Wikipedia:削除の復帰依頼/優秀企業

優秀企業 - ノート[編集]

Wikipedia:削除依頼/優秀企業で議論の結果削除されました。独自研究であるとの結論は妥当でないと考え、復帰を依頼します。

記事は参考文献として示されていた『日本の優秀企業研究-企業経営の原点 6つの条件-』(ISBN 978-4532310868)に基づいて書かれていました。この本の中で語られた「優秀企業の条件」なんかが記述されていたと記憶しています。これに対し依頼者の利用者:Lonicera氏は「著者の新原氏の定義しかなく、独自研究に当たる」として削除を依頼されました。また削除後にわざわざ私の会話ページにいらして「記事作成者の独自研究ではなく、新原氏の独自研究である」と補足説明されています。しかしWikipediaにおける独自研究は「未発表の情報」であり、既に発表されている「優秀企業の定義」はこれに当たりません。そもそもLonicera氏の主張に基づけば、ありとあらゆることが独自研究としてWikipediaから削除されることになり、この削除は妥当でないと考えます。--FOMALHAUT 2007年12月12日 (水) 09:28 (UTC)[返信]

  • (反対)削除依頼における審議結果を覆すだけの材料が提示されていない。当該の参考文献はWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料の第3段落以降にいう非学術的な分野にかかわるものだが、いわゆるビジネス書の類であり、そのジャンルの類書同様に「信頼できる」ものかどうか疑問が残る。優秀企業なるものについて“参考文献”以外にも研究の広がりや蓄積がある、言い換えれば専門家同士の検討と批判をへて得られた研究結果にもとづいて「優秀企業」について論じられるのであれば、それらを参照したうえで再作成すればよい。--ikedat76 2007年12月12日 (水) 12:03 (UTC)[返信]
    • (コメント)優秀企業なるものについて“参考文献”以外にも研究の広がりや蓄積がある、言い換えれば専門家同士の検討と批判をへて得られた研究結果にもとづいて「優秀企業」について論じられるようにするには、優秀企業を復帰して、しばらく置いておいて、更にいろんな見解が加筆されるのを待つしかないと思いますが・・。 --- BBBeaver 2007年12月13日 (木) 22:10 (UTC), 2007年12月14日 (金) 00:23 (UTC) ---[返信]
  • (賛成)一般に、記事が公刊された著作物を元にしている場合は、何らかの、普遍的にはなり得ない政治イデオロギー・歴史イデオロギー・地域エゴなどを無理やり普及させるために執筆されたものを除いて、それについてまともな関心のある不特定多数の読者に、それなりに正当に共有されているものであり、到底 Wikipedia:独自研究は載せない によって削除してよい対象ではないと思われます。実際、本の優秀企業研究 企業経営の原点-6つの条件 (日本経済新聞社) (単行本)だったものが、日本の優秀企業研究―企業経営の原点 6つの条件 (日経ビジネス人文庫) (文庫)となっており、元にしたとされる資料も、信頼される資料として出版社や読者から評価されていることが分かります。信頼できない資料として廃刊される事態には全然なっておりません。よって、信頼されている資料を元にして執筆されたと十分考えられる 優秀企業 の記事の復活に賛成します(賛成せざるを得ません)。 --- BBBeaver 2007年12月13日 (木) 22:10 (UTC), 2007年12月14日 (金) 00:23 (UTC) ---[返信]
  • (反対)(コメント)この依頼自体が誤解に基づくものかと感じています。削除依頼の中で独自研究という言葉は出てきていますが、削除の決定を下す直接の根拠が「独自研究である」とはされていません。今回の復帰依頼は「独自研究であるとの結論は妥当でないと考え」という理由によることだそうですから、依頼には理由がありません。ですから、「独自研究に当たるかどうか」幾つか意見が出ているようですが、その議論しても削除の復帰にはつながりません(すくなくとも私なら復帰の判断は下しません)。審議の経過を見ると、宣伝要素があるとされている意見もあるようですね。--はるひ 2007年12月14日 (金) 04:24 (UTC) [返信]
  • (コメント)削除を支持したのは計6人。このうち4人が独自研究であるとしていますね。確かに直接の根拠が独自研究であるとは明示されていません。ではもし独自研究が根拠でないならばなぜ削除されたんでしょうか?「宣伝の類」は削除の対象外のはずです。「著者の独自研究」という理由で削除される前例を作るわけには参りません。そういう方針はまだありません。--FOMALHAUT 2007年12月14日 (金) 05:23 (UTC)[返信]
  • (コメント)宣伝の類は削除対象ではありませんが、宣伝目的であるページは即時削除対象です。なぜ削除されたのかを知るには判定者に聞くしかないと思いますが、そうするかどうかはお任せします。独自研究を理由として即時削除されたのなら、復帰ということになるでしょうが、そうでないのなら、本件依頼には理由がないと判断することになりますね。私自身は、独自研究には当たるかどうかという観点でいえば、あたらないという判断です(そのため定義文を修正しております)。そもそも論はあまり有益ではないかもしれませんが、初版から、優秀企業というごく一般的な用語に、特定の人物の視点による定義を与えてしまっており、初めからいびつな面を有していたように思います。復帰ではなく新たに初版から著作物の紹介の形をとる(つまり「優秀企業」の記事ではなく、これが紹介された著作物の項目とする)などという方法も考えられるのではないでしょうか。優秀企業なる概念がある人物が著作の中で編み出した概念なのだとすれば、私にはむしろそのほうが自然に思えます。--はるひ 2007年12月14日 (金) 13:30 (UTC)[返信]
  • (コメント)利用者:FOMALHAUT会話 / 投稿記録 / 記録なるユーザがこの項目にのみいたくご執心である理由が判然としませんが、これだけははっきりさせておかなければいけないので書いておきます。ある人物が著書の中で一つの概念を展開したとして、「著者が自著の中で述べた」という理由で項目が立てられる前例を作るわけには参りません。追随する人間が次々にしょうもない項目を立て始めたら、FOMALHAUTなるユーザがそのすべてに関して対処なさるとおっしゃるのでしたら何も申しませんが。--Lonicera 2007年12月14日 (金) 22:27 (UTC)[返信]
    • (コメント)--ikedat76 2007年12月15日 (土) 01:55 (UTC)Loniceraさんの発言について批判的なコメントをしましたが、この場でするには不適切であったと考えコメントアウトいたします。--ikedat76 2007年12月15日 (土) 09:20 (UTC)[返信]
  • (反対)Loniceraさんの語り口には反発もあるでしょうけれど、言わんとする所はわかりますし、「その書籍の著者の」独自の概念(ユーザーの独自研究ではありません、念のため)が、項目立てするほど膾炙したものであるかどうかは検証が難しいでしょう。繰り返しになりますが、そもそも書籍の項目ではなく著者の独自概念として項目立てをしたことが今の波風の原因かと思います。前回のコメントを合わせて、ここで改めて「優秀企業」としての復帰には反対という立場をとることにします。--はるひ 2007年12月15日 (土) 02:59 (UTC)[返信]
  • (コメント)Lonicera氏に礼儀などもとより期待しておりませんから、ikedat76氏もほったらかしておいていいかと。なんか私の意図がよく伝わっていない気がします。私は優秀企業が削除されるのは別に構いません。これも語弊があるな。問題にしているのは「著者の独自研究であるから」という理由で削除されたことです。ikedat76氏のように「文献がそれほど信用できるものでない」とか、はるひ氏のように「特定の人物による優秀企業の定義は一般的に広まっておらず、記事を作るほどでもない。」という理由なら納得しますよ。ですがWikipediaにおける独自研究の意味をはき違えたまま削除されるのは到底容認できません。ご執心っていうか、ウィキペディアンとして当然の行いじゃないんですかね?もちろん独自研究とはなにかを正確に理解するのもウィキペディアンの常識でしょう…管理者である前に。復帰後の削除依頼で上のような根拠が示されれば、削除も仕方ないと考えますが、今のままでは「著者の独自研究は削除する」という前例を作ることになります。そしたらなんですか、画期的な新発見は一つ残らず削除されるんですか?--FOMALHAUT 2007年12月15日 (土) 05:30 (UTC)[返信]
  • (反対)礼儀云々は置いときます。それはここじゃなくて会話ページの方でお願いできればと。で、本題ですが、優秀企業という定義が一般的ではないこと(どのように評価するのか、誰が評価するのか、評価の基準は…などが一般的となっていない=人によって異なる)から復帰すべきでないと考えます(このあたりははるひさんの意見とほぼ同じです)。んで、FOMALHAUTさんの画期的な新発見は一つ残らず削除されるんですか?については、そのとおりだと思いますよ。少なくとも権威ある学会やサイエンスなどの査読される学術雑誌などで発表されて、誰か他の人から評価されないうちは。それが正しいかどうかが解らないんですから(少なくともwikipediaではその評価を書くところですよね?)。誰か他の人が著書の中で「だれそれはここうこういっているがこれはほにゃららである」と書かないうちは難しいでしょうね。(このあたりはikedat76さんが仰っている専門家同士の検討と批判をへて得られた研究結果にもとづいて「優秀企業」について論じられるのであればが該当するかと思います。)なんだかまとまりが無くって申し訳ないです…。--Kodai99 2007年12月15日 (土) 08:35 (UTC)[返信]
  • (コメント)競合しましたがそのまま。3点ほど述べます。
    1. 独自研究の定義を「未発表のもの」とだけ解するのは適切でしょうか。方針文書冒頭では、「「独自研究(original research)」とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指す」と定義され、「未発表のもの」という語が登場するのは、その次の文で「ここに含まれるのは」以下の例示においてです。したがって、独自研究に未発表のものは当然に含まれますが、しかし未発表のものだけではありません。本依頼の対象記事は「信頼できる媒体において未だ発表されたことがない」(=発表はされているが、信頼できない媒体上で発表されている)という意味では、独自研究に該当します。その限りで、前回の削除審議の結論が「独自研究だから削除」だとしても失当ではありません。
    2. 「画期的な新発見は一つ残らず削除され」るのかと疑義を示しておられますが、ある意味で言えばそうするべきです。Wikipediaが紙製ではなくとも百科事典である点を鑑みれば、性急な編集をせず、一過性のものではないことを見定めて執筆するべきですし、それで充分です。優秀企業なる概念はその意味で、「研究の広がりや蓄積がある、言い換えれば専門家同士の検討と批判をへて」(肯定的であれ否定的であれ)定着したものなのか否かに疑問があり、“実績に乏しく著名性を欠く”一過性のものではないことが削除審議中には示されませんでした。
    3. また一過性のものではないのであれば、(本件なら経営学あたり?とかで)「研究の広がりや蓄積がある、言い換えれば専門家同士の検討と批判をへて」きていること(その結果が受容であれリジェクトであれ)を根拠を伴って示すことができるでしょう。そのことを以って「著者の独自研究は削除する」という依頼に対して反対できますし、そうした根拠ある反対意見はかならず説得力を持ちます。--ikedat76 2007年12月15日 (土) 09:16 (UTC)[返信]
  • (コメント)どうもまだ納得いきません。
    1. 確かに、独自研究は「信頼できる媒体における未発表の情報」です。信頼できる媒体、WP:Vによると「学術的な主題については、なるべく査読を経た情報源を用いるべき」とあり、あくまでも査読は義務ではありません。ていうか、新発見てのは「性急な編集」に関わるから語弊がありました。ごめんなさい。あとikedat76氏の主張は「文献が信用ならないから項目作成者の独自研究」とするものですね。が、依頼者のLonicera氏はご丁寧に「著者の独自研究」だとおっしゃっています。私が問題にしているのはここでして、これはWikipediaにおける独自研究の意味を誤解なさっているとしか思えません。
    2. また「専門家同士の検討と批判」というのは中立的な観点に立つべきということでしょうか?違っていたらすいません。もしそうならですが、中立性を欠いた記事は削除対象ではありません。--FOMALHAUT 2007年12月15日 (土) 14:08 (UTC)[返信]
    • (コメント)さしあたり2に対してだけの答え - 違います(今回の件では中立的な観点は問題ではないと思います)。「専門家同士」ということで「専門分野」(端的には学会や査読誌・専門誌)を意味したつもりでした。以上でお答えになったでしょうか?--ikedat76 2007年12月15日 (土) 15:27 (UTC)[返信]
  • (コメント)議論の方向性を確認するために訊いておきたいのですが、問題にしたいことは何でしょうか。Lonicera氏の「独自研究」解釈がおかしい、というのならLonicera氏についてコメント依頼を提出できます。「独自研究」概念が何を指す or 指さないのかについての疑念があるのなら井戸端なりコメント依頼なり方針文書のノートなりで議論を提起できます。しかし、本依頼はあくまで記事を復帰・存続させるための依頼です。FOMALHAUTさんは記事の復帰・存続がどうでもよい趣旨の発言をされていますよね。Lonicera氏の依頼内容がおかしいから復帰させよう、でも復帰したら削除されてもかまわない、結果として「優秀企業」は削除 - というなら復帰させる意味がありません。現状に一巡りしてもどってくるだけで、単に管理者に不必要な手間を負わせる(これもリソースの消費です)だけです。ここはFOMALHAUTさんの問題としていることを突き詰めるために本当に適切な場所なのでしょうか。--ikedat76 2007年12月15日 (土) 15:27 (UTC)[返信]
    • (コメント)個人的には「企業が優秀とはどういうことか」を論じたこの記事は興味深く、存続を望みます。また出典を含め、Wikipediaの方針から言って記事全体について特に問題がないと考えています。ですがより経済・経営学に明るい方が「この本は出典とするには不適切だ」というなら項目作成者の独自研究とされ、削除されることもありましょう(削除されても構わないというのはこういう正当な根拠に基づくものであればの話です)。現状では「著者の独自研究は削除する」という方針などありませんから復帰を依頼しています。誤った前例を作るわけにはいかない、というのがここで依頼した最大の理由です。コメント依頼をするのは思いつきませんでしたが…それはこの議論が終了してからにします。まあ「著者の独自研究」なんておっしゃっているのはLonicera氏だけではありませんがね。--FOMALHAUT 2007年12月16日 (日) 02:11 (UTC)[返信]
  • (反対)「優秀企業」の定義が十人十色でありうることから、反対とします。一般論として、定義が画一でないものは百科事典のひとつの項目として成り立たせるべきではないものと思います。百科事典がどうあるべきかという、ウィキペディアの方針云々以前の問題がクリアできていないと思います。この著者の本についても言及しておくと、信頼性のある文献とみなすのは困難であろうから、この著者の定義もやはり十人十色である定義のうちのひとつであるに過ぎないでしょう。-- 2007年12月17日 (月) 09:39 (UTC)[返信]
  • (反対)ここでの議論から察するに独自の研究に当たると思います。有名な学者が新種の生物を発見してもその段階では独自の研究です。学会により多くの有識者の査読を受けて初めて新種と認められるでしょう。同様に本記事も単一の出典によって定義される状態を避け、多くの出典によって定義づけられて、初めて記事として成り立つと思います。ですのでその概念についての多くの資料を集めるべきです。きっと二次資料が提示できるでしょう。(特定の出典に依存すると記述が偏り信頼性の点において疑問が残ります。)--たね 2007年12月17日 (月) 16:07 (UTC)[返信]
  • (コメント)まず「定義が画一でない」というのは反対理由になりませんね。「~と定義する者もいる一方、~と定義する者もいる」と書けばいいだけの話ですし、そうした書き方が推奨されているはずです。また「方針以前の問題」という言い方は議論を進める上で問題がある、と申しておきます。次に新種の生物の例ですと、「新種を発見する→新種の生物の記事を書く」のは独自研究ですね。ですが「新種を発見したという論文が載る→記事を書く」のは独自研究ではありませんし、査読を経なければならないという方針はありません(なるべく、とあります)。ikedat76氏の「専門家同士の検討と批判が必要」というのも方針に示されていないので、私は納得できません。これまでの議論で納得できるのは、はるひ氏の著者による定義が百科事典の記事にするほど世の中に広まっているかどうか疑わしい、という意見です。とするとこれはWikipedia:削除の方針におけるケースE(百科事典的な記事に成長する見込みのないもの)、あるいはケースZに相当すると思われます。こうした理由で削除されたのなら私も復帰など依頼しなかったのですが…。再三申し上げておりますのは、あくまでも復帰依頼の理由は「削除された根拠が正当でない=『著者の独自研究』は削除するなんて方針はない」というものです。この部分に関して皆さんはどうお考えでしょうか。私は削除された理由が正当でないなら記事は復帰され、その後の削除審議で再度検討されるものと考えていました。それで、削除された理由が正当であるかどうか、ではなくこの記事は存続か削除か、の議論がなされているのは少々意外に感じています。今までの議論は普通(私にとっての普通ですが)復帰後の削除審議で行われるものじゃないんですかね。--FOMALHAUT 2007年12月18日 (火) 13:57 (UTC)[返信]
    • (コメント)このように復帰反対(=削除)という意見が多数出てくるということを、もう少し重視していただけないだろうか、と思います。削除依頼で出たような意見だけでなく、他の観点からもさらに復帰反対=削除という意見が出てくる。そういう意味でこの記事は、コミュニティの支持を得られない、非常に脆弱な記事ではないでしょうか。このまま記事が復帰しても、削除依頼が提出されたら持ちこたえられないでしょう。そうしたら復帰させて再削除して、と管理者の手を煩わせるだけでリソースの無駄遣いであって、復帰させることにメリットがあるのか疑問です。興味深い記事だとお考えなのであれば、しっかりした出典をそろえて書くことに挑戦して見てはいかがですか。--ikedat76 2007年12月18日 (火) 14:48 (UTC)[返信]
    • (コメント)個人的には、こういう依頼が出る時点で、他者の発言の意図を理解する力が不足しているのでは・・・と思えてならないところです。私に対する返答を見ても、依頼者の方は、まず一般論と個人的意見の区別ができてないように思います。『~と定義する者もいる一方、~と定義する者もいる」と書けばいいだけの話ですし」』というのは発言を見る限りはそうでしょう。あたりまえですが百科事典では、一般論が基本です。個人的意見が出されることがなくはないですが、定義の時点で個人的意見がでることはありえません。そんなことで記述をしていったら、キリがなくなるのは目に見えている話だからです。そこまでやるのは百科事典の守備範囲外でしょう。やはり百科事典がどういうものかを根本的に理解されていないようです。
あと、言及が出てきたLoniceraさんのご判断ですが、至極妥当であると思います。「独自研究」の解釈は人によって微妙に異なることがあるようですが、云わんとされることはよくわかります。少なくとも百科事典の記事として成り立つ用件が整っていないという点で削除は妥当です。-- 2007年12月19日 (水) 04:49 (UTC)[返信]
  • (コメント)はあ…重視しろとか理解されてないとか…。ちっとも的を射た返答がないですね。きっと私の訊き方がまずかったんでしょう。申し訳ありません。分かりやすくまとめてみました。まず1についてですが、これについてはLonicera氏とHyolee2氏、それに通氏にコメントを依頼する予定です。そこで詳しくお話をお聞きしましょう。次に2ですが、ikedat76氏は「どうせ削除されるなら復帰しても無駄じゃん」という意見ですね。私は誤りを正すのが無駄なわけない、と考えています。もしもここ、復帰依頼がこのような事態(誤った理由で削除された記事の復帰を依頼したところ、他にも削除すべき理由が挙げられる様な事態)を想定していないならば復帰を諦めます(依頼取り下げも想定されてないみたいですが)。その後復帰依頼のノートでこのような自体に備えるべきでないか、と提案することにします。最後に通氏にお訊きしますが、「定義を一つしか書かないのは百科事典として当然」とはどの方針に示されているんでしょうか?
  1. Lonicera氏の言う「著者による独自研究」はWikipediaで規定されていないのではないか?
  2. (1が認められたとして)規定されていないことで削除されたのなら復帰され、もう一度審議されるべきでないのか?--FOMALHAUT 2007年12月20日 (木) 13:48 (UTC)[返信]
    • (コメント)分かりやすく言いましょう。FOMALHAUTさんの意見は支持されていません。それだけのことです。支持されない(=他ユーザーを説得できない)のであれば、正論だかなんだか知りませんが依頼ページの審議では無に等しい。--ikedat76 2007年12月20日 (木) 15:10 (UTC)[返信]
  • 手続きを満たすためだけの議論はウィキペディアの方針に沿うものではありません。--ikedat76 2007年12月21日 (金) 15:05 (UTC)[返信]
  • (コメント)前に「一般論と個人的意見の区別ができてない」ということを書きましたが、おそらくはFOMALHAUTさんは、文章を読み解く力や、それを内包している論理的思考力が不足しているのではないかと思います。また、一般論と個人的意見を区別できていないと仮定すると、おそらくは、Wikipedia:独自研究は載せないを適切に解釈できていないのだと思います。それは、大学入試での現代文の評論に相当するものです。適切な解釈ができていれば、そもそもこのような依頼は出るはずがないでしょう。まあ自分も人のこと言えず、昔その立場にいたので、わかることなのですが(今でも不十分ですけどね)。
で、おそらくその状態では私の回答は意図どおりに理解されないのではないかと思うのですが、回答をすると、私は「定義が画一でないものは百科事典のひとつの項目として成り立たせるべきではない」とは申し上げましたが、「定義を一つしか書かないのは百科事典として当然」とは申しておりません。両者は全く非なるものです。一般論レベルの定義がいくつも出てしまう言葉も当然ありうると思います。しかし、優秀企業という言葉は、一般論レベルで定義づけをすることすら困難なものです。そういうことで、百科事典の記事にできる要件は整っていないでしょう。また、新原浩朗氏の優秀企業に対する考えは、WP:ORの冒頭の「信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語」に十分に該当しうるものと思われ、一般論に近いものとは到底思えません。
論理的思考力はそう簡単に養えるものではありませんから、「あきらめたらいかがでしょうか」というのが一つの提案です。-- 2007年12月22日 (土) 05:47 (UTC)[返信]