Wikipedia:コメント依頼/Wiki ryon 20070609/UT:Miya
以下は利用者‐会話:Miya 2007-05-26T07:06:51よりサブページ化したものです。このページには新たな書き込みをしないでください。--miya 2007年6月16日 (土) 00:21 (UTC)[返信]
こんにちは、Miya 様。Maris stella です。ところで、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wiki ryon ですが、これは「依頼不備」あるいは「私怨依頼」/なブロック依頼/のように思えます。すでに述べましたが、「出典のない主張をする」ことはブロック依頼の対象ではありません。出典のない主張を繰り返し、編集合戦をもたらし、それが荒らし行為とまで判断されれば、ようやく問題になります。また「出典」については、Wiki ryon 氏は、「出典を必要としない文言」の記述の問題を指摘しているだけだと述べています。シュレーディンガーの猫のノート・ページでの議論を少し見た感想では、それが合っているようにも思えます(わたしは、量子力学は、ほとんど知りませんが、シッフの教科書で、或る程度学んだ経験があります)。
そもそも、問題行動とされているものが誇張されています。次に関連ページを示しますので確認して戴ければ幸いです。
- シュレの猫の記事の履歴 : 2007年1月24日 (水) 15:37 が最初の編集。以降約26編集。
- シュレの猫のノートの履歴 : 2006年10月22日 (日) 08:08 が最初の発言。以降約125発言(数え間違いあり)。
- 道具主義の記事の履歴 : 編集なし。ほとんどがWas a bee氏の編集。
- 道具主義のノートの履歴 : 2007年3月10日 (土) 17:34 が最初の発言。以降約31発言。議論相手は、Was a bee氏。
- 科学的実在論の記事の履歴 : 2007年4月26日 (木) 09:18 が最初の編集。以降4編集。競合相手は Was a bee 氏。
- 科学的実在論のノートの履歴 : 2007年3月10日 (土) 17:32 が最初の発言。以降9発言。議論相手は、Was a bee氏。
- オッカムの剃刀の記事の履歴 : 2007年4月30日 (月) 10:28 が最初の編集。以降9編集。
- オッカムの剃刀のノートの履歴 : 2007年4月13日 (金) 08:38 が最初の発言。以降約40発言。議論相手は、Was a bee氏。
以上の最初の発言・編集日時や、発言・編集数は集計が間違っている可能性もあるので、リンク先で確認して戴くとして、これ以外に「ブロック依頼」の理由がありません。利用者会話ページでの議論や、コメント依頼での議論は副次的なもので、コメント依頼を見た印象では、特に問題のある発言をしているとも思えません。
ブロック依頼の理由として三つが挙げられ、その第三は:
- 対話による改善の見込みの無さ。-半年以上にわたり、数多くの人物を巻き込み、何度も方針に対する理解を深めるよう促されてきたが、何一つ改善が見られない。(強調 Maris stella)
以上のように記されていますが、このような「事実はない」と言えます。四つの記事での争い以外に、他の場所でも問題行動があったのか提示されたいと、削除依頼の場で述べましたが、提示されていません。ということは他はないと言えます。そして、上の履歴から言えることは、「半年以上」などという事実はないということです。シュレーディンガーの猫のノートでの実質的な議論開始は、「2006年11月26日 (日) 01:11」の Was a bee 氏の発言以降からです。ブロック依頼は、「2007年5月21日 (月) 07:50 (UTC)」に提出されています。しかし、これだと、5月26日を過ぎて初めて「半年」であり、その他の議論も編集も、今年の3月から4月であり、しかも最初の発言、最初の編集の時期を見ると、いきなり編集したのではなく、問題をかの人なりに提起して議論した後で編集していますし、道具主義に至っては何の編集も行っていません。
また、「数多くの人物を巻き込み」とか書いていますが、実質的に議論したのは、Was a bee 氏で、他に、「シュレーデンガーの猫」のノートの議論に、User:Kwansai 氏と User:Kakannkann が加わっているだけです。、User:Kwansai 氏はオッカムの剃刀のノートの議論でも4発言ほどしていますが、それ以上関係していません。ノートの履歴を見る限り、議論していたのは、Was a bee 氏であって、Kwansai 氏も「シュレーディンガの猫」ではかなり議論しましたが、これが「数多くの人物を巻き込み」になるのかということです。
現在、User:Kwansai 氏は「半年から1年のブロック」などと云っていますが、これは「私怨」/主観的印象/に基づく賛成票だと言えます。またこのブロック依頼自体が、Was a bee 氏の私怨/個人的な思い入れ/に基づくブロック依頼に思えます。ブロック理由を三つ挙げていますが、最後の第三は上述した通り、履歴を見れば明白に分かる通り「虚偽」です。最初の二つの理由も、主観的な理由で、「第三の理由」が事実であった場合に説得性を持ちます。そもそも、問題になっているのは、ただ一つの記事で、そこで半年近くの議論があったということだけです。理論物理学関係の記事多数に、根拠のない主張のもと、編集を行い、多数の人から批判され、編集合戦となり記事が保護に至ったとか、または暴言を述べたり、荒らしを行ったりというような事実は、少なくともブロック依頼者から提示されていません。
User:Wiki ryon 氏は「履歴を見てほしい」とブロック依頼の場で訴えています。わたしは、ざっとですが、コメント依頼や当の記事での争いを見てみた結果、ブロック依頼そのものがおかしいという判断をしました。しかし、あのような場では、上で調べたような実際の履歴を見ればはっきりと嘘だと分かるブロック依頼理由に、多くの人が、よく確認もせずに賛同するということがあるので、Wiki ryon 氏には自制を求めたのです。Miya さんも、誤解されていると思います。そもそも、「虚偽の理由」の上に提起されたブロック依頼はそれ自体が不備であり無効とも言えるでしょう。Was a bee 氏の「半年以上にわたり、数多くの人物を巻き込み」という主張を、吟味もせずに鵜呑みにしているとしか思えません。
なお、念の為、Wiki ryon 氏の全履歴は500に満たないのであり(Wiki ryon履歴)、このなかで、理論物理学に関係する発言・編集は、ノート:量子力学、ノート:コペンハーゲン解釈、重ね合わせ、ノート:重ね合わせ、ノート:二重スリット実験、ノート:観測問題、エヴェレットの多世界解釈、ノート:エヴェレットの多世界解釈 ぐらいしかなく、こう書くと多数あるように見えますが、ノート:重ね合わせで18発言している以外は、1、2回、時に3回の発言・編集であり、大した活動はしていません。「ノート:重ね合わせ」の履歴を見ても、議論に関係しているのは、User:Yhr氏ぐらいしかいません。「数多くの人物を巻き込み」という主張が、この点からも虚偽になります。
ブロックは懲罰や報復の為にあるのではなく、特に「コミュニティを消耗させる」という理由は、非常に慎重に扱う必要があります。Wiki ryon 氏の立場に立てば、ブロック依頼や、その依頼理由には、まったく納得できないという心理は、上の調査結果からすれば明らかだと思えます。「ノート:重ね合わせ」の議論も考えても、これは、「2006年10月22日 (日) 08:05」に Wiki ryon 氏が発言して、実際に議論が始まるのは、Yhr 氏の「2006年11月25日 (土) 17:40」のコメントからです。これも「半年以上」とは言えません。「延々と多数の発言をしたのは事実だ」とわたしは指摘したことに対し、Wiki ryon 氏は、これを事実と認めているのですから、ウィキブレーク後は、このような行動も改善されることとわたしは考えています。何にしても、自分が納得できないので、意見を一つあるいは二つの記事のノートで長く述べたというのが、半年や一年のブロックに当たるのかということです(他の三つは、要するに、Was a bee 氏との議論です)。
以上、わたしの疑問を述べさせて戴きました。Miya 氏が、履歴を確認されて、どういう判断をされるかは、Miya 氏の自由です。長文で失礼しました。
ただ、この文章は、ブロック依頼の場では書けない、「事実関係」の検証です。--Maris stella 2007年5月24日 (木) 09:06 (UTC) /(「私怨」云々は不適切な表現でした。お詫びします。訂正線で訂正し、/ /のあいだに訂正文を追加させて戴きました。--Maris stella 2007年5月24日 (木) 18:04 (UTC)[返信]
- Maris stellaさん、こんにちは。
- 私も、あの投稿ブロック依頼はちょっと問題なきにしもあらずだと思います。周りの人たちも頭に血が上ってる状態で、冷静に判断できるとは思えません。いつものUser:Kwansai 氏はもうちょっと沈着冷静な方だという印象を持ってるんですけどね。
- それでも「(量子力学分野と科学哲学分野での活動停止3年間)」と書いたのは、「ド素人」という「自称」がかえって謙虚さを欠くように感じられたからです。また 本当に 「ド素人」なら手を出すなとも。もしかしたら「素人」レベルを超えた知識をお持ちかもしれませんが、いくら知識がおありでも、そういう人間関係のままで協同作業が出来るものではありません。なので、その分野から3年間は遠ざかっていてほしい、と思ったのです。
- とりあえず、上記コメントをWikipedia:コメント依頼/Wiki_ryonのほうに書いていただけますか?--miya 2007年5月24日 (木) 09:23 (UTC)[返信]
- 上では書きませんでしたが、ノート:経路積分でも実は発言しています。この記事は、Wiki ryon 氏が疑問を投げた当時、どういう形だったのか確認していませんが、いずれにしても、この記事について質問を出すこと、それに対し「古典的な発想だ」という批判に対し、「過去の記事について述べている」という返答からすると、量子力学の基本的な知識は持っている方です。ウィキペディアは百科事典である訳で、数学事典や物理学事典ではないはずです。しかし、この経路積分の記事を見ても分かるように、これでは、理論物理学を大学学部で学んだ以上の人でないと何のことか意味不明です。無論、学問は段階になっていて、古典力学でさえ、高校水準では微分方程式で説明しますが、解析力学になると、理論的には同じですが、ラグランジュアンなどを使います。見かけはまったく違うものになります。しかし、何か手引きとなるような説明も必要ではないかと思います。Wiki ryon 氏のような意見は、「素人が何を言うか」という風に見られるのですが、専門でない人から疑問などが提示されているので、実は貴重な意見とも言えるのです。「ド素人」という自称は、「敢えて意見を述べたい」という意志表示だと理解しています。--Maris stella 2007年5月24日 (木) 10:05 (UTC)[返信]
- miya様、Maris stella 様、確かに、私のコメント依頼・ブロック依頼を通しての発言はwikiryon氏のその他の分野での貢献を軽視したものでありました。自分では、私怨によって賛成票を投じたわけではないと思っております(できれば、氏の情熱を鑑みて復帰後に期待している部分が少なからずある)が、第三者から見てそのように感じられると言うことは、どこかで冷静さを欠いていたのかもしれません。とりあえず、賛成票は取り下げます。--Kwansai 2007年5月24日 (木) 13:35 (UTC)[返信]
- Kwansaiさん、こんにちは。どちらも「私怨」とかではなくて「疲労困憊」という印象です。ここらで水入りがよろしいのではないかと。3年もたてば、件の方の知見も「学部レベル」から「院レベル」にアップしているかもしれませんし。--miya 2007年5月24日 (木) 16:04 (UTC)[返信]
はじめまして、User:Kwansai 様。こんにちは、Miya さん。Maris stellaです。また場所を勝手に使わせて戴きます。Kwansai さん、最近は何度も痛感や反省を行っている、まったく至りないものです。「私怨」というような刺激的で、決めつけのある表現は不適切だと反省しています。ただ、「コミュニティを疲弊させる」「周囲を消耗させる」というのは、余程のことでないと使ってはならないと個人的には考えています(安易に使用されますと、ブロック依頼合戦のようなことが生じかねません。また、幾らでも「消耗」の理由を作ることができます。例えば、わたしですと、「冗長な長文を議論の場で書き、他の利用者を消耗させるのでブロック」とか)。ともあれ、失礼な表現でしたので、訂正させて戴きました。--Maris stella 2007年5月24日 (木) 18:04 (UTC)[返信]
- 長文失礼します。Was a beeです。
- Maris氏、まずは綿密な調査ありがとうございます。色々な立場からの意見が提示される事は良い事ですが、しかしあまりに不思議なコメントが非常に多いですね。一面的にさらってそうした書き込みをされるなら、まあ全体を見てないなら仕方ないか、と思いますが、そこまで調べてその書き込みではMaris氏の中立性を疑わざるを得ません。その不思議な長文の全てに答えるだけの気力は今現在ありませんので細かい部分は割愛しますがポイントだけ答えさせていただきます。
- 「「出典」については、Wiki ryon 氏は、「出典を必要としない文言」の記述の問題を指摘しているだけだと述べています。シュレーディンガーの猫のノート・ページでの議論を少し見た感想では、それが合っているようにも思えます」
- 少なくとも今現在、私の記憶の中に、彼の出典拒否で妥当性があった例は何一つ思い出すことができません。彼は最後にはいつも「分別を持った大人なら誰でも容易に検証可能なことなので出典不要」「ちょっとした表現の違いでしかないので出典不要」などといって逃げを打ってきたのです。で、「それが合っているようにも思えます」ということですが、そのような例が一つでもあったでしょうか。ぜひその具体例を教えてください。
- 「四つの記事での争い以外に、他の場所でも問題行動があったのか提示されたいと、削除依頼の場で述べましたが、提示されていません。ということは他はないと言えます。」
- つまり四つであれば問題ない、という意味でしょうか。普通に考えて記事の点数を問題にするのは、軽微な行為を多数の記事に行なってる場合にむしろ問題となるのであって、その逆の事態を想定することが出来るとは思いもしませんでした。そういう考えなら、今後、四つ以下の記事を選び出し、そこで重点的に問題行動を起こしていさえすれば、何の迷惑行為とも勧化内、という意味だということでしょうか。
- 「また、「数多くの人物を巻き込み」とか書いていますが、実質的に議論したのは、Was a bee 氏で、他に、「シュレーデンガーの猫」のノートの議論に、User:Kwansai 氏と User:Kakannkann が加わっているだけです。、User:Kwansai 氏はオッカムの剃刀のノートの議論でも4発言ほどしていますが、それ以上関係していません。ノートの履歴を見る限り、議論していたのは、Was a bee 氏であって、Kwansai 氏も「シュレーディンガの猫」ではかなり議論しましたが、これが「数多くの人物を巻き込み」になるのかということです。」
- 一体どういう数え方をしてるんでしょうか。ryon氏の問題に関わった人間が、ウィキペディア上に3人しかいない、、という虚偽の印象を広げる事を目的にしてるのでしょうか? 編集を行なった人数、ノートにコメントを寄せた人数、双方の実数を履歴から数え上げてください。
- その下の部分に関してもあまりにいい加減な記述が多く、書きたいことは多くあるのですが、それほどのエネルギーがありませんので割愛します。以上、ノートページお借りしました。--Was a bee
- (追記) 言葉がきつくなっている部分もありますが、ここで論争をしようというつもりではありません。ただ、この依頼が不備である、といった考えだけはハッキリと否定しておかなければならない、という気持ちから強い口調となりました。このことを理解してもらうために、次のような例を考えてみてください。非常に簡単な例です。「私(Was a bee)が理解していない分野(例えば記事天使)に行き、ノートで議論を提起することを想像してみてください。この際、私は議論の根拠となるような出典は提示しません、また対象分野に関するリンクや文献を提示されてもちゃんとは読みこみません。また自分の持ってる対象分野に関する狭い知識の範囲内で納得できる回答が得られるまで、ノートでの議論を継続します。さらに具体的には以下のようなことを行ないます。まずノートに『このページに関する改定案を提示します。もし異論が無ければこの通りに編集します。』と記入します。なぜならこれを下敷きにすると、どんな編集も通せるようになるからです。つまり「3リバート・ルール」があるのだから、先に編集する側に立ってしまえば、それを差し戻す側の方が、必ず先に三回rvすることになります。なぜなら先にノートに改訂提案を出してるため、荒らしとしてカウントゼロでrvする事が難しいからです。わかりますでしょうか。つまりどんな出典なき主張であっても、ノートでそうした主張をする人間が現れたら、そうした人間を納得・得心させない限り、主張がの中に本文に記載されていくことになる、ということです。つまり記事を捨てるか、議論にいつまでも付き合うか、この二つにひとつしか選択肢がないわけです。こうした議論を記事天使について、これから半年間やり続ける覚悟はMaris氏にはありますでしょうか?そしてそもそもこうした人間の参入によって記事がよくなると思いますでしょうか?もしそう思うのであれば今すぐにでも早速やりましょう(これは記事一つですし、四つ以下です。)。しかしもしこうした事をおかしいと思うのであれば、依頼不備、という言葉も同様におかしい、ということをご理解ください。以上、こうした事態は今後も多く生じるあろう点を鑑み、大切な点だと思い、かせていただきました。--Was a bee 2007年5月24日 (木) 20:57 (UTC)[返信]
- こんにちわ。依頼を提出したWas a bee です。依頼を提出したものとして、現状における今回の依頼に対する気持ちを少し書いておこうかと思います。Wiki ryon氏は私の依頼を私怨だなどと書いていましたが、そうしたことは全くもってありません。状況が改善されさえすれば私はそれでいいのでありそれ以外の動機など一切ありません。むしろこうした面倒なことは一切かかわりたくない、関わっていたくない、というのが前からずっと変わらぬ私の気持ちです(対象者からの罵詈雑言はもとより、こうした関連ページに登場する「関連する書き込み」に対してもある程度 返答していかなければならない、という依頼者という立場、こうした一連の責任や厄介ごとが実に御免だ、というのが私の正直な所です。)。ですからmiya氏の仰ったような、自主的な分野別活動自粛、こうした自粛の宣言がもし聞ければ事態はすぐに収束するだろう、と私も思います。コメント依頼のページでもryon氏からそうした言質を取り付けようと頑張ったのですが、残念ながら答えがないままウィキブレークに入ってしまいました。ryon氏のブレーク直前の編集を見る限りでは今後、どうなるのか見通しが立たない、とも思うのですが、ryon氏の冷静な対応と、それによる事態の早期収束を望みます。
- ちなみに前々からずっと思っている事は、ユーザーの行動に何か変わって欲しいこと(そしてその本人が変えようとしない事)があったとき、ブロック以外に強制力をもった制度がないというのは非常に不便だ、ということです。もし結果に強制力をともなう調停依頼・裁定依頼といったものがあったのであれば、もっと早期にそうしたより穏当な依頼を利用して事態をなだらかに収束させていたでしょう。--Was a bee 2007年5月24日 (木) 20:23 (UTC)[返信]
こんにちは、User:Miya さん。些か失礼かとも思うのですが、上で「検証」を試みた延長として、シュレーディンガーの猫のノートにおける、Wiki ryon 氏の主張についてのわたしの理解するところと、その意味するところの吟味を記したく思います。形がまとまれば、別の場所にでも移動したくも思います。ここで書いてみたく思うのは、上で「検証」を記したこと、また、Miya さんが、Wiki ryon 氏を理論物理学についての「素人」だとどうも思いこんでおられるようなので、それに対する反証の意味も込めてです(3年間編集ブロックとかは、Wiki ryon氏がいかに明晰な思考を持ち、理論物理学のある局面把握で、冷静で明確な洞察を持っているのか、Miya さんには理解できないようにも思えるからです。
sect 1
[編集]まず、ノートの過去ログの「Was a bee 2007年1月21日 (日) 13:00 (UTC) 」までを読んだ感想です。ここまで読んでみて、最初、「哲学と科学」を安易に分離できるように主張している、Wiki ryon 氏の主張に対し、疑問を抱いていたのですが、少なくとも、この段階まで読んだ感想としては、わたしは、Wiki ryon 氏の述べていることが極めて明晰で、妥当だと判断します。同氏は、ここまでの主張と説明で、次のように述べているのです:
- シュレーディンガーの猫の問題は、量子力学における「観測における収縮」と呼ばれる事態は何であるかを中心主題としている。これが何であるか、諸説あるが、「収縮」の問題を可視的な日常的な「ネコ」の話に移すことで、「収縮」の持つ問題を明確に提示した。これが「シュレーディンガーの猫」の意味するところである。(註:これについては、シュレーディンガーがどういう「意図」であったのかは、何か出典が必要だと思います。しかし、この「猫問題」の本質は、「収縮とは何か」ということであるのは、明らかです。この点については、確かに、検証可能性はすでに満たされており、出典の必要はないと言えます)。
- 「収縮とは何か」というのは、実は「収縮は何故起こるのか」という問題になるのです。これについては、「2007年1月24日 (水) 15:42」に Wiki ryon 氏が全面的な改稿を行うまでは、記事の記述では、「様々な解釈」として、1)コペンハーゲン派の解釈、2)エヴェレット解釈、3)ファインマン解釈(経路積分による問題の解消)、4)量子デコヒーレンス、の四つがあげられていました。また「B.二重スリット実験との関連」という節があり、更に、「C.観測と決定」、「D.哲学との関係」などの節があったのです。Wiki ryon 氏はこれらをすべて削除しました。私見では、B は「シュレ猫問題」を単に別の例に参照させているだけで、不要とも言えます。C はまさにこれが「収縮」の問題で、しかし、これは A と重なっています。D はこの記事ではどうでもよく、あってもよいですが、その場合、これは「シュレ猫」の話ではなく、理論物理学全体の話と関係します。
- そこで、A の「様々な解釈」ですが、コペンハーゲン解釈は収縮が起こると云っているので、起こることは分かっているので、だから何かです。エヴェレット解釈では収縮は起こらないのですが、実際には観測世界では、収縮は起こっています。ファインマンは巧みに問題を解決したように見えますが、収縮はやはり起こります。量子デコヒーレンスは、答えの候補としての仮説です。しかし、これらは「シュレ猫」の話と関係があるというよりも、量子力学の解釈の話で、「シュレ猫」で述べる必要がないとも言えます。逆に、Wiki ryon 氏の主張では、「シュレ猫」で提起されている問題を誤解させる話だということになります。
- ここで、Was a bee 氏との議論が起こっているのですが、Was a bee 氏の主張は、例えば、「収縮に意識が関与している可能性がある」とチャーマーズは述べているとか、科学理論やその真理性の解釈には哲学が必要で、現代では、科学哲学がそれを扱うというものです。しかし、「シュレ猫」問題は、量子論で出てくる「収縮は何故起こるのか」という疑問を強調提示した話で、意識の問題はとりあえず関係がないのです。関係しているという仮説があるのは事実ですが、それは仮説で、Wiki ryon 氏は逆に、「意識が関係しているというのが科学的に検証されている」典拠を挙げてほしいと述べています。チャーマーズの本は、単に、こういう説があり、こういう説もあり、この説が有力だということしか書いていないはずです(答えが出ているのなら、その答えを書けばよいので、諸説があるということは、科学的には検証されていないということです)。
- ここで Wiki ryon 氏が主張しているのは、「収縮の事実」はすでに検証されて自明である(収縮の現象があるので、これを数学で表現したものが量子力学で、数式に変換したのはよいが、収縮とは何か、どうして起こるのかは、分かっていないのです。「シュレ猫」の思考実験は、収縮がなぜ起こるのかを強調提示した話だというのは事実で、確かに、Wiki ryon 氏の主張では、何も出典を出す必要がありません。量子力学という理論があり、この理論が科学理論として検証されているとのは事実で、収縮の存在も検証されています)。
ここまでがノートで読んだ範囲で、議論は別の人が加わって(私見では、Was a bee 氏では、Wiki ryon 氏の論理構成に太刀打ちできなかったと思えます)、4ヶ月続きますが、どういう議論なのか興味が起こります。なお、現在の版は、上の最初の Wiki ryon 氏の修正版を踏襲しています。現在「正確性」や「未検証」のテンプレートが貼られていますが、ノートでの議論を読んで、現在の把握に揺らぎが起こらない場合、これらのテンプレートは外してもよいのでは思います。正確性も未検証も問題はないからです(ただし、これはやはり素人であるわたしの私見で、実際はそうはしないとも思います)。--Maris stella 2007年5月25日 (金) 13:42 (UTC)[返信]
- 多面的な観点からご意見が提出されることは歓迎です。しかし、お願いですからちゃんと読んでから書くようにしてください。
- 『これについては、シュレーディンガーがどういう「意図」であったのかは、何か出典が必要だと思います。』すでに出典があると思いますが、どうでしょうか。
- チャーマーズは量子力学と意識が関係しているという主張を含め、量子力学の観測問題に対する様々なな見方を概説して整理しています。しかしノートにも書いてるように、チャーマーズは量子力学に意識が関係しているという見方はとっていませんし、私も同様にそうは考えていません。つまり私はこの見方(量子力学と意識が関係しているという見方)をサポートしてはいません。しかし、この考えは過去から現在まで、解釈問題に関わる有名な基本的立場の一つとしてしぶとく提起され続けてきたものであり、記事から排除する合理的な理由が何一つありません。(see also en:Consciousness causes collapse])
- 収縮が実際に起きている事が既に検証されている、という事の出典をお願いします。何度も言うように、それは非常に基本的なレベルの事実誤認です。「収縮という数学的操作を含む一連の計算を行なうことによって観測結果をキレイに予測できる」という点についてはコンセンサスは得られています。しかしその数学的操作に対応して、実際の世界で何がおきているか、という点に関してはコンセンサスはありません。(see also Collapse Theories 11. The Interpretation of the Theory, SEP)。この部分に関する紛糾が観測問題という名前で呼ばれ、物理学と哲学の双方で、今もしぶとく生き残っているわけです。(see also Arxiv ,search. PhilSci Archive、search.)--Was a bee 2007年5月26日 (土) 06:18 (UTC)[返信]
sect 2
[編集]さて、「Kakannkann 2007年2月3日 (土) 16:42 (UTC)」さんのところまで読みました。たいへん面白い話で、飛ばし読みしたのと、User:Kakannkann 氏の書き方には、非常に紛らわしいところがあるので、何を述べているのか追跡が困難という印象を受けます。「曖昧」というのは、相手の発言の一部を取り出して、それにコメントを加えるという形の議論法は、一回だけならよいのですが、これを何度も行うと、結局、何を述べたいのか、主張の焦点がぼけて来るというか、何かを述べるたびに、一々文章を取り出して、批判していると、結局、何を述べたいのかがよく分からなくなって来るということがあります。とまれ:
- Kakannkann さんは、「シュレーディンガーの猫」は、収束(収縮)問題を提示するために使われるのではなく、「生きた猫」と「死んだ猫」という二つの状態が「重なり」あって存在していることで、量子力学の「重ね合わせ」の奇妙さを巨視的レベルで示すところに意味、あるいは思考実験の目的があるという主張です。これはなるほどと思えます。「収縮」は至る所、色々な例で示せるが、猫の生死状態が重なっているという形で、「重ね合わせ」の奇妙さを提示するのが、この思考実験だというのは、非常に説得性を感じます。また「シュレの猫」は、そういう意図と趣旨の思考実験だという説明にしてもよいように思えます。
- 他方、上でも少し批判を書いていますが、Kakannkann 氏は結局何を主張されたいのか、Wiki ryon 氏に対し、おたくは素人で、まともにものを知らないと頭上から決めつけ、言葉尻を取っては、難癖を付けているような印象を受けます。主観的印象ですが、口調に「軽侮」を感じるというのがあります。量子デコヒーレンスを出して、「収束の問題はこれで、ほとんど解決している」と述べ、それに対し Wiki ryon 氏が、「解決していないはずだが」と述べると、「だから、<ほとんど>と述べました」というような返答を述べています。しかし、これは妥当な言説かという疑問があります。「解決していない」のなら何故「デコヒーレンス」に言及したのか疑問です。
- また、猫が箱のなかにいる、つまり「閉鎖系」であるというのが重要である。何故なら、閉鎖系でないと外部からの作用で収束が起こるからであると述べたのですが、これに対し Wiki ryon 氏は、「猫の体内の熱でも収束は起こる」趣旨反論したところ、「だから、猫の生死の状態の重ね合わせが奇妙だというのが、この思考実験のポイント」というような返答を述べたように思います。しかし、これでは話をみずから逸らしていることになります。Kakannkann 氏の述べていることは、まとまった論述ではなく、相手の発言を分割して、それぞれにレスを付けるという形式なので、まとまって何を述べているのかが分かりにくいということがあります。上に述べたことも印象で、もう一度読み返すと、違っている可能性があります。
現在のとりあえずの感想はこういう感じです。--Maris stella 2007年5月25日 (金) 16:24 (UTC)[返信]
- Miya氏、勝手に長文を書き連ねて申し訳ありません。ということで、Maris氏、当節はコメント依頼のほうに移動させませんか。--Was a bee 2007年5月26日 (土) 07:06 (UTC)[返信]
利用者‐会話:Miya 2007-05-26T07:06:51よりサブページ化。--miya 2007年6月16日 (土) 00:21 (UTC)[返信]