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Wikipedia‐ノート:秀逸な記事/過去ログ1

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移動提案

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掘り返す格好になってしまいますが、Wikipedia:井戸端/臨時分室3の下のほうに書いたようにしたいと思っています。暫らく見て異議が無ければ、ページを移動する事にします。kzhr 12:19 2003年4月12日 (UTC)

移動賛成です。
名前としては「秀逸な記事」とか「すばらしい散文」とか「優れた記事」あたりでどうでしょうか。まあ今の名称よりましなものであれば何でもいいんですが。Tomos 19:56 2003年4月12日 (UTC)

とりあえず「秀逸な記事」にしました。「秀逸した記事」「秀逸の記事」も考えたのですが、「秀逸な」が用法として多いようだったのでそれを採用してみました。Tomos 06:52 2003年4月24日 (UTC)

言い出しておきながら、すっかり忘れていました。ありがとうございました。kzhr 11:51 2003年4月24日 (UTC)

どうもです。僕も忘れたり思い出したりでした。Tomos 00:30 2003年4月25日 (UTC)

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この記事からリンクが作られて、「ウィキペディアの陰の側面」って記事ができてますが、少なくとも「秀逸な記事」には見えないです。mameneko 07:07 2003年10月22日 (UTC)

「ウィキペディアの陰の側面」は関連ページだし、記事ではないのでそれ自体が「秀逸な記事」ってわけじゃないと思いますが、初版が落書きだったようですね。Safkan 07:34 2003年10月22日 (UTC)
お返事ありがとうございます。了解しました。mameneko 02:28 2003年10月23日 (UTC)

DTP

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現在DTPがリストに追加されています。おそらくFeZnが編集した版をご覧になってYoshitaka Miedaさんが追加してくださったようですが、個人的にはまだここに載るべきではないと思うのです。光栄な話なのですが(^^;)
記事名自体、原則に従えば「Desktop publishing」にしたほうが良いのかもしれません(ただし本文にも書いたように、Desktop Prepressとも言われているので迷い、残した次第です)。FeZn 03:16 2003年11月2日 (UTC)

Yoshitaka Miedaさんがどう考えたのかはわかりませんが、(例えばFeZnさんが自覚していない価値を記事に見出した可能性などもあるわけですし。)一般に、ウィキペディアは必ずしも執筆陣の層が厚いわけではないですし、ある記事の質を充分判断できるほどの知識がある人は、既に記事の編集に参加してしまっている、というケースも多いように思います。そうすると、それ以外の人が判断して記事の質を判断するのか、それとも誰も秀逸な記事を挙げないのか、という二つにひとつになるような気もします。 いずれにしても秀逸な記事のリストがうまく育ちにくいと言えそうです。
個人的には、仏教関連、鉄道関連、数学関連、計算物理関連など、比較的記事が充実しているように見える分野の記事ほとんど挙がっていない(インド仏教のみ)のはちょっと疑問です。どうしたらよいでしょうかね? Tomos 07:40 2003年11月2日 (UTC)
自分は記事を書かないくせにいうのもなんですが、少なくとも数学関連には、まだ「秀逸な記事」と呼べるようなものはないと思います。
これは私見ですが、百科事典の記事として秀逸であるためには、内容の正確さや詳しさだけでなく、その項目について詳しく知らない人が読んでもわかりやすいかこそが大切だと思います。そのためには、やたらと情報を詰め込みすぎてもダメでしょうし。
ネガティブなことばかりいっている気がしますが、DTPもまだ「秀逸」と呼べるようなものにはなっていないと思います。Yoshitaka Miedaさんはもう少し辛口なかただとお見受けしていたのですが。(^^)Kk 08:40 2003年11月2日 (UTC)

こんにちは。FeZnさんの気持ちは良く判ります。私も、自分が書く文章に、もし時間があるなら永遠に手を入れ続けたいと思う方ですので。でも、今の時点でも結構面白いし、他のろくでもない記事に比べればよく書けてますよ。まー、ここはWikiですので別に秀逸な記事に入っているからといって完成という訳ではなく存分に直してもらって構わないですよ(FeZnさん以外の方でもKkさんでも遠慮せずにどうぞ)。もし、記事名を変えたいなど希望があるなら、ぜひご自分で入れ替えちゃってください。

criteria

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さて、私が秀逸な記事と思う基準ですが、基本的に、私は、記事の全分量のうち相対的に文章が多くかつ図や表があるものでないとここには加えていません。もし図表を入れるのが難しいような内容の記事でも、例えば、上手く小節に分けられていない長いまとまりのない文章を並べた記事などはスタブと見なしています。つまり私がここに加えたいのは内容に加えて、それなりに他人に読ませよう、記事の見栄えや、構造化まできちんと気にしているなと感じた物だけです。あと、リンク集のようになり下がっている記事も記事自体の容量が多くても意味がない記事と見なしております。

さて、Tomosさんの上げられた、仏教関連、鉄道関連、数学関連、計算物理関連ですが、確かにその分野の投稿は多いですね。しかし私には個々の記事でそれほど上記の基準にあたるなーと思ったものは少ないです(一つ面白いなーと思ったのはプラットホームという記事とそのノートで、これは将来、記事自体がまとまって来たらここに加えようと思っている候補の一つです)。

--Yoshitaka Mieda 08:51 2003年11月2日 (UTC)

Kkさまに激しく同意です。百科事典は専門家向きのものであってはならないと思います。英語版をたくさん読んでいると、知りたい人向け・知識が欲しい人向けに書かれていることがわかるようになってきました。子どもが関心を持つ分野については子どもに対してもある程度配慮するなど、まったくの門外漢やシロウトが読んでも、一定程度の知識を得られるよう配慮された記事が多いような気がします(全部、とはいいませんが)。これってものすごいことだと思いません? 専門知識について、その分野のジャーゴン(術語・専門用語)を使って書くのは、とても容易です。でも、専門知識を全くのシロウトが読んでもわかるように書くのは、ものすごく難しい。そういう工夫・配慮が百科事典に求められていると思います。昼間、図書館に行って各種百科事典や現代用語の基礎知識、イミダスその他を比較検討してみたんですけれど、すべて落第だな~と感じました。秀逸な記事とは、そういった配慮が行き届いている記事のことだと思いますが……違っているでしょうか?
Opponent 09:18 2003年11月2日 (UTC)

いや、違っていませんよ。正論ではないでしょうか。ぜひ、良い記事を書いてください。期待しております。--Yoshitaka Mieda 09:28 2003年11月2日 (UTC)

 なんだかとても感銘を受けました。それに何が良くて何が良くないのかも浮き彫りになってきたように思います。当該記事も含めて、自分の場合、「その分野に足を踏み入れた人のため」に書いていました。もっと明確に言うと、『その当時の自分』に。……自分あてというのが、いちばん身も入りますし、なにより「どのような知識を必要としているのか」「専門の本だと自明のこととしている、どのような点につまずきやすいのか」がリアルに分かりますからね。(ただ完全に昔の自分には戻れないので難しい表現を使ってしまうこともままあります。)
 ですが一方、当然自分ひとりの体験に帰結してしまうわけで、DTPなどでも、自分がそれに触れる前から知っていたような事柄については考慮がはたらいていないことに気づきました。これが大きな反省点で、ほかの記事もざっと見直してみたいと思います。
(それとまあ、自分自身は創作もやりますので、ついつい文章が気障になってしまうことが多いので常に自戒が必要なのですが) FeZn 13:40 2003年11月2日 (UTC)
Thank you very much! > FeZn
Opponent 15:25 2003年11月2日 (UTC)
> Thank you very much! > FeZn
その通りですね。嫌われるの覚悟で書き込んだ甲斐がありました。
また、秀逸かどうかの判断材料も、私はあまり具体的には書きませんでしたが、具体的にはYoshitaka Miedaさんの書かれたようなことだと思います。「プラットホーム」、よくなりそうですね。
私は、現時点では多くの記事の出来には満足していなくて、でも私によい記事が書けるかというとそうでもなくて、そこでこの「秀逸な記事」のリストに期待しているわけです。ここに本当に良く書けた記事が5・6本載っていて、何百人もいる参加者が少し意識しながら執筆することで、ウィキペディアがぐっと良くなる、そんな期待です。
このノートに書き込まれた他の方も、私と同じような気持ちを持っているなぁと、勝手に想像しています。心強いです。Kk 23:33 2003年11月2日 (UTC)

Objecion!

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雪舟の記事、どう考えても秀逸じゃないでしょう。芸術家について書く場合、その生涯の年代記ばかりでは話になりません。美術家だと問題になるのは、様式論や、美術史上の位置です。そういう問題の記述の無い事典は、役に立ちません。この記事には、そういった視点がまだ無く、殿堂入りするにははやいと思います。以上の署名の無いコメントは、218.225.96.169会話/whois)さんが[2004年1月2日 (金) 14:24 (UTC)]に投稿したものです。

雪舟と同じ理由でフェルメールも秀逸から外しました。雪舟は他の方の判断で「もう一歩の記事」に入っているので、フェルメールもそちらに。Tomos 08:05 2004年2月22日 (UTC)

史的イエスを外していただけますでしょうか。

  • てにをはレベルの間違い・タイポがある 内容以前の形式の問題
  • 重要な概念の説明が不十分
  • 参考文献指示が不十分 これも形式の問題
  • 「イエス伝」復元と共観福音書研究の関係、とくにマルコとの関係の記述不足
  • 1990年代以降の研究動向への目配りが不足

などの理由で「秀逸」とはとてもいいがたい と感じています。ご一考いただきたく。Aphaea 22:15 2004年2月29日 (UTC)

移動の連絡

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マカームは、書きかけだと断りがあり、ノートにも必ずしも正確さに確信がない旨などが記されているので、一応もう一歩に移動してみました。追加した方も、事情に詳しい方ではないようですし。(追加時のコメントから) が、その表明から更に数ヶ月少しづつ更新が続いたので、もしかすると秀逸でよいのかも知れません。。Tomos 08:05 2004年2月22日 (UTC)