳格にまもっているひとへ著作権法違反だ難癖をいって、きにいらない歴史的事実をみたらぬれぎぬをかけてちゃんと法律をまもってきたひとへ冤罪してまで、おいはらいたいのですか。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 14:59 (UTC)[返信]

慎重に「著作権法」をまもっていたひと、なかんづくWikipedia:引用のガイドラインにおける日本の著作権法を厳格にまもろうとしていた第一人者に(わざわざ照らしてきた)、なぜかぬれぎぬをかけて、そのこころただしいひとをおとしいれようとするのは安政の大獄未満の悪業ですよ。こういってはなんだが。どうしたいのですか。わたしをウィキペディア執筆者からおいおとして、もっとあなたたちの自由になんでもだれでもぬれぎぬして、現実には上述のガイドラインを厳格にまもっているひとへ著作権法違反だ難癖をいって、きにいらない歴史的事実をみたらぬれぎぬをかけてちゃんと法律をまもってきたひとへ冤罪してまで、おいはらいたいのですか。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 14:59 (UTC)[返信]

わたしたちはウィキペディアを、もっと世界の知識を豊富にして、人類のなかで有益な情報にふれたがっているひとびとに感動をあたえたいとおもっています。わたしもそうだけど、勿論あなたもそうだとおもいます。天は人の上にも下にも人をつくらなかった。どうでしょうか。全文引用が原則いけないというのは、Los688会話)の基本的勘違いだったのです。わたしはそれを最初からしっていました。けど、それを直接いうと、このひとはおこっているひとなので、てのつけようがないなとおもって、できるだけへりくだってみていたのです。本当は、記事が公益のためなら、新聞のある記事を全文引用しても、著作権法上も、またWikipedia:引用のガイドラインも大丈夫なのです。なぜなら、公益をますために新聞やウィキペディアは発行されているからです。どうしてもいいかえたよりその方がよいばあい、引用した方がひとびとにとっては、利便性が高い。法律上もそうなっていますから、ばあいによってはウィキペディアプロジェクト全体をその向きに変えていった方がいいほどです。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 15:05 (UTC)[返信]

また、ウィキペディアプロジェクト上、引用よりいいかえが推奨された経緯は、実は「ウィキクウォート」とのすみわけのためでした。目的は外部リンクで済ませた方が、サーバーもかるくなるうえ、著作権法上のこまかな案件が減少することです。要するに、妥協的な範囲内で引用は可能でなければならなかったのです。そしてこの妥協的範囲は、悪意をもった人におけるより、もっと公益に関心がある人にとっては寛大なのです。

ま、これを期に、「一切いいかえ」にしますよ。今後は。すべて単純リンクにしましょう。部分的引用もまったくしない。たとえ、Wikipedia:引用のガイドラインでゆるされていても、悪質な管理者や利用者のかたがたが滅多打ちにして、だめにしてしまう。そうすれば、こういった実につまらない妨害(これは完全に無駄で、わたしは冤罪をかけられている方です)をされはしないでしょう。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 15:11 (UTC)[返信]

Wikipedia:引用のガイドラインより、

しかし時には、参考文献に掲載されている文章をそのまま抜粋し、記事中で紹介することによって、記事の主題に対する読者の理解が著しく向上することがあります。たとえば、作家を主題とする記事において、その作家の作風が色濃く反映されている作品の一部を掲載したり、政治家を主題とする記事において、その政治家の重要演説の一部を掲載したりする例です。このような執筆方法は、ウィキペディアが検証可能性の担保を重要方針に掲げる趣旨に、決して反するものではありません。

(中略)

幸いなことに、著作権法は、著作権で保護される文章であっても、一定の要件の下で、著作権者の承諾を得ることなく利用できることを規定しています。本方針は、そのような法制度を活用し、著作権で保護されている文章を、記事の主題について説明するための補足資料として、ウィキペディアに投稿する際のルールについて定めることを目的としています。

日本の著作権

  1. 既に公表されている著作物であること
  2. 「公正な慣行」に合致すること
  3. 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
  4. 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
  5. カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
  6. 引用を行う「必然性」があること
  7. 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)

以上の要件を満たすことによって著作権を侵害しない引用ができます。さらに、同一性保持権侵害回避のために、以下の要件を満たすことを要求します。

  1. 原則として引用部分を改変しないこと

「原則として引用部分を改変しない」ためにわたしが苦慮を凝らした部分を、くみとってくれなかったLos688会話)さん、ほか、その誤解と冤罪に加担して私の味方をしてくれなかったかたがたには、公益のためにいきており、公正なルールをまもろうとしているひとを冤罪におとしいれることの罪を啓蒙したい。法は恣意的に運用してはいけない。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 15:15 (UTC)[返信]

くりかえしますが、わたしは正当な範囲を超えず、必然性がある引用をしていました。中略版の記事であれ、2013年3月23日 (土) 12:58のはじめにLos688会話)さんがわたしへ「新聞記事の部分引用」をウェブページの全体引用とかんちがいしたうえで、さらに法律違反かウィキペディアルール違反かのごとく、その悪解釈で冤罪をかけた用件であれ、その引用部分があれば、当時現場にいたひとの肉声がどういう経緯であらわれてきたのか、はっきりわかったのです。これは歴史をしるためにとても有益で、公益にあたいし、したがって「読売新聞の部分引用」とみてごく正当な範囲内であって、かつ必然性もありました。冤罪はいい加減にしたほうがいいです。これは本当です。わたしはいま、冤罪をかけられています。正義感のあるひとはわたしに味方すべきで、そうしないとカタストロフになります。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 15:19 (UTC)[返信]

一応いっておきます。こんな単なるいやがらせをして、公益のために殉じてきたひとりの「よいこころ」のひとをおとしいれ、集団でしいたげたうえ冤罪にかけて、だれもたすけようともせず、さらに追い討ちをかけて偽獄にいれようとしていれば、かならずあなたがた、天罰があたりますよ。それは「わるいこと」です。わたしは決してルールをやぶっておらず、法律面でもウィキペディアプロジェクト面でも、どちらかといえばごく模範的です。こんな冤罪をしていると、かならずウィキペディアをこえて、あなたたちには天罰があたるとわたしはそうおもいますよ。いい加減にいやがらせはやめてほしい。なぜ削除させようさせようとするのですか。そこまで陰険なことをしても誰も得しない、損しかしないのに。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 15:23 (UTC)[返信]

一応いっておきます。「群れたところでまちがいはまちがい」です。わたしは決して、だれかからせめられるべきことをしていません。全文引用はさも法律やウィキぺディアのルール違反だと勘違いしたあるひとりのひとが、わたしを冤罪におとしいれた。これがこの削除依頼のすべてなんです。神様にわたしはこれをちかいます。わたしは公に、日本の良識と世界の人類の平和に尽くします。--Eiryaku会話)(会話) 2013年3月23日 (土) 15:31 (UTC)[返信]

この卑劣な削除依頼で、ひとりの有益な執筆者をおいだしてしまったことは、いずれあなたたちの身の上にふりかかるにちがいありません。わたしはあなたたちをうらみません。しかし、世界はあなたたちをうらみにおもうはずです。まちがっていないひとを、さもわるいかのよういいなしたうえ、そのひとのまっとうな解決を問答無用で迫害していった。こんな悪事はそうそうない。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 15:34 (UTC)[返信]

こんなひどすぎるいやがらせをされる場所、単なる地獄みたいな百科事典がウィキペディアなら、このことははっきりと人類にきづかれるべきだとわたしはおもいます。だれかひとりでもいい。わたしの解決策が、まちがいではなく、ウィキペディアを真摯によくしようとその方針をきちんとまなんだうえでの仕事だったと、みとめてくれるひとがいれば。悪意をもった、群れた権力者たちがその善民をとりかこんだうえで実質的にリンチし、なおかつ、そのひとの不当の訴えを無視し、黙殺しようとしたつみ、そしてあげくには寝食をわすれるほど時を惜しんで、足りない時間のなかでも頑張ってかつ厳密に研究した記事を法やウィキペディアのルールをまもったうえでアップロードしてきた公益のための労力を、だれかひとりでもいい、わかってくれれば。こんなひどいウィキペディア悪用者たちが、善良な執筆者を集団でおとしいれて、排除していく悪業を。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 15:40 (UTC)[返信]

わたしは怒っているようにみえるかもしれないが、単に説明しているのです。自分は決して悪意もなければ、ウィキペディアルールも法律も破る気はない。説明しなければ悪意をもったひとたちから誤解されるから、本当のことを説明したのです。いったいどうすれば、おかしな削除依頼とやらからおこなわれた冤罪というはずかしめから開放されるのですか。へんな事も書いていないし、へんなこともしてません。かえるべきところはかえます。わたしは時間が大切なんです。最初のかた、あるいはかれに味方したかた是非ご説明ねがいたい。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 15:49 (UTC)[返信]

みなさん、わたしは「余計なこと」をかたってるようにみえるでしょうが、そうではないのです。時間がたりないので、ウィキペディア百科事典に貢献できる分がかぎられてるのです。そして、それはしなければならないんです。使命なんです。わたしには時間がないんです。ぜひおねがいします。不当な削除依頼や、集団でのはぶきなどはやめてください。そして議論してください。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 15:52 (UTC)[返信]

これはひどすぎる。こんなしうちはない。こんなひとりのひとへのいやがらせとしかいえない(わたしは神様、人類にも、お天道様にも誓えます)、足止めを食うとは、本当に遺憾です。わたしはきちんと解決策を提示し、意見をもとめ、議論をしようとしました。それは決してまちがったことではなかった。悪意をもった人がいて、しかもそのひとたちは「本当にただしいこと」よりも、その場のファシズムじみた空気で、群れが多い側、しかも間違った側にたって不正ないいがかりに味方してしまったんです。これは時が無駄になるばかりか、かえって社会の進歩、知識の増進と、ウィキペディアの今後とも末永いよき発展をさまたげてしまう。これを悪というんです。善慮してください。よい執筆者、反省力と議論できる智恵のある執筆者を、おとしいれたり、そのひとを排除しないでください。わたしは、あるいはほかのだれでもそうでしょう、まちがいなら訂正しますし、ルールも法律もやぶりませんし、かならず守る。まちがっていたら即座に訂正します。ただのいやがらせは、悪魔の業なのであり、わたしだけではなくて平和を愛したわたしたちの世界に不正をはびこらせてしまいます。議論をしてください。そして、この記事を、知識をよりもっと正確に、ウィキペディアをよりつかいやすく、ただしく、前にすすめる。これが大切です。すでに、わたしに「後ろ足で砂をかけて」最初のかたはいなくなったのかもしれない。またこられるのかもしれない。けど、わたしには時間がないんです。これは悪魔の業であり、ある使命をけがし、その人類にとって重要な命題をなくし、なにか致命的なミスにみちびいてしまいかねない。わたしはそのくらい、本当のことを緻密にしらべてきたし、ここでつたえなければいけなかったんです。ぜひ、なにか慣習でみちた悪意にみちたリンチで、わたしの執筆をはぶいたり、それに難癖をつけたり、引用がきにいらないといってみたり、いいがかりじゃないといってみたり、正当ぶってみたりすることはやめてください。そうではなく、なにがよりより執筆方法なのかをしめせば、わたしたち以外にもこの時間は有益なものになった。神様は、わたしをわかってくれるとおもう。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:02 (UTC)[返信]

これほど真摯に人類の公益へかけた人へ、不当に言論統制したことのあなたの罪は、神様も、ウィキペディアの創始者であるジミー・ウェールズも、かならずわかってくれます。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:06 (UTC)[返信]

議論をしろというから、議論をした。そしたら荒らしあつかいにして、あなたはその「議論しにきたひと」排除しようとしてしまった。さらにあなたは、もともとWikipedia:引用のガイドラインを厳格にまもっている記事にあやまった難癖をつけて、そのまっとうな執筆者を悪意をもって排除するつもりだった。こういうことですね。そしてこのわたしへのすさまじい冤罪に、まわりでみていた悪意ある集団主義者も加担した。しかし、人類は悪魔だけではない。神様はそのことをご存知です。いずれは、この悪魔的な冤罪事件が、ウィキペディア上でも、人類史上でも、きっとわかってもらえるはずです。父なるジミーウェールズよ、かれらの悪用をゆるしたまえ。ウィキペディアを公益のためにふたたび、かれらのまえにつくりなおされんことを。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:10 (UTC)[返信]

最初のかた、できるだけはやくわたしに謝罪してください。そして、「削除依頼」の議論をせよというテンプレートにしたがって議論をしにきたひと、つまりこれがわたしですが、こういったまっとうなひとをルール違反して冤罪におとしいれて荒らしあつかいし、排除してしまったひと。このひとも、できるかぎりはやくわたしに謝罪した方がいい。これらができないとすれば、あなたたち、天罰があたることをわたしは期待するしかなくなってしまいます。よいひとをほめてください。議論しにきたひとを荒らしあつかいしないでください。これがウィキペディアです。ウィキペディア内の権力を濫用し、ウィキペディアの悪用をしてはいけません。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:14 (UTC)[返信]

ウィキペディアに害をなす意図がないのでしたら、とりあえず黙ってください。『まちがっていたら即座に訂正します。』に反する行為を実行中のあなたが今すべきことは、まず黙ることです。そして間違いを認めることです。同じことを何度も書かなくて結構です。疲れてらっしゃるようですしもう今夜は寝てください。というか、迷惑ですのでおやめください。--氷鷺会話2013年3月23日 (土) 16:20 (UTC)[返信]

なんの間違いですか?これはひどい冤罪だ。実は軽挙妄動なのは、普通にはなせばわかるひとへ冤罪をかけてとおせんぼしたあげく、くりかえし削除してそのひととの議論からにげまわっている悪魔的Los688会話)であった。あまつさえその犠牲になっているスケープゴートのわたしへ、さらなる冤罪をきせたJapaneseA会話)さんも、その軽挙妄動をどうかつつしんで、二度とこのような冤罪事件には加担しないよう天地神明に誓ってください。わたしはとてもとても、不愉快です。二度とこんなおもいはしたくない。本当はウィキペディアをこえて、あなたたちを訴えたいほど不愉快です。--Eiryaku会話) 2013年3月23日 (土) 16:21 (UTC)--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:21 (UTC)[返信]

これほどひどい冤罪はそうそうみたことがない。氷鷺会話)さん、群れて悪事をしても、悪事は悪事なんですよ。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:22 (UTC)[返信]

いや、悪事というか、法を犯したのはあなたですけど…。--氷鷺会話2013年3月23日 (土) 16:25 (UTC)[返信]

ウィキペディアは引用してもいいのです。それが記事をよりよくし、Wikipedia:引用のガイドラインから、

# 既に公表されている著作物であること
  1. 「公正な慣行」に合致すること
  2. 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
  3. 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
  4. カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
  5. 引用を行う「必然性」があること
  6. 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)

以上の要件を満たすことによって著作権を侵害しない引用ができます。さらに、同一性保持権侵害回避のために、以下の要件を満たすことを要求します。

  1. 原則として引用部分を改変しないこと

をみたせば、引用できるんです。著作権法は、引用可能な規定なんです。部分的であれ全体的であれ、です。わたしは法をまもっており、あまつさえ、ウィキペディアのルールもまもっている。まちがっているのは、そして冤罪でわたしを違法あつかいし、さらにはウィキペディアの民主主義を否定しているのはあなたたち3人のほうなんです。これは真実です。ジミーウェールズもそうおっしゃいます。引用した部分をとりさげて、リンクだけにしたのに、悪意あるLos688会話)さんはわたしを排除したかっただけのために、井伊直弼のように、わたしを冤罪疑獄におとしいれたんです。これはひどすぎる。ひとりも善人がいないウィキペディアなんて。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:26 (UTC)[返信]

いいですか、氷鷺会話)さん。とにかくだれかただしいことをいっているひとへ悪意をもって、その善意をもってよりよく説明しているひとをおとしいれている。これがあなたのしていることですよ。氷鷺会話)さん。このこと、あなたはどうおもうんですか。引用はできるんです。その水準の議論なんです。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:29 (UTC)[返信]

まったくリンクのみにし、引用ゼロにしたとします。重要な一説や作品などの部分引用も、です。このばあいと、部分的に引用したばあい、どちらが記事がよりよい(リーダビリティ、よみやすい)のか。これが決定水準となります。しかし、新聞の小記事が重要なことを全部にわたってかたっているとき、その全文を引用しても、決して法律違反ではないんです。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:32 (UTC)[返信]

日本の著作権

既に公表されている著作物であること 「公正な慣行」に合致すること 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること 引用を行う「必然性」があること 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)

以上の要件を満たすことによって著作権を侵害しない引用ができます。

これが日本の著作権です。しかも、議論をしている最中に黙れというのは、「言論統制」といい、それは日本国憲法でしてはいけないことなんです。議論はしなければ、あるひとたちの勘違いというのは永遠に解決しないんです。そのために、こういったノートという議論ページがあるんでしょう。悪意をもつのではなく、善意をもってください。大慈なのは、よりよい記事でひとびとのしあわせをもたらすことなんです。できたらだれもに。どこまでも精確で、よみやすく、しかも身近な知識の恩沢によって。ちがいますか。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

最初にわたしへひどいぬれぎぬをかけて、議論をしようとしたら一方的にウィキペディア権力をつかって、わたしへパワーハラスメントをしてきた。これはどうでもいいことです。もちろん、わたしはひどく負傷しましたが、大事なのはむしろ精確な真実をひとびとにつたえることなんです。この議論ページも、公表して、ひとびとの公益に貢献するべきです。ウィキペディアの創始者は、そういった公的プロジェクトをつくりあげたために偉大なんです。もう一度いいます。引用はまったく不可能ではない。引用は、法的にも可能だし、ウィキペディア的にも記事がよくなる意図でしたものなら善なんです。そこには全文であろうと部分であろうと関係がなく、単に原則として引用部分を改変しないこと、つまりそのままコピーしろ、というわけです。わたしはだからこそ、そのまま読売新聞のほんのちいさな欄にのせられた小記事原文をもってきた。これがウィキペディアのルールで指定された行為なんです。反省すべきなのは、氷鷺会話)さんですよ、まちがっているのは氷鷺会話)さんですから。これ、本当ですよ。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:41 (UTC)[返信]

ウィキクウォートへ、そのある日の新聞の小記事すべてをアップロードしましょうか。それで解決するのではないですか、この議論。たとえ重要でも引用するな、という意見なんですよね、こうしてしまったということは、あなたたちは。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:43 (UTC)[返信]

あのですね、あなたたち烏合の衆は、まちがっても謝罪するということができないのですか。あなたたちは自分のまちがいをみとめられないんですか。それほど心が狭いひとなんですか。だれかに迷惑をかけたらあやまる。これが人間の道だ。わたしはまちがったことはしてなかったんです。それにぬれぎぬしたら、余計にわたしへきちんとあやまるのが筋だ。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:45 (UTC)[返信]

結局、いままでのあなたたち烏合の衆をみていたかぎり、あなたたちはだれかしら一生懸命なひとに嫉妬して、そのひとの努力をねたみ、おとしいれたいだけですね。そうだとおもいます。ウィキクウォートの代替案のときも、それ以前、はじめに記事からリンクのみにしましょうかと妥協したときも、がんばる日本人をおとしいれて、なんとか自分たち怠惰な人間を正当化したいだけ。そうでしょう。ちがいますか。わたしは天皇陛下になんともうしわけしていいか、さっぱりわからない。こんなひとたちが日本語をつかっているなんて。いい加減に、わたしへのいやがらせ、荒らしあつかいはやめて、あなたたちはいままでわたしにしてきた冤罪についてあやまるべきです。引用は可能です。記事がよりよくなるために議論もしないまま、とにかく、だれかをおとしいれて、しかもそのひとが自分より努力していようものならよってたかって集団で卑劣にもつぶす。これは卑怯だ。おとこらしくない。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:50 (UTC)[返信]

あなたたちはおろかだ。おろかものがよってたかって、賢者をおとしいれる。これはウィキペディアプロジェクトの本旨ではない。どうしてこうなってしまったんですか。議論してください。議論のページです、ここは。権力乱用のページではない。なにがただしい引用方針なのか、話をつめなければ、つぎもまたどこかでにたような冤罪がおこってしまいますよ。卑怯なことはしてはいけない。まちがったらあやまる。なにがまちがっているのか、きちんと説明する。できなければまちがっていないんです。ただしいんです。説得されるべきです。おろかものは賢者にしたがうべきだ。これが男の道だ。だれも完璧になどなれない。かならずだれかから学ばなければならないんです。わたしもまなびます。なにがまちがいなんですか。どこがですか。まちがっていたら訂正しますが、まちがっている場所はなく、ただただあなたたちは陰険で陰湿で女々しい気分でわたしをおとしいれたがっている。これは武士の道に反する。日本人として恥だ。天皇陛下にもうしわけがたたない。父祖に、先祖にもうしわけない。どうにか反省してほしい。そしてきちんとでてきて、わたしにおおやけにあやまってほしい。それが事態をあらためるたったひとつの方法です。わたしはだれもしいたげる気はない。あやまってもらえれば、ただしいことのためにゆるします。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 16:56 (UTC)[返信]

こんなことに時間をつかっていられないんです。嫌がらせはやめた方がいい。めぐりめぐって、あなたたち、悪魔的業をほしいままにしたおろかものにも、因果応報がありますよ。議論ページなんだから。きちんと議論しましょう。正々堂々と。ただしいことは著作権法引用の規定やWikipedia:引用のガイドラインでの妥協可能性にもかかわらずそれを無視して訴えられる可能性がある引用をウィキクウォートにすべて一切まとめることなんですか。それとも、記事に有益な引用の妥協的水準をさぐりあうことなんですか。このどちらかがこたえではないですか。どうかお答えください。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 17:02 (UTC)[返信]

これほど、世の為人の為になるある能力を浪費させた罪は、到底つぐなえるものではないとおもいます。まだおそくないのだから、いますぐ、卑劣で卑怯ないやがらせの荒らし扱いはやめてほしい。これ以上、正義をおとしいれるつもりなら、あなたたち悪意ある烏合の衆はやがてウィキペディアからも、社会からもうらまれることになるでしょうよ。それが因果応報ですから。こたえてください。わたしは時間がないと、はじめにいったはずです。使命なんです。あなたたちにはわからない使命感で、この啓蒙をしなければいけなかったんだ。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 17:05 (UTC)[返信]

ウィキクウォートというのは、「古典をまるごと」アップロードするような場合のためにあるプロジェクトで、部分的引用のためではないんではないですか。だからわたしは、そっちにあげようとはしてこなかった。あなたたちはこのところを勘違いした。引用はしてはいけないとか、全文引用なNGみたいな、どっかのネットスラングをそのままもちこんで、きちんとした下調べなしにウィキペディアをつかってきたのではないですか。わたしはこの引用可能性について、したしらべしたうえでがんばって、その範囲内でひとびとの公益になる記事を信じてきた。いまだに信じてます。知は力だ。どうか、いますぐにこのはなはなだしい天地を倒逆させる大罪を、冤罪の言論統制をやめていただきたい。言論統制は罪です。ウィキペディアの方針を、あまりかしこくもなく適当にウィキペディアをつかってきたひとよりしっているひとへ、冤罪しているのは、余計に罪です。どうか謝罪してください。そして、ウィキペディアも、人類の知識も、より精確で、利便性のあるネットワークにしていくべきでしょう。

大事なのは、「記事に有益な引用の妥協的水準をさぐりあうこと」なんです。このための議論ページです。あなたたちは、はっきりいう。神を冒涜しているんです。はじめにことばがあった。ことばを冒涜している。黙れという。ただしいことばなのに。これは神への冒涜で、いずれは神罰があるとおもいますよ。はやく、荒らし冤罪はやめて、降伏しなさい。あなたたちは冤罪で、著作権法を濫用してるんです。新聞記事の引用は可能なんです。それが公益のためなら、善意なんです。全員が駄目だといおうが、善意は善意なんです。善意が中心で、もしそれがまちがっていたら、訂正すればいいだけなんです。訂正したら、こんな目にあわせた。これはただのぬれぎぬだ。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 17:12 (UTC)[返信]

これほどの冤獄は、わたしはそうそうみたことがない。これは大罪だ。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 17:15 (UTC)[返信]

そろそろ、いいかげんにしてもらえませんでしょうか。書き込むのをやめて、著作権の勉強をして下さい。[2][3][4][5]などが分かりやすいかと思われます。他利用者を侮辱するのは、絶対にやめてください。これは警告です。--Los688会話2013年3月23日 (土) 17:16 (UTC)[返信]

そんな卑怯なことをして、議論をそらしてたのしいですか。引用の水準の議論ですよ。あなたが反応しないので、時間だけ無駄にすぎた。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 17:24 (UTC)[返信]

謝罪の念がないLos688会話)があわれだ。あなたはいずれそのこともわかるはずですよ。あなたが発端で、深刻な迷惑をかけている。あなたはただただ、わたしのあしをひっぱっている。そうして「努力する人」をおとしいれ、スケープゴートにしてしまおうとして、Los688会話)さん、なにかあなたが得するんですか。--Eiryaku会話2013年3月23日 (土) 17:27 (UTC)[返信]

一旦ブロックしました。リンク先には、全文引用すなわち転載であり、通常は著作権侵害とされるとの解説が掲載されております。それすらお読みにならないのは、全く遺憾です。ブロック期間中にぜひともお読み下さい。--Los688会話2013年3月23日 (土) 17:33 (UTC)[返信]

Eiryakuさんへ。Eiryakuさんが繰り返し引用している「Wikipedia:引用のガイドライン」のその部分は、引用することができるようになる必要条件であって、充分条件ではないです。つまり、それを満たさなければ引用はできませんが、満たせは必ず引用できるという条件ではないです。ガイドラインの文章には「適法な引用が成立するには以下1ないし7の要件をすべて満たす必要があるとされている」とはありますが「以下の要件をすべて満たせば引用が可能である」とは、書いてないですよね。加えて、そのガイドラインのもっと下のほう、Wikipedia:引用のガイドライン#引用の方針節をご覧ください。そこの「引用の要件」には、

本方針の対象となる著作物を被引用文として含む記事を投稿したり、本方針の対象となる著作物を被引用文として既存記事に追加する編集をしたりするときは、以下のすべての条件を満たさなければなりません。
3. 引用の目的上、正当な範囲内の引用であること
引用の目的を達成するために必要な最小限の文章を抜き出して引用して下さい[6]。例外的に全部を引用できるのは、俳句や短歌などのごく短い著作物に限られます[7]

とあります。もしかすると、ここはまだお読みになっていなかったのではないでしょうか。--Calvero会話2013年3月23日 (土) 18:08 (UTC)[返信]