Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/GcG 20090307
「智に働けば~」の心境でおります。これまで GcG さんの投稿ブロックの審議には参加していたクチですが、今回は参加を見送らせてください。--Su-no-G 2009年3月7日 (土) 17:12 (UTC)
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[編集]Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20090307 2009-03-08T15:08:13 (UTC)版より一部を移動。--ikedat76 2009年3月8日 (日) 15:35 (UTC)
- (本音コメント)GcG、もういいよ。お前、疲れただろう。俺も疲れたよ。そりゃ玉も石も混じったコミュニティだから、ロクでもない輩だっているよ。でも、その一方で、お前の能力を信じて、お前の記事を期待して、チャンスを与えた、いい奴らだっているだろう。なのに、お前は与えてもらったチャンスを全部無にしやがって...この恩知らずが。お前みたいなひねくれた恩知らずには、やっぱりブロックはおあつらえ向きだよ。いつになるか判らないが、今度戻ってくるときは、もっと素直になって戻ってこいよ。それまで達者に暮らせよ。じゃあな。Yassie 2009年3月8日 (日) 14:49 (UTC)
- (本音コメント)利用者:GcG さん、俺が見る限りお前が文章力があるのは正直認める。でも利用者:Yassie さんが言うようにやりすぎだ。。。だまって、その文章力を生かして、まともな記事を10個書け!そうすりゃお前を認めてくれる人もいっぱいできるよ!この欄にはしばらくコメントするな。記事を書け!--Yoshitaka Mieda 2009年3月8日 (日) 15:08 (UTC)
GcG さんを応援します
[編集]反対票を入れようと、その時期を伺っていたのですが、夕べの各所への書き込みで、最悪の情勢へと変移していってますね。反対票を入れるどころではなくなくなってしまっています。しかし、まだ一縷の望みはあります。それは、GcGさんは良質の記事を書ける方だとコミュニティでは評価されていることです。あなたの利用者ページの最上段に投稿ブロックのタグが貼られることを予想して、何か書いていますが、そんなに早くあきらめないで、私が反対票を投じられるような記事を作成しJAWPへ投下してください。コミュニティの中にも、GcGさんが、記事を書くのを待ち望んでいる方が多いと思います。また、あなたを応援している方もいらっしゃることと思います。それは、良記事を書ける人を5年間もの長期間ブロックするのは、ウィキペディアの基本理念に背反することだろうし、ウィキペディアにとっては大きな損失だと考えるからです。あなたを応援している人たちの気持ちに報いるためにも、今一度踏みとどまって、記事の作成に精力を割き、努力されんことを望みます。書く場所違いなら移動して頂いて結構です。 --Godaigo 2009年3月9日 (月) 00:58 (UTC)
- (コメント)こういうことは言いたくないんですが、いい記事が書ければ他の行為は見逃されるみたいなことは言わないでくれませんか。ここは「皆で協同(働)して百科事典を作りましょう」というところで、皆と協同できない人はいりません。ここで本当に必要なのは良質な記事を書くことだけではないんですよ。厳しい言い方になりますが、その程度の認識で投票しようと考えてるのはやめてもらえませんか。--Kodai99 2009年3月9日 (月) 10:08 (UTC)
- 私もKodai99様と同じ意見です。こういった擁護とも取れる記述は良質記事執筆を問題行為の免罪符にする事に繋がりかねません。--目蒲東急之介 2009年3月9日 (月) 11:01 (UTC)
- 応援したり、励ますことが何故、何がわるいのでしょうか? 一人一人が記事を書いて百科事典をつくりあげることも協同の一つであり、大事なことです。GcGさんは、良記事を書けるとコミュニティから評価されています。そういう人に記事を書くように勧め、応援することが大事ではないのでしょうか。まず、私たちコミュニティは、GcGさんを励まし、応援することが、彼にいい影響を与えることになれば、彼もいい記事を書くように努力するでしょう。そうなることはウィキペディにとっても望ましいことであると思います。--Godaigo 2009年3月9日 (月) 10:56 (UTC)
- (コメント)だから、いい記事をかけば何でも許されるわけではないと言っています。応援するのも結構ですし、擁護するのも結構です。ですが、記事を書くことだけがWikipediaでは無いのです。「他人と協調すること」もここにいる限り(というか、社会一般で)必要なのです。それが出来ないからこういった依頼が出されているのですが、そのあたりきちんと見ていますか?--Kodai99 2009年3月9日 (月) 11:26 (UTC)
- 「いい記事をかけば何でも許されるわけではない」といっているのはKodai99 さんが言っているのであって、私はそのような考えはもっておりません。そのことについても触れておりません。人が言ってもないことを、あなたが拡大解釈して、わるい方向を想像して発言するのは止めて頂きたいと思います。wikipedia:善意にとるとかいうガイドラインがあったと思いますが。それよりも、応援したり、励ましたりすることが何故わるいのでしょうか? を見て頂けましたでしょうか。--Godaigo 2009年3月9日 (月) 11:47 (UTC)
- 貴方は「いい記事を書けばコミュニティの見方も変わるはず」と言う主旨のコメントを最初にしました。それに対してワタシは「いい記事を書けば他の行為が見逃されるわけではない。協同できないとダメだ」と言いました。それに対して「記事を書くのは協同の一つで大事だ」と仰ったので、ワタシは「記事を書くことだけがWikipediaではない」といいました。それに対する上のコメントは意味不明です。何が言いたいのですか?コメントするなら噛み合うコメントをしてくれませんか。ワタシは貴方に「いい記事を書けば何でも許されるわけではない」といいましたが、貴方が言ったとは何処にも書いていません。また、善意にとることが限界なのでこのような依頼が出されていると認識していないのですか?そのガイドラインもいつまでも忍耐強く善意に取り続けろとは書いてないと思いますけど?--Kodai99 2009年3月9日 (月) 12:14 (UTC)
- だから「……許されずわけではない」といっているのはKodai99 さんであって、私はそのようなことは考えていません、といっています。また、私の意図を推し量ったような「……見方も変わる」などと、私が思ってもない要約は止めて頂きたいものです。また、そのように受け取られる言い方はどこにもありません。重ねて申し上げますが、拡大解釈、単なる想像は止めてください。さて、応援したり、励ましたりすることのどこがいけないのでしょうか? --Godaigo 2009年3月9日 (月) 12:37 (UTC)
- TPOくらい判断付けてくれませんか。記事の書き方でブロックされる依頼ならともかく暴言という協調性という部分でブロック依頼を受けている人に意味あります?その応援。ですから「いい記事を書けば他の行為が見逃されるわけではない」といっています。いい記事を書いても、それまでしてきたことは帳消しにはならないと何回も行っているんですがね。--Kodai99 2009年3月9日 (月) 12:47 (UTC)
- だから、何度も申し上げていまように、私は、応援し、励ましているのです。それが何故「……他の行為が見逃されるわけではない」と拡大解釈、単なる想像に結びつくのでしょうか。投稿ブロックの被依頼者を応援したり、励ましたりすることが何故いけないことなのでしょうか? 何故、そういう風に考えるのかこそ不思議です。--Godaigo 2009年3月9日 (月) 13:00 (UTC)
(コメント・インデント戻す)横から失礼します。お二方ともいったん手を止めてクールダウンすべきではありませんか?Godaigoさんが被依頼者さんを応援するのは勝手におやりになればよろしいと思います。Kodai99さんが「いい記事が書ければ他の行為は見逃されるみたいなことは言わないでくれませんか」と仰ったのは、Godaigoさんがこの節の最初の投稿で「良記事を書ける人を5年間もの長期間ブロックするのは、ウィキペディアの基本理念に背反することだろうし、ウィキペディアにとっては大きな損失だと考えるからです。」と述べていたことに起因すると考えられますがどうでしょうか。こういう書き方をしてしまえば、Kodai99さんのようなコメントが返ってくるのは予想されうるように私は感じますが。--かげろん 2009年3月9日 (月) 13:53 (UTC)
非依頼者コメントについて
[編集]- 昨晩非依頼者コメントを投稿いたしましたが、疲労していたこと。www環境からしばらく離れていた間に状況が極めて予想外に進展していたことに精神的な衝撃を受けたこと。高圧的にでも反論しておかなければ反論機会すら奪われ、真意が伝わらずにクローズされてしまうのではないかといった危機感から明らかに不穏当で対話にそぐわない文を雑に投稿してしまったことをお詫び申し上げます。改めて見直した際に非常に問題であると感じましたので当該投稿については一旦削除しています。再度、現在の落ち着いた状況で書き進めておりますので、しばらくのお時間の猶予をお願いいたします。GcG 2009年3月9日 (月) 11:13 (UTC)
被依頼者に質問
[編集]まずはじめに断っておきますが、私は前回の解除依頼の際、しばらく様子を見ている間に早々と解除が決定してしまい、この審議には結局参加できなかったのですが、内心では解除票を投じる方向で検討していました。ところが被依頼者の解除後の最初の編集がブロック依頼への投票だったのを見て、解除票を投じなくてよかったとほっとするとともに、この方のことはもはや全く信用できないと判断していました(私は解除を申請するメールを見て、被依頼者の手許には解除され次第いつでも投稿できる状態の新規記事がいくつも用意されているものと思っていたのです)。しかし先ほどの発言を見る限り何とか対話には応じてくれそうなので、何点か質問してみます。
- まず問題となっている2通のメールが本当にあなたのものなのか、明確に答えてもらえないのでみな判断に苦慮しているという現状があります。あらためてお尋ねしますが、これらのメールはあなたが投稿したものなのでしょうか? プライバシーに関わることなので無理に答えていただかなくて結構ですが、その場合には私たちにとって判断材料が減ってしまうことになるわけで、それはあなたにとって必ずしも有利にはたらくとは限らないことにご留意下さい。
- 次に、2008年4月のブロックの審議が参加者の多数の意向とはかけ離れた裁定下されたことに「非常に大きな衝撃を受けた」とのことですが、Wikipediaにおけるブロック期間というのは単に自動的に切れる期限が5年というだけのことであって、問題とされた点についての改善を約束し、それがコミュニティーによって十分に信頼できるものと判断されればいつでも解除されるという性質のものです。それは参加期間の長いあなたなら当然わかっていたはずのことです。あなたが利用しようとしたコンサルティング技術というのがどういうものかよくわかりませんが、5年という長い期間が設定されたからといって、解除を申請するのに何か謀略的な手段を用いる必要は全くなかったはずです。あの時あなたが用いた手法について、今の時点ではご自身でどのような評価をしているのでしょうか? 全く不適切なもので二度とこれに類する行為は取らないつもりでしょうか、それとも場合によってはまた何かのケースで使ってみようとお考えでしょうか?
- Wikipediaは多くの人の共同作業によって百科事典を作るプロジェクトであり、意見の対立が生じた場合には冷静に議論をして合意点を探っていくのが鉄則です。2008年4月のブロック審議での投票の際にも申しましたが、私は自殺志望者の選択権を尊重するべきだという考えもあっていいと思いますし、それをWikipediaの編集に反映させることも可能だと考えています。硫化水素の項目においてこの物質を発生させる方法について記述しようと思ったのなら、ノートで議論をして他の方の理解を得る努力をするべきでした。もちろん、理解を得られなかった場合にはある程度ぼかした表現をすることを提案するなどして合意点を探っていく必要があります。しかしあなたはあの時そうした合意形成の作業に誠実に取り組もうとしませんでした。あの時のご自身の対応を今振り返って見てどのように感じますか? また、もし今回ブロックが見送られたとして、今後またそうした事態が生じた場合には、無用に挑発的な言辞を用いることなく、他の利用者に誠意を以て対応し、冷静に議論を重ねていくことを確約できますか?
- 「半年以上は方針文書やブロック・信任関係に関与することを避け」るとのことですが、この約束を守れる自信をお持ちですか? 私としてはできれば今年一杯くらいは記事、ノート、会話ページ以外の名前空間には一切出入りしないということを確約していただきたいと思っています(もちろん、項目執筆に専念しようとしても、どうしても他の名前空間で発言する必要が生じるということも起こり得るでしょうから、そうした場合は例外とします)。この提案についてどう感じますか?
- 最後に、先ほどの発言はこれまでのあなたの言動からするとあまりにも殊勝に過ぎ、おそらく多くの人にとって信頼していいものかどうかにわかには判断がつかないものとなっています。このように短期間のうちに態度を豹変させたのはどのような理由があってのことなのでしょうか? こうした殊勝な態度をとるに至った経緯について、できるだけわかりやすく説明してみて下さい。
以上、あまり期待もしませんが質問してみます。よかったらご回答下さい。--以上の署名のないコメントは、Sergei semenovich(会話・投稿記録)さんが 2009年3月10日 (火) 16:44(UTC) に投稿したものです(Godaigoによる付記)。
- Sergei様の質問について回答します。どのような論理展開をするかは大筋で決めていますが、至近でやらないといけないことがあったりということがありますので、数日中に回答します。まず、簡潔にいえば、例の正式な被依頼者コメントは、以前からこうした人格を演じることについて、ある種懐疑的であったり、昨年夏ごろの友人に取り成されたことがきっかけであり、一朝一夕に考えたことではないです。GcG 2009年3月12日 (木) 12:07 (UTC)