コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia‐ノート:削除依頼/Category:旧約聖書正典

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
en:Category:Old Testament Apocryphaより
  1. 2 Esdras
  2. 5 Maccabees
  3. Apocalypse of Abraham
  4. Apocalypse of Elijah
  5. Apocalypse of Sedrach
  6. Apocalypse of Zephaniah
  7. Apocryphon of Ezekiel
  8. Ascension of Isaiah
  9. 2 Baruch
  10. 3 Baruch
  11. 4 Baruch
  12. Book of Noah
  13. Book of Odes (Bible)
  14. Conflict of Adam and Eve with Satan
  15. 3 Enoch
  16. Second Book of Enoch
  17. History of the Rechabites
  18. Penitence of Jamnes and Mambres
  19. Joseph and Aseneth
  20. Jubilees
  21. Letter of Aristeas
  22. Life of Adam and Eve
  23. Lives of the Prophets
  24. 4 Maccabees
  25. Odes of Solomon
  26. Psalms of Solomon
  27. Pseudo-Philo
  28. Pseudo-Phocylides
  29. Sibylline oracles
  30. Testament of Abraham
  31. Testament of Adam
  32. Testament of Isaac
  33. Testament of Jacob
  34. Testament of Job
  35. Testament of Solomon
  36. Testaments of the Twelve Patriarchs
  37. Vision of Ezra

("The Sword of Moses" は内容的に微妙なので除外)

en:Category:Deuterocanonical booksより
  1. 3 Esdras
  2. Psalm 151

計39

en:Category:Pseudepigraphyより
  1. Apocalypse of Baruch
  2. Apocalypse of Moses
  3. Apocalypse of Pseudo-Methodius

Rigel 2007年7月9日 (月) 09:30 (UTC)[返信]


どうせ「ついで」なので、全て解説しましょう。私が存続意見を表明した2007年6月8日 (金) 09:19 (UTC) には、『トビト記』の例が挙げられています。これはいわゆる「第二正典」に該当する書物全てに当てはまります。そこには「旧約聖書」と「外典」の2つのカテゴリが張られているのですが、これを見た人は『トビト記』が「旧約聖書外典」であると考えるのではないでしょうか?。少なくとも、これを「第二正典」であるとは考えないでしょう。つまり、『トビト記』は今現在、「正典」ではなく「外典」であるとみなされる可能性が大きいわけです(張られているカテゴリのせいで)。一方、カテゴリが「第二正典」であれば逆に、「外典」ではなく「正典」であるとみなされる可能性が大きくなるわけです。こうした効果をも狙っていたからこそ新たな改定案を提出したのであり、それは「(実際のところ、今よりも中立的なカテゴライズに近づくことを意味するはずです)」と説明したとおりです。

また、Aphaia さんがCategory‐ノート:旧約聖書正典で表明された反対意見というのは、「自分達が正典とみなすものを分離して、精神を逆撫でするのはいったいどういう了見からなのか?」といったものです(2007年6月3日 (日) 03:51 (UTC)の発言、事情を知らない人には「何のことだかさっぱり」、といった感じの議論でしょう)。これは私の予想でしかないのですが、もしかすると、分離することによって正典ではないかのように扱われていると感じたのかもしれません。ただ、このカテゴリには元々、Category:トーラーが下位カテゴリとして存在していました。なぜ今はこれが無いのかは履歴を調べれば明らかですので言及は省略しますが、削除依頼される前の構造は、

旧約聖書正典
 └トーラー
   ├創世記
   └トーラーの朗読

というものでした。この場合、トーラー(モーセ五書:創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)が正典ではないように見えるでしょうか?。そんなはずはないでしょう。では、それが私が示した改定案のように、「トーラー」の代わりに「第二正典」が存在する場合、第二正典が正典ではないように見えるでしょうか?。こちらについてもそんなはずなどないのです。

では、「第二正典」を作らないことにした場合はどうでしょう?。この場合は改定案から「第二正典」だけを取り除けば良いのです。もし「外典」を残したままであるならば、『トビト記』は「旧約聖書正典」と「外典」の2つのカテゴリを貼り付ける必要がありそう(これにしても、今の状態より幾分マシなはず)ですが、改定案のように「外典」を解体してしまった場合、カテゴリは「旧約聖書正典」しか残りません。外典とされる書物群を除いた一覧を見慣れた私などにとっては違和感を感じることも確かなのですが、あえてこれに反対しようとする人はいないでしょう。

で、私の考える分類方法をTemplate:旧約聖書の内容を元に説明すると、

  • 「第二正典」を作成する場合
    「モーセ五書」から「十二小預言書」までが「旧約聖書正典」で、「トビト」から「エズラ 2」までが「第二正典」
  • 「第二正典」を作成しない場合
    「モーセ五書」から「エズラ 2」までが「旧約聖書正典」

となります。「ヨベル」から「バルク 2」までは、「外典」を残すか残さないか、あるいは「偽典」を作成するかしないかによって位置が変わります。

と、ここまでは一昨日までの考えです(ここまで詳細に解説してもまだ「分類は不可能」などと言うようであれば、その感性を疑います)。Rigel

新案

[編集]

現在の考えはちょっと違い、カテゴリ「旧約聖書外典」は存在した方がよさそうである、というものです。この見解の変化に繋がったのは上の一覧の作成であり、「キリスト教とは無関係に、ユダヤ教において外典とみなされるもの」を入れるための器が必要となりそうです。しかし、「旧約聖書外典」というそのものズバリのカテゴリを作成すると、『トビト記』をはじめとする「第二正典」もそこに含めなければならず、そうするとまた Aphaia さんが異を唱えることでしょう。つまり、「第二正典」は「旧約聖書正典」、「旧約聖書外典」2つのカテゴリの下位カテゴリとして存在した方が良いということになります。

聖書
 ├旧約聖書
 │ ├旧約聖書正典
 │ │ └第二正典
 │ └旧約聖書外典 … (ユダヤ教における外典)
 │   └第二正典
 └新約聖書
   ├新約聖書正典
   └新約聖書外典

と、こうした構造が理想的であるものと考えます。Rigel 2007年7月10日 (火) 09:03 (UTC)[返信]


ちょっと気になる部分(元々は「第二正典」はトリエント公会議による定義らしいのでカトリック用語なのでは?)があったので、さらに詳しく調査すると、en:Deuterocanonical_books#Term used outside of Catholicismの文面に遭遇しました。エチオピア正教会の正典文書も「第二正典」に含めることが出来そうです。従って、外典/偽典扱いになるのは「詩篇第152-155篇」と「バルク 2」、それから「マカバイ4以降」となります。

また、その英文にもあるように、「外典」本来の意味は侮蔑的なものではありません。なので、ここでもまた極端な話をすると、「正典」の下に「外典」を含めることさえ可能でしょう。なぜなら、ある特定の人たちにとっては「外典」と呼ばれる文書群も正典視されるものらしいですので。しかしそうすると、「第二正典」は、直接の上下関係下にある「旧約聖書正典」と「旧約聖書外典」、2つのカテゴリを貼り付けることが出来ないので、

旧約聖書
 └旧約聖書正典
   └旧約聖書外典
     └第二正典

という構造にならざるを得ません。便宜上、これをB案と呼び、上の案をA案と呼びます。衆議に諮るまでもなく、B案には反対意見が相次ぐであろう事は想像に難くないので、やはり採用するならばA案のような形となるでしょう。あとはカテゴリの解説文を活用して「トータルとしてより中立的な構造に近づける」努力を払えばそれで十分なのでは?。というのが私の見解です。Rigel 2007年7月12日 (木) 08:47 (UTC)[返信]

何か分かったようなことを述べないでください。「外典」はギリシア語で「アポクリュファ」と言います。これは「アポクリュフォン」の複数形で、「隠されたもの」「秘密の書物」「奥義書」などの意味が元々の意味です。しかし、だからといって、「外典」に否定的意味がないというのはどこから来るのでしょうか(グノーシス文書に『ヨハネのアポクリュフォン』というのがあります。この場合の「アポクリュフォン」には否定的意味はありません。しかし「アポクリファ」というときは、「異端的文書」「異端文書」「正統と認められない文書」の意味になります)。ウルガータに載っていて、プロテスタントは採用しなかった文書は、キリスト教内部では「正典」です。従って、第二正典とも呼ぶのです。「外典」は上のウルガータの第二正典と、それ以外の少数のものを除いて、ローマ帝国皇帝の名で、廃棄と湮滅の命令が出されています。グノーシス文献に相当する外典の実物が伝存していなかったのは、意図的に湮滅させたことが大きな理由です。とりあえずも何も、アポクリュファと呼ぶとか、アポクリュファの意味も知らなかった人がカテゴリを造るのはやめてください。話が余計に混乱します。--Maris stella 2007年7月14日 (土) 12:00 (UTC)[返信]
中立性の確保に最も効果があるのは「両論併記」のはずです。つまり、カテゴリの説明文が適切なものであれば、「中立的な観点」の要件は十分に満たされるものと思っています。そして、上記のような考えはノート:外典における LR さんの発言に通じるものがあるはずなのですが…。Rigel 2007年7月14日 (土) 23:54 (UTC)[返信]

削除依頼から取り除かれた議論

[編集]
  • (コメント)どうやら正式に削除依頼に出された(6/4)ようですので、改めてコメント致します。改名には反対しません(し、一度も反対した覚えなどありません)が、Clarin さんの「必要なら」という発言の趣旨がよく分かりません。不要であるのならば「分ける必要などそもそもない」と言っているのと同義であり、さらには、カテゴリ「旧約聖書」直下に放り込む、つまりカテゴライズのしようが無いために未分類のままになっている項目とごちゃごちゃなままでも良い、と言っているようなものなのですが、そういう意味で合っているのでしょうか?。そういう意味であるならば、はっきりと「不要」と言えば良いものと思います。曖昧な発言は、予備知識の無い人を混乱させる以外の役に立ちませんので。
しかし、「分ける必要はあるとは思うが、今の名称ではちょっと…」ということなのであれば、(削除の議論ではなく)改名するための議論こそが急がれるのでしょう?。なぜなら、
  1. カテゴリ削除→各記事からカテゴリ(赤リンク)撤去→カテゴリ作成→各記事にカテゴリ設置
  2. 新カテゴリ作成→各記事のカテゴリ変更→旧カテゴリ削除
というどちらかの作業が必要となる以上、どちらの方法がよりスマートかについては、小中学生程度の判断力でも判断を誤ることは無いでしょうから。
それから Aphaia さんへ。上記のご発言ですが、これを誰にでも分かりやすく説明するために、現在の国会に見立ててそれぞれの単語を置き換えるとこうなります。
「~と主張しているのは民主党および民主党系の政治団体に限られます。そして国会議員中の割合でいえば、これは最大勢力というわけでもありません。NPOVのなかには多数派の意見をそれとして尊重するという立場もあると理解しています。
「最大勢力」とはもちろん信者数10億超のカトリックのことであり、「多数派」と言った場合にはさらに東方正教会系が含まれるのでしょう(国会であればそれは自民党であり公明党になります)。私の記憶が確かならば、以前にあなたは「圧倒的少数派」の意見を尊重することはNPOVに反する、という趣旨のことを言っておられたはずです(その時は「なるほど~」と納得したものです)。しかし今回の発言は、かなり的外れな気がします。「多数派の意見を…尊重する」ことが、本当にNPOVの正しい適用なのでしょうか?。それは、「記事には与党(多数派:自民党・公明党)の意見だけを反映させなさい、それこそがNPOVなのです」と主張しているようなもので、正気の沙汰とも思えません。この主張については撤回されたほうが良いでしょう。
私は「外典」という呼称を Aphaia さんが毛嫌いしているであろうことを、キリスト教ポータルの立ち上げ初期頃には知っており(利用者‐会話:っ/過去ログ20050522 9:40UTC#キリスト教スタブ参照)、だからこそ上記「改定案」の中には「外典」の名を冠するカテゴリを含めなかったのですが、上記では「中立的にカテゴライズを行うことは不可能」と言われ、「そんなことはないはずなんだけれどなぁ~」と思いつつ、カテゴライズは可能であることを示したのがCategory‐ノート:旧約聖書正典なのです(単なる「外典」は存在せず「新約聖書外典」(多数派でさえ正典でないことに異を唱えない)があるのみのはずです)(2007年7月8日 (日) 16:39 (UTC)削除)。
「新約聖書外典」という名称が気に入らない、というのであれば分かるのです。または、「第二正典」という名称すら気に入らないのかもしれませんが、気に入らないのなら作らなければ良いのでしょう?(それはつまり、現在のまま何も変えないことを意味するのですけれども)。それとも「正典」という名称が気に入らないのでしょうか?。であるならば「削除もやむなし」と思いますが、「正典・外典」などと一まとめにせず、「正典」と言い切って下さい。カテゴリ「外典」を作成したのは私ではありませんし、あちらの方が古くから存在するのです。
以下は質問です。本来、削除依頼の場とは質問をする場ではないことは重々承知しているのですが、予備知識の無い人たちが正しい結論を出せるはずも無い事柄について、その中立性の如何を問題にして削除依頼し、さらには判断を丸投げしてしまう。これではあまりにも無責任すぎると感じますので、判断材料を提供するため、お二方に質問します。
まず、Aphaiaさんに質問します。
  • 多数派においては、「正典」という呼び方は存在しないのでしょうか?。
  • また、多数派においてさえも正典とはみなされない、「偽典」や「新約外典」と呼ばれる書物群に対する呼称も存在しないのでしょうか?
    • その呼称が存在するならば、なぜ「正典」という括りそのものが否定されるのでしょう?
    • その呼称が存在しないならば、どこからどこまでが正典なのかを、如何にして知るのでしょう?。
  • それともプロテスタントが「偽典」、「新約外典」と呼ぶ書物群も皆一様に正典なのでしょうか?。
次にClarin さんに質問します。
  • 中立的にカテゴライズを行うことは不可能ではないか」とあなたは主張しました。具体的にはどの書がどのようにカテゴライズに困るのか、一例だけで結構ですので、それを説明して下さい。私はあなたが何をどう考えて削除依頼するまでに至ったのか、その理由がいまいちピンとこないのです。

以上、長文失礼致しました。--Rigel 2007年6月7日 (木) 08:49 (UTC)[返信]

(コメント)削除理由については、私は2度明確に説明していますし、Aphaiaさんからも説明されています。私はRigelさんが理解するべきことへの説明は既に十分されたと考えています。また、削除理由の理解の助けになればと思い議論ページ(Template‐ノート:旧約聖書)を示しましたが、Rigelさんはそこで「この合意はこのページ限りのものではないか」という意味の発言を、また要約欄で「プロジェクト全体に関わる合意?たった3人の参加者による議論で?」と仰っています。わたしはむしろそれらを、Rigelさんの削除理由への理解の拒否、もしくは無視と受け取ります。最後に質問にお答えします。「必要なら」 - 何故終わっていない議論を、私がここで結論づけなければならないのでしょうか。「中立的にカテゴライズ~」 - 正典の定義が不明なのに、むしろ何故困らずにカテゴライズできるといえるのか不明です。以上です。--Clarin 2007年6月7日 (木) 10:15 (UTC)[返信]
(コメント)あなたは「2度明確に説明しています」と主張していますが、あなたの意見が真実「明確」であるのは予備知識を持っている人に対してだけであり、「それでは皆が判断に困るでしょう?」ということで、「具体的にはどの書がどのようにカテゴライズに困るのか、一例だけで結構ですので、それを説明して下さい。」という質問をしたのです。予備知識を持っている私でさえ分からないのです。予備知識が無い人はなおさら分からないはずなのですが、それでも「明確に説明し」たと主張するのでしょうか?。それとも、削除依頼を迅速に処理することよりも、長期間{{subst:Sakujo}}が張られたまま放置し、外部に醜態を晒し続ける事の方が好ましいので、詳細についてはあえて回答しないのでしょうか?。もしくは、詳細については説明できないけれども、勢いだけで乗り切ろうとしているのでしょうか?。ええ、そのどれでもないことはもちろん知っています。あなたは「自分の考えが正しいことを信じて疑わない」、ただそれだけのことなのでしょう。
さて、Template‐ノート:旧約聖書の対話記録が合意であったとしましょう。その合意が形成されたのはいったい何時のことでしょう?。Category:旧約聖書正典に{{subst:Sakujo}}が貼り付けられ、この削除依頼が作成されたのは今年の3月13日のことなのですが、その時すでに「正典と外典を分離しない」という合意が形成されていた、ということでしょうか?。であるならば、確かに私はそれとは知らずに合意を無視していたのでしょう。
そして、その合意は「プロジェクト全体」に対して強制力のあるものなのでしょうか?。私は削除依頼をした Clarin さんがどういう人物であるかを知るために、まず会話ページを訪れ、その最上段にある「旧約聖書テンプレについて」の内容を通し、Clarin さんがこのページにて指摘するよりも前にTemplate‐ノート:旧約聖書の内容を閲覧しています。私が Clarin さんの会話ページに「一旦プロジェクト側で議論してもらった方が良いでしょうか?」とのメッセージを残したのは、その内容を加味してのことだったのですが、帰ってきた返事はこのページにあるとおり、「そういった議論はむしろ、Category‐ノート:旧約聖書正典の方で行うのが適当かもしれません。」というものです。プロジェクトではなく個別のページを示されたこと、Template‐ノート:旧約聖書の最後の発言者は「ひとまず取り下げます」と発言していること、この状況でどうしてこれを「プロジェクト全体」に対する強制力のある合意であると捉えなければならないのでしょう?。
また、一度取り決められた合意は、たとえどのような正当な理由があろうとも覆すことができないのでしょうか?。であるならば、「理解の拒否、もしくは無視」と言われても反論のしようがありません。
Aphaiaさん説明」したとあなたが主張する「削除理由」とはいったい何なのか?、私が「宙ぶらりん」であると指摘した5月26日から正式に削除依頼に提出された6月4日までの「空白の9日間」、あなたは何をどうしようと考えていたのか?、などなど突っ込みどころは山ほどありますが、これらの質問は削除依頼の迅速な処理を阻害するものでしかないので、あえて追及しません。しかし、削除依頼を迅速に処理するために、あなたは「どの書がどのようにカテゴライズに困るのか」を、この削除依頼を目にする人全てに対して説明する必要があるものと私は考えているのです。--Rigel 2007年6月8日 (金) 09:19 (UTC)[返信]

審議ページより移動 070715

[編集]

削除審議ページより移動した発言。--Maris stella alias Star of Sea 2007年7月15日 (日) 07:12 (UTC)[返信]


0715 00

トビト記』を例に挙げると、現在この記事には「旧約聖書」、「外典」の二つのカテゴリが張られていますが、極端な話をすると、これを「旧約聖書正典」と「外典」の二つへと変更しても構わない筈なのです(実際のところ、今よりも中立的なカテゴライズに近づくことを意味するはずです)。しかし、「外典」という名称には抵抗があるであろうことを鑑みるならば、カテゴリ名称は「外典」よりも「第二正典」の方が相応しいであろうし、カテゴリ名称が「第二正典」であるならば、カテゴリ「聖書」直下ではなく、カテゴリ「旧約聖書正典」直下の方が位置としては正しいはずです(これが上記改定案)。そして、カテゴリ構造がそのような位置関係になると、直接の上下関係下にある「旧約聖書正典・第二正典」二つのカテゴリを貼り付けるわけにもいかないので、結果的に「第二正典」だけが残ることになるでしょう。
もう一つ、『エノク書』についてですが、私は「エチオピア正教会」を無視しても構わない「圧倒的少数派」であると考えていますので、対応するカテゴリは「偽典」を想定していました。『シリア語聖書』については「言うに及ばず」です。
また、「プロテスタントの見解は無視すべきである」と主張するのであれば、プロテスタントが「圧倒的少数派」であることを、まず証明なされると良いでしょう。--Rigel 2007年6月8日 (金) 09:19 (UTC)[返信]


0715 01
  • (コメント)単純に足し算されても困るのですが…。もう少し説明を加えます。まず、「ヤムニア会議」は除外するので80。しかしこれは日本語版の現時点での数に過ぎません。これに、上記と重複しない英語版の記事群である39記事(大半が「偽典」)を加えると119。さらにen:Category:Pseudepigraphyの3記事を加えて122(ノート参照)。もちろんこれが全てであるとは限りませんし(en:Books of the Maccabees参照)、考古学上の新発見があれば、この数はさらに増えることでしょう。また、この削除依頼の巻き添えとなるであろうCategory:外典には「新約外典」も含まれているため、Category:新約聖書の方にもその余波が及びます。
    それに、Category:外典は一向に削除依頼される気配がないのですが、正典が駄目で外典が良い理由を是非ともお聞きしたいですし、誰でも構わないので「カテゴライズに困る例」というのを実際に挙げて、中立的なカテゴライズが不可能であることを証明してほしいのです。後者の納得できる説明を目にすることができるならば、私は自ら進んで存続意見を取り下げることでしょう。Rigel 2007年7月9日 (月) 09:44 (UTC)[返信]

0715 02
  • (コメント: 複数カテゴリに移動して重複カテゴリ化)以下コメント。
    • 「正」「偽」「外」などというのは歴史的な経緯からついている呼称で、膨大なテクスト批判の蓄積のある聖書学 (というのかな?) の分野では、価値判断の上で相対的な意味しかもたないでしょう。それを「うちの教派では正当なものを、偽りだとか考慮の外だとか書くのはけしからん」というほうが、よっぽど自教派POVだとおもいます (正直言って、「ええかげんにせぇよ」と思っている)
    • それに、ここで審議しているのは「正典」のカテゴリについてです。「偽典」や「外典」(や続篇) についてではありません
    • そういうわけで、正典のカテゴリに限って言いますと、「Category:ローマカトリックの旧約聖書正典」「Category:プロテスタントの旧約聖書正典」「Category:東方正教会の旧約聖書正典」等をつくって、並列に重複カテゴライズすりゃいいんじゃないですか。エチオピア正教会独自の正典とか、プロテスタント系でも扱いが異なるものがあるとか、詩篇の篇単位での異同だとかいった細かいところまではカテゴライズしてもかえって煩雑になりますから、そういうのはカテゴリページや各関連記事で注釈なり解説なりしとけばいいでしょう。 --Hatukanezumi 2007年7月13日 (金) 04:54 (UTC) 賛否とコメントを分離。 --Hatukanezumi 2007年7月13日 (金) 08:52 (UTC)[返信]
      • (コメント)カテゴリは移動できないため、分割や移行(名称変更)は削除扱いになります。--WhiteWing 2007年7月13日 (金) 07:35 (UTC)[返信]
      • (コメント)失礼ながら、かなり無理のある論理のように思います。一点だけ挙げても、カトリックとプロテスタントの正典は違っているわけです。では自教派POVというのはカトリックにとってでしょうかプロテスタントか?そんな問い自体が無理難題でしょう。それから・・・そういう議論はカテゴリのノートでするべきなんでしょうが、教派の正典ごとにカテゴリを作るという点にも反対です。カテゴリが多く出来過ぎますし、全ての教派に含む文書にはいくつカテゴリがつくのでしょうか?また、読者の便宜のためとしては、既にテンプレートで詳しく説明されており、カテゴリの有益性があまり見込めないこともこの際指摘しておきます。--Clarin 2007年7月13日 (金) 12:34 (UTC)[返信]
        • (コメント)上のコメントのようにカテゴリづけした場合、各記事とカテゴリページがどのように見えるか検討してみてください。教派によって正典が異なることは問題にならないでしょう (カテゴリの有用性は別にして)。
          いまの議論が一部おかしいのは、「うちの教派での正典をおたくの教派で外(偽)典と呼ぶのは間違いだから、おたくの教派でやっている正典と外(偽)典の区別はするな」という主張があることで、これを自教派POVであると述べました。
          そもそも、こんなことくらいはちゃんと話し合いで解決してほしいし、だめならコメント依頼をだすなりして合意の道をさぐるべきとおもいます。削除依頼にもちこまれていることは、どちらかというと迷惑に思います。 --Hatukanezumi 2007年7月13日 (金) 16:27 (UTC)[返信]
          • (コメント)なんかさらに泥沼化してしまったなぁ、昨日のうちにコメントしておけば良かったと反省。この削除依頼のノートに新たな提案をしたのですが、上のコメントからすると、誰もこれを見ていないように思われます。「第二正典」というカテゴリを作れば、教派ごとのカテゴリは不要です。結局のところ、この議論の参加者は全員(私も含めて)「第二正典」の本質を何も判っていなかった、ということなのだと思います。それからノートの記述の補足ですが、「外典」本来の意味は「隠されたもの」であり、聖書ではマルコ 4:22、コロサイ 2:3 などにその使用例があります。Rigel 2007年7月13日 (金) 22:27 (UTC)[返信]
            • (コメント)そういう話は当削除依頼となんの関係もありません。場所をわきまえてください。ところで、依頼者が依頼取り下げを表明するなら。すくなくともわたしは存続票を取り下げる用意があります。 --Hatukanezumi 2007年7月13日 (金) 23:20 (UTC)[返信]

0715 03
  • (コメント)「外典」と「異端」とを直接結びつけて考えるような人に、「「外典」…の意味が何かも知らなかった人」などと言われる筋合いはありません(当然ながら知っていました。英文を見るまでは忘れてましたが…)。なぜ私がノートへのリンクを示しているのか、よくよく考えてほしい。このノートで示された「新案」に不備があるのであれば、それを指摘すれば良いのであって、そもそもどこかのノートで合意を得た後に、不要となったカテゴリを削除依頼にかけるようにするならば、効率が良いばかりか余計な角が立たずに済むはずなのです。
    私の発言が各所に散らばっているので、それらをまとめると、(1)カテゴライズが不可能である例を誰かが示すこと、(2)Aphaia さん、Clarin さんのお二方が「正典と外典を区別しないという合意」がすでに存在しているという発言を取り消すこと、この2つのうちどちらかが示されるのであれば、私は存続意見を取り下げます。(2)の解説ですが、それが事実であるならば、Clarin さんの主張するような「改名」すら不可能なのであり、この分野における今後の分類作業の障害になるのです。
    また、テンプレートの有用性、それ自体は認めないわけではありませんが、テンプレートが記事に不可欠なものではなく、逆にカテゴリが不可欠なものであるとされる以上、カテゴリ構造をなおざりにすべきではない、というのが私の考えです。Rigel 2007年7月14日 (土) 23:31 (UTC)[返信]
    • (コメント)まず私の依頼内容を再確認します。理由は、旧約聖書正典という定義が曖昧であり、この名称ではカテゴリとして成立しないということです。大した聖書の知識がなくとも理解できる論理だと思います。そこでサブカテゴリの話が始まっていますが、曖昧な名称のカテゴリを残して、サブカテゴリや説明文で親カテゴリ名の曖昧さを補おうとすること自体が邪道だと思います(どうしてもそのようにするならば、親カテゴリを削除してサブカテゴリのみにするべきでしょう)。Rigelさんへの返答です。(1) カテゴライズが不可能である例は、教派によって見解の異なる書物全部です。(2) ウィキペディアの基本的なガイドラインを参照してください。1人でも2人でも合意は合意で、不満があるのならRigelさんがそのノートで反論するなりなされば良いだけの話です。--Clarin 2007年7月15日 (日) 03:00 (UTC)[返信]

議論の続き

[編集]

もっとはっきり言うと、「いきなり削除依頼に持ち込むのは手順前後も甚だしく、まずカテゴリ構造の詳細について詰め、合意を得るのが先であろう。」ということです。私は一時、「正典」という名称が中立性に反するのかと真剣に考えたわけですが、今では怪我の功名であったと考え直しているのです。だからこそ存続意見を取り下げなかったわけなのですが、まさか Clarin さんがこれほど削除にこだわるとは考えなかったので、その点についてはどこにも説明していません。簡単に解説すると、Clarin さんの主張するような、「親カテゴリを削除してサブカテゴリのみにする」ということを実践すると、逆に中立性に問題が発生するのです(この発言に反論する前に、これがどういう意味なのか、まずご自身でよくお考え下さい。ヒントは#新案にあります)。

旧約聖書正典という定義が曖昧」?。そんなことはないでしょう。嘘だと思うのなら、まず「"旧約聖書正典"」で検索してみると良いです。曖昧なのはカテゴライズの方法であって、その方法についてはこのノートで十分納得のいく説明をしているつもりです。「1人でも2人でも合意は合意」?。あなたは今、何を否定しているのか本当に理解しているのですか?(利用者‐会話:Clarin#お詫び参照)。つまり、「削除依頼に持ち込むまでもなく、すでに合意が存在しており、それに反しているのだから削除されて当然だ!」と、こう主張しているのでしょうか?。とりあえず、このままでは埒があきませんので、Wikipedia‐ノート:削除依頼へ一般論として問題提起しておきます。Rigel 2007年7月15日 (日) 07:56 (UTC)[返信]

移動の提案

[編集]

当ノートページをCategory‐ノート:旧約聖書正典/カテゴリについての議論移動したいとおもいます。 --Hatukanezumi 2007年7月15日 (日) 10:10 (UTC)[返信]

(賛成)存続を主張するのであれば、Rigel氏はそんなことはないでしょうの中身を簡潔に説明し、淡々と存続理由を述べること、とるべき行為はそれ以上でも以下でもないはずです。しかし、いくら議論が膨大に(大半がRigel氏の発言による)なったところで、依頼理由をくつがえすほどの反論がはっきりと示されません。
要するに、Rigel氏による議論は、この審議の是非にどう関わっているのかが、わかりません。だいたい審議ページで膨大な議論を始めることからして一般のユーザーをこの審議から遠ざけつつあるのに、内容がどうでも良いことまであまりに拡散しすぎており、しかも議論がかみ合っていない、これは審議妨害の域に達していると思います。
散々審議ページを膨大にしたうえで「いきなり削除依頼に持ち込むのは手順前後も甚だしく、まずカテゴリ構造の詳細について~」と言うのであれば、最初からそれが狙いだった、と言われても仕方のないことのように思います。--Clarin 2007年7月15日 (日) 10:37 (UTC)[返信]
ページ移動の提案は「本来の議論の場で議論をして合意を得てほしい」という意味あいなのですが、それでよろしいですね? --Hatukanezumi 2007年7月15日 (日) 12:15 (UTC)[返信]
もちろんです。--Clarin 2007年7月15日 (日) 12:22 (UTC)[返信]
いや、ちょっと待ってください。現在のノートはほとんど削除依頼の発言と結び付けられたもので、これをそのままカテゴリのノートに移動したのでは、かえって筋道がわかりずらくなります。削除依頼審議とは直接結びついていない一部の発言の転記のみに留めておいた方がよいと思います。--Clarin 2007年7月15日 (日) 12:39 (UTC)[返信]
削除依頼ではもともと議論することはあまり推奨されていないです。それで発言がノートに移動されたわけです (まあわたしもひとのことは言えないのだが)。で、当ノートに移っても、「論拠を示しているのになぜ理解しないか」という言葉をたがいに応酬するという展開になっており、削除依頼のノートという役割からさえ逸脱していると考えます。
Clarinさんにはお手数ですが、Clarinさんが表の依頼ページでのべるべきことがあるとお考えなら、そちらに再度、簡潔にコメントしていただくということでいかがですか。 --Hatukanezumi 2007年7月15日 (日) 12:53 (UTC)[返信]
私のここでの発言は、表の依頼文の内容をなぞっているだけですので、議論でもないですし、新たに発言したいことがあるわけでもありません。こういうものが削除依頼のノートの役割かどうか知りませんが、カテゴリのノートの役割でもないでしょう。--Clarin 2007年7月15日 (日) 13:10 (UTC)[返信]
依頼趣旨を繰り返しているだけだというのなら (わたしにはそれだけでないように見えるのですが)、要するに水掛け論になっているということで、やっぱり審議の進行に資するものではないでしょう。そういうわけで、削除依頼とは別の次元で対立点が解消されないかぎり、審議は膠着したままではないかとおもいます。 --Hatukanezumi 2007年7月15日 (日) 13:24 (UTC)[返信]
(賛成)私も賛意を表しておきます(thanks)。Rigel 2007年7月15日 (日) 12:28 (UTC)[返信]