Wikipedia:コメント依頼/ルプ 20130501

数多くの問題となる行為を指摘できる利用者:ルプ会話 / 投稿記録 / 記録さんですが、今回は、1点だけに絞ってコメント依頼します。

これまでの経緯[編集]

被依頼者(利用者:ルプ会話 / 投稿記録 / 記録さん)は、2013年4月30日01:20 から 01:57 にかけ、突然、何の予告も無く、9つのも多数の乃木坂46メンバー個人の記事にて、「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません(参照:WP:BLP」と主張し、タレント公式サイトを含む公式な出典を一斉に除去する、という編集を強行[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]し、その最中に自身の会話ページや各々の記事の「要約」欄にて複数回、「除去の手を止め、井戸端なり、どこか適切な場所で、コミュニティーの判断や他の編集者の見解を仰いで下さい。」と求められた[10] [11]のにも関わらず、それを無視して「所属組織は、伝記本人ではありません。他人です。」などと強弁してリバートまで強行 [12] [13] [14] [15]しました。

同じタイミングで他の2名の編集者も介入し、被依頼者の編集を取り消した[16] [17] [18] [19]ことなどもあり、やっと一連の除去の手が止まりました。

すると24時間後(2013年5月1日01:37)に、今度は、やはり10記事もの多数の乃木坂46メンバー個人の記事を一斉にWikipedia:削除依頼/特筆性のない乃木坂46メンバーに出す、という行動を起こしました。

前者の「一斉除去」(9記事)と後者の「一斉削除依頼」(10記事)とは、微妙に対象となる記事が変化していますが、その内、川後陽菜ノート / 履歴 / ログ / リンク元能條愛未ノート / 履歴 / ログ / リンク元大和里菜ノート / 履歴 / ログ / リンク元の3記事は、両者に該当しています。

また、後者の10記事の内、若月佑美ノート / 履歴 / ログ / リンク元については、初版が作成された当初から、被依頼者も自ら、単なる出典の除去や差し戻しなどに留まらず、大幅な加筆も、そしてノートにおける延々とした議論も、かなりガッツリと参加して来ている記事であり、のみならず、2度までも、記事を保護に追い込む編集合戦にまで関与していますし、また、過去にWikipedia:削除依頼/若月佑美を提起(利用者名を変更していますが同一の利用者です)しながら1名の賛同すらも得られなかった、というプロセスまで経ています。

それを今更「特筆性なし」と主張して削除依頼に出した、というのが被依頼者(利用者:ルプ会話 / 投稿記録 / 記録さん)による現時点までの経緯です。--のぎ会話2013年5月2日 (木) 03:28 (UTC)[返信]

依頼者コメント[編集]

このように、過去に、出典の除去や差し戻し、或いは、大幅な加筆やノートでの議論、という記事の実質的な編集に参加して特筆性ある有意な記事であるかのように振る舞っていたのに、その記事で自分の編集が他の複数の編集者によって差し戻された直後に、その同じ記事について「特筆性なし」と主張して削除依頼を提起する、などということ自体が、いわゆる「禁反言」に該当するのでは、という観点から、被依頼者(利用者:ルプ会話 / 投稿記録 / 記録さん)の行動についてコメントを賜りたいです。

Wikipediaは、多数の編集者が相互に協力・信頼し合いながら編集して行く、という根本的な精神・理念をベースにしているときに、ある記事に出典の除去や差し戻し、大幅な加筆やノートでの議論という実質的な編集で参加していた編集者については、通常、その編集者を信頼するなら、そのような実質的な編集を実施した時点で、その編集者が少なくとも記事としての特筆性を認めた上で編集に参加している、という前提で見られるはずであり、それを後になって「特筆性なし」と主張して削除依頼を提起する、などということは、よもや通常なら想定され得ないであろう、編集者における相互の信頼を裏切る行為なのでは、ということです。

よろしくお願い致します。--のぎ会話2013年5月2日 (木) 03:28 (UTC)[返信]

被依頼者コメント[編集]

私が「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」(WP:BLPSOURCES) という方針をもとに伝記本人のものでないブログの情報を除去した理由は、以下の通りです。

信頼できる情報源 (WP:RS) には「自己公表された情報源または疑問のある情報源は、特に公表者自身についての記事中において、公表者自身についての情報源として利用できます」(WP:SELFSOURCE) と記してあります。これは「自己公表された情報源であるブログは公表者自身の記事中では使える」という意味です。そして「個人のウェブサイトが二次資料として使えず、一次資料としては細心の注意をしているときだけ使え」(WP:SELFSOURCE) るとあり、その際「第三者に関する主張を含んでいないこと」(WP:SELFSOURCE) 等の条件を満たす必要がある、と記されています。

存命人物の伝記 (WP:BLP) によれば、「存命人物の伝記において、もし間違っていたら中傷となりうる断定・決めつけは情報源の裏づけが必要です。信頼できる情報源のない伝記は、独自研究で検証不可能なため、名誉毀損につながりかねません」(WP:BLPSOURCES) と警告されており、「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」(WP:BLPSOURCES) と記されています。

しかし、自主公表された情報源の使用には一つの抜け道があります。それは信頼できる情報源 (WP:RS) の中にある「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。いくつかの事例では、こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて、偽名や仮名ではなく自身の名前で公表しているかぎり、情報源として受け入れられるかもしれません」(WP:RS) という一文です。この一文を「専門家が書いたブログであれば第三者(存命人物)に関する主張を含んでいても情報源として使用してよい」と解釈する方がいます。

けれども、英語版ウィキペディアを確認しますと「Self-published information should never be used as a source about a living person, even if the author is a well-known professional researcher or writer;」(en:WP:UGC) と記されています。すなわち「たとえ著者が有名なプロの研究者または記者であるとしても、自己公表された情報が存命人物についての情報源として決して使用されてはならない」(en:WP:UGC) と記されています。この説明によって「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」(WP:BLPSOURCES) という条文は、匿名のブログであろうが実名のブログであろうが他人のブログの情報は存命人物についての情報源として決して使用されてはならない、ということの意味であると解釈できます。そして、この解釈は「自己公表された情報源または疑問のある情報源は、特に公表者自身についての記事中において、公表者自身についての情報源として利用できます」(WP:SELFSOURCE) という条文とも矛盾しません。

これによって芸能事務所の情報が使用できなくなるということはありません。なぜなら、自己公表された情報源であっても「場合によっては信頼できる情報の提供元となります。たとえば、ウェブサイトやブログで、とくに信頼できる情報源と結びついている場合です。あるいは、大学の学科のブログは単なる個人用ブログではなく、学科の総体としての情報源とみなすべきです」(WP:RS) と記されているからです。たとえば、芸能事務所のウェブサイトに掲載されている芸能人の公式プロフィールがその芸能人の公式ブログと結びついている場合、その芸能事務所のウェブサイトに掲載されている芸能人の公式プロフィールは信頼できる情報源である、と考えられます。つまり、芸能事務所の情報は、特筆性を判断するときに必要になる「対象とは無関係な信頼できる情報源」(WP:GNG) ではないが「信頼できる情報源」ではある、と考えられます。もちろん、芸能事務所のすべての情報が信頼できる情報源ではありません。しかし、信頼できる情報源(伝記本人)と直接結びついている情報であれば、たとえウェブサイトであっても信頼できる情報源であるとみなせるかもしれません。このような議論を経ると、伝記本人のものでないブログの情報は一次資料として使用できる自己公表された情報源ではないと解せるのです。--ルプ会話2013年5月17日 (金) 07:56 (UTC)[返信]

第三者コメント[編集]

コメント 一連の「乃木坂闘争」を見ていて思うのは、依頼者、被依頼者ともにウィキペディアのルールを難しく考えすぎではないかなという事と、お互いに少し落ち着いた方がいいのではないかという事です。ウィキペディアでは条文解釈を巡る細かい論争(俗に「法律家ごっこ」と呼ばれます)はあまり意味がありません。結局この世界、ルールなんてあってないようなものだからです。ウィキペディアでは自らの「正しいルール」に従って周りを動かすのではなく、互いの「意見」を擦りあわせて折り合いを付けられればよい訳です。「正しい」というのは厄介な言葉で、あまり前面に出しすぎると収拾が付かなくなります。上げた拳を下すところがなくなるからです。大体、いちウェブサイトのルールの重箱をつついて「エストッペル」やら「査読」やら「資料批判」やら、馬鹿馬鹿しいとは思いませんか?要は基本的なルールのもと、きちんとした記事が書ければよいのです(ルールを軽視している訳ではありませんよ。詳しくはWikipedia:ルールすべてを無視しなさいを参照)。
また、今回のような「闘争」は参加者を確実にむしばんでいきます。編集合戦のあとに活動を停止する方はよく見ますし、「闘争」の結果投稿ブロックされる事もよくあります。ただでさえ執筆者が少ない中で、執筆者を1人もしくは2人失うことはウィキペディアの望む結果ではありません。
こういった場合には「しょうがねえなあ」という発想が重要です。まずは差し戻す前に数日の間を置いたり、相手の意見で酌める部分は酌んでみるなど、お互いに反応を緩やかにしてみればどうでしょうか。あるいは乃木坂46関連の編集からしばらく離れて、他の分野の編集に取り組むのもよいでしょう。そうしていれば、自然と落ち着くところに落ち着くものです。Wikipedia:論争の解決も参照されるとよいでしょう。--Nissy-KITAQ会話2013年5月2日 (木) 10:14 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼の主旨に対しては、すでに各所で指摘されていますが「禁反言」と見做すことはできません。相手の行動をあまりに大げさにとらえてはいけません。Wikipedia:善意にとるを念頭に、相手が思い直した程度の捉え方をしたほうが心理的負担も軽くすむでしょう。また、ここから先はコメント依頼の主題と離れますが、依頼者が一々関わってくる被依頼者に対して不信感を持つことは理解できます。私自身もその身になれば気が滅入るでしょう。ですが現状、傍目から見れば編集合戦を繰り返し、ノートページや削除依頼で言い争う姿は双方ともに等しく好ましい姿ではありません。このケースで自分の方がマシだとか、このコメント依頼のように無理筋な非難を加えたり、自らの正当性を強く訴えることは逆効果となっています。正直申しまして、日々感情的になっていくのぎさんを非常に心配しています。その心情から申し上げますが、Wikipediaは長期的なプロジェクトなので、そんなにすぐにどうにかしようと頑張る必要はありません。Nissy-KITAQさんのおっしゃるとおり、もっとのんびりとしたスタンスでことにあたってください。相手を排除しよう、やりこめようとすると無用なトラブルを自分自身に招いてしまいます。--Sikemoku会話2013年5月2日 (木) 10:47 (UTC)[返信]
  • コメント 私には「禁反言」という言葉に逃げて対立者を排除しようとしているように思えます。3箇所で新たな議論を起こしたり、太字だらけの依頼者コメントを見るに、依頼者は冷静さを欠いているようです。もう少し落ち着かれてみてはいかがでしょうか。こういう問題が起きた場合、たいていはどちらか一方ではなく、双方に何らかの問題があるものです。別の記事ノートでも申し上げましたが、のぎさんの周辺で編集合戦などの問題が起きているのは、のぎさん自身の編集姿勢にも何らかの問題があると見るべきでしょう。--Wolf359borg会話2013年5月2日 (木) 13:15 (UTC)[返信]

依頼者まとめ[編集]