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Wikipedia:井戸端/subj/マスコミ・評論家などについての記事の中立的な観点と出典

マスコミ・評論家についてなどの記事の「中立」と「出典」

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報道や評論についてなどの記事(例:テレビ離れなど)で問題点があります。

そもそも報道については批判が起こっても報道関係者が反論しない、黙殺を決めている例が多いことです。 どの記事でも否が応でも一般視聴者の意見が並ぶことになりますが、報道側が反証しないことを続ければ、たとえ記事を中立にしようと気をつけても一方的な意見しか並ばないことになってしまいます。

また、報道関係の利害に関することですが、報道関係であっても主義主張はあります。しかし報道を元に記事を作成することで、その報道関係者の主義主張に染まった記事ができてしまいます。所属や支持政党、支持基盤、応援他社からの圧力といったものがあります。しかも報道側がどのような主義主張かの出典はないです。

しかし、いくら一般市民が意見を持っても、ブログや個人サイト、有名でない自費出版の書物などは、出典として不備であるとされるため、信用度という力関係で不利なことは明らかです。

テレビの問題にしても、視聴者の観点はあらわせないことになってしまいます。視聴者の意見がどんなにあっても、「査読していることになっている」マスコミがあえて無視や存在を認めない主義を貫けば、一切存在が不透明になるわけです。

マスコミも、信頼ある査読をしているかどうかは、残念ながら証拠はありませんし、中立かどうかも証拠はありません。特定の主義主張のみをあらわす可能性がある以上、それに基づく記事は出典こそ明記できても中立が担保できないことはどうでしょう?大新聞だから、テレビだから間違いないは答えになりません。実際、発掘!あるある大事典のように、信頼あるとされていて批判もないものが実際は全くのうそつきで、責任もなすりあい、視聴者が煽り立てられ社会問題になった例で考えると、「真実でないものでも真実とされると報道する」だけで嘘が事実になってしまう例もあります。

高校野球でも、ネットに批判が載ったり不祥事の事件が起こるが、シーズンが始まるとマスコミも評論家もだんまりですね。結局うやむやのため記事が中立的の問題になります。

それと、インターネット新聞(オーマイニュースJANJANなど)のような、市民記者の記事であっても新聞社が査読する例はどう判断しますか? たぬき 2007年2月16日 (金) 09:48 (UTC)[返信]

仮に全てのテレビや新聞が揃って黙殺している事象があったとしても、それが世間で取り沙汰されているのなら、その事実を皆が知るに至った理由があるはずです。その情報源は結局のところ、書籍なり報道なり論文発表なりといった『確かな』ものに行き着くのではないでしょうか。問題の事象が確固たる事実であるにも関わらず検証可能なソースへ行き着かないなどちうケースがあるとはとても思えません。ついでに言えば、そもそも「マスコミ」などと一括りにして捉えること自体に誤りが含まれていると思います。 -- NiKe 2007年2月16日 (金) 10:07 (UTC)[返信]

話を最初にもどして「報道側が反証しないことを続ければ、たとえ記事を中立にしようと気をつけても一方的な意見しか並ばない」とありますが、私はそれはそれで構わないと思います。極端な話、「報道側の反証となる行動は起こされておれず、問題点の解決に向けた目立つ進捗が無い」といった感じに事実を一言書けば終わりです。 この時注意しなくてはならないのは、その一方的な意見をいくつも並べてしまうことは問題です。数押しは大言壮語の呼び水となってしまい、中立性の問題に問われることになります。最も有力で上質の出典があればそれを。補完も『確実に重複を避け、厳選する』のであれば中立性を損ないません。ただし批判の元となるものが論拠に乏しい場合は、その批判そのものが非中立的なのは当然ですが。--Chiether 2007年2月16日 (金) 10:43 (UTC)[返信]

というか、わざわざ自分から風を立てて大きくなった火を消すよりは、取るに足らぬとあえてスルーするという戦術は良くあることです。火を消すなら自分が風を立てるのではなく、相手が風を立てたところを待ちかまえたほうが利点は多いです。ですが声は声として事実であり、論拠があれば書いても構いません。相手が反論しないのは相手の自由です。---Chiether 2007年2月16日 (金) 10:43 (UTC)[返信]
「インターネット新聞(オーマイニュースJANJANなど)のような、市民記者の記事であっても新聞社が査読する例」についてですが、たしかにWikipediaの信頼できる情報源にネットニュースは除くと明言してありますが、査読制度がある媒体ならばインターネット以外に媒体を持たなくても参考、引用しても問題ないと看做しています。現に私DEN助は発掘!あるある大事典の項目にてPJニュース(執筆当時はライブドアPJ)の記事を出典として挙げましたが、現時点でも残ってますし、問題ないとして扱われていると判断しています。ただし、インターネット媒体の場合、出典として明記したものが閲覧できなくなった場合、問題になる虞はありますが。--DEN助 2007年2月19日 (月) 07:02 (UTC)[返信]
紙媒体であれば紙がある限りは誰が所有していても参照できるという利点ですね。オンライン配信の場合、一時配布元が公開停止した瞬間に検証可能性を著しく損ねます(それがメリットでもありますが)。ただ、その信頼できる情報では「なぜ問題なのか」が書かれているのでそれをクリアできていれば問題ないと思っています。尺度を決めるのであれば、例えば『医療カルテの5年保管義務』のように、ニュースサイトが何年保存してくれているのかとか、問い合わせに対して該当記事を提供することが可能かどうかが出典として相応しいかどうかの基準の1つになりそうな気がします。もちろん、よりよい出典があれば置き換えることも忘れずに。--Chiether 2007年2月19日 (月) 07:20 (UTC)[返信]
あとから気づいたのですが、オーマイニュースのように「すべてのコンテンツを読む場合には有料登録が必要なサイト」の扱いはどうなのでしょう。出典とする書籍は、もちろん購入は極めてまれな例外を除き有料ですが、法律で自費出版などを除けば国立国会図書館に蔵書され、閲覧には費用はかからないはずです(図書館への交通費等は除きますが)。ところが有料登録が必要なネット媒体を費用をかけずにすべて閲覧することは、合法的には不可能です。こういった事例でも、出典として採用するに問題点はないのでしょうか?--DEN助 2007年2月21日 (水) 03:35 (UTC)[返信]
勘違いしてる人が多いですが 反論を載せる=中立 ではないですね。Wikipedia:中立的な観点は「論争における様々な立場を公正に説明すること」「競合しあっている様々な立場を、常に肯定的で好意的な形で提示すべき」と言っているのであり、そもそも論争になっていないなら一方の意見のみを載せることが中立でしょう。何の論争にもなっていないのに編集者が論争になっているかのように見せかけるのが中立なわけがありません。--Luilz 2007年2月22日 (木) 12:15 (UTC)[返信]

全ては流れのままにいきましょう--以上の署名のないコメントは、210.149.120.129会話/Whois)さんが 2007-02-24 15:06 (UTC) に投稿したものです。