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ソウル・フラワー・ユニオン

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ソウル・フラワー・ユニオン
出身地 日本の旗 日本 関西
ジャンル ミクスチャー・ロック
活動期間 1993年 -
レーベル キューンレコード
リスペクト・レコード
BM tunes
メンバー 中川敬
伊丹英子
奥野真哉
河村博司
伊藤孝喜2000年 - )
JIGEN2003年 - )
旧メンバー 高木太郎 (1993年 - 1997年
内海洋子 (1993年 - 1998年
大熊亘1996年 - 2000年
永原元 (1997年 - 2000年)

ソウル・フラワー・ユニオンSOUL FLOWER UNION)は、1993年に結成された日本ロックバンド

略歴

1988年に「ソウル・フラワー・レーベル」を設立し、活動をともに行っていた2つのバンド、ニューエスト・モデル1985年 - 1993年)とメスカリン・ドライヴ1984年 - 1993年)が同時に解散し、合体するという形で、1993年9月に結成された。同年11月に、メスカリン・ドライブがラスト・アルバムとして制作を開始していたアイヌ民族をテーマに据えたアルバム『カムイ・イピリマ』(本作のみリード・ヴォーカルは内海洋子)でデビュー。以降、民謡や古い大衆歌謡などの「日本人が忘れかけている音楽」と沖縄民謡や朝鮮民謡、ヨーロッパ・トラッドなどの「少数民族あるいは非抑圧者の奏でる音楽」とロック・ミュージック、リズム&ブルース、スイング・ジャズ、レゲエ、スカなどを融合させ、唯一無比の世界観を作り上げている。

1995年阪神・淡路大震災の直後に伊丹英子の発案で、震災被災者を励ますために、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット名義で「出前慰問ライヴ」を行った。諸般の理由からアコースティックな楽器を用いることにし、エレキ・ギターを沖縄の三線に、ドラムを朝鮮のチャンゴに持ち替え、他のメンバーはそれぞれアコーディオンクラリネットチンドン太鼓などに持ち替え、マイクの替わりにメガホンを使った。震災被災者の中でも、特に老人達のために、戦前戦後の流行歌壮士演歌、アイヌ民謡・日本民謡・沖縄民謡・朝鮮民謡などをレパートリーにし、チンドン・アレンジで演奏し、彼らを力付けた。この時、ヒートウェイヴの山口洋と共作した主旋律を元に書いた『満月の夕』では、震災の惨状や、復興への厳しい現実、そして、それらに向かい合う人々のひたむきな姿を歌い、大きな反響を得た。それを受け、この曲は後年においてもガガガSP沢知恵平安隆など複数の手によりカバーされている。また、同時期に「ソウル・フラワー震災基金」を立ち上げ、今現在でも震災被災者の支援を積極的に行っている。

1997年、伊丹英子の耳の持病(音響外傷)が悪化し、ソウル・フラワー・ユニオンとしての活動を一時停止するが、年末に活動再開。活動停止期間中は、ソウルフラワー・モノノケ・サミットとしての活動と、中川敬のソロユニット、ソウルシャリスト・エスケイプを行っていた。

1999年、大手レーベルを離れ、以降、自主レーベルからクオリティの高い多くの作品を精力的に出し続け、三ヶ月に一度(3、6、9、12月)の東阪ツアーは1997年12月から休むことなく続いている。2007年から毎年3月に、ゲスト・バンドを呼ぶ『闇鍋音楽祭』を開催している。

2006年から日本全国を隈無く回る為のアコースティック・ユニット、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンを結成し、中川敬奥野真哉リクオの三人での地方巡業ツアーも活動の合間に行なっている。

活動範囲は幅広く、ベトナムフィリピン香港フランスヨルダン韓国北朝鮮台湾東ティモールなど世界中でライブを、アイルランドイギリスなどでレコーディングも行っている。アイリッシュ・トラッド界のミュージシャンや、ビリー・ブラッグミック・ジャガーポーグススピーチ3ムスタファズ3など、海外ミュージシャンらによる評価も高い。

メンバー・担当楽器

バンドの大半の作詞作曲、編曲などを手がける。日本では数少ない政治的な発言のできるミュージシャンの一人で、徹底して現場主義にこだわっている。反権力アナーキストの観点から非戦の立場を明確にしている。熱狂的な阪神タイガースのファン(本人は宗教と言っている)。ヨーロッパ映画ローリング・ストーンズにも詳しい。

愛称「ヒデ坊」。中川と共にバンドの精神的支柱で、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの発案者である。ドーナル・ラニーと結婚。アイルランドに移住し、一児をもうけた。音響外傷の療養と育児のため、現在は沖縄に在住し、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの活動のみに専念している。ドーナル・ラニー関係の作品をリリースするZO-San Recordの主宰者でもあり、彼女が主催するイベントは『つづらおりの宴』と呼ばれる。

メンバー中、課外活動に最も旺盛で、多くのアーティストのサポートしたり、時にプロデュースをしたりしている。ウルフルズボニー・ピンクのバックで、NHK紅白歌合戦にも2度出演した。こうした大衆迎合的な活動を、中川がライヴのMCなどで揶揄することもしばしばである。しかし、イベントなどに2人だけでアコースティック出演することも多く、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザン名義でリクオを加えた3人による全国ツアーも行なっており、信頼関係は強固なようだ。

ニューエスト・モデルの最後期にベースで加入したが、JIGENの加入に伴いギターに転向。音響機器やコンピューターに強く、時にレコーディング・エンジニアも担当している。

ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーションに参加。元シェイディ・ドールズ塚本晃らとのトリオ・バンドNOWHEREでも活動中。佐藤行衛韓国でもバンドを結成しており、時々渡韓している。ハングルが使える。

ほかに 頭脳警察桃梨歌民などのメンバーとしても活動中。津軽三味線風の速弾きが得意。ソウル・フラワー・ユニオンのステージでは、秋田音頭ソーラン節など、日本民謡のレパートリーでリード・ヴォーカルをとる。

別名義

別名義での活動も多く、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットSOUL FLOWER MONONOKE SUMMIT)、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンSOUL FLOWER ACOUSTIC PARTISAN)、ソウル・フラワー・ウィズ・ドーナル・ラニー・バンドSOUL FLOWER with DONAL LUNNY BAND)、フロントマンの中川敬のプロジェクトとして、ソウルシャリスト・エスケイプSOUL-CIALIST ESCAPE)、ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーションJAPONESIAN BALLS FOUNDATION)がある。

ディスコグラフィー

ソウル・フラワー・ユニオン

シングル(及び、マキシ・シングル)

アルバム

サントラ・アルバム

ライブ・アルバム

編集盤

映像作品

ソウル・フラワー・モノノケ・サミット

アルバム

映像作品

ソウルシャリスト・エスケイプ

中川敬のソロユニット。

シングル

アルバム

ソウル・フラワー・ウィズ・ドーナル・ラニー・バンド

ミニアルバム

ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーション

アルバム

関連項目

外部リンク

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