Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中城ふみ子 20181211
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選考終了日時:2018年12月25日 (火) 09:23 (UTC)
- (自動推薦)2018年11月の月間強化記事賞受賞記事。--Tribot(会話) 2018年12月11日 (火) 09:23 (UTC)
- 賛成 短歌には全然興味がないだけあって、知らなかった人なのですが、この方の生涯と作風、短歌界に与えた影響などがよくわかる良い記事になっていると思います。記事主題からすると些末なことですけど、夫が勤めていた鉄道省の部局は、おそらく札幌工事局札幌出張所/五稜郭出張所なのでしょうね。単に出張所という組織はないので。四国にいたときは四国鉄道管理局とありますが、この局が発足するのは1950年なので、1948年当時なら四国鉄道局だろうとか、「鉄道省の官吏生活に嫌気が差しつつ」とあるけどこの時は運輸省だろうとか、いろいろ細かいことばかり気になってしまいました(苦笑)。--Tam0031(会話) 2018年12月15日 (土) 15:04 (UTC)
- Tam0031さん、いつも丁寧に読んでいただき、本当にどうもありがとうございます。実は短歌関連の各文献は鉄道関連の推敲がかなり悪く、文献によっては夫、中城博の勤務先について最初から「国鉄」で通して記述しているものもありました(苦笑)。さすがにこのあたりは気づきましたが、かく言う私も鉄道関連は分野外で、まだまだ推敲不足があったようです。今度時間があるときに見直してみます。ところで鉄道関連ではもう一つ、気になっている点があります。それは1949年8月の、夫、中城博の国鉄退職理由です。当時、国鉄では大規模な人員整理が行われていて、それが下山事件、三鷹事件、松川事件の背景となったのではと言われているわけで、中城博のような職員は人員整理の対象に選ばれやすかったではないか?と感じました。もちろん独自研究になりますのでそのようなことは記事内に一切書きませんでしたが、短歌関連の文献の執筆者は皆、退職理由として肩たたきにあった可能性を考慮していないことに正直、少し違和感を感じました。--のりまき(会話) 2018年12月17日 (月) 11:01 (UTC)
- 私は、国鉄で統一するならそれで構わないと考えています。明治初期について国鉄と書くと違和感があるのですが、1907年の鉄道国有化以降は、国鉄と暗黙に呼んでいたようですし、鉄道関係の記事でない限り、国鉄の正式な組織名の変遷を追いかける必要はないのではないかと思っています。現状の記事でも、「四国、高松での生活」の節の鉄道省を単に運輸省に改めてしまうと、表記としては正確ですが、その前に鉄道省と書いていたのに新しい組織名が出てくることになり、組織名が変わっていることの説明が必要になってしまいます。鉄道省が(運輸通信省を経て)運輸省になったことは、鉄道や行政の記事であればともかく、歌人の記事ではかなり余計ではないかと思います。私が中城氏について気になったのは、どんな立場だったのかな、というところです。国鉄の職員は明確に2層に分かれていて、本社で毎年40-50人程度採用されて全国鉄で千数百人程度存在し、全国転勤をしながら幹部になるキャリア組と、現場の鉄道管理局で採用されてその管轄内だけで異動しながら、うまくいっても最後に現場長になるだけの大多数の一般職員がいました。中城氏は北海道帝国大学工学部卒ということなので当時としてはエリートのはずで、本社採用でおかしくないと思いますし、若くして出張所の所長になっていることも裏付けるのですが、そうであれば全国転勤をするはずで、北海道内ばかり転勤していて、心機一転なのか厄介払いなのかわからないが最後になって四国に転勤、というのは異例に見えます。逆に現場採用組だと、本人同意なしに管轄外に異動になることはありません。そして人員整理の対象も現場採用組のはずで、キャリアならまずその対象にはならないのではないか、と思います。--Tam0031(会話) 2018年12月17日 (月) 15:35 (UTC)
- 丁寧な説明、どうもありがとうございます。とりあえず記事内の記述は現状のままにしておこうと思います。ご教示いただいた当時の国鉄職員の採用形態は、私がかつて取り組んだ記事では日立鉱山の社員と鉱員との明確な格差と似ていると感じました。ただ、日立鉱山では恐慌時には社員もリストラ対象になったようですが……確かに資料からは中城博がキャリア組なのか一般職員なのか、はっきりしませんね。--のりまき(会話) 2018年12月18日 (火) 09:18 (UTC)
- 私は、国鉄で統一するならそれで構わないと考えています。明治初期について国鉄と書くと違和感があるのですが、1907年の鉄道国有化以降は、国鉄と暗黙に呼んでいたようですし、鉄道関係の記事でない限り、国鉄の正式な組織名の変遷を追いかける必要はないのではないかと思っています。現状の記事でも、「四国、高松での生活」の節の鉄道省を単に運輸省に改めてしまうと、表記としては正確ですが、その前に鉄道省と書いていたのに新しい組織名が出てくることになり、組織名が変わっていることの説明が必要になってしまいます。鉄道省が(運輸通信省を経て)運輸省になったことは、鉄道や行政の記事であればともかく、歌人の記事ではかなり余計ではないかと思います。私が中城氏について気になったのは、どんな立場だったのかな、というところです。国鉄の職員は明確に2層に分かれていて、本社で毎年40-50人程度採用されて全国鉄で千数百人程度存在し、全国転勤をしながら幹部になるキャリア組と、現場の鉄道管理局で採用されてその管轄内だけで異動しながら、うまくいっても最後に現場長になるだけの大多数の一般職員がいました。中城氏は北海道帝国大学工学部卒ということなので当時としてはエリートのはずで、本社採用でおかしくないと思いますし、若くして出張所の所長になっていることも裏付けるのですが、そうであれば全国転勤をするはずで、北海道内ばかり転勤していて、心機一転なのか厄介払いなのかわからないが最後になって四国に転勤、というのは異例に見えます。逆に現場採用組だと、本人同意なしに管轄外に異動になることはありません。そして人員整理の対象も現場採用組のはずで、キャリアならまずその対象にはならないのではないか、と思います。--Tam0031(会話) 2018年12月17日 (月) 15:35 (UTC)
- Tam0031さん、いつも丁寧に読んでいただき、本当にどうもありがとうございます。実は短歌関連の各文献は鉄道関連の推敲がかなり悪く、文献によっては夫、中城博の勤務先について最初から「国鉄」で通して記述しているものもありました(苦笑)。さすがにこのあたりは気づきましたが、かく言う私も鉄道関連は分野外で、まだまだ推敲不足があったようです。今度時間があるときに見直してみます。ところで鉄道関連ではもう一つ、気になっている点があります。それは1949年8月の、夫、中城博の国鉄退職理由です。当時、国鉄では大規模な人員整理が行われていて、それが下山事件、三鷹事件、松川事件の背景となったのではと言われているわけで、中城博のような職員は人員整理の対象に選ばれやすかったではないか?と感じました。もちろん独自研究になりますのでそのようなことは記事内に一切書きませんでしたが、短歌関連の文献の執筆者は皆、退職理由として肩たたきにあった可能性を考慮していないことに正直、少し違和感を感じました。--のりまき(会話) 2018年12月17日 (月) 11:01 (UTC)
- 賛成 良質な記事の水準には十分達していると思います。できれば歌碑などの画像があるともっと良いと思います。--さえぼー(会話) 2018年12月18日 (火) 15:10 (UTC)
- 賛成 デビュー当初は毀誉褒貶が激しかった歌人ですが、戦後短歌史における位置づけはようやく定まってきた感があります。しかしまだその人物像、そして評価については評者によってかなりの差異があるのが現状です。集められる参考文献についてはほぼ集め、戦後短歌史における位置づけに加え、現状での人物像、評価についてまとめてみました。主執筆者として賛成票を投じます。--のりまき(会話) 2018年12月24日 (月) 11:06 (UTC)
選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--Tam0031(会話) 2018年12月25日 (火) 15:00 (UTC)