Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/チベットの歴史 20111211
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選考終了日時:2011年12月24日 (土) 16:15 (UTC)
- (自動推薦)2011年11月の月間強化記事賞受賞記事。--Pastern 2011年12月10日 (土) 16:15 (UTC)
- コメント 学校教育の世界史では触れることがまずないチベットの歴史が分かり易く書かれている良記事と思います。ただ中華人民共和国によるチベットへの干渉に関しての記述に一部出典補強をした方が良いかなと思う部分がありました。具体的には中国政府がチベット併合正当化について言及している部分、産児制限のための人工中絶を行っているという部分、核施設についてダライ・ラマが情報を得たとしている部分。差し当たってこの三点における出典を補強された方が、より中国のチベットに対する扱いに関する記述について記事としての信頼性が補強されるのではないかと思料致します。良い記事ですので是非ご検討願えれば幸いです。--河川一等兵 2011年12月11日 (日) 17:27 (UTC)
- コメント 過剰な内部リンクは気付く限り削除しましたが、まだ、いらないのはあると思います。また、赤リンクが複数ありますが、記事があるならば可能ならば英語版や中国語版から仮リンクの形式を採用したほうがいいと思います→(例)年羹堯:雍正帝時代の将軍。形式的なところではダライ・ラマの表記が乱れている(ダライ・ラマかダライラマか統一したほうが見苦しくない)。形式な点はこれくらいにして、日本語文献が少ないこともあるかもしれませんが、清朝以降の内容が希薄な気がします。中国の歴史の通史でもチベットに関する文献が少ないのは難点ですが(康熙帝、雍正帝の頃はあまりない、アヘン戦争以降は結構あるのですが...orz)、小松久男(編)『中央ユーラシア史』山川出版社、2000年。ISBN 4-634-41340-X。から清とチベット政権の関係は深耕できると思います。また、現代史ではダライ・ラマ14世やパンチェン・ラマの記事に書かれてあると思いますが、パンチェン・ラマ10世並びにその転生であるパンチェン・ラマ11世(ゲンドゥン・チューキ・ニマ/ギェンツェン・ノルブ)を巡る対立が記載されておりません。他の地域史を書いている身として現代史を書くのは難しいのはわかるのですが、もう少し記述すべきかと。--Wushi 2011年12月13日 (火) 13:29 (UTC)
選考終了時点で賛否が付いていないため、今回は見送りとなります。--Tam0031 2011年12月25日 (日) 10:35 (UTC)