Wikipedia:投稿ブロック依頼/Fuji 3
利用者:Fuji 3(会話 / 投稿記録)
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議論の結果、ブロックせず に決定しました。
対話が困難であり基本方針の理解に問題のあるユーザーとして上記の利用者の投稿ブロックを依頼します。
経緯
事例が多すぎるため逐一挙げることはできませんが、例としてCategory‐ノート:人物、Category‐ノート:出来事別の人物、Category‐ノート:被害者などの対話を見てください。最初の例では被依頼者はWikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝#カテゴリにある「分野別の人物のカテゴリ」という文言をCategory:分野別の人物そのものと誤解して編集を行い、私にその点を指摘されると「それならウィキプロジェクトに従ってCategory:分野別の人物をそのように作り変えなければならない」というようなことを言い出してCategory:出来事別の人物など別系統のカテゴリを全部ここに入れるようにすべきだと主張し、これについての議論がCategory‐ノート:分野別の人物にまたがって1週間の間続きました。ウィキプロジェクトで言っている「分野別の人物のカテゴリ」というのは便宜的にそういう言い方をしているに過ぎず実際のカテゴリ構造に対応した言葉ではないと何度も説明しているにも関わらずです。
2番目の例では被依頼者によって「Wikipedia:カテゴリの方針に書いてある通りカテゴリの定義をもっと厳密に書こう」というような議論提起が行なわれ、別段混乱の起こっていないカテゴリの本文に「細々とした説明を付け加えるかどうか」というだけの議論がなされました。しかし実際にはWikipedia:カテゴリの方針に被依頼者が言うような文言はありません。
Category‐ノート:被害者では、被依頼者は「このカテゴリに入っているCategory:事故被害者やCategory:震災死した人物などは「暴力」や「犯罪」の被害者ではない」と言って、他に暴力・犯罪に関わる項目とカテゴリが一定数入っているにも拘らずCategory:被害者の上位カテゴリからCategory:暴力とCategory:犯罪を除いてCategory:出来事別の人物のみにすべきという議論提起が行なわれました。被依頼者は同じような発想に基づいて他のカテゴリでも上位カテゴリの除去を行なっていたのですが、その際の論拠となっていたのがWikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義の2にある「上位の概念」という文言で、つまり「犯罪」と「被害者」は同種の概念ではないから「上位の概念」にはなりえないということです。しかしそのように「概念」を字義どおりに解釈してはカテゴリの運用が立ち行かなくなることは自明であり、実際に被依頼者はWikipedia‐ノート:カテゴリの方針#関連が深いキーワードにおける「上位の概念」とは何か?で説明を受けているのですが相手の説明をまったく受け入れようとせず、最終的に「そのような意見もあるようですね、他の人の意見も聞いてみたいです」というようなことを落しどころにしてあくまで自分の考えに拘泥しています。
また上に述べた上位カテゴリの除去について私が差し戻しを行なった結果各所で編集合戦となり、そのため私は利用者‐会話:Fuji 3#議論停止しませんかで直接対話を行なって、「カテゴリに関する理解の違いが確認されている項目はしばらく互いに手を引くこと」「編集合戦を避けるため、リバートをされたものは決して再リバートしないこと」の2点の取り決めの合意を行ないました。しかしCategory‐ノート:日本の企業#サブカテゴリの整理についてで、被依頼者はこのカテゴリの冒頭にある「証券取引所上場企業については、業種分類ごとのサブカテゴリに入れる」という文言を曲解して「業種コードで分類されていない業種のカテゴリは含めない」と解釈し、Category:日本の金融機関、Category:日本の運輸業、Category:日本の工業製品メーカーなどをCategory:日本の企業からはずし、代わりに左のカテゴリにまとまっていた十数個のサブカテゴリを個別にCategory:日本の企業に入れる、というわけのわからない編集を行なっていたため差し戻したところ、上記の取決めにも関わらず再リバートが行なわれました。すぐに会話ページで取決めはどうなったのかと問いただしたところ、「カテゴリに関する理解の違いに基づかないものは対象外(大意)」という呆れた返答、「一旦(暗黙も含む)同意が得られて作業が開始(もしくは完了)されているものに対して、別の意見があった場合に、その編集をなしにする取り消す編集をリバートと扱っていいのか?という点について考慮いただければと思います。私の感覚では、それは単なる編集であり・・・(引用)」という意味の分からない弁解が行なわれました[1]。
問題点
被依頼者の根本的な問題として、「方針文書」や「プロジェクト文書」に非常にこだわって金科玉条のように考え、その一字一句を正確に実現しなければならないとでもいうように、議論が起こるたびに「この方針のここに書かれているこの文言はどういう意味か」といった議論に延々と相手をつき合わせるということが挙げられます。しかもそのわりに被依頼者の言葉の解釈や意味範囲の取り方は非常に恣意的で、例えばWikipedia‐ノート:カテゴリの方針#上位カテゴリとの関係に関する規定の例外についてでは、Wikipedia:カテゴリの方針にある「あるカテゴリを上位カテゴリとしたら、その上位カテゴリの上位カテゴリを合わせて上位カテゴリとする必要は、一般的にはありません」という文章をなぜか「あるカテゴリをつけたらその上位カテゴリを併せて付けるようなことがあってはならない」という風に解釈し、併せてつけるべき場合があるのならば例外として事細かに列挙し、その例外意外は許されないようにしよう、というような議論提起を行なっています。上述の「上位の概念」の件もそうですが、方針文書の文言を「なぜそのような文章が必要なのか」という文脈や背景を一切考慮せず字義通りに受け取り、しかもその受け取り方が実際には非常に恣意的であるという、要するにウィキペディアは規則主義ではないということに真っ向から反している人物であり、実際の編集や対話の積み重ねから方針ができたのであって方針からウィキペディアが出来ているのではない、ということをまったく理解していません。
また方針の文言に限らず、通常の議論においても相手の発言の意図を捉えられなかったり曲解したりして、その点を説明するためにただでさえ被依頼者の曲解に端を発する不毛な議論がさらに些細で不毛な議論に発展していきます。その「曲解」も「うまく理解できない」というよりはひたすら自己に利する形での曲解であり、一例としてCategory‐ノート:被害者では唐突に対話を打ち切って「意見欄」を設けて投票を始め、私がWikipedia:投票の指針(現Wikipedia:調査投票の方法)を示して手順を踏むように求めても「投票のように見えるだけで投票ではありません。冒頭に「投票ではありません」と書いたでしょう」というような理解し難い弁解を行なっています。被依頼者のつもりでは「Wikipediaにおける投票」と「そうでない投票」の2種類があり、自分の行為はどういう基準でか後者に属するということなのだそうです。上述の「取決め」についても、「編集合戦を避けるため」という予め何度も繰り返した議論や実際の取決めの文言からして「カテゴリに関する理解の違いに基づくリバートに限る」というような保留事項がないことはごく普通に考えれば明らかなはずです。
もう一つの問題として、被依頼者の「他の意見も聞きたい」とか「あなたもアイディアをだしてください」と言い出す議論方法です。もちろん意見が対立しているときに第三者の意見を募る、ということ自体には問題はありませんが、実際に議論提起しているのは被依頼者であり、それについて明確な否定意見が出ているにも関わらず「他の意見も聞きたいので」というふうにはぐらかされて自分にとって都合のいい意見が登場するまでいつまでも放置される、それが様々な箇所で連続して行なわれます。そしてその議論提起自体が上述のように方針文書やカテゴリの定義を被依頼者が曲解したことによってなされているものであり、そのような解釈自体の間違いをいくら正しても「多数ありうるうちの意見の一つ」として、一つ上の立場に立って片付けられてしまう、あるいは「あなたもアイディアを出してください。私も出しているのだから」というような話になって、そもそも議論の発端自体に疑義が呈されていることが無視されてしまい、議論が堂々巡りすることになります。
なお、この人物とのやりとりに関して依頼者自身に乱暴な言葉遣いや弁解し難い暴言[2]について複数の方によって注意がなされています。そのような言葉遣いによって議論をややこしくしたことは否定できませんし、また上記の被依頼者の問題点を理由にして依頼者のそのような問題点を棚上げするつもりはありません。しかし、「依頼者がもっと丁寧な言葉遣いを心がけていればこのような問題は起こらなかった」というように、それが問題の第一の本質であるとは私にはどうしても思えません。また「個人間の考え方の対立」に還元できるとも到底思えません。本来であればまずコメント依頼で意見を聞くべき内容ですが、実質ほぼ私一人がこの利用者に対処しており問題を周知している人物が少ないと思われ、また実際に過去に行なったコメント依頼では意見がつかなかったこともあり、この問題に対してコミュニティの総意を問うために投稿ブロック依頼を行ないました。--頭痛 2010年6月17日 (木) 23:04 (UTC)[返信]
票・コメント
- (賛成)依頼者票。最低でも3ヶ月のブロックを希望します。ブロック明け後に問題点がなんら理解されていないようならより長期のブロック依頼を行なう考えです。なお、ブロックされるにしろされないにしろ私は二度と被依頼者との間で「対話」を行なう気はありません。利用者‐会話:Fuji 3#議論停止しませんかに書いたように私はこの数ヶ月間十分すぎるほどこの人物との対話を行ないました。上のような不毛な議論につき合わされるのはもう嫌です。--頭痛 2010年6月17日 (木) 23:04 (UTC)[返信]
- 反対 Fuji 3さんの言動についての評価については、頭痛さんとほぼ同様の感想をもっています。公式主義的な理解をしがちであり、また、自分の考えに対する固執があることは確かです。途中で考えが変わってもそれに気づかないこともあるようです。カテゴリの上の方を変更することで、その下に属するサブカテゴリや個別の項目にどのような作業が発生するのかについても実感をもって理解し、その範囲で編集に参加している利用者のことを念頭に置いた行動を採っていないと見ています。総じて、わたくしもFuji 3さんに批判的です。しかし、お二人だけでなく他の者がその場にいて議論に加わると、二人だけの応酬とは異なり対話が可能になる経験もしています。Fuji 3さんが投稿ブロックの対象というよりも、対話に加わる範囲を常に広める努力が必要な場面かと思います。その場合、頭痛さんがイラチなため、他の人々は遠巻きに見ているだけになりがちなのも、過去の経験から言えることです。長期的視点からは非は五分五分です。一方、そうした従来の経緯全体とは異なり、今回の発端は、お二人の対話による取り決めをFuji 3さんが勝手に変えてしまったことにあります。短期的な非は十割Fuji 3さんにあります。そうしたことをすべて踏まえた上で、なお、他の参加者を加えたかたちに事態の展開を移行させる努力が必要であり、「本来であればまずコメント依頼で意見を聞くべき内容ですが」との頭痛さんの言の通り、なんども手数をかけて問題が発生する度に、コメント依頼を試みる段階かと判断します。その場合、議論の展開をもっと緩やかにして、週1回アクセスでも参加可能なペースを基準にして欲しい。これもまた参加者が得られない原因となっています。--rshiba 2010年6月19日 (土) 06:42 (UTC)[返信]
- コメント私もrshibaさんの意見に賛成します。頭痛さんもFuji 3さんのページで「ふざけんな馬鹿者」利用者‐会話:Fuji 3の[3]との言辞を記されています。この言葉だけでも暴言に値しブロックされる可能性もあります。お二人の間にわだかまりがあることは承知していますが、この発言に関してはFuji 3さんに謝罪なさるべきと思います。どうか冷静に話し合ってみてください。もしどうしてもFuji 3さんに対するブロックがなされるならば喧嘩両成敗で両者とも同じ裁定であるべきと思います。--人権 2010年6月23日 (水) 01:42 (UTC)[返信]
- (終了)ブロックするに十分な賛同があるとは言えない状況です。今回の対処は見送ることにしましょう。--Bellcricket 2010年6月26日 (土) 01:38 (UTC)[返信]
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