Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/ノーザン123 2回目
被依頼者からの問い → 依頼者からの回答
[編集]被依頼者が記した番号に即してお答えします。
- 私への不要な差し戻し、それに関する対話拒否。これらをブロック依頼の理由として冒頭に示しています。私にとっては十分すぎる理由です。他の編集を果敢にやりながら質問に答えない被依頼者の姿勢が問題だと思います。さらに他の利用者様へ起こした数々の問題行動を、私がブロック依頼の理由として列挙することに問題はないと考えています。コメント依頼を経なかったのは、こちら[1]を参考にしました。ご覧のように意見が分かれるところです。しかし、繰り返しますが、かつて被依頼者の1年間ブロックが決まった際の誓約を反故にしている以上、ブロック依頼が相応しいと判断した次第です。
- 被依頼者の多重アカウント疑惑を検証してもらえると思い、管理者伝言板には投稿しました。しかし、古いログが残っていないためか現在まで回答がありません。そのため、会話ページにて直接質問しました。よって、疑惑を理由にブロック依頼を提出することはできないと判断し、事実のみを列挙して今回の依頼提出に至ります。多重アカウント疑惑は、本項では取り扱っていないので、議論の混乱を回避するために前述の回答は被依頼者の会話ページに移されるようお願いします。
- 今度は私へのソックパペット疑惑ですか。全くの別人です。どうぞお調べください。
以上お答えしました。さらに、番号が重複しますが、被依頼者の書き方に沿って残りの質問にお答えします。
- 「IPによる出典付きの一方的削除」云々が全く理解できません。なぜ約束を求められるのでしょうか? 前後の文脈からも推測不能です。こうした論点外しが、コミュニティを疲弊させると指摘しているのです。
- 投票の呼びかけを行う範囲については、①創価学会のノートで参加をされていない方で、②被依頼者と議論を重ねた方を選ばせていただきました。被依頼者が挙げられた利用者は、やがて議論に加わるだろうとの推測で呼びかけていないだけで他意はありません。「議論の展開に応じて」とは、一向に意見が集まらなかったり、先述の利用者が気付かなければ呼びかけるとの意です。言葉足らずだったようです。先ほど、こうしたご意見[2]も頂いたので呼びかけは慎重にしたいと思います。また、繰り返しますが、多重アカウントについては本項の議論に加えると煩雑なので関心がないと言ったまでです。
以上、時間がかかりましたがお答えしました。 被依頼者のコメントを他の利用者様がご覧になって、よくお分りになったと思います。被依頼者から多くのコメントを頂きましたが、残念ながら、私から指摘した問題行動については、ほぼ回答がありません。個人攻撃にいたっては、謝罪の一言はあるものの、意図的だったことが判明しました。こうした方とは議論・対話が困難であると改めて感じた次第です。皆様のご意見をお待ちしております。--ぐぐぐ(会話) 2016年5月7日 (土) 09:41 (UTC)
ぐぐぐさん。ちょっと待って頂きたい。あなたの回答におかしいところがあるから尋ねます。あなたは2の回答で被依頼者の多重アカウント疑惑を検証してもらえると思い、管理者伝言板には投稿しました。しかし、古いログが残っていないためか現在まで回答がありません。そのため、会話ページにて直接質問しました。よって、疑惑を理由にブロック依頼を提出することはできないと判断し、事実のみを列挙して今回の依頼提出に至ります。と回答しています。しかし投稿ブロックの方針では投稿ブロックおよびその依頼は制裁・懲罰や個人攻撃・報復のための手段としてあるものではないと明確にルール付けされています。今回、ぐぐぐさんは当初Aという理由で小生のブロックを依頼していますが、受入れられないと判断しBという別の事例でブロックを依頼しています。これは言葉こそ濁していますが依頼者であるぐぐぐ様が管理者へブロック依頼をかけた当初から小生をwikipediaから排除するため何らかの意図を以て行われた行為であると判断しました。依頼者であるぐぐぐ様が言葉には出していませんが、行動として制裁・懲罰や個人攻撃・報復のための手段としてブロック依頼を使用したことを認めています。これは明らかなルールを逸脱した行為です。今回多重アカウント疑惑をA、暴言をBとした場合、一番最初の管理者へは(A.B)両方を依頼するべきでした。しかし、途中で論点をすり替えたことで当初から排除を目的としたブロック依頼と判明したわけです。
またそのようなルール逸脱行為が行った依頼者の3の回答「今度は私へのソックパペット疑惑ですか。全くの別人です。どうぞお調べください。」これすら嘘ではないかと疑います。
また会話の中でぐぐぐ様は一度も小生に対し、「それは対話拒否と見なしてよろしいのでしょうか?」などと聞いていません。wikipediaでは必ず「全スレ」に返答をしなければならないというルールはありません。返答しない自由もあります。対話拒否というのは「それは対話拒否と見なしてよろしいのでしょうか?」などと確認を入れた上で無視された場合などに用いるものです。今回の場合、小生に一度の確認もなく対話拒否と言っているのですからぐぐぐ様の一方的な主観論です。この意見は公平を期するため本ページに記載致します。--ノーザン123(会話) 2016年5月7日 (土) 12:47 (UTC)
- お答えします。管理者伝言板へ挙げた[3]理由は以下の3点です。
上記の理由からブロック逃れとしか思えませんでした。そうであればブロックに該当します。よって、指定の伝言板に投稿したのです。この伝言板は、ブロック逃れ告発専用の伝言板なので他の案件は書き込めないのです。本項で列挙したような、方針に抵触する暴言も含めた数々の言動を敢えて書いていないのです。それでも伝言板で通らなかったので、その他の理由を列挙して今回のブロック依頼に至ったのです。ルールに則り、2つの方法を使い分けただけです。私からの依頼を「制裁・懲罰や個人攻撃・報復」と受け止め、「ルールを逸脱」と反論するなら、ご自身の行為がブロックに抵触しないことをお示しください。
- ここからは、被依頼者からページ上で頂いた個々の弁解に対して、さらに私から意見を述べます。
【1】まず、IPと私が行ったとされる「同様の編集」をそれぞれURLでお示しください。IPはノートでの議論を経ずに大量の記事を4度にわたって一括削除[7][8][9][10]。私は、出典がデタラメな一部の記事をノートで指摘した後[11]、該当箇所を削除しています[12]。その際に要約が無いだけで、IPの行為と間違われるほど似ているはずがありません。それなのに安易に荒らしと決めつけて差し戻し[13]、後に被依頼者様は私と同じ箇所を編集しています[14]。これらの行為を問題視しているのに、荒らしと決めつけて編集したことを脇に置いて、私へ「ブロック依頼するような行為を行っていない」から問題ないかのような弁解で問題点を逸らさないで下さい。
【2】「返答しない自由」との概念は初耳です。これでは議論は噛み合うわけがありません。「対話拒否」の線引きは他の利用者様に委ねます。しかし、今になってご自分で「軽率」と認めているのですから、私の反論に「答えたくない、答える必要のない」との態度を選んだことは、結果的に私から「対話拒否」とみなされるのは当然ではないでしょうか。
【3】ですから、他人のコメントを本人の許可なく「意味不明な分からない内容をわかりやすく要約」してもいけないのです。こちらに明確に記載されいます。方針に反しているから指摘しているだけです。みっく0226様との関係性を疑うのは勝手ですが、話を逸らさないで下さい。
【4】「依頼の際の文言は不適正」とお認めになりながら、行為をどうして正当化できるのか理解に苦しみます。東海幻夢様をはじめとする利用者間の議論に丁寧に加わればよいではありませんか。また、注意を促せばよいではありませんか。それらを経ずして「厄介」と言えば、合意形成に向かおうとする議論に対して乱暴な印象を受けます。
【5】「ルール内のどれを最上位に考え」ないように、「検証可能性」には「中立的な観点」と「独自研究は載せない」を加えた三大方針が定められているのです。被依頼者の方針無理解は如実に表れています。方針では、「これら三つの方針は相互に補完しあうものであり、それらをばらばらに切り離して解釈すべきではありません。編集者はこれら三つの方針を併せて理解するよう努めてください。この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」と明記されています。さらに言えば、《たとえ真実であっても検証可能性が担保されなければ、Wikipediaには載せてはいけない》ことを謳ったのが検証可能性の核であると思います。被依頼者様は、《たとえ真実でなかったとしても検証可能性が担保されれば掲載できる》かのように真逆の解釈をされていると受け取れます。
【6】ここでも方針の無理解が露呈しています。出典は掲載を希望する側に提示責任があります[15]。他者が出典の不備を指摘しても、その出典が正しいと思い、掲載が妥当と考える方が出典の正当性を示さなければなりません。被依頼者様は、その努力を怠っておきながら、他者に悪意を見出すだけという極めて非生産的な姿勢で編集に臨んでいることが明白となりました。
【7・8】出典の確認を怠り、転載した記事が結果的に虚偽であったのに、それを指摘した利用者に対して、被依頼者の転載行為を「善意に取る事をお願い」と言うから問題視しているのです。ご自身で非を認めているようで、私の指摘を悪意に受け取って「心外」と反論していては反省の色が伺えません。
【9・10】過去3回もブロックに至り、「暴言の完全な封印と原則として信頼できる情報源に裏打ちされた加筆・編集以外は一切行わないと約束します」とまで宣言。この約束については、他の利用者様の投票にも影響するポイントだと感じています。昨今の言動と照らして、いかがお考えになりますか?
【11以降】みっく0226様へのご指摘は、それに相応しい場所でコメントしてください。--ぐぐぐ(会話) 2016年5月13日 (金) 08:50 (UTC)
コメント
[編集]- コメント 宗教団体については、虚偽を記すのは根本的な問題行為であり、それがなければ、多数の修正勢力も出てきません。先日、世界平和統一家庭連合で類似例があり、結局、虚偽を執筆し、それを死守しようとした執筆者が無期限ブロックとなっています。家庭連合の場合は、赤旗編集による脱会者の暴露本に独自研究を加えて記していた記述等を修正するのに、第三者の執筆者に多大な負荷がかかってしまいました。創価学会についても、問題のある記述を修正する必要がありそうですが、執筆者がブロックされてしまった場合、第三者の負担があまりにも大きくなりすぎるという点と、学会関係者だけで修正すると、中立的な観点に欠ける恐れがあるという問題が考えられます。ですから、ノーザン123さんが記述された内容に関しては、自主的な調査と、不適切であった場合はその自己申告を行うなど、ご協力いただきたいと思います。第三者が執筆する場合、筆が滑って書きすぎてしまうことは、どの分野においてもあることなので、それについては素直に認めて修正に応じられるべきです。出典については、週刊誌・タブロイド等による不利な記述は使用しないとか、脱会者の暴露本・学会機関誌等は注意深く扱うことなどを、厳密に行うべきでしょう。--ぽてから(会話) 2016年5月14日 (土) 04:59 (UTC)
- 私見ですが、Wikipediaでは、宗教に対するおかしな批判より、おかしな擁護や宣伝の方が多い(多かった)ように思います(特に幸福の科学関連記事はひどかった)。統一教会でのブロック理由は、虚偽ではなく編集強行や個人攻撃などです。宗教だろうが普通の企業だろうが、Wikipediaの方針・ガイドラインに従っていれば、編集者の意図(批判・宣伝や擁護)は考慮する必要はないと思います。ただし、偏った編集をしている場合、Wikipediaの方針・ガイドラインをはみ出せば、目的外利用者と判断される可能性が高いです(偏り方とはみ出し方の両方が大きければ大きいほど)。また偏った編集をしていると、うっかり間違えた場合も、善意にとってもらう事ができなくなる場合もあります。関係者による修正は、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないより、明確な間違いの修正以外はすべきではないでしょう。また場合によっては、週刊誌や暴露本による批判や機関紙による反論を出典とする事もあるでしょう(無条件に使うべきではありませんが)。総じていえば、宗教記事だからといって方針・ガイドラインを変える必要はない(IP利用者や新規アカウントで問題編集が続けば、半保護になるのは、他の記事同様)、一方誤解されないような編集態度が望まれるでしょう。--JapaneseA(会話) 2016年5月14日 (土) 07:30 (UTC)
出典のないまま虚偽の投稿について
[編集]「出典のないまま虚偽や独自研究を書くようなことを、特定の宗教団体記事に行うことは、厳に慎むべきこと」とぽてから氏の投稿がありましたので、補足します。私が指摘した「朝木明代市議転落死事件の捜査を担当した署長、副署長が創価学会員であった」という内容の投稿ですが、この投稿を行った複数人の行動について総論で言えば、ただ単に出典がないまま虚偽の投稿をしたのではなく、「出典がある」として出典名をあげて、虚偽の投稿を行っています。そして、その出典を検証すると、実際にはそのような記述は一切存在しないということが判明します。すると、今度はまた別の出典をあげて、「出典がある」と主張がされます。また、その出典を検証すると記載が一切ないことが判明します。そして、またさらに別の出典名があげられ、その出典を調べると、実際にはそのような記載が一切ないということが判明しています。このように、虚偽の出典の提示が何度も繰り返され、そして何度も虚偽であることが明らかになるという経緯を繰り返した非常に悪質な意図的な虚偽の出典による虚偽の投稿が行われていたことが判明しているのです。ただ単に、出典がないまま虚偽の投稿が行われたということではなく、さらに悪質なものであったことを付記しておきます。--みっく0226(会話) 2016年5月8日 (日) 22:33 (UTC) コメントをページから移動しました。--みっく0226(会話) 2016年5月18日 (水) 09:33 (UTC)
被依頼者投稿への「帰属化」の必要性について
[編集]被依頼者の投稿には、信頼性、中立性に疑問のある資料を持ち出して、そこに書かれているということを客観的事実であるかのようにしたものも多く、ノート:創価学会などで議論されています。被依頼者の投稿の処理として「~によると」とする「帰属化」も行われています。
一方で被依頼者について、柳本卓治における編集合戦において、被依頼者の投稿[16]をもって編集保護とされたことがあります。被依頼者が差し戻した記述は確かに支離滅裂であったが、その出典とされている報道に記載されている事実は、大阪都構想の住民投票関連であって大阪市周辺では話題となったことなので、私がノート:柳本卓治にて、関係政党のサイトなどの情報で補強し、文章的にも全面修正した上での加筆を提案しました。ただ、被依頼者が「某氏が多重アカウントまで使用してこの記事を掲載したかった理由は何か分かりませんが、現段階では記事の削除は当然と考えますしわざわざ保護依頼解除を行ってまで掲載をする内容ではないと思います。」と、他者の「多重アカウント」をたてにとった異議を主張し、編集保護解除まで待たざるを得なかったことを思い出します。この加筆の時[17]、大阪都構想関連では、賛否いずれの側も色々な政党などがからむので、関係政党のサイトなどの情報については、どこの情報か、ということを特に意識した覚えがあります(「帰属化」という言葉は浮かばなかったですが)。結論としては、被依頼者は記事の充実などほとんど考えていないということを認識しました。--大道フェニックス(会話) 2016年7月22日 (金) 23:44 (UTC)