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== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
東京市滝野川生まれ。[[東京都立日比谷高等学校]]、[[学習院大学]][[文学部]]哲学科卒業。父親は詩人・小学校教師の[[塩野筍三]](1905-84)、[[神田神保町]]の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好き。日比谷高校時代は[[庄司薫]]、[[古井由吉]]らが同級生だった。学習院大学の学生だった1960年には安保闘争に参加し、デモ隊の中に塩野もいた。1970年代にはイタリア共産党に関する文章も書いているが<ref>「イタリア共産党賛歌」1976年 文藝春秋社刊</ref>、後に保守派に転向している。[[1963年]]からイタリアで学び、[[1968年]]に帰国すると執筆を開始。『[[中央公論]]』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。
東京市滝野川生まれ。[[東京都立日比谷高等学校]]、[[学習院大学]][[文学部]]哲学科卒業。父親は詩人・小学校教師の[[塩野筍三]](1905-84)、[[神田神保町]]の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好き。日比谷高校時代は[[庄司薫]]、[[古井由吉]]らが同級生だった。学習院大学の学生だった1960年には安保闘争に参加し、デモ隊の中に塩野もいた{{要出典|date=2012年11月}}。1970年代にはイタリア共産党に関する文章も書いているが<ref>「イタリア共産党賛歌」1976年 文藝春秋社刊</ref>、後に保守派に転向している。[[1963年]]からイタリアで学び、[[1968年]]に帰国すると執筆を開始。『[[中央公論]]』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。


{{出典の明記|date=2012年3月|section=1|ソートキー=人}}[[1970年]]には『[[チェーザレ・ボルジア]]あるいは優雅なる冷酷』で[[毎日出版文化賞]]を受賞。同年から再びイタリアへ移り住む。ローマ名誉市民を経てイタリア人医師と結婚(後に離婚)。息子は、後に共著を書くアントニオ・シモーネ。イタリア永住権を得ており、ローマに在住。イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆。チェーザレ・ボルジアや[[ネロ]]、[[ドミティアヌス]]のような血統と魅力、能力に恵まれた男性権力者、特に[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]を支持しており、政治家としての理想像はカエサルであると公言している。{{要出典|date=2012年7月}}また、現代の政治家として(血統に恵まれてはいないが)[[トニー・ブレア]]を高く評価しており、その理由として「誠心誠意、言葉を尽くし訴える姿勢」を挙げている{{要出典|date=2012年11月}}。[[プリンキパトゥス|ローマ帝国前期]]の「[[小さな政府]]」を理想としており、直接的に[[聖域なき構造改革|小泉構造改革]]を支持していたと思われる叙述が見られる。<ref>『日本人へ リーダー篇』(2010年 文春新書) 190~195ページ「拝啓 小泉純一郎様」より</ref>
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2012年11月10日 (土) 18:37時点における版

しおの ななみ

塩野 七生
生誕 (1937-07-07) 1937年7月7日(87歳)
東京市滝野川区
出身校 学習院大学
職業 作家
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塩野 七生(しおの ななみ、1937年7月7日 - )は、日本の女性小説家である。歴史小説 『ローマ人の物語』の著者として知られる。名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。

来歴・人物

東京市滝野川生まれ。東京都立日比谷高等学校学習院大学文学部哲学科卒業。父親は詩人・小学校教師の塩野筍三(1905-84)、神田神保町の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好き。日比谷高校時代は庄司薫古井由吉らが同級生だった。学習院大学の学生だった1960年には安保闘争に参加し、デモ隊の中に塩野もいた[要出典]。1970年代にはイタリア共産党に関する文章も書いているが[1]、後に保守派に転向している。1963年からイタリアで学び、1968年に帰国すると執筆を開始。『中央公論』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。

1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。同年から再びイタリアへ移り住む。ローマ名誉市民を経てイタリア人医師と結婚(後に離婚)。息子は、後に共著を書くアントニオ・シモーネ。イタリア永住権を得ており、ローマに在住。イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆。チェーザレ・ボルジアやネロドミティアヌスのような血統と魅力、能力に恵まれた男性権力者、特にカエサルを支持しており、政治家としての理想像はカエサルであると公言している。[要出典]また、現代の政治家として(血統に恵まれてはいないが)トニー・ブレアを高く評価しており、その理由として「誠心誠意、言葉を尽くし訴える姿勢」を挙げている[要出典]ローマ帝国前期の「小さな政府」を理想としており、直接的に小泉構造改革を支持していたと思われる叙述が見られる。[2]

1992年から古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆し、2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『文藝春秋』で巻頭エッセイ「日本人へ」を執筆。

著作

小説・歴史

  • ※は「塩野七生ルネサンス著作集」(2001年 新潮社 全7巻)所収。新潮文庫でも再刊。伊題 "SCRITTI SUL RINASCIMENTO"

イタリア関連

  • 『イタリアだより 君知るや南の国』(1975年  文藝春秋
  • 『イタリア共産党讃歌』(1976年 文藝春秋)
  • 『イタリアからの手紙』(1981年 新潮社/1996年 新潮文庫)
  • 『イタリア遺聞』(1982年 新潮社/1994年 改版2009年 新潮文庫)
  • 『マキアヴェッリ語録』(1988年 新潮社/1992年 改版2009年 新潮文庫)
  • 『ルネサンスとは何であったのか 塩野七生ルネサンス著作集 1』(2001年 新潮社/2008年 新潮文庫)
  • 『ローマの街角から』(2000年 新潮社)
  • 『ローマ人への20の質問』(2000年 文春新書
  • 『痛快!ローマ学』(2002年  集英社インターナショナル) 改題『ローマから日本が見える』(2005年 同/2008年  集英社文庫

エッセイ他

  • 『サイレント・マイノリティ』(1985年 新潮社/1993年 改版2009年 新潮文庫)
  • 『男の肖像』(1986年 文藝春秋/1992年 文春文庫)
  • 『男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章』(1989年 文藝春秋/1993年 文春文庫
  • 『再び男たちへ フツウであることに満足できなくなった男のための63章』(1991年 文藝春秋/1994年 文春文庫)
  • 『人びとのかたち』(1995年 新潮社/1997年 改版2006年 新潮文庫)
  • 『日本人へ リーダー篇』(2010年 文春新書
  • 『日本人へ 国家と歴史篇』(2010年 文春新書)
  • 『生き方の演習 若者たちへ』(2010年 朝日出版社)

共著

  • 『おとな二人の午後 異邦人対談』(2000年 世界文化社五木寛之との対談/2003年 角川文庫
  • 『ローマで語る』(2009年 集英社インターナショナル/息子アントニオ・シモーネとの対談)
  • 『ヴェネツィア物語 とんぼの本』(宮下規久朗共著 新潮社、2012年)

絵本

受賞

舞台化

  • 『緋色のヴェネツィア 聖マルコ殺人事件』と『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』が、宝塚歌劇団によって舞台化された。別項も参照。
  • 「カエサル -『ローマ人の物語』より-」。栗山民也演出、松本幸四郎主演で、2010年10月に日生劇場で舞台上演された。原作は、『ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語IV』、『ユリウス・カエサル ルビコン以後 ローマ人の物語V』。

脚注

  1. ^ 「イタリア共産党賛歌」1976年 文藝春秋社刊
  2. ^ 『日本人へ リーダー篇』(2010年 文春新書) 190~195ページ「拝啓 小泉純一郎様」より

関連項目

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