コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia:井戸端/subj/アナウンサー記事の粗製濫造

アナウンサー記事の粗製濫造について

[編集]

Category:アナウンサー,の配下にある記事(ざっと見たところ90%程)の大削除依頼を考えております。依頼数は1000を超えると思います。依頼前にみなさんの意見をお聞かせください。「プロジェクト アナウンサー」にも呼びかけました。 依頼理由は次の通りです。

  1. 百科事典的記事でない。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに,人名録ではありません,ウィキペディアの伝記は大きな業績を残した人物についてのみ取り上げられるべきですとある。
  2. データベース記事か、番組の感想文でしかない。 例,神原千恵
  3. Wikipedia:存命人物の伝記に従ってゴミ記載を排除すると内容が何も残らない記事が多い。
  4. Wikipedia:削除依頼/著名な活動のないお笑いコンビ関係での削除意見と同様の理由

--fromm 2007年6月7日 (木) 02:49 (UTC)[返信]

確かに該当してる部分ありますが、ウィキプロジェクト アナウンサーが存在しそれ自体がまだ完成途中となっている中で大削除依頼を持ち出すのは早計ではないかと思います。現在仮公開中となっているウィキプロジェクト アナウンサーが一応の完成をみて、その上である程度の期間やってみてそれでも駄目なら…大削除依頼 という流れが理想的かな。これならもし大削除となっても多くの人が納得しやすい手順の踏み方じゃないかなーと思います。確かにアナウンサーの記事は他から見れば「ちょっとこれは…」的な記事も多いけど(ただ、良い悪いは別にしてそれが面白いとも感じますがね、個人的に)その中の記事をいくつか削除したことによる反響というか反発具合が意外と大きいので(参考としてノート:松尾由美子ノート:杉崎美香など)更に大量削除となるとその反発具合が爆裂的になりそうで怖いですな。視点を変えてまずはウィキプロジェクト アナウンサーに参加してそちらを完成させる方向に注力する方が今後のためにも有意義な気がします。Wikipedia:削除依頼/内田恭子も参考になりそうなことが書いてありますので未読であれば一度目を通すことをお勧めします(既読でしたらすいません)。茶務 2007年6月7日 (木) 06:40 (UTC)[返信]
もし本当に大量削除をしたらかなりの批判が来ると思うのでやめた方がいいと思いますよ。--中日ドラゴンズファン 2007年6月7日 (木) 12:20 (UTC)[返信]
プロジェクトの完成を待つべきでしょうが、反発が大きい批判が来るから、といった理由で存続とするのはおかしなものかと思いますけど。--突撃ひとり 2007年6月7日 (木) 12:24 (UTC)[返信]
どなたかに促されてここを見に来られたようですが、自分の書いた記事がターゲットになりそうだと思うのであれば、意見するよりも先に削除されない記事に仕上げるべきでしょう。「やめた方がいいと思いますよ」とはあまりにも無責任な牽制です。- NEON 2007年6月7日 (木) 14:23 (UTC)[返信]
既存記事の内容充実に力を注がずに次から次へと新規に作成している方がこのような発言をされるとは、非常に無責任な印象を受けます。よく吟味せず安易に新規作成する行為こそが、批判を受ける対象となっているのではないでしょうか。単にアナウンサーデータベースをお望みであれば、個人的にウェブサイトを開設するべきでしょう。--Rainbow-11 2007年6月8日 (金) 18:40 (UTC)[返信]

良い人物伝記事の条件

[編集]

削除依頼の前に議論を深めるようなことを書きます。良い人物伝記事の条件を抽象的にいうと、

  • 記事として取り上げた趣旨が何であるかが考えられていて、記事全体を見てどのような分野の人物かが容易にわかるような、情報の取捨選択がなされている。
  • 位置付け、人物像、経歴、業績、周辺人物、肯定的評価、否定的評価などがバランスよく触れられている。

の2点であると考えています。大きな反論は受けないと思って先に行きますが、反論してくださってもいいです。目立った業績がない、または活動歴が浅い人物は、2番目の条件で人物像以外が書きにくく、良い記事になりにくい、というのが、frommさんの懸念であると理解しております。

これは、どうしようもないと思います。バランスの崩れた記事を、容認するか容認しないかの話だと思います。全く容認しないのはWikipediaの成長を阻害するので、どの程度容認するかの話になると思います。記事の粗製乱発を阻害する、意味のあるブレーキを定められれば、合意が得られるのではないでしょうか。ブレーキとなるものは、「何らかの権威による担保があるか」の性質のものになると思います。私はWikipedia:ウィキプロジェクト アナウンサーに参加していますが、草案レベルで「県域以上の放送地域を持つ放送局のアナウンサーを記事作成の対象とする」という話になっています。この場合の権威は県域以上の放送地域を持つ放送局で、それによって採用されたことを担保とするということになります。--Mr. 辛口 2007年6月7日 (木) 12:57 (UTC)[返信]

Wikipediaにはどのくらいマイナーな事項が書けるか(マイナー志向)

[編集]

それと、「Wikipediaにはどのくらいマイナーな事項が書けるか(マイナー志向)」がときどきそこかしこで話題になるので、私も考えてみたことがあります。この機会に言うと、結論は「マイナー志向を阻害する理由にできるものは、基本的に記事の質と人間工学の観点からの見やすさの2つしかない」でした。

マイナー志向の程度は、Wikipediaの活動規模の変動にともなって進行したり後退したりするものと考えられます。かつて2005年2月に内田恭子小宮悦子などの削除依頼が提出されたことがあります。結局、存続となりましたが、当時のトップクラスの知名度を持ったアナウンサーであっても、Wikipediaの記事としての有用性を疑うユーザーがいたということです。2007年現在、かつての有名アナ記事の削除依頼は「昔のこと」のようになっています。これは、Wikipediaの活動規模が大きくなったことで記事の裾野が広がり、マイナー志向の程度が内田恭子小宮悦子をすっかり乗り越えた、ということです。このことから、記事の粗製乱発を阻害するブレーキを定めてマイナー志向を制御するのではなく、そのときのWikipediaの活動規模に見合うようにブレーキを定めていくのが自然な態度であると考えられます。(ただしあまりにマイナー志向が進むと、人物ではプライバシーの問題が関わってくる。) 削除に当たっては、frommさんのCategory:アナウンサー下のざっと90%程を削除するというお考えが、現在のWikipediaの活動規模に照らして妥当な水準であるかを検討する必要があります。

また、よくWikipediaの設備性能が理由に挙げられますが、

  • 現状の設備性能は、アクセスが集中する時間帯には少々のトラブルが発生することがあるが、通常は一定の余力を持ってアクセスをさばけている。
  • マイナー志向は一気に2倍になるようなことはなく、じわじわと進行していくものである。同時に、単価あたりのハードウェアの性能もじわじわと向上していく。

という理由から、設備性能がマイナー志向を制限する兆しは、今のところ現れていないと考えられます。(ただし、ウィキメディア財団が安定した収入を確保していけるかどうかには、不安がないわけではない。) --Mr. 辛口 2007年6月7日 (木) 12:57 (UTC)[返信]

『乗り越えた』と表現されるべき状況なら素晴らしいことですが、実態は『手に負えなくなった』だけなのでは。沿革だけしか記載されていない地方企業とか、当たり前のように分割されていく9割方トリビアのかたまりな「~の登場人物」とか、いろんなものが溢れてますからねえ。 -- NiKe 2007年6月8日 (金) 00:51 (UTC)[返信]

多くの意見をありがとうございます。削除依頼するとしても慎重に検討します。アナウンサーの人物記事は次のようにカテゴライズできると思います。

  • レベル3 アナウンサー以外の活動でも特筆すべき事項のある人物記事(ex,みのもんた)
  • レベル2 看板番組を持つ人物記事 (ex.榎本勝起)
  • レベル1 有名タレントと同等な活動を行う人物記事(ex.大橋マキ)
  • レベル0 non-notableで、百科事典的に成長する見込みに乏しい人物記事(削除の方針のケースE)

レベル0の記事は削除すべきというより、残す理由がないという印象です。

マイナー志向(嗜好)に関していえば、Wikipediaの潮流としては、マイナーな記事を網羅してこそ百科事典であるという考え方が主流なように思います。記事数増加、赤リンクを青くすることを喜ぶ。ただWikipedia:ウィキペディアは何でないかの公式方針は、「大きな業績を残した人物」(残す可能性では足りない)と限定しています。このように公式方針が空文化しています。まるで憲法九条みたいです。Wikipediaに対する利用者のニーズに合わせて、公式方針を変えるという方策もあるかもしれないが。現状の乖離を少しは是正する必要があると考えています。--fromm 2007年6月8日 (金) 09:26 (UTC)[返信]

公式方針への大々的な言及は議論の拡散を招くので不適切でした。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいを持ち出されそうですし。単純に、アナウンサー記事の多くは、単なるデータベースか、番組の視聴者しかわからない内輪ネタ(例,秋元優里)、個人的な感想に終始しています。百科事典的として成立する見込みに著しく乏しいと思います。--fromm 2007年6月8日 (金) 09:32 (UTC)[返信]
しかし、せっかく作成された「データベース」を「削除」してしまうのはなんだかもったいない気がします。日本ウィキアなどに移動させるのはどうでしょうか。(内心では、基本方針は承知で「新しい百科事典の形」としてこのような記事があってもいいように思いますが)--Widehawk 2007年6月8日 (金) 15:47 (UTC) 2007年6月8日 (金) 16:00 (UTC)に修正。Widehawk[返信]
まとめていただいた後ですが一言。1000以上の記事を同時に削除依頼することは、著作権侵害案件では必要な場合もあると思いますが、削除依頼の審議に参加する人はそれらを全て見なければいけないわけですし、見て賛否を表明した後に内容が大幅に変わっている記事ある場合に賛否表明変更を唱えることも考えられます。特定のカテゴリの記事を狙って大量削除依頼するというのは多くの方を疲弊させるだけにしか思えないのですが。--Tiyoringo 2007年6月10日 (日) 11:57 (UTC)[返信]

(インデント戻す)スタブ未満で長期間(例えば1年以上)放置されていて、単に人名を網羅するためだけに作成されたような記事から気長に削除依頼を始めます。取りあえずはWOWOW関係でWikipedia:削除依頼/安田敬一郎,Wikipedia:削除依頼/柄沢晃弘を提出しました。--fromm 2007年6月12日 (火) 13:29 (UTC)[返信]

Goodproのまとめです

[編集]
  • Goodproです。私がPJの初期に「ただし、長い期間スタブにすることは、周りの記事の迷惑になるので、「発展性がない」場合は、削除要請をしてもかまわない。 」と明文化しました。 つまり先の「LEVEL 0~1」をどう扱うかなのです。 今後2の記事を作り始めるときに、きちんとした資料、取り扱い方などが考えられるわけで、「内田恭子」で私が思った事は「一般の会社員がメディアに出ているというだけ」なのに「キー局だけ残して、地方を差別(削除)するのか」という事を思った事がこのPJの始まりです。10何年も勤務し社会にも貢献しているが資料が少ないのでは、当時として「削除対象」と周りは考えてしまうでしょう。 5年後・10年後に読んでもらったときに、本当によい記事になったかは読んだ本人が評価する事でしょう。被写体本人が希望しないのであれば、作らないのが基本であり、Frommさんが旗を揚げてくださったのですから、「お互いに読んでためになる記事」を作り上げる心がけも持つ事も一つなのかなと思っています。--Goodpro 2007年6月8日 (金) 22:54 (UTC)[返信]

アナウンサーに関していえば、一応は局のアナウンサー紹介ページに掲載されている人物を中心に追加するようにしています。 (新人アナウンサーに関しては、局のHPにプロフィールページが掲載された時点で判断しています。) 執筆の際には、単なる番組の感想文にならないように公式のデータ・客観的なデータをまとめた記事を書いているのですが、 どうしても絶対的データが足りないこともありスタブ未満のページになりがちです。 百科事典として成立させるためには、筆者の感想などを最小限にとどめ、実績などを充実させるべきだと考えます。 スタブ未満(名前・局名・番組名のみ)の状態が続いた場合は、削除依頼をしても差しさわりがないと思いますが、 それ以上の記事で削除依頼に反対の意見が多ければ、記事の充実を待ってもいいと思います。 --kg12052007年6月19日 (火)

ご回答ありがとうございます。背景が理解できました。プロフィールページが作成された時点では、時期尚早かと思います。例えば、最近作成された小出涼子,吉田奈央だと外部サイトの節操がないコピペでしかないようです。みのもんた,久米宏級の大物になるまで待てとは言いませんが、記事作成が無分別過ぎると考えております。Wikipediaに対してアナウンサー名鑑的な役割を期待するのは何か変です。--fromm 2007年6月20日 (水) 06:22 (UTC)[返信]

  • アナウンサー名鑑的な役割ならば、放送局や事務所のページで事足ります。

我々はむしろ、テレビに写るアナウンサーを番組などと同じ存在と考え、調べ物として参考になる記事を作成することで 「LEVEL 0~1」のアナウンサーが次のステップへ進めることに貢献できると考えます。 ただ新人アナに関しては、実際の記事執筆はレギュラー番組が持てるまで待ったほうがいいと思います。 (スポーツアナの場合は出来れば実況席に座るまで待つとか…)

所属局・企業の公式HP以上の情報を得て、初めて記事を作成する意義があるはずです。 --kg12052007年6月21日 (木)

「記事を作成することで「LEVEL 0~1」のアナウンサーが次のステップへ進めることに貢献できると考えます。」 とはどういう意味でしょうか。アナウンサーのへ支持や宣伝を兼ねて記事を書いている、と読めるのですが。
もう一つ、「所属局・企業の公式HP以上の情報を得て、初めて記事を作成する意義があるはずです。」 ですが、例えば黒住祐介に公式HP以上の情報量があるとは思えません。どういう意図で記事を立てているのでしょうか。- NEON 2007年6月21日 (木) 06:36 (UTC)[返信]
長期間のスタブとは具体的にどれくらいの時間の事でしょうか?一つの方法としてここで言う「LEVEL 0~1」のアナウンサーの記載は「○○のアナウンサー」という記事を新規作成しそこに転記、記載する(例えばWOWOWのアナウンサーという項目を新規作成して、そこに安田敬一郎柄沢晃弘を転記する)いう方法もあっては良いではないのでしょうか。形式的には日本の漫画家 あ行などが参考になると思います。--222.0.165.19 2007年6月23日 (土) 10:10 (UTC)[返信]
  • wikipedia≠人名録」ということは重々承知しております。

ただ、「データベースに過ぎないから」ということで削除すれば芸能人やスポーツ選手の多数が削除の対象になってしまいます。 もし「局アナウンサーはいち会社員に過ぎない」ということで削除するのであれば、それは行き過ぎなのではないでしょうか。 222.0.165.19さんの提案については賛成なのですが、局ごとに独立した記事を作れるのはキー局や準キー局など所属アナウンサーが多い局に限られると思います。
かつて「日本のアナウンサー一覧」から独立して「地方局のアナウンサー一覧」という記事が立ったことがありますが、各々の記事が増えたことで削除され、結局は各局のアナウンサーの項目に吸収されています。 個人の記事が削除された場合、アナウンサーに関しては局記事の項目の中で取り上げるべきだと思います。--kg12052007年6月24日 (日)

そうですね。成長が見込めないスタブだと思われる記事はすべて、アナウンサーが多いテレビ局のアナウンサーの場合、日本テレビのアナウンサー一覧のように「○○のアナウンサー一覧」(○○はテレビ局名)、アナウンサーが少ない局のアナウンサーの場合は各局の項目内、フリーの場合は日本のフリーアナウンサー一覧に統合し、リダイレクト化すべきだと思います。--Widehawk 2007年6月25日 (月) 16:07 (UTC)[返信]
一部記事を日本のフリーアナウンサー一覧に統合してみました。問題があった場合差し戻ししやすいように5名のみの統合です。このページ(日本のフリーアナウンサー一覧)に問題がなければ、正式なものとし、Wikipedia:ウィキプロジェクト アナウンサーで統合を呼びかけたいと思いますが、いかがでしょうか?--Widehawk 2007年6月27日 (水) 08:41 (UTC)[返信]
漫画家は個別作成まで至らないと判断されている人については日本の漫画家 あ行のようにまとめていますから、Widehawkさんのいう日本のフリーアナウンサー一覧に統合が無難な落としどころだと思います。--べっ甘七みつ・たけタカひろ 2007年6月29日 (金) 17:49 (UTC)[返信]
提案から3日以上経過しましたが、反対意見などが無いので日本のフリーアナウンサー一覧を正式なものとし、Wikipedia:ウィキプロジェクト アナウンサー(ノートページではなく、プロジェクトページ)で「緊急課題」として統合を呼びかけることにします。--Widehawk 2007年7月1日 (日) 06:32 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アナウンサーで「どこまでを統合すべきスタブ記事とするか」などの基準を決めようとしています。よろしければ議論にご参加ください。--Widehawk 2007年7月3日 (火) 00:27 (UTC)[返信]

削除依頼第1弾の理由案

[編集]

みなさんの意見を聞いてようやく問題の所在がつかめた気がします。削除依頼の第1弾として、吉田奈央,伊林毅暁など,スタブ未満かつ公式HP以下な記事を依頼しようかと思います。依頼記事数はざっくり200~400程度になるでしょうか。 依頼理由案は次の通りです。

理由1.個人的な記事、特筆すべき内容が無いのに無分別に作成された記事ばかり、久米宏級のアナウンサーになるまで作成を控えろとは言わないが、いずれの記事も時期尚早(ケースE)。

理由2.Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに「大きな業績を残した人物についてのみ取り上げられるべき」とある。またWikipediaは人名録ではない。アナウンサー名鑑でもない(ケースE)。

理由3.公式サイトしか情報源がない記事については、検証可能性に乏しい。検証可能性「自主公表された情報源:公式サイト」参照(ケースE)。

理由4:ほとんどの記事は、公式サイトからの丸パクリの内容が含まれている。これ自体は著作権侵害とまでは言えないが、百科事典記事としてあまりに節操がない(ケースZ)

この第1弾の経過を見た上で、清水俊輔など出演番組のリスト記事に過ぎない記事や、番組感想文に終始している記事を削除依頼第2弾として提出しようかと思います。--fromm 2007年6月21日 (木) 07:11 (UTC)[返信]

茶務氏に教示いただいたWikipedia:削除依頼/内田恭子では、存続になっていますが、2005年2月当時の版[1]を見ても、存続の結果は不当とはいえないかと思います。第1弾として依頼しようとする範囲は、この記事未満の話にならないレベル、争いなく削除票が集まるだろう記事を想定しています。--fromm 2007年6月22日 (金) 02:04 (UTC)[返信]

  • Ana-stubだけでも、約2000項目(以上)あることが確認できました。 そのうちでも存続可能と思われるのは、30%程度あればいい方だと思ってます。そのうちで、LEVEL0相当のもの(または、理由:2.3.4に該当のもの)をじっくりと精査する必要があることがやっとこさ分かってきました。 参議院選挙ではないですけど、「一票の重さ」ならぬ「一記事の重さ」をつくって、「削除の草の根運動」となればいいかと思います。--Goodpro 2007年6月23日 (土) 01:05 (UTC)[返信]

こういう提案も。

[編集]
  • チョットした提案ですが、もしよろしければどうでしょうか。
  1. Wikipedia:秀逸な記事の選考のように、「よい記事」(推奨記事)と「最悪な記事」(削除記事-勿論、削除依頼可能。)を先のように投票制(毎週実施-曜日は別に置く)にし、選考していく。
  2. テレビ、ラジオのポータルから「アナウンサー」の項目を削除する。
  3. 点目については、皆さんの意見も。

推奨記事は別件でテンプレートをつくって、残しておくべきでしょう。あと、その方法しかカードが無いと思いました。最終的には、独自のポータル化ができればと思っているのですが....。賛成権の多いものから順に、PJに書き込みます。今のところ締め切りは2週間後を予定しています。--Goodpro 2007年6月23日 (土) 02:03 (UTC)[返信]

皆さんの提案。


提案ありがとうございました。--Goodpro

削除主義は方針違反か?

[編集]

話題の方向性が明らかに違うので、節分けを変更しました。--DEN助 2007年7月5日 (木) 06:51 (UTC)[返信]

そもそも削除するとどんないいことがあるの?

[編集]

なんだかアナウンサー記事がどうのと井戸端で見かけたので読んでみましたが、よくわからんことやってますね。 結局削除したい人たちは何がしたいんでしょうか。 私はアナウンサーも芸能人もスポーツ選手も興味ないんですが、まず「大きな業績を残していない」という理由で削除せよという意見がありました。 この「大きな業績」に大きな主観があるのではないですか?私からすればアナウンサーも芸能人もスポーツ選手も99.99%は大きな業績に感じません。 でもそういう基準で削除依頼なんかしてはいけないわけです。全くその分野の知識がないものが、「業績の有る無し」なんて判断する資格は無いからです。 サブスタブ以下だとか言っても、たとえばスポーツ選手も加藤光教のような、アナウンサー記事の粗製濫造という指摘であげられているものと何ら変わらないものがいっぱいあるわけです。 そういう記事を一つ一つ見つけて削除依頼するという人的リソースはとてつもない浪費だと思います。 内容が不足していたらスタブのテンプレ張ればいいだけでしょう。「Wikipedia:雑草とり」にも「新しく作られた記事は初心者のウィキペディアンによるものかも知れませんし、時間がないために、リンクを貼るなどの作業を後回しにしているかも知れません。 」とあります。 そんな人的リソースが余ってるなら、肝心な自分が書ける記事の加筆・修正に回したらどうですか。 スタブ以下の記事を削除するとサーバーリソースが軽くなると考えているのかもしれませんが、サーバーリソースが軽くなるほど記事を削除するにはどれだけ人的リソースが使われるかちょっとでも考えたことがありますか?1000や2000の記事を削除したところで負荷の変化は計測不能ですよ。 Wikipedia:スタブには「スタブは成長させなければならないということについては異論がありません。」とあります。 サブスタブを見つけたら、スタブに変えてください。変えられないなら見つけないことです。 また、削除の方針ケースEの「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの 」は、「自分が百科事典的な記事に成長させる見込みのないもの」という意味ではありません。 まとめると、ハードウェアリソースより人的リソースを心配しろってことです。ハードウェアはムーアの法則に関連して同コストでも性能は倍々になっていきます。人的リソースはそうはなりません。 --125.14.181.38 2007年6月24日 (日) 22:45 (UTC)[返信]

舌足らずで、冗長で、そのくせ肝心な認識に欠けている様子ですが…「何故削除したがるのか」という事であれば、その理由を有態に言えば「百科事典らしからぬ記述は要らん」に尽きるでしょう。--夜飛/ 2007年6月25日 (月) 04:05 (UTC)[返信]
通り掛かりですが、ウィキペディア…というか、大規模更新型百科事典、とでも言うべきか、こうしたものに対して思うものとして、『ドラえもん』に登場する宇宙完全大百科があるのです。個人的には藤子・F・不二雄の先見だとも思っているのですが(インターネット等という概念が一般には無い時代にネットワーク型大規模百科事典サーバーと端末による検索システムを発想した彼は流石SF作家と感嘆する他に無い)、あらしごとはさておき、小学校の一学級に出された宿題やテストの内容に模範解答、草野球の成績すら公式記録として記載されている驚愕の百科事典。ウィキペディアやこれに類するものの最終的な形がまさにあれなのではないでしょうか。ウィキペディア自体があれを目指す必要があるのかどうかは別として、未来形の姿であるとは思っています。それを考えた時、「百科事典らしからぬ」「オタ的妄想」といったものは、もしかすると余り意味を持つ理由にはならないのではないか、という気もしています。…で、何が言いたいのかと言うと、かような記事内容を書く者は、ウィキペディアに「宇宙完全大百科」のようなものをイメージしているのではないか、即ち、「百科事典らしからぬ」と言ってそうした記事を蹴る者とは次元の異なるものを想定しているのではないか、と。
私は個人的には、ウィキペディア…が今後も恒久的に続くかどうかは別として、この類の事典は遅かれ早かれ「宇宙完全大百科」の形になっていくと考えています。今のウィキペディアには技術的、人的リソース的等の側面から時期尚早とは思っていますが、それでも行き着く先は同じです(ある意味、Googleが既にこれに似た構想を持っていますね)。何でも勘でも記事にしようとする者は、そうした意味では時代を先取りしているかもしれない、そのような気がします。それを総否定する事は、事典の未来を喪失させているのではないかと思ったりもするのです。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月25日 (月) 04:26 (UTC)[返信]

肝心な認識に欠けている人が現れましたね。「百科事典らしからぬ記述は要らん」と言い切れるのは字義通りの紙の百科事典そのものの場合です。Wikipediaはコラボレーションなのであって、ある瞬間をとれば百科事典らしからぬ記述になることは可能性としてはあり得るわけです。ある瞬間に百科事典らしからぬ記述であるのを見つけたら、次の瞬間には百科事典らしい記述に直すのがWikipediaのスタイルであるわけです。ある瞬間に百科事典らしからぬ記述であるのを見つけたら記事をまるごと削除しようという考えなら、別のプロジェクトに移られることをおすすめします。スタブや加筆依頼の存在を否定しておられるようですから。参考:Wikipedia:雑草とりWikipedia:スタブ

また、独自の削除ルールを持っておられるようですのでやはり別のプロジェクトに移られることをおすすめします。Wikipedia:削除の方針には「ケース E: 百科事典的でない記事 基本的に権利侵害などを伴わない単純な悪戯は、削除依頼でなく編集で対処してください(ただし、初版の場合は即時削除が適用されます)。~百科事典的な記事に成長する見込みのないもの 」とあります。 ある瞬間に百科事典的でないから記事を削除せよというのは少なくともガイドラインにはない独自の基準のようですので、合意を取り付けてガイドラインを修正するところから始められてはいかがでしょうか。肝心な認識というのはコラボレーションを肯定しているかどうか、ですよ。今すぐ「完璧な百科事典らしい記述」を見たいだけなら百科事典を買えってことです。投稿履歴を見ているとコラボレーションという大前提を理解せずに「今すぐ完璧な百科事典でないのはおかしい」とでも思っているのか、些末な削除ばっかりしてな~~んにも加筆していない人が削除主義者のようですね。これは上記の複数のガイドラインに抵触するし、端的に言えばコラボレーション破壊行為ですよ。もっとわかりやすく言いましょうか?人的リソース浪費強要行為です。--125.14.181.38 2007年6月25日 (月) 04:43 (UTC)[返信]

読み手のことをろくに考えずに、また百科事典的な記事に発展させる意思も展望もないくせに、自己満足で些末な記事を粗製濫造ばっかりしてな~~んにも加筆せずに記事を立て逃げしていく人が問題のそもそもの原因です。まともな記事を立てる人ばかりならば誰もアナウンサー記事に対して不満に思いません(学校記事にも似たようなことがいえますが)。百科事典的な記事に発展させる意思も展望もないくせに適当な記事を立てた人の責任を不問にして、「削除主義者」うんぬんと罵倒するのは筋違いです。くだらない記事を立てるから削除が検討されるという方向になるだけで、まともな記事を立てていれば削除が検討されることもありません。
百科事典として発展させる意思も展望もないような記事を立て逃げしていく手合いこそが、コラボレーション破壊行為ですね。--Anaokasi 2007年6月25日 (月) 06:12 (UTC)[返信]
少なくとも「○○をwikipediaに載せる」ということのみを目的としている筆者がいることは否定できませんし、記事に対して個人の感想や根拠のない話を付け加えて満足している筆者もいると思います。ただ、いきなり長文の記事を書くのはそれなりの苦労が要りますし、「自分のほうがもっと知っているからこの記事に加筆したい」ということができるのもwikiならではの特徴ではないでしょうか。

(それによって記事を荒らしたり、関係者が都合のいいように改ざんすることも容易くなるのですが。)
箸にも棒にも引っかからない公式サイト以下の記事を立て逃げしていくことは確かに問題ですが、記事が発展する可能性を閉ざすのはwikiである意義を否定する行為ではないでしょうか。 --kg12052007年6月25日 (月)

(コメント:٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さん)アカシックレコードっちゅう奴ですね?ただ現実問題としてWikipediaが百科事典である以上、アカシックレコードないしそれに類するものを目指すのは本筋から逸れる虞もあると考えます。百科事典は文章で事物を解説することが主題であり、知識ベースデータベースとは基本的に異なる存在でもあり…まあこの辺りはWikipedia:ウィキペディアは何でないかに色々類型が書かれているので、いまさら説明するまでもありませんが。またアカシックレコードにせよ宇宙完全大百科にせよ、情報工学的には検索性が重要な要素ともなり、また各々がきちんと整理されていなければS/N比の問題(→ノイズ)にもよって情報価値を失う虞もあるのではないかと考えてます。例えば小生が近所の石ころの目録を作成し始めたとして、誰がそれを参照するのかといった問題もあり、少なくとも「現時点ではアカシックレコード化を目指すのは時期尚早」かもしれません。同じことが小天体のカタログ作りにもいえ、主要な準惑星の項目はあっても、NASAサイト辺りにあるようなデータベースと同等のものをWikipediaに求めるのも妥当とは考えられません。なんつっても記憶容量は実際問題として(Wikimedia財団の懐具合と言う上限もあり)無制限ではないのですから、「益体無い記事を作るくらいなら、より多くの人に求められる記事を充実すべき」と言えるかと思います。--夜飛/ 2007年6月25日 (月) 08:55 (UTC)[返信]
御意。恐らく夜飛さんとは同意見です。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月25日 (月) 16:13 (UTC)[返信]
(コメント:125.14.181.38さん)コラボ結構、発展性大いに求めるべきです。ただしそれが下手すりゃ今現在発展性があるかどうかも判らんようなアナウンサー記事の、しかも定義未満サブスタブで即時削除要件に引っ掛かりかねない記事の乱発をすべきかどうかとは別問題。まずはWikipedia:削除依頼/みなみゆいをご覧下さい。発展性がないのに記事を膨らませようとしたら、無理が出ます。また、コラボだなんだと言っても、益体無い記述しかなかったら意味を成しません。喩えるなら「壁の落書きに自家製白ジャムを塗ったような内容」に後から「白ジャム追加コラボ」を幾らしたところで第三者には「水をぶっ掛けて洗い流す必要がある汚損」でしかないのと一緒です(漏電中に付き表現猥褻失敬ごめん)。百科事典として必要水準を満たしてこその記事かと存じます。例え白ジャムを搾り出すのにどんなに頑張ったとしても、そんなオナニズムな努力は評価対象外ですね。そんなに自分の行為を評価されたければ、個人ページでやるのが一番だと思います。コラボレーションは削除される可能性も込みで。--夜飛/ 2007年6月25日 (月) 08:55 (UTC)[返信]
いきなり長文は難しいかもしれないけれど、少なくとも定義が書ける程度の情報を保有していない限りは書くべきではない事象であるとも考えられます。それはあたかも活動実績の無い芸人の記事みたいなモンで、書いたところで参照されないし、発展性も望めない…強いて言うならそいつが殺人事件とかを起こすか巻き込まれるまで待たなきゃいけない。少なくとも、記事の体裁が整う分量の情報が得られ、それが確定するまで待ってもいいと思います。百科事典としては、拙速が過ぎて誤情報を載せるより、情報鮮度が低くても後で参照する価値のある情報量があるほうがいいわけですし。--夜飛/ 2007年6月25日 (月) 08:55 (UTC)[返信]

雑草取りではなく、芽を摘んでいるだけでは

[編集]

こうやって議論している間にも、高木康博藤澤義貴と続々と新たな記事が沸いてきます。削除依頼しようかと思いますがあまりに多すぎるので、しばらく様子見です。。 (125.14.181.38氏へ)スタブに関して Wikipedia:スタブのスタブの例を見てください。アナ記事は、スタブではなくサブスタブ以下であるとわかるでしょう。また「サブスタブは新規作成するな」と明記されています。2行程度の記事は編集対応すべきスタブの域にすら達していません。即時削除の方針でいう「非常に短い記事」に近いと考えています。--fromm 2007年6月25日 (月) 14:30 (UTC)[返信]

即時削除の方針にはこうありますね。

  • 非常に短いもの、定義になっていない、あるいは文章になっていないもの
    • 項目名だけ書いてあるもの
    • 文章になっているが、定義になっていないもの(例:「彼は非常に有名で多くの人に慕われていた。死ぬまでに3冊の本を書いて社会に貢献した。」)
    • その他、単なる単語の羅列等

そこで件の高木康博を見てみました。確かに内容は短いように見えます。ただほんの少し考えてみたことはないのですか? なぜ一定以下のサイズの記事を投稿拒否ないしは自動削除する機能が実装されていないのかを。 高木康博の項目のリンク先を見るといろいろ書いてありますが、勤務地の履歴みたいなのははっきりと項目としては書いていないようです。ググってもそう簡単には出てこないようです。内容は短いですが、きちんと文章にもなっているし定義になっているんじゃないですか?公式サイトの情報から最低限意味ある形で整理しているともとれます。長さ・情報量で言ったら「公式サイト以下、存在価値なし」となりますか?私には勤務地という軸でちゃんと情報を切り出しているように見えるし、それは一般的な会社員の勤務地を2~3個書いただけとは全く意味が違うのではないですか? どうも内容を考えずに機械的な長さ、見た目で機械的に動作している人がいるようです。 役職とか履歴そのものが定義、業績になっている場合もあり得るわけで、たとえばスポーツ選手なんかあるチームに所属できた瞬間から業績と見なされうるわけです。 アナウンサーだってよく知りませんが、詳しい人にはある種の役職を得た時点で十分に業績なのかも知れません。 官僚だってある程度の段階にいけば役職そのものが業績であったりすることもあるのではないですか? また、芸能人やアナウンサーとかスポーツ選手は肖像権とか著作権の問題があって権利を保持したまま内容を増やすのは結構難しいのでは無いですか? 問題は、人の業績はその分野に詳しい人が判断するべきだということです。 少なくともそのジャンルの記事を書いたり加筆したりする能力がないのに削除して回っているのは意味不明と言うより荒らしに近いのではないですか? その分野の知識ゼロでも業績・定義のしっかりさは長さでわかるというなら、とっくに記事サイズによる投稿制限・自動削除が実装されているはずです。 あまりよく知られていない国の政治家の記事とかが新規に作られる場合とかを想定してみてください。 そういう記事が百科的で豊富な内容であることはあまりないかもしれません。それでも、調べ物として役に立つ場合は十分にあるわけです。 半年位したらどっかの外交官が偶然その記事を見つけて書ける範囲で加筆してくれるかもしれません。そういうチャンスに期待していることにWikipediaの存在する意味があるんじゃないですか? 繰り返しになりますが完璧な百科事典を読みたければ百科事典を買えってことです。Wikipediaは無料だから意味があるんだ? あまりにも時代遅れです。ほとんどすべての自治体ではネットがこの世に生まれるより遙か以前から図書館というものが存在し、完璧な百科事典は誰でも無料で読めます。Wikipediaの存在意義はコラボレーション以外に何があるというのでしょうか。 もしアナウンサーの記事が粗製濫造されているというならば、アナウンサーの記事を書いたり加筆している人たちが自主的に判断して加筆するか削除するか決めていくことだと思います。業績も発展性も他の人にはわからないところがあります。 少なくとも、その分野の記事が書けないような人がやることではないと思います。雑草取りとは言うが、雑草かどうか判断する能力があるからこそ雑草取りと言い得るでしょう。雑草かどうか見分けられないなら、それは芽を摘んでるだけです。 ところで、削除依頼に関する議論でその発言のためだけに作られたアカウントってソックパペットに相当するんでは?

--125.14.181.38 2007年6月26日 (火) 00:18 (UTC)[返信]

「その分野の記事が書け」る人たちが、業績や発展性を「書けないような人」に示して下さい。そうでなければ、今後発展して百科事典的な記事になるものと、そうでない思いつきで書かれたものと、区別することができません。あなたがWikipediaに通常の百科事典と違ったものを求めるのは自由ですが、ジャンクのかたまりでは百科事典になりません。なお、図書館まで行けば無料で百科事典が読めるでしょうが、ネット上で全て無料公開されている日本語の百科事典は無かったはずですし、商用も含めて再利用可能なものは英語も含めて存在しないはずです。 -- NiKe 2007年6月26日 (火) 01:29 (UTC)[返信]
業績や発展性を書ける人が示せと言うのは正にその通りだと思いますけど。問題なのは「書けないような人」が、「その分野の記事が書け」る人たちが業績や発展性を示す前に消して回ることにどういう意味があるのかということです。Wikipediaのシステムでは勝手に項目名にリンクが張られないのだから、未発展な内容が一時的に存在しても検索性を落とすことはないわけです。また、リソースの観点から言えば数行の記事だと言ってつついて回って出している削除依頼の方が遙かに消費が大きいわけです。GFDLにはその精神があるわけで、無料になることと再利用が可能ことは目的ではありませんね。それらはコラボレを成立させるための方便なんです。もし無料で完璧な百科事典が存在しなければならないからそれをじゃまするものはみんな消せと考えている者がいるとしたら、まったく本末転倒です。どうも畑違いの削除ばっかりやっている輩の中には「雑草取り」を僭称している者がいるようですが、実態は新芽つぶしであると思います。新芽を何個潰したかが「編集実績」になるんですかね?--125.14.181.38 2007年6月26日 (火) 03:41 (UTC)[返信]

おそらく、(俺も全知だとは言わんけど)問題や各種ガイドラインなどの理解ライン(立ち位置みたいなものとお考えください)という点で、125.14.181.38さんと、あなたの言う「削除主義者」とは、(そういった考えでいるうちは)絶対に相容れないでしょうね。少なくとも、「ググっても簡単に情報が出てこない」ような人物の項目を立てる前に、「この人物の記述はどういった理由で必要だ」とか、「このようにすればよいだろう」と言うエクスキューズもできてないじゃないですか。それでは議論になりません(こちらは、きちんと、方針に則って削除依頼という場所で議論を交わしています。即時削除は別にしても)。要はコラボレーションするにだって誰とでも出来るわけじゃなくて、お互いにその意思とスキルがなければ何も生まれないってことです。厳しい言い方ですが。Anaokasiさんとほぼ同じ意見ですけども。

それから、2点ほど。申し訳ないが、非常に不愉快になったことがあるので、オープンに指摘させていただきます。まず一つ目。論拠は「よくわからないことには手を出すな」とお見受けしました(アナウンサーに詳しい人間が削除なり決めるべきだ、のあたりとか。)。しかしながら、頭っから「よくわからんことやってますね」。そのままお返しします。「よくわからないことに手を出すな」。何度も、何度も井戸端に上がっている話題です。きちんと調べるなりすれば、少なくともこういう言い方や書き出しにはならんでしょう(著名性とかも理解しているか怪しいと感じます。失礼ながら)。ましてや一方的なレッテル付けであるかのように「削除主義者」を使って欲しくはありません。2つ目。「削除依頼に関する議論でその発言のためだけに作られたアカウントってソックパペットに相当」?冗談じゃありません。少なくともコレで俺はあなたと対話する気がなくなりました(「その発言のためだけに」というのは好意的に理解すれば、その一票のためだけに作られたアカウントとも理解できますが、ご存知の通り、投稿回数が規定に満たないものは賛否権を持ちません。従ってこの発言には当てはまらないでしょう。理解せずに、この意図で発言されたのであれば、「その程度のルール把握で、それに関連する話題について他者を批判するな!」と強く指摘しておきます)。俺はもちろん自分で編集することもしますが、削除に票を付けるということも積極的に行っていますので、非常に不愉快です。1点目はともかくとして、2点目に付いては発言の訂正ないし釈明を求めます。語調が強くなりましたが、俺の意見は以上です。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月26日 (火) 01:32 (UTC)[返信]
競合しましたがそのまま乗せます。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月26日 (火) 01:32 (UTC)[返信]
例えば、1つのアカウントで主張した意見をもう1つのアカウントで支持してはいけません。これがソックパペットと呼ばれる不正な使用法の一例です。」も読んでない人が把握しているルールってのがどんな脳内ルールなのか大変気になるということを強く指摘しておきます。投票以外なら多重アカウントあり、何でもOKとでも思っているんでしょうかね?投票に類する議論への参加自作自演などいろいろ書いてありますね。ところで利用者‐会話:Ish-kaを見るとなかなかおもしろいギャグがありますね?

ちょっと気が変わりました。立候補してみるかもわかりません。これはいたってマジな話で。ギャグだと思ってちょっとクスリとしていただけたのならok、大満足です^^ そういうのが好きなのでー。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月15日 (金) 04:25 (UTC)

このセクションは非生産的な削除活動ばっかりやってる輩は何がしたいのかというテーマな訳で、当然発言者がどんな投稿や削除・編集をしているのかはこの上なく重要なわけです。多重アカウントとして容認されるような使用法である「感情的な対立を防ぐ」目的とは180°異なるようで。--125.14.181.38 2007年6月26日 (火) 03:41 (UTC)[返信]
?? ソックパペットの定義くらいは当然読了しておりますが。だからこそ「削除依頼に関する議論でその発言のためだけに作られたアカウントってソックパペットに相当」というあなたの言葉に反応した次第(きちんと「好意的に見れば~」と注釈、付けてますけど)。というかなぜ俺の「脳内ルール」とやらがそこででてきますか。どうも「理解ライン」と言うコトバを誤読されているように思います。「理解ライン=理解度」ではありません。これもその後に括弧付けして注釈をしています。斜め読み、とまでは言いませんが、フォローしているところにツッコミ入れるのは少々拙速ではないですか?
「このセクションは非生産的な削除活動ばっかりやってる輩は何がしたいのかというテーマ」と、「発言者がどんな投稿や削除・編集をしているのかはこの上なく重要なわけです」というのはどういった関連が?それはどこだってそうでしょう。わざわざ言わなくても。というかその後の「多重アカウントとして容認されるような使用法である「感情的な対立を防ぐ」目的とは180°異なるようで」というのは…もしかして俺、多重アカウント扱いされてる…?誤読かも知れませんが、一応明確に、多重アカウントであることもないし、多重アカウントを持ってもいないことを宣言しておきます。
論点がずれてきました。もう一度俺の意見を明確にしておきます。「削除をする人と、残しておく人の間には、明確な考え方の違い(≠脳内ルール)があり、互いの考えを尊重した議論なしに、理解できることはありえない」(従って、現在の125.14.181.38さんと削除する人は絶対に相容れない。行動の根本である考え方が違うのだから当然)。「項目を残しておくのであれば、記事のヴィジョンについて明確にエクスキューズできるようでなければ削除されることに文句は言えない」(なぜ必要なのか。この先記事をどうしたいのか。それがないなら例えばアナウンサー名鑑などでよいのでは。WP:NOT)。以上2点。125.14.181.38さん個人に対してはいいでしょう。できればもう少し明確に反論なりしていただきたいものですが、議論が拡散しては意味がありません。利用者‐会話:Ish-kaででもやればいいことでしょう。
最後に、「今回の点と脈絡のないところから、まるで脈絡があるかのように」人の発言を誤用するのはやめていただきたい。「個人攻撃だ!」などと触れ回るつもりもありませんが、(俺に対して、他者が)誤解をすることもあるでしょう。そのような引用はどうなのでしょうか?--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月26日 (火) 04:38 (UTC)[返信]

ここで一つの疑念がわいてきました。どうも編集実績を作って管理者になるためなのか、手当たり次第に削除・編集を積極的にやっている者が一部いるようです。そのこと単体はやりようによっては問題になりませんが、その経過でその記事がいつ作られたか、どのくらい発展してきたか、加筆者はいるのかなどを数ヶ月くらいは観察して削除依頼してるんですよねもちろん?まさか、手当たり次第にルールを適用して、ある瞬間にガイドラインから外れていれば即削除、即編集とかしてないですよね?どうして編集対象のジャンルが一定していなくてめちゃくちゃな人物がいるのか大変気になります。数を稼ぐのでなくて本質的にWikipedia質を向上させたいのであれば、必然的に自分がよく知っている事柄の編集・削除となると思うのですが。 雑草取りを僭称して新芽つぶしを行う動機がある輩がいないことを祈ります。--125.14.181.38 2007年6月26日 (火) 03:41 (UTC) Wikipedia:整理依頼を見てみるとサブスタブのような記事を見つけたら加筆できるか検討、加筆依頼実行、経過を観察して削除依頼するなど様々な対応がとられているようです。ガイドラインでもそのように進められていますしね。 サブスタブ以下だから見つけ次第即削除だ、粗製乱立だから見回って大量削除依頼だ、というのはきわめて特殊なイズムのようですね。自覚してください。それで、そういうことをすると誰が何の得をするのか大変に気になります。 少なくとも見回って即削除なるイズム、これは削除主義としか呼びようがないわけですが検索性があがるわけでもないし、リソースが減るわけでもない。(くだらない削除依頼に使うリソースの方が大) 誰が何の得をしますか? Wikipediaはある瞬間に百科辞典的でない記事を許容しています。その上で百科辞典的な記述になるように様々な方向性が示されているわけで、それはガイドラインと呼ばれています。法律でもルールでも規則でも処罰規定でも血の契約でもなく、ガイドラインです。ある方向にある程度の期間を経て向かっていけという意味ですよ?それ故ある瞬間のスナップショットをとってそれが百科辞典的でないと批評することにはかけらほども意味がないわけです。それ故発展中・未発展の記事や信頼性が確かでない記事にはその旨を明示するようにし、それを見た人が加筆するチャンスを担保している訳です。内容がわからないで編集・削除している輩はやはり雑草取りを僭称する新芽つぶしとしか思えません。--125.14.181.38 2007年6月26日 (火) 04:29 (UTC)[返信]

えーと、あまり自意識過剰になっても仕方ないとは思いますが、前後の流れからすると「編集実績を作って管理者になるため」に「手当たり次第に削除・編集を積極的にやっている者」というのがどーも俺のことだという気がして仕方がない。一般的な話だとは思うのだけど。そういうのは立候補したってはじかれるだけだから、そういう風にはならないでしょ、と思う次第なのですが。まぁいいや。
この手の、「削除して回る奴ってなんなの?」という議論を見るたびに思うのは、「質の悪い記事をスタブと称して作って回る奴ってなんなの?」ってことで。確かに、最初の段階で質の高い記事を書くということまでWikipediaは求めていないんですが、かといって今の状況を容認しているわけでもないです()。でもま、確かに「内容がわからないで編集・削除している輩はやはり雑草取りを僭称する新芽つぶしとしか思えません」というのには迎合出来るところもあって(参考。下のほうで意見陳述してます)、俺としては一応削除依頼に出されてて、自分でコメントを付けるものに対しては、よほど酷くない限りきちんとチェックするようにしてます(内容もそうだし、削除事由もそう)。

というか、「削除して回る奴ってなんなの?」という議論があるたび、「じゃあどうしたいの?」と聞き返したくなることもあり。実際、この議論立てた125.14.181.38さんも、「どうしたい/どうしてほしい」という改善提案はされてないですよね?一度聞いてみたかったんで(いい機会なので)聞きます。「で、どういう風に改善をしたいのですか?」--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月26日 (火) 05:12 (UTC)[返信]
この部分は余計でした。よくよく考えてみると、「じゃあどうしたいの?」と聞かれているのは「削除する側」か。とりあえず俺は「削除する側」だと自認してますので、後ほど意見を述べることにします。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月26日 (火) 05:17 (UTC)[返信]

本筋とは関係ない話で恐縮ですが、ひとつだけ。125.14.181.38さんが上で繰り返し述べられている「雑草取りを僭称する」という言葉の用法は間違いです。

  • 僭称という概念は、その概念を用いる社会が身分社会であることを前提とする(したがって、身分社会でない場では使うべきではない)
  • その上で、自分の身分を越える称号を名乗ることを僭称という(勝手に名乗ることではなく、身分社会を侵すことが非難の対象である)

という2点は踏まえておいてください。ウィキペディアのコミュニティは身分社会ではありませんので、その時点で「僭称」という概念に当てはまりませんし、ましてや「雑草取りを僭称する」では「その人物は雑草取りより低い身分である」といっていることに等しく、相手の人を非常に侮蔑する表現になってしまいます。こういう表現は要らぬ論争の元にもなりかねませんので、ぜひとも避けていただくようお願いします。(長すぎる節を分割しました)--Haruno Akiha loves blue. / Talk / History 2007年6月26日 (火) 09:26 (UTC)[返信]

問題点の確認と分析

[編集]

すごく長くなってきたので論点をまとめます。 まず私がこのトピックを作るに至った動機です。

  • アナウンサー・芸能人などの記事を粗製濫造している者達と、そうではないと考えている者達がいて頻繁に問題になっている。
    • アナウンサーに関しては記事を作っている人たちがプロジェクトを作って何とかしようとしている。
    • 削除しようとしている人たちは削除依頼を出したりしているが、結構存続に決まっているらしい。
    • 問題を起こす人は一対一ではなく、入れ替わり立ち替わりであることからここに構造的な問題が潜んでいることを感じた。
  • 件の「乱立されているとする記事」を見てみると、荒らしのような感じではないし投稿者はそれなりに生産的な活動をしている模様。
    • 一方、削除者の投稿履歴を見てみると批評的な一言を書いて文章を大きく削除するような行為を繰り返している。
    • また、井戸端の他の説には「削除主義者」なる項目があって、正に批評的な一言を書いて文章を大きく削除するような行為を繰り返している者がその対象となっていた。
  • そこで、削除主義者は実在し、何らかの意図を持っていると仮定して削除主義者とされる者の投稿履歴を見てみた。
    • 結果、ほとんど加筆や修正をせずに、一言書いて削除するだけという行動しかほとんどしていない者がいた。
    • 削除主義者は正しくてWikipediaの現状がおかしいのかと仮定してその様相を様々な投稿履歴・発言から探ってみると、どうも削除主義者は投稿ブロック処分を受けたり、管理者から注意されたりしていることが多い。
    • 結論として、削除主義者は削除主義者として認識して対処するべき問題だと認識した。
  • 削除主義はWikipediaの様々なガイドラインや考え方に背いているわけで、なぜそのような主義を維持する必要があるのか情報を得る必要性を感じてトピックを作るに至る。

で、情報を得た上での分析ですが、

  • 削除主義者
    • 記事をほとんど書いた経験がない。だからWikipediaを長期的で大規模なコラボレーション事業で、常に発展途上のものだとは見なしていない。
    • 「完璧なるWikipedia」なるものがあってそれが侵されていると認識している。
      • あとからその記事を読んだ不快さを裏付けるガイドラインを教条主義のように探してくるが、どういう精神でそのガイドラインが作られたか理解していないので適用の仕方がめちゃくちゃ。というのは削除主義者にとってのガイドラインは自分がタダで使える完璧な百科事典に対する「荒らし」を退治するためのものと認識しているから。
      • 使えない部分が少しでも含まれていれば、その投稿者の投稿を丸ごと削除する
        • この管理人気取りのガイドラインを無視した行動が多くのトラブルを引き起こす原因。
  • 一般的な投稿者(Wikipedia:加筆依頼Wikipedia:修正依頼Wikipedia:整理依頼)
    • 問題のある部分があったらその中で生かせる部分と容認できない部分に弁別し、情報量としてはさらに増えるように再構成していく。内容を弁別できなさそうなときはそれは他の記事を洗練できる投稿者の仕事と考える。
    • 「常に発展途上のWikipedia」だから、未発展の記事があっても目くじらたてない。ただし、その記事の信憑性や発展度については明示してほしいと思っているし、あまりにも発展性がないものいくらでも許容するわけではない。
    • スタブやサブスタブ以下の記事を見つけたら、自分のわかることならスタブ以上のものにしようとする。
      • それはプロジェクトを発展させてきたもの達への敬意があるから。
    • スタブやサブスタブ以下の記事を見つけて、それが自分のわからない記事ならだれかわかる人がスタブ以上にしてくれるに違いないと考える。
      • なぜなら、自分自身がどうしようもないスタブをそれ以上のものにしていった経験があるか、その歴史を目撃したことがあるから。

それでも、削除主義者などいない、レッテル張りだ、「荒らし」がいけないんだとしますか?--125.14.181.38 2007年6月26日 (火) 08:02 (UTC)[返信]

バイト過多のメッセージも出ていましたし、わかりやすいと感じますので一度項目をわけます。
ちょっと待ってください。少し定義が一方的すぎやしませんか。ひとつひとつ反論させていただきます。
『削除しようとしている人たちは削除依頼を出したりしているが、結構存続に決まっているらしい。』--事実誤認です。直近でまとめて提出された削除依頼には例えばこのようなもの(例1例2例3など)がありますが、議論を経て存続となったもの以外はきちんと削除されています。のべつ幕なしに削除依頼を出すような荒らしをしているわけではありません。
『削除主義はWikipediaの様々なガイドラインや考え方に背いている』--事実誤認です。確かに、Wikipedia:スタブでは、「加筆の方向で編集すべし」となっていますが、同時に「サブスタブ未満記事を乱造するな」ともなっています。ウィキペディアは何でないかには、例えば今回のアナウンサー記事に関してであれば、

ウィキペディアの伝記は大きな業績を残した人物についてのみ取り上げられるべきです。「大きな業績」かどうかは、様々な外部の情報源において取り上げられているかどうかで評価すべきです。

と明記されています。ただし、WP:NOTは削除とは直接かかわりのないことも明記されています(ただし、百科事典的でない記事を見つけたときの対処として、削除依頼という方法は挙げられています)。Wikipedia:削除の方針にも、「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」は削除要件として挙げられています(もちろん編集対応についても記述されています)。
また、他についても、「結果、ほとんど加筆や修正をせずに、一言書いて削除するだけという行動しかほとんどしていない者がいた。」や「削除主義者は正しくてWikipediaの現状がおかしいのかと仮定してその様相を様々な投稿履歴・発言から探ってみると、どうも削除主義者は投稿ブロック処分を受けたり、管理者から注意されたりしていることが多い。」など、印象論が多く、せめて参考になるもの(ブロック依頼の議論や前例、判例)なども一切示されていない。
以上の点などから、導かれている分析が非常に一方的にすぎます。これでは正直議論になりません…。上に書いたとおり、ケースEにしろスタブにしろ、存続・削除の意見をぶつけることによって意義があるのに、削除する側を一方的に無視ないし軽視するものの見方ではやはり相容れないでしょう。
正直、Wikipediaの記事なりコミュニティなりを良くしたいのか、それとも単に批判したいだけなのか、論拠がよくわかりません。前者であれば「だからどうしたい」という改善提案が必要と考えますし、後者であるならば、自然とフェードアウトしていった他の議論同様になるだけではないのかなと思う次第なのですが。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月26日 (火) 08:55 (UTC)[返信]
削除主義者のトラブル例・ブロック例を投稿しましたが個人攻撃に相当するそうです。

とにかく問題投稿者は実在するということです。--125.14.181.38 2007年6月26日 (火) 14:39 (UTC)[返信]

ひとつ思い出したので。先日、三浦綾子三浦綾子 (アナウンサー)で平等な曖昧さ回避を作った人がいらっしゃいました(現在は元に戻っていますけれど)。個人的にはアナウンサー記事自体は(あってもなくても)どうでもいいのですが、こういうことがあると、ちょっとそれはどうなのよ、と言いたくなります。--co.kyoto 2007年6月26日 (火) 10:16 (UTC)[返信]

問題点云々言っても、「百科事典的か否か」に尽きるでしょう。数学分野で点対称がサブスタブで立つのと、せいぜい集合公式サイトくらいにしか情報ソースが無い無名の「ペーパー読み上げ屋」の個別記事が同年度入社分だけサブスタブで乱立するのとでは意味が違い…過ぎます。ガイドライン云々以前に、Wikipediaは「百科事典を編纂し提供するプロジェクト」ですから、それにそぐわない記事はザクザク刈り取られて当然です。某IPユーザーさんは話混ぜ返して「粗製濫造されたアナウンサー記事」と「サブスタブ記事」を同一視しているようですが、点対象の記事は放っておいても充実するのに対して、「無名ペーパー読み上げ屋」が発展するかどうかは同人物の活躍如何にもみ収斂され、ヘタすりゃ無名のままかもしれませんので、有効な記事が作成可能になるまで待つしかありません。そんなのは、有象無象羅列したリストで十分。個別記事として成立できる記述分量が出揃うまで(無理矢理分量増やそうとしてスケジュールをダラダラ書かれるのも馬鹿馬鹿しいが)粗製濫造しないことが肝心ですね。--夜飛/ 2007年6月26日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

件のアナウンサー記事に関してですが、個人的には一般的な会社員と同じ扱いでよいとは全く思いません。また、売れない芸人とも違うでしょう。それは、アナウンサーなどはマスメディアの人間として露出・発言を繰り返しており公人としての側面を持つからです。芸人として有名かどうかという観点ではなく、権力を持つ公人として様々な意味で注目すべき価値があるということです。たとえばある地方でかなり長時間露出している人間なのに、その地方に住んでおらず所属と番組名しか書いてないから無内容だ、サブスタブだと断じてしまうことが不適切なこともあるわけです。わかっている人から見れば番組名と局を書いただけでかなりの影響力を持っていることが通じているのかもしれません。また一部の者がやっているテレビディレクター・プロデューサーだから即削除というのも同じ理由により常に適切とは限りません。昨今問題になっているやらせ問題などを勘案すれば第四の権力論として言われるように番組制作者・出演者は権力者としての側面を持っており、地方政治家くらいの百科辞典的価値はその経歴・所属・番組だけであり得る訳です。 削除主義者が有害だと思うのは、そのようなことを一切考えたり議論したりする余地を与えないことです。 削除主義者は現状維持だけに興味があり、発展を阻害していると思います。 そして、畑違いの削除ばかりやる削除主義者というのは規制するべき対象になり得るんじゃないかということです。実際に頻繁にトラブルを起こしている記録が残っていますし(実例は個人攻撃になるそうなので書けません)、記録に残っていない発展機会の喪失は決して無視していいようには思えません。 畑違いの削除を一時間に十数回も行っているような実例があるのですが(その結果内容をよく理解せずに削除しておりトラブルに発展し、結果として削除主義者が間違っていた)、そのような行為は際限なく許されるのか?どこかで規制するべきなのか?これを皆さんに聞いてみたいです。--125.14.181.38 2007年6月26日 (火) 14:39 (UTC)[返信]

いやあ、新人ニュースキャスターなんぞ、プロンプターに出たペーパー読むだですよ?これで自分の主張とかぶち上げちゃった日には、偏向報道だなんだと叩かれるだけ。まあ、叩いた側もいつのまにか忘れちまってそうだけど。大概に於いてニュースで記事読んでる奴の名前が○山○太郎だろうが×川×子だろうがペペロンチーノ・ゴンザレスとかモランチョ・プランチョであろうが、ニュースの内容さえ間違えず意味が通じていれば誰も気にもとめませんって。ついでに言うとWikipediaは速報やるところでもないので、何時何処のニュースで新人キャスター氏がペーパー噛んだとか何処其処のイベントに取材に来たとか、不毛な速報もすべきじゃありませんね。百科事典ですし。--夜飛/ 2007年6月26日 (火) 14:58 (UTC)[返信]
(コメント:夜飛さん)たしかにwikipediaは「web上の百科事典」なのですが、書籍の百科事典との相違点の中に一発で見たいページが検索できるというのがあります。つまり、検索画面を使えばいちいち他の項目を見なくてもその項目にたどり着けるのです。つまり、その人にとって百科事典的事柄でないから必要でないことは、他の人にとっては大事な資料であり必要かもしれないのです。
ですから、本当に記事が増えすぎて迷惑を蒙るのは管理しているWikimedia財団であり、管理人以外の人が(嘘や適当に書いたものを除いて)記事数を調整するのは本当は余計なお世話なのかもしれません。
結論としては夜飛さんがおっしゃった「益体無い記事を作るくらいなら、より多くの人に求められる記事を充実する」ということに尽きると思います。

そのために局記事内の赤リンクを消すなり、アナウンサーの項目にコメントを付け加えるなり(もちろん記事のサイズを気にしながら)して、リクエストに応じていくのが 利用者にできることなのかもしれません。 --kg1205 2007年6月28日 (木)

これでラストにします。おそらく、さまざま拝見するに、この議論は、ディスカッションとしてあまり有用ではなさそうなので。
というのも、ここまでの展開から導くに、提起者である125.14.181.38さんの意見はどうしても「削除主義者は有害」と、ただ言いたいのだろうと考えるからです。主な理由は3つ。『Wikipedia内で削除主義者がブロックされたりしているのであれば判例を提示していただけないとわからない』としたことに対し、『ブロック依頼での議論ログやコメント依頼でのログではなく、一個人の利用者ページを引用しただけである』こと(これは当然個人攻撃にあたります。基本方針を理解されていないのでしょう。かつただの3RRブロックであり、どっちみち125.14.181.38さんの意見の裏づけにはならないです)。『利用者ページでの記述や方針文書を斜め読みし、ルールを曲解(一方的に削除主義・包括主義のどちらかに与するような記述を、方針文書はしていません)したままで議論を進めている』こと(俺が指摘させていただいていますが、理解していただけなかったようです)。『削除主義者が問題である』と繰り返すばかりで、『他の方の指摘を受け入れていたりはしない』こと(『質の悪い記事をどうするか、という根本的な問題をスルーしつつ、削除主義のみを問題視している』こと、と言い換えもできるでしょう)。以上3点です。議論と言うのは言い合いではなく、お互いの意見をミックスすることです。コトの本質は何かを導き出そうとせず、特定の思考の批判をただ続けたいのならば、それは議論ではありません。
上の『畑違いの削除を一時間に十数回も行っているような実例があるのですが(その結果内容をよく理解せずに削除しておりトラブルに発展し、結果として削除主義者が間違っていた)、そのような行為は際限なく許されるのか?どこかで規制するべきなのか?これを皆さんに聞いてみたいです』というのは明確に反対ですが(そもそもトラブルだったのではなく荒らしだったのですよ。あなたの持ってきたあのケースの場合は。それを「削除主義者が悪かった」とするのはもはや事実誤認などではなくミスディレクションです。従って、具体的ケースが示されないのであれば反対です)、表明したところであまり変わりはないでしょう。以上です。何らかの理由がない限り、以降この議論からは離脱いたします。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月27日 (水) 01:11 (UTC)[返信]
その「一個人の利用者ページ」に管理者が注意を書き込んでいる訳ですが。しかも「かつただの3RRブロックであり」というのは聞き捨てならんですね。やはり管理者に立候補うんぬんはジョークにしか聞こえません。何様のつもりなのでしょうか?荒らしを見つけたら実力行使してよい、という考えは管理とは対極にある荒らし行為そのものです。自力救済の禁止の法理と基本的には同じ考え方です。やはり、この程度すら把握していない者のいう「基本的方針」とはどのようなものなのか大変気になります。そのような管理者気取りの越権行為、ガイドライン無視の削除行為をするものを削除主義者と呼ぶのであり、有用な削除を行っているものはそもそも削除主義者とは認識されないのです。削除の量ではなく質です。そもそも私が書いていることは包摂主義でも何でもなく、一般的な投稿者(Wikipedia:加筆依頼Wikipedia:修正依頼Wikipedia:整理依頼)として観察される、ガイドラインに沿った行動をまとめているだけです。

少なくとも気にくわなければ内容を理解できなくても即削除、自分が荒らしだと認定すれば即実力行使みたいなのは荒らし以外の何者でもないです。そんな対応をガイドラインは認めてないですからね。ガイドラインのどこに「まず削除しましょう。それから様子を見ましょう。」なんて基本方針があるんですか? 順番が全く逆です。そのようなやり方はWikipedia:加筆依頼Wikipedia:修正依頼Wikipedia:整理依頼の存在を全否定しているわけで、削除荒らしと呼ぶべきものです。Wikipedia:加筆依頼Wikipedia:修正依頼Wikipedia:整理依頼のようなやり方が成立するまでに至った議論や努力をすべて無に帰するものであり、議論を否定するものが管理者たり得ないのは論を待たないでしょう。 あなたが管理権を欲しがったとしても、「かつただの3RRブロックであり」という発言はしっかり引用・紹介させていただき投票者の判断に資したいと思います。そして擁護している対象とべったり懇意なことも紹介するべきですね。--125.14.181.38 2007年7月1日 (日) 09:38 (UTC)[返信]

(コメント:kg1205さん)上でco.kyotoさんが挙げられている「三浦綾子三浦綾子 (アナウンサー)の問題(同姓同名の著名人が他に存在する)」のようなケースもあり、まだほとんど無名な人物の名を関した粗製濫造記事を乱発することでで記事名前空間を占有すべきではないとも考えます。Wikipediaは実際どれだけの年月を経て残るかを予言することは出来ませんが、プロジェクトの性質上でミラーリング(またはミラーサイト)や複製などの形で情報の拡散を起こさせることも前提としており、その過程で「単に赤リンクを青くするため」と称して粗製濫造された記事群が存在することも望ましいこととは思えません。Wikipediaのデータ構造がどうなっているかは詳しくはしりませんが、部分的にカード型データモデルの抱える「重複による冗長性」という問題と同じように濫造された記事群の重複記述による冗長性もあるかもしれません。
正直な所として、(多くの3流芸人やマイナーフィクション作品に関する記事も共通して言えることですが)無名アナウンサーのどれほどが将来「百科事典に残すに値する活躍をするのか」という点は甚だ疑問視せざるを得ません。せめて(ダラダラ・スケジュール羅列は抜きにして)記事として成立し得る分量を記述できるだけの上方が出揃うまで待つほうが宜しいかと存じます。サブスタブ級アナウンサー記事は、それ自体が既に「百科事典に記すほどの活動実績すらない無名な存在」であることを露呈しているようにすら感じずにはいられません。--夜飛/ 2007年6月29日 (金) 15:53 (UTC)[返信]
そこら辺のことはやはりアナウンサー記事の内容がわかるもの同士でやるべきだと思います。私が危惧しているのは「●●県の『みのもんた』」みたいな人物が居たとして、当該記事を作った者がスタブから徐々に書いていこうとしていたとしても削除主義者は投稿された時点で瞬時に削除してしまうことです。

削除主義者は内容理解・経過観察が伴っていないので削除主義者にかかれば「●●県の『みのもんた』」も「百科事典に記すほどの活動実績すらない無名な存在」も同一視されるということが問題なのです。内容がわかるもの達が一定期間経過観察して判断するというプロセスを認めない限り、Wikipediaは発展しません。 とにかく発展なんかより些末な記事が少ない方がいいんだというのであれば、Wikipediaの現行データをダウンロードしてオフラインで使えばいいだけです。 誰にも荒らされずに、好きなだけ削除できるでしょう。ただし、だれも新しい知識を与えてはくれないでしょうがね。--125.14.181.38 2007年7月1日 (日) 09:38 (UTC)[返信]

発展のためのコスト

[編集]

井戸端の話題が1つ増えているようになっていたので「=」2つから3つに変更しました。--Widehawk 2007年7月1日 (日) 22:24 (UTC)(さらに変更します。--DEN助 2007年7月5日 (木) 06:51 (UTC)[返信]

この話題は、アナウンサー記事の粗製濫造が発端ですが一般的な話題になってきたので別の項目とします。--125.14.181.38 2007年7月3日 (火) 15:49 (UTC)[返信]

ようやくわかりました。削除主義者は要するにフリーライダーの一種なのです。削除主義者はいつもいいます。「俺たちが削除しないのなら、どうしようもない記事はどうするのだ」と。

ウィキペディアは言うまでもなく共同作業であり、これはGNUの精神を受け継いでいます。コピーレフト#思想的背景

著作物の利用権の共有 インセンティヴ論に基づく著作権制度という議論はあるものの、著作物の利用権を共有(準共有)することは、著作物をより発展させるための有用な手段となりうる場合がある。これは典型的な商業ソフトウェアが制作・流布される際に、複製や内的構造の研究(リバースエンジニアリング)や改変が禁じられているために、既存のソフトウェアを改良して新しいより優れたソフトウェアを開発する可能性が閉ざされている、という点を考えると分かりやすい。あるいは、インターネットを支える基礎的な技術はソフトウェアを共有し改良し合うことで発展してきたということを考えても良い。

これによりすばらしい共同著作物を得ようという精神が根底にあるのであり、そのための方便として無料であることや再利用が可能なことが要求されるのです。 ですから、無料で質の高いモノが利用したいから共同作業はどうなってもかまわない、という削除主義者の行動はどうみてもWikipediaの思想と対立します。 一時的に百科辞典的でない記事が存在したら、その価値を判断できる者が編集するときに適切な対応をするまで待つ。それが共同著作物を得るために払うべきコストではないのですか。 批評家的に、よく内容を理解せずに削除しまくっているようなのは、この発展のために必要なコストを払うことを拒否しているのです。このような者は今すぐ無料で完璧なモノを利用したくて、それを邪魔する者を排除したいと考えており、行動に移しています。 発展を拒絶し、いついかなる時も百科辞典的と己が認める記事が含まれる瞬間があってはならないと考えるならば、Wikipedia:データベースダウンロードへどうぞ。 オフラインで好きなだけ編集し、荒らしも「粗製濫造」もない、きれいなWikipediaが今すぐ利用できますよ。 そのかわり、削除主義者には誰も新しい知識を与えません。当たり前です。発展のためのコストの支払いを拒否しているのですから。 何度でも言います。発展途上の記事があったら、その価値がしっかり判断できないなら放置すべきです。その価値をしっかり判断できる人が編集してくれる人が現れるまで待つことそのものが削除主義者の不満に対する対案であり、そもそもWikipediaのガイドラインで目指していることなのです。 内容がわからなくても機械的に削除することに意味があるならとっくにBotに実装されてます。たとえば節・項目のサイズと有効な出典のリンク数の比率が一定以下なら自動削除とか、「主観的しか用いられない形容詞」が含まれていたら自動削除とか、記事内容とググった内容で一致する部分を発見したら自動削除とか。現実にそのようなBotレベルの行動しかしていない者がいるが、自動で実装できることをあえて実装していないという意味を全く考えていないとしかいいようがない。--125.14.181.38 2007年7月1日 (日) 12:19 (UTC)[返信]

一言だけ…「陰謀論的視点だね、それは」。というか「アナウンサー記事の内容がわかるもの同士でやるべき」なのであれば、場所の設置も百科事典としてのWikipediaではなく「アナウンサーペディア」でも設置すればいい。どんなに定義未満でも、誰にも削除されませんよ。--夜飛/ 2007年7月1日 (日) 13:09 (UTC)[返信]

なにも「アナウンサー記事」について言っているわけではありません。どのような記事でも、それを理解できる者が不要かどうか、発展しているかどうかを経過観察を行うべきです。内容がわからないのだから、定義未満かどうか判断する資格すらないですよ。略歴載せただけで定義になるような人物はいくらでもいます。その内容が判断できなければ「たとえよかれと思いこんで行った削除」であっても知的な貢献とは言い難い。記事サイズで即削除するようになっていないのがなぜなのか一度も考えたことがないのでしょうね。これも、発展のためのコストを支払うという概念を考えたことのない人には一生気づかない問題でしょう。部外者は、定義かどうか判断する能力すらない。あまりにも当然のことです。なんなら数学の項目で「スタブ以下っぽい長さ」の記事をとってきて、今から「定義になっていない」とコメントしながら削除して回ってはいかが?「おまえは定義が何であるかすら理解していない」と追い返されると思いますけど。部外者である削除主義者はBot以下の存在です。Botはまだ制御が効きますからね。--125.14.181.38 2007年7月1日 (日) 14:00 (UTC)[返信]

いっそWikiaへ行ったらどうですか。Wikipediaはあなたを満足させるものにはならないでしょう。他のユーザを「フリーライダー」とまでおっしゃるのでしたら、その方がよろしいでしょう。 -- NiKe 2007年7月1日 (日) 14:03 (UTC)[返信]

削除主義者が理解して実行できるような分野違いの編集は、初めてその項目を調べて不審に感じた人や、その分野に加筆しようと思った人が片手間に瞬時にできるレベルの削除でしかありません。GNUおよびGFDLの考え方ははっきりとコピーレフト#思想的背景にあるような著作物の発展の考え方を基礎としており、品質保証された無料製品を欲しがるような行動こそWikipediaの議論には存在しなかったものです。 Wikipedia:削除の方針には、

説明にも満たない記事、間違いがあるもの、読んでいて意味不明なものなど。

無意味な記述を参考にしてください。即時削除の対象となるものもありますが、スタブ標識を挿入したり加筆依頼、整理依頼に掲載することもできますし、あなたの手でおすすめ記事や秀逸な記事に仕上げたりすることも考えてみてはどうでしょう。

とあります。そして、 Wikipedia:無意味な記述によれば、

しかし、その内容について、明らかに無意味であるとは思っていない人がいて、上のような対処法に反対している場合には、その記事について議論し、合意に達するべく努力するのがベストです。特に、「無意味」なものを書き直して、それ相当なものにまで仕上げたいと言っている人がいる場合には、仕上げる時間と場所を提供してあげましょう。

とあります。私が言っている削除主義者はこのガイドラインに違反している者達であり、はっきりと言えばWikipedia:管理者伝言板/荒らしの「方針文書の要熟読」に回すべき対象である可能性があるということです。 このようなガイドライン違反に対し、なぜそれが違反なのかを説明する言葉がフリーライダーということです。 --125.14.181.38 2007年7月1日 (日) 14:39 (UTC)[返信]

削除主義者は他者の存在を認めない

[編集]

結局、削除主義者は「自分の考える完璧百科事典」に沿ってるかどうかが行動基準のようですね。 定義になっているとはそもそも何なのか、説明になっているとはそもそも何なのか、百科辞典的であるとはそもそもなんなのか、これこそが個別の記事ごとに議論の対象であるからこそノートがあるわけですが削除主義者の行動を観察していると、ノートを使用している形跡が少なすぎます。 削除主義者の脳内基準に照らして削除フラグが立ったらガイドラインは一切すっ飛ばして対話なし、議論なしで削除。 いっそのこと、投稿資格として方針文書やガイドラインを読んだかどうかのテストを実施してはいかが? まぁ現状ではこのような削除主義者達は監視し、各方針文書やガイドラインに背いていることを指摘し議論。対話を拒否したり改善が見られないようであれば「方針文書の要熟読」として投稿ブロック依頼に回すべきですね。 「方針文書の要熟読」である削除主義者達は明白に荒らしとして認識し、監視するべき対象であると思います。少なくとも、コピーレフト#思想的背景位は読みましょう。削除主義者達が読めない、記憶できない量の方針文書やガイドラインも、結局はコピーレフト#思想的背景に縮約されるわけですからね。コピーレフト#思想的背景に異議を唱えるものこそ他のプロジェクトに行くべきだと言っておきます。--125.14.181.38 2007年7月1日 (日) 18:55 (UTC)[返信]

自分と異なる思想の持ち主を声高に非難するばかりの方には、何を言っても通じないのだろうと思いました。このセクションはもうクローズすべきなのでしょう。
しかしここのところ、何かと「コピーレフト」と唱える方と遭遇しているような気がします。なんかの流行なのか、それとも同じ人なんでしょうか? -- NiKe 2007年7月2日 (月) 07:08 (UTC)[返信]
コピーレフトが私の思想ですか?どのようにその項目を読んでも私の貢献はなさそうなのですが。私が言っていることは私の考えではなく、GNUの考え方をちゃんと読んだだけに過ぎません。あまりにもウィキペディアの基本をすっ飛ばしている者が多すぎることが目につくだけの話です。ウィキペディアにとってのGNUやコピーレフトは、憲法前文のようなものであり、すべてはその拘束を受けるのは必然でしょう。GNUやコピーレフトに異を唱えて独自の主義を持ち出すのなら、分離独立運動でもすべきですね。ウィキペディアンの中で「どのくらいコピーレフトが流行っているか」は、日本人の中で「どれくらい憲法が流行っているか」と同じようなものでしょう。つまり、「流行っている」というとらえ方をする時点でかなり異質なものだということです。慢心せず、もう一度GNUとは何なのか読み返してください。--125.14.181.38 2007年7月2日 (月) 14:36 (UTC)[返信]
(Nikeさん)これ以上続けても、件の彼は非百科事典的記事が削除されることに反対し続けるだけのようですし、百科事典を編纂する上で実のある議論が出ないようにも思われます。クローズすべきという意見に賛成です…が、上のほうではより現実的な対応策としてアナウンサー一覧記事の話もあるので、こちらはWikipedia:ウィキプロジェクト アナウンサーに場を移して、続けてもらった方がいいかも。--夜飛/ 2007年7月2日 (月) 09:18 (UTC)[返信]
反対し続けるだけではありませんよ。非百科辞典的記事については「作るべきではない≠即削除せよ」という基本を押さえてほしいですね。ガイドラインが言っているのは「作るべきではない」の方なんですが、削除主義者の独自研究だと「即削除せよ」となります。このような独自研究はGNUの精神を一度も読んだことがないからでしょう。非百科事典的記事を手順を踏まずに削除していく行為は明白にガイドライン・方針に違反しているわけで、方針の要熟読として投稿ブロック依頼していきます。なぜならそのような行為はコピーレフトの考え方が認めないものであり、そのような行為を存在させないためにガイドライン・方針があるからです。読むつもりも理解するつもりも無いというならばそのコピーレフト最後の砦である方針によって処分されるしかないでしょうね。--125.14.181.38 2007年7月2日 (月) 14:36 (UTC)[返信]
よくできたBot並の条件判断しかしていない削除がときどきあることは事実だと思いますが、加筆・整理にも同じことが言えます。削除傾向の強いユーザーが問題なのではなく、Bot並の条件判断しかできないユーザーが編集を積み重ねることが問題なのだと思います。執筆参加の門戸を最大限に広く開けたWikipediaの成長モデルが、必然的に抱える問題です。今のところ、そのような編集には地道に対処するか、自分がおおらかになるかしかないと思います。
Wikipediaにおける削除は一般的に、しようと思えば簡単にできて、失われるものが大きく、復旧は労力を要するものです。記事の対象を熟知したユーザーの深慮の上の削除ならいいのですが、通りがかりのユーザーの何気ない削除かもしれません。これらは見た目で区別できないものもあり、復旧しようと思った場合、復旧する価値のある記述かどうか、どちらであっても無条件に再調査・検討を要求されます。削除と加筆にかかる労力の非対称性は事実です。(もっとも、瑣末な記事が乱造される問題で、作りやすく削除しにくいという逆の非対称性もありますが。)125.14.181.38さんは、軽率な削除の危険性から、削除は記事の対象をよく知ったユーザーが現れるまで待った方がいいとおっしゃっていると思います。しかし、十分な見識を持ったやる気のあるユーザーが待っていれば現れるという記事は少数だと思います。また、内容の貧弱な記事は、その貧弱さが記事の発展の可能性を否定しているというのも、ある程度本当だと思います。
目に余る状態が続いたときは、急ぐ必要はありませんが、いつかは誰かが削除しなければならないと思います。現実的には、十分な見識がなくても、やる気があり、最低限、記事の対象に関する基本用語がわかるぐらいのユーザーであれば、その記事に関わっているユーザーの声を聞きながら削除する手順を踏んでいれば、多少ちぐはぐな削除であっても、贅沢は言えないのではないでしょうか。
--Mr. 辛口 2007年7月2日 (月) 13:25 (UTC)[返信]
ガイドラインは明白に削除主義者の対応を否定しています。削除主義者はガイドラインを斜め読みし、同時に満たさなければならない複数の項目を一個しか履行していなかったり、順番に行うよう指示されている項目を独自の研究ですっとばして強行します。
Wikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れない

ただし、「編集は大胆に行う」ことは、長かったり、複雑だったり、長い論争が続く主題のものを消去するという意味ではないことに注意してください。内容に関して合意を形成中の場合は、本文のそれに関する部分の編集を避けるようにしてください。現在も議論が進行中の記事もありますし、長々と議論をした末にできた項目もあります。そのような項目を深く考えずに大胆に編集することは避けてください。論争になりそうな主題を扱った項目を編集する前に、ノートページのコメントに目を通してください。なぜ、現在のような記述になっているのか、その経緯を理解してください。論争の種となる項目を編集する前に、ノートに、編集したいところを抜き出して、どのように変更するかを提示してください。もちろん、その編集の出典も明示すべきです。ノートに提示したあと、1週間程度待っても反応がなければ、その編集を実行してください。しかし、質問や反論が出た場合には、その調整を終えた後に本文を編集してください。なかなか調整がつかない場合には、投票を行うというのも手段の1つです。

ガイドラインでは記事の質と発展性についてちゃんとバランスをとった対応をとれといっているわけで、削除主義者は引用したガイドラインのうち強調した部分が全く存在しません。要するに削除主義者は読んでない主義者でもあるわけです。ガイドラインは「鳴かぬなら、鳴くまでしばらく待て。鳴かせるように努力してみよ。あんまり鳴かないようなら殺してしまえ。」というバランスがあります。やはりコピーレフト#思想的背景がそのバランスを保たなければいけない意味だと思いますが、思想や精神が明後日の方向に行っているものはガイドラインを正しく解釈できないようです。
十分な見識を持ったやる気のあるユーザーが待っていれば現れるという記事は少数というが、そのような記事は同時に参照されることも少ないわけです。だから記述不足が記事発展中に過渡的に与える影響も小さいわけでそれを我慢することが発展のためのコストでしょう。我慢できなければオフラインで使えばいいってことです。記事の発展性を加筆依頼などで経過観察し、一定期間たったら削除すればいいんです。それがガイドラインの言う対応な訳で、削除主義者は加筆依頼の存在すら知らないんじゃないですか?使ってるの見たこと無いですし。--125.14.181.38 2007年7月2日 (月) 16:01 (UTC)[返信]
基本的に他人に「○○主義者」とレッテルを貼る方とは話が通じにくいのですが、、、
記事の削除は自由にはできないわけですし、記述の除去にはリバートという方法が取れるでしょう。しょうもない記事を我慢するかアクションするかは人それぞれでしょうし、多くの人が参加するwikiのシステム上、そのどちらかを強制するのは暴論にしか思えません。加筆依頼の利用云々は削除依頼の場で主張することもできますし、保留票のような形で投票も可能です。私は、見落とされがちな記事を取り上げる雑草取り行為は意味のあるもので、フリーライダーに比べるとはるかにマシな行為だと思ってます。その対応にまずさがあったとしても是正の手法がある以上、少々のことには寛容になるべきかと考えます。Fuji 3 2007年7月2日 (月) 22:40 (UTC)[返信]
そういうまともな対応をとる人はごく普通のユーザー、雑草取りと呼べる尊敬するべき人物です。私がここで問題にしているのは、その「自由にできないはずの削除」を脳内基準で実行し、編集合戦などのトラブルを引き起こしている人物を指します。犯罪者を犯罪者と呼ぶことが名誉毀損にはならないように、ガイドライン違反をしているものはしっかりとそのガイドライン違反を態様に沿って呼ぶべきです。「レッテル張りするな」と叫ぶかどうかは、実態がどうであるかに何の関係もないですからね。ガイドライン違反をしている荒らしが存在する。その荒らしの行動は削除主義者である。それだけのことですよ。実態をしっかりと認識し、認識を共有するべきだから削除主義者と荒らしを呼んでいるだけです。削除主義者は徒党を組んで削除依頼・集団投票する習性があるので、コミュニティが加筆依頼を検討する前に削除が実行されてしまうんですよ。新規投稿で削除依頼するのはまだいい方ですが、議論も合意もないのにわかりもしない記事をごっそり削除してあちこちでトラブルを起こす荒らし。おまけにGNUの考え方をもっと読んでくださいと言っても、「それはあなたの考え方だ、従う必要はない」と来る始末です。なんでウィキペディアを拘束するコピーレフト#思想的背景が「私の考え」になるのか。ちゃんとガイドラインや方針文書、GNUの背景などを読んで理解することよりも、徒党を組んで削除合戦、編集合戦、投票合戦を行うことの方が現在のウィキペディアのシステムでは有効なようです。GNUの思想を独自思想呼ばわりするのは末期的症状だと思います。あまりにも嘆かわしいことに、荒らしである削除主義者は自分のページに「雑草取り」なんて張ってる。「雑草取り」の四文字以外何も読んでいないとしか思えません。Wikipedia:雑草とりには議論も合意もない独断的削除を肯定するような文言は皆無で、むしろ「私たちはそれをノートページに移して、『これは偏りを除く必要がある』などと書き込みましょう。」とすらあります。この太字を実践しているような人はここで問題になっている削除主義者ではありません。削除主義者は荒らしの一形態、ガイドライン違反・誤読の一形態でありそれなりに目立つ集団を形成しつつあるという点において警鐘を鳴らしています。--125.14.181.38 2007年7月3日 (火) 15:43 (UTC)[返信]
ああ、削除主義者の人たちは読んでない主義者であることを忘れていました。犯罪者を犯罪者と呼ぶことがなぜ名誉毀損にならないかをまず理解していただきましょう。それは公益が犯罪者個人の利益を大きく上回り、社会で認知・対処するべき存在であるからです。こういう思想的背景が全くゼロの人にとっては「犯罪者と呼ぶな、レッテル張りするな」となるのでしょうけど。全く同じ思想により、ガイドライン違反をしている削除主義者は削除主義者としっかり呼ぶべきなのです。それは公益が削除主義者の利益を大きく上回るからです。さらに具体的にくどく言えば、削除主義者を荒らしとして社会=ウィキペディアン達で認識し、ガイドラインの細かい文言と思想的背景を啓蒙していくことが公益だからです。Wikipedia:雑草とりのタイトル四文字以外何も読まないような人たちには、このくらい徹底した対象の認知・啓蒙が必要だと思います。--125.14.181.38 2007年7月3日 (火) 16:07 (UTC)[返信]
もはやIP氏らの演説の場でしかないように見えるのは私だけでしょうか? 「犯罪者を犯罪者と呼ぶことがなぜ名誉毀損にならないかをまず理解していただきましょう」というのは削除の方針なかでもプライバシー条項への批判も含むものだと思いますが、一方で日本の法令、判例で認めれれた「犯罪歴を公開されない権利」(プライバシー条項の論拠でもある)を無視しているようで、容易に賛同はできません。--DEN助 2007年7月4日 (水) 04:39 (UTC)[返信]
前歴がプライバシーと見なされうるのは服役などにより社会がその犯罪者に対して対処を終えたと考えられるからです。その議論があって初めて、ミーガン法は対処が十分とは言えないという問題意識から生まれたものだと理解することができます。それ故未対処・対処中の犯罪者の犯罪に関する事実はプライバシーとは見なされません。単に日本ローカルの削除の方針が、法令を理解してないだけの話です。未対処の削除主義者が削除主義者と識別されるのも同様に正当であると言えます。行動が改まったら削除主義者と呼んではいけません。--125.14.181.38 2007年7月4日 (水) 14:26 (UTC)[返信]
「未対処・対処中の犯罪者の犯罪に関する事実はプライバシーとは見なされません」としても、未対処状態も対処中の状態も未来永劫続くわけではない以上、例えば犯罪歴を時間の経過や刑期満了情報を自動的に取得してオートマチックに削除するシステムが実装されるならともかく、現状ではそこまでは期待できるレベルに到底ない以上、安全に傾倒するWikipediaでは記載を見合わせるとする方針が著しく不当で合理性を欠くとは思えません。Wikipediaは百科事典であって、速報的な情報掲載を旨とするサイトではまったくなく、むしろ50年、100年あるいはそれ以上の先を見据えていることも踏まえるべきでしょう。本筋の議論から外れているように感じるので、この話はここまでにしておきたいのですけどね。--DEN助 2007年7月5日 (木) 06:32 (UTC)[返信]

コピーレフトに関する意見です。ウィキペディア上から文書を削除する行為とコピーレフトの理念とは切り離して考えるべきと思います。一旦GFDLで公開された文書はGFDLにのっとった手順を踏めば再利用可能で、どのサイトででも公開することが出来ます。仮にウィキペディア上から(百科辞典的でないという理由で)削除された文書が他のサイトに(GFDLの要件を満たし)掲載されたとして、それを妨げるような行動をウィキペディア側がとれば、それはコピーレフトの理念とかけ離れた、GFDLにも反する行為と思いますが。ウィキペディアに掲載する・しないの判断をすることがコピーレフトに反するとは思えません。なお、スタブ未満記事の削除の妥当性については意見表明を留保します。--Happy B. 2007年7月4日 (水) 20:13 (UTC)[返信]

削除する行為とコピーレフト概念を結びつけている者は皆無だと思いますので心配は無用だと思いますね。ここで問題にされている削除主義者は削除する前に行うべきことを果たしていないだけです。--125.14.181.38 2007年7月5日 (木) 04:32 (UTC)[返信]
削除が常に正しいものでないのと同じように、加筆待ちで放置するのも常に正しいわけではないでしょう。どちらかのみを推進・排除するのは(コピーレフト概念との直接関係は私には理解できませんが)すばらしい共同著作物を得ようという精神に反しているように思えてなりません。
削除者なりサブスタブ濫造者なりが明らかな悪意を持っていることを証明できる場合を除いて、削除(記述)の意味を考え、その行為に問題点があると判断した時は、再度記述(削除)をするというだけの話です。そして、削除者か記述者のどちらかまたは両方に問題があって、記事が発展することが見込めない時のために加筆依頼からブロックや白紙保護までの様々な手段が用意されています。
あと、共同作業である以上、いろんなところに無駄なリソースの消費があるのは普通だと思います。また、改善を考える場合、主義主張を述べるだけでは百家争鳴になるだけなので、明らかに合意の取れる(もしくは反対のない)辺りから順を追わないと共同作業環境下ではなかなか何もできません。Fuji 3 2007年7月5日 (木) 15:45 (UTC)[返信]