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Wikipedia:コメント依頼/横見

利用者:横見さんのこれまでの行為について、皆様のコメントをお願い致します。--machine_gun会話2012年5月26日 (土) 18:01 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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発端は加藤隼戦闘隊において、私がこの編集を行い、要出典を付けたこと、及び黒江保彦氏の「隼戦闘機隊-かえらざる撃墜王-」内から引用された記述を削除した点に対して、私と横見さんの間で議論となったものです。この議論過程において、

  1. 方針が適用すれば記事が破壊されるから適用は誤りだ、とする方針を適用除外する言動
  2. 度々の攻撃的な言動
  3. 対立点が残っているにもかかわらず議論を一方的に打ち切る議論進行

という以下に詳述する行動がありました。

私はこれらの行為はいくら考えてもWikipediaの基本的な指針に反する行為であり、改められないならばブロックの対象とすべき行為と考えておりますが、皆様はどうお考えか聞きたく思い、ここにコメント依頼させて頂きました。

詳細

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方針の適用除外

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[1][2]にあるように、方針を適用したら記事が真実ではなくなる、と主張され、[3]においてそうであったとしてもやむを得ないと公式方針に書かれていることを示されても、最終的には[4][5]において、『ルールに基づいておかしな記事ができれば、そのルールの適用があやまりとなります』、『Machine gunさんはルールに基づいた記事を書かせたいし、私は事実を記事にしたい、とのスタンスの違い』と方針不理解/不同意の主張されています。

攻撃的な言動

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個人的な疑問を独自研究の禁止というパブリックな問題にすりかえて [6]』『いやらしい [7]』『Machine gunさんは投稿の技法への個人の不満を、投稿内容の真実性に代えて書いています [8]』『好みによる編集 [9]』『思い付きだけで適当に(同)』というような誹謗中傷する言動を繰り返されております。それに対して[10]や、[11]Wikipedia:個人攻撃をしないに反する行為であることを指摘されても『やり方がいやらしいと書いているのですけど。あなたの人格がいやらしいとは書いていない筈ですが。はて? [12]』というような反応をしたり、黙殺したり、あるいは『Machine gunさんの名誉感情についてこの場で云々するのはやめて下さい。この場でそれを要求することはできません [13]』というような主張をされております。

また、これ以外にも[14]において、わざわざ苦情であることを念押ししたり、『以後同様の行為は少なくとも当方には慎んで頂「け」ますようお願い致します。この「き」と「け」の違いわかってます?[15])』という挑発的な言動を取られたり、或いは『知らないことに仮に興味があっても手を出さないように [16]』と他者への敬意を欠く言動を取られたり、と攻撃的な言動があります。

議論進行

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このそう長くはない議論のうちで、2度([17][18])に渡って一方的に終了宣言をされた上、その後は一切の主張を受け付けない(1度目はその後の投稿なし、2度目は[19])、という対応をされており、対話拒否と言うべきものです。

なお、2度目の一方的な議論打ち切りに関して、『対立している記事がすでにない』というのは、横見さんご自身が投稿の際のコメントで『ノートで議論してください [20]』と提起しながら、そのわずか1時間半後に一切の議論もなく、関連箇所を全て削除した[21]ものです。

参考リンク

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被依頼者のコメント

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これ[22] だけ互いに意見を交換すれば十分かと…。皆様のご意見にゆだねたいと思います。--横見会話2012年5月31日 (木) 13:11 (UTC)[返信]

問題の根本

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私は依頼者の要求に全て応じています。しかし、今度は私の態度が気に入らないから、投稿ブロックを要求というのが彼の本当の主張だと思います。

ウィキペディアのルールは正確な記事の作成のためにあるはずです。当方は問題となった部分に関して[23]など、出典によって正確な記事をつくる様努力しています。

今回、私が依頼者の要出典の範囲が不正(エラー)であると指摘したことにはじまります。

  • 問題となっていた(過去の記事)「加藤隼戦闘隊歌」は、「元飛行第5連隊の加藤建夫部隊の田中林平が、64戦隊昇格と同時に加藤中隊長転出し、その後64戦隊に加藤少将が隊長に再度就任する以前に作曲した、出典のない、投稿記事についての話です。
  • 「64戦隊に加藤少将が隊長に再度就任する以前に田中林平が作曲した」という出典のない記述と、「黒江保彦大尉が作詞した(出典のあるがおそらく誤り)」の2つの記述でできた記事を、私が「要出典」といれる代わりに(私の異説は出典があるが、本説にはないから「要出典」をつけると、削除理由になりマズイと思った)、「成立時期により歌詞の内容の示すものが違う」「感状の数は一般的な意味と実際の数があり、歌詞にうたわれた数はどちらかわからない」という趣旨を書いたところ、依頼者が「独自研究」であり規約に反した記述であると指摘しました。
  • そして、独自研究と著作権侵害を理由として、出典のない部分に出典があるかのように編集してしまった上、独自研究への「要出典」として出典要請をしました。
  • ところが、その要出典の範囲は、独自研究の削除にはよくても、もし削除すれば、記事全体から見ると出典のある事実と違うおかしな記事になるものでした。
  • そこで、依頼者に敬意を払い、私の書いていない指摘された要出典範囲と、それの反論となるルール上は削除の必要のない、被依頼者の書いた「事実でなと思われるが、事実とされる、検証可能な記述」もバランスの上から削除しました(出典がとりあえずあるので私にしか消せないだろうとの配慮)。
  • すると、依頼者は当該箇所は独自研究であり削除すべきという合意が形成された、という理解でいいんでしょうか?と尋ねてきました。
  • それに対しては、独自研究への合意ではない。出典のない記述の削除である。と答え、依頼者に対して「出典のある異説を範囲外にすると、正論が全て削除され、要出典のない異説だけが残って、結果として記事が誤りになる」から、出典範囲は異常(エラー)だと書いたところ、当方のクレームに納得できず、記事訂正後に延々議論への参加を要求してきました。
  • ところが、記事は既に訂正されており、しかも記事作成と直接関係のないルールの話や、侮辱されたから謝罪しろなどへと話がそれていったので、これ以上記事作成上に無益だし、
>私としては困惑こそすれ、何ら誤った行動をしたとは思っておりません。もしこの点について、machine_gunの言行は誤っている、と思われるなら、私もこれ以上二人で言い合っても仕方がないと思いますので、どうぞコメント依頼して下さい。--machine_gun(会話) 2012年5月4日 (金) 03:53 (UTC)と書いてありましたので、
  • 「二人で言い合っても仕方ない」のには当方も同意であるし、他の投稿者に不快感をもたらすだけだから
>既に記事が訂正されている以上、独自研究につい云々する必要はなくなっている筈です。あなたの独自研究への要求はすべて満たされているはずですから。--横見(会話) 2012年5月6日 (日) 16:24 (UTC)
と、依頼者の疑問にだけ答えて議論は当方より打ち切りました。
  • しかし、依頼者はそれでは全く納得できず、記事の作成とは無関係に被依頼者の考え方がルール違反であるとして、「投稿ブロックを要求するべきだ」と、今回の依頼になっています。

--横見会話2012年6月2日 (土) 09:38 (UTC)[返信]

依頼者の投稿態度

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machine_gunさんは他者に出典をもとめながら、自らは出典にもとづかない書き込みをしています。

一例ですが、ごく直近の編集を見ても荒木村重でこの[24]、出典に基づかない編集をしています。これは一見正しい、あるいは普通の編集にも見えますが、戦国時代の常識として多くの武将達が朝廷や将軍家からの除目などを受けず勝手な自称をしていたという常識があります。これを「受領名」とまでするには、相応の出典が必要ですがそれはありません。

また、machine_gunさんが出典を要請した、荒木村重の妻の「たし(だしと書く場合もある)」は戦国有数の美人といわれていますが、「細川ガラシャ」同様文章の中では便宜上は「荒木だし」と言っているようです。ここでもmachine_gunさんは「夫婦別性が常識なのに同姓の表記なのか?キリスト教徒だからか?」と自らの勝手な推察による疑問から要出典を入れています。出典要求は自由かもしれませんが、依頼者の要出典の書き方だと、閲覧される記事の上では「だし」の名自体が出典のない記述になってしまいます。記事を見た人は「だし」が妻というのは、あやしいんだろうか?と思うでしょう。私は、このようなmachine_gunさんがよくやる、「見える部分」で記事の内容への信頼性をぐらつかせる要出典の表示は「よろしくない」と考えています。これと同じ理論だと、細川ガラシャはどうなんだ?と明智ガラシャなのか?という疑問まで出るでしょう。こういう疑問はまず自ら調べ、答えが見つからなければ、先にノートで意見をつのるべきだと私は思います。気になれば、Wikipedia:検証可能性により、むしろ荒木を削るべきではないでしょうか(不十分でも間違いではないから)?もっとも歌碑などもあり[25]、簡単に検索できるはずなのですが…。

第64戦隊歌についても当初machine_gunさんのこれと同様な安易な要出典について、当方が苦言を呈した(当方のは範囲でしたが)のが紛争の発端です。

依頼者Machine gunさんはWikipedia:コメント依頼/Arawodas,Machine gun,Yasumiでも同様の横車を押しています。また、ここで被依頼者としてのコメントをしていません。余計な争いを避ける目的でブレイクしたら「対話拒否」と自身が告発しているのにです。 --横見会話2012年7月1日 (日) 05:10 (UTC)[返信]

多重アカウントの疑い

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machine_gunさんはこれまでにも、多重アカウントによる攪乱行為を[26]疑われています。今回通りがかりにこのページに投稿したかに見える利用者:生田学生集会さんの投稿履歴[27]をみると、

2012年6月24日 (日) 07:59 (差分 | 履歴) . . (+14)‎ . . m 石母田達 ‎ (→‎来歴)
2012年6月24日 (日) 07:58 (差分 | 履歴) . . (+384)‎ . . Wikipedia:コメント依頼/横見 ‎ (→‎コメント)
2012年6月24日 (日) 07:54 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . m 加藤隼戦闘隊 ‎ (→‎映画『加藤隼戦闘隊』) (最新)
2012年6月24日 (日) 07:50 (差分 | 履歴) . . (+8)‎ . . m 藤原延子 ‎ (最新)
2012年6月24日 (日) 07:48 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 藤原元子 ‎ (最新)
2012年6月24日 (日) 07:38 (差分 | 履歴) . . (+22)‎ . . もんじゅ君 ‎

加藤隼戦闘隊からの通りがかりに見えますが、コメント依頼には数分滞在しているだけで、双方の意見を読むわけでもなくあっという間に意見を書いて消えています。しかも、この利用者:生田学生集会氏は、[28]や、[29]や、 [30]で、machine_gunさんが要出典のタグをはりつけ、生田学生集会さんが消去するということを繰り返しています。この2つのアカウントは脈絡のない形で出会い関連性のない項目で、極めて類似性の強い投稿を一日に三度行っており、それらが偶然である確立は極めて小さく、ソック・パペットでなくてもミート・パペットの疑いはぬぐえないところです。

生田学生集会さんが、machine_gunさんのソック・パペットの客観的な理由の一つとして、赤松政秀のこの[31]履歴があります。

(最新 | 前) 2012年3月6日 (火) 11:23‎ 8-hachiro (会話 | 投稿記録)‎ m . . (10,702バイト) (+31)‎ . . (取り消し)
(最新 | 前) 2012年2月4日 (土) 08:31‎ 生田学生集会 (会話 | 投稿記録)‎ . . (10,671バイト) (-147)‎ . . (取り消し)
(最新 | 前) 2011年12月23日 (金) 16:02‎ Bakira (会話 | 投稿記録)‎ . . (10,818バイト) (-126)‎ . . (取り消し)
(最新 | 前) 2011年12月22日 (木) 14:34‎ Machine gun (会話 | 投稿記録)‎ . . (10,944バイト) (+156)‎ . . (→‎西播磨の実力者) (取り消し)
(最新 | 前) 2011年11月26日 (土) 05:53‎ Seibuabina (会話 | 投稿記録)‎ . . (10,788バイト) (+40)‎ . . (取り消し)

2011年12月22日 (木) 14:34‎、ここ[32]で、machine_gunさんが先ず要出典のタグを貼りました。すると、Bakira氏が2011年12月23日 (金) 16:02‎ 、ここ[33]でmachine_gunさんのタグを消去します。よってこの時点では、記事の上では要出典のタグなどは何もありません。ところが、どのようにして関知したのか生田学生集会さんは、まったく通りすがりに2012年2月4日 (土) 08:31‎、ここ[34]でmachine_gunさんの指定した要出典範囲だけを綺麗に削除し、よそへ行ってしまっています[35]。投稿時間はたったの2分。この2分で見つけ出して、変更して、投稿しているのです。このようなことが出来るのは、事前にその場所に消去すべき文字列のあったことを知っている場合以外にはないでしょう。

また、machine_gunさんが立ち上げたスペインのサッカー選手マルティ・リベロラ・バタレル選手[36]や、 それ程日本での知名度が高いともいえないスペインのサッカー2部リーグセグンダ・ディビシオン[37]でも、 デビットカード[38]、 その他で同一の項目への投稿があります。 これが偶然なら、その確率はさらに低くなると思います。

その他

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1.方針が適用すれば記事が破壊されるから適用は誤りだ、とする方針を適用除外する言動

当方にそのような言動はないと思います。直ちに、独自研究と指摘されたところを書き直しています。それにも係らず、改編を知ってからも延々苦情をいいたてています。
また、「依頼者の指定している範囲では、そのままルールを適用すれば、依頼者が指定した範囲が不正なため記事が壊れる。」
と書いたのを、なぜか、短絡的に「ルールを適用があやまりだ」と書いていると歪曲しているのである。
しかも、指摘を受けて「独自研究」の部分を改善したのにである。さらに、それも改編せずに半年置いとくべきところだという。
これだけでも依頼者の無理筋が見えては来ないだろうか?
当方はルールにのっとった、事情をしらない第三者が、知らずにルールを適用した場合、いいかげんな要出典範囲では記事が不正確になると書いているのである。
これについて依頼者はやむをえないといいい、私はさけるべきだと書いている。
>そして、[39][40]において、『ルールに基づいておかしな記事ができれば、そのルールの適用があやまりとなります』、『Machine gunさんはルールに基づいた記事を書かせたいし、私は事実を記事にしたい、とのスタンスの違い』と方針不理解/不同意の主張されています。
これなど歪曲の良い例で、自らの説に有利な途中稿をわざわざ表示し、しかも肝心の文章の焦点をわざとずらした表示です。
再度書きます。当方は依頼者の要出典の範囲指定では、出典のない有力説を消し、出典のある異説を残すから問題だと書いています。
また、著作権侵害に当たるから削除するとすることには逆らわないが、その内容を消去することによって、出典のない部分にまるで出典があるかのような表記にするのは、
問題であることを付記します。
また、Machine gunさんは気付いていなかったと思いますが、曲の調の違いが三番か四番か、主音の違いなど、当方には「一つの曲か?複数の何か把握していない曲があるのか?」などの疑問もあっての「独自研究の記述」だったわけですが、それらも完全無視の範囲指定の投稿でした。もしMachine gunさんがこれらについて突っ込んできていれば、話は別の方向へ進んでいたでしょう。

2.敬意のない発言は依頼者の方が先でしょう。>成立時期によって歌詞の意味を云々することは独自研究に近い状態であると感じますので、この点の出典をお願い致します。

と書いています。
そもそも、「云々する」は否定的な場合に使用される言葉です。広辞苑によれば「とやかく言う」です。また「感じる」とは、感想や印象をもつという程度です。つまり、Machine gunさんの記載は「意味をとやかく言うのは独自研究であると私が印象をもったので、出典を書いてください(でないと範囲内を消すよ)。」というものです。
これは、Machine gunさん的に解釈すれば、相手を見下した敬意を払わない態度になると思います。
何故なら、Machine gunさんの印象によって他者は動くべきだ、と書いてるのと同じです。もし注意書きを入れるなら、後にMachine gunさんが後に釈明したように、「成立時期によって歌詞の意味が変わることを出典なく論じるのは独自研究であるので(そのことを論じている)出典を求めます」と書くべきだったでしょう。
あるいは、その旨を自分が他の人に推奨するように、ノートに一言加えるべきではなかったでしょうか。
だから、Machine gunさんの書き方は曖昧だと書いたまでです。
そもそも、64戦隊歌の問題となるべき範囲すべてに出典をもとめているならともかく、出典の内容を著作権侵害として消したため、出典範囲を消去すると出典と対立する事実までが出典の範囲であるかのような記述になる範囲指定をしたうえ、記事を要出典の範囲で消去すれば歪な記事になると批判したまでです。
このMachine gunさんが行なった行為について、批判をすることに問題はありません。
それを受けて、Machine gunさんは釈明しましたから、それだけなら、その時点で終了したでしょう。
しかし釈明後に、「この話題を酒席の肴にしてワアワアしたい」等と不真面目な発言をしています(人の命で紡がれた歴史なのだからこういう態度は私には無理です)。
また、>「知られていないところでもう1枚感状があった可能性がある」なども、司令部もレコードの発売まで無傷で存続した64戦隊にはあり得ない話であり、問題の箇所を真っ赤な「ウソ話」と同一レベルにした不真面目な応答を行なっています。
これらを平然と書いた後で、当方の投稿内容をなじり、>Wikipedia:個人攻撃はしないにも反する行為ですので、以後慎んで頂きますようお願い致します。と締めくくっているわけです。
しかし当方は、彼の態度も善意(悪意のない過失)にとり、「行為を批判することと、行為者の人格を非難することは別である。当方はMachine gunさんの人格を非難も批判もしていない」と書いたのです。なぜなら、個人攻撃とは、他の人の発言内容についてではなく、人格について否定的な発言をすることだからです。
しかし、>「馬鹿な行為だ」というのは、行為者を馬鹿と言っているのと同じことです。と決め付け、自分の理論で相手から侮辱されたと主張をしてきました。これは「賢人でも過ちはするし、過ちをする者全てが愚鈍であるとはかぎらない」の道理がわからない人と考えるしかありあません。
当方は「Machine gunさんの行為は正確な記事を作るうえでの妨げになりかねない」とお話をしているのですが、Machine gunさんには、私が何を書いても「Machine gunさんは悪い投稿者」と読めるようです。

3.

ノートでの議論は、事典になんと書くかが焦点であり、その項目に関係の薄い一般的な話題は、議論が拡散し合意が得られにくくなるので、ブレイクしたのです。「馬鹿な行為で」ではなく「いろいろ影響のでてくる行為で、結局誰かがそれを直さないといけない」とさらに書くひつようはなかったでしょう。何故なら既に暫定的に直してしまっていたから。しかし、Machine gunさんには、これが黙殺に見えたようです。
もし問題があるなら、
>当方からの苦情はこれで終了です。以後同様の行為は少なくとも当方には慎んで頂「け」ますようお願い致します。この「き」と「け」の違いわかってます?とMachine gunさんの言葉を「より謙譲的なことば」にして、最後につけたことくらいでしょう。

--横見会話2012年6月3日 (日) 07:05 (UTC)[返信]

コメント

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  • コメント - 問題となっている記事の内容に関しては、私は何も知りませんが、議事進行上、被依頼者さんの言動・行動は問題が多いと思われます。とくに、「一方的な議論打ち切り」「攻撃的な言動」「方針への不同意表明」の三点は、ウィキペディアのルールに照らしても、かなり問題だと思います。私が議論の当事者であれば、ひょっとすると「コミュニティを疲弊させるユーザー」という理由で即投稿ブロック依頼を提出する可能性があるようなケースです。また、当該記事のノートを見ていて思ったのですが、依頼者さん、被依頼者さんの双方とも、議論をする際に、一度の投稿量が多いためか、論点がブレている、あるいは相手の投稿に対して読み違えが生じているような雰囲気を感じます。記事上において解決すべき問題点を、(被依頼者さんの問題行動と切り離して)再度箇条書きなどで整理し、現在放置されている問題点が、ウィキペディアのルールに照らしてどのように違反しているものなのか、再確認が必要と思われます。ついでに申し上げるならば、「一対一」での意見交換が限界に達し、破綻を来したケースであると思われますので、今からでも遅くありませんから、記事そのものの議論活性化のコメント依頼を出されてはいかがでしょうか?--Rienzi会話2012年6月1日 (金) 16:06 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者の方におかれましては、冷静にそして正面から議論をしてほしいと思います。中途半端にして次の論点にいけば、周りからみてもコメントしにくいです。--生田学生集会会話2012年6月24日 (日) 07:58 (UTC)[返信]
  • コメント さすがに議論全部は追い切れませんし把握できませんので、少々メタなお話で、失礼します。横見さんへのご提言とご理解下さい。基本的に、出典の無い記述は何であれ、行なってはいけません。もちろん独自研究や情報の独自解釈・分析・合成もいけません。出典は要求されて付けるものではありません。加筆時に、全ての情報について、明確で権威ある出典を付けるべきで、議論の余地はほぼありません。ウィキペディアは事実であるかではなく検証可能であるかを重視します。これはウィキペディアの基本的なルールであり、結論はシンプルです(余程の場合以外例外は認められないでしょう)。
    • 権威と信頼ある出典があるが、怪しい記述についてですが、これはこの情報を怪しいとする、検証可能で権威と信頼ある批判があるのであれば、併記しておいてください。「○○はそう言っているが、××はこの説を否定している」で、良いです。ウィキペディア編集者は建前上全員名無しの素人ですので、各論の真否を能動的に判定しては絶対にいけません。結論なんてつけなくていいんです。どちらを主な論としどちらを異論とするか、それとも対等であるのかは、文献を積み重ねて判定してください。文献に則らない議論は不毛です。旧論を否定して新論を導入すべき所もあれば、旧論新論をそうと断って併記しておくことが良い場合もあるでしょう。戦時中と復興期と高度成長期と平成の時代でもののとらえ方が変わってくるのは当然のことです。色々な視点があるのであれば、色々な視点から書いて下さい。
    • 検証可能な批判が出てこないが非常に怪しく、そのまま残しておくと読者にミスリードを与えるおそれがある場合には、検証不可能な論で補填するなどと言う方向性ではなく、客観的に書く事でそれを回避して下さい。すなわち、「カラスは白い[1]」としてあればまずいのであれば、「これらカラスについて、山田太郎はほとんどが白であったとした[1]」としてください。以上につきましては、ウィキペディア全体でほぼこの様に運用がなされているはずです。Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:言葉を濁さないもどうぞ。
    • 当面未完成でも、検証可能性を満たし中立的でありミスリードを誘発しないかたちであれば、余り気にしないで下さい。ただし、検証可能性は検証可能性でしかありません。検証可能性を満たせば完成、と言うわけではありません。やっとスタートラインです。
    • 要出典は独断ではがして良い場合は、あまりありません[41]。その記述について議論中であることを閲覧者に示し、ノートに呼び込む効果もあります。これでは議論拒否と見なされてもやむを得ません。議論による合意形成までの間、それを示す為に貼り付けて置いてください。1週間や1ヶ月、要出典が付いていたとしても、単に気分の問題であるだけで、大した実害も無いでしょう。文献を積み重ねて執筆していれば議論なんて日常茶飯事ですので、要出典や独自研究テンプレートに不快感を抱かれる必要はありません。典拠に従って粛々と編集しているのであれば、粛々とした対応行なえば、多くはそれで済みます。この点は今後はくれぐれも慎重に対応してください。
    • 伝統的な記事ではよくあるのですが、巻末に文献を列挙して「この記述はこの10数冊のべ4000ページくらいのどこかに書いてあるはずですからどうぞ」と言う形式は、検証可能性の確保と言う観点上、全く好ましくありません。事実上検証不可能であるとの向きもございますでしょう。この様なケースの場合、何かの折に出典を付けて頂けると良いのですが、しかし古い記述を尊重するのは良いのですが、束縛される必要もありません。完全に検証可能なかたちで、より中立的である記事を仕上げることが出来るのであれば、節ごとリライトなさられても良いはずです。--Hman会話2012年6月29日 (金) 16:37 (UTC)[返信]

コメントに対する対話

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  • コメント 被依頼者より私の会話ページにお返事がありましたため[42]、こちらでご回答申し上げます。これはどういう意味でしょうか。要出典は出典を求めているのですから、横見さんが出典を付けられるのであれば、粛々と付けてください。それだけのことです。可能なら記述を求める側が出せば良いのです。誰も出せないのであれば、記述は行なわないことになります。・・・と、そう言ったお答えでよろしいのでしょうか。--Hman会話2012年6月29日 (金) 17:52 (UTC)[返信]
>これはどういう意味でしょうか?
「加藤隼戦闘隊」は陸軍隼戦闘機隊の加藤隊長の活躍をもとに昭和19年映画の歌として作られた。作詞は64戦隊黒江中尉である。というウソを事実として載せられる文献があると言う意味です。
問題の要点
問題の焦点はここだけです。
1)出典のあるところでは「カラスは白い[1]」となってしまうので、被依頼者が「これらカラスについて、ある人が見たところでは白[1]であった可能性がある。」としたところ、
2)Machine gun氏は「ある人が見たところでは」は独自研究だ。「これらカラス {要出典|について、ある人が見たところで} は白[1]であった可能性がある」と要出典をはった。
3)ところが被依頼者が「山田太郎は白いカラスを見た」という文献があるから、「カラスが白くなる」それはマズイだろう。と言うと、
4)Machine gun氏は「それでいいんだ。」「自分は正しいんだ。」だから「被依頼人の態度や考え方は投稿ブロックだ」というのが依頼者のコメント依頼です。
> 要出典は独断ではがして良い場合は、あまりありません[43]
この場合は、適当なMachine gun氏の内心の興味でいい加減な範囲をMachine gun氏が指定して貼ったものだから「はがして良い場面」というより、範囲を変えても同じくおかしな記事になるので「はがさざるを得ない」場面です。
>「成立時期によって歌詞の意味を云々することは独自研究に近い状態であると感じますので、この点の出典をお願い致します。」については、
粕谷俊夫「加藤隼戦闘隊の最後」二見書房 p32~33があります。ここで著者は「七度と歌われてるのは正しくない」作詞の最初は三度だったが時期により、七度、九度と変わる。加藤部隊長は直接は六度、そして「「加藤隼戦闘隊の歌」なら七度が正しい。」(なぜかは意味深長で、この予言のような歌は一式戦と共に成長したからだと思うのですが)というのがあります。ところで、出典を出すと依頼者の要出典範囲では、あり得ないほど小さい「加藤一式戦時代の歌詞」の可能性の一つが、まるでそれが正しいことのように見えてしまい、これでは記事破壊でしょう。それを最初から言っているんですが…。
つまり、出典による私の不正確な記事では、64戦隊歌なら誤りだが「加藤一式戦戦闘隊」なら七度だと粕谷氏は述べているところから、出典をあげて独自研究の指摘を否定すると、ウソ記事となり、しかもそれが正しくみえるからダメといっているのです。
そこで「カラスは黒い[2]」と記事を変更したのすが、後々まで「自分は正しい」「議論を続けろ」「コメント依頼」と言い続けているのです。この記事での私の文章は非常に不味いものであることは認めます。またそれが原因だといわれればそうだと思います。--横見会話2012年6月29日 (金) 23:48 (UTC)[返信]
(1).「ある人」がどこのどなたなのか、少なくともその説がどの文献に掲載されているのかは、必ず明記してください。この点は議論の余地は無い。絶対に明記してください。粕谷俊夫文献がそれであるなら必ず明記してください。必ずです。明記する気がないなら除去してください。もちろん、粕谷文献と同じ内容で書いて下さい(コピペという意味ではありません)。独自の解釈はできるだけ加えない。
(2).明記していないので、ある人に要出典を貼られた。仕方ないです。腕ずくではがしたりしないでください。Machine gun氏は要出典と言うかたちで議論を提議しました。議論範囲も要出典タグで告知済みです。せっかく範囲を第三者に明確に示しているのに、それをわざわざ剥がすこと、これは議論妨害ではないのですか(それとも最初から議論などする気は無いのでしょうか?)。お慎み下さい。そして、一定期間出典を示せなければその記述は除去されてもやむを得ません。ウィキペディアでは、論説・評価・推理的な筆致でものごとを書く時は特に、強力な権威に裏打ちされた出典が必要です。誰が言っているかわからないものや、匿名のAさんの言説は掲載してはいけないのです。論説等はどこかの研究家がそれを唱えている必要があり、ウィキペディアはそれを紹介するだけです。
(3).それでいいです。「山田太郎さんがカラスが白いと言った」と書けばいいです。言葉を濁さずに、事実のまま。今回なら「粕谷によれば・・・」などと頭に付けるのでしょうか。
ここまではウィキペディアのルール上、こうして頂くのが基本です。これらについては原則的にお守り頂かねば、方針無理解(この場合はルールを理解できないと言う意味ではなく、ルールに従う気がない)と見なされてもやむを得ないです。横見さんのご感想やご見解、ご研究成果などは、横見さんの責任で、どこか他の所で、個人でご発表ください(私もそうしています)。ウィキペディアでは、出典付きの論を引っ張ってくる以上のことはしてはいけません。
もし山田さんの意見をあなたが間違っていると感じているなら、他の方の正しい意見も出典を明記しつつ併記することで、世の中には色々な説があると示してください。どれが正しいかは、さし当たり、読者が選びます。またこのレベルの題材でしたら、句点ごとに出典を挿入するくらいの勢いで記事を書いて下さい。ウィキペディア編集者は文献の僕です。私も先日如意ヶ嶽と言うある意味このレベルの題材の記事を書いてみましたが、最低でもこのくらいは、文献で裏打ちするものです。物書きや研究家の方にはしっくりこないかたちでしょうが、ウィキペディアはそういうものです(低レベルと思われるのであれば、それはそれで正しいです。恐らく)。どうしても作文が難しいのであれば、Machine gun氏に慇懃に事情をお話しし、お二人で協力して、良いものをご作文ください。
・・・という感じでお願いします。ここまではMachine gun氏がどうこうは、あまり関係がありません。正直、このお答えで良いのか不安なくらいお話が錯綜しておりますが。この辺りに絞って、他の方からもコメントが寄せられると良いのですが。--Hman会話2012年6月30日 (土) 02:12 (UTC)[返信]
長文でのご返答を頂ありがとうございます。
(2)腕ずくのつもりはありません。>「一定期間出典を示せなければその記述は除去されてもやむを得ません」から、全く「しかたないです」だから被依頼者は削除したものです。これ以上の反論はHman氏への負担となるので控えます。--横見会話2012年7月1日 (日) 00:46 (UTC)[返信]


議論進行についてのコメント

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  • コメント 他の利用者の多重アカウント問題につきましては、別件扱いとすべきです。別途それについてのコメント依頼を立ち上げられてることを、お勧め致します。ここはあくまで、横見さんの言動・行動または編集方針の解釈に対するコメントを、募る所です。ただでさえ皆さんがコメントしにくくなってしまっておりますので、これ以上議論を拡散させると、結局収集がつかなくなり、これは横見さんの望むところではございませんでしょう(これは私がこれまでWPに関わって参りました経験上)。--Hman会話2012年6月30日 (土) 13:57 (UTC)[返信]
私からの依頼者に対する多重アカウントでのコメント依頼は「報復行動、あるいはコメント依頼の阻止行動だ」と反論されれば、取り下げざるを得ないので、控えることにしておきます。--横見会話2012年7月1日 (日) 00:55 (UTC)[返信]
コメント 依頼者です。この場はあくまで横見さんの言動3点について、第三者のコメントを求める場です。ですから、本来ならば私がコメントするのもテーマから逸脱するとして黙っていましたが議論進行についてコメントさせて頂きます。この場は上述の通り、横見さんの言動3点について、第三者のコメントを求める場なのだから、私の行動を批評するのはこのコメント依頼の趣旨にそぐわないものです。ですから、Hmanさんの仰る通り、多重アカウント疑惑は別の問題として扱うべきであると考えますし、同時に疑惑を提示された当事者として、きちんとした形でコメント依頼をするか、撤回と謝罪を求めます。それと、私の書いた「これまでの経緯」節の参考リンクに勝手に付け加えるのはやめて下さい。「これまでの経緯」節は依頼者が書いている節であることは明らかであり、そこに依頼者が提示していないリンクを加えるのは、一歩間違えたら発言改竄、少なくともマナー違反であることは確実です。コメントアウトしましたが自主的な改善を求めます。--machine_gun会話2012年6月30日 (土) 17:30 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:コメント依頼/横見に回答しています。申し出部分は既に消去してあります。--横見会話2012年7月1日 (日) 00:55 (UTC)[返信]

まとめ

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本議論中に私が、このコメント依頼中にHmanさんも検証可能性について説明して下さったのに、横見さんから最後まで方針に対する理解・同意の表明と、自論の撤回がなかったことは非常に残念に思います。

ご自身でも「私からの依頼者に対する多重アカウントでのコメント依頼は「報復行動、あるいはコメント依頼の阻止行動だ」と反論されれば、取り下げざるを得ないので、控えることにしておきます。」と根拠薄弱であることを自覚しながらの多重アカウント疑惑の提示、そしてWikipedia‐ノート:コメント依頼/横見において、「先ずは以前疑いを掛けられながら何の抗弁もしなかったWikipedia:コメント依頼/Machine gun他からおはじめください」と述べられていますが、「何の抗弁もしなかった」いう事実と異なること[44]を述べ、あまつさえ過去の合意形成をひっくり返そうとするのは議論撹乱と認識せざるを得ません。

申し訳ありませんが、Wikipedia:投稿ブロック依頼/横見において、ブロック依頼を提起させて頂きました。--machine_gun会話2012年7月1日 (日) 16:04 (UTC)[返信]