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Wikipedia:井戸端/subj/結局、伝記記事の「略歴」節は記載してもよいのでしょうか、駄目なのでしょうか

結局、伝記記事の「略歴」節は記載してもよいのでしょうか、駄目なのでしょうか[編集]

伝記の記事の場合、「略歴」と称して学歴や職歴を一覧で掲載している記事をよく見かけます。しかし、この「略歴」については、いろいろな意見があるようなので、どの意見に従えばいいのかと困っていますので教えてください。たとえば、本文にて生涯や業績を文章形式で説明し、その末尾に「略歴」がくっついている記事の場合、内容が記事本文とかぶっているからという理由で、「略歴」を除去して回る人もいるようです。一方で、文章形式だった記事の本文をわざわざ全部箇条書きに直して、全て「略歴」に統合して回る人もいるようです。つまり、いろいろ人によって意見が違うようで、どうしたものかと思っています。井戸端の議論を「略歴」などのキーワードで検索すると、下記が見つかりました。あまり明確な結論が出てないような気がするのですが……。

人物の伝記記事では、記事本文に当人の生涯や業績を文章形式で詳細に解説し、最後にまとめとして記事末尾に略歴を一覧形式で書くくらいなら、特に問題ないと思うのですが。駄目なんでしょうか。「Wikipedia:井戸端/subj/伝記記事の「略歴」セクションは不要との風潮」では福田康夫麻生太郎といった記事が例に挙がっていますが、こういう当人の生涯や業績を文章形式で詳細に解説し、最後にまとめとして記事末尾に略歴を一覧形式で書くスタイルなら、別に問題ないと思うんですが……。ただ、上でも説明したように、わざわざ一覧形式の略歴を削除して回る人もいれば、文章形式の開設を全部箇条書きに直して略歴に一本化して回る人もいるようで、なんかどうしたらいいのかよくわからないです。こんなくだらないことといっては何ですが、あんまり本質的でないところで編集合戦になっても嫌なので教えてください。--126.175.31.162 2014年11月3日 (月) 16:21 (UTC) 126.175.31.162氏のコメント内容が、Hman氏により改竄されたため復元。--111.188.64.64 2014年11月4日 (火) 14:30 (UTC)[返信]

なぜこんなことを質問したかといいますと、私は詩人の記事の修正などをちょこちょこすることが多いのですが、このたび新しく一からある詩人の記事を新規作成しようと思っております。今は出典となりそうな資料を幾つか集めているところです。それでですが、詩人の場合、記事の末尾に著作の一覧を記載する場合が多いと思っています。ですので、記事本文で当人の生涯や業績を文章形式で詳細に解説し、最後に一覧形式で略歴と著作を記載しますと、記事の構成的に上の方は文章がずらーっと並んで、記事のケツに一覧、一覧となるので構成上きれいかなと思っています。解説部分を全部箇条書きにしたら、上から下まで全部が一覧になってしまい、ちょっと見づらいかと思います。また、略歴をなくしてしまうと、時系列的に生涯を把握するのがやや難で、それはそれで見づらいかなと思っています。--126.175.31.162 2014年11月3日 (月) 16:29 (UTC)[返信]
すみません、「記事のケツ」との表記、失礼しました。「記事のおしり」に訂正します。--126.175.31.162 2014年11月3日 (月) 16:30 (UTC)[返信]
うわーすみません、「記事のおしり」ではなくて「記事のおわり」です、ごめんなさい。--126.175.31.162 2014年11月3日 (月) 16:31 (UTC)[返信]

ケース次第です、としか申し上げようがありません。一般的には「箇条書きはほどほどに」とされているのがjawpですが、箇条書きが必要な時には断じてそれを使うべきです。箇条書きは「禁止」などされていません。できるだけ文章形式に、は努力目標です。jawpに存在している箇条書きを全て機械的に文章形式に直して回ったら、ほとんどの記事は多分読めたものにはなりませんよw

ええとですね、略歴にはA.文章形式 B.箇条書き形式 があり得ますよね。そして、それらを組み合わせることもあります。まず、特記性の高い題材について網羅性を考えますと(自然と大きな記事になる)、B.の箇条書き形式だけでは紙幅が足りません。よって、A.の文章形式での執筆が普通となります。ですが、とにかく、文章形式は読むのに時間がかかる!一目でわからない!・・・ですから、そういうケースでは、詳しく記したAと、簡略に記したBが並記してあってもいいんです。ライトな閲覧者はBだけ読めばいい。より知りたい人はAも読めばいい。 また、過度に複雑でなければAだけでも構わないでしょう。シンプルで小規模な記事ならBだけで十分な場合もあるでしょう。AかB、どちらを先に配するかは、うまく調整してください。どの手法を用いるかは、おおよそ単独で書かれた記事を上梓する時なら、主執筆者が判断すれば良いでしょう。多数によって書かれた記事なら、ノートで協議してください。おおよそ執筆者は常にベストを尽くしており、熟慮の結果がある形式になったのであれば直接記事をいじりもしない人間がスタイルについてとやかく言う話ではないのです。ただしこれはちゃんと検証可能性その他、大抵はokの状態であり、規定されていない、個々人の最良に任されている部分のお話です。あっちもこっちもぐっちゃぐちゃの記事なら、そりゃツッコまれますw

また、「一本化して回っている人物」の編集が適切かどうかについて、それが適切かどうかを判断する必要があります。もし客観的に見てそれが無思慮・不適切等の編集行為なのであればそれは「記事破壊行為」ですから、行為を停止させるように検討せねばなりません。情報の提供をお願いします。

なお、著作リストは、何らかのモノを上梓されている人物や組織等について書かれる時には、非常に重要なものになります。例えば、作品リストの無い漫画家記事とか、考えられませんよ。そういう記事はどう考えても「役立たず」でしょう?あまりに長大な場合は(作品数の多い場合は)別記事に分割することが検討される場合がありますがね。「読み切り作品」は「連載作品」と同等に扱って良いのか、等の問題もありますから、ケース次第です。なお、質問者氏が既に十分な経験をお持ちであれば、この際ですから是非、新規立項一撃新記事掲載、月間新記事賞獲得、GA選出を狙ってみて下さい。網羅性に遺憾なく、検証可能性が完全に満たされていればそれだけで結構、いけます。良い物ができた時には遠慮無く「自薦」してください。--Hman会話2014年11月4日 (火) 00:39 (UTC)[返信]

  • コメント 大筋でHmanさんがおっしゃるとおりと思います。個人的には、略歴のようなものは、「箇条書きだけ」は避けるべきで、文章で説明したら長くなったので、ぱっと見でわかりやすく箇条書きも添える、というふうになっていれば理想的と思います。ケースバイケースとしか言い様がないのですが、略歴で「○年 どこそこへ転居」とか書いてあった時に、「その転居ってにか重要な意味があるの?」と思うんですよ。転居がその人物の事績になにか影響があったのならば、文章でもそのことを説明するべきだし、そうでなければ、箇条書きからも除去しちゃってもいい、と思います。
「一本化して回っている人物」についてですが、有意な情報を加筆するのと同時にスタイルを変えていく、というのならそんなに気にしないのですが、「スタイルを変えるだけ」なのはイヤですよね。スタイルマニュアル類に明らかに反しているような場合に修正していただくのはありがたいのですが、多様なスタイルが認められている場合に、スタイルだけ変えていく、というのは私も好みません。よくあることですが、「半角スペースを挿入していくだけの人」のあとに「半角スペースを除去していくだけの人」が来ることとかありますよね。目に余るようなら、会話ページでコンタクトを試みたり、それが不調ならば第三者にコメントを募るといいでしょう。--柒月例祭会話2014年11月4日 (火) 05:49 (UTC)[返信]
寺院記事で「由緒」として文章(ただしかなり短文)を書いていたのに、箇条書きの「歴史」節を書き加えられ(まぁここまでは別にいいんですが)、「由緒」の記述の一部を切り取られて箇条書きに移されたという経験がありますが、出典の脚注をしっかり付けておくと、そうした「いい加減な記述除去」はやられ難いように感じます。--KAMUI会話2014年11月4日 (火) 11:52 (UTC)[返信]
みなさん、ご意見ありがとうございます。KAMUIさんの脚注を付けるのが大事というアドバイスは参考になりました。留意したいと思います。また、Hmanさんと柒月例祭さんからケースバイケースだよというアドバイスを戴きましたが、実はそれが私にとっては一番難しいように思います。ベテランの方にとっては自明かもしれませんが、ちょこちょこと修正程度しかしていない私にとっては暗黙的な了解について詳細把握しているわけではないので、少し不安を感じておりました。しかし、Hmanさんから箇条書きの方が相応しいという例や、柒月例祭さんから会話ページの活用など問題解決の手順の例をご提示いただいたので、少し安心できました。ひとまず、明らかに一覧形式で書いたほうがメリットがありそうだときちんと説明できるような箇所であれば、一覧形式で記載しても問題なさそうということでしょうか。執筆者のセンスが問われそうではありますが、執筆時に一覧形式がよいのか文章形式がよいのかを吟味しつつ執筆したいと思います。--126.249.69.239 2014年11月12日 (水) 14:37 (UTC)[返信]
報告 Hmanさんへ。126.175.31.162さんのコメントを勝手に改竄なさっているようでしたので、復元いたしました。ウィキペディアのノート等において、他者のコメントを勝手に書き換える行為は、推奨されておりません。Wikipedia:ノートページのガイドライン#コメントの編集などもご参照ください。おそらく故意ではなく過失だとお見受けしますが、場合によって荒らしと看做されブロックされる場合もあります。ご留意ください。--111.188.64.64 2014年11月4日 (火) 14:30 (UTC)[返信]
あれ?何故そんなことになってしまっていたのでしょう。全く記憶にございません。何かシステム上の事故なのかもしれませんし、操作ミスなのかもしれません。全く解りません。何れにいたしましても、私の故意ではない点については、何ら私に与するものではないと言う編集内容の性質上、何ら弁明の必要は無いでしょうし、ブロックしようなどと言う管理者は一人たりともいないでしょう。今後こういった編集を目にされた時は、一般論で申し上げますと、修正をして頂ける時はツッコミは無用で、要約欄に書いて置いて頂ければ、それで連絡は成ります。修正をして頂けない場合は、当人、今回でしたら私の会話ページにツッコミを入れるのがよろしいでしょう。このやりとりは話の本筋に何ら関係が無く、周囲から見ればただのノイズでしかないのですから。今後はその辺りにご留意頂ければと思います。ご指摘自体には感謝致します。以上です。--Hman会話2014年11月4日 (火) 17:39 (UTC)[返信]
修正をして頂ける時はツッコミは無用で、要約欄に書いて置いて頂ければ、それで連絡は成ります」とのことですが、Wikipedia:ノートページのガイドラインの「他人のコメント」部分および「自分のコメント」部分の趣旨にのっとれば、要約欄だけでは不十分であり該当コメントの末尾にも修正したことを示すべきでしょう。その意味で、該当コメントの末尾に「126.175.31.162氏のコメント内容が、Hman氏により改竄されたため復元。--111.188.64.64 2014年11月4日 (火) 14:30 (UTC)」と小さな字で修正理由や修正者を明記したのは、正しい行為だと思います。また、他人のコメントを修復するとき、このように該当コメントの末尾に修正したことを示すことは広く行われている行為だと思います。もちろん要約欄だけではアウトだと明確になっているわけではありませんし、要約欄だけしか書かなかったからと言って批判されることはないでしょう。しかし、復元とはいえ他者のコメントをいじることには変わりないわけですから、丁寧にかつ慎重を期したほうがよいのは明らかで、要約欄にのみ書くだけではなく該当コメントの末尾にも修正したことを明記するほうがより望ましいのは自明でしょう。何を目的に「修正をして頂ける時はツッコミは無用で、要約欄に書いて置いて頂ければ、それで連絡は成ります」などと主張するのか不可解です。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年11月10日 (月) 22:20 (UTC)[返信]
さらに、「全く記憶にございません」「何かシステム上の事故なのかもしれません」「操作ミスなのかもしれません。全く解りません」「私の故意ではない点については、何ら私に与するものではないと言う編集内容の性質上、何ら弁明の必要は無い」などと開き直るのは改竄をした当人の態度とは思えません。過失であっても仮に操作ミスなら失礼しましたと謝るのがウィキペディアではよくみられる光景だと思いますが、故意でないことを理由に「何ら弁明の必要は無い」などと開き直る利用者はあまり見られないと思います。いずれにしても、この井戸端ではYukky21さん、Huskysさんの名が挙げられて問題視されていますが、少なくともこの場で最もウィキペディアのルールやマナーに反しているのはHmanさんであることに疑問の余地はないでしょう。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年11月10日 (月) 22:20 (UTC)[返信]
情報 こんにちは。この話題、興味深く拝見しました。具体例とのことですが、たとえばYukky21さんが挙げられるでしょう。この編集をご覧いただければわかりますが、既存の略歴一覧のセクションを全除去しています。今話題の江渡聡徳氏の記事だったので履歴を眺めていたところ、いきなり-2,503バイトの編集が行われていたため気が付きました。略歴一覧以外の箇所も一部加筆修正しているところからみて、おそらく「略歴一覧以外の部分を編集しようとした際に、誤って略歴一覧を全除去してしまった誤編集」なのだろうと判断しました。誤編集なのは明らかですが、とはいえ、どの編集が意図したものでどの編集が意図していなかったものなのかは本人ではないとわからないので、いったん編集前の版に戻してあげました。すると、当人から抗議があり、再び略歴一覧セクションは全除去されました。つまり「略歴一覧以外の部分を編集した際に、誤って略歴一覧を全除去してしまった誤編集」などではなく、「略歴一覧以外の部分の編集も、略歴一覧の全除去も、全て意図した編集」であったということがわかりました。意図的にわざわざ略歴一覧を除去していたのかとびっくりしたのですが、意図した編集であることがわかったのでとりあえず江渡聡徳氏の記事はそのままにしています。
で、Yukky21さんの編集履歴を見ると、直近の編集だけでも島村宜伸氏(これです)、石破茂氏(これです)の記事で同様に略歴一覧セクションを全除去しているようです。もちろん除去「のみ」をしているわけではありません、が、いろんな人物記事を片っ端から巡回し「記事のごく一部を編集する際には、既存の略歴一覧セクションを必ずすべて除去する」という行為を繰り返しているようです。ですので、「なにか記事を編集したいことがあり、そのついでに略歴一覧を除去した」というより、「略歴一覧を除去するのが目的で、そのついでに記事の他の箇所も修正している」というのが実態に近いと思われます。たぶんこの人独自の「人物記事のスタイルのあるべき理想像」があって、それに合致していない記事を修正して回っているのかな、という感じを受けています。おそらくその理想のなかで「人物記事には略歴一覧セクションはあってなはならない」という信念をおもちなのだろうと思います。--111.188.28.247 2014年11月8日 (土) 23:27 (UTC)[返信]
江渡聡徳については除去されていた部分を復元しました。また、利用者‐会話:Yukky21にも連絡を入れました。これでもなお行動に改善が見られない場合、長期にわたり繰り返し継続的に理由なく除去を繰り返している以上、ブロックやむなしかと。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年11月10日 (月) 22:20 (UTC)[返信]
Yukky21さんの編集内容を見ましたが、私が上で言及した「わざわざ一覧形式の略歴を削除して回る人」にまさに該当しそうですね。しかも一覧形式の略歴を復帰されても、わざわざまた削除しているわけですから、まさに「あんまり本質的でないところで編集合戦になって」いる状態ですね。上で、柒月例祭さんから会話ページの活用など問題解決の手順の例をご紹介いただきましたが、Yukky21さんの場合は会話ページに連絡を入れても反応がないようですね。要約欄にはキチンとコメントしているようですので、コミュニケーションはとれるかたのようですが、この場合はどうしたらよいのでしょうか。--126.249.69.239 2014年11月12日 (水) 14:37 (UTC)[返信]
連絡を入れた後、特に何の意思表明もないままに、アカウント「利用者:Yukky21」が活動を再開したようです。反省していただけたのか、それとも反省する気はさらさらないのか、意思表明がないため全くわかりませんが、少なくとも対話に応じるつもりは皆無なようです。今後も行動に改善が見られない場合、長期にわたり繰り返し継続的に理由なく除去を繰り返したうえ、他人との対話を拒否している以上、ブロックやむなしかと。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年12月5日 (金) 20:08 (UTC)[返信]
情報 また、略歴一覧セクションを除去して回っている方とはことなりますが、同様に人物記事にこだわりをお持ちの方としてHuskysさんが挙げられると思います。松本大氏の履歴を眺めていたところ、-7,944バイトの編集をしており、その存在に気が付きました。Huskysさんの編集履歴を見ますと「伝記的記述を除去。事典は簡潔な経歴のみで」よいとの信念のもとに「事典は伝記ではなく」「簡単な経歴などが分かれば良い」と主張し、本文を除去して回っているようです。もちろん、当人に全く関係のないことは載せる必要はありませんし、出典が全くないことを載せる必要はありませんので、それらは除去されても文句は言えないでしょう。しかし、「事典は伝記ではなく」「簡単な経歴などが分かれば良い」のだから「事典は簡潔な経歴のみ」記載すべきだ、という個人的な主義主張を理由に大量除去を繰り返しているのは、ちょっと危ういのかなと思い注視しております。--114.49.54.164 2014年11月8日 (土) 23:44 (UTC)[返信]
ええ、出典が無い箇所については、除去についてどやかくは基本的に、誰も何も言えません。もし目に入っていれば、私でも除去するかもしれません。少なくとも要出典は付けたかもしれません。ですがその手が将来十分な検証可能性を持った部分にまで及んでくると、これは看過しきれない場合があるでしょうね・・・。取り敢えず、何につけてもですが、方針・ガイドラインに定義されていない部分での、「腕ずく」での「押しつけ」は許されるものではありません。こう言った編集者もこう言った編集自体も恐らく氷山の一角なのでしょうから、危機感を持たねばなりませんね。--Hman会話2014年11月10日 (月) 23:47 (UTC)[返信]
反対 誤解なさっているのかもしれませんが、存命中の人物の記事の場合、出典のない箇所に要出典を貼って済ますような行為は方針上、明確にNGだとされています。出典なき記述を見つけた場合、気づいた方が出典を追記いただければ理想的でしょうが、それが難しければ気づいた方が除去することになるでしょう。気づいた方が要出典を貼って悠長に待つというのは方針上は明確にダメだとされており、人物記事での「[出典が無い箇所について」「少なくとも要出典は付けたかもしれません。ですがその手が将来十分な検証可能性を持った部分にまで及んでくると、これは看過しきれない」というのは明らかに方針に反する行為です(無論ですが「人物記事の中に当人と全く無関係な出典なき記述があり、その箇所に対して要出典を貼る」という行為なら許されるかもしれません、が、そもそも人物記事の中に当人と全く無関係な記述があるようなことは少ないでしょう……。「存命中の人物にとって肯定的な出典なき記述があり、その箇所に対して要出典を貼る」という人もいそうですが、その内容を肯定的にとるか否定的にとるかはひとによるでしょうし、そもそも方針上は否定的であるか否かを問わずNGだとされています)。「事典は伝記ではなく」「簡単な経歴などが分かれば良い」のだから「事典は簡潔な経歴のみ」記載すべきだ、という個人的な主義主張を理由に大量除去を繰り返しているのは、当然ですが問題をはらんでいます。しかし、出典なき記述の一部を「将来十分な検証可能性を持った部分」だと個人的に勝手に解釈し、それを除去した者には「看過しきれない」などとすごんでみせるのも、当然ですが問題をはらんでいます。特に後者については明らかに方針違反であり、議論の余地はありません。存命中の人物についての出典なき記述の場合、気づいた方がその場で出典を追記できればベストですが、難しければ除去することもやむを得ないでしょう。個人的な当て推量で「将来十分な検証可能性を持っ」ているだろうと勝手に判断したとしても、その場で出典が提示できないなら除去もやむを得ず、あらためて出典を見つけてから記載すればよいのです。少なくとも除去した者が批判されるいわれは全くないはずであり、にもかかわらず「看過しきれない」などと主張するというのは、それはそれでちょっと危ういのかなと思います。--111.188.14.91 2014年11月11日 (火) 22:57 (UTC)[返信]
ちょっとコメントが短絡的に過ぎますよ。私は「出典の無い記述など全部除去してしまえ」派です。が、それをやると荒らしと言われるのがjawpなんです。となれば、これ以上のご返信は無用ですよね。一応元管理者ですので、方針は一通り存じて居ります、ご安心を。--Hman会話2014年11月11日 (火) 23:07 (UTC)[返信]
Huskysさんの編集内容を見ましたが、これは脚注までついてる箇所をばさばさ削除してしまっていますね。しかも当人の業績等に密接にかかわりのありそうな箇所まで削除してしまっているように見えます。わざわざ一覧形式の略歴を削除して回る人とはちょっとタイプが違いますが、ある意味、こちらの人の方が編集合戦になりやすそうですね。上で、柒月例祭さんから会話ページの活用など問題解決の手順の例をご紹介いただきましたが、こういった方に対してもこのような問題解決の手順を踏む必要がありますでしょうか。--126.249.69.239 2014年11月12日 (水) 14:37 (UTC)[返信]
利用者‐会話:Huskysにも連絡を入れました。これでもなお行動に改善が見られない場合、長期にわたり繰り返し継続的に理由なく除去を繰り返している以上、ブロックやむなしかと。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年11月15日 (土) 21:13 (UTC)[返信]
連絡を入れた後、特に何の意思表明もないままに、アカウント「利用者:Huskys」が活動を再開したようです。反省していただけたのか、それとも反省する気はさらさらないのか、意思表明がないため全くわかりませんが、少なくとも対話に応じるつもりは皆無なようです。今後も行動に改善が見られない場合、長期にわたり繰り返し継続的に理由なく除去を繰り返したうえ、他人との対話を拒否している以上、ブロックやむなしかと。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年12月5日 (金) 20:08 (UTC)[返信]
コメント元管理者ですので、方針は一通り存じて居ります」とのこと、安心しました。方針について一通りご存じなのでしたら、仮にウィキペディア日本語版にて「私は「出典の無い記述など全部除去してしまえ」派です。が、それをやると荒らしと言われるのがjawpなんです」というような風潮が蔓延していたとしても、それに迎合したり尻馬に乗ったりすることなく、きちんと方針に沿った言動を取っていただければと願います。--114.49.40.173 2014年11月29日 (土) 17:28 (UTC)[返信]
・・・・・・あのですね、私が強引に事を進め不興を買って放逐されてしまえば、問題を正そうと動く利用者が一人減るわけですよ。そういう猪突猛進はアホのやることです。私一人の力ではただちに何をどうこうは無理です。一人では戦えません。急いては事を仕損じるとも申します。私にどうこう言うよりまず、あなたがアカウントを取得し、十分な執筆・管理経験を積まれた後に、wikipediaの改善に協力してください。私からは以上です。--Hman会話2014年11月30日 (日) 10:18 (UTC)[返信]
コメント それは「親友がいじめられているのを見かけたが、自分が次の標的にされるのが怖いから、いじめっこの尻馬に乗って親友を一緒にいじめる」というレベルの発想ですよね。そのような行動原理が、他の人たちから理解や信頼を得られるとお思いでしょうか? たとえば、お花見の会場でたくさんのゴミがポイ捨てされていたとします。ゴミのポイ捨ては言うまでもなくルール違反ですが、実際にはゴミをポイ捨てする人は多数います。ポイ捨てで刑罰を受けることもほとんどありませんし、ポイ捨てくらいなら許されるという悪しき風潮が蔓延しているようです。さて、あなたならどうしますか?
  • 見て見ぬふりをする
  • 自分が気づいたゴミだけは拾う
  • ゴミを拾うこと目的に来場し、黙々とゴミを拾い続ける
  • 周りの人にルールを守るよう呼びかける
  • ルールの認知度を上げて周知徹底を図る
  • 周りに流されて、自分もゴミをポイ捨てする
  • 黙々とゴミを拾ってくれている人に対し罵声を浴びせる
この中で「黙々とゴミを拾ってくれている人に対し罵声を浴びせる」というのは、およそ最悪の選択肢だとは思いませんか? たしかに、ルールを守るよう一人で声高に叫んだとしても、無視されたり反感を買ったり排斥されてりしかねないと恐れるのは、わかります。周囲と軋轢を起こさず、うまくやった方がいいと思います。でも、「ルール遵守を叫んで周囲と軋轢を起こすのを恐れるあまり、ルールを破った人の尻馬に乗って、ルールを守っている人に罵声を浴びせる」というのは、明らかにおかしくありませんか。ポイ捨てがルール違反だと知っているにもかかわらず、わざわざゴミを拾ってくれた人に罵声を浴びせるのが望ましい行動といえるでしょうか。「見て見ぬふりをする」に比べれば、明らかに有害だといえるでしょう。
ウィキペディアのルール上、存命中の人物に関する出典なき記述は、原則として禁止です。しかし、実際には、存命中の人物に対する出典なき記述は蔓延していますし、馬鹿正直に存命中の人物の出典なき記述を削除した場合「荒らしと言われる」ような風潮があるということもわかります。一人で声高に「出典の無い記述など全部除去してしまえ」と叫んだとしても、無視されたり反感を買ったり排斥され不興を買って放逐されかねない、というのも理解できます。周囲と軋轢を起こさず、うまくやった方がいいと思います。でも、不興を買って放逐されることを恐れるあまり、ルールを破った人たちの尻馬に乗っかって、ルールを守った人に対して「看過しきれない」などと凄んで見せるのが、本当に望ましい行動なのかよく考えてください。存命中の人物に関する出典なき記述がルール違反だと知っているにもかかわらず、わざわざそれを正してくれた人に罵声を浴びせるのが望ましい行動といえるでしょうか。--114.49.26.40 2014年12月4日 (木) 16:24 (UTC)[返信]
私の求めである「アカウントを取ってくれ」にお応え頂けない以上、これ以上ツッコんだお話をする気はありません。あなたはご自身が「どこのだれだか、ペンネームすらわからない相手」ですので。あなたを説得してどうこう、なんてのは時間の無駄と思いますし、志を共にしようとも思いませんし、これ以上お相手申し上げる意義を感じません。あしからず。わたしは益が見込めることだけに時間を使いたいので、あなたへのレスはこれが最後です。--Hman会話2014年12月4日 (木) 17:16 (UTC)[返信]
差し出がましいようですが、一点苦情を述べさせていただきます。「俺の要望を満たさない限り、対話には応じない」という論理展開で、他者に強要するのはおやめください。対話に応じるための前提条件を持ち出して、己の欲求を満たそうとするような言動は慎むべきです。「対話に応じてほしければ、俺の言うことを聞け」「俺の言うことを聞けないなら、対話には応じない」というのでは、単なる脅しでしかありません。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年12月5日 (金) 20:08 (UTC)[返信]
また、「あなたを説得してどうこう、なんてのは時間の無駄と思いますし、志を共にしようとも思いません」などと言っていますが、方針上禁止されている行為について賛同するよう説得したり、同志になるよう勧誘したりしたとしても、それに同調する者などいないでしょう。その件については「説得してどうこう」なるとは思えないし「志を共にしようと」思う者など皆無ではないかと。存命中の人物についての出典がない文章があった場合に、わざわざそれを除去してくださった方に対して「看過しきれない」など相手を脅かす行為に、いったいどこのだれが賛同するというのか。正当性皆無であり、この件について「志を共にしようと」思う者など皆無ではないか。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年12月5日 (金) 20:08 (UTC)[返信]
コメント ここで再確認しておきたいのですが、「理由なく略歴一覧を除去して回ること」が、問題であることに異論はないと思います。この点については、特にみなさん異議ないでしょう。しかし、「存命人物の出典なき記述の除去」については、問題視されるいわれは全くないと思うのですが。もちろん出典つけるまでもないことなら出典不要でしょうし、そのあたりは個々の記事の記述内容ごとに個別の検討/判断が必要でしょう。ですが、基本的には、存命中の人物に関する出典なき記述はルール違反だということは明らかだと思います。存命中の人物に関する出典なき記述がルール違反だとじゅうじゅう承知しているにもかかわらず、それらの問題ある記述を修正してくれた人に対して、「看過しきれない」などとすごんでみせる行為は、どう考えても正当化することはできないでしょう。自分のやっている行為がルール違反を助長する行為だと自覚していながら、このような言動をとっているのは、およそ許されることではないと思うのですが。--114.49.26.40 2014年12月4日 (木) 16:33 (UTC)[返信]
  • コメント 非常に由々しき事態です。将来の憂いを払うためにも、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)への若干の加筆が必要かもしれません。昔は「常識で考えればわかるだろう」でよかったのでしょうが、現在jawpは非常に人数が増えてきており、暗黙の了解や暗黙の常識が通じにくくなっております。経験豊富な利用者の割合も少なくなってきている感が有り(まあ歳も取りますから・・・)、監視の目も及んでおりません感じですしね。多忙な身でございまして、お手伝いできないのが残念ですが・・・。--Hman会話2014年11月10日 (月) 23:43 (UTC)[返信]
コメント あわせてWikipedia:存命人物の伝記もご参照いただければ幸いです。--111.188.14.91 2014年11月11日 (火) 23:00 (UTC)[返信]
了解です。あなたとの対話は以上にて打ちきります。必要なら、まァ時間ができればあとは一人でやります。ごきげんよう。--Hman会話2014年11月11日 (火) 23:09 (UTC)[返信]
  • コメント111.188.14.91氏あたり(他の方も怪しいが)は、自分の望む内容を残すため意図的にルールを曲解しているか、愉快犯かのどちらかかと思われます。Wikipedia:存命人物の伝記をちょっと読めばこのような意見は出ないでしょう。--61.202.240.122 2014年11月12日 (水) 05:18 (UTC)[返信]
    • 私の編集ミスもしくは何かの自己を改竄だーと大袈裟に騒いでみたのと同じホストでしょう?まあ、まだ続けるならあのホストは無視していきましょう(私は意味のない事には1秒も時間を使いたくありません。そして恐らくそれは正しい考え方です)。大体、現状で個々人が何をなすべきかと、将来的にどうするべきかについては、まじめに参加されている方なら既に自明となっておりますでしょうし、個々の悪質・腕ずくの除去においては差し戻しの上警告を発し、状況に応じて必要な措置を執るよりないでしょう。問題はいつ、根本的にスタイルマニュアルを改める事についての音頭を取って下さる方が現れるか、という点です。いや、私さえ暇なら良かったのでしょうが(・・・って、私がやるともれなく引っかき回されそうですが)。こんな感じの「まとめ」でいいんじゃないでしょうかね、さし当たっては。--Hman会話2014年11月12日 (水) 10:31 (UTC)[返信]
61.202.240.122さんが言っているのは、私のことも含めたご指摘でしょうか? 61.202.240.122さんが提示されているWikipedia:存命人物の伝記には、一覧形式での略歴の是非については明確には記されていません。また、下の先行議論においても
のように、あまり明確な結論までは至っていないように見受けられます。「自分の望む内容を残すため意図的にルールを曲解している」とのことですが、今の段階では「略歴一覧を削除しなくてはならない」というようなルールはないはずです。私は個人的には略歴一覧があってもよいと思っていますが、だからといって自分が望む略歴一覧を残すために意図的にルールを曲解しようとしているのではありません。--126.249.69.239 2014年11月12日 (水) 14:37 (UTC)[返信]
私が今回こちらでお伺いしたのは、上でも言っているように、新しく一から記事を作ろうと思っているからです。その際に、当人の生涯や業績を文章形式で詳細に解説し、最後に一覧形式で略歴と著作を記載したほうがきれいかなと思っているのですが、一方で、略歴一覧を削除して回っている人たちもいますので、意味のない編集合戦などは誘発したくないので、事前に確認させていただいたわけです。「自分の望む内容を残すため意図的にルールを曲解している」のではありません、無駄な編集合戦が事前に避けられるならそれに越したことはないと思って、新しい記事を投稿する前に確認させていただいただけのことです。また、Hmanさん、中間的なとりまとめありがとうございます。願わくばそういう差し戻しとか警告とかを取らざるを得ないような状況が起きないのが一番いいのですが……。--126.249.69.239 2014年11月12日 (水) 14:47 (UTC)[返信]
上の質問をした後も、61.202.240.122さんはこちらに書き込みをされているようです。しかし、質問への回答はされていないようですので、もしかすると回答を拒否されているのかもしれませんので、念のためもう一度聞きますが、61.202.240.122さんが言っているのは、私のことも含めたご指摘でしょうか? 61.202.240.122さんが提示されているWikipedia:存命人物の伝記には、一覧形式での略歴の是非については明確には記されていません。また、先行議論においてもあまり明確な結論までは至っていないように見受けられます。「自分の望む内容を残すため意図的にルールを曲解している」とはどういうことでしょうか、誰に対する指摘なのか、何を根拠にした主張なのか、ご説明をお願いします。--126.185.4.255 2014年11月22日 (土) 03:27 (UTC)[返信]
コメント 61.202.240.122さんは、おそらくこの議論の内容について理解できていないのではないでしょうか。111.188.14.91は「出典なき記述の場合、気づいた方がその場で出典を追記できればベストですが、難しければ除去することもやむを得ない」と述べていることからも明らかなように、出典のない記述は削除やむなしと主張しています。61.202.240.122さんは「111.188.14.91氏あたり(他の方も怪しいが)は、自分の望む内容を残すため意図的にルールを曲解している」などと批判していますが、そもそも111.188.14.91の主張は出典のない記述の削除なのですから、内容を残すためであるはずがないでしょう。また、存命人物についての出典のない記述がNGであることは方針に明確に規定されておりますので、ルールの曲解にはあたらないでしょう。--114.49.40.173 2014年11月29日 (土) 17:28 (UTC)[返信]
長期にわたって継続的に理由なく略歴を除去しているYukky21さんに対して会話ページで苦言を呈すると、Yukky21さんの編集活動がぴたりと停止し、それと入れ代わるかのように出現したIPが、他の編集者を「自分の望む内容を残すため意図的にルールを曲解している」呼ばわりして反論する……。実に不思議な構図ですね。しかし、このIPの主張は明らかに誤りでしょう。こちらの議論に参加している人たちが「自分の望む内容を残すため意図的にルールを曲解している」のではなく、Yukky21さんたちの方が「自分の気に入らない内容を除去するため意図的にルールを曲解している」のでしょう。「Wikipedia:存命人物の伝記をちょっと読めばこのような意見は出ないでしょう」などと言っているが、略歴を除去して回るような行為を正当化するような記載などない。行動に改善が見られない場合、長期にわたり繰り返し継続的に理由なく除去を繰り返している以上、ブロックやむなしかと。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年11月14日 (金) 15:42 (UTC)[返信]
そういえば確かに不思議な構図ですね。そう考える理由は色々とありますが、第一に11/10に活動を開始された方が、いきなり特定の利用者に対してブロックをちらつかせると言うのは通常考えづらいと思います。--61.202.240.122 2014年11月17日 (月) 01:29 (UTC)[返信]
コメント Shutokeisatsunijuyojiさんの公開記録を確認すると、2014年11月10日 (月) 21:51 (UTC)に利用者アカウントを作成しています。ウィキペディアで活動しようと試みる人が、いきなり活動開始当日にアカウントを作成するとは考えにくく、通常はIPで活動開始したのちにしばらくしてからアカウントを作成するのが一般的でしょう。61.202.240.122さんは、Shutokeisatsunijuyojiさんのことを「11/10に活動を開始された方」呼ばわりしていますが、その主張に合理的な根拠があるのでしょうか。--114.49.40.173 2014年11月29日 (土) 17:48 (UTC)[返信]
おっしゃるとおりアカウントを取得したのは10日ですが、自分は「11/10に活動を開始」したわけではありません。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年12月5日 (金) 20:08 (UTC)[返信]
こちらの議論に参加している人たちが「自分の望む内容を残すため意図的にルールを曲解している」のではなく、Yukky21さんたちの方が「自分の気に入らない内容を除去するため意図的にルールを曲解している」のでしょう」という指摘に対して、61.202.240.122さんからは特に反論もないようですね。ということは、61.202.240.122さんは「111.188.14.91氏あたり(他の方も怪しいが)は、自分の望む内容を残すため意図的にルールを曲解している」という持論を全面的に撤回したうえで「Yukky21さんたちの方が「自分の気に入らない内容を除去するため意図的にルールを曲解している」」ことについて同意していただけた、とみなしてもよいですね。--Shutokeisatsunijuyoji会話2014年12月5日 (金) 20:08 (UTC)[返信]

コメント Shutokeisatsunijuyoji氏へ。ブロックについては、短期かつ明らかなものはWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックへ、審議が必要または中長期のブロックが必要なものについてはWikipedia:投稿ブロック依頼に提出をお願いします。この場でブロックブロックと言ってみても管理者は対処しずらいか、もしくはそもそも管理者が見ていない可能性も高いですから・・・。なお、いずれの場合も「事前の警告」の上での「繰り返し」が無ければ、ブロックはされにくくなっています。また、中長期のそれを求める投稿ブロック依頼の場合は一般にWikipedia:コメント依頼の内、利用者の行為についてのコメント依頼を提出した後、ブロックを検討する必要がある(あくまでコメント依頼ですので、是非ははっきりしなくていいです。検討が必要かどうかだけわかればよろしい。3割4割の意見がブロックを要する、であれば、ブロックを検討する必要がある、と見ていいと個人的には思います)、となった時にブロック依頼に移行する場合が多いです。が、明らかに問題行為がありかつブロック依頼文を適切に作成できるのであれば、ただちにブロック依頼を出しても問題はありません(そういう例もたくさんあります)。重々ご検討の上、必要な方策を採って下さい。いずれにしてもWikipedia:投稿ブロック、および、Wikipedia:投稿ブロックの方針は、必ず熟読してください。でないとただの空振り、時間の浪費になりかねません。なお、管理者伝言板については制限はありませんが、投稿ブロック依頼の場合は「編集50回以上、かつ活動期間1ヶ月以上」を満たさないと動議提出権・投票権がございませんので、こちらについてはすぐにと言う訳には参りませんので、念のため。--Hman会話2014年12月6日 (土) 00:12 (UTC)[返信]