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文民統制

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文民統制(ぶんみんとうせい、シビリアン・コントロール:civilian control of the military)とは、文民政治家軍隊を統制するという政軍関係における基本方針である。政治が原則的に軍事に優先することを理念とする。その意味で、文民優越 (civilian supremacy)、政治統制 (Political control)とも言う。

概要

文民統制・シビリアンコントロール(Civilian Control Over the Military)とは民主主義国における軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的統制をいう。すなわち、主権者である国民が、選挙により選出された国民の代表を通じ、軍事に対して、最終的判断・決定権を持つ、という国家安全保障政策における民主主義の基本原則である。軍については、一般的に最高指揮官は首相大統領とされるが、これは、あくまでも、軍に対する関係であって、シビリアン・コントロールの主体は、立法府(国会・議会)そして究極的には、国民である。このため、欧米では、その本質をより的確に表現するデモクラティック・コントロール(Democratic Control Over the Military)、すなわち民主的統制という表現が使われることが、より一般化しつつある。

どの国においても、戦争・平和の問題は、国民の生命・身体の安全・自由に直結する、最も重要な問題であり、であるからこそ、主権者である国民が、国民の代表を通じて、これを判断・決定する必要がある。

シビリアン・コントロールの下、軍事的組織は軍事的アドバイスを行い、これを受けて国民の代表が総合的見地から判断・決定を行い、その決定を軍事的組織が実施するということが原則となる。防衛・安全保障政策の判断・決定は、選挙で選出された国民の代表が行う。その理由は、彼らが軍人より優秀だからということではなく、まさに国民の代表だからである。そして、何よりも国民の代表は、国民に対し説明責任を持ち、したがって、国民は、彼らの決定に不服があれば、選挙を通じて彼らを排除出来るからである。

シビリアン・コントロールの下、法の支配と民主主義の政治過程を尊重する観点から、軍事的組織構成員は、あくまで軍事の専門家としての役割に特化し、政治的判断に敢えて立ち入らないことに職業的誇り・プロフェッショナリズムを見出すべきとされる。軍事的組織は、予断を行わずに正確に情報を開示し、国会・国民に判断・決定を仰ぎ、国会・国民が決定したら、その決定を確実・正確に執行する役割に特化する責任を負う。

以上の観点から、日本においては、いまだシビリアン・コントロールが、十分徹底されていないといわなければならない。日本において、シビリアンコントロールとは、軍事に従事する人間には発言権が無いこと、と一般的に理解されているが、実態は、軍の予算、人事、そして軍事行動につき、その「最終的な」命令権が、軍そのものにはなく政府や議会にあることが制度的に保証されている状態をいう、との理解にとどまっている。このため、現に防衛政策立案に際しては、軍事の中枢たる統合幕僚監部及び陸海空幕僚監部が、防衛省内局と共に大きな役割を担っている。 これに対し、シビリアン・コントロールの観点からは、軍の役割・任務など、防衛政策の基本的問題は、立法府(国会)を中心としたオープンな国民的議論により、判断・決定されなければならない。オープンな国民的議論を通じて形成された広範な国民的合意に基づいてこそ、防衛政策は正当性を持ち、またその有効な実施が保証される。

また、シビリアンコントロールにおける「シビリアン」とは文民、つまり一般国民代表たる政治家のことを指すのであり、防衛省の事務官(背広組)を含めた官僚のことを指すわけではない。

分類

ハーバード大学サミュエル・ハンチントンによれば、この文民統制にも大きく2つの形態が存在する。第一に「主体的文民統制」であり、文民の軍隊への影響力を最大化することによって、軍隊が政治に完全に従属させ、統制するというものである。しかしこれは政治家が軍事指導者である必要があるため、軍隊の専門的な能力を低下させるとになり、結果的に安全保障体制を危うくする危険性がある。もう一方に「客体的文民統制」がある。これは文民の軍隊への影響力を最小化することによって、軍隊が政治から独立し、軍隊をより専門家集団にするというものである。こうすれば軍人は専門化することに専念することができ、政界に介入する危険性や、軍隊の能力が低下することを避けることができる。また現代の戦争は非常に高度に複雑化しているため、専門的な軍人が必要である。

文民とは

「文民」という語は日本国憲法を制定する際に造られた言葉である。制憲議会では、第9条に関して芦田修正が行なわれたが、これに危惧を感じた極東委員会が、芦田修正を受け入れる代わりにcivilian条項を入れるように求めた。しかし当時の日本語にはcivilianに対応する語がなかったため、貴族院の審議では、「現在、軍人ではない者」に相当する語として、「文官」「地方人」「凡人」などの候補が挙げられた。「文官」では官僚主義的であるとされ、「文民」という語が選ばれた。なお丸谷才一は『文章読本』のなかで「文民」の訳語が生硬であり、内容・定義も曖昧であると批判している。

第二次世界大戦以前には軍人が内閣総理大臣を務めることが多々あり、その反省から現行の日本国憲法第66条第2項には「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と規定されている。

「文民」は「文官」「一般市民」「非戦闘員」のニュアンスを持ち、「(現在の日本においては自衛隊)の中に職業上の地位を占めていない者」を指すと考えられる。

文民統制という文脈では、「軍人以外の人間」、具体的には「政治家」を指し、防衛省の「官僚(背広組・文官)」を示すものではない。

対義語
「文民」 「軍人」
「文官」 「武官」
「背広組」 「制服組」

なお、過去の日本において「文民」と言う場合に「旧職業軍人の経歴を有しない者」と規定するか、あるいは、「旧職業軍人の経歴を有する者であって軍国主義的思想に深く染まっている者でない者」とするか、については、意見が分かれていた時代もある(1965年昭和40年)5月31日衆議院予算委員会 高辻正己内閣法制局長官答弁など)。かつて野村吉三郎(元海軍大将、太平洋戦争開戦時の駐米大使)の入閣が検討されたこともあったが、「文民」規定の問題から断念している。その後、元職業自衛官永野茂門法務大臣になった時や中谷元防衛庁長官となった時にも問題視する意見が出た。ただしこの見解は国際的な基準があるわけではなく、例えば米国国防長官も文民であることが条件であるが、退役してから10か年が経過すると文民として扱われる。また、英国での要件は、文民かつ政治家であることを要する。

歴史的経緯

歴史上多くの貴族などの支配者は政治家であると同時に軍人でもあった。軍事力を常に掌握しておくことが、政治的権力の維持のためにも必要であり、また外交が発展する近代までは安全保障の重要性が今以上に高かったためであると考えられる。また軍隊の組織も発展途上であり、軍事戦略作戦戦術に関する理論体系も整っておらず、兵器も原始的なものであったために専門的な知識・技能がなくとも作戦部隊の指揮官としての仕事がこなせたことも大きな要因である。

しかし、近世以降戦争が高度化・複雑化してくるとともに軍事に関して専門的な知識・技能を持つ人材の確保が軍隊の急務になってきたため、高度な専門知識・技能を習得した職業軍人が中枢を占めるようになってきた。それと同時に、まだ当時は軍隊に残っていた王族や貴族といった政治家勢力を軍隊から排除することが軍隊の指揮統率の合理化の上で必要である、ということが職業軍人たちから主張されるようになり、軍事の政治との分離が進んだ。これが軍隊の専門化を進め、現代の文民統制の基本形となっている。

欧州

文民統制は17世紀から18世紀イギリスにおいて登場した。中世国王の軍事力乱用やクロムウェルの独裁政治の影響から国王の常備軍を危険視する声が高まり、議会と国王の権力闘争が行われた中、1688年名誉革命と翌年の権利章典によって、議会が軍隊を統制することによって国王の権限を弱体化させようとした。しかし議会はその意思決定に多大な時間がかかり、また軍事に関する決定事項は膨大であるために軍隊の仕事がしばしば滞り、結局後に議会は軍隊の指揮監督権を国王に返還した。1727年責任内閣制が発足して陸軍大臣が選ばれたが、軍隊の総司令官の人事権と統帥権は国王にあったため、陸軍大臣は軍事政策に関する権限のみ委託されており、二元的な管轄が残っていた。

本格的に政軍関係問題が浮かび上がったのは19世紀に入り、プロフェッショナル将校団が台頭してきたことに起因する。プロイセン王国の将校であったカール・フォン・クラウゼヴィッツが、自著『戦争論』のなかで、「政治が目的であって戦争は手段である」と述べて政治の軍事に対する優越を論じ、その上で「戦争がそれ自身の法則を持つ事実は、プロフェッショナルの職業軍人に外部から邪魔されずにこの法則にしたがって専門技術を発展させることが認められることを要求する。」として軍事専門家組織としての軍隊の確立を要求した。これが現代の文民統制の原型である。また同時に効率的に軍事を政治の統制下におくために、「武官を入閣させるべきである」と論じた。しかしクラウゼヴィッツの理論は後世の研究者たちによって「政治を軍事行動に奉仕させるために、武官を入閣させるべきである」と誤解され、第一次世界大戦第二次世界大戦における総力戦の理論に転用され、大量殺戮・破壊の背景となった。

第一次世界大戦後半のドイツにおいては、軍事戦略国家戦略に優先すべきと考えたルーデンドルフが陸軍参謀総長として、権勢をふるい、軍事的勝利のみを追及して休戦にいたるまでに時間がかかった。ドイツ軍の優勢な時期を失してしまい、講和条約の締結においては、連合軍に大幅な譲歩を強いられている。

米国

米国は軍隊を創設した当初から強力な常備軍を持たないことを掲げ、その統帥権を伝統的に文民政治家に委ねてきた。独立戦争においてワシントンが最高指揮官となり、南北戦争においてもリンカーンが戦争指導を行った。合衆国憲法においては大統領は軍隊の最高指揮官であると定めており、大統領が軍隊を統帥し、軍隊の維持および宣戦布告は議会の権限であると定めていた。そのために第二次世界大戦時のアメリカ合衆国においては文民統制が機能しており、フランクリン・ルーズベルト大統領は、ウィリアム・リーヒ統合参謀本議長との協議を通じて戦争指導を行った。

朝鮮戦争時においては、国連軍の司令官であったダグラス・マッカーサーが軍事的合理性から、核兵器の使用を含めた中華人民共和国への攻撃を示唆した。これに対し、トルーマン大統領は、中国への攻撃は、軍事面からは必要かもしれないが、全体的な国際情勢の観点から不利益となりうると考え、マッカーサーと意見が対立したために彼を罷免した。

ベトナム戦争において現地の総司令官ウェストモートランドは「政治がガイダンスを示さないために軍人が政治に介入せざるを得なかった」として国家戦略の不在のために軍事作戦の目的が曖昧化していたと述べており、また当時の第七空軍司令官は政府の指令を30回も破っていたことに示されるように、常に文民統制が効率的に機能していたわけではない。

日本

戦前・戦中

戦前の日本においてはドイツを参考にして陸海軍の統帥権天皇にあると帝国憲法で定められ、統帥権は独立した存在であった。これには当時の議会における反政府勢力から軍を隔離することや、軍部内における権力闘争が関係していた。その後も日本の政軍関係はロンドン海軍軍縮会議における統帥権干犯問題に見られるように政治と軍事の乖離が進んだ。また関東軍内閣の不拡大方針を無視して、勝手に中国国民党政府との戦争を推進していった(張作霖爆殺事件盧溝橋事件参照)。また、民族主義の青年将校団が、5.15事件2.26事件を起こし、文民政治家は公に軍人に抗弁できない状態に陥っていった。

1937年(昭和12年)支那事変の発生に伴って大本営が設置されたが首相は除外されたままであった。しかし大本営政府連絡会議を設置して政軍関係の回復を狙い、天皇・政府首脳の意向に沿って政府方針の範囲内で軍事戦略を組み立てていた。特に太平洋戦争中は、陸軍大臣東條英機及び海軍大臣嶋田繁太郎がそれぞれ参謀総長軍令部総長を兼任することにより、統帥権の独立は完全に否定された。一部には東條・嶋田両名が現役軍人であったことをもって、統帥権の暴走という主張もあるが、正しくは政府の統帥に対する従属である。実際、陸海軍大臣が総長を兼職したものであり、当時から既に、軍政軍令の混淆は違憲であるとの批判が根強くあった。なおこれは内閣総理大臣が軍人そのものであるので文民統制とはいえない。

戦後

戦時中の反省から、日本国憲法第66条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定されている。ゆえに歴代防衛庁長官防衛大臣は文民であり、現職の自衛官自衛隊員が就く事は認められない。

ただし、日本の問題は、国の国家運営の一つである国防方針の中での制約事項として、その組織の行動に対して合意された制約が明示されているのではなく、たぶんに「軍事」に関する感情的な嫌悪感からその行動に足枷をつけさせようとしている情緒的な点にある。ゆえに自衛官が公の場で発言すること、意見することすら「シビリアンコントロールの侵害」と主張する勢力があり、戦闘教義すら確立できていない大きな原因となっている。

なお、自衛官・学生生徒の宣誓には「政治的活動に関与せず」の文言がある。


必要性

シカゴ大学のジャノヴィッツ教授は適切な文民統制の必要性・役割を政軍関係における軍隊への有効性と有事即応性の判断、国際情勢への対応度、市民と軍務との関係の程度を決定することにあると論じた。また適切な文民統制ために文民は以下のことを行うべきであると述べた。

  1. 軍事目標を実行可能なものに限定すること。
  2. 政治目的と合致した軍事ドクトリンを形成すること。
  3. 軍隊における専門性および専門的自尊心をより高めること。
  4. 民主的政治制度の正統性の気風を高めること。

以上に基づいて文民政治家が軍隊の仕事を真に理解してその責任を評価することと軍人が認識することによって政治の統制に従うのであると結論している。

民主制との整合

まず第一に、政治家は、選挙によって一応国民の信託を受けており、政治家が失敗をしたとしても、その政治家を選んだ国民にも責任があるといえるし、余りにも戦争指導が酷ければ議会によって不信任を付きけられるか、選挙で落選するであろう。しかし、軍人は国民に選挙で選ばれたわけではない、ただの官吏である。 万一、クーデターなどの不正手段で軍人が政権を握り、政治指導を失敗した場合、国民は自分たちが選んだわけでもない指導者のために大災厄をこうむる事になってしまう。ゆえに国民が主権者である民主国家では文民統制の維持は大原則であって、民主主義国の軍人は政治や外交に干渉せず、国民が選挙で選んだ政治家の指導に服し、軍務に精励することが求められる。

逆に、5.15事件の時、愛国無罪として甘い処分で済ませたことが、軍紀を緩ませ、軍人の驕慢を許して2.26事件につながり、戦争に繋がったので、政治家は軍人の反乱に対しては断固として鎮圧し、徹底して調査し処分して軍部独裁を阻止する事が、民主主義国では政治的に正しい対応とされている。

なお、このことは、軍人による意見表明を妨げるものではないことに留意する必要がある。

独裁

物理的矯正力である軍事力と政治的指導者が重複すると、自動的に独裁になり、軍事独裁政権となる。多くの独裁政権に共通した欠点は、国家の順調な発展より、自政権の永続を望むことである。結果、軍事独裁政権は、国益を害し、最終的に崩壊する。以上の理由から、軍事力と政治の指導権は分離することが必要である。

第二に文民統制のない国、特に軍部独裁国家は人命軽視・安全軽視に陥りやすく、それがために大損害を蒙って大敗したり、パイロットを損耗して敗北するような事象が起きやすい他、失敗の責任がうやむやにされ、敗因分析が甘くなりやすい。つまり、民主主義国の政治家は選挙で選ばれるために、兵士が大量に死亡したり、非合理な損失が発生した場合は責任を問われる。また、軍はマスメディアに批判される。そのために、民主主義国の軍隊は人命損失に敏感で、戦闘機に防弾ゴムタンクを装備するなど装備にも安全についての工夫を凝らす。

一方、軍部独裁国家の場合、将軍は選挙で選ばれるわけではないし、軍は目的の為には人命損失を許容する組織であるため、死に鈍感になりやすく、安全軽視に陥りやすい。また、軍隊は官僚制組織であり、官僚制の欠陥から自由ではない。同僚の失敗を責めると自分も報復されてしまうため、敗戦の責任がうやむやにされやすかったり、その結果、能力に問題のある将軍が残ってしまったり、敗因分析が対症療法にとどまり抜本的改革に繋がらなかったり、軍に不都合な情報が国民に隠蔽される場合もある。典型例がミッドウェー海戦以降の日本海軍で、安全性を軽視してガソリン満載の航空機を空母の飛行甲板ではなく閉鎖式格納庫に収納して爆弾魚雷を換装している最中に被弾。格納庫はガソリンで火の海になり爆弾等が誘爆して大火災を招き空母四隻を失い大敗した。米国であれば新聞で批判され大統領の辞任に結びつく可能性のある事件であったが、日本海軍では大規模な処分は行われず、士気の維持を名分に大本営発表によって軍の失敗は国民に対して隠蔽された。空母運用の安全性欠陥についても抜本的総点検は行われず格納庫に泡消火器を付ける等の対症療法に滞った結果、マリアナ沖海戦ではガソリンタンクの問題と運用の不適切により大爆発を起こして大鳳を失った。陸軍も大同小異である。

軍事専門家の軍人が国家を指導する軍部独裁国家が民主国家より、戦争に強く上手な戦争指導をするのかといえば、必ずしもそうとは言えず、むしろ政治家やマスコミ等のチェック機構を失う事によって、安全軽視や官僚制の欠陥を露呈し敗北してゆく場合が多いので、勝つためにも文民統制は必要だという意見も多い。

国家戦略性

政治家は軍事に素人であるが、軍人は政略・外交また特に近代戦を遂行するについて不可欠な経済・産業・財政について素人であり、戦争が外交の延長である以上、戦争の大局判断、政略・戦略・外交、そして開戦と講和については政治家が最終的に判断を下すべき事項である。文民統制を確立することは、戦争の大局を左右する段階での軍人の独断や(ただし、切迫した状況下での現場指揮官の即断は、事前に示された範囲においてある程度認められている)、武力政変などに歯止めを掛ける上で極めて有効な方法であり、政治家と軍隊の腐敗や癒着を避ける意味でも極めて重要な制度である。

政治・軍事の領域調整の問題

その一方で、軍事の最終的な指揮権を握る政治家が専門家ではないために、運用(作戦)に政治家が介入し過ぎた場合は、軍事上の常識や軍事的合理性に著しく反する軍隊の運用が行われる弊害があるとも考えられている。また軍人は基本的に戦争の開始には慎重派・消極派であることが多く、また政治家は強硬路線によって国民の支持を確保しようとすることや、軍事的合理性を無視した決断を行うことが少なくない。

第一次世界大戦ガリポリの戦いにおける上陸作戦英国海軍フィッシャー提督がその軍事的合理性から反対したにもかかわらず、文民政治家チャーチル海軍大臣によって実行され、非常に多大な損害を出すこととなり、失敗に終わった。また第二次世界大戦においては、ヒトラー総統が政界を通じてドイツ国防軍を完全に統制することに成功し、戦争を遂行した(文民軍国主義、civilian militarism)。湾岸戦争では、文民フセイン大統領がクウェートに侵攻したことから国際社会の非難を浴びて多国籍軍との戦争に発展した。

以上から分かるように軍事についての知識もなく、軍事的合理性に欠く政治家によって不合理な戦争を開始する危険性は常に存在する。一方で逆に、外交について素人である軍人が外交まで握った結果、第一次大戦においては、ルーデンドルフはドイツの早期講和の機会を逸し、ドイツは壊滅的敗北を喫した事があり、日本においては外交の素人である関東軍将校が内閣の指導に服さず、内閣の日中講和、日米妥協工作の努力を水泡に帰し、仏印進駐によって米国の石油制裁を招き、その結果太平洋戦争に至った例もある。

また、政治家が運用(作戦)に容喙しすぎた場合の深刻な短所として挙げられることが、現場指揮官の権限を不当に制約することである。戦場において、また危険地域において、兵力・部隊編成・装備・作戦計画・戦術などが政治的事情、法整備などによって制約されることは、現場指揮官の選択肢が狭められると同時に作戦行動に大きな支障となる。1691年イギリス議会は戦闘訓令(海戦において事前に決められる戦闘要領)を法律で定め、戦場においてその法律に従い、ある一定の陣形を定めて戦うことをイギリス海軍に強制した。当時は砲煙、混乱、旗信号の未発達などのために、通信能力が十分ではなかった。そのため決定的な戦機が来た場合は現場指揮官に指揮統率を一任すべきであり、特定の陣形をとれと強制すべきではないという現場の意見があり、法律と現場との間に大きな齟齬が生まれることとなった。そのため法律を制定してから、イギリス海軍では海戦のたびに戦闘訓令を違反する提督が続出し、軍法会議で処分を受けることとなった。しかし19世紀に入るまでに、結局この現場の意見が取り入れられ、戦闘教義として採用されることとなった。

すなわち軍人の立場からは、文民統制を実施するだけでは軍隊を効果的に運用することはできず、文民政治家の能力を高めること、政治家と職業軍人の関係の合理化を進めること、政治家の質と全国民の民度を高めること、軍事的な専門領域となる指揮統率については軍事的合理性を尊重すること、などが必要であることが言える。

また政治家・外交官の立場からは、軍人は政治・外交と大枠の戦争指導・交戦規定については政治家の指導に服し、政府が不拡大方針を表明したのに勝手に戦線を拡大したり、パリを攻略すると講和が難しくなるから停止と指示したのに攻略を強固に主張したり、政府の外交方針から外れ、独断で勝手な行動をする事は許されない。

すなわち、相互の領域の尊重と理解と言う事が極めて重要と言える。

関連項目

参考文献

外部リンク

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