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パネルクイズ アタック25/log20220525

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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パネルクイズ アタック25
ジャンル クイズ番組
出演者 児玉清
製作
制作 ABCテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1975年4月6日
放送時間13:25 - 13:55
放送分27分
公式サイト

特記事項:
ハイビジョン撮影(2005年4月~)
ステレオ放送(2006年4月~)
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パネルクイズ アタック25』(パネルクイズ・アタックにじゅうご)は、1975年4月6日から放送されているABCテレビ朝日放送)制作のクイズ番組。一般には単に『アタック25』と呼ばれることが多い。また、ごく稀に『アタック』とも呼ばれる。司会児玉清、出題・アシスタントは沢木美佳子

概要

ANN系列24局での放送は毎週日曜日13:25~13:55(JST1994年10月2日放送分から)での放送となっている。系列外の富山テレビフジテレビ系列)でも土曜16:55~17:25に放送中。なお、BS朝日では放送されていない。

  • 当初、放送時間は13時15分からの25分番組だったが、後に30分番組になった。1994年10月2日からは、日曜正午の放送時間を12時55分まで延長するため、13時25分からの30分番組となり、現在に至る。
    • 年末年始を除いて特番による休止がほとんどないが、ロードレース放送時は、放送時間が変更されたりしている。また、地方局で高校野球などの放送時は、放送時間が夕方に変更されたり、日曜日に放送できなかった分などは次の土曜日などで振り替え放送される。但し、2007年7月29日の回で朝日放送だけは高校野球大阪府大会準決勝の放送の都合で当日の12時30分からに前倒して放送を行った
  • この番組の生みの親である堤章三は「アップダウンクイズ」の生みの親でもあり、構成を長く務めていた。放送開始から18年にわたり構成を務め、現在は監修。1993年より上方演芸放送作家高見孔二が構成を担当。
  • 初代プロデューサー三上泰生(当時、朝日放送テレビ第二製作部長)。番組送信などの技術畑出身で「ワイドショー·プラスα」や「ワイドサタデー」などの番組プロデューサーを務める傍ら、「残響2秒 ザ·シンフォニーホール誕生」と「6chは上方文化や」(いずれも大阪書籍)という著書を残す。
  • 音楽山下毅雄によるもの(代表作に「クイズタイムショック」や「霊感ヤマカン第六感」など)。この番組のテーマ曲と旅行獲得クイズ出題中に流れる曲は発売されたCDに収録されている。また、オープニングテーマ曲の「アタック!」の声と「口笛」の音は、山下本人のものである。
  • 近年、クイズ番組を含むバラエティ番組やニュース番組では字幕テロップを乱用しているが、この番組とその前の枠の番組「新婚さんいらっしゃい!」では一切用いられていない(答えのテロップを出す程度)。
  • この番組の最高視聴率は近畿地区で24%、関東地区で21%を記録している。
  • 過去、アタック25のクイズ本が1冊だけ発行されている。昭和58年11月1日に株式会社大泉書店より初版が発行された。全1250問219ページで構成されている。8~9ページの目次に「パリ挑戦者(向かって左)を激励する児玉清さん」という写真があるが、このときのトップ賞とパリ旅行挑戦権を獲得したのは、滋賀県の大学生の早川浩一氏であった。獲得パネル数は10枚、映像クイズの解答は「ガンジー」で、見事正解しパリ旅行を獲得した。長寿クイズ番組で1冊しかクイズ本が発行されていない中で唯一掲載された挑戦者であった。
  • 現在視聴率はほぼ2桁で推移しているが、全盛期に比べると数字的にはあまり高くない。最近近畿地区では裏番組『たかじんのそこまで言って委員会』(ytv)の人気が上昇しており、また関東地区でも「噂の!東京マガジン」(TBS)が視聴率的に健闘していることから、その影響が出ているものと思われる。
  • この番組のルールは、1975年の放送開始以来全く変えていない(ルールは下記参照のこと)。

ルール

  • の4色で構成された4人の参加者が、5×5の正方形状に並び、左上から横に向かって1番,2番,…,25番と配されたボードで、オセロの要領でパネルの枚数を競う。
  • 出題される早押し問題に正解すると、パネルを1つ指定し、そこを自分の色にすることができる。誤答・お手つきの場合は次の2問の解答権を失う。
  • 自分の色のパネルで他人の色のパネルを縦・横・斜めのいずれかの方向で挟むと、挟まれたパネルが自分の色のパネルに変わる。
  • 残りパネルが5枚となるとアタックチャンスの問題を出題し、既に埋まっているパネルの1枚を無効にできる。
  • 全てのパネルが埋まった時点(もしくはウェストミンスターの鐘が鳴った時点)でトップ賞を決定海外旅行をかけたフィルムクイズに挑戦する。

パネル獲得のルール

  • この番組は、単にクイズの正解数を競うのではなく、最終的に獲得したパネルの枚数を競うのである。この為、パネルの取り方には戦略性が求められる。後述する第2問以降の取るべきパネルの優先順位に関するルール上、第2問には解答せずに2枚目のパネルを他人に取らせた方が、かえって有利になる事などが指摘されている。時々、13→7→1の様に、3問連続正解で角を狙う出場者が現れるが、大抵は3問目で他の解答者に阻止されてしまう。この場合、3問目の正解者が挟まれる恐れがない角のパネルを獲得する事になる。13→8→3の様に端のパネルを狙う場合も同様である。一見「正解してパネルを取る」単純明快なゲームだが、ルール上「四隅を先に確保する」戦術が使えないため、シンプルさの中に複雑な駆け引きが繰り広げられる。
  • まず、第1問の正解者は、中央13番のパネルを獲得する(13番に固定されていなかった時期もある。この時はアトランダムに光るパネルを解答ボタンで押して止めていた)。
      
    (第1問で赤が正解。自動的に13番を獲得する。)
  • 第2問以降は下記の優先順位に従ってパネルを指定する。
    1. 自分の色で他の色を縦・横・斜めのいずれかの方向に挟める場合、必ず挟むようにパネルを指定する。挟んだパネルは全て自分の色に変わる。
        
      (白が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルを指定できる。角の25番は指定できない。この場合では10番のパネルを指定し、14番の青が白に変わる。)
    2. 自分の色で挟めない場合、次の問題に正解したときに挟めるようになるパネルを指定する。
        
      (緑が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる。この場合では角の5番を指定できる。次に正解すれば3番に入れることで4番の赤を挟むことが可能だからである。)
    3. それでも指定できない場合、点灯しているパネルに接するパネルを指定する(縦・横・斜めいずれでも可)。
        
      (赤が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる。この場合では角の1番を指定できる。)

アタックチャンス

  • 残りのパネルが5枚になったところで『アタックチャンス』の問題となる(ただし児玉は、残りが7枚位になってくると「まもなくアタックチャンスに入る可能性あり。お立ちにならないでいきましょう」などと言う)。
  • この問題で正解した解答者は、通常のパネル獲得の他に、大量得点の可能性や今後の展開に有利なパネルを1枚だけ「黄色」にして無効にする(消す)ことが出来る。解答者なし、お手つきや誤答の場合は、正解者が出るまで続ける(放送開始から半年後に採用。当初はスルー、誤答の場合はアタックチャンス消滅)。なお、児玉の「アタックチャンス」コールもチャンス中は正解者が出るまでコールする(児玉はこの黄色のパネルを「アタックチャンスの狙い目」と呼んでいる)。
    • 黄色のパネルは誰も取っていないパネルと同じ扱い。他人が取ったパネルはもちろん、自分が取ったパネルでも指定できるが、消すと逆に不利になったり、他の解答者にチャンスが出てきてしまうような場合でも、どれか1枚を指定しなければならない。但し過去にアタックチャンス時にパーフェクト状態であった解答者に対して、アタックチャンスの狙い目指定の放棄を認めた例がある。その解答者はその後パーフェクトを達成した。
    • だいたいの回は角のパネルが指定されるが、配置によっては端のパネルが狙い目に指定されることもある。一般に、13番に狙い目を指定することはめったにないが、1987年7月5日と1994年2月27日には狙い目に13番が指定されるという珍事が起きた。
        
      (22番に青が入って、アタックチャンスの狙い目として25番を指定。)
    • アタックチャンスの時点でトップ独走状態にある解答者が正解した場合は、大量のパネルを追加獲得する必要性が小さい。このため、他の解答者にとって以後の展開が有利にならないパネルをアタックチャンスの狙い目に指定して、守りに回ることがある。
  • アタックチャンス前の「アタックチャンス!!」という掛け声とポーズは、正解時の「その通り!」、不正解時の「そうじゃない!」、接戦の当事者が不正解となった場合の「立ってしまわれた!」、あるいは「果敢にアタックしていただいたのですが、(正解となる答え)なんです」の掛け声とともに、番組の隠れた名物となっている。
  • 1996年6月以前はアタックチャンス問題の合図となる鐘(チャイム)を鳴らしたあと、児玉が「それではここでこちら(コマーシャル)をご覧下さい。」と言ってCMに入り、その後「アタックチャンス」のタイトル文字とアタック音が流れる趣向だったが、同年7月以降はCMに入る前に児玉が「(大事な大事な)アタックチャンス!!」とコールしてから、一旦CM(2005年~2006年に同点決勝の場合はCMなし。この時は、同点決勝の前にCMが入っていた)を入れて、再開後再び「アタックチャンス!!」のところから再生する。このコールの際、児玉が右手の握りこぶしを微妙に上下させるポーズもまた番組恒例となっている。なお、一時期は解答権を得た出場者が解答する直前まで放送、CMに入って「アタックチャンス!!」から再生していたこともある。
  • 1992年9月以前のアタックチャンスのチャイムはトップ賞獲得者に対するフィルムクイズに不正解だった時の音の出だしの部分を使用していた。

シンキングタイムとお手つき

  • シンキングタイムはおよそ10秒。シンキングタイム用のBGMが流れ、流れ終わっても(時間切れ寸前でも)、解答ボタンが押された場合は解答する事ができる。但し、画面を見て答える問題と音楽の問題では出題自体がシンキングタイムであるためBGMが流れない(児玉自らが押すブザーが鳴った時点で出題は終了)。
  • お手つき・誤答は児玉自らが押すブザーが鳴り、続く2問の解答権を失う。ブザーが鳴ると解答は終了し、正解が出ても不正解。第1問はペナルティはなく、同じ解答者が何回も続けて間違えることもある。
    • ブザーが鳴ると解答席の横にあるランプが2つ点灯し、解答権がない間は起立していなければならない。起立することから、児玉は解答権のない状態を「お立ち」と呼んでいる。2問以上連続して誤答が出ると、次の問題の解答権は2人しか与えられない。
    • ブザーの後は不正解の(お立ちいただく)BGMが流れる。但し、音楽の問題や画面を見て当てる問題ではすぐ正解確認に入るため流れないが、もちろん起立しなければならない。なお、正答の場合のチャイムやBGMはなく、児玉が「結構!」「正解!」「その通り!」などと言うことでそれに替えている。
    • 解答権のない間、他の解答者が答えない場合は、そのままランプは1つ消える。よって、場合によってはパネルが1枚も埋まることなく解答権が復活することもある。
    • 1995年9月(第1033回)までは解答権を失うのは3問だったが、解答者が4人なので、解答権が1人だけという状況もあった。収録時間や問題を全部使い切ったりして、ウェストミンスターの鐘が鳴って強制終了したこともある。現在解答権を失うのを2問にしたのはその辺が背景にあると思われる。
    • 妊娠している人などは体調の負担を考慮して座ったままで休む形となる例外もある(2006年9月3日に放送された芸能人大会において出産直前だったジャガー横田がその例外の1人になっている)。ただ、当然座ったまま休むことができても解答権は、2回分なし。

トップ賞獲得者の決定・ウェストミンスターの鐘・賞金

  • 全てのパネルが埋まるか、用意された問題が全て消化された時点(実質的にはお立ちが非常に多く、VTRの編集が放送時間内に収まらず時間切れという形)でウェストミンスターの鐘、いわゆる「学校チャイムの音」(キンコンカンコン)が入ってゲーム終了。
  • 出場者は参加賞と獲得パネルの枚数に応じた賞金(1枚につき1万円)を獲得し、獲得パネルの最も多い人がトップ賞。万が一、枚数が同点の場合には同点決勝(プレーオフ)を行ってトップ賞を決定、海外旅行を賭けたクイズに挑戦する。
    • トップ賞を発表する時、児玉が「○(色)の○○さんが○枚のパネルをお取りになりまして、充実のパリ・ミラノ9日間の旅、挑戦権獲得!!おめでとうございます!!」と絶叫する。
    • 鐘が鳴るのはだいたい年に1~2回程度だが(2002年度は1回も鐘が鳴らなかった)、過去には1995年9月の1ヶ月の間に2回(第1031回・第1033回)もウェストミンスターの鐘が鳴ってパネルが全て埋まらずゲーム終了ということもあった。ただし、芸能人大会やチャンピオン大会など特別な大会では時間切れなしで全てのパネルが埋まるまで勝負は続けられるが、その際、途中カットされる部分はダイジェスト形式で編集した上で放送する。特別な例として、1995年5月28日放送の回で、誤答の「お立ち」が非常に多かったため、逆に全てのパネルが埋まるまで続けたこともある。
    • 賞金は獲得したパネルの枚数によって決められ、放送開始当初は1枚2000円だったが、4000円(1977年頃~1986年4月)、6000円(1986年4月~1989年4月)、8000円(1989年4月~1990年4月)と次第に値上げされていき、1990年4月からは1枚1万円となった。ただし、パーフェクトの場合は25万円ではなく、50万円(これは放送開始以来変わっていない)。このほかに、賞金とは別にスポンサーの商品がプレゼントされる。
    • また、賞金とは別に出演料的なものとして5000円が支払われる(ABCまでの交通費が5000円を超えた場合、交通費もまた別に支払われる)。なお、獲得賞金はゲーム終了後児玉が「パネル獲得数と賞金の額を順に申し上げますが…」と言って紹介していた(現在は行っていない)。但し、夏休みに行う児童・生徒ものの大会では「賞金」とはいわずに、「奨学金」(主に生徒)または「図書券」(主に児童)と表現していた。

トップ賞獲得者に対するフィルムクイズ

  • 海外旅行獲得を賭けたクイズは、パネルの盤上にVTR映像(過去はフィルム映像)を映し、古今東西問わず「ある○○」(人物都市半島日本の年号西暦年文学作品等)を当てる問題。
  • 成績や賞品紹介の後、すぐにトップ賞獲得者と児玉が簡単な感想を話した後「ある○○、フィルム(VTR)スタート!!」といったところで一旦CMに入る。CM明けに旅行の紹介フィルム(VTR)を放送した後、もう一度「ある○○、VTRスタート!!」から再生される。開始当初(単独提供時代)は全ての解答者の成績を述べた後、CMなしでそのまま入っていたが、複数スポンサーになってからは一旦成績発表後CMを挟んでから行っていた時代があった。
  • フィルム(VTR)映像はトップ賞獲得者が取ったパネルの部分だけしか見ることが出来ない(オンエアでは残った他の色のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出される。パネルがCG化される以前はクロマキー合成により残った他の色のパネルの数字部分が透けて映像が見えていた)。映像はいくつかのヒント映像が流れ、映像の最後に、ある人物ならその人の顔写真、ある都市なら航空写真に市章(ただし、日本にある都市の場合のみ)、ある国なら航空写真に国旗が映される。
  • 映像終了後、児玉に「その○○とは?(西暦の場合のみ「さあ、それは西暦何年?」)」と尋ねられ、5秒以内で正解を解答すると(解答時間は電話の時報のようなカウントダウンの音が流れる)、児玉の「結構!」「正解!」「その通り!」と大絶叫、1980年代前半から1995年9月までは天井から花吹雪紙テープが降る中(風船は入っていなかった。)、番組開始当初から1980年代前半までと1995年10月以降は電飾が光る中で海外旅行獲得、誤答はもちろん、言い直し・無回答・タイムオーバー後の正解は無効となる。不正解の場合はしおれた感じのBGM(初代「アタックチャンス」のアタック音をアレンジしたもの)が流れる。
  • 児玉が正解について説明する時、全部のパネルが取り除かれて全て見られるようになる。現在はその際に画面が中央に寄り、周りはトップ賞獲得者の色がバックとして使われる(画面下にはスタッフロールが流れる)。
  • 展開によっては大事な部分が他の人のパネルで隠されて全く見えず(特に、画面下の年代などのヒントのテロップなど)、分かっていたのに答えられずに失敗となったというケースも少なくない。また、他の3人は分かっていたのにトップ賞獲得者だけが分からなかったという皮肉なことになってしまったケースやパーフェクトや、20枚以上の大量得点を獲得したのに全く分からなかったケース、逆に1桁枚数(7・8・9枚で)でのトップ賞獲得者がわずかに見えた画面から正解を探し当てたケースも少なからずある。なお、児玉はこのクイズを「画(え)当て」と呼ぶ。ここ最近は20枚以上のトップ賞獲得者にフィルムクイズ不正解が多く、2005年6月19日放送分の正解を最後に10連敗となっている。
  • エールフランス協力によるパリ旅行だった時は出題前に「さぁ(トップ賞の解答者名)さん、エールフランスに乗れますでしょうか、パリがあなたを待っております。よろしいでしょうか、ある○○(人物・国・都市・川・島・年号など)、フィルム(現在はVTR)スタート!」というコメントとともに出題が始まってたが、1995年になくなる(詳しくは後述)。正解内容を確認した後、児玉が「(解答者名)さん、お見事!! パリにいらしていただきます、おめでとう!!」とコメントした後、エールフランス機の離陸映像をパネルに映し出して、そのパネルをバックにエールフランスのスチュワーデスより目録(当初は旅行カバン、末期は旅行獲得プレート)と花束が贈呈されたが、現在は解答者の前で出題者・沢木から目録代わりの旅行獲得プレートと花束を贈呈されている。

出題者

  • 出題者は現在6代目で、歴代の出題者は以下の通りである。
  • 番組開始当初から10年ほどはアシスタントもいて、児玉・出題者・アシスタントの3人で番組を進行していた時期もあったが、現在アシスタントはおらず、児玉と出題者の2人で進行している。
  • 番組開始当初から、児玉は出題者(アシスタント)とともに司会者席に座り、海外旅行クイズの時だけ立って(ハンドマイクを持って)番組を進行したが、1992年10月4日放送分から全編立って進行するようになった(座っている時はスタンドマイク、立っている時はハンドマイクだったが、これらに代わりピンマイクを着装している)。それ以前の「トップ賞獲得者に対するフィルムクイズ」でトップ賞獲得者が旅行を獲得できなかった場合、児玉は司会者席に座り、番組が終了していた。
  • 1984年10月14日10月28日の放送分は、児玉の腹膜炎に伴う入院で、板東英二が代役を務めた、このことが1000回記念の時のアタックチャンスの問題にも取り上げられ、その時のVTRも放映された。また番組上で話題になる度に児玉は、坂東に対し感謝の意を述べている
  • 1993年1月17日1月24日の放送分は、出題者の豊島が急病のため、下村委津子が代役を務めた。

歴史

  • この番組が誕生する1年前の1974年4月1975年3月、同じ児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組「東リクイズ・イエス・ノー」という番組が東洋リノリユーム(現:東リ)の一社提供の下、毎日放送制作でANN系列にて放送されたが、1975年3月31日にABCと毎日放送のネットチェンジ、並びに視聴率の低下などを理由に番組が打ち切られた。しかし東リ側が自社提供の番組をABCでも継続して制作・放送することを熱望したため、1975年4月にこの番組が誕生。児玉は当初「 - イエス・ノー」の失敗からこの番組を司会することに難色を示したが、東リ側の要請もあって結局はそのまま司会を担当することとなった。よってNETテレビ(現・テレビ朝日)など一部の系列局では、制作局が異なるものの児玉司会・東リ提供の番組が継続して放送されたこととなる。
  • 番組の企画にあたっては、とあるABCのスタッフが家族にオセロゲームを買ったところ、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言うのが浮かんだ発端だった。
  • 当時のABCは(TBS系列局だったころ)自社製作のクイズ番組はなかった。
  • 番組開始当初は、まだ一般家庭の大半は白黒テレビだったため、この企画には社内やスポンサーからも難色が上がったという。プロデューサーは、「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回った。
  • 1992年9月まではABC制作枠の15秒番組宣伝枠がABC制作全国ネット番組の中で唯一なかったが、翌10月から放送開始。
  • 1992年10月より番組ロゴをそれまで台形をモチーフにしたものから現ロゴに一新した。
  • テレビ朝日系列局が今より少なかった時期は、いくつかの他系列の局などで数週遅れで放送していたが、現在、テレビ朝日系列局以外局での放送は富山テレビ放送(フジテレビ系列)のみ。なお、福井放送(日本テレビ系列)はANNにも加盟しているが、「アタック25」は編成の関係で放送できず、福井テレビで放送されていたが、短期間で打ち切られている。
  • テレビ朝日の「100万円クイズハンター」が終了した1993年10月からテレビ東京の「決戦!クイズの帝王」が始まる1996年4月までの2年半と、「決戦!クイズの帝王」が終了した1997年3月からフジテレビの「クイズ$ミリオネア」が始まる2000年4月までの3年間は、全国ネットのレギュラー番組で唯一の視聴者参加クイズ番組だった。ただ、「クイズ$ミリオネア」(2007年3月に番組終了)が2006年9月に視聴者参加を取り止めたため、再び唯一の視聴者参加クイズ番組になっている。
  • 2003年4月から字幕放送を開始。2005年4月からハイビジョン化された。2006年4月9日からは番組の音声もモノラルからステレオ放送になった。

特別企画

  • 毎年、8月の盆あたりに「高校生大会」と8月下旬に「高校生VS高校の先生」が、9月の第3日曜(敬老の日前後)あたりに60歳以上対象の「熟年大会」が行われる。1994年まで「中学生大会」、1996年まで「小学生大会」が行われた。なお、「高校生VS高校の先生」は1997年から行われている。
  • 年始初の放送はANN系列のうち4局の女性アナウンサー各2人を解答者に迎えた「新春女性アナウンサー大会」を2003年から行っており、この時に限り旧来の解答者本人が自己紹介をする形をとっている。かつては1992年1996年に男性アナウンサーを含めた「アナウンサー大会」を実施した経緯がある。
  • 毎年9月第1週はタレントやお笑い芸人の2人1組、計4組が解答者として出場する「芸能人大会」が行われる。なお、上記の「アナウンサー大会」同様、出題場面が途中でダイジェストの扱いとして放送されることがある。
  • 毎年、最終放送となる本番組の放送は前年12月からその年の11月までにトップ賞となった解答者から獲得枚数が多かった上位4人が登場し『年間チャンピオン』を決定する「アタック25 チャンピオン大会」が行われているが、2004年度からはまず年間の獲得枚数(得点)上位10人を対象とした予選クイズを行い、そこで3点獲得した4人で決勝戦を行うというシステムを取り入れた(ちなみに2問不正解、お手つきで失格・退場となる)。
  • 余談ではあるが、チャンピオン大会ではなぜか画当てが失格になることが多い。
  • 1989年1月22日(700回記念大会第2弾)、1990年4月8日(15周年記念大会第2弾)、1991年1月20日(800回記念大会)の3度、各大学のクイズ研究会やサークル25人が1チームとなって4大学対抗で戦う「大学対抗!100人の大サバイバル」を実施。各大学、代表者1名が解答席に着いてクイズに答えるが、お手つき・誤答や相手に正解された場合は、その人は失格で、次の代表者に交代するという特別ルールで実施。当然25人全て失格になった大学は、その時点で敗退。その為1989年1月22日の大会では、通常のルールでは不可能な6枚獲得でトップ賞という事態が起きた(18枚獲得していた大学がいたが、25人全員失格で敗退したため。)。なお、海外旅行への挑戦権は、トップ賞チームで最終的に残ったメンバー全員にあり、正解した場合は、残り人数分の旅行を獲得となる。
  • 数年に一度、過去5年以内(またはそれ以上)に出場者で惜しくも海外旅行を逃した人、解答出来ずに終わった人、あるいは正答できてパネルを獲得するも最後は0枚という残念な結果に終わった人たちのためのいわばリベンジ大会である「夢をもう一度大会」がある。トップ賞は出来なくとも、獲得パネル1枚だけで喜ぶ人あり、海外旅行獲得リベンジ達成の人ありなど夢を再び与えるという画期的な企画も持っている。
  • 2004年4月には番組開始30周年記念大会と銘打って、特別に過去5年以内の出場者も参加できるようにして、3週間に渡る「史上最強のクイズ王決定戦」を開催した。これは全国を東西に分けてまず予選クイズを行い、勝ち抜いた4人が本戦に進出。それぞれの2位までに入った参加者が、3週目に開いた決勝戦を争うというものだった。ただ、この時の決勝戦でトップ賞となった解答者は、最後のVTR問題で正解できず、残念ながら海外旅行獲得を逃した。
  • 2006年9月3日の芸能人大会にて司会の児玉の物真似でお馴染みの博多華丸が相方の博多大吉と組んで解答者として出演、児玉と二人でのWアタックチャンスが実現し、出場者及び後方の応援席の方々まで拍手と爆笑が溢れた。また、華丸・大吉は最後の問題を答え、華丸自身で「ラストコール」をした。解答者は林家木久蔵(当時)(現・林家木久扇)・三遊亭好楽ペア(元・兄弟弟子)、山口もえ魚住りえペア(同じ事務所所属)、ジャガー横田木下博勝夫妻、華丸・大吉。提供クレジットをはさみながらのエンディングでは、解答者全員で「アタックチャンス!!」の掛け声とポーズを唱和した。また、この日の放送は、普段行われていない番組宣伝まで行われる程の回となり、これ以降、最低1問は、児玉の「その通り!○○!!(○○は、出された問題の答え)」と言っているシーンが映されるようになった。なお、トップ賞は山口もえ・魚住りえペアが獲得したが、残念ながら海外旅行獲得は達成できなかった。ちなみに華丸・大吉の地元・福岡県(北部九州地区)での視聴率は19.8%(近畿地区12.9%・関東地区11.6%)を記録した。
  • 2007年9月2日には、お笑い芸人大会を開催した。解答者はアンガールズカンニング竹山ダンディ坂野ペア(同じ事務所所属)、ハリセンボンブラックマヨネーズ。なお、トップ賞はアンガールズが獲得したが、残念ながら海外旅行獲得は達成できなかった。

冠スポンサー

放送開始からしばらくは番組名にメインスポンサー名が冠されていた(「○○パネルクイズ アタック25」)。「東リ」(東洋リノリユームの一社提供、提供枠3分)から東リ・小林製薬<但し番組タイトルは「パネルクイズアタック25」>(1986年4月~、この2社の提供、各1分30秒)、「アルインコ」(同年10月~、一社提供、3分)、「日興證券日興投信(1987年4月~、この場合は「日興パネルクイズ アタック25」となる、1992年3月~6月は冠が外れた、ここから複数社提供、2分)、「東リ」(1992年10月~、ちなみに同社は1991年10月から30秒枠で提供していた、1分30秒)と移り変わり、2000年7月以降は番組名からスポンサー名が外され、現在の「パネルクイズ アタック25」として放送されている。(東リは1分に縮小し、2002年4月に撤退したが、2007年4月1日放送分から、5年振りに30秒枠でスポンサーに復帰した)。

その後のメインスポンサーは「日本直販」(1分)、「ジャパネットたかた」(1分30秒)、「アリコジャパン」(1分)、「無し(各社提供)」、「ジャパネットたかた」(1分30秒)、「ルアン(スーパーミリオンヘアー)」(1分)、「ジャパネットたかた」(1分30秒)と移り変わり、現在に至っている。

2007年10月7日現在のスポンサーは、「ジャパネットたかた」、(以下30秒枠)「ルアン(スーパーミリオンヘアー)」、「大日本住友製薬」、「東リ」。

また、提供クレジットは、番組開始当初の東洋リノリユーム一社提供時代は、白地に同社のシンボルマークの大写しを使用、その後複数スポンサーになってからは1996年9月29日までブルーバックが使用されていたが、現在はスタジオを挟んでの提供クレジットを使用している。

番組出場

  • 解答において人名の場合は、日本人の場合は姓と名のフルネームでなければならないが、外国人の場合はフルネームでなくてもよく、判別できる程度でよい(これは予選でも適用される)。
  • 番組収録は一貫して大阪市北区のABCのスタジオで行われている。
  • クイズ王によるクイズ荒しを防ぐ為、一度本選に出場すると、5年間は本選に出場することができない(ただし、「グランドチャンピオン大会」などの特別企画で特例として5年以内でも出場できることがある)。その5年間の沈黙を経て再び出場する者も多い。

予選

  • 予選が行われる会場は基本的にANN系列の各放送局(ANN系列局がない富山県は富山テレビ)であるが、関東地区予選はテレ朝ではなくABC東京支社で行われる。
    • 予選は系列局の放送エリアごとに行われる(例・・・ 近畿広域圏:ABC本社、中京広域圏:メ~テレ(ABC名古屋支社ではない)、関東広域圏・山梨県:ABC東京支社、瀬戸内準広域圏〔香川県・岡山県〕:瀬戸内海放送、福岡県・佐賀県:九州朝日放送)。そのため、かつては住所を都道府県名から書くように指示されていた。
  • 予選は専用の用紙に氏名などの他に自己アピールを記入することから始まる。予選問題は全30問(制限時間8分)の筆記形式で、いわゆる「クイズによく出る問題」と時事問題がバランスよく出題される。解答の際、誤字・脱字がある場合は不正解となる。ただし、漢字がわからない場合はその漢字をかなで書いても問題はない。筆記予選が終わると答案用紙が回収され、即採点される。その後は名前を呼ばれた人のみ面接に進めるが、それ以外の人はその場で「お帰り」となる。面接に呼ばれるのは基本的には得点上位者だが、ある程度得点できていれば、面接に呼ばれることもある。この面接に受かれば、予選に合格となる。予選に合格すればすぐ出場というわけではなく、向こう1年間の出場資格が与えられたということになる。実際に出場が決定するのはABCより電話連絡が入った時である。1年待っても連絡がなければ出場資格が消滅する。なお、指定された収録日に都合が悪く、出場を辞退したとしても、合格してから1年以内であれば再びお呼びがかかることもある。
  • 1975年の放送開始以来、出場者募集ははがきのみだったが、2004年春頃からはインターネットでも募集されるようになった(現在は携帯電話でも募集している)。また、出場者募集のお知らせは数ヶ月に1回だけ行っていたが、現在は番組中アタックチャンスに入る前のCM明けに告知され(無いときもある。)、1年を通じて行われている。
  • 2006年10月3日、横浜市立大学医学部に通う19歳の少年が優勝したが、予選の筆記試験でカンニングしたことをmixi上のブログで暴露していたことが発覚。2ちゃんねるを中心に騒がれ、一部の新聞などにも掲載された。その後、この少年はカンニングを否定。放送元の朝日放送はこれを不問とした。

備考

解答者後方の応援席

  • 1994年頃までは観覧者を一般から募集していたが、現在は出場者の身内・友人とアルバイトしか観覧席に座ることができない。
  • 1992年9月までは観覧者がトップ賞の予想を行い、予想が的中するとプレゼントが贈られた。プレゼントの内容は、番組オリジナルグッズや、東リ製品、サブスポンサーからの賞品などだった。その為支持(応援)する色の観客席に座る人のばらつきが発生していた。観覧者にはそれぞれの色のシートを持たせて、番組序盤で上げていた。このようなトップ賞予想のプレゼントは、フジテレビの「なるほど!ザ・ワールド」でも行われていた。
  • 初期の頃は、司会の児玉の呼びかけとともに、番組の冒頭でギャラリー(観客・応援者)が4人の解答者の誰が優勝するかを各々予想し、自分が支持する解答者の後方にある「応援席」へ移動し着席する様が、番組テーマがBGMで流れる中、映し出されていた。なお、かなりこの移動に要す時間は長くなるためBGMは延々と流れ「♪パネルバヤ~ パネルパヤ~ パネルアタック~ アタッ!25 アタッ!25」のフレーズが印象的であった。なお、優勝者を的中させたギャラリーには当時のスポンサーである「東リ」のカーペット製品のようなものが賞品として贈呈され、またそのことがアシスタントから「優勝した○○さんを応援していただいたみなさんには賞品として……」と番組内でもアナウンスされていた。なお、現在はこの制度は廃止され、番組冒頭時点から各解答者の後方にはギャラリーがすでに着席している。

解答者紹介

  • 1994年4月3日までは本人による自己紹介(解答ボタンを押した後に自己紹介に入るもの)で、翌週4月10日からは出題者のナレーションによる紹介に。1996年10月からは序盤終了後に児玉が紹介し提供クレジットとCMとなった。2005年1月以降、現在はオープニングクイズが終わった後に紹介する形になっている。
  • 以前は「パーソナルクイズ」と呼ばれる解答者それぞれに因んだクイズも出題された。赤から順番に児玉が解答者とインタビュー形式でトークを行い、その後クイズが出題される。クイズは全員に解答権があった。

トップ賞獲得者・海外旅行に関する記録

  • 番組での25枚パーフェクトを達成した解答者には賞金50万円がもらえ、これまでに11人いる。ちなみに、1998年10月以来パーフェクトは出ていない。
    • 年に数回はあわやパーフェクトかというシーンはあるが、筋違いやパネルの配置上アタックチャンス後1~2問後にはその可能性が消滅することが多く、実際は数年に1人程度しかパーフェクトは出ない。ましてや最後の1枚でパーフェクトの権利を残すこと自体もほぼ年に1回程度である。
  • この番組は最低7枚でトップ賞(旅行挑戦権利を獲得)できるが、1989年1月の大学サバイバルでは6枚で旅行挑戦となった。これはパネル獲得数トップでトップ賞が出来るはずだった大学が、25人いた解答可能メンバーを全部使い切って失格となったため。ちなみに、この時は旅行挑戦に失敗している。
    • なお、最低トップ枚数の7枚でトップ賞となったのはこれまでに5人おり(最近では2007年10月14日放送分)、そのうち2人は旅行挑戦に成功している。また、1985年6月9日放送ではたった3問正解でトップ賞・パリ挑戦権を獲得した人がいる。
  • 年によっては勝利する色が偏っている傾向にある(一例:2006年度の白席は年間18勝と2位の赤席(12勝)を大いに引き離している)。また数週間全く勝利が無かった時もあった(一例:2006年9月3日から2007年2月25日まで青席は23週連続で敗退)。
  • これまでの旅行連続成功の最長記録は、1987年5月7月にかけての8週連続というのがある。逆に旅行連続失敗(失格)の最長記録としては、2003年7月27日9月21日2006年9月24日11月19日の9週連続というのがある。ただ、それ以前には8週連続失格や7週連続失格というケースもあった。

アタック25で海外旅行を達成した芸能人・著名人 

海外旅行

  • 海外旅行は初回からエールフランスで行くパリ(パリの他にニースまたはカンヌ)だったが、1995年から旅行先はアメリカ合衆国ニューヨークフロリダディズニーワールド)、ドイツローマオーストリアと変化。
  • 現在はパリ・ミラノ9日間旅行となっている。
  • 1975年以来、オープニング映像にエールフランス旅客機が飛び立つ映像が使われていたが、パリ旅行中止とともに消滅した。2007年4月1日放送分で、旅行先がパリ・ミラノに変更されたことに伴って、久々にエールフランスの旅客機が飛んでいる映像が、オープニングクイズで流された。
  • フランス旅行が中止になったのは、1995年にフランス政府がムルロア環礁核実験を行ったことに対する抗議とされている。
  • 2001年4月、ようやく旅行先にパリが復活。但しエールフランスではなく日本旅行会社が主催するツアーとの提携である(2004年ANAハローツアー、2005年4月からは近畿日本ツーリスト提供となっている)。なお、現在は違うが、児玉は長らく樫山文枝と近畿日本ツーリストのCMに出演。
  • また旅行先を紹介するVTRは定期的に変わる。そのVTRには数秒だが児玉と沢木の姿が映る。
  • 旅行先が変更される際の1か月間は、通常のオープニングクイズが、旅行先にまつわる問題に変更される。また、これが実施されると、通常の映像(ビジュアル)クイズ(2007年3月25日現在の問題の流れは、アナグラム→地図→漢字)と音楽の問題で、合計4問が途中、読み上げ問題の間に挟まれるが、これらのクイズが1~2問分削減される。

パネルボード

  • 番組初期の頃は、25枚のパネルの左右両サイドに上向きの矢印(当時の東洋リノリュームのロゴ)を図示した10個のランプが縦並びにあり、シンキングタイム(10秒)には、シンキングのBGMとともにそのランプが下から1つずつ順に点灯していき、解答時間切れを表していた。
  • 現在、地上デジタル放送でこの番組を見ると、画面右端の空きエリアの部分に現在の4人取得パネル数が常時表示されている。

ゲームソフト

  • 富士通パソコンシステムズプレイステーション版・Windows版・Macintosh版のゲームソフト(全て1997年)を発売していた(他に100万円クイズハンターのゲームも発売された)。
    • PS版: ゲーム内容はオープニングからエンディングの国名当てクイズに至るまで実際の番組(発売当時)の流れを完全に踏襲しており、司会の児玉も実写ムービーで登場するなど、番組の雰囲気の再現性は非常に高い。クイズゲームとしても、問題数の多さに加え、一度出題された問題はセーブデータに記録されて出題の優先度が下がるなど、独自の仕様により高い評価を得ている。他にもクイズだけで楽しむモードや、逆にクイズなしでスロットマシンを使ったモードなどが楽しめる。
    • PC版: PS版が本戦からスタートするのに対し、こちらは応募ハガキの記入から予選の筆記試験を経て本戦出場と、実際の番組参加手順を更に忠実に再現している。
  • デジキューブ(のちに倒産): プレイステーション2版のゲームソフト(2002年)を発売していた。
    • PS2版: PC版と同じく応募ハガキの記入からスタート。本戦の展開は発売当時の番組内容に合わせたものになっており、PC版から幾らか変更されている。他にも専用マルチタップで最大4人まで対戦できるパーティモードがある。また、タイトル画面でコントローラー2のR1を押すとでパネルシュミレーター機能が利用できる。

その他

  • 東リカーペット・・・アタックシリーズはこの番組の名称にちなんでいる。(東リは一時を除いて長らく当番組のスポンサーであるため、この商品名が名付けられた。)
  • 川崎フロンターレ 2007年8月25日川崎市等々力スタジアムで行われた日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)1部・ガンバ大阪との試合で「アタック25日」と題したコラボレーション企画を行った。
    • この企画では博多華丸を迎え、「川崎フロンターレ、大事な大事なアタックチャーンス!!」「青のガンバ大阪さん、もう1試合ご辛抱!」といったフレーズのPRや、当日のスタジアムのフロンターレ応援席(メインスタンドとバックスタンド)で「水色のフロンターレさんお見事!!青のパネルが水色に変わる!!」という合図とともにガンバのチームカラーの青色からフロンターレの水色へと観客が持ったパネルの色が変わる(青色の紙を落とし、その裏に持っていた水色のビニールシートを入場中の選手達に見せる)というパフォーマンスを行った。(参照:フロンターレ公式[1]
    • なお、博多華丸は福岡市出身で、故郷のJリーグチームであるアビスパ福岡を応援しているが、この年はカテゴリーが違う(アビスパは2部所属)という理由でフロンターレからの依頼を引き受けた事を自らのブログで説明した。
  • 競走馬にも「アタックチャンス」がいた。2000年生まれの牡馬騙馬で、2002年にデビューしたが、平地競走10戦0勝(2着・3着各1回。4着以下8回)、障害転向後も4戦0勝(全て4着以下)の合計14戦0勝(2着・3着1回ずつ。4着以下12回)で2003年に競走馬を引退した。(詳細こちらを参照
  • 2007年9月5日フジテレビ平日正午に放送されている『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに、司会の児玉がゲスト出演した際、『いいとも!』司会のタモリが「(2007年)8月頃から、アタック25で“正解!”っておっしゃってますよね、どうしてですか?(タモリの発言は8月であるが、正式には同年6月頃から行っている)」と尋ねると、児玉が「私のモノマネをして下さっている(博多)華丸さんが、“その通り!”や“結構!”と真似して下さるので、それを自分が真似しているのではないかと思い、“正解!”と言うように変えた」というエピソードを語っている。

スタッフ(2007年7月現在)

外部リンク

番組の変遷

朝日放送(近畿ローカル、本番組開始以降はANN系列) 日曜13:15~13:45→13:25~13:55の枠
前番組 番組名 次番組
家族そろって歌合戦
TBS・ABC他JNN系列共同制作)
※13:15~14:25
ここまでJNN系列
毎日放送に番組及び共同制作移行)
パネルクイズ アタック25/log20220525
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ANN系列 日曜東リ提供枠
東リクイズ・イエス・ノー
(毎日放送制作)
パネルクイズ アタック25
(詳しくは冠スポンサーを参照。)
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ANN系列 日曜13:15~13:45→13:25~13:55の枠
末廣演芸会<br />(関東ローカル。地域により別編成)
※13:15~14:00
(枠移動=16:30~17:15)
パネルクイズ アタック25
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