Wikipedia:井戸端/subj/「世論」は記事に反映するのか
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「世論」は記事に反映するのか
[編集]世の中には特定の主義や一方的な論理を押し通す有名人がいます。マスコミや評論家関係の記事を編集する場合、一方としての有名人の主義主張は「メディアに出ている」ことで記事に反映できますが、一方である世論-というより情報の受け手-側はテレビ関係ならBPO、それ以外でもブログなどで世論ができる例があるといえます。しかしこれら世論側は「検証可能性」や「ソースとして認めない」ことから有名人の一方的な見方のみしか記事にできなくなるとおもいますが。世論にしても、メディアや対立する有名人が取り上げない限り記事には反映されないのでしょうか?--たぬき 2008年2月6日 (水) 13:40 (UTC)
- 最近思うのですが。特に『本人が語った』とかそういう記述を見ると{{誰}}だけでなく{{何時}}{{何処で}}(この2つは現在存在しませんが)ぐらい記述して欲しいと感じることがありますフィギュア萌え族とか……。 さておき。『一方的な主義や論理を押し通す有名人』だろうと本人がそう言っている以上は、排除することができないのが現状でしょう。それが適切かどうか判断する立場にありませんし判断が認めらてしまうのであれば極論日本海呼称問題等に影響が出てしまいます。 ゲーム脳#ゲーム脳の提唱者に関する誤解のように『反論を、適切な形でぶつける』のであれば心配するのは、サイレント・マジョリティの存在でしょう。彼らの考えは検証できませんが『存在そのものは、誰かが検証できる形で指摘している』はずです。社会的に見て無視できないのであれば尚更。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年2月6日 (水) 17:55 (UTC)
- 世論にしても発言にしても、具体的であればあるほど、出典があるはずです。その出典を的確に示すことが大事です。そうすれば、それが議論の叩き台になる。必要なのは、そういう基盤を持つことです。--ゆきち 2008年2月8日 (金) 03:33 (UTC)
- 問題として言いたいのは、片方は「内容がどうであれ出典として認められる」文献などを作成する手段を持っている有名人、もう片方は「内容としては重要だがブログやネットだから認められない」一般人であることです。一般人は活字メディアを近くに持っている例があるかどうか、またメディア側に不都合な情報をメディアが公にするか、といった問題です。--たぬき 2008年2月8日 (金) 05:00 (UTC)
- 「出典が存在する=掲載に値する」というわけではないのでその「有名人の意見」があまりにも偏った情報なら掲載の是非や表現(一般論のように書かれていないか)を議論すればいいことだと思います。「有名人は情報を発信するのが簡単で、一般人は難しい」というような問題はWPで論じることによって解決できる問題ではないし、だからといってブログや掲示板を出典として認めたって信頼できる記事がかけるとも思えません。というかそんなに重要ならたいてい出典は別にあるでしょう。また、メディアと一言にいっても様々な組織があるので、よほどのことがなければメディア全体が同一の不都合な情報を隠蔽するようなこともないのでは? つまり結論としては「世論でも何でも、信頼できる情報源が取り上げない限り記事には反映できないし、取り上げられないものは基本的には掲載ほどの重要度も無い」です。--KM-0901(会話) 2008年2月8日 (金) 13:16 (UTC)
- むしろ問題としては、例えば出版社を介さない個人出版で『神戸の酒造業と銀行業』の関係を、かなり手広く細かく書いた本というのが実在します(NDL:DF325-H7、西宮・御影の酒造家が創業した神戸貯蓄銀行盛衰記、藤田卯三郎編、2004年)。この人は、酒造と郵便関連でのべ20冊を超える本を出していますが著名人とは言いがたいです。 厳密にしてしまうとこのようなものを排除してしまうことになるのですが。 基準を緩めても『責任所在が明確である』『書直しが原則効かない(published)』は、最低限守らなきゃいけない部分だと思っています。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年2月9日 (土) 03:18 (UTC)
- 「出典が存在する=掲載に値する」というわけではないのでその「有名人の意見」があまりにも偏った情報なら掲載の是非や表現(一般論のように書かれていないか)を議論すればいいことだと思います。「有名人は情報を発信するのが簡単で、一般人は難しい」というような問題はWPで論じることによって解決できる問題ではないし、だからといってブログや掲示板を出典として認めたって信頼できる記事がかけるとも思えません。というかそんなに重要ならたいてい出典は別にあるでしょう。また、メディアと一言にいっても様々な組織があるので、よほどのことがなければメディア全体が同一の不都合な情報を隠蔽するようなこともないのでは? つまり結論としては「世論でも何でも、信頼できる情報源が取り上げない限り記事には反映できないし、取り上げられないものは基本的には掲載ほどの重要度も無い」です。--KM-0901(会話) 2008年2月8日 (金) 13:16 (UTC)
- 問題として言いたいのは、片方は「内容がどうであれ出典として認められる」文献などを作成する手段を持っている有名人、もう片方は「内容としては重要だがブログやネットだから認められない」一般人であることです。一般人は活字メディアを近くに持っている例があるかどうか、またメディア側に不都合な情報をメディアが公にするか、といった問題です。--たぬき 2008年2月8日 (金) 05:00 (UTC)
- 世論にしても発言にしても、具体的であればあるほど、出典があるはずです。その出典を的確に示すことが大事です。そうすれば、それが議論の叩き台になる。必要なのは、そういう基盤を持つことです。--ゆきち 2008年2月8日 (金) 03:33 (UTC)
↓の「ポルターガイスト」と同様のことですが、鳴り物応援という記事で、「なくなるべき」という一方的な評論家の意見のみが載っていました。しかし、現在の応援団の多くは球場で応援団はさまざまな改善を行ったり奉仕活動を行いますが、マスコミは無視し、評論家も自分の知識のなさを棚に上げて不都合な批判を無視している現状です。この記事にファン側の意見を書いたところ「独自研究」が貼られましたが、評論家やマスコミが一方的が故の記事の一方的化ではないでしょうか?--たぬき 2008年2月12日 (火) 03:27 (UTC)
- 気持ちは分からなくもないですが、WPの「中立」というのは「事実を中立的に」ということでなくて「公式発表された情報をできるだけ中立に」というものですから、片方の出典しか存在しない場合は残念ながら一方的な書き方しかできませんし、無理に「(WPでの)中立」を装うのは逆によくないのだと思います。ファン側の意見を出典なしで書いたらそりゃ独自研究と言われますし、評論家の意見の正誤を我々が判断することも許されてません。どうしても公平にいきたいなら前回も述べたようにどちらも載せないという手もありますが、編集者間の合意は必須でしょう。--KM-0901(会話) 2008年2月12日 (火) 05:50 (UTC)
- では聞きます。有名人が暴言を吐き、それに世論が非難を挙げる。しかしテレビではBPOに意見が出ますし、ネットやブログなどでも批判する意見が多量に出る例があります。(例・みのもんた、細木数子、亀田三兄弟&亀田史郎、橋下徹)これでも、「非難が出ている」事についてはマスコミや評論家が書かねばダメなのでしょうか?しかも、マスコミが擁護している場合や、マスコミが当事者である記事、暴言を認めない本人でも「有名人だから正しい」「庶民だから意見は信用できない」になってしまいます。漫画など読者がいろいろな感想を持つものの記事(作者が表に出てすべてを解説するなどすれば別ですが)、暴言が売りの有名人の記事、マスコミの記事、事件関係の記事は殆どダメですね。それと、私見ですが、この問題を厳格に判断し、ウィキペディアンの資質を問うなどするなら、ウィキペディアンの9割以上は追放されることになると思います。それに、このままでいくと有名人やマスコミの文章を丸写しでないようにしたコピーしかかけないことになりませんか?文章を書き換えるとその時点で私見ですから。--たぬき 2008年2月12日 (火) 06:29 (UTC)
- あの、前々から指摘したかったのですが、Wikipediaで啓蒙とかしたいと考えているのなら、やめた方がいい(というか、できない)と思うんですけど。--meekcharat 2008年2月12日 (火) 06:48 (UTC)
- 最初の質問の答えは「ダメ」です。現在のjaWPの提示する検証可能の定義に反します。参考までに言っておくとWikipedia:信頼できる情報源(翻訳中)によるとどうやらenWPでは、大衆文化やフィクション関係ではネット検索で一定のヒットを得た情報は記載を容認される場合もあるようですが、jaWPで正式リリースされる時にこの文面が残されるかどうかは分かりません。個人的にはこれなしても記事を書き上げるくらいの努力が必要だと思いますが。
- 批判する意見が多量に出た場合、特に、上で例に挙げていただいているような人物に関してなら前にも言ったように探せばどこかに出典はある、もしくはこれから作られるはずです。現在ある、もしくはこれから作られる情報源にも載っていなかった場合、世間の人々は掲示板やブログが騒ぐほどその件に関して興味は無いという解釈でよいでしょう。どうしても、今、記載したいのであればたぬきさん自身がその意見を公式の場で発表し、ある程度認められる必要があります。
- 次。「有名人だから正しい」というのはWPのあり方からしてありえません。WPに記載されているのは、あくまでもその人物がそういう意味の発言を行ったという「検証可能なことがら」のみであり、記載されているという状態がその人の正しさを認めるものとは結びつかないはずです。
- 三つ目。ほとんどの記事がダメ(書けることが無い)というのはその通りです。逆に言えばWPは、そうまでして沢山の記事を書いてもらわなくてもいいという立場を取っているといえます。
- 四つ目。「ウィキペディアンの9割以上は追放」に関して。いきなり「追放」というのは穏やかではないですが、検証可能性を満たすための努力が利用者全体で十分なレベルで行われていないということは僕も感じております。しかしながら、それはWPを運営・管理・編集する我々利用者の側に問題があるのであって、百科事典WPそのものに責任はありません。ですので、姿勢を正さなければならないのは我々の方であって、WPの方針規制を緩める根拠にはなりません。今後のjaWPの重要な課題のひとつなのではないでしょうか。
- 最後。「文章を丸写しでないようにしたコピーしかかけない」というのは、それでいいのではありませんか? もっと言えば、WPは自らの位置づけを三次情報源としていますから、情報量としては原典よりももっと荒いくらいでちょうどいいと思います。逆に編集者がいろいろ情報を肉付けするほうがまずいような気がします。見せるための工夫をするなら表現や構成、レイアウトといった部分になるでしょう。--KM-0901(会話) 2008年2月12日 (火) 07:31 (UTC)
- あの、前々から指摘したかったのですが、Wikipediaで啓蒙とかしたいと考えているのなら、やめた方がいい(というか、できない)と思うんですけど。--meekcharat 2008年2月12日 (火) 06:48 (UTC)
- では聞きます。有名人が暴言を吐き、それに世論が非難を挙げる。しかしテレビではBPOに意見が出ますし、ネットやブログなどでも批判する意見が多量に出る例があります。(例・みのもんた、細木数子、亀田三兄弟&亀田史郎、橋下徹)これでも、「非難が出ている」事についてはマスコミや評論家が書かねばダメなのでしょうか?しかも、マスコミが擁護している場合や、マスコミが当事者である記事、暴言を認めない本人でも「有名人だから正しい」「庶民だから意見は信用できない」になってしまいます。漫画など読者がいろいろな感想を持つものの記事(作者が表に出てすべてを解説するなどすれば別ですが)、暴言が売りの有名人の記事、マスコミの記事、事件関係の記事は殆どダメですね。それと、私見ですが、この問題を厳格に判断し、ウィキペディアンの資質を問うなどするなら、ウィキペディアンの9割以上は追放されることになると思います。それに、このままでいくと有名人やマスコミの文章を丸写しでないようにしたコピーしかかけないことになりませんか?文章を書き換えるとその時点で私見ですから。--たぬき 2008年2月12日 (火) 06:29 (UTC)
それならお願いできませんかねぇ。
「ウィキペディアでは真実であるかどうか限らず、メディアや評論家の表現が優先されます。たとえそれが事実と反していても、文章が証拠となる以上、それはたとえ事実であっても一般人のブログなどより優先されます。一見中立に反しているようですが、有名人がメディアを利用して書いたもののみを信用します。これが気に入らなければ追放します。」
とでもどこかの文章に書いてもらえませんか?これは、テレビのドラマで「このドラマはフィクションです」という注記がされるのと同じくらいの効力だと思います。有名人を取り上げたメディアに対するリテラシーという問題もありますが、有名人が絶対で、無名の人なら無視。気に食わなければ追放。とするなら利用者が「記事は真実だ!」などと信じ込まなくてよくなりますし、ウィキペディアを引用する人も減って、「ウィキペディアなんて信用できない」という意見が外部から出ていることも多少は変わるでしょう。有名人のコピーで終わるなら、それですべてです。しかし大部分の人が追放されるし、大部分の記事もなくなるだけです。論争も減るでしょう。--たぬき 2008年2月15日 (金) 10:30 (UTC)
- ……僕のコメントをいろいろ誤解されているようですね……。「メディアや評論家の表現が優先されます」そんなことは言ってませんよ。ぼくは「WP:Vによって認められていないものは載せる事ができない」と言いました。「一般人のブログなど」はもとより情報源としての使用を禁止されていると何度も申し上げています。気に喰わないのであれば方針変更を、向こうで、あなたが、提案すべきです。僕はこの件に関して現行の方針に不満はありません。「有名人がメディアを利用して書いたもののみ~」これも全く違います。「情報源として認められているもの」というのが正しいでしょうけれども、やはりすでにWP:Vに記載があります。「これが気に入らなければ追放」これも全然違う。僕は「いきなり追放などと言うのは穏やかではない」とコメントしました。ちなみに僕の気持ちを差し置いても「対話を試みずにいきなり強行手段に出ること」は方針で禁じられています。
- そういうことですので、上記の草案を僕がどこかの方針文書に提案する事はありえません。まずはここでの議論の経緯とWPの方針その他関連文書を熟読される事です。それでも現在のWPの体制に疑問を感じられるようならご自分で、責任を持って、方針のノートにて、提案を行う事をお勧めします。僕ができるアドバイスはこのくらいです。--KM-0901 2008年2月15日 (金) 11:47 (UTC)
- これまでたぬきさんが井戸端でしてきた質疑[[1]]、[[2]]、3、4、5をよく読み返されることです。みなさん仰られているように方針に合致しない記述はできません。メインページにもある通りWikipediaは基本方針に賛同いただけるのであれば誰でも編集できるのであって、たぬきさんが方針に賛同できないのであればWikipediaには参加せず、他のオンライン百科事典にご参加すればよいだけのことです。Wikipedia:検証可能性はWikipedia:中立的な観点・Wikipedia:独自研究は載せないと並ぶWikipediaの公式な方針の一つであって、どれかが優先するというものではありません。もう一度、各方針および関連する文書をよく読んで下さい。--↑PON(ウエポン)
- ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。信頼できる公刊された情報源を使うべきですし、自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。
- 少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありませんし、公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門化や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。もちろん少数派の観点が、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきだ、ということではありませんが。
- ウィキペディアでは、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできますが、基本方針に賛同いただけない状態が続くと、しばしばコミュニティを消耗させる利用者としてブロックされるようです。--Ks aka 98 2008年2月16日 (土) 08:24 (UTC)
Wikipedia‐ノート:検証可能性で根本の部分について議論されていますのでそこに移動しましょう。結構深い議論をされています。「決まりだから」で終わっていません。
それと↑PON氏のような書き方では私が言う「追放」に他ならないと思いますが。--たぬき 2008年2月16日 (土) 01:38 (UTC)
とりあえずWikipedia - ノート:検証可能性にコピーを出しますので、第三者の意見もいただきましょう。----クッキングボス 2008年2月16日 (土) 03:15 (UTC)署名訂正--たぬき 2008年2月16日 (土) 07:40 (UTC)
- (議論移動反対)議論移動時の不手際もあり、移動後もここにコメントされてることから、議論は移動せずこのままここでするべきかと。あるいはこちらを終わらせてから改めて仕切り直しでWP:Vのノート等で議論を始めるのが筋かと。--青子守歌 2008年2月16日 (土) 10:39 (UTC)
- 不手際はお詫びします。改めて仕切りなおしで向こうのほうにしたいです。--たぬき 2008年2月16日 (土) 11:51 (UTC)