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Wikipedia‐ノート:削除依頼/Algenによって作成されたクルアーン記事群

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頭痛さんのコメント以下の転記[編集]

以下 表ページ 頭痛 2013年10月23日 (水) 21:54 (UTC)のコメントに対して付けられたコメント以下を転記。

          • コメント 細かいことだが、正しくは「しらい」ではなく「しらい」ですね([1] [2])。義務教育レベルの仮名遣いも怪しい人が「Wikipediaの品質」について大演説をぶっているさまは、まさにピエロと呼ぶ他はありません。Wikipediaの品質以前に、まず頭痛さん自身の日本語の品質を向上させるべく努力することが必要です。小学校の国語の教科書を復習するのも一つの方法ではないでしょうか。もっとがんばりましょう。--118.237.86.200 2013年10月24日 (木) 04:14 (UTC)[返信]
            • コメント 知ってますのでお気遣いなく。些細なミスタイプを発見して鬼の首を取ったように騒ぎ立てる様はまさにピエロと呼ぶ他はありません。--頭痛会話2013年10月24日 (木) 04:28 (UTC)[返信]
              • コメント お気の毒だが、あなたが言っていることは論理破綻しています。「知ってます」ということは知った上で故意に「しずらい」と書いたことになるが、「ミスタイプ」ということは故意ではなく過失だったということになりますね。--118.237.86.200 2013年10月24日 (木) 04:49 (UTC) --中傷を除去。転載ここまで。--頭痛会話2013年10月28日 (月) 08:51 (UTC)[返信]
                • 知っていてミスしたからミスタイプになるんでしょう。使用頻度の低いdi du を音につられてzi zuで打ってしまうなどということはよくあることだと思いますが。
                • どうしてもそうしたいのであれば別に私が小学校レベルの仮名遣い知らないのだということにしてもいいですが、だからコイツの言っていることには何の説得力もないのだ、などという可変IPからコソコソ行われた書き込みを信用する人は表で票を入れている者の中にはだれもいないと思いますよ。--頭痛会話2013年10月28日 (月) 08:51 (UTC)[返信]
  • 「中傷である」としてノートに移されたのも「?いいのかなこんな事して」と思うのですが(すくなくとも私は初めて見ましたこういうのは。普段からこういう行為は許されているんでしょうか?なら良いのですが)、「除去」まではしなくて良いのではないですか?中傷を行って問題視されて(あるいは恥をかいて)不利益を被るのはIP氏なのであり(その証拠にどなたもIP氏に同調しませんでしたよね)、頭痛さんは痛くも痒くも無いのですから。--Kinno Angel会話2013年10月28日 (月) 09:07 (UTC)[返信]
    • Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃への対処法を参照してください。他人への中傷などは無関係な人物が読んでも気持ちのよいものではないと思いますが。--頭痛会話2013年10月28日 (月) 09:21 (UTC)[返信]
      • これにつきましては率直にお詫び申し上げます。今まで私は周囲に恵まれておりましたので、ここまでの個人攻撃を第三者としてでも見た事がありませんでした(したがって除去による対処も目にした事がありませんでした)ので、記事のノートページでもこういう対処が許されていることを存じませんでした(個人の会話ページでしか見た事がありませんでした)。方針に則った対処として結構と思い支持します。--Kinno Angel会話2013年10月28日 (月) 09:24 (UTC)[返信]

表での意見についてのコメント[編集]

個別記事の削除の可否とは関係ないのでノートに書きます。(上の頭痛さんのところのではなく)表での主にKinno Angelさんの意見に対して、になるのかな。

基本的に、誰かが加筆してくれることを期待するのがウィキペディアの大前提でしょう。総論的記事はほとんど貧弱です。執筆者にとって、書きやすい粒度や書きやすい題材が優先されることはよくあることですし、総論的記事が難しいからあきらめるよりも、何年もうんうんと唸って放り出すよりも、書ける記事を書いたほうがいい。この10年でウィキペディアの記事がこれだけ増えて、これだけ発展しているんです。専門家からの関心も、この1,2年でずいぶん増えていますよ。
今参加している、執筆能力の高い人が編集できなくても、いつか誰かが編集します。Kinno Angelさんが参加する前と後ででも、キリスト教関連の記事の発展の速さはずいぶん違います。今の参加者で見通しを立てるのは適切ではなく、ここ数ヶ月とか、ここ数年でとかいう時間の切り方も適切ではないでしょう。すぐに発展させることができるかどうかというのは、削除の基準ではありません。みんなが満足するような記事でなければ削除というわけでもありません。すぐに発展させることができないとしても、発展が可能な題材なら、いつになるかはわからなくとも、将来の発展に期待して残しておく。
「説明にも満たない記事、間違いがあるもの、読んでいて意味不明なものなど。」はWikipedia:削除の方針#削除対象にならないものとして明示されていますし、Wikipedia:即時削除の方針#全般Wikipedia:即時削除の方針#記事にも合致しません。「自分の作ったスタブに幾らかの責任を持つ 時間をおいても十分に成長しないスタブに対しては、自分で責任をもって加筆してください。あとから少しずつ加筆するよりは最初から出来る限り記述する方がお勧めです。」というのは努力目標としては間違いではないですよ。そしてこのガイドラインに沿っていないからといって、初心者をいじめたりひどく扱ってはいけないとも明記されています。スタブは成長させなければならないということについては異論がないはずです。また、スタブは削除の理由ではありません。
「一行一文程度の説明」は、「役に立つスタブ」とは言えないけれど、「一行一文しか説明が無い」が「まず間違いなく中立的観点が欠けている」と言うのは言い過ぎでしょう。明らかな事実文というのもありますし。その一行は「役に立つスタブ」ではなくとも、役に立たないわけではなく、害悪でもない。聖書の章ごとの記事、エピソードごとの記事は、あってもいいと思いますよ。ウィキペディアに慣れている人がわざわざ1行程度のサブスタブで記事を作成することはどうかと思いますが、慣れていない人が作ってしまったものを削除する必要もない。
みっともない、という意見は、正直よく分かりません。間違いや、貧弱な記事、分野を見たことが編集に参加するきっかけになった人は多いです。最初の不完全な記事が完成された記事へと近づいていく過程の間、記事は、草稿あるいはノートと小さな事実の集積物にすぎないように見えるかもしれません。このみっともなさにあきれるのではなく、その可能性を楽しみにし、編集の過程を通じてそれが秀逸な記事に変わるということを信頼してください
  • オオミズナギドリさんの意見は、これらの話とはちょっと違うところがあると思います。日本語版ではスーラ (クルアーン)が現状リストになってしまっていますが、英語版はスーラの説明が書かれていてリストがありません。日本語版をen:Suraのように修正・加筆するのは、それなりに優先されてもいいと思いますし、その結果として、今の日本語版のリストを分割して今の状態にするのだとすれば、削除せず、でよいのではないかと思います。特に長くもない記事を一つ翻訳するくらいのことは、誰かがやろうと思えば、数日で手掛けられるものでしょうし、訳語の水準に拘らなければ、ほどほどの語学力があれば可能な作業です。スーラにまつわる記事群を、ポータル:イスラームとしてはそのように構成しないという、構造的な部分での方向性で合意があり、または合意することで、不要な項目群として扱うということならば、反対しません。ただ、その場合でも、個人的には他言語版との関連付けから、スーラへのリダイレクトにしておくほうがいいと思います。
  • なお、一覧の類から分割して作られたような個別記事に関して、個々に単独記事の目安を適用させることについては、ガイドライン化に向けて合意が得られていません。目安のノートで異論があります。--Ks aka 98会話2013年11月3日 (日) 02:50 (UTC)[返信]
コメント もちろん「きっといつか誰かが」と期待するのは、ウィキペディアの基本的な前提ではありますが、それはあくまで基本であって絶対ではなく、常に「きっといつか誰かが」を期待することが許される訳でもないということは留意すべきです。数年前のように無闇に「将来に期待できる」状況ではなくなってきていますし、期待しないとjawp自体が成り立たないような状況でも最早ありません。発展したからこそ、今更そんな「間違いや貧弱な記事だらけ」の時代の昔話の感覚で物事を判断するのは不適切でしょう。--氷鷺会話2013年11月3日 (日) 08:51 (UTC)[返信]
コメント「きっといつか誰かが」を期待することが許されない場合とはどういうものでしょうか。特筆性に欠けたり、いまだ共有されていない概念や、発生していない事柄は、許されないでしょう。この記事は、そうではありません。
発展したとはいえ、「間違いや貧弱な記事だらけ」であることには変わりないですし、参加者の数や質もまだまだだと思います。引用している編集の方針の文書は、今の日本語版よりはるかに発展している英語版の方針でも書かれていますし、ここで削除対象となっている記事群と同じような記事群は英語版にもあり、それらは削除されようとはしていません。昔話をしているつもりはありませんよ。--Ks aka 98会話2013年11月4日 (月) 07:23 (UTC)[返信]
コメント ケースEはいずれもそういう話でしょう。「独自研究」なんかは、誰かが改善できる可能性はあるけれど現状では方針に沿っていないから削除という話です。「特筆性がない」「百科事典的な記事に成長する見込みがない」という判断にしろ、分かっている範囲のものであって「きっといつか誰かが」を適用すれば「…特筆性を提示してくれるかもしれない」と言えます。その可能性は、削除依頼の段階ではまったく無さそうに見えても「存在しないことを証明はできない」のですから、ありそうにない可能性に期待してしまって良いのであれば削除できません。「将来に期待する」ことは、「現状に目を瞑って誤魔化す」ことの理由にはならないのです。それはただ、問題を将来のウィキペディアンに押し付けているだけでしょう。
あと、関係のない話――英語版を持ち出して正当化するような真似はやめてください。関係のない話のついでにお尋ねしますが、では、オランダ語版がやったような80万記事規模の「jawp 1個分」のサブスタブ濫造がjawpで実行されたとしても、「嘘ではない」「害はない」「他所では削除されない」などと正当化するつもりなのでしょうか。--氷鷺会話2013年11月4日 (月) 09:15 (UTC)[返信]
>「オランダ語版がやったような80万記事規模の「jawp 1個分」のサブスタブ濫造がjawpで実行されたとしても」のような極端な例を持ち出すのは、WPは未来予測をしない、先手を打たないに反していますし、そのような輩が出てきたら一時ストップをかけるまでのことでしょう。また今回の件は「ありそうにない可能性に期待してしまって良い」とまではいえないものと思います。それからもちろん量と程度の問題ですが、現状の問題を将来のウィキペディアンに押し付けてもかまわないのではないではないのでしょうか。--Gyulfox会話2013年11月4日 (月) 10:50 (UTC)[返信]
コメント Ks aka 98さんが英語版を持ち出して話を脱線させたついでですよ。もっとも、別に極端な例でもなくなってきているのです。他言語版では昔から数万記事くらいの濫造は決して珍しくありませんでしたし、最近はオランダ語版だけでなく、スウェーデン語版、ワライ語版、セブアノ語版も数十万ほど濫造していて、ちょっとした流行りのようですから。「記事数が13位にまで落ちた」などと無駄に危機感を募らせた輩が暴走してもおかしくはないでしょう。--氷鷺会話2013年11月4日 (月) 11:18 (UTC)[返信]
あと、「未来予測をしない」というのはあくまで記事を作るうえでの方針ですから、ここでそれを持ち出すのは単純に誤りです。基本的な方針は正しく理解しておいてください。--氷鷺会話2013年11月4日 (月) 11:22 (UTC)[返信]
コメントそういうってのはよくわかりませんが、ケースEとしての「独自研究」というのは、誰も改善できないもの、たとえば「氷鷺の法則」が想定されています。「特筆性がない」については、情報源を誠実に探しても見つからず、より広範なテーマについて扱っている別の適切な記事に統合することを検討し、それもかなわない時に削除です。第三者的な情報源が「存在しないことを証明はできない」のですから、「ありそうにない可能性に期待してしまって」すべてを存続にするのではなく、誠実に調査する。存在するが、見つけるのが難しいこともあって、でもそれについてはあきらめるとしても、「きっといつか誰かが」記事の発展に取り組んだとしても、記事として収録できないと考えられるから削除というのが基本ですね。いつか誰かが書こうとすれば書けるものは削除対象とされていません。
現状では素晴らしくないが発展の余地がある記事の有用性と発展の芽をつぶし、削除することであたかもウィキペディアが立派なものに見せようとすることもまた「現状に目を瞑って誤魔化す」ことではないですか。削除することは、一から記事を作ることを未来のウィキペディアンに押し付けているのとは違うのですか。
ウィキペディアの方向性については、他の言語の動向は参考にできるものでしょうし、明らかに発展している例として英語版を示すことに問題があるでしょうか。
オランダ語版のスタブに否定的であり削除することが当然のような書きぶりですが、nl:Banksula melonesのような記事を削除すべきとお思いですか? 事情は詳しくないですけど、en:Talk:Dutch Wikipedianl:Overleg_Wikipedia:Wikiproject/Dierenで、強い批判は見当たりませんでしたし、削除はされていませんよね。かつて英語版でrambot によって作成された地方自治体のスタブ群には、たしか賛否があったと呼んだ記憶がありますが、削除はされていません。:オランダ語版は昆虫や蜘蛛の種についてのスタブですが、使えるデータベースがあって、作業をしてくれるボット使いがいるなら、定義文と基礎情報テンプレートだけでも閲覧者には有用でしょうし、DBペディアを通じてオープンデータのほうでも活用されるでしょう。やってはいけない理由はないと思いますけれども。もちろん、記事数を増やすことが目的化するのはよくないですし、元になるデータの評価はしなければならないですけれども。
「正当化」という言葉に、正当でないものを正当であると主張しているというニュアンスがこめられているのかどうかはわかりませんが、嘘ではなく、害がないというのは、記事を残す正当な理由です。「他所では削除されない」ということは、そうした考えが、ぼくが独自に主張していることではなく、ウィキペディアというプロジェクトにおいて共有されていることを示すものです。英語版やオランダ語版と日本語版は違いますけれど、違うからといって、氷鷺さんの意見が正当化されるわけではないですし、違う運用をするなら、相応の理由を示す必要があるでしょう。方針上削除対象には直ちに該当せず、嘘ではなく、害でもない記事で、他の言語版でも削除されていない記事を削除することの正当化を試みて頂ければ。--Ks aka 98会話2013年11月4日 (月) 11:49 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかが記事を作る際のみの方針であるという文言は一切存在しないようですが…--6144会話2013年11月4日 (月) 14:18 (UTC)[返信]
なんかでかい話になってますが、サブスタブが見苦しいものであり作成を避けるべきものであるということはWikipedia:スタブにはっきり書いてあります。他言語版の事情は良く存じませんが、botでテンプレと定義文だけのデータベース記事作りまくるとか勘弁してほしいですね。
Wikipedia:スタブは削除の基準のようなものでは無論ありませんが、今回のケースは内容をカバーできている一覧記事があるのだからそれを考え合わせれば(Wikipedia:ページの分割と統合)一覧の内容を超えないものは削除でいい、というのが表で表明した意見でした。--頭痛会話2013年11月4日 (月) 12:09 (UTC)[返信]
頭痛さんのコメントは、あまり意識していませんでした。1)これから作成するものに対して、サブスタブを作ろうとしているなら、控えたほうがいいという意見は、理解できます。控えたほうがいいかどうかは、サブスタブの内容・水準などにも拠るでしょうし、最終的にはコミュニティの判断になるでしょう。2)この削除依頼について、重複をリダイレクト化で解消するとすればカッコつきリダイレクトになることも含めて、重複を理由として削除という意見も理解できます(同意するかどうかは別として、ですが)。--Ks aka 98会話2013年11月4日 (月) 12:27 (UTC)[返信]
コメント(インデント戻し)
ウィキブレイクから復帰しました。お待たせして申し訳ありません。
中立的観点について
>「一行一文程度の説明」は、「役に立つスタブ」とは言えないけれど、「一行一文しか説明が無い」が「まず間違いなく中立的観点が欠けている」と言うのは言い過ぎでしょう。明らかな事実文というのもありますし。その一行は「役に立つスタブ」ではなくとも、役に立たないわけではなく、害悪でもない。聖書の章ごとの記事、エピソードごとの記事は、あってもいいと思いますよ。ウィキペディアに慣れている人がわざわざ1行程度のサブスタブで記事を作成することはどうかと思いますが、慣れていない人が作ってしまったものを削除する必要もない。
うーん…これは宗教系記事の難しさを「実感」して頂くのは非常に難しいとは思うのですが…。例えば「キリスト教は愛の宗教である」といった通俗的な説明すら、「中立的観点を満たす記述」では無いほど、なんです。「愛とは何か」「愛を大事にする他宗教との差は何か不明瞭」といった具合に。聖書の箇所についても「要約で何を強調するか」で、根本主義系の記者が選ぶ語彙と、私(正教系)が選ぶ語彙とで、かなり違って来ます(ですから繊細に注意して各論併記が必要なわけです)。それほどデリケートな領域だという事は御理解頂きたく存じます。
「役に立つスタブ」かどうか
オモテでも申しましたが、これが仮に地理系記事でしたら、私もかなり甘い事を申したかもしれません(もしかすると氷鷺さんや頭痛さんとはこの点では見解が違うかもしれませんが)。自治体記事ならば「名称の日本語表記(記事名)、所在する国家、人口、緯度経度の座標」だけでも、相当助かる。例えば私はロシア語は片言程度なら理解出来、現代ギリシャ語は「読み」は何とか教科書片手に分りますが、アラビア語となると完全にお手上げです。バラマンド我等の女宰修道院といった、シリアレバノンのキリスト教について書く時には、中東のアラビア語地名の記事がスタブとして存在して居ると、「役に立つスタブ」が大変よく実感出来ますし、座標から大凡の場所が解るというのも小さく無いメリットです。ですから例に出されているイタリアのコムーネ記事についても、もしかするとその議論に加わって居たら「存続」票を入れていたかもしれない。また、地理系記事で「中立的観点」が問題になるのは、「歴史」節が加わった時などであって、紛争地域(や転写表記が常に問題になったウクライナのような特殊事情)でも無ければ「名称の日本語表記(記事名)、所在する国家、人口、緯度経度の座標」で「中立的観点」が問題になるとは考えにくい。
しかしながら本件で問題になっている記事群は果たしてそのような「役に立つスタブ」なのでしょうか?
存続票を入れている皆様の論拠は「将来の発展可能性」のみのように思いますので(違って居たら御指摘下さい)、皆様現時点では「役に立つ記事」とは思っていらっしゃらないでしょう。だって一覧記事の方が分量的に優れているものすら指摘されているのですから。
頭痛さんの2013年11月4日 (月) 12:09 (UTC)のコメントの通りと思います。[返信]
将来の発展可能性について
氷鷺さんの将来についての予測にはきちんとした見通しが感じられますが、楽観論者にはそれがあまり無いように思います。「Kinno Angelさんが参加する前と後ででも、キリスト教関連の記事の発展の速さはずいぶん違います。」と、Ks aka 98さんから評価を頂き大変光栄かつ恐縮では御座いますが、自分自身では「全く、全然、何も改善が追い付いて居ない」と考えております。プロジェクト:キリスト教#問題のある記事(中立的観点の問題・出典の欠如・独自研究・百科事典としての適正性に疑義ほか)に、問題有る記事をどんどんリストアップして積み上げて修正に動いて居るのですが、「リストアップする(される)数数>自分が加筆修正している記事数」です(正確に計って居ませんが最低でも10倍は差がありますし、これまで加筆修正したものとして挙げているものでも、品質的に全く物足りないと今では思うものもあります)。つまりキリスト教系記事では、特にサブスタブが量産されている訳でも無い現状でも、私程度の頻度・分量で記事を執筆する者が10人居ても足りないわけです(この「分量」の問題を前にして、正直いつも挫けそうになっているのです)。
イスラーム系記事ではこれよりおそらく更に執筆者の数は少ないですし、これが飛躍的に増大するとも、日本での研究者層の厚みを考えれば、まず考え難い。将来の発展可能性は極めて極めて薄いと言わざるを得ません。氷鷺さん仰る懸念の方に共感致します。また、仮に執筆者が増えたとしても、その時に記事が立項されれば何の害も無いのであって、「役に立たない中立的観点にも疑問ないしリスクのあるスタブ」を大量に残しておくメリットは全くありません。--Kinno Angel会話2013年11月5日 (火) 16:34 (UTC)[返信]
当事者ではないですが、中立性の扱いが難しい主題についてはいくらか承知しています。「キリスト教は愛の宗教である」というのは、事実文ではありません。「『イザヤ書』(―しょ)は、旧約聖書の一書」ならどうでしょうか。文献の成立過程や旧約聖書に含むかどうかといったところに争いがある可能性もありますが、そういうことなら、加筆すればよいでしょうし、一般にはこの一文で通用するのなら、これでも十分有益です。そのような記述には慎重さが必要です。聖書の記述でどこを強調するかについても慎重さが必要でしょうけど、それは長い文章でも同じこと。
役には立ちますよ。記事が存在するだけでも、その事柄や概念の存在を知ることができます。それを元に調べる人もいる(現に、いますよね)。
Kinno Angelさんが参加してからでも、キリスト教分野がまだまだ発展していない、という認識だとしても、一人熱心な執筆者が加わり、数年もたてば、ずいぶん発展するものなんです。現在の参加者をベースに短期的な記事の発展を予想する場合、Kinno Angelさんが参加する直前と今とでは、大きく変わってくるでしょう。活動頻度を別にすれば、10人いる分野に一人加われば一割増し、一人しかいない分野が二人になれば倍になる。ぼくも「全く、全然、何も改善が追い付いて居ない」と思いますよ。そう捉えるなら、長期的にしか改善しない。100年後に、多少はマシになった百科事典になった時に、記事として存在しうるもので、害にもならないのなら、100年スタブのままでいいじゃないですか。--Ks aka 98会話2013年11月6日 (水) 06:19 (UTC)[返信]
私個人をKs aka 98さんが評価して下さって居る事は分りますし有り難いですし光栄なのですが…。
実態として、スタブ量産が容認されたら、今の「スタブの現状、ないし増加に、加筆修正が追い付かない」流れに歯止めが利かなくなる、というのは御理解頂けませんでしょうか。全体の質を上げる事が出来るように、可能な範囲でスタブが減るように努力しているのに、後から後から中立的観点など全く考えて居ないスタブが量産されていけば、「面白い」「愉快」とは正直思えません。「百科事典全体の品質維持」という観点も考慮して頂きたく存じます。その意味では「100年スタブのままでいい」とは私には思えません。--Kinno Angel会話2013年11月6日 (水) 12:09 (UTC)[返信]
独自研究の開陳には返答いたしません。なおWikipedia‐ノート:スタブに必要な提起を行いました。--6144会話2013年11月6日 (水) 14:15 (UTC)[返信]
利用者‐会話:6144でも合わせて対話拒否されましたので、然るべき手続きを検討中である事をここに御報告します。--Kinno Angel会話2013年11月7日 (木) 15:58 (UTC)[返信]


遅くなって&長くなってすみません。
「スタブの現状、ないし増加に、加筆修正が追い付かない」というのは、理解しています。ぼくが理解していないとすると、加筆修正が追いつかない時に、害のない、ちょっとは有用なスタブを「削除」しなければならない理由です。このことを理解できるように説明して欲しいんです。
「スタブの現状、ないし増加に、加筆修正が追い付かない」というのは、削除の理由ではありません。削除の方針にない、というだけではなくて、「スタブが作られたら短期間のうちに加筆修正をしなければならない」という共通理解があるなら、これを削除理由にできるけど、そういうものはない。ウィキペディアは、「もし記事が存在しているなら、その記事はある程度の水準に達していて、そのような記事しかない百科事典」ではないんです。
「百科事典全体の品質維持」という観点から言えば、スタブを削除すれば一項目あたりの平均点は上がるかもしれないですけど、全体のの情報量としてはスタブがマイナスに働くわけではないですし、塵も積もれば山だったりもしますから、総合的にはスタブを残したほうが有益という見方もできますよね。スタブにある情報が、加筆を可能にすると言う面もあります。
たとえば80年代東京の都市文化についてのエッセイの中で説明なく「ナイロン100%」という単語が出てきた時に、それが店の名前だと分かるだけで理解が進みます。ダイオウグソクムシとやらがフィクションのムシなのか、実在の生物なのか、正式な呼称なのか、俗称なのか、とかね。それらは最初の1行が書かれていたら、たぶんそこに含まれる情報です。百科事典を読む人は、それが何かまったくわからないから調べる事も少なくない。そういう時は、何もなければわからないけど、定義文1行あればそれで十分有益なんです。
その1行があれば、調べる手がかりにもなります。出典のない記述とかも同じで、そこにある単語を使って調べれば、それなりのことはわかります。分野や性質にもよりますが、グーグルとciniiとNDLサーチを使って、近所に図書館と大き目の本屋があれば、なんとかできます。そこそこの情報探索力と読解力があれば、クルアーンに特別詳しくなくともサブスタブを脱する程度の加筆は、誰にでもできます。自分の知識だけ、自分の関心分野だけを執筆しようとしているのではない編集者だっているわけですよ。この1行がなければ相当苦労します。記事がないほうが新規記事が書きやすいという意見も見ますけど、それはあらかじめ記事の所有権を主張するようなものですし、高い執筆能力を必要とします。ちゃんと書けるなら、まるごと上書きしてもいいわけですし。
ぼくはKinno Angelさん個人を評価していないわけではないですが、言いたいのはそういうことではなくて、Kinno Angelさんが書いているキリスト教(正教会)の記事の水準で、他の分野の記事を書いている人はたくさんいますし、まだ書いていないけど書ける人はもっとたくさんいます。Kinno Angelさんは、建築の専門家ではなくとも(実はそうなのかもしれませんが)正教会が絡むウクライナやロシアや日本の建築物の記事なら、ましなスタブに仕立て上げることはできますよね。執筆者が足りていないのは確かでしょう。今足りていなくても、ぼちぼちは増えます。ちゃんとした記事を書ける人より、ちょっとした加筆を出典を示して書ける人のほうが多い。そういう作業をしている人も、少ないけどいらっしゃいます。
自分で記事を書ける人のなかには、なんとなく達成されているべき水準みたいなものを持っちゃう人がいるように思うんですね。その水準は高ければ高いほど、自分より下に見れる相手が多いし、そんなことも知らんのかと説明を省略できる範囲も広がる。自分より高いところに水準を置いてたら、自分が参加できないですから、自分の能力のちょっと下あたりに置く。そこまで底意地の悪い人もそうそういないと思いますが、自分がこれくらいできるんだから、みたいな感じで、標準化しちゃう。そうして、スタブを「それ以下」として見てしまう。それに加えて、自分では記事を書けない人のなかにも、実体を知らずに方針原理主義、出典原理主義で闇雲に高い水準をでっちあげたりして、水準を上げてしまう人もいます。それだと、ヌーペディアの失敗の繰返しです(アンドリュー・リーの『ウィキペディア・レボリューション』が詳しいです。一読をオススメします。ネットでも、主に英語ですがラリーサンガー周辺の話は拾えます)し、追求するなら紙の百科事典でいいってことになっちゃう。
もちろん、一定の水準をクリアしたものだけで進めていくという方法もあります。でも、ウィキペディアはそうではない、誰でも編集できるし、記事は発展させるものなんだっていうのは、ウィキペディアの基本です。立ち上げの歴史からもそうです。方針文書やガイドラインも、英語版から翻訳されたものも日本語版で書かれたものも、その考えに沿っています。ジミー・ウェールズもスー・ガードナーも、発展した記事も最初は小さな記述だけだったと言う話題を公演やインタビューで話しています。ボットで基礎情報だけで作成されたかつての英語版の自治体や地名の記事、最近のオランダ語版での生物種の記事は好意的に受け取られています。削除依頼に出されている記事群は、より発展している英語版を含む多数の言語版で記事として残っていて、少なくとも英語版ではスタブカテゴリにも入ってませんでした。
「スタブの現状、ないし増加に、加筆修正が追い付かない」のだとしても、気にしなくていいし、だからといって削除するべきではない、というのは、ぼくの意見ではあるけど、独自の考えというわけではなくて、ぼくがウィキペディアの様々な記述や、仕組み、歴史、あるいはジンボの経歴やコメントなどから受け取ったウィキペディアの理念に沿った意見です。スタブを削除するような百科事典作成プロジェクトと、スタブは削除しないような百科事典作成プロジェクトがある。これらは、プロジェクトとしてはどちらも選択可能なんだけど、ウィキペディアは後者である。前者を求めるなら、ヌーペディアやシティズンペディアや商用百科事典でどうぞ、ということになっちゃう。
スタブではなく、サブスタブの扱いということなら、削除が必要なこともあると思いますけれども。--Ks aka 98会話2013年11月23日 (土) 09:45 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、大変参考になります御意見をありがとうございました。ヌーペディアの歴史云々はウィキペディアの記事で読んだ事はありますが、本件に活かされる歴史認識としてはモノにしておりませんでした。色々と考えさせられました。本件については存続が決まりましたし、すぐにどこでどのような見解に変更したかを申し述べる予定はありませんが(熟考したいと思います)、かなりKs aka 98さんの御意見に説得力を感じたところです。今の所、最大の熟考すべきところはサブスタブの扱いについてですが…。繰り返しになりますが御意見は今後の参考にさせて頂きます。ありがとうございました。--Kinno Angel会話2013年11月24日 (日) 16:01 (UTC)[返信]

謝罪[編集]

この依頼で全削除の投票をしましたが、その後いくつかの記事において加筆が行われていたことに気づいていないまま全削除の投票をしてしまいました。遅きに失したことですが確認せずに投票したことについて謝罪します。--ShellSquid/履歴 2013年12月15日 (日) 17:19 (UTC)[返信]