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歩兵第5連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩兵第5連隊
1901年秋期の特別大演習に参加する歩兵第5連隊
創設 1874年
廃止 1945年
所属政体 大日本帝国の旗 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 青森
編成地 青森
通称号/略称 杉4715
補充担任 青森連隊区
上級単位 仙台鎮台 - 第2師団 - 第8師団
最終位置 フィリピン レイテ島
戦歴 西南 - 日清 - 日露 - シベリア出兵 - 満州事変 - 日中 - 第二次世界大戦
特記事項 八甲田雪中行軍遭難事件
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歩兵第5連隊(ほへいだい5れんたい、歩兵第五聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革

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歴代連隊長

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歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 八木僴作 1878.7.7 - 1882.3 78.7.7少佐・連隊長心得、12.2中佐・連隊長、82.2.6大佐、3.14転任[11]
2 大島義昌 1882.3.3 - 1885.5.26 中佐
3 寺内清祐 1885.5.26 - 中佐
4 波多野毅 1887.9.26 - 中佐
5 中岡祐保 1888.12.28 - 中佐、1892.11.大佐
6 渡部進 1894.7.31 - 1895.9.15 中佐、9.15台湾新竹兵站病院にて戦病死[12]同日大佐。01.4正五位追賜[13]
7 佐々木直 1895.9.9 - 1896.9.25
8 丸井政亜 1896.9.25 - 1897.9.22 中佐
9 可児春琳 1897.9.22 - 1899.12.25 中佐
10 津川謙光 1900.12.1 - 1906.7.6 中佐、1903.1.大佐、1905.1.27戦傷[14]
11 塚田清市 1906.7.11 - 1907.7.30 中佐、大佐昇進
12 野島忠孝 1907.7.30 - 1910.8.26
13 羽生俊助 1910.8.26 - 1912.9.28
14 竹迫弥彦 1912.9.28 -
15 池内英太郎 1914.1.20 - 1916.4.1
16 海宝精 1916.4.1 -
17 古荘末男 1918.4.8 -
18 竹内正虎 1922.2.8 - 1923.8.6[15]
19 笹倉昇 1923.8.6 - 1924.12.15[16]
20 森下千一 1924.12.15 -
21 下元熊弥 1926.7.28 - 1928.8.10
22 石井孝慈 1928.8.10 -
23 平田重三 1930.8.1 -
24 谷儀一 1932.3.11 -
25 竹村直臣 1934.3.5 -
26 小野賢三郎 1935.12.2 -
27 井上貞衛 1936.8.1 -
28 渡辺勝 1939.3.9 -
29 岡島重敏 1940.8.15 -
高階於菟雄 1943.8.2 -

歩兵第5連隊歌

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一、山霊さんれいきたるところ 三洋さんよううしお逢う港
  大青森の一偉観 営庭営舎厳として
  北のしずめの任重く 武威これ揚る五連隊

二、歴史はここに六十年 允文允武いんぶんいんぶ大帝おおみかど
  もうらす聖旨せいしおごそかに 授け賜ひし我軍旗
  時これ明治十二年 睦月むつき十余とあまり六日むいかとよ

三、此の旗影の下にして 武を練る健児千余名
  一度立てば膺懲ようちょうの 威力もしる威海衛いかいえい
  次いでとなふる台湾島 これぞ隊史の始めなる

四、八甲田おろし何のその 鶏林八道けいりんはちどうサイベリヤ
  治にいて乱を忘れざる 士気も壮烈又凛々
  我が連隊旗行くところ 仰ぎなびかぬ民もなし

五、黒溝台こっこうだいの冬けて 孤軍奮闘数昼夜
  砲煙凄き黄昏を 血潮あやなす我軍旗
  ああこの勇武此の功いさお にも千載せんざい不朽ふきゅう

六、由来剛健質実は 我が北奥ほくおうの誇りなり
  かかる名誉の後継ぎて いざ励まばや国のため
  光栄はえの歴史の幾行いくぎょうを 我らが名もて飾らばや

[17]

脚注

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  1. ^ a b 栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 歩兵第五聯隊年表 p.274
  2. ^ a b 栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 歩兵第五聯隊年表p.274
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 歩兵第五聯隊年表 p.275
  4. ^ 栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 p.106
  5. ^ 青森市内の工場地帯で大火『東奥日報』大正15年7月11日夕刊(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p2 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  6. ^ 嵯峨亮吉少佐を大隊長とする嵯峨大隊。三上秀四郎(略史監修)山本一哉(製作発行)鈴木洋一(レイアウト)1979年 p.158
  7. ^ 栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 p.146
  8. ^ a b c d 栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 歩兵第五聯隊年表 p.276
  9. ^ 栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 p.272-273
  10. ^ 軍旗は「レイテ島リボン川付近の激戦で高階於兎雄連隊長の自刃とともに永久に消え去った。」とする定説とは異なる記述あり。栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 歩兵第五聯隊年表 p.11
  11. ^ 栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 p.10,12
  12. ^ 赤痢に罹り病没。栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 p.32
  13. ^ 軍人顕彰会 石川県出身陸軍々人 弐
  14. ^ 左足と腹部に敵弾の貫通創傷を受けた。栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 p.100
  15. ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
  16. ^ 『官報』第3696号、大正13年12月16日。
  17. ^ 栗田弘(著)肴倉弥八(編)1973年 巻頭附録

参考文献

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  • 官報
  • 『明治史要』修史局蔵版、1886年。
  • 丸井政亜(著者)『第五聯隊史』歩兵第五連隊発行、1897年。
  • 『歩兵第五聯隊戦闘詳報第十七號 新開嶺附近攻撃及密雲ニ向フ追撃戦闘』歩兵第五聯隊調製、1933年。
  • 藤本尚則(編輯兼印刷發行人)『東京朝日新聞 號外 第八師團に輝く行賞』東京朝日新聞社発行、1934年11月22日。
  • 栗田弘(著者)肴倉弥八(編集者)三上辰蔵(発行者)『歩兵第五聯隊史』歩兵第五聯隊史跡保存会発行、1973年。
  • 函館市史編さん室(編)『函館市史別巻 亀田市編』函館市発行、1978年。
  • 山本一哉(企画製作)ノーベル書房編集部(編集)鈴木洋一(レイアウト)『陸軍郷土歩兵聯隊/写真集 わが聯隊』第4版、ノーベル書房株式会社発行、1979年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 長谷川貞助(編)『我らかく闘えり 歩兵第五連隊第一大隊第一機関銃中隊誌』第一機関銃中隊誌刊行委員会、1986年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 靖國神社社務所(原著者)高野和人(編纂者)『靖國神社忠魂史 西南の役〈西南戦争史料集〉』青潮社発行、1990年。
  • 渡辺直隆(著者)池慶子(編集責任)渡辺伴山(表紙題字)『遠き想い出の数々』、1990年。
  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』(新人物往来社、1990年)
  • 鈴木研・千代田恵汎・太田公(共編)秋山欣三(発行者)『北海道福山・江差漁民一揆史料』第1版、秋山書店、1997年。
  • 原 剛『明治期国土防衛史』(錦正社、2002年)
  • 新編弘前市史編纂委員会(編集)乕尾俊哉(監修)『新編弘前市史 通史編4(近・現代1)』弘前市企画部企画課刊行、2005年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。

関連項目

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外部リンク

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