コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Gyulfox

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

被依頼者からのコメント

[編集]

コミュニティーの判断で私が疲弊ユーザーだとされるのであれば仕方がないと思いますし、議論撹乱したという意見になったのなら受け入れるしかないでしょう。みっちさんがされようとしていることに今後は反対するつもりはありませんし、今後は管理系はノータッチということにします。 また井戸端も書き込まないようにしたいと思います。また今後どこかのページで衝突になり、厄介なことになりそうでしたら粘ろうとするのを中断してコメント依頼に切り替え、コミュニティーの総意を自分の意見にするように気をつけましょう。 ぱたごんさんのご指摘については、信頼性の厳しさにかかわることになるのでしょうが、それぞれのトピックによってそれぞれ厳しさも変わりますし、個人ごとに判断基準も色々です。あまりに厳しすぎると停滞をしますし、緩すぎるユーザーは出典も要らないというような極論もあります。私はどちらも支持しませんので、中庸を探すようにしてきました。 中庸と言っても各自が微妙な解釈をされるものですから、多くのユーザーは誰か特定の方を基準に考えることになると思います。私の場合は勝手ながら妥当と思われるKs aka 98さんでした。この話題だったらKs aka 98さんなら排除されないだろうと思う情報源の中からより良いものを使うようにしてきたつもりです。ただしKs aka 98さんと私はイコールでもありませんので、ちょっと考え直せと言われない保障もないことでしょう。これは酷いだろうといものについては、指摘を受けたものについて優先的に、かつ穏当に個別に対応する方向で望みたいと思います。--Gyulfox会話2014年8月25日 (月) 04:01 (UTC)[返信]

ikedat76さんのコメントはあんまりです。私は別に誰かが先頭に立つことを嫌うようなユーザーでもないし、反対を唱えるだけの妨害を目的としたユーザーでもない。直近のみっちさんとのやり取りを見てもらえば分かるように、少なくともダメだしに対して修正文の提案を行って、修正の努力はしようとした。それが力及ばず受け入れられないものだったにせよ、何かの妨害自体が目的ならそうはならなかったでしょう。そのことは申しのべたいです。 とにかく自分は疲弊させたという自覚を持ち、上の約束は守りますし、今後は粘りたくなる気持ちや、出しゃばる気持ちは押さえ、他のユーザーとの衝突回避をこころがけるように気をつけるようにします。--Gyulfox会話2014年8月27日 (水) 01:04 (UTC)[返信]

依頼者から補足

[編集]

かげろんさんからいただいたご指摘について、依頼者から補足コメントさせていただきます。かげろんさんとはかつてノート:九州征伐の改名議論でご一緒していますから御理解いただけると思いますが、私は意見が対立していることを理由に相手をブロック依頼することはありません。今回はほとんど1対1のやりとりになっているため、表面上はそのように見えるかもしれませんが、相手の議論姿勢とその手法に問題があるというのがブロック依頼の理由であり、このことは、コメント依頼でもすでに明らかにしているとおりです。 Gyulfoxさんの議論手法は当該コメント依頼でも一部明示しているとおり、誤謬や論点ずらし、トートロジーなど、その場その場の言いつくろいに終始しており、その結果、自分のいったことを裏付けられず、自分ではやらないことを相手に要求していつまでも納得しないといったことになっています。示されている修正提案も、結局その場しのぎの思いつきの範囲を出ないことがご覧いただけると思います。

私の目的は、当該草案をガイドライン化できる水準に引き上げることであり、そのためには新しい英語版の反映は欠かせないと考えています。例えばWikipedia‐ノート:独立記事作成の目安#削除を求める側の努力規程に関してをご覧ください。この議論を読むと、特筆性を満たす要件は「適切な情報源の存在」であって「出典明示」ではないということが利用者(審議で「保留だから反対」としている方も含め)にあまり理解されていないことがわかります。このことは、出典明示がなければ文章除去のみならず記事丸ごと削除もOKとする誤解が醸成される原因になっています。実は提案者もこの点をよくわかっておらず、提案自体がずれているわけです。かくいう私自身も、この時点で出典明示が特筆性の要件ではないことには気づいていたものの、なぜそうなのかという点では現行日本語版を読んでもよくわからず、英語版の翻訳作業を完了するまで、「特筆性」のもう一つのというか、他の文書と比べて最大の特徴ともいえる「記事内容について制限せず、記事内容から決定されない」こととの関連で理解することはできていませんでした。このことが文書に押さえられておれば、先の出典明示がないから削除依頼という判断はフェアかどうかでなく単純に誤りだということがわかるでしょう。ほかにも理由は挙げていますので、ぜひお読みいただきたいと思います。

これらのことから、私は文書改訂の手法として、いったん英語版ベースに書き換えた上であらためて「日本語版アレンジ」を見直すということを提案しています。これは、いろんな解釈が混在して内容が混乱している現行日本語版を修正するよりも紛れが少ないと判断してのことです。とはいえ、これまで日本語版で積み重ねてきたものが一掃されるように感じて抵抗する人がいるだろうことは予想していました。したがって、手法をめぐってはこれを絶対視しているわけではなく、先行して議論のあったWP:FAILNでは重陽さんの提案も受け入れて合意しています。しかし、Gyulfoxさんの場合、そもそも現行日本語版の洗い直しに反対であり、英語版の翻訳自体も「英語版での実績及び信頼度」という属人的な条件まで付けて拒否しているのですから、当該草案のガイドライン化の障害といって差し支えないのではないでしょうか? しかしもし、かげろんさんも英語版と比較検討した上で現行日本語版の若干の手直しでガイドライン化できるとお考えなのであれば、私の主張とは相容れないことになるのでしょう。そういう方が多数なのであれば、私は潔く引き下がりますのでぜひ議論にご参加ください。--みっち会話2014年8月21日 (木) 12:46 (UTC)[返信]