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Wikipedia:井戸端/subj/「ウィキディベート」と言うのは新イベントの提案

「ウィキディベート」と言うのは新イベントの提案

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ウィキペディアンとして、編集者として記事を編集するには、論理的な根拠がないと、読者を説得できません。みなさんのロジック思考と説得力を鍛えるために、定期的に「ディベート」のようなウィキペディア上のイベントを開いてみてはいかがでしょうか?このように「井戸端」で大々的に公開しておいて申し訳ないのですが、具体的に案は定まってはいません。まずはみなさんの意見をお伺いしたい。Melting Cheesebrain, Burgers, Greek-Fellows 2012年3月26日 (月) 14:12 (UTC)

コメント 執筆コンクールとかすでにありますが、個人的には、編集者の間で優劣を競ったり、関係がぎすぎすしてしまいかねないことはしたくないです。どっちかというと、のんびり仲良くやっていきたいです。署名は上のほうのアイコンをクリックするか--~~~~と入力すると自動的に入ります。--Bugandhoney会話2012年3月26日 (月) 15:16 (UTC)[返信]

コメント そうそう、そういうやつです。優劣を定めるのではなく、先ほどにも申したように、論理的思考を鍛えるために、Wikipedia:井戸端や各ノートページでやっている議論のテーマを一つだけにして、 賛成 反対 そして コメントの三個に分けて議論するという感じです。Melting Cheesebrain, Burgers, Greek-Fellows 2012年3月27日 (火) 10:12 (UTC)
コメント 「ロジック思考と説得力を鍛える」というのはともかく、今ウィキペディア/ウィキメディアで問題となっている事柄について集中的に議論してなんらかの結果を出そう!(そしてそれをjawpにフィードバックしよう!)というようなイベントであれば、あってもいいのかなとは思います。まぁこういう事言うと「議論より記事を書け!!」原理主義者から矢とか槍とかなんか飛んできそうですが。--青子守歌会話/履歴 2012年3月30日 (金) 12:57 (UTC)[返信]
ウィキペディアでは「原理主義者」というようなネガティブにとられかねないくくり方は避けてもらえるとうれしいです。--Bugandhoney会話2012年3月30日 (金) 17:21 (UTC)[返信]
コメント個々の問題については、日夜問題となる項目のノートページやコメント依頼ですでに戦闘状態では?ロジック思考と説得力についてはwikipediaに参加者する人の多くは既に十分すぎるほど会得しているでしょう(期待モード全開)。(念のために真面目に回答すると。wikipediaはそういったことをするサイトではありません。)--Vigorous actionTalk/History2012年3月30日 (金) 14:08 (UTC)[返信]
コメントおやさしい先輩方のお言葉が並んでいますね。「どうすれば参加者と記事が増加し、そして円満に進んでいけるか?」ということを考えるだけなら有意義な議論かもしれませんね。しかし、提案者さまには残念なことなのかもしれませんが、忘れてはならないのはウィキペディアが議論する場ではないということなんですよね。--Degueulasse会話2012年3月30日 (金) 17:05 (UTC)[返信]
コメントいろいろとありがとうございます。「議論する場」ではない、確かにそうですが、ウィキペディア上の記事に関しての議論(情報の正確性、命名、記事の構成など)ではなく、青子守歌さんやDegueulasseさんの言うとおりですが、そうすると「井戸端のようなページがあるじゃないか」という意見が飛んでくる。しかし、井戸端にはもうすでに乱雑な60以上の小トピックがあり(これもその一つに過ぎないのですが)、意見もまとまらないし、皆さんが一つの題に集中することが出来なくなるんですよ。だから、一つのウィキメディアで起こった問題に関するノートページのようなものを作ってみてはいかがかな?(定期的にトピックは更新されますが)Melting Cheesebrain, Burgers, Greek-Fellows 2012年3月31日 (土) 13:10 (UTC)
 単に1/60の規模の第二井戸端が出来るだけですね。意味無いです。--Kojidoi会話2012年3月31日 (土) 14:19 (UTC)[返信]
まず、Greek-Fellows氏のいうディベートが具体的にどのような形式のことを言っているのかわからない(まさにディベートにあるように、一口にディベートって言っても色々あるからね)。
「ロジック思考と説得力を鍛えるため」という動機なら、教育ディベートのようなものを想定しているのだろうけど、これなら予め参加者を限定化させる必要があるし、何より教育目的というのはある種普遍的な題材を扱うことによって、本来は肯定なのに反対派で参加するとか、そういうことを含む。ここでウィキペディアに関することで、かつ、その結果が反映されることなら、紛糾の種をおそろしくややこしく面倒にしただけの話だし、ウィキペディアに関しないことなら、それこそ無駄である(ウィキペディアは教育機関ではない)。
もし、「解決の兆しが見えない問題を解決するため」という動機なら、それはかなり有用である。だけど、ディベートってのは議論のフォーマットを整え、最終的に第三者がそれを判定するわけで、それって限定的な調停委員会なんだよね。だったら、日本語版に調停制度を導入した方が良い。
というわけで、Greek-Fellows氏の提案は無駄であると私は考えます。--EULE会話2012年3月31日 (土) 14:57 (UTC)[返信]
コメントWikipedia内の運営方法に関する具体的な対話ではなく、それ以外の話題について『ロジック思考と説得力を鍛える(ための)「ディベート」』なら、百科辞典の作成とは無関係ですのでWikipedia上では行うべきではないでしょう。また、『ロジック思考を鍛える』ことはWikipediaにも間接的には有益だと思いますが、漠然と「ディベート」しただけでロジカルシンキング能力が向上するとも思えず、ロジック思考を鍛えるのための具体的な実施方法が想像できません。『説得力を鍛える』ことはWikipediaには間接的にも無関係だと思いますし、説得さえできれば良いというものでもないと思います。いずれにしても、仮に議論や討論を指導者/調停者、制限の枠組みのない形で漫然と実戦トレーニングすると言うのであれば、単なる言い争いを奨励するようで強く反対します。--Shigeru23会話2012年4月3日 (火) 21:41 (UTC)[返信]
コメント 「ロジック思考と説得力を鍛えるため」のディベートが必要ならば、それは、ウィキペディアとは別の場で行なうべきです。確かに、ウィキペディアで行なわれている議論は、時として不毛な言い争いになったりします。ディベートというものの経験が豊富な方から見れば「こんな意見交換はロジカルではない」「説得力もない」「こんな不毛な議論しか出来ないなんて、ウィキペディアの参加者はなんと能力の低い、可哀想な人達なんだろう」・・・などと映るかもしれません。しかしですね、どれほど、外見上は「不毛」「非論理的」に見えたとしても、ウィキペディアで行なわれている議論・意見交換は、内容および程度の差こそあれ、共通の目標を持っています。それは、「よりよい百科事典をつくる」ということです。ですから、ただ単に「議論する力を鍛える」という目的では、百科事典を作るプロジェクトに、直接的には貢献しにくいと思います。また、ディベートというものは、EULEさんもおっしゃられるように、普遍的な議題を扱い、自らの心情と関係なく、賛成派、反対派を入れ替えたりして行なわれるものと考えておりますが、仮にもし、参加者の資質の問題(私情・心情を挟み込む)で、賛成派・反対派を入れ替えて2度議論をしてもなお、特定の意見(例えば、社会主義資本主義より優れている創価学会キリスト教より優れている原子力発電太陽光発電よりも安全である、死刑制度は廃止すべきではない、たけのこの里のほうがきのこの山より美味しい、など・・・あくまで例であり、私の意見ではありません)が「正しい」と結論づけられてしまった場合(または、優劣はつかないが圧倒的多数を占めた場合)単なる内輪のディベートのつもりでも、世間一般の人の目線から見れば、「ウィキペディアは偏向している」と見られかねません。ディベートの場合は「結論」が出るわけですが、ウィキペディア上でディベートを行なった場合は、ウィキペディアそのものの中立性を保持するために、その「結論」は、例えば参加者のみ閲覧可能とするなど、原則として「非公開」にする必要があると考えます。わざわざ、中立性保持のための対策までして、ウィキペディアでディベートをやる意味は、ほとんどないと考えます。また、「優劣のつかないディベート」は、端的に申し上げれば井戸端でも出来るものですし、仮に出来たとしてもリソースの無駄にしかならないと考えます。長文失礼いたしました。--Rienzi会話2012年4月4日 (水) 07:32 (UTC)[返信]


コメントなるほど。要するに以下の三点にまとめます。
  • ウィキペディアは教育機関ではない。
  • 「ディベート」と言う概念がはっきりしない。
  • ウィキペディアは中立的なものであり、ディベートで決めつける物ではない。
  • すでに議論がノートページで行われている。
ご意見ありがとうございました。--Greek Fellows会話2012年4月4日 (水) 15:09 (UTC)[返信]
まとめに入られたあとで申し訳ありません。ウィキペディアは基本的に分業制であるため、学校などのような学力・技術力がそろった人たちを集めるということ自体が難しいので、ご提案の競技形式の教育ディベートをウィキペディア上でやるのは、ちょっと苦しいのかと思われます。ただ、ディベート技術を中立点を探し出すためのツールとして有効活用するのは、とてもよいことですので、私はセルフディベートなるものをお勧めしたいと思います。
ある分野に理由はよく分からないけど、なんとなくこれがいいなぁという提案者がいるとします。その分野に詳しいあなたは、まずその提案のメリットを書き連ねて、そして同量のデメリットを加え、相手に決断の材料を伝えるという提示方法です。あなたに維持・改変の意思が無ければ、どちらがいいとは書かずに相手に選ばせるようにします。もちろんこれは原則であって、使える場面は限られますが、ご自身の鍛錬としては、このような実践形式がよろしいのではないでしょうか?--Triglav会話2012年4月5日 (木) 05:00 (UTC)[返信]


まあ基本的にはそういうことなんですが、それだけだとノートページのような議論で終わってしまうんですね。--Greek Fellows会話2012年4月6日 (金) 10:38 (UTC)[返信]