コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia:井戸端/subj/小説からの引用らしい文について

小説からの引用らしい文について

[編集]

チャレンジャー教授シャーロック・ホームズに小説からの引用と思われる文があるのですが、前者では初対面の印象の部分、後者では人物評の部分です。これらがどの書からの引用とも記されていないのですが、ノートで質問したけれど答えが得られません。著作権的に問題がなければいいのですが、どうなのでしょうか。そのあたりお教えいただけませんでしょうか。--Keisotyo会話2017年1月10日 (火) 21:47 (UTC)[返信]

すみません、ちょっと舌足らずみたいなので追加。私の理解ではこれがもしも既存の翻訳から持ち込んだものであれば、それは引用であって、引用元を直前か直後に入れるべきものと思っているのですが、間違っているのでしょうか。あるいは独自に翻訳したものであれば、それもまた書いておくべきなのではないかという気もします。そのあたりはいかがなものなのでしょうか。--Keisotyo会話2017年1月10日 (火) 21:54 (UTC)[返信]
チャレンジャー教授の初版は英語版からの翻訳と要約欄に書かれていますから、初版立項者による独自の翻訳と見るのが自然だと思います。なお小説からの引用部分は初版から現在に至るまで変更されていません。シャーロック・ホームズはどの部分を疑っているのかわかりませんでした。一般論では翻訳書籍からの引用であれば引用元を明示する必要があるでしょう。--Benpedia会話2017年1月11日 (水) 03:15 (UTC)[返信]
ホームズの方は『緋色の研究』からのもので、「緋色の研究における人物評」という章になります。--Keisotyo会話2017年1月11日 (水) 03:21 (UTC)[返信]
コメント 著作権侵害かもしれないが転載元が特定できない場合や、著作権侵害にあたるかどうか判定困難な場合は、著作権問題調査依頼に所定の手順で依頼してください。取敢えずこのまま続けますが、調査依頼のページへ転記していただいても構いません。
「チャレンジャー教授」における当該部分はBenpediaさまのご発言の通り、チャボさまが初版作成時に "Professor Challenger" から訳出されたものです。
チャボさまは翻訳をメインとして活動されていた利用者で、多くの翻訳記事を作成していらっしゃいました。しかし非アクティブになられて久しく、コメントを求めることは困難です。Keisotyoさまの疑う通りチャボさまが何らかの和訳書から文章を流用していらっしゃったのなら、多くの記事で検証が必要となるでしょう。
「シャーロック・ホームズ」における当該部分は「緋色の研究」の2004-02-26 07:11:25(UTC)の版Kzhrさまが加筆なされた文章を、Tamago915さまが「シャーロック・ホームズ」の2005-03-19 05:59:40(UTC)の版にて移動され、その後様々な利用者によって改変を加えられたものです。Kzhrさまが加筆なされた時点では元となる英文は "A Study in Scarlet" には存在しませんが、 "Sherlock Holmes" にはあったようです。しかしこの文はコナン・ドイルによる "A Study in Scarlet" の本文そのものであって、たまたま英語版にあったからといって履歴継承は不要でしょう。
Tamago915さまは非アクティブになられて久しいですが、移動の際には正しく要約欄に元記事へのリンクを設けており、問題となることは無いでしょう。Kzhrさまはウィキクォート日本語版ウィキソース日本語版で管理者を務め、ウィキクォートではビューロクラットでもあって、メタコモンズでも活躍されているアクティブな利用者です。直接お問い合わせされてはいかがでしょうか。
さて、他利用者に対し著作権侵害という重大な疑義を呈するからには、Keisotyoさまにおかれては(全部ではなくとも一部)文言の一致等何らかの根拠があっての弾劾であるものと存じます。教授のノートホームズのノートでのご質問も拝見しましたが、如何なる理由でその様な疑いをもたれたのか明らかではありませんでした。Keisotyoさまにはその根拠を詳らかにしていただかなければ、徒に検証を困難とさせるものであると思量します。
尚あくまでも私見に過ぎませんが、「チャレンジャー教授」も「シャーロック・ホームズ」も其々の投稿者さまがご自身で和訳されたものとして特に違和感は覚えません。Keisotyoさまに根拠となった文言の一致が見られる和訳書を提示していただかないことには、既存の翻訳から持ち込んだものであるという観点は持ち得ません。--mit freundlichem Gruß LudwigSKDiskussion/Beiträge2017年1月11日 (水) 04:28 (UTC)[返信]
私は著作権侵害があるのではないか、といっているのではありません。どうあるべきかを知りたい、といっています。
といいますのは、私が問題にしている2カ所ですが、明らかに小説の一部をなすものですね。ですが、どちらも作品名のみ上がっているだけで、何という書籍の何ページに基づいている、という記述はありません。また誰の翻訳によるものとの表記もありません。それでもかまわないものか、というのを知りたいだけです。
ノートの方に疑問を呈してあったのですが解答は全くありませんでした。ですから問題はないのだろうとは思うのですよ。ですが普通は引用であれば何という本のどこから、というのが必要なのだと思っていたので、このような作品の名のみの指定でいいものか、それについて教えてほしい、そう思ったのがここに提示した理由です。それが原著に当たってそこから翻訳したのか、それとも英語記事から翻訳したのか、あるいは日本語訳からの引用なのか、あるいはその要約なのか、そういうことは示しておかなくていいものなのでしょうか。
別に誰かの翻訳を引用したからといって著作権違反にはならないわけで、ただどこから引用したかは示す必要がありますよね。だとすれば、今の表記ではそれが著作権違反であるかないか、そこが明白でないことにもなります。つまり訳したのであれば、何に基づいて誰が訳したのか、それは必要ないものなのでしょうか。--Keisotyo会話2017年1月11日 (水) 04:40 (UTC)[返信]
当該箇所のひとつを書いたものです。2004年の自分というのは,もはやただの他人なので確実なことはなにもお話できませんが,成書からの引用は当時は避ける雰囲気が濃厚でしたので,おそらくはじぶんで——たぶんProject Gutenbergあたりから——翻訳したのだろうと思います。その過程で,阿部訳を参考にしたことはあったかもしれませんが,それがどれだけだったかは覚えていません。手元にもないので分りませんが,丸写しではなかろうと思います。
これでいいのかというところについては,2004年当時の水準ではさしたる問題にはならなかったし(ドイルの著作権はすでに切れていたので細心の注意は払っていなかったかも知れません),問題だとも思わなかったとはしておきますが,だからといって現在いいかはべつのはなしでしょうね。まあ,ウィキペディアの慣習は日々変わっていきますし,昔は必ずしも問題でなかったものを「アップデート」する作業は,随時,もともとの書き手のきもちを慮ることもせず,行われてしかるべしいことのように思いますし,これもそのひとつかと思います。 Kzhr会話2017年1月11日 (水) 16:11 (UTC)[返信]
ああそうか.原著の著作権は切れてるんですね。とすれば、法律上の問題は存在しないわけですか。それについては考えていませんでした。すみません。
とすれば、私が気になったのは法的な問題より、引用の信頼性ですね。であれば話は全然違うわけだ。
私とすれば何のどこから引用され、どうやって日本語化されたのか、それを明らかにすることは必要なのではないか、そう考えていた訳なのですが。どうやらこの件では是非になくてはならない、という判断にはならないのですね。層で割れば、一方的に騒いでしまって申し訳ありませんでした。元々その部分を書いた方を批判する意図はありませんでしたが、気に障った方がいらっしゃるとすれば申し訳なかったです。それではどうもありがとうございました。--Keisotyo会話2017年1月12日 (木) 04:39 (UTC)[返信]