Wikipedia:コメント依頼/Dr jimmy 20100117
利用者:Dr jimmy(会話 / 投稿記録 / 記録)さんが標準名前空間で行っている編集の手法について、コメントを依頼します。—以上の署名の無いコメントは、Sergei semenovich(会話・履歴)さんによるものです。--超 2010年1月18日 (月) 13:37 (UTC)
依頼趣旨
[編集]被依頼者はこのところ、自分が不適切だと考える語句で検索をかけ、ヒットした項目から該当部分を除去、もしくは書き換えるという編集を大量に行っています。もちろん、こうした編集はウィキペディアの品質をより向上させようという意図で行っているのでしょうが、その善意を疑うことはできないにしても、この手法には看過することのできない問題点があると考えます。
まず一つはコミュニティのコンセンサスの軽視という問題です。ある記述が独自研究であるのかどうかというのは、それが意味する内容によって判断されるものであって、ある特定の語句を使用しているかどうかで判断するべきものではないはずです。文章表現の方法論についてはいろいろな考えを持つ利用者が参加している中で、ある特定の語句を狙い打ちにして一斉に削除するというのは、独自研究の改善というよりはむしろ、被依頼者の独断による言葉狩り、もしくは検閲行為に近いものになっているのではないでしょうか。本人の説明では「個々の記事について、出典があるかどうか、本当に必要な記述かどうか、削った場合にバランスを著しく崩すことが無いか、など考慮しながら編集は行っています」とのことなのですが、例えば2009年12月29日の04:00 (UTC) 過ぎにはわずか23分の間に22件もの編集を行っているのを見れば、この説明をそのまま信用する気にはなれません。
Wikipedia:大言壮語をしないとかWikipedia:避けたい言葉(草案)のような文書もありますが、こういった文書も例示してあるような言葉を用いることを一律に禁止したものではなく、またこうした表現を機械的に削除することを推奨しているものでもないはずです。まして、避けることが望ましいという事前の合意がない語句を被依頼者の独断で排除するというのは、コミュニティのコンセンサスを軽視した行為だと思います。
もう一つは正確性の問題です。十分な知識がないのに検索でたまたまヒットした項目で単なる草取り以上の編集をするという手法は、非常に誤りを誘発しやすいものです。実際に被依頼者の過去の編集には引用文や固有名詞を書き換えてしまったものがありました。ウィキペディアの項目には、アクティヴな利用者が継続的にメンテナンスをしているものもありますが、そうではないものも存在します。不適切な編集があった場合に気がついて戻す人がいる場合はいいのですが、項目によっては執筆した人がその後ウィキペディアから離れてしまっていて、内容が劣化した状態のまま誰にも気づかれずに放置されてしまう、ということも十分に起こり得ます。
これまで被依頼者は個別の指摘に対しては適切に対応してきました。しかし、誰かが誤りを発見する度にそれを指摘するという方法では、こうした手法自体に内在する問題点は解消されません。このことについて本人は「これまで以上に慎重に、誤りを無くすように編集の精度を高めていきたいと思っています」と説明していて、これはこのまま信用したいと考えていますし、そもそもミスというのは誰でもすることなので必ずしも責められることではありません。しかし、誰がやっても高い確率でミスを犯すことが予めわかっているような手法で大量の編集を行うというのは、許容されることではないと思います。
被依頼者のように大量かつ機械的に編集を行っているとなると、過去にどのような編集をしたかは本人でさえ把握できていないと思われます。なにしろ被依頼者は干刈あがたにおいて気づかずに同じ内容の編集を3度も行っていたということがあるくらいですから(利用者‐会話:Dr jimmy/過去ログ 20080401-20080930#改竄行為について参照)。こうなると被依頼者の編集の中に埋もれてしまった誤りが存在しないかどうかをコミュニティが合理的な手法によって確認することはもはや不可能です。実際のところ被依頼者の編集の中に私が懸念するような誤りがどの程度含まれているのかは全くわかりませんが、それを確かめることが事実上不可能になっているという時点で、それはすでに十分に望ましくない状態にあるといえると思います。
被依頼者の手法には以上のような問題点があると考えられますが、こうした手法で大量の編集を行うことは許容されるのでしょうか。それとも制限されるべきなのでしょうか。あるいは許容されるにしても何か注意しなければならない点などはあるのでしょうか。コミュニティのみなさまのご意見を募集致します。
参考リンク
[編集]- 利用者‐会話:Dr jimmy#最近の編集について、#ファンサイト、応援サイトの削除について
- Wikipedia:コメント依頼/Dr jimmy 20100109、ノート - 同じ趣旨でのコメント依頼を一週間ほど前に提出したのですが、依頼者の趣旨説明が非常に拙くて有益な議論に発展しそうになかったのでいったん終了させたものです。依頼者の無能力を示す失敗例として笑いのめす目的で参照するには有益かも知れません。
コメント
[編集]- コメント基本的には、被依頼者の会話ページ[1]で書いた通り。
- 参考リンクにある「ファンサイト、応援サイトの削除について」は、多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されている考慮すべきガイドラインとして、Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンク11.項では「記事の内容に直接関係がないサイト。たとえば、タレントの記事において、公式サイトは掲載すべき外部サイトですが、個人または複数のファンが私的に運用しているそのタレントについてのサイトへの外部リンクは、#掲載してよい外部リンクの第2項に当てはまらない限りにおいて、掲載すべきではありません。」とされているのですから、必要ならガイドラインのノートかプロジェクトなどで公式ファンサイトは「掲載すべきでない」外部リンクではなく、掲載すべき、または掲載しうる外部リンクとするのがよいのではないでしょうか。
- 自分が不適切だと考える語句で検索をかけ、ヒットした項目から記事の修正を行なうことは、効率的で有益な編集手法だと思います。「誰がやっても高い確率でミスを犯す」わけではない。手法自体を否定するのは適切ではないでしょう。校正者の存在を否定するようなものです。ただし、記事中において、該当部分を除去、もしくは書き換えるという編集が適切ではないこともありますから、個々の記事について誤った編集をする可能性はありますし、高い確率でミスを犯す編集者は、使うべきではない。
- Dr jimmyさんの作業精度は、万全とは言い難いとしても、指摘された際の対応やその後の改善という点では、ある程度信頼しても良いと思いました。ただ、ひとつひとつの記事で、足を止めて考えてみる時間をもう少し作った方が良いと思います。2008年7月の「干刈あがた」のような場合は、差し戻されたところで、自分が誤っている可能性を探ることができたと思います。
- 他方、記事に、作業ミスが生じるだけの理由があるという事例もあるかと思います。執筆者側も、不快なところはあるでしょうが、ウィキペディア全体の記事をブラッシュアップしようとしている利用者の編集や意見から、方針への適応や文章表現力などを改善させる機会を得ることにも繋がるのですから、冷静に意見交換をして、ウィキペディア全体の発展に結びつけていただきたいと思います。--Ks aka 98 2010年1月17日 (日) 15:54 (UTC)
- コメント Kubouと申します。コメントさせていただきます。被依頼者は語句修正等のブラッシュアップや主観的な記述内容についての修正など精力的に活動されていると思います。その編集方針(検索による類似事項同時編集)については問題ないと思いますが、精力的過ぎるが故に問題となる投稿が(絶対量として)見つかりやすくなるのではないかと思います。また、編集内容の意図が分かりづらい(語句の誤用など)場合もあり、被依頼者のノートページでも議論となることもあるようです。なお、こうした手法による編集については許容できると考えますが、このようなガイドラインもありますし、もう少し要約欄に記入していただくことで、無用な議論を避けやすくなるのではないかと思います(同種の編集を大量に行なう場合でもコピー&ペーストであまり手間はかからないと思います)。--Kubou 2010年1月19日 (火) 12:00 (UTC)
- Kubouさんの意見に一部同調します。柀依頼者はもっと要約部分を付けることを心がけるべきだと思います。精力的に活動していることは分かりますが、いちいち差分を取らないと何をやっているか分からないというのは「こんなに編集しているのに要約無いのは適当なのかな」と思えてしまうのです。せっかく方針に基づく編集が大事だと強調されているのに、そういう所で無頓着なのはもったいないな、と思います。--Route275 2010年1月20日 (水) 14:12 (UTC)
- コメント結局のところ、依頼者の論点って言うのはDr jimmy氏個人に返る問題というより、草取りと言う手段ついて論じられるべき物だと思います(文章を機械的に直す云々は、草取りを行っている人全般に言えることなので)。ただ、その中でDr jimmy氏は広範囲に活動して目立つから、今回のような事態に発展したのだと思います。その上で、検索機能を使って機械的に編集することはKs aka 98氏と同意見です。そもそも、ヒットしたら片っ端から編集しているというけど、実際にはヒットしても問題が無いと判断して見逃された奴も結構あると思うんですけどね。
- 過去にはWikipedia:井戸端/subj/「雑草取り」に抑制すべき過剰はないのかというような議論もありますし、私は返って面倒になると考えて即却下いたしましたが、逆に今回のような面倒な論争が起こるならば、Wikipedia:井戸端/subj/細かい修正についてで、提案されたみたいなプロジェクトの発足を考えてみるべきなのかもしれませんね。草取りを行う人のためのプロジェクトというか何と言うか--EULE 2010年1月23日 (土) 04:06 (UTC)
- コメント本件は、特定の利用者(被依頼者のこと)の行為というより、そういう手法について論じられるべきもの、とEULEさんが書かれています。私もそう思います。そして、別の方の編集に関して私自身が類似ケースに遭遇したと考えておりますので、こちらのコメント依頼を紹介させていただきましたとともに、その類似ケース(利用者‐会話:PALNAS#差し戻し実施報告)にリンクさせていただきます。もし類似ケースとお考えの方がいらっしゃいましたら、#参考リンク節への追加等、お願い致します。--NISYAN 2010年1月24日 (日) 10:24 (UTC)
- 興味深い事例のご紹介ありがとうございました。つきましては今後の議論場所についてノートでご相談したいので、ご意見をいただけましたら幸いです。--sergei 2010年1月24日 (日) 14:24 (UTC)
まとめ
[編集]被依頼者と同様の手法を用いる利用者の例が報告されたため、この話題をこれ以上ここで続けるのは適当でないと判断し、本件はこれで終了とします。以降の議論は新たに設けたWikipedia:井戸端/subj/機械的な編集についてにおいて行いたいと思います。
機械的な編集の是非についての結論は持ち越すことにしますが、被依頼者には要約欄に適切な記載をすることを心がけて欲しいという要望がありましたので、今後の活動においてこの点に留意していただきたいと思います。コメントして下さいましたみなさまに感謝します。--sergei 2010年1月25日 (月) 15:46 (UTC)