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Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/セラム 20110911

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ぱたごんさん、「それとも執筆者がそう思っているだけかな?」というのはちょっといぢわるすぎではないでしょうか?Sumaru さんが「私には非常に大きなことのように思えました」とか言ってしまうからかもしれませんけど。--Calvero 2011年9月16日 (金) 13:07 (UTC)[返信]

評価について

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ジョハンソンの発言については、化石ハンターとして国際的に著名な彼が、ネアンデルタール以前の数多く見つかっている化石人骨のうち、わずか5体(当時はセラムを入れて3体)しかない全身骨格、しかも唯一の幼児個体について、「そういう桁外れに希少な代物が発見された事実自体」を高く評価したのだろうと判断していました(学会の反応など見定めようのない、公表直後の発言でしたし)。実際、以下に引用する河合氏の記述などからしても、そうした理解は自然なものだと思っていました。

  • 世界中を瞠目させたのは、三三二万年前の幼児(メス)骨格「セラム(略)」の発見だった。まだ軟骨部分の多い幼児の骨など、よほど好条件でないと保存されない。したがってセラムは、これまでに見つかった中で最も完全な幼児初期人類の骨格ということになる。
    ちなみにセラムに匹敵する次に古い幼児の標本と言えば、はるかに新しい約五万年前の
    (略)ネアンデルタール人幼児まで下る。セラムの発見がいかに画期的であったか分かる。(河合『ヒトの進化 七〇〇万年史』p.53)

もちろん、Calveroさんがおっしゃるように、ご祝儀的な意味合いでより強い表現が使われたという可能性も否定できないでしょう。いずれにせよ、発見者でもないジョハンソンが公表直後に発したコメントから「「21世紀で最大の発見」とまで言われるのならば、学会に、そして従来からの学説にとても大きな影響を与えたはず」などと解釈できるかは疑問ですし、根拠も示さずにぱたごんさんがそれにこだわり続けるのは不可解です。

なお、評価といえそうなコメントとしては以下のようなものがあることも認識しています。

  • ミズーリ大学コロンビア校のウォード (Carol V. Ward) は「この化石はアウストラロピテクスの成長と発達に関する貴重な情報をもたらしてくれる。身体の個々の部分についてだけではなく、一個体内のさまざまな構造がそれぞれどのように発達していくのかを示している」とみる。(日経サイエンス、2007年3月号、p.61)
  • ディキカ・ベビーの一生はわずか3年しかなかったが、この幼女の化石には、その後の人類の歴史に多大な影響を与えた進化の過程が刻まれている。(ナショナルジオグラフィック日本語版、2006年11月号、p.51。文責は同誌英語版シニアエディターのC. P. スローン)
  • (公表直後の様子として)"My e-mail was flooded with excited messages from colleagues, and the popular press also descended on the announcement with an insatiable zeal." (Johanson & Wong, Lucy's Legacy, pbk, 2010, p.139)

正直こうした具体的な解析に踏み込まない評価を並べても記事に大した寄与はなさないと判断していましたから書いていませんでしたし、「従来からの学説にとても大きな影響を与えたはず」だが「記事からはそれが読み取れない」と主張し続けるぱたごんさんからしても、こういう評価を並べたところでご納得いただけないのかもしれませんけれど。--Sumaru 2011年9月17日 (土) 01:59 (UTC)[返信]

加筆について

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以下に改稿のポイントを説明します。

  • まず、ぱたごんさんの「「21世紀で最大の発見」とまで言われるのならば、学会に、そして従来からの学説にとても大きな影響を与えたはず」は現時点で根拠が示されていない解釈であり、それを基準として「そんな重要な発見なら」「不十分だと思います」とするご評価には賛同できません(別に現状の記事が優れていると思っているわけではなく、評価の基準に賛同できないということです)。
  • その一方、冒頭にあまり強い言葉があると、その言葉の解釈いかんでは読者に過度に期待を抱かせ、その期待に比べて「地味」な本文が「肩透かし」「期待はずれ」という印象を与えかねないというのは事実だと思いました。ジョハンソンの言葉を冒頭から外したのは、読者へのミスリードのリスクは可能な限り軽減させることが望ましいと考えたためです。
  • 他方で、Calveroさんにもご指摘いただいたとおり、ジョハンソンは古人類学のビッグネームですから、単に除去するという選択肢は極力避けたいと思いました。
  • 評価について「記事として書く必要があるほどのことなのか」というCalveroさんのご発言に私は賛成でして、現時点で「評価」という節を作ることには否定的でしたが、ジョハンソンの言葉の正確な背景が確定できない以上、既存の節に組み込むよりも、どこかそれを隔離する節を作ることが無難と判断しましたので、不十分かもしれませんが「評価」という節を作りました。
  • 現在の所蔵先については、en:National Museum of Ethiopiaで言及があるものの出典はなく、その博物館は公式サイトもないようですので、確定できません。とりあえず、発見直後に国立博物館に移送されたことだけ加筆しました。
  • 以上とは直接関連しない点も含めて、Lucy's Legacy (この本の8章 pp.129-146 がセラムの章)などを踏まえて加筆しようと思っていた点の情報を全体的に微加筆しました。

以上です。--Sumaru 2011年9月19日 (月) 02:55 (UTC)[返信]