Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/アルミニウムの歴史 20181011
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選考終了日時:2018年10月24日 (水) 16:23 (UTC)
- (自動推薦)2018年9月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2018年10月10日 (水) 16:23 (UTC)
- 賛成 アルミニウムだけでこれだけ歴史を書けるんですね。うまくまとめられている記事だと思います。--Tam0031(会話) 2018年10月11日 (木) 15:20 (UTC)
- 賛成 シンプルにまとめられていておもしろい記事です。記事名ですが、「アルミニウムの歴史」ではなく「アルミニウム利用の歴史」の方がふさわしいと思いました--イココ(会話) 2018年10月11日 (木) 22:47 (UTC)
- コメント スターリンの手紙の一節は何か日本語出典を参考にされたのでしょうか?いずれにせよ、和訳の一例だと思いますので、原文を載せて日本語訳を添える形にした方がいいと思います。冒頭では57,500,000トン、最後では5,750万トンと記載しておりますが、「数千倍に増えた」ということを一目瞭然にするためのテクニックでしょうか?記事名はこのままでいいでしょう。--切干大根(会話) 2018年10月12日 (金) 08:26 (UTC)
- コメント どちらかと言うと元の英語版記事の問題ですが、スターリンの手紙の英語版文章「Give me 30,000 tonnes of aluminium, and I will win the war. 」はかなり劇的にアレンジされたものではないかと言う気がします。この一節はチャーチルの回顧録にあり、1941年9月にソ連側が「この状況から脱する方法はただ一つだと思います。すなわち、東部戦線から敵の三、四十個師団を引き離すことのできる第二戦線を今年中にバルカンかフランスのどこかに確立すること、そして同時に、来る十月までに、アルミニウム三万トンと、毎月最低四百機の戦闘機と五百台の戦車(小型または中型)の援助をソ連に保証することです。」(河出書房版の訳文)と提案してきたとあるものの部分を抽出して改変したものであるように思われます。
- 英文の原文は「I think the only way is to open a second front this year somewhere in the Balkans or in France, one that would divert 30-40 German divisions from the Eastern Front, and simultaneously to supply the Soviet Union with 30,000 tons of aluminium by the beginning of October and a minimum monthly aid of 400 aeroplanes and 500 tanks (of small or medium size).」です。
- また、チャーチルの回顧録にあることからわかるように、これはアメリカからの援助品の分配を巡ってスターリンがチャーチルに送ったメッセージであり、ルーズベルト宛ではないような気がします(グーグル検索でも該当するルーズベルト宛の手紙は検出できませんでした)。英語版のWebにもはっきり(PERSONAL MESSAGE FROM PREMIER STALIN TO THE PRIME MINISTER, Mr CHURCHILL)とあります[1]。
- 出典になっているAluminium: The Thirteenth Elementは、en:Wikiによれば4000部しかコピーされなかったものらしく、ネット上に情報が全然ないので確認できませんでしたが、ロシア製の辞典のせいか、勇ましくアレンジされすぎな気がするのでこの引用自体は不要なように感じます。--TEN(会話) 2018年10月14日 (日) 04:25 (UTC)
- 反対 賛成票を投じるつもりでしたが、金属アルミニウム発見史の初期部分において重要でかつ基本的な物質である「アルミナ」の定義が不明瞭で、よく読むといろいろと誤解も生じかねないと考えられるので、ひとまず反対票とします。
- §2 明礬の性質の確立、§3 金属アルミニウムの生成
- 「アルミナ」
- 二つの節には各所に「アルミナ」という言葉が出てきますが、これは何を指すのか明瞭でありません。私の考えるところでは、以下の三つの用例が区別せずに使われているように思えます。
- 1. 現代化学で言うところのアルミナ、つまり酸化アルミニウムのこと。
- 2. 当時の「明礬の土」として仮定されていた未知の物質に対する(仮の)名称。
- 3. 実際に明礬にいろいろな処理をして得られた「明礬の土」のこと(現代化学での「アルミナ」と同一の物質かどうかは不明)。
- おそらく2.3の例が複合していそうですが、1.も含まれていそうです。そもそも、この時代に化学者が明礬にいろいろな処理をして得た上で、それを「アルミナ」(明礬の土)と考えていた物質が、実際に現代で言うところの酸化アルミニウムだったのでしょうか。そうでないならば、この時代のアルミナは、例えばカッコ書きで「アルミナ」と書くなど、何らかの方法で、現代化学のアルミナとは異なるものであることを明確化した方がよいと思います。
- さらに言えば「§3 金属アルミニウムの生成」節では、金属アルミニウムを得るために「アルミナ」に各種の処理をして四苦八苦した研究史が列記されていますが、この研究者達が使った「アルミナ」はどうやって得られたものなのでしょうか。何かの天然物を使用したのか、前節で記述されているように明礬に各種処理を行って得られたものなのか。そして、そもそも本節で述べられている研究者達が使った「アルミナ」はすべて同じ物質だったのか、という点も気になります。
- 二つの節には各所に「アルミナ」という言葉が出てきますが、これは何を指すのか明瞭でありません。私の考えるところでは、以下の三つの用例が区別せずに使われているように思えます。
- これはかなり本質的で重要な問題であり、この点が明確でないと良質な記事とは言えないと思います。続いて以下に述べることは、一つ一つは細かい点であってGAとしての評価に大きく影響するものではありませんが、まとめるとやはり記事として問題があると思います。
- §2 明礬の性質の確立
- 「スイスの医師パラケルススは明礬をウィトリオルと区別し 、「明礬の土の塩」であると主張した」
- この場合の「土」の意味するものに関しては注釈がありますが、「塩」に関しては現代科学の塩 (化学)と同じ、もしくは類似の概念なのでしょうか。異なるのであればこちらも注釈があればよいと思います。それと注釈部分にも出典は必要です。
- §3 金属アルミニウムの生成
- 「彼は無水の塩化アルミニウムとカリウム合金で化学反応を起こさせ、見た目がスズに似ている金属の塊を得た」
- この時の「塩化アルミニウム」はどこからどうやって得られたものなのでしょうか。塩化アルミニウムの項目では金属アルミニウムに塩素または塩化水素を反応させて作るようですが、もちろん金属アルミニウム自体が得られなかったこの時代にその方法はありえないでしょう。私が推測するに、ボーキサイトの発見がエールステッドのこの実験に先立つ1821年で、その後1856年の最初の工業生産に使われたドビーユの方法も塩化アルミニウムを使用した様子なので、まずはボーキサイトに何らかの処理をして塩化アルミニウムを得ていたのかな、と思いますが。もしそうならば、後でコメントするようにボーキサイトの発見史と合わせてこの辺に解説が必要でしょう。
- §4 貴重なアルミニウム
- 「フランスの化学者アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユ(英語版)は1854年にパリ科学アカデミーでアルミニウムの工業製法を発表した。」
- これは後の世界最初の工業生産につながる技術なので、製法についてもう少し詳しい解説が欲しいと思います。直後に「塩化アルミニウムはヴェーラーが使ったカリウムよりも便利で安いナトリウムでも還元することができるのであった」と書かれてはいるので、塩化アルミニウムを原料とし、ナトリウムを使ったことはわかりますが、原料の塩化アンモニウムをどのようにして得るのか(おそらく前のコメントのようにボーキサイトを処理して得たものと思われますが)とか、ナトリウムを使ってどんな処理をするのか、という点の解説も欲しいところです。
- 「サランドルの製錬所はボーキサイトを主なアルミニウム鉱物として使い、一方ドビーユなどの化学者は氷晶石を使おうとした」
選考終了時点で賛成2票、反対1票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031(会話) 2018年10月25日 (木) 13:01 (UTC)