魔裟斗
ファイル:Masato at Dynamite!! 2005.jpg K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 記者発表にて | |
基本情報 | |
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本名 | 小林 雅人(こばやし まさと) |
通称 | 反逆のカリスマ |
階級 | ミドル級(K-1) |
身長 | 174cm |
体重 | 70kg |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1979年3月10日(45歳) |
出身地 | 日本千葉県柏市 |
スタイル | キックボクシング |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 61 |
勝ち | 53 |
KO勝ち | 24 |
敗け | 6 |
引き分け | 2 |
無効試合 | 0 |
魔裟斗(まさと、男性、1979年3月10日 - )は、日本のキックボクサー。本名は小林 雅人(こばやし まさと)。千葉県柏市出身。身長174cm、体重70kg。シルバーウルフ所属。日本人初のK-1 WORLD MAX世界王者。妻は女優・タレントの矢沢心。
来歴
両親の都合で柏市から埼玉県新座市へ引っ越す。埼玉栄高校中退。校則が厳しく、自分に合わないため中退したとされている[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。
1994年、15歳でボクシングの名門ヨネクラボクシングジムに入門。プロボクサーを志すがプレッシャーからプロテスト受験当日に失踪してボクシングプロテストは不合格に終わる[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。そのままヨネクラボクシングジムを退会。
1997年、17歳で藤ジムに入門。
2000年1月21日、全日本キック「LEGEND-I」のダブルメインイベント(セミファイナル)でモハメッド・オワリ(ベルギー)と対戦予定であったが、魔裟斗が試合出場を拒否し「試合放棄」とされた。3月14日付けで藤ジムと全日本キックボクシング連盟に退会届を提出し、全日本ウェルター級タイトルも返上。「シルバーウルフ」所属となった。5月26日、「コロシアム2000」でメルチョー・メノーと対戦し、KO勝ち。7月26日、自主興行「Wolf Revolution First Wave」を開催し、メインイベントでクレイトン・コリヤーにKO勝ち。11月1日、ムラッド・サリ(王者、フランス)と対戦しKO勝ち、I.S.K.A.世界オリエンタルウェルター級王座獲得。
2001年3月30日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟「ODYSSEY-1」で伊藤隆の引退試合(エキシビションマッチ)の相手を務めた。
2003年7月5日、「K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜」の決勝戦で前年度王者アルバート・クラウスをKOで下し、優勝を果たした。12月15日、「WOLF REVOLUTION meets LUZ」で宇野薫とエキシビションマッチを行った。1Rはキックボクシングルールであったが、2Rは総合格闘技ルールとなりオープンフィンガーグローブでの戦いを披露した。
2004年7月7日、「K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜」のジャダンバ・ナラントンガラグ、アルバート・クラウスをそれぞれ判定で下したものの、決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムックと対戦。ダメージの蓄積に加え、ブアカーオの攻撃になすすべもなく3Rにはフラフラの状態で戦っていたのにもかかわらず、3R終了時点判定1-0で延長R突入となり、延長Rで判定負け、準優勝となった。この判定は問題となり、大会終了後の7月9日に「3R終了時点の判定はミスジャッジングであり、不適格かつ不可解」であったとして、角田信朗を始めとした審判員の処分を発表した。また、3R終了時点でブアカーオが3-0の判定勝ちであったことを正式に認証することになったが、公式記録上の変更は行わなかった。12月31日、「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」で山本"KID"徳郁とK-1ルールで対戦。1R、KIDにダウンを奪われた直後、ローキックがKIDの金的を直撃し試合が中断する。KID自身「手足が震えた」というほどの致命的なダメージであった。この時、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の船木誠勝が故意であることを匂わせる発言をしている。そして5分の休憩の後、精彩を欠いたKIDから2Rにダウンを奪い返し、判定勝ちを収めた。
2005年5月4日、「K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜」でイム・チビンと対戦。判定勝ち。7月20日、「K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜」準々決勝でマイク・ザンビディスと対戦。ダウンも奪い判定勝ちしたが、左足腓骨を骨折し準決勝を棄権。12月31日、「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」で大東旭に2RTKO勝ち。
2006年2月4日、「K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜」のスーパーファイトでイアン・シャファーに判定勝ち。4月5日、「K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜」でレミギウス・モリカビュチスと対戦。2Rに相手陣営のセコンドのタオル投入によりTKO勝ちを収めた。6月30日、「K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜」準々決勝で小比類巻貴之からダウンを奪い判定勝ち。準決勝でアンディ・サワーに3R終了間際にダウンを喫し判定で敗れベスト4に終わる。12月31日、「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」において対戦予定だったボクシング元世界王者崔龍洙が練習中に負傷したことにより、対戦相手がボクシング元日本ミドル級王者鈴木悟に変更。結果は2RKO勝ち。
2007年2月11日、女優・タレントの矢沢心と入籍。4月4日、「K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜」でオーレ・ローセンと対戦。終始攻め続け判定勝ち。6月28日、「K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜」でHERO'Sミドル級王者J.Z.カルバンと対戦。的確に攻撃を当て続け、判定勝ち。10月3日、「K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜」の準々決勝ではブアカーオ・ポー.プラムックから1Rに右ストレートでダウンを奪い、判定勝ち。準決勝ではアルトゥール・キシェンコに2Rに左フックでKO勝ち。決勝ではアンディ・サワーと対戦したが、2試合を戦ったダメージの蓄積に加え、サワーの猛攻で足が限界に達し、2R終了時に立ち上がることができずセコンドがタオルを投入しTKO負け。準優勝に終わった。12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」でチェ・ヨンスと対戦。1Rにダッキングに合わせたハイキックでダウンを奪うと、その後もパンチやローキックで攻め立てて3Rタオル投入によるTKO勝ち。
2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008のトーナメント1回戦でヴァージル・カラコダと対戦し、3R右フックでKO勝ち。
2008年7月7日、K-1 WORLD MAX 2008のトーナメント準々決勝でドラゴと対戦し、判定勝ち。
2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008のトーナメント準決勝で佐藤嘉洋と対戦。3Rに左フックでダウンを奪われる。当時は「優勢選手に必ず10ポイントを付ける」というルールがあったにもかかわらず、ダウンを奪った佐藤嘉洋に9ポイントしか付かなかった[1]為、延長判定勝ち。続くアルトゥール・キシェンコとの決勝戦でも同様の判定が起こり、2Rに右フックでダウンを喫しながらも3R終了時は引き分けとなり延長判定勝ち。2度目のK-1 WORLD MAX王者となった。
2009年3月22日、東京マラソン2009に出場し、3時間51分14秒で完走した。
2009年4月1日、記者会見を開き、2009年末をもって引退する旨を表明。「大晦日のDynamite!!でトーナメント優勝者と戦いたい」と発言した。
2009年4月21日、引退発表後の「初戦」としてK-1 WORLD MAX 2009でHIROYAとエキシビションマッチで対戦した。
2009年7月13日、K-1でのラストマッチとなったK-1 WORLD MAX 2009にて、ファン投票で推薦された総合格闘家川尻達也と対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪い、2Rにパンチのラッシュで追い込んだところで川尻陣営からタオルが投入されTKO勝ちを収めた。
戦績
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
62 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
54 勝 | 25 | 29 | 0 | 2 | 0 | |
6 敗 | 2 | 4 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | 川尻達也 | 2R 1:43 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8 | 2009年7月13日 |
○ | アルトゥール・キシェンコ | 延長R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL 【決勝】 |
2008年10月1日 |
○ | 佐藤嘉洋 | 延長R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL 【準決勝】 |
2008年10月1日 |
○ | ドラゴ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL8 【準々決勝】 |
2008年7月7日 |
○ | ヴァージル・カラコダ | 3R 0:22 KO(右フック) | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL16 【1回戦】 |
2008年4月9日 |
○ | チェ・ヨンス | 3R 0:51 TKO(タオル投入) | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! | 2007年12月31日 |
× | アンディ・サワー | 2R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜 【決勝】 |
2007年10月3日 |
○ | アルトゥール・キシェンコ | 2R 0:41 KO(左フック) | K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜 【準決勝】 |
2007年10月3日 |
○ | ブアカーオ・ポー.プラムック | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜 【準々決勝】 |
2007年10月3日 |
○ | J.Z.カルバン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜 【1回戦】 |
2007年6月28日 |
○ | オーレ・ローセン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜 | 2007年4月4日 |
○ | 鈴木悟 | 2R 2:22 KO(右ローキック) | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
× | アンディ・サワー | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜 【準決勝】 |
2006年6月30日 |
○ | 小比類巻貴之 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜 【準々決勝】 |
2006年6月30日 |
○ | レミギウス・モリカビュチス | 2R 1:56 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜 【1回戦】 |
2006年4月5日 |
○ | イアン・シャファー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜 【スーパーファイト】 |
2006年2月4日 |
○ | 大東旭 | 2R 1:58 TKO(3ノックダウン:右ローキック) | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2005年12月31日 |
○ | マイク・ザンビディス | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜 【準々決勝】 |
2005年7月20日 |
○ | イム・チビン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜 【1回戦】 |
2005年5月4日 |
○ | 山本"KID"徳郁 | 3R終了 判定2-0 | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
× | ブアカーオ・ポー.プラムック | 延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜 【決勝】 |
2004年7月7日 |
○ | アルバート・クラウス | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜 【準決勝】 |
2004年7月7日 |
○ | ジャダンバ・ナラントンガラグ | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜 【準々決勝】 |
2004年7月7日 |
○ | セルカン・イルマッツ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜 【1回戦】 |
2004年4月7日 |
○ | ヴィンス・フィリップス | 2R 0:15 KO(右ローキック) | K-1 WORLD MAX 2003 〜世界王者対抗戦〜 | 2003年11月18日 |
○ | アルバート・クラウス | 2R 2:26 KO(左フック) | K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜 【決勝】 |
2003年7月5日 |
○ | サゲッダーオ・ギャットプートン | 2R 2:55 KO(2ノックダウン:右アッパー) | K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜 【準決勝】 |
2003年7月5日 |
○ | マイク・ザンビディス | 3R終了 判定2-1 | K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜 【1回戦】 |
2003年7月5日 |
○ | 武田幸三 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜 【決勝】 |
2003年3月1日 |
○ | 村浜武洋 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜 【準決勝】 |
2003年3月1日 |
○ | 須藤元気 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜 【1回戦】 |
2003年3月1日 |
△ | アルバート・クラウス | 5R終了 判定1-1 | K-1 WORLD MAX 2002 〜世界王者対抗戦〜 | 2002年10月11日 |
○ | メルヴィン・マーリー | 2R 2:59 TKO(レフェリーストップ:右ローキック) | Wolf Revolution 〜resurrection〜 | 2002年8月6日 |
× | アルバート・クラウス | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2002 〜世界一決定戦〜 【準決勝】 |
2002年5月11日 |
○ | ドゥエイン・ラドウィック | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2002 〜世界一決定戦〜 【1回戦】 |
2002年5月11日 |
○ | 小比類巻貴之 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜 【決勝】 |
2002年2月11日 |
○ | 後藤龍治 | 3R 2:52 KO(2ノックダウン:左フック) | K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜 【準決勝】 |
2002年2月11日 |
○ | 村浜武洋 | 3R 0:30 KO(2ノックダウン:右ストレート) | K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜 【1回戦】 |
2002年2月11日 |
○ | ノエル・ソアレス | 3R 1:30 TKO(レフェリーストップ:フック連打) | K-1 WORLD GP 2001 決勝戦 【K-1 WORLD MAX スーパーファイト】 |
2001年12月8日 |
○ | ベン・バートン | 4R 1:10 KO | Black List 010 meets Wolf Revolution | 2001年8月23日 |
○ | ゴラン・ダニロヴィック | 2R 2:06 KO(ローキック) | Wolf Revolution 〜Third Wave〜 | 2001年6月22日 |
○ | パトリック・エリクソン | 5R終了 判定3-0 | K-1 BURNING 2001 〜火の国熊本初上陸〜 | 2001年4月15日 |
○ | モハメッド・オワリ | 3R 1:26 TKO(タオル投入) | Wolf Revolution 〜Second Wave〜 | 2001年1月12日 |
× | スリヤー・ソー・プルンチット | 5R終了 判定 | タイ国王生誕記念大会 【スーパーウェルター級選手権】 |
2000年12月5日 |
○ | ムラッド・サリ | 2R 0:48 KO(左フック) | K-1 J・MAX 【ISKA世界オリエンタルウェルター級 タイトルマッチ】 |
2000年11月1日 |
○ | クレイトン・コリヤー | 1R 1:15 KO(左フック) | Wolf Revolution 〜First Wave〜 | 2000年7月26日 |
○ | メルチョー・メノー | 4R 2:59 KO(3ノックダウン:ローキック) | コロシアム2000 | 2000年5月26日 |
○ | ゴーンナパー・ソー・チャルァームサッグ | 2R 0:59 TKO(レフェリーストップ:左アッパー) | サムローンスタジアム | 2000年4月16日 |
○ | "イーヴィル"エヴァル・デントン | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-XIII」 | 1999年11月22日 |
○ | ニック・ミッチ | 5R終了 判定2-0 | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-XII」 | 1999年10月8日 |
○ | スティーブ・ミッチ | 2R 2:15 TKO(ドクターストップ) | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-V」 | 1999年8月17日 |
○ | マテオ・トレビジョン | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-IV」 | 1999年7月13日 |
○ | ジェームス・シャサー | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-III」 | 1999年5月11日 |
○ | 千葉友治 | 3R 0:34 KO | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-II」 | 1999年3月17日 |
△ | 土井広之 | 5R終了 判定1-1 | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-I」 | 1999年1月25日 |
○ | 嶋村哲昌 | 1R 2:32 KO(左フック) | シュートボクシング「GROUND ZERO TOKYO」 | 1998年11月14日 |
○ | 坪井淳治 | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟 | 1998年10月16日 |
○ | K・タカハシ | 4R終了 判定3-0 | 全日本キック&MA日本キック合同興行「KICK CHAMPION'S NIGHT」 | 1998年9月19日 |
○ | 河野貴巳 | 3R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟 | 1998年7月8日 |
○ | 千葉友治 | 3R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟 | 1998年3月22日 |
× | 小比類巻貴之 | 3R 2:52 KO(膝蹴り) | 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-VI」 | 1997年5月30日 |
○ | 竹原太 | 1R KO | 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-IV」 | 1997年3月23日 |
獲得タイトル
- 全日本キックボクシング連盟ウェルター級王座(0度防衛)
- ISKAオリエンタル世界ウェルター級王座(0度防衛)
- K-1 WORLD MAX 2002 日本代表決定トーナメント 優勝
- K-1 WORLD MAX 2003 日本代表決定トーナメント 優勝
- K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメント 優勝
- K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメント 準優勝
- K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント 準優勝
- K-1 WORLD MAX 2008 世界一決定トーナメント 優勝
ファイトスタイル
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
10代の頃にボクシングジムに通っていた魔裟斗は、元々はパンチを武器とする典型的なインファイターであった。しかし、近年では、左右両方のパンチのコンビネーション・キック・膝蹴りなどの打撃を放つスタイルへと変わった。ディフェンステクニックで相手が放つ大振りなパンチをかわし、カウンターを合わせる。最も得意とするブローは相手の右を左でブロックし、即左フックを返すというものである。
元々はプロボクサーを志していたが、プロテスト受験を諦めてからはキックボクシングを志す。彼にとってボクシングとは若い頃の挫折の象徴であるためかボクシングを意識した発言を繰り返して独特なコンプレックスを窺わせている。しかし、それだけに若い頃からボクシングを経験したことで、ファイトスタイルはボクシング技術を重視したものになっている。
K-1 WORLD MAXにおいて主役級の扱いを受け、第一線で戦える唯一といっていいMAX日本人選手である魔裟斗は、海外の選手から研究され狙われる立場であり、2004年ごろから判定決着が極度に増えてきている。
最近ではボクシング技術に傾倒するあまりに前傾のいわゆるクラウチングスタイルになることが多く、ローキックのカットがうまくできないことが多い。2006年、2007年とも決勝トーナメントはローキックを効かされて負けている。しかし、前傾だからこそ素早い踏み込みとコンビネーションが使えているので、その折り合いをどうつけていくかが課題と思われる。
備考
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。 |
- 「反逆のカリスマ」なるキャッチコピーを持つが、本人は快く思っていない模様。
- 度を超えた発言などで物議を醸すことが多い。
- 相手選手を見下した様な発言をするのがファンの間では人気である。反面、不快感を覚えるアンチファンも多く、一刀両断の評価は難しい。
- 孝太郎ラボに出演した際に「(日本人の)ヘビー級に俺が勝てるんじゃないかなーと思う奴がいる」と発言したことがある。
- 普段の体重は75kg前後といわれるが、試合に向けてリミットちょうどの70kgに仕上げることを信条としている。
- 2002年1月26日に当時2階級下のプロボクシング・スーパーライト級日本ランカー佐々木基樹と協栄ボクシングジムにおいてK-1ルールと同じ3R限定のボクシングスパーリングを行っている。その際、顔面に強烈な左フックを受け、背中を向けて戦意を喪失。鼻骨を骨折した。
- 当時花咲徳栄高等学校のアマチュアボクサーだったスパーリングパートナー大迫亮(現在協栄ボクシングジム所属)にボクシングで圧倒された。ストップをかけるべきか周囲が迷っている場面もあった。
- 元ボクシング日本王者の前田宏行は自らのブログで「昔は知らないが今の魔裟斗選手のパンチの技術は、蹴り無しでも3Rなら並みの日本チャンピオンクラスではやられる確率は高い」と魔裟斗のボクシングスキルを評価した[2]。
- 「これだけ練習したのだから負けることはない」と本人が言うほど、練習熱心である。
- 敗戦後は翌日の会見に姿を見せないことが多い。そのことをインターネット等のメディアが「魔裟斗とジム関係者連絡を絶つ」と書き立てるため、失踪を心配するファンも多いが、試合後は勝敗に関係無く温泉に入りに箱根へ行くことを公言しており、失踪では無い。
- 「ミスターストイック」小比類巻貴之に「六本木で飲んでいる時バッタリ出会った」ことをメディアで暴露している。
- 小比類巻とは全日本キックボクシング連盟の興行で対戦している。共にデビュー2戦目同士で3回戦の前座扱いであったが、メイン、セミの試合のキャンセルが相次ぎ、繰上げでその日の興行のメインイベントになってしまった。結果は小比類巻が得意の膝蹴りで、小林雅人(本名名義)にKO勝ちしている。この繰上げメインの試合を、雑誌「格闘技通信」(ベースボール・マガジン社)は急遽見開き2ページ、オールカラーで掲載した。この敗戦はお互いがK-1に参戦した後もしつこく取り沙汰されたが、K-1では魔裟斗が小比類巻に判定勝ちしている。
- 2001年12月27日に放送された『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の『ねるとん紅鯨団』に出演し、来栖あつことカップルが成立した。
- 現在のようなキャラになったのは、所属事務所社長のHARUに影響されたため。
- 細木数子の番組に出演した際、かつてバイト先で昼休みの休憩中に抜け出し、そのまま戻らず辞めた過去を披露。
- WOWOWのエキサイトマッチ〜世界プロボクシングで海外のボクシングばかり見ている。お気に入りの選手はフロイド・メイウェザー・ジュニア。
- 2004年には当時WBA・WBC・IBF世界ミドル級チャンピオンであったバーナード・ホプキンスに「ラスベガスで対戦したい。ボクシングルールでも勝てる」と発言したことがある。
- 近年はフジテレビ放送のK-1 WORLD GPシリーズに解説者としても出演している。
- スポーツメーカーChampion productsとスポンサー契約を結んでいる。
- スイスの時計ブランドであるオーデマ・ピゲと提携し、2009年夏、オリジナルデザインの「魔裟斗モデル」を発表した。
- リングネームを決める際、藤ジムの加藤重夫会長に藤 山海山(ふじ さんかいざん)という名前を提案されるも断り、2番目に提案された魔裟斗に落ち着いた。
- 「殴られすぎてパンチドランカーになった人を何人も見てきた」ことから、自身の体調管理にはかなり気を使っている。引退の理由も「パンチドランカーになった姿を子供に見せたくない」ことを挙げている。
- 2009年9月6日放送のジャンクSPORTSで引退後は大学に行くことも考えていると発言した。
結婚
出会いはたまたま矢沢心とその友人が魔裟斗の家の裏で車が止まってしまい、更に矢沢心の友人が魔裟斗の友人でもあったため見かねて駆け付けたというのがきっかけである。 トレーニング中の食事や身の回りの世話をしてもらっているうちに、「これは責任取らないといけない」と感じたことから結婚に踏み切ったと話している。
出演作品
- DEAD OR ALIVE 2 逃亡者(2000年)
- はるちゃん6(2002年、東海テレビ)
- 武勇伝(2003年、アートポート)
- IZO(2004年)
- 忍者(2004年)
- ドラマ特別企画「生きたい 〜家族の命リレー・生体肝移植〜」(2005年1月22日、テレビ朝日系)
- 軍鶏 -Shamo-(2008年)
- CM「DUBジュエリー」
- 陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜3(2009年、NHK)
- 月曜ゴールデン「緑川警部vs86人の容疑者」(2009年6月22日、TBS) - 今日介 役
- 現在GyaOで『K-1ファイター 魔裟斗のKING SPIRITS』というトーク番組(毎週水曜日更新)を持ち、視聴者から送られてくる悩みや質問に魔裟斗が答えたりしている。ちなみにその番組内で魔裟斗は、相方の岡田眞善や視聴者から「キング」と呼ばれている。
脚注
- ^ http://www.kamipro.com/news/?id=1222886209 魔裟斗vs佐藤嘉洋のジャッジについて角田信朗氏が説明]
- ^ 前田宏行公式ブログ 2008年3月27日
関連項目
外部リンク
前優勝者 アルバート・クラウス |
K-1 WORLD MAX 2003優勝 2003年7月5日 |
次優勝者 ブアカーオ・ポー.プラムック |
前優勝者 アンディ・サワー |
K-1 WORLD MAX 2008優勝 2008年10月1日 |
次優勝者 ジョルジオ・ペトロシアン |