契島
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契島 | |
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所在地 |
日本 広島県豊田郡大崎上島町[1] |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属諸島 | 芸予諸島 |
座標 | 北緯34度17分48秒 東経132度54分06秒 / 北緯34.29667度 東経132.90167度座標: 北緯34度17分48秒 東経132度54分06秒 / 北緯34.29667度 東経132.90167度 |
面積 | 0.09 km² |
海岸線長 | 1.6 km |
最高標高 | 34 m |
プロジェクト 地形 |
契島(ちぎりしま[5][6][7]、ちぎりじま[8][9])は、広島県豊田郡大崎上島町、瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の島[10]。
地理
[編集]広島県竹原市の沖合い約4キロメートルに位置し、面積は9万平方メートル[3][11]。
島の大部分が東邦亜鉛株式会社の所有地[3]で、子会社の東邦契島製錬の工場(契島製錬所)である。日本の40%以上の鉛が契島で製錬されている[1]。2017年現在、日本国内で鉛鉱石からの製錬を行っている工場は契島の工場のみである[3]。
大崎上島町営フェリーが立ち寄る波止場を除き、同社関係者以外は立入禁止である[3]。しかし、工場マニア・廃墟マニアの間で端島(長崎県)に次ぐ「もう一つの軍艦島」として注目を浴び、無断で工場敷地内に立ち入るマニアが後を絶たない[10]。
島には7つの工場の他に、物流センターや社員住宅があり、2017年現在で30人の作業員が居住する[3]。鉛は、オーストラリアや南アメリカなど海外から輸入した鉱石を製錬して生産され、2017年現在年間9万トンを出荷し、主に自動車バッテリーの原料として使用される[3][11]。
歴史
[編集]1899年(明治32年)に深川鉱山製錬所として銅の精錬が始まった[3]。その後、何度か経営者が変わるが、1950年(昭和25年)に東邦亜鉛が買収した[3][11]。後に銀の精錬も始め[11]、今日に至る。
2022年(令和4年)3月1日、東邦亜鉛は契島における鉛精錬事業を新設子会社の東邦契島製錬に承継させた[12]。
交通
[編集]水上交通
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “鉛製錬事業”. 東邦亜鉛株式会社. 2018年2月25日閲覧。
- ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1981年撮影)。
- ^ a b c d e f g h i 鬼室黎 (2017年5月19日). “海に浮かぶ鉛色、異形の塊 製錬所国内シェア1位の契島”. 朝日新聞DIGITAL (朝日新聞社) 2018年2月25日閲覧。
- ^ 東邦亜鉛「契島精錬所 (PDF, 984 KiB) 」より
- ^ 南野たかし (2019年2月18日). “ポテチの匂い?「生ける軍艦島」東邦亜鉛の契島(ちぎりしま)を訪問した話。 | 離島・秘境ナビ”. 2023年6月23日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2015年9月27日). “【探訪】広島県・契島 雨にかすむ「生きた軍艦島」(1/2ページ)”. 産経ニュース. 2023年6月23日閲覧。
- ^ “ちぎりしま - Google 検索”. www.google.com. 2023年6月23日閲覧。
- ^ “契島(ちぎりじま)広島の軍艦島は、まるごと東邦亜鉛の工場!”. 広島ニュース 食べタインジャー (2023年6月14日). 2023年6月23日閲覧。
- ^ “契島(ちぎりじま)”. nihonshima.net. 2023年6月23日閲覧。
- ^ a b “命知らずのマニアがこぞって上陸する「もう一つの軍艦島」”. 東京スポーツ. (2015年1月13日) 2018年2月25日閲覧。
- ^ a b c d 川口良介 (2015年9月27日). “広島県・契島 雨にかすむ「生きた軍艦島」”. 産経ニュース 2018年2月25日閲覧。
- ^ “鉛製錬事業強化を目的とした会社分割(簡易吸収分割)に関するお知らせ” (pdf). 東邦亜鉛株式会社 (2021年12月6日). 2024年2月11日閲覧。
関連文献
[編集]- 「国内鉛製錬所の概要」『日本鉱業会誌』第78巻第894号、日本鉱業会、1962年、966-976頁、doi:10.2473/shigentosozai1953.78.894_966。