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家島町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いえしまちょう
家島町
家島諸島
家島町旗
家島町旗
家島町章
家島町章
家島町旗 家島町章
1950年12月21日制定
廃止日 2006年3月27日
廃止理由 編入合併
飾磨郡夢前町家島町神崎郡香寺町宍粟郡安富町姫路市
現在の自治体 姫路市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
飾磨郡
市町村コード 28421-1
面積 20.27 km2
総人口 7,635
推計人口、2006年3月1日)
隣接自治体 (すべて海上)
姫路市相生市赤穂市たつの市
香川県小豆郡土庄町小豆島町
町の木 ウバメガシ
町の花 ササユリ
他のシンボル 町の鳥:カモメ
町の魚:タイ
町の歌:恋港いえしま
家島町役場
所在地 672-8501
兵庫県飾磨郡家島町真浦2137番地1
座標 北緯34度40分32秒 東経134度31分55秒 / 北緯34.67561度 東経134.53203度 / 34.67561; 134.53203座標: 北緯34度40分32秒 東経134度31分55秒 / 北緯34.67561度 東経134.53203度 / 34.67561; 134.53203
家島町、県内の位置
家島町、県内の位置
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家島町(いえしまちょう)は、兵庫県にあった飾磨郡に属していた。自治体としては2006年平成18年)3月27日姫路市へ編入合併されて消滅したが、現在は姫路市の広域地名として「家島町」の名前が残存している。

本項では町制施行前の家島村(いえしまむら)についても述べる。

地理

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兵庫県南西部、姫路市から赤穂市の沖合い15 - 18kmの瀬戸内海播磨灘に浮かぶ大小40余の島々から構成される。町民は家島坊勢島(ぼうぜじま)・男鹿島(たんがしま)・西島の4島に住む。役場のある家島に人口の約6割が集中している。なお、姫路市役所家島事務所によれば、「家島(いえしま)」はかつて(現在も年配者には)「えじま」ともよばれていたという。

隣接していた自治体

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(いずれも海上)

歴史

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  • 1879年(明治12年)家島諸島が揖東郡から飾東郡に編入
  • 1889年(明治22年)4月1日 町村制の施行により、飾東郡真浦・坊勢浦・宮浦の区域をもって家島村が発足
  • 1896年(明治29年)4月1日 家島村の所属郡が飾磨郡に変更
  • 1928年(昭和3年)11月10日 家島村が町制施行して家島町となる
  • 1934年(昭和9年)9月 室戸台風により帆船漁船が多く損壊
  • 1940年(昭和15年)2月 家島港内に陸軍戦闘機墜落(2名殉職)
  • 1945年(昭和20年)2月 西島全島大火災
  • 1945年(昭和20年)3月 ドイツ軍潜水艦が家島港に入港
  • 1945年(昭和20年)7月 アメリカ軍の空襲により、船舶沈没、負傷者などの被害を出す
  • 1947年(昭和22年)4月 学制改革により家島・坊勢の両小学校、家島中学校、家島中学校坊勢分校発足
  • 1949年(昭和24年)10月 米軍偵察機、男鹿田の浜へ不時着
  • 1950年(昭和25年)9月 家島群島が瀬戸内海国立公園に編入される
  • 1952年(昭和27年)3月 姫路東高等学校家島分校を設置
  • 1957年(昭和32年)4月 役場庁舎新築工事完成
  • 1959年(昭和34年)7月 家島群島総合学術調査が実施され、名誉団長として三笠宮崇仁親王が来島
  • 1961年(昭和36年)9月 第2室戸台風。家屋に被害が出る
  • 1965年(昭和40年)6月 庁用船「いえしま」進水
  • 1970年(昭和45年)2月 男鹿島で大火災発生、山林の大部分を焼失
  • 1972年(昭和47年)8月 播磨灘で赤潮が大量発生。養殖業に打撃
  • 1973年(昭和48年)12月 海水淡水化施設着工(昭和50年6月完成)
  • 1974年(昭和49年)7月 6日に梅雨前線による集中豪雨。島内で山腹崩壊、土石流が相次ぐ。家の下敷きになるなどして死者・行方不明者6人、重軽傷者7人[1]
  • 1978年(昭和53年)11月 役場庁舎新築工事完成。町制50周年記念式典
  • 1979年(昭和54年)10月 海水淡水化貯水施設を整備
  • 1982年(昭和57年)5月 兵庫県立「母と子の島の島野外活動センター」開設
  • 1984年(昭和59年)4月 姫路東高等学校家島分校が兵庫県立家島高等学校として独立
  • 1987年(昭和62年)7月 男鹿簡易水道事業完成。全町完全給水となる。
  • 1988年(昭和63年)11月 町制60周年記念式典
  • 1995年(平成7年)1月 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生。家島で震度3を記録
  • 2005年(平成17年)客船「ささゆり」引退
  • 2006年(平成18年)3月27日 合併により、姫路市となる。

合併後の住所表記は「飾磨郡家島町」が「姫路市家島町」に変更され、それまでの大字は全て「家島町」を頭に付ける(「宮」の場合は「家島町宮」のような)形となった。

行政

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歴代町長

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  • 初代:琴塚菊松(昭和3年11月- 2期)
  • 2代:三木尚之(昭和12年8月- 1期)
  • 3代:三木吉四郎(昭和15年12月- 1期)
  • 4代:楠長純(昭和19年12月- 1期)
  • 5代:北沢元輔(昭和22年4月- 1期)
  • 6代:竹内興助(昭和22年12月- 1期)
  • 7代:楠長純(昭和26年12月- 1期)
  • 8代:竹内興助(昭和30年12月- 1期)
  • 9代:高島庄太郎(昭和34年4月- 1期)
  • 10代:島野佐一(昭和37年11月- 1期)
  • 11代:村林順一郎(昭和41年11月- 1期)
  • 12代:島野佐一(昭和45年11月- 1期)
  • 13代:畑野實雄(昭和48年4月- 2期)
  • 14代:津田教男(昭和52年4月- 1期)
  • 15代:畑野實雄(昭和56年4月- 3期)
  • 16代:橘繁善(平成2年6月- 1期)
  • 17代:鍬方志郎(平成6年9月- 2期)
  • 18代:芝原英三(平成14年4月-平成18年3月)

経済

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昭和30 - 40年には海運・砕石・漁業により離島としては例外的に人口の維持を続けてきたが、島内人口の少子化及び高齢化、慢性的な不況の影響等により各産業の近代化が期待されている。

産業

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  • 海運業、砕石業、水産業、観光業など

地域

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教育

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  • 兵庫県立家島高等学校: 所在地は家島。[1]
  • 家島町立家島中学校: 自主・協力・合理の校訓を三枚羽根のスクリューをモチーフにして校章にしている。所在地は家島。[2]
  • 家島町立坊勢中学校: 所在地は坊勢島。[3]
  • 家島町立家島小学校: 所在地は家島。[4]
  • 家島町立坊勢小学校: 所在地は坊勢島。[5]
  • 家島町立家島幼稚園 : 認可定員は140人。昭和49年に設立。所在地は家島。[6]
  • 家島町立坊勢幼稚園: 認可定員は140人。家島町立坊勢児童館が隣接する。昭和49年に設立。所在地は坊勢島。[7]

現在は町立各校、幼稚園とも姫路市立。

交通

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海上

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  • 高速いえしま(姫路港 - 家島・真浦港:25分)
    運賃 片道:大人1,000円・小人200円
  • 高福ライナー(姫路港 - 家島・真浦港、宮港:30分)
    運賃 片道:大人900円・小人450円
  • 坊勢汽船〔姫路港 - 男鹿島 - 坊勢島 - 母と子の島(西島)〕
    姫路港 - 坊勢島: 45分、姫路港 - 男鹿島: 30分、坊勢島 - 母と子の島間は不定期航路
    運賃
    姫路 - 坊勢 往復:大人1,940円・小人970円 片道:大人1,020円・小人510円
    姫路 - 男鹿 往復:大人1,870円・小人940円 片道:大人980円・小人490円
  • ラピート桂〔姫路港 - 坊勢島 - 母と子の島(西島)〕
    姫路港 - 坊勢島: 30分、坊勢島 - 母と子の島間は不定期航路
    運賃 片道:大人1,000円・小人500円

このほか海上タクシーも利用可能。

道路

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一般県道
兵庫県道425号宮真浦線
兵庫県道426号網手の浜加野線
兵庫県道427号坊勢島線

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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出身者

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脚注

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  1. ^ 「土石流、家をなぎ倒す 瀬戸内3島 逃げる背に迫る岩」『朝日新聞』昭和44年(1974年)7月8日朝刊、15版、11面
  2. ^ 姫路での一期一会の出会い……そして再会! ジャガー横田ブログ 2011年9月10日付参照

関連項目

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外部リンク

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