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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/東雲篩雪図 20230527

選考終了日時:2023年6月10日 (土) 12:55 (UTC)

  1. 冒頭文で初出の凍雲篩雪図は太字の凍雲篩雪図にするべきでは?Wikipedia:スタイルマニュアル#別名
  2. 川端の著作の著作がいくつか出てきますが、『哀愁』のように二重鍵カッコで括るべきでは?Wikipedia:スタイルマニュアル#著作物名 またスタイルマニュアルにはありませんが、絵画作品のタイトルも同様に扱われるケースが多いように思います。
  3. 佐藤康弘のリンク先は間違いではありませんか?
  4. 評価節の、「玉堂の作品の中では異色のものであるとの評価がなされている」の部分、どのような点が異色なのか解説が無いように思います。まさに「玉堂の画業における位置付け」として必要な解説と思います。
  5. 玉堂の作風や『東雲篩雪図』が李楚白から受けた影響について、「大きな影響を与えており」「インスピレーションを得て」「さらに咀嚼し、繊細な描写につとめた結果」「絵の構図も似通っている」などと繰り返し強調されていますが、もう少し具体的な解説はないのでしょうか?独学で絵を学んだ玉堂が、円熟を迎える時期に李楚白から大きな影響を受け、その中でも東雲篩雪図が珠玉の作品であるならば、二者を結びつけた詳しい考察や評価があるように思うのですが。
  6. 出典の『国宝事典』ですが、出典節では「1968」とありますが、本文では「1965」になっています。--あずきごはん会話2023年5月29日 (月) 11:35 (UTC)[返信]
    • あずきごはんさん、丁寧に読んでいただきどうもありがとうございます。初出の「凍雲篩雪図」は太字にいたしました。またとりあえず川端の著作は二重括弧といたしました。ご指摘の通り、佐藤康弘はリンク先が誤っておりましたので内部リンクを外しました。国宝事典に関しては出典節の1968年が正しいため合わせました。
    • あとの二点ですが、まず李楚白からの影響に関しては私も気になっていた部分で、いくつか論文を読んだのですが「東雲篩雪図」との直接的な関係性や考察を詳述したものは見当たりませんでした。佐々木(1980)に、両作品の関係性を述べた部分があったので加筆してみました。また、異色なものとの評価は牧野(1979)にあるもので、異色の具体的な内容について述べているわけでは無く、他の文献には確認できない評価なので省いても良いかもしれません。とりあえず「評価もある」との表記に改めてみました。--のりまき会話) 2023年5月29日 (月) 13:03 (UTC)追記:李楚白からの影響についてですが、例えば李〔コウ〕筆「腕底煙霞帖」、藪本公三、國華 / 國華編輯委員会 編 (通号 1010) 1978.04を確認してみましたが、 「凍雲篩雪図」との関係性については触れられていませんでした。--のりまき会話2023年5月29日 (月) 13:33 (UTC)[返信]
  • 賛成 ご対応ありがとうございます。佐々木の考察を加筆いただけたので、賛成とさせていただきます。ただ私もちょっと読みたい資料を見つけまして、それ次第で改めてコメントするかもしれない事は、前もってお断りしておきます。当然ですが、選考は進めてもらって構いません。--あずきごはん会話2023年5月30日 (火) 12:01 (UTC)[返信]
      • どうもありがとうございます。資料を読まれて必要があると判断されましたら、ぜひコメントをお願いいたします。実は私も李楚白に関係する可能性がある文献を、国立国会図書館の遠隔複写で依頼いたしました。内容次第で改めて加筆したいと考えております。--のりまき会話2023年5月30日 (火) 12:07 (UTC)[返信]
  • コメント 先だって言及しました気になる資料を確認してきました。現在の内容でも良質な記事に相応するという考えは変わりませんが、記事を充実できそうな内容がありましたので、共有させていただきます。
  • 李楚白との関係について『日本美術全集-日本美術全集 第14巻(江戸時代 3) 』(p204)より、玉堂の『煙霞帖』を「李珩『椀底煙霞帖』に基づきつつ原図から逸脱していることが大きな魅力」とした上で、「その真骨頂が『東雲篩雪図』」との評価。『日本美術全集-第6巻 東アジアのなかの日本美術』(p270)より、玉堂の『煙霞帖』を「『椀底煙霞帖』をかなり大胆に自由模写」「李珩の画帖を触媒にして線的な表現を爆発させた」と評価した上で「もう一度彼なりに墨の面による表現を深め飛躍させたのが『東雲篩雪図』」との評価。コピーを取り忘れて正確に記述できませんが『墨絵京都ふたり旅』には「積雪前の凍るような寒さを表現したのが『凍雲欲雪』で、積雪後の東雲を描いたのが『東雲篩雪図』」という主旨の記述。
  • 『東雲篩雪図』に影響を受けた人物として橋本関雪の記述を見つけました。[1]によれば、関雪は『東雲篩雪図』を所有していた時期があったとする推測もあるようです。上述の『日本美術全集』(p284)より、関雪の『凍雲危桟図』について「範としたのは『東雲篩雪図』」としたうえで「本図を製作した頃から、玉堂を通して明末清初の中国画人へのあこがれを募らせていく」との考察。--あずきごはん会話2023年6月3日 (土) 12:33 (UTC)[返信]
  • どうもありがとうございます。美術全集は正直ちょっとノーマークでした。『日本美術全集-日本美術全集 第14巻(江戸時代 3) 』、『日本美術全集-第6巻 東アジアのなかの日本美術』の該当部分を自分でも確認の上、加筆を行っていきたいと思います。--のりまき会話2023年6月3日 (土) 12:45 (UTC)[返信]
  • 賛成 いわゆる美術分野は素人です。記事を拝見する限り、「良質」基準に照らして十分に水準に達していると考えます。上にあるように、さらなる加筆の余地があるとのことですが、良質の選考の段階でそれ(今後の加筆)が無いことを問題とするものではないでしょう。
ここからは「ただの感想」です。冒頭で「浦上玉堂作の南画である。玉堂60代末の制作と・・・」とあるのですが、シロウトの私からすると「浦上玉堂って誰?」というレベルでして、第一文で欲しい情報としては「玉堂60代末」よりは「江戸時代(中期)の画家、浦上玉堂作の南画である」的な情報が嬉しいと思いました。(「中期」という表現が妥当かというのはある)
「作品について」では、たとえば「書物を読む人物」とか「傘を差し橋を渡る人物」とあるのですが、私には画像を拡大してみてもさっぱり見つけられない。(傘の人はもしかして一番下の方に後ろ姿がちらっとだけ?)拡大画像つきで「↓これです」みたいなのがあったら嬉しい(アホみたいですけどね)
題名に関する蘊蓄があるのは読んでいて楽しいですね。
「玉堂の画業における位置付け」節では、3段落目と4段落目が、やや内容がカブっている(30代から絵をはじめ、40代で本格化)ように思います。厳密に語尾を得みると「と伝えられ」「と考えられ」とあり、断定的な事実というのとはちょっと違うのか、情報源側の齟齬があるとかで記述を一つにまとめ難いのでしょうかね。
評価節では、「佐藤1992」による評価が異端な印象を受けます。こういうのはキリない面もあるのですが、「佐藤による評価」(他の人も)が第三者からどう受け止められているのか(たとえば、「佐藤の言うことはもっともだ」なのか、とか)も欲しくなります。(無いならしょうがない)--柒月例祭会話2023年6月6日 (火) 09:54 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2023年6月8日 (木) 15:12 (UTC)[返信]