Wikipedia‐ノート:表記ガイド/括弧の使い方について
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括弧の使い方をどちらかに統一してほしい
[編集]まず、今回のことは提案というか要望であって、個人的にどっちにすべきというはっきりした意見を持って提起しているわけではありません。現在日本語版では、表記ガイド#丸括弧・波括弧・角括弧にあるように、全角文字が入る場合の括弧の使い分けが定まっておらず、全角括弧を使うか半角括弧を使うかは執筆者の好みに合わせる形になっています。しかし、現状では全角括弧が多数派であり、半角括弧を使う人はかなり少数です。で、私は記事書く(といっても基本的には翻訳)ときにはすべて半角で統一している少数派なのですが、たびたび全角括弧に変えられてしまう(場合によっては英語だけが入っている所まで変えられてしまうことがあるため、これはまあ表記ガイドからも外れているわけですが)ことがあります。半角括弧を使っている理由としては、「翻訳する際に半角文字の括弧をつくる場合が多い」「本来半角文字だけの括弧になる部分でも、短い説明をいれることがある(そのままポンと出しても日本人にはしっくりこない概念の場合など)」「翻訳の手法として、関係節を括弧入れしてしまうことがある(そのほうが日本語としてスマートなため)」そして「これらで半角全角括弧がごちゃまぜになるくらいなら、全部半角のが機械的で手っ取り早い」という頭があるわけです。場合によっては節単位でそこだけ全角に変えられてしまうこともあり、これはこれで困ってしまいます。
この話の一番不毛な点は、どちらも表記ガイドの定めるところの正しい表記になっているという点です。正直、括弧だけポンと直されれば私としては結構不愉快ですし、かといって私が差し戻ししたら相手はやはり快く思わないでしょう。ですので、いいかげんどちらかに統一してほしいのです。もちろん、議論の結「全角文字には全角括弧」となったら、それには従います。とにかく、この不毛な編集合戦の(になりうる)火種を何とかしてほしいのです。--Koon16000 2010年9月4日 (土) 08:57 (UTC)
- 現実問題、Wikipediaみたいなやり方の場合に、「表記の統一」なんて無理ですよ。同時に、「表記の統一に過度にこだわるひとはお馬鹿」ってことも真理のひとつだと思うんで、お馬鹿は生暖かく見守ってりゃいいんじゃないでしょうか。「括弧だけポンと直されれば私としては結構不愉快ですし」って、そんなことで不愉快になるんだったらWikipediaには向いてません。立ち去れとは言いませんが、ご自身の性格を直した方がいいだろうという助言はさせていただきたく。--Nekosuki600 2010年9月4日 (土) 13:10 (UTC)
- コメント わたしも半角括弧を好みます (単なる好みではなく、理由もあります)。全角形をつかうと特定の環境でしか適切な字取りにならないのですが、それが気にならないというのですから、議論はむずかしいです。表記統一とかいう以前のところで齟齬がある。
- それはともかく、わたしもいわゆる半角の括弧をつかいますが、全角形に直されても気にしないことにしています。以前は、なにか書くとそのあとをついてまわるように括弧を全角形になおすだけの編集をするひとなども多かったのですが (そんな変更ばかりしてないで、そこ! すぐそばのそこにある誤字を直せよ!)、Wikipedia‐ノート:表記ガイド/括弧の使い分け (約第4回)の議論の結果、表記ガイドの解説が現在のものになってからは、そういうひとはずいぶん減りました。
- 根本的な解決が難しいので、気にしてもしかたがないかと……とはいっても、わたしも気になってしかたがないんだけどね。--Hatukanezumi 2010年9月4日 (土) 15:04 (UTC)
- 私も、別に直すなら直すでいいんですよね。ただ、場合によっては1節しか変えられてないとかあって、それで節単位で使い分けがごっちゃになったり、さらに半角派の人が加筆した際にまたぐちゃぐちゃになったりというのがあれなだけで。どっちも正しい以上、相手に好みを押しつけるわけにもいかないわけで。ただですね、この記事ではそっちの表記で統一している以上空気読んでよ、とは思いますけどね。つまり統一されているものをわざわざ崩すなっていう意識があるんですよ。むしろこっちのが大きい。で、その状態を直すにしても直さないにしても(加筆した際には結局またどっちかの人が折れるか合わせないかしないと、また混ざる)こんなものどう考えても労力の無駄なわけで、こんなくだらない書式問題に煩わされるくらいなら(正直括弧変えられて云々も「不愉快」というより「面倒くさい」)、さっさとどっちかに決めればいいと私は思います。最悪、コンセンサスではなく投票でもいいと思っていますよ(メリットデメリット出しつくしたあとで、ある程度編集等携わっているユーザーでどっちがいいか投票、多いほうに決定)私は。まあ、あと「初版(もしくは現状統一されている書式)に合わせる」っていう方針文を一行いれるのでもいいと思いますけどね。
- あと、Nekosukiさんの話に返事しておくと・・「方針の統一」と「表記の統一」をごっちゃにしてません?私は「方針はどっちかに統一してほしい」とは言ってますけど、「だから記事全部その表記に統一してほしい」とは一言もいってませんよ?そんなもの方針がどっちかに決まった後20年くらいかけて統一すればいいんですよ。ただ、将来的な統一は必要だと思いますけどね(そもそもwikipediaは「百科事典を作る」っていうプロジェクトなら、いずれ書式はそろえなければならない。普通「このページの書式はこうで、このページの書式はこれ」なんていう風に書式がバラバラな本も電子書籍も論文も百科事典も存在しない。ましてやページ内で書式が場所ごとに異なるっていうのはもっとおかしいわけで・・馬鹿でかいオタクごみ集積場じゃないんだから)。あと私も、無用な煽りやら蛇足ををつける人は、立ち去れとは言いませんが一度ご自身の性格を見直してほしいものです。常々思います。--Koon16000 2010年9月4日 (土) 16:44 (UTC)
- 蛇足……を書こうとおもったがやめておく(笑)。文字幅の混在について、紙の印刷物の現場でも混在に悩んでいるらしいことは全角と半角の項目にも書きました。しかし、わたしが「どっちでもいい」という現状に異をとなえないのは、ほかの表記統一の問題とはちがって、統一しようとおもえばかなり単純な置き換えルールで統一できるという理由があります。逆にたとえば、うえのほうにある年号の表記順序の統一なんかは、かならずしも単純なルールではできないです。
- ただまあ、記事内でどちらかに統一するのくらいはゆるしてほしいですね。上述のような、記事の一部の括弧だけをなおす編集はやめてほしいです。 --Hatukanezumi 2010年9月4日 (土) 17:09 (UTC)
- さすがに「表記の統一なんか無理」だから表記ガイドを修正する必要がないというのなら、表記ガイド自体が無意味になってしまうと思います。実際に表記ガイドのスタイルに統一されていなかったとしても、ウィキペディア全体としてはこういう方針でやっていきましょうというスタイルを何か疑問を感じたときに参照できるようにしてあることは、意味があることだと思います。
- 私はウィキペディアでの編集では、一応表記ガイドにしたがって、英数だけのときは半角、全角文字があるときは全角にしています。ただ、個人で文章を書くときはすべて半角にしています。ASCIIで表記できるものはすべてASCIIという方針にしているためです。今の表記ガイドにあるような、全角と半角の使い分けは、何か合理的な根拠があるものなのでしょうか。組み版とかの知識はないのでよくわからないのですが。特に合理的な根拠が提示されないというのであれば、統一で構わないと思います。--Tam0031 2010年9月4日 (土) 17:20 (UTC)
- 詳しくは過去の議論を読んでもらうとして簡単にいうと、「和文では全角形の括弧、欧文などではいわゆる半角の括弧を使う」というのは、文字コードの規格からすると根拠がないんですよ。文字コード規格では、区別しないのなら全角形でないほうを使うべきで、見た目の区別は印刷物にするなどの「仕上げ」の段階で考えるべきこととされます。
- ところが、ウィキペディア日本語版では「括弧の全角形とそうでないものを区別したい」という意見が根強くある。つまりこれは、ウィキペディア日本語版独自の慣習でしかないのです。逆説的ですが、慣習だからなかなか変えられないということだってある。--Hatukanezumi 2010年9月4日 (土) 17:33 (UTC)
- ◆(Tam0031 さん宛)「表記ガイドにしたがって、…全角文字があるときは全角」「今の表記ガイドにあるような、全角と半角の使い分け」というのは、具体的にどの部分でしょうか。それはかつての表記ガイドではありませんか。
- なお、統一するとなれば、曖昧さ回避の丸括弧がいわゆる半角でなければならない以上、いわゆる全角の丸括弧という選択肢はないと思います。曖昧さ回避の丸括弧を除いて統一、というのなら別ですが、それでは統一したことにはならないでしょう (少なくとも読む側にとっては)。--Jms 2010年9月4日 (土) 17:55 (UTC)
- 確かに全角を使うべき場合は規定されておらず、両論併記になっていますね。私が編集を始めた頃に「原則として全角」という規定であったので、その後中が半角文字のときは半角括弧を使うと改定されたときに、無意識に全角のときは全角と考えてしまったようです。--Tam0031 2010年9月4日 (土) 18:13 (UTC)
- コメントうーん。「加筆」は、それぞれの書き手の好み優先でもいいと思うんですよ。半角使いたい人が半角で書く。全角使いたい人が全角で書く。たまたま入力時の変換で先に出るから、とかって事情もあるでしょうし。そこは執筆者の領域で、いろんな立場があるでしょう、と。「加筆」で混在している状態は避けられないし、避けようとして執筆者の負担になることもあると思うんです。細かく設定していないワープロソフトで日常的に文書を作成する仕事をしていると、半角括弧は欧文でベースラインが狂うとか。縦書き組版入力用のデータだと、括弧は全角のほうが組みやすいとオペレータに言われてるとか。それで変換が鍛えられてたりすることだってあるだろうし。そこで苦しまなくても、内容に集中して欲しい。
- で、それを揃えるのは、編集とか校正とかオペレータの領域だと思うんですね。そこは、本来は出力される状態とかを考慮して、どうするのがいいか考える。手間については文句言わない。で、節単位で統一するとかは、へぼな作業だと言っていい。
- 括弧に限らず、広く執筆者向けの、迷ったらこうしておいてくれたら助かる的なガイドラインものと、けっこうゴリゴリな統一とかやる人向けの推奨ガイドラインの二本立てにするのがいいんだろう、と思う。前者はとりあえずガイドラインになっていて、ほどほどにゆるいので、ほどほどに統一を気にする人には不十分だけど、それ以上は決めきれないという面もあるので妥協が必要。後者は、文字コードとか組版の知識とか、ものによっては国語審議会の動向だの、GHQの日本語政策がどうしたのという話にもなって、まあ将来に向けての課題、やりたい人は頑張って取り組む、というようなもの、だと思う。
- 最低限、加筆じゃなくて校正的な作業をするなら、正しいものを間違いに持っていくなとか、中途半端な統一はするな、とは言えるだろうし、個々に言っていけばいい。でも、どっちも正しいものを、どっちかに決めるのは難しい。投票できめりゃいい、と言ったところで、それではダメだとか言って、その議論が長期化するという展開もあるわけで。記事名をめぐる議論ってそういうのが多い。とりあえずは、正しいものを正しいものに変更されることは不毛なのでどうでもいいやと思って編集合戦から身を引くのがいいと思う。--Ks aka 98 2010年9月4日 (土) 17:46 (UTC)
- 珍しくもおおむね同意。なんていうんですかね、そのあたり「完成度」とかの話にもつながってくると思うんですけどね。
- 一般の本(百科事典を含む)というのは、執筆という作業があり、そのあと編集や校正という作業があって、結果として表記の統一などがなされ、いわゆるところの一般書籍としての完成度が得られるということになる。しかしWikipediaの場合には、執筆という作業があるだけであり(編集と呼ばれてはいるものの、出版などにおける「編集」という作業とはまったく異なる)、全体を通じての組織的な編集・校正といった作業は行われていません。そういうことをやろうという発想もないし、そういうフェイズや段階がそもそも存在しない。
- 出版物のようにごく少数の編集者や校閲者がそういった作業を行えば表記の統一なんてのは簡単な作業ですが、とにかくそういうフェイズ・段階・工程が存在しないんである。ある意味、Wikipediaにおける「完成度」を、そういう一般書籍などにおける「完成度」と同一視するという感覚がもう間違っているのではないか。それは、違うものを無理やり比較しようとしていることにほかならないのではないか。
- この完成度問題、表記の統一に限りませんが、あっちこっちでさまざまな表出をしているように感じられます。しかし全部まとめて、「そういう完成度を求めちゃだめなんだよ、そんなところでモメるなよ」とか思うんであります。まあ、そういう完成度は、たとえばWikipediaの記載をある時点で固定してDVD-ROM出版しようなんて時にはじめて考えればいいことなんではないかと。「世界最高の百科事典を作ろうという志は、情報を集積するところに集中すればいいものである」と、おれは思うんであります。--Nekosuki600 2010年9月5日 (日) 10:40 (UTC)
- うーん、wikipedia、というかwiki全般に言えることなのですが、wikiというのは常に編集、加筆、改訂が加えられてつつ、同時に誤字脱字修正、リンク修正、そして体裁整え(たとえば見出しの後の改行をとったりとかetc...)が同時に行われ、さらに出版(厳密にいえば閲覧)が行われているという、なかなか特殊なものだと思うのですよね。つまり、本等の出版物や、ある程度体裁の整ったサイトではおそらく矢印で一方通行となっている作業が、同時並行して行われているという状態なわけです。
- で、もちろん「校正なんて不要、記事だけ作っていればいい」っていう意見もあるかもしれませんが、少なくとも私はこれには賛成できない立場なんですよね。もしそうだったらリンク修正もいらないし、(たびたび私が直されている)ファイルとImageのタグ付け等を修正する意味もない(なぜなら「見た目」にはほとんど変わらないから。リンクについても、知識を集めるだけなら別にいらない。書いている人がたどれればいいのだから。そして、多少ルール外のHTML構成をしても、システム的な負荷は誤差でしょうし、ブラウザの性能もあがっている昨今では関係さえないかもしれません)。でもこういった活動は基本的には称賛されるべきものなわけで(もちろん、「何を無駄なことを」って笑っている方もいるかもしれませんけどね)、その点wikipediaは、Nekosuki600さんのいうところの「完成度を高める」っていう概念をWikipedia:雑草とりで「不可欠なもの」として肯定、規定していると私は考えています。つまり、やはりwikipedia的には、先に言ったように筆者、編集者、閲覧者の3者がかかわることが同時並行していると考えるのが妥当だと思うのですよね。で、雑草取りで規定しているものを見る以上、たぶん完成度の求めるところは一般書籍と大して変わらないと思っています。
- さて、括弧についてなのですが・・・で、こういった校正が肯定されている以上、その校正において「正しいもの」が「正しいもの」に直されることで、質が下がったり、無用な衝突を生むというのは決して良いことではないと思うのですよね。もちろん、これは以前のちょっと良くないガイドラインの余波で、Tam0031さんのように新ガイドラインがいきわたっていない人がいたり(私も改訂されてから結構な期間知らなかった)、依然として改訂されたことを知らないで直してしまう人がいる。もちろん、節単位でごっちゃにしてしまうというのはKs aka 98さんがいうように「へぼな作業」だと私も思うのですが、だからと言って戻すのも、(一応、ガイドライン上はその状態は間違っていないため)ちょっとやりにくい。かといってごっちゃなのよりは、それ以前のほうがよいというのは当然だと思うのですね。ですので、今回の場合統一が難しいならば、付則として「両者の使い分けが混ざるのはよくないので、その記事がどちらかに合わせてある場合、そちらに合わせるように」と書くだけでも、多少楽にはなると思うのです。で、半角か全角か統一(いずれはしなければならないはず)については、何年かかけて技術的、体裁的な面から議論していくのがいいのかもしれません(この辺はKs aka 98さんの言っていることに近いかもしれませんが)。--Koon16000 2010年9月5日 (日) 15:12 (UTC)
- 違う。
- 書籍などにおける「編集」や「校正」という作業は、トップダウンで行われるものです。これはその都度誰かが方針を決めていいし(たとえば「この本では旧仮名遣いで通す」「この本では小学校で習わない漢字は全部仮名に開く」「誤字まで含めて著者の記述に厳密に従う」「編集者の好みに基づいて語尾を統一する」などは、すべて許される)、その線上でまとめが行われる。そういう作業を「編集」「校正」といい、そして一般の書籍の完成度、たとえばここらへんでいうところの表記の統一などは、そういうある意味で独裁的な作業を経て実現されるんです。
- Wikipediaでそれが不可能なのは、Wikipediaというのはトップダウンの意思決定方法を取っていないからだ。「草取り」や「誤字脱字の修正」などの「編集」は、「編集」という表現は同じだけれども、書籍編集などにおける「編集」という作業とは、まったくもって異質な作業なんだ(この異質さについて、おれはもう指摘したと思うのだが、通じていないようだなあ)。--Nekosuki600 2010年9月6日 (月) 13:18 (UTC)
- たしかに、出版実務での「校正」とはちがうかもしれないけど、そういうことは必要とされているとおもうよ。たしかにわたしが見てきた限りでも、「草取り」の多くは単なる書式修正にとどまっていて、「校正」あるいは「校閲」あるいは「編集」と呼べるようなことを組織的、系統的にやっているのは、ついぞみかけない。だからといって、そういうことはできないんだとは言えない。jaWPもそろそろそういうことにとりくむことをまじめに考えてもいいころあいだと、個人的にはおもっている (そうだな……やろうか!)。--Hatukanezumi 2010年9月6日 (月) 13:28 (UTC)
- ああ、「猫が好き♪にストーキングをされており、迷惑していると、認識しているHatukanezumi」さん、どうもおひさしぶり。お元気そうでなにより。とかいうイヤミは置いといて。
- 必要とされていないってことはないでしょう。ある程度、一般的な表記に統一するということは考えていいかもしれないし、技術的にはそれはさほどむずかしくない(お馬鹿なbotあたりに暴走されると被害は大きいし、安易にこういうことを考えるやつはたいてい馬鹿でお馬鹿botしか作れないから、そういうひとに手出しはしてほしくないけれども)。しかしですね、おれはそういう話はしていない。
- 市販の書籍などにおいて、編集者というのは、ある意味独裁者なのです(その上層に「著者」という独裁者がいて、独裁者同士の熾烈な戦いが起きたりすることもあるわけだけども)。であるがゆえに、そういう「(一般書籍の)編集」という作業が機能しているという面は、明らかにあるわけ。はたしてその思想がWikipediaにそのまま導入できるかっていうと、できないでしょう。その前に「どの程度、(書籍編集的な意味での)編集者・校正者に、権限を与えるか(念のために繰り返しておくが、ここでいう『編集者』は『Wikipediaにおける執筆やら修正やらなんやらをやる者』という意味での『編集者』とはまったく異なる概念である)」についての議論をかたづけなければならないし、その議論はおそらくなまはんかなことではかたづかない。ゆえに、少なくとも現時点ではあまり現実的なものであるとは言えない。
- 一般の書籍編集とWikipediaとの違いは、技術的な違いではなく、思想の違いなんです。その思想の違いは、「自分にとってのあたりまえ」が前提になってしまうとなかなか気づきにくいものではあるんですが、しかしそこには深くて暗い河だか高くて険しい山だかがあるんですよ。--Nekosuki600 2010年9月6日 (月) 13:53 (UTC)
- 言ってることはわかるが、ここで続ける話ではないような。--Hatukanezumi 2010年9月6日 (月) 13:57 (UTC)
- 問題なのは、「そういう思想的問題をかたづけないと括弧のどちらかを正しいとしもう片方を望ましくないと断じて統一することなんかできっこないのに、なんで簡単にできることででもあるかのように、そういう提案がでてきちゃうかな」ってことの方です。おれはその根底に横たわっているらしいある種の完成度に関する誤解を、ここでかたづけることができれば、ひとつは問題がクリアできるたことになると思っている。--Nekosuki600 2010年9月6日 (月) 14:13 (UTC)
- 本当のことを言うと、括弧の話は「全角半角どちらも正しくない」が正解です。「全角」とか「半角」とかいうのは文字コードの都合でできてしまった違いで、もともと「文字としての括弧」にはそんな区別は存在しないし、どちらにしたとしても完全な表示は得られない。某ブラウザのようにレンダリング (組版) の段階で適切な表示にしてくれる (またこれが中途半端だから困るのだが) ことが前提でもいいとおもう。
- だから括弧の問題は「どうでもいい」部類に入る。組版の時点での前処理はやっぱり必要になるけど、たいした手間ではない。もっと難しい前処理もある。たとえば、現在のウィキペディアでは欧文ハイフンも欧文ダッシュも全角ダッシュもマイナス記号もぜんぶハイフンマイナスで表している (わたしはこれはgood practiceだとおもっている)。これを組版のときに文脈に応じて適切なものにすること (これは現在のブラウザなどでもやらない。紙の組版ではやる) より、括弧を整える前処理ははるかに簡単です。
- まあだから「括弧は全角でもいわゆる半角でもどちらでもいい」ということになっているのだけど、それでも問題が起こるというのなら「いちいち直すな」とガイドラインに書き足せばいいとおもいます。--Hatukanezumi 2010年9月5日 (日) 15:40 (UTC)
- 誤解されたくないという保身だけで補足。
括弧論争「約第4回」以後の世の中の進展として大きいものに、W3Cが技術ノート「日本語組版処理の要件」をリリースしたことがあります。これは、ウェブブラウザなどのHTTPユーザエージェントによるページレンダリングを「組版」(layout) と位置づけて、伝統的な組版規則に合致した出力を実現するための要求事項を提示しているものです (まだかなり不十分だけど)。ウェブブラウザはこういう方向に進んでいくと考えてまちがいないし、ウィキペディアの出力もそれを前提にしていかなければいけない。現在のブラウザの出力の「見た目」に合わせて議論してもあまり意味がない。
なにが言いたいかと言うと……、あることについてよく知り、知ったことを共有したうえで自ら「自分たちはやらない」と決める、ということは、あるとおもうんですね。他人に対して「自分が知らないことはやるな」と言うよりも、そのほうが建設的だとおもう。抽象的でごめん。--Hatukanezumi 2010年9月6日 (月) 11:47 (UTC)
- 誤解されたくないという保身だけで補足。
- 「情報を集積するところに集中すればいいものである」とも思わんし、質的な完成度は一般書籍以上に求められると思いますけれど。
- 校正も大事だと思いますよ。ただ、いろんな作業がパラレルに進んでいるとしても、担う人は別々でいいだろう、と。両方できる人、両方やりたい人もいるだろうけれど。で、統一しては崩れ、というのが繰り返されるのも、wikiならでは。
- へぼな作業があって、それが気に入らなければ、統一したければちゃんと全部やれ、と、会話ページで注意する。そういう人は、ガイドライン直しても、やっちゃうんだと思う。統一作業だけやるならちゃんとやれ、とか、ひとつの節だけ統一するのはダメ、とか、そういう附則には反対しない。--Ks aka 98 2010年9月5日 (日) 17:07 (UTC)
インデント戻します。かつては当方も提案者様と似た考えであった上に少し前に井戸端のサブページで議論した事があります。一応関連リンクとしてその当時の井戸端の議論(Wikipedia:井戸端/subj/テンプレートやカテゴリの括弧に付いて)をリンクして置きます。--目蒲東急之介 2010年9月7日 (火) 07:38 (UTC)
- (ちょっとインデントが混乱していますが・・・)たしかに、校正と執筆は別々の人がやればいいというのには賛成します。もちろん、統一しては崩れというのは文体に関してもいえることですから、同意します。たしかに、ガイドライン直してもやっちゃうんだろうなあとは思うのですが、ただ、それを注意する際にもやっぱりある程度ガイドライン上の裏付けがあったほうがやりやすいとは思うんですよね(タバコの禁煙だって、マナーだから云々っていうよりは「~~で禁止しているから」とか言ったほうがやりいいでしょう。もちろん、反権威主義的な反発が来るかもしれませんが。ただ、ガイドラインでそういったことが来るとも思えないので)。
- とりあえず感じとしては
- 現在、議論で統一のめどが立っていない。(人によってどちらを使うのが良いか隔たりがある)
- 記事内での統一が崩れるのは少なくとも好ましいことではない。
- 実際問題として、わざわざ半角括弧で統一されているものを全角括弧に(もしくはその逆に)統一しなおすメリットは、執筆者でないかぎりはおそらくない。
- といった感じになると思うんですよね。なので付則を追加するとしたらこのあたりの問題に釘をさす形がいいのかなと思いますが・・・--Koon16000 2010年9月9日 (木) 01:31 (UTC)
- 加筆者と雑草とり的な作業をする人がいるとき、後者のみに「括弧の統一を乱すな」といっちゃうのは難しいんじゃないかなあ。括弧を変更したいがために変な加筆されても困るし、どの程度が「加筆」なのかでもめることにもなりそう。また、加筆者にも「括弧の統一を乱すな」と言ってしまうのはいろいろ問題がある。
- この件は「ガイドラインで複数の方法がないように決めてしまう」か「両方ともOKなガイドラインなんだから、統一されてなくても諦める」のどちらかしかないと思う。で、前者についてはたぶん無理なんじゃないかというのはこれまでの皆さんの意見のとおり。--iwaim 2010年9月9日 (木) 02:47 (UTC)
- 無理という意味が分かりません。誰かが全角のかっこを使う可能性があるから意味が無いというのなら、誰かが独自研究を加筆する可能性があるから独自研究の禁止という方針には意味が無いし、誰かが出典のない記述を加筆する可能性があるから検証可能性の方針には意味が無いことになります。現状独自研究だらけ、検証可能性のない記述だらけかもしれないし、全部の記事で独自研究を排除して出典をつけるのは無理かもしれないけど、そういう状態を想定してそれに向かって進めていこう、ということで方針があるはずです。だから、半角のかっこを使いましょうという方針を定めることと、実際にうまく統一されていないことは矛盾しないはずです。そもそも、英数字は半角でということについてはほぼ浸透していて、全角で書かれたものがあると半角に直す人は多いわけですが、それでもまだまだたくさん全角の英数字は記事中に残っています。この表記ガイドで「英数字は半角」と定めてありますが、意味が無い規定なんでしょうか? かっこを半角と定めることと何か違うんでしょうか。
- どちらかに統一されると何か具体的な支障があるから、あるいはそもそも意味が違うものだから、というのなら反対されるのは分かりますが、無意味とか無理とかは理解できない反対理由です。「自分はやるつもりはないけど、やりたいならやれば。編集合戦とか揉め事を起こさないでね」くらいの話ではないのですか?--Tam0031 2010年9月9日 (木) 15:00 (UTC)
- あ。すみませんでした。理由を全然書いてなかったですね。無理というのは「過去たびたび統一に向けての合意形成を行った結果、統一するという合意形成は得られなかった」という事例を踏まえての「たぶん無理なんじゃないか」ということでした。過去の議論のポインタとしてどこを指し示すことが適切なのかはよくわかりませんが、例えばWikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ3#括弧類の全半角使い分けをやめたいあたりから過去のものを辿ってみてください。
- 先の発言は前半のことを書いたついでに後半のことも書いちゃいましたが、「統一のための合意形成」自体を否定するつもりはなかったのです。だから、そのように理解されてしまう発言には問題がありましたね。ごめんなさい。--iwaim 2010年9月9日 (木) 20:00 (UTC)
- そのリンク先をざっとですが読んでみました(過去ログすべてまでは目を通してません)。私が読んだ範囲ではそれほど強い反対というのはないように思われました。単に手続き的な問題とか、勢いの問題で誰か最後まできちっと議論をまとめる人がいなかったとか、その程度に思えます。「そんな議論は知らなかった、勝手に決めるな」と反対する人がいるのかもしれませんが、Wikipedia:お知らせで告知すれば十分ではないですかね。
- 半角と全角の混在することの問題点として、編集によって内容が変わるときのことを挙げたいと思います。現状、中が英数字のみのときは半角でくくることになっているわけです。たまたま、英数字のみではないものをくくるときには全角のかっこを使う慣習の人が、その通りに全角かっこを使って記述していたけれど、その後の編集でそのかっこ内から一部の文章を除去したために英数字のみが残った、という場合には、表記ガイド通りならば半角かっこを使わなければならないわけで、その時にいちいち修正するのか、ということになるわけです。
- それから、テンプレートについてどう考慮するかということがあります。記事名自体が外国語由来であるときは、私は冒頭の定義文章で原語表記を併記します。その際に{{Lang-en|Example}}と書くと、中は英数字だけなのですが、テンプレートが展開されて表示されるときには[[英語]]: Exampleになるわけです。これは今の基準だとどちらなのでしょう? 展開した後のことを考えて今のところ全角で書いていますが。全角でも半角でもよいを適用すれば、半角で統一すればよいということなのかもしれませんが。
- 私としては、特に使い分ける理由はないと思っているので、半角で統一でよいのではないかと思っています。しかし、他に何か明確な理由があるのであればそのほかの規定にも反対しません。ただ、どちらを使うべきかが明確に判定できるようなものにして欲しいです。--Tam0031 2010年9月10日 (金) 15:43 (UTC)
- 《どちらを使うべきかが明確に判定できるようなものにして欲しい》というのは私も同感です。このセクションでの流れは今のところ「付則を追加する?」というという方向になっているとは理解しているんですが、改めて統一に向けた議論を開始するのもいいんじゃないでしょうか。他人事のように書いていて申し訳ない気もしているんですが、私は前出のように「たぶん無理」と思っているので、統一に向けて頑張っていただくのは他の方々にお任せするつもりです。時間があって気が向けばコメントぐらいは入れるかもしれませんけれども。--iwaim 2010年9月11日 (土) 02:19 (UTC)
- 個人的にはいつか統一はしたいところですが、それが難しいなら目下のところは付則をつけておくという形で、統一については別途話し合っていくという形でいいと思っています(必要なら新しく話題を追加しますが、まずはこっちかなと)。具体的にどういう文言がいいのかは、ちょっとまだ考え中ですが・・。--Koon16000 2010年9月13日 (月) 13:25 (UTC)
- 申し訳ない。
- 付則への掲載にも反対します。ていうか、Koon16000さんは、これまでの議論の何をどのように真面目にお読みになり理解したのかというレベルでの疑問を抱いてしまいました。それって全面的に間違っているだろうと。--Nekosuki600 2010年9月13日 (月) 13:36 (UTC)
- コメント じゃあ、ややこしいので統一を目指す場合は新たなセクションを作成するということがいいですかね。付則については文面案よりも、どのような編集の際にどういうことをやるべきなのか/やらないべきなのかという話を検討する段階じゃないでしょうか? で、それについては私はコメント書いたと思うんだけど。--iwaim 2010年9月13日 (月) 13:45 (UTC)
- んー、私はこのあたりに思想的な話云々は無いと考えているので、そもそも話がかみ合ってない気がしているのですが(私からすれば「何難しく考えすぎちゃってるの?」っていう感じなんですよ。正直なところ)。少なくとも私はこの問題について形而上学的な問題点を見出せません(そしてこのあたりは、たとえやるとしてもここじゃないでしょ、っていう点でHatukanezumiさんと同意見)。
- 一応こっからが本題ですが。iwaimさんへ。基本的には統一を望んでいるというスタンスに変わりはないのですが、さすがにここでいまそれを開始して、また1年2年といまの状態が続くのは得策じゃないだろうと考えています。iwaimさんが聞いている「どのような編集の際にどういうことをやるべきなのか/やらないべきなのかという話を検討する」というのについては、私が問題と考えいるところは2010年9月9日 (木) 01:31 (UTC)に書いてある通りで、私は、Ks aka 98さんのいうところの「へぼな作業」が(悪意無く)行われてしまう今の状態は、何とかしたいと思っているわけですね。ですので、私としてはそういった作業に釘をさす付則を、と思っているわけです。で、iwaimさんが言うとおりこのあたりを検討したいところなのですが・・・ねぇ。記事ごとに統一しておいてほしい、っていう点にも意見の差はあるでしょうし、私みたいに、そういったへぼな作業が行われてしまったときに直すための根拠がほしい、と思っている人も他にいるかもしれませんし。--Koon16000 2010年9月13日 (月) 14:25 (UTC)
- 《私は、Ks aka 98さんのいうところの「へぼな作業」が(悪意無く)行われてしまう今の状態は、何とかしたいと思っているわけですね。ですので、私としてはそういった作業に釘をさす付則を、と思っているわけです。で、iwaimさんが言うとおりこのあたりを検討したいところなのですが・・・ねぇ》ということであるならば、私は「雑草取り的な人だけに制約をかけるのは難しい」という意見を述べたと思っているんですけども、それについてコメントいただけますでしょうか? --iwaim 2010年9月13日 (月) 14:36 (UTC)
- ◆んーと、Koon16000 さんが言う「へぼな作業」というのは、節内だけの統一とか、「表記ガイド#丸括弧・波括弧・角括弧」の規定から外れた統一みたいなもんってことでいいんでしょうか。Koon16000 さんにとって「統一されているものをわざわざ崩す」ように見えても、「表記ガイド#丸括弧・波括弧・角括弧」で一意的に統一されていない範囲で、記事全体をその人なりの統一に変換するようなものは、「へぼな作業」に含まない。
- それなら、「付則」で「雑草取り的な人だけに制約をかける」のはできるんじゃないかな。「括弧のみの変換をする場合は、記事全体を「表記ガイド#丸括弧・波括弧・角括弧」に沿った範囲内で行うこと」とか、そういうことでいいんですよね。--Ks aka 98 2010年9月13日 (月) 18:22 (UTC)
- 《私は、Ks aka 98さんのいうところの「へぼな作業」が(悪意無く)行われてしまう今の状態は、何とかしたいと思っているわけですね。ですので、私としてはそういった作業に釘をさす付則を、と思っているわけです。で、iwaimさんが言うとおりこのあたりを検討したいところなのですが・・・ねぇ》ということであるならば、私は「雑草取り的な人だけに制約をかけるのは難しい」という意見を述べたと思っているんですけども、それについてコメントいただけますでしょうか? --iwaim 2010年9月13日 (月) 14:36 (UTC)
- ◆思想的な話がないと思っているのなら、それはそれで思想信条の自由として尊重しますが、しかしそれは「気づいていないだけ」であると思います。思想的対立がある案件につき、それに気づかないまま、あたかも簡単に決することができるものででもあるかのように誤解をして提案をされるのは、率直なところ迷惑です。--Nekosuki600 2010年9月15日 (水) 18:23 (UTC)
(インデント戻します)Ks aka 98さんへ。だいたいそんなところです。個人的にはその人なりの、という部分については今一つ想定しにくいのですが(たとえば基本的には半角+全角で、英数半角がほとんどの脚注とかで例外的に半角で統一するとかはあるかもしれないですが、そういうことなのでしょうか?)。iwaimさんへですが、付則で「雑草取り的な人だけに」制約をかけることは可能だと思っています。Ks aka 98さんの案でもたぶんできると思いますが、雑草取りに限定しない場合でも、たとえば「括弧の使い分けについては可能な限り記事全体で(なんらかの形に)統一すること」というような形にすることも可能だと思います。逆説的になりますが、括弧を統一することも「雑草取りの一つ」と規定することもできるとは思うんですよね(そのさいにどっちに直されるかは別として。雑草取りの方針として規定されていれば、それが「雑草取り的な人だけに制約をかける」ことの裏返しにもなるはずです)。wikipediaのスタンスとして「統一しては崩れ、というのが繰り返されるのも、wikiならでは。」ということになるわけですから、「崩すな」というよりは「統一しよう」という風な流れのほうが建設的だとは思うんですよね(もちろん、この議論の発端は前者の意識からではあるのですが)。--Koon16000 2010年9月16日 (木) 08:36 (UTC)内容修正--Koon16000 2010年9月16日 (木) 08:42 (UTC)
- 括弧内に漢字があろうがなかろうが、ほぼ半角で統一されている記事を、漢字があるものだけは全角に変える、みたいなのを想定しています。全部半角の Koon16000 さんは、半角に統一すればいいのにと思うかもしれないけど、文書上認められているので、「その人」が全角に統一することは妨げられない。全部半角で統一されている記事を、漢字があるものだけは全角に変える、というのは、異論があるものの強行とも考えられるので、ちょっと微妙だと思うけど。
- 「括弧の使い分けについては可能な限り記事全体で(なんらかの形に)統一すること」というのは、統一をあまり気にかけていない人へのプレッシャーになるのが、個人的には嫌なんですね。統一は二の次で、まず気軽に書いてくれ、ということにしたい。統一ってなによめんどくさい、と思う人もいるわけです。Koon16000 さんみたいに決まってるんなら合わせますよ、という人ばかりではない。
- その文面だと、そういう人に、文書にそう書いてあるんだからと言って、統一を強要する人も出てきそうだと思う。可能なのに、していない、と。そうじゃなくて、知識と執筆意欲を持つあなたは書いてください、私たちが用語用字の統一とかウィキファイとかについては、修正しますから、そこはそういうこととして許して下さいね、というのが、「草取り」だと思うんですよ。もちろん、程度の問題はあって、「強ち」とかはひらく、たとえばシングルとアルバムを区別させるために違うカッコをあてているとかいう場合は使い分ける、などは、どんな執筆者に対しても求められることだと思うけれど。--Ks aka 98 2010年9月16日 (木) 12:54 (UTC)
- コメント まず、加筆者と比べて雑草取りを貶めるつもりはないけども、誰でもやる気があればできる「雑草取り」よりはともかくとして、もしかしたらその人が書かなければ今後数年スパンでその加筆がなされることはない「加筆者」を逃すことは非常にもったいないと思っています。で、《たとえば「括弧の使い分けについては可能な限り記事全体で(なんらかの形に)統一すること」というような形にすることも可能だと思います》については、「加筆者」に対してその制約を与えることで加筆を面倒にさせることはしたくないし、何よりも加筆した人に『なるべく統一しろとあるじゃないか馬鹿野郎』というように (直接罵倒するか真綿で首を絞めるのかはともかくとして) 非難するような発言がなされ、「加筆者」が離れていくことを懸念しています。また、非難はなくとも、Ks aka 98さんが仰っているように、プレッシャーになるのも避けるべきでしょう。
- 《Ks aka 98さんの案でもたぶんできると思いますが》については私もできると思う。しかし、屋上屋を架すようなものだと思うし、何よりもKoon16000さんが当初仰っていた《正直、括弧だけポンと直されれば私としては結構不愉快ですし》ということに対する解決にはならんと思う。それを踏まえた上でKs aka 98さんが仰っていたような付則をつけるのであれば、反対はしないけども。--iwaim 2010年9月16日 (木) 15:52 (UTC)
- ◆てゆーか。
- このレベルで「基準」を示すことにメリットが感じられないんですよ。「くだらない編集合戦をすんなよな」で済む話のためにわざわざ新たな基準を作ってどうしようというのだろう、みたいな感じ。そうでなくてもWikipediaのルールはわかりにくいんだから、更にネストを掘り下げるようなルールを作るのはやめておきませんか。--Nekosuki600 2010年9月16日 (木) 16:06 (UTC)
- (ここ3週間ばかり忙しくて返答できませんでした。申し訳ない)うーん、Ks aka 98さんの言っていることはわかるんですが、個人的には程度の問題としてあったほうがいいとも思ってもいます。もちろん、本質的にはどっちかに統一されてれば、後腐れなくて楽なのですが。プレッシャーという部分については、結局のところ付則やらガイドラインやらがあってもなくてもやっちゃう人はやっちゃうと思うので、そんなに強いプレッシャーになるのかな?というのが正直なところです。場合によっては付則の頭に(草取りの方へ)とでもしておくのもありだとは思うんですよね(まあこれはこれであれな気もしていますが)。iwaimさんが言っているように、正直付則をつけたところで私の不快感が完全になくなるわけでもないと思っています。しかし、本質的には統一されていないことが問題なわけで、一時しのぎにはなるかなとも思ってます(へぼな調整が為されたときにガイドラインを盾に戻せる分だけ楽)。見方によっては、こちらに付則をつけるのではなく、Wikipedia:雑草とりのほうに注意喚起的な一文を載せるのもありでしょう。
- 以下蛇足ですが・・個人的には、wikipediaの加筆者離れは、ルールが複雑というよりもiwaimさんがある程度指摘しているような「一部の高圧的な参加者」の害悪が大きいなと思っているんですよね。誰とは言いませんが。もっとも、もうそれであらかた離れちゃってるので、これ以上離れようがないとも思ってるわけではあるのですが。--Koon16000 2010年10月4日 (月) 04:32 (UTC)
コメント同じ書物内で表記が揺れた書物を読者は信頼するだろうか?おそらく内容についてしっかり吟味されていないと判断するでしょう。それが世間の感覚だと思います。執筆者が逃げていくから統一しないというのは読者に無関係な勝手な理屈でしかなく過度に考慮すべきではありません。したがってできるところは統一へ向けて知恵を絞るべきと思います。--みや1229 2010年9月17日 (金) 12:27 (UTC)
- 別セクションを作ってやってください。--iwaim 2010年9月17日 (金) 12:53 (UTC)