コンテンツにスキップ

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/蓮田善明 20150811

蓮田善明 - ノート[編集]

選考終了日時:2015年8月25日 (火) 00:06 (UTC)

  • (自動推薦)2015年7月の月間強化記事賞受賞記事。--Trvbot会話2015年8月11日 (火) 00:06 (UTC)[返信]
  • 賛成 生涯がよくわかるように書かれているものと思います。「上官を射殺――自決」の節、敏子夫人の夢の話は、もう少し夢であることがはっきり分かるように書いた方が良いかなと感じました。--Tam0031会話2015年8月13日 (木) 00:50 (UTC)[返信]
  • 賛成 GAとして推薦するに足る十分な内容だと思います。
ちょっと個人的な感想を述べると、蓮田の丹羽文雄への批判は、一読してあまりにも馬鹿げているとしか言いようがない、と思いましたが、その後の三島由紀夫による考察・解説は考えさせられる所もあり、これはやはり、三島の対談も含めてこの辺の文献を通読してみる必要があると考えました。百科事典である以上、情緒的、煽動的な文章であってはなりませんが、百科事典としてふさわしい客観的内容の記述でありながら、いろいろと考えさせられたり、関連文献を読んでみたくなるような記事はなかなか書けるものではありません。いつも深い内容の記事をありがとうございます。
さて、例によって細かいところをいろいろと(^^;
  1. 1940年12月に銃創を負って帰国してから1943年10月の第二時招集までの間はどういう身分だったのでしょう。軍隊の方は正式に除隊ということになったのでしょうか。年譜を見ると、この2年間は各地を移動しながら執筆活動と講演活動に明け暮れていたようですが、成城高等学校教授には復職しなかったのでしょうか。あるいは復職したとしても教員としての仕事はしていなかったのでしょうか。1943年4月の朝礼のエピソードを見ると、成城高等学校の教員ではあったようですが。
  2. 「善明の決意」節:「宮城前広場から携えて来たさざれ石のような小球体の弾丸」とありますが、この文で、「宮城前広場から携えて来た」の部分が「さざれ石」にかかるのか「弾丸」にかかるのか不明です。「南方戦線に出征」節を見れば「さざれ石」にかかるのであろうと推測できますが。また、「さざれ石のような小球体の弾丸」という表現は、うっかりすると、正規の弾丸ではなく、さざれ石のような何かの球体を弾丸代りに拳銃に入れた、とも読めます(最初はそのような意味で理解してしまって意味不明でした)。この表現は、たぶん出典文献の著者が書いた文学的修辞であって、もちろん単なる普通の弾丸だと思いまが、そうであればこういう文学的表現を百科事典の説明文にそのまま使うのは好ましくありません。修辞の部分は省略するか、あるいはその部分を括弧書きにして、出典文献の著者による表現である、とのことわり書きをつけておくべきだと思います。
  3. 「敗戦――上官の豹変」節:「鳥越大尉は前から、...」以降の文が意図不明です。蓮田は中条大佐が朝鮮人だから撃った、という話であればもちろん意味がありますが、文脈から見るとそういうわけではなさそうです。以前の版を見ると、

    従来小高根二郎『蓮田善明とその死』などでは蓮田が上官を射殺したのはその上官が朝鮮人であり、通敵行為を行ったためと説明されてきた。しかし松本健一による遺族への直接取材により、今ではそれが事実ではないことが明らかになっている。

    とあるので、関連がわかりますが。『蓮田善明とその死』がそのように説明しているのなら、その旨を説明した上で「鳥越大尉は前から、...」以降の文を書くべきだし、むしろ以前の版のように簡潔な説明のみでも十分だと思います。
  4. 「教育者としての蓮田」節:教え子や同僚の教員による、教師としての蓮田評もいくつかあるとよかったと思います。
--Loasa会話2015年8月14日 (金) 03:34 (UTC)[返信]
まず、孫の方たちの全ての情報は記事中で無出典となっているようです。仮に出典があるとしても、私人・非著名人なので本当に載せるべきなのか吟味をお願いします。蓮田善明という人物について知る上で、孫の方たちの名前・職業・勤め先が必要でしょうか? 特に誕生日については、WP:BLPPRIVACYで「その人物が著名であるかはっきりしない場合、~~ 安全側に倒して誕生年だけ書くようにしてください。」とあります。孫の方たち自ら「蓮田善明」との関係を公表している信頼できる情報源があり、「蓮田善明」の記事に書くべきエピソードなどがあれば、それを出典に書くことはできるでしょうが、そうでない限り孫の方たちの情報はまるごと除去で妥当と考えます。
子供の情報についても同様です。孫の情報に比べると、子供の情報は蓮田善明という人物の人生に密接に関係している部分がありますので、情報を十分に取捨選択した上で記載することは賛成です。しかし例えば名前に関しては本文中の方で出典付で示されていますので問題ないかもしれませんが、生年月日に関しては出典がありません。略年譜にも書かれているのであるのだろうと思いますが、信頼できる情報源によって公表されていないければ除去が妥当です。またはWP:BLPPRIVACYで示されているように誕生年だけにするなどを行うべきです。長男の方は蓮田善明との関係を「『浪曼』 (株式会社浪曼)第新年(12・1月合併)号」で自ら述べているようですが、自身の職業・勤め先と結びつけた上で蓮田善明との関係を公表しているのでしょうか。そうでなければ、蓮田善明とのエピソード以下の記載は除去するべきです。次男・三男に関しても同様に、蓮田善明との関係を自ら明らかにしている、あるいは第三者だが信頼できる情報源で公表されていない限りは、名前、生年月日、生まれの場所のみに留めるべきです。
記事全体のすばらしい出来からすれば非常に小さな箇所で大げさかもしれませんが、存命人物の個人情報取り扱いにおいて不適切な疑いのある現状では、少なくとも「良質な記事」とすることには明確に反対とさせていただきます。--Yapparina会話) 2015年8月14日 (金) 08:44 (UTC)反対票取り消し--Yapparina会話2015年8月15日 (土) 11:30 (UTC)[返信]


Tam0031さん、ご指摘ありがとうございます。ご指摘の箇所、夢と最初から読み進められるように直しておきました。

Loasaさん、いつも詳細に読んでいただきありがとうございます。成城高校に昭和16年2月に戻ったことは、中河与一の文章の中にあり、よく見ると年譜にも「単身上京帰任」とありましたので、加筆しておきました。蓮田が鳥越副官から中条大佐の日頃の不審点を知らされていたとされる点も繋がりが分かるように補足をしておきました。

「弾丸」については、本物の弾丸を使ったと思いますが、出典の小高根二郎の文章に、蓮田が戦地に携帯した〈三粒四粒〉の〈さざれ石〉のうち、「二粒は中条大佐の射殺に費消し、一粒は自決に用いた。三粒であったら丁度だったし、四粒だったら一粒余った勘定になる。それも二重装填による一粒の捨て弾を計算に入れると、ちょっきりになる。まさに運命の数と言わなくてはなるまい。」と書かれている箇所があるので、「さざれ石」を実際に弾丸にしたと解釈できる記述もあります。

また、他の箇所では、蓮田が前日に拳銃から弾丸を抜いて手に乗せた時に〈さざれ石〉を思い出したという、いわゆる文学的修辞が長く綴られた後、「丹念に弾丸を拭ってからスピンドル油をたっぷり塗り、小球体の執心の思い出を一つ一つ蔵いなおすように、一弾……一弾……を留め金に挿入した。」と書かれ、蓮田がそれを空撃ちして試し、弾倉の回転が正確なことを確かめてから、「弾丸」を装填したとあり、本物の弾丸を入れたとも読めます。

石が弾丸の代りになるのか私には解らないし、常識的には本物の弾丸だと思いますが、蓮田が〈さざれ石〉を実際に弾丸に使用したと明確に受け取れるような上記の記載もあるので、記事の中でああいう風な表現で説明しておいたという経緯があります。

Yapparinaさん、ご指摘ありがとうございます。ご指摘を考慮し、子供3人以外の子孫の方々は、特筆する必要もないので削除しておきます。直接の蓮田善明の子供に関しては、長男は父親について多くを語っており、松本健一の出典本の中でも受け答えしています。熊本で医師をしていることも、その出典にも書かれてありました。--みしまるもも会話2015年8月14日 (金) 12:44 (UTC)[返信]

  • 賛成 みしまるももさん、ご対応ありがとうございます。上記ではやや刺々しい意見の書き方になっていたかもしれません。ご容赦ください。非常に多数の文献を調査された充実した記事だと思います。賛成票に変更いたします。--Yapparina会話2015年8月15日 (土) 11:30 (UTC)[返信]
  • コメント Yapparinaさん、ありがとうございます。とげとげしいなんて全く感じなかったので、お気になさらないで下さい。Yapparinaさんのご指摘は正論ですので、記事も改善できて勉強になりました。--みしまるもも会話2015年8月16日 (日) 02:31 (UTC)[返信]

賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--ぱたごん会話2015年8月17日 (月) 13:21 (UTC)[返信]